最果ての村アヒレス3 特許商人
商人のヨスタが、雪の中をアヒレスという街道の一番奥の村に荷物を満載した二頭立の馬車で到着したのは春分の日から三日目だった。村の手前で護衛がてらにいっしょにやってきた息子と使用人の男と簡単な打ち合わせをして別れた。
ヨスタはアヒレス村での特許商業権を持った商人である。村で商売ができるのは一人に限られていた。
村に入ったとたんに秋に来たときとは雰囲気が大きく変わっていることに気がついた。
いつもなら村の手前の小さな峠まで黒砂糖から作った小さな飴をヨスタから貰うのが目的で出迎えにきている子どもたちの姿が見えない。
村に入っても出会う村人は挨拶はするがどことなくよそよそしい。村に店や宿屋はないので、いつも宿泊をさせてもらっている神官館へ向かった。リファニアの田舎では必ず見かける木造の小さな神殿があり、その脇に巡礼者用の小屋がある。
ヨスタは懇意な神官の厚意で、お布施を出すという形で宿泊するのである。この行為自体も宿屋のないリファニアの田舎では普通のことである。
「ナチャーレ・グネリ・ハレ・アスト、行商のヨスタです」
神官館のドアを叩きながらヨスタは大声を出した。館といっても少し大きな民家である。奥の方で誰かが話している気配がしてから、やつれた感じを漂わせた四十手前という風情の女がドアを開けた。
「ヨスタさん、お久しぶり。春の商売ですか?」
そう言われるまでヨスタは目の前の女が、神官のグネリだとは気がつかなかった。冬の間に感じがかわったのだ。声にも目にも精気がない。
一番変わったのは歳を取っても清楚な雰囲気を持っていたグネリが何か生々しい雰囲気を醸し出していることだった。
「いや、ナチャーレ・グネリ。また、お世話になりたいんです。宿泊所を使わせてもらっていいでしょうか?」
商人であるヨスタは気づかないふりをして毎年言う口上を笑顔で言った。
「え?あ、いいわ」
何かを気にしているようなグネリはしばらくヨスタが黙っているとあわてて言った。
「それでは、お布施ということで」
ヨスタは幾ばくかの金が入った小さな革袋をグネリに渡した。
「誰だ?」
館の奥からくぐもった男の声がした。妻帯の神官や、夫のいる女性神官もいるが普通は両方が神官職である。グネリは年配の寡婦であるから館の中から男の声がするのは奇妙である。
目つきの鋭い、髭を顎に蓄えた二十代半ばぐらいの男が出て来た。男物の神官服を着ている。公には神官は儀式以外の飲酒は認められいないが、男は昼間から酒を飲んでいたのか顔が赤い。
非番であれば神職も飲酒は黙認されるが、昼間からおおっぴらに飲酒となれば憚られる行為である。
「村に出入りの特許商人、メジーガルテル・ヨスタです」
グネリはあわてた様子で紹介した。
「商人か?今年から千年巫女への夏至の祭祀はオレがすることになった。あとで、祭礼服にするような生地があったら持ってこい。支払いはお布施ということにしろ」
男はヨスタを一瞥すると大仰な口調でまくしたてて家の中に入っていった。
「どなたですか?」
あっけに取られてヨスタがグネリに聞いた。
「マッカレール・ディオン・ハル・ノーマです」
そう言うと、グネリは先ほどヨスタから受け取った革袋をヨスタの手に握らせた。
「これは?」
「布地代です。足りなければ言ってください。わたしが出しますから」
「ハル・ノーマね」
ヨスタはグネリが家に入るとそう呟きながら宿泊所に向かった。
ノーマという名は、私生児、父親知れずの場合によく用いられる神の名である。父親の庇護を受けられぬ為に神の名をつけるのだ。
ヨスタは宿泊所に付属した馬小屋に馬を入れ、馬車から貴重品を宿泊所の部屋に運び込むと挨拶を兼ねて村長の家を訪ねた。
儀礼的な挨拶と明日からの商売のために村の集会所を臨時の商店として借りる約束をした後で、今日、神官館であった男のことを聞いた。
「ここだけの話にして欲しいがナチャーレ・グネリも困っておる。そして、それ以上に、わしらも難儀しておるのだ。
真偽のほどは分からぬが、ディオンという男は去年ヨスタさんがこの村での商売を終わってでていくのと入れかわりにやってきて、ナチャーレ・グネリが若い頃にマルタンでなした子だと名乗りをしよった」
マルタンとはリファニアの中央部にある都市で、マルヌ大神殿を中心にした宗教都市である。ここには神殿付属の神学校もあり神官を目指す者が学んでいる。
「あっても不思議ではありませんが」
ヨスタはナチャーレ・グネリが創造の女神ダーヌを、根源の神として個人的に信仰していることを思い出した。その影響でアスヒス村でも信仰する者が多い。女神ダーヌは生殖を象徴する神でもある。
