あやかしの一揆、逆巻く火の手19 伯爵館包囲戦十一 ジェリーヌ 下
包囲十七日目午後
祐司が包囲陣に陣取る時間が来た。祐司が、時々”雷”が撃ち込まれる伯爵館の方を見ていると、切羽詰まった顔つきのダンダネールが一人でやってきた。
「ユウジ殿、わたしといっしょにサモタン城塞に来てくれ。用件は着いてから話す」
ダンダネールは有無をも言わさずに祐司を馬車に乗せてサモタン城塞に連れて行った。
「何事でございましょう」
誰もいない控え室のような部屋に連れ込まれた祐司は不安げにダンダネールに聞いた。
「これから、バブニン・ジェリーヌの引き渡しを伯爵館の方と交渉する。ところが、ここに連れて帰って来たバブニン・ジェリーヌがとんでもないことを言い出したのだ」
「何でございますか。わたしに関係のあることでしょうか」
祐司がバブニン・ジェリーヌの存在を密告したことが、本人にばれて、祐司に恨み言でも言いたいのかと思った。
「そうだ」
一拍、おいてダンダネールが言った。
「バブニン・ジェリーヌがユウジ殿に抱かれたいと言っている」
「はぁ?」
祐司はあまりに予想外の言葉に耳を疑った。
「驚いて当たり前だ。今、説明する」
そう言ったダンダネールは椅子に座り、祐司にも手で椅子に座るように指示した。
「聞きます」
「実はサモタン城塞で、バブニン・ジェリーヌを監禁する時に、バブニン・ジェリーヌが様子を見に来ていたガンデナ・バルタサル判事に突然跪いて伯爵館に行くことは死刑と同じであることはわかっていると言い出した。
それで、死刑囚はささやかな望みであれば願いを聞いてもらえるだろかと聞いた。ガンデナ・バルタサル判事が肯定すると、どうせ死ぬ身であるから、リファニア第一の無双の勇者に抱かれたいと言い出したのだ」
「無双の勇者って、まさか?」
祐司はあえぎながら言った。
「そうだ、ユウジ殿のことだ」
ダンダネールは無慈悲な答えを祐司に返した。
「断ってください。なんか変です」
祐司は必死で言った。どう考えても祐司に抱かれたいなど、バブニン・ジェリーヌは病んでいるとしか言いようがなかった。
「そうだ。聞いたことのない望みだ。流石のガンデナ・バルタサル判事も困ってしまい、バルバストル伯爵に判断を仰いだ」
ダンダネールも困っているようだった。
「まさか、伯爵殿下は」
祐司は恐る恐る言った。
「望みを叶えさせよとおっしゃった」
祐司は目眩がしそうだった。バブニン・ジェリーヌもおかしいが、伯爵もどうかしていると思った。
「変です。おかしいです」
「わかっておる。ただし、伯爵殿下の判断が出た。それにユウジ殿は、そう不利というか犠牲を強いるような話ではなかろう。この話は絶対の秘密にする。バブニン・ジェリーヌもそれは了解して神々に誓いもたてた」
「断れないんですね」
リファニアでは神々に誓いをたてるということの意味は大きい。祐司は無駄だと思いながらも言わずにはおれなかった。
「こちらに」
ダンダネールは椅子から立ち上がると、部屋の横にあったドアを開いた。ドアの向こうには二人の兵士がいた。
その部屋の壁にはドアがあり、さらに奥に部屋があるようだった。
「このドアの向こうの部屋にバブニン・ジェリーヌが監禁されている」
ダンダネールはそのドアを指さしながら言った。
「この者達は伯爵殿下直属の兵士だ。聞き耳を立てたりは絶対にしない。事が終わったらドアをノックしろ。兵士が開けてくれる。
また、七刻(午後四時)になったら何があってもドアを開ける。その時には事が終わっているように」
ダンダネールはそう言うと兵士に目配せをした。一人の兵士が祐司の前に来て「武器を」と言った。祐司は刀と短剣を兵士に渡した。
もう一人の兵士がドアの鍵穴に鍵であてがってドアを開けた。
ドアは半分ほど開いた。祐司はダンダネールに背中を押されるように奥の部屋に入った。背後でドアが閉まった。
部屋は八畳ほどの大きさで壁はきれいに漆喰で白く塗られていた。窓は人がどうやっても出られないほど小さく明かり取りの役目しか果たしていなかった。
それでも、先日、同じサモタン城塞で情交を行ったエネネリのいた部屋より上等な感じがした。
部屋の端にはベッド、部屋の真ん中には机を二脚の椅子が置いてあり、椅子の一つにバブニン・ジェリーヌが座っていた。
「ジャギール・ユウジ殿ですね」
バブニン・ジェリーヌは裁判の時と同じ女官が着るような質素な感じのするドレスを着ていた。
「はい、ジャギール・祐司という一願巡礼です。身分は平民でございます。郷士のお嬢様などとは同衾できぬ身でございます」
祐司はなんとか断る理由を頭で探していた。そこで、ジェリーヌが嫌ってくれるような仕草言動をすることにした。
ジェリーヌは無双の勇者に抱かれたいと言っているのであるから、できるだけ卑屈にしようと祐司は思った。
「その平民がマール第一の勇者ブルニンダ士爵を一騎打ちで倒したのでございましょう。更に、近衛隊司令デルベルト、剣術師範のリストハルト様まで倒したとなるとユウジ殿は古今無双の勇者で武芸者と言っていいでしょう」
バブニン・ジェリーヌの物言いは、丁寧な言い方だが有力郷士の娘に相応しい堂々とした感じだった。
「ブルニンダ士爵は怒らしてから短剣を投げつけたのです。正々堂々とは