しかし、性的なことに寛容なリファニア、そしてダーヌ神を奉じる人々の間でも女性神官が私生児をなすことは許容されてもスキャンダラスなできごとである。
ヨスタは信仰心が深く品行方正なナチャーレ・グネリと先ほどであった品のない男が結びつかなかった。
「ナチャーレ・グネリは肯定も否定もせん。本当だとすればナチャーレ・グネリは十代も前半で子をうんだことになるがな。
ともかくナチャーレ・グネリはディオンを追い返すこともなくずっと一緒に暮らしておる。それで、最近、ナチャーレ・グネリがディオンにここの神官職を譲りたいと言い出してな困っておるのだ」
村長は苦々しげに言った。
「そんなことができるですか?」
「実にやっかいなことに、ディオンは途中でマルタンの神学校を放校されたらしいが、神学学生の資格を持っておるのだ。また、マルタンの生まれというのも本当らしい」
「あの男がですか?人は見かけによりませんな」
ヨスタは本音でしゃべったことを少し後悔した。
「ああ、ああ見えてもナチャーレ・グネリは神官長の階位を持っておるのだ。本来ならこんな村には過ぎた神官なのだ。
いや、話がそれた。神官長は神学学生を弟子として取れるということだ。だからあの男が弟子ということでナチャーレ・グネリの代理をすることは可能なんだ。それに」
「それにですか?」
「巫術師なのだよ。それも質の悪い巫術師だ。ここで聞かんでも二三日商売をしておったら耳に入ってくる。それから布地を頼まれておるならすぐに持って行く方がいいぞ」
ヨスタは村長の忠告を聞いて、宿泊所にとって返すと布地を見繕ってグネリの家に届けた。ディオンは留守でグネリだけがいた。グネリは髪の毛で隠すようにしていたが目のあたりに殴られたようなアザがあった。
次の日、ヨスタは馬車を集会所に横付けして商品を運び込んだ。店の準備ができると例年のように村人がつめかけた。
アヒレス村はクルト盆地の最北端にある村である。もともと地味に乏しい上に、標高も高く農業生産力が低いためアヒレス村では穀物はほぼ自給に足りるかという量しか生産できない。クルト盆地で多く見られる山羊の飼育も冬が厳しいアヒレス村では村人の用を足すほどの数しか飼育できなかった。
しかし、このような村にも領主による年貢がかかってくるため狩猟により得た毛皮を納め、余剰の毛皮で必需用品を得るといった半農半猟の村だった。
ヨスタは領主に冥加金を払うことでアヒレス村の商業権を得ていた。ただ村にも控訴金を領主に払えば商人排斥要求の権利が認められているため無茶な価格はつけられなかった。
このシステムはコストをかけて領主権を行使しなくとも領主は一定の利益をえることができ、領主の直接的な介入を嫌う独立不羈の気風が強い地域を統治することにも適していた。
このため広大な領地を保持する割には生産力が低いため、領地に支配権を及ぼすほどの力をもてない領主が多いリファニアの辺境ではよく行われていた。
商人の側は安定した販路の確保という大きなメリットがある。中規模な村の数村でも商業権を得ていれば、仕事を手代に任せて大尽暮らしができるとされていた。
商業権は数年単位で更新されるが販路の村が推薦してくれれば優先的に再度商業権を得られるため、ほとんどの商人は自分の販路である村との関係を大切にしていた。
ヨスタが商人として成功したのは、若い頃に人気のなかったアヒレス村の商業権を得て村自体が少しでも豊かになるような商売を続けてきたからである。
今では三つの村の商業権を得ているが、このアヒレス村だけは人に任せず今でも自分が商売を手がけていた。
これは、そろそろ息子に商売を継がせようと考えているヨスタが村との関係を濃厚にしておきたいからである。新参者の商人よりは顔の見える商人の息子ということで村の推薦状を確保するという目的がある。
そしてアヒレス村で多少勉強しても大きな利益が得られる”千年巫女”との秘密裏に行う取引のためである。
「この冬は厳しくて、獲物も少なかった」
臨時店舗を訪れる村人は口々にこぼした。出来るだけ高値で買って欲しいということだ。ただ、不作はどこの地域でも同じで穀物相場は高騰していた。そのために、奢侈品である毛皮は一部の高級品以外は値崩れしていた。
それでもヨスタは村人が許容する下限価格を見抜き利は薄くても購入したり持ち込んだ品物と交換した。
村人も豊凶で毛皮の価格が上下することは経験上知っていた。そこで価格の安い時に無理して購入しておけば、価格が上がった時の値段交渉がスムースに進み利益が増えることをヨスタは知っていた。
夕刻近くになり、様子を見に来た村長と順番を待っている数人の客がいる店に、明らかに酒に酔ったディオンが店に入ってきた。
ヨスタはできるだけ愛想のよい表情を作った。
ディオンの噂は悪いものばかりだった。ともかく酒に目がない。自分の気に入らないことや人間にすぐ巫術を使って乱暴する。冬の間に数人の娘に手を出した。
あげくに妊娠させた女に巫術を使って堕胎させた。その女は自殺未遂を起こした。真偽のほどは不明だがグネリを脅かして性的な関係を持ったというのもあった。
また、大熊に襲われ死者を出し放棄された北の集落はディオンにたてついた木樵達がいたため、黒幕はディオンというのがもっぱらの話だった。
この大熊は未だに近隣に出没しており猟の障害になっていた。大熊の害を避けるには、ディオンに金を渡して同行してもらい巫術で守ってもらう以外に手段はなかった。
ディオンが同行すれば大熊は姿を見せないということから、大熊の背後にディオンがいる証拠だと言う者もいた。あるいは、ディオンが大熊なのだと言う者もいた。
「酒はあるか?」
ディオンはヨスタが接客している村人を押しのけて乱暴な口調で聞いた。
「ええ、少しですが西方大陸産のワインがあります」
ヨスタは丁寧に対応した。
西方大陸とは、リファニアでいうキレナイト(北アメリカ)のことを指す。
「よし寄越せ。お布施ということでいいな」
ディオンはカウンターがわりにしている机を拳で叩いた。
その時、大柄な見知らぬ男が店に入ってきた。完全な黒髪、黒目である。イス人なのだろうかと、自身もイス人の血も受け継いでいるヨスタは思った。ただ顔つきが少し違うような感じを受けた。比較的イス人は大柄な者が多いが、男はその範疇を超えて大きく大男といってもよい。
大男は一願巡礼の印であるオオタカの尾羽を左の上着の胸に縫い込んでいた。そして、その印を見てヨスタはその男の正体がわかった。
「ここで毛皮を買ってくれると聞きました。村の者ではありませんがかまいませんか」
村人とディオンにとっては、巡礼の印をつけながら綺麗に髭を剃った顔と戦士風の服装に剣、柔和な顔とへりくだった物言いというちぐはぐな様子はこの男の正体を謎にしていた。
第一、一願巡礼にしては若すぎる。ヨスタ以外の誰もがそう感じていた。
一願巡礼とは一願を心に秘めてその成就の日まで各地の神殿を流離う者である。故郷に帰るあてのない旅を送る巡礼の多くは何かを悟ったような年配者であるからだ。
もともと一願巡礼は数が少ないので、リファニアでも見たことのない人間もいる。ただ、アヒレス村には霊験あらたかという千年巫女の神殿があるために、希に一願巡礼が村を訪れることがあった。そのため、村人は一願巡礼にそれなりの敬意を持っていた。
「はい、今日は本村住民の方の優先日ですが、一願巡礼さんならお断りするのは悪いですね」
ヨスタはそう言うと、村長の方を見た。村長が軽く頭を振るの見てからヨスタは一願巡礼の印をつけた男に言った。
「よろしいです。順番をお待ち下さい」
ヨスタは騒動が起こる気配を感じながらゆっくり言った。
「おい、余所者。ここら辺りの猟は村の者だけができるんだ。勝手に猟をすれば密猟だぞ。一体、どこで捕ってきた」
ヨスタの予想のようにディオンが男にかみつきだした。
「この北の廃村です」
男はあくまでも丁寧な口調である。ヨスタは男の正体に思い当たった。
「そこは村の猟場だ。どうせキツネの死体でも拾ったんだろ。見せて見ろ」
男は持っていた皮の包みからクズリの死体を取り出した。ヨスタはディオンの目が大きく見開かれのを見逃さなかった。
「それは置いていけ。それから罰金として銀二枚だ」
明らかにディオンの口調は狼狽していた。
「猟をしたのではありません。わたしの馬を襲おうとしたのでやむなく殺しました。このような場合も密猟になるのですか」
男の口調はかわらない。
「口答えしたから罰金は銀三枚」
ディオンは明らかに虚勢を張っていた。
「ディオン、村の罰則については、わしと村会が裁量する。いくら何でもそれだけは譲れない」
見かねたのか村長が二人の中に割って入った。
ディオンは何も言わずに村長の腹に拳を入れると、エビぞりになった村長の手を持って壁際に投げた。そして、手を前に突き出した。巫術を発動させる気だと全員が気がついた。
「ディオン、マッカレール・ディオン、落ち着いてください」
ヨスタは叫んだ。
「やめろ」
男がきつい言葉でディオンを制した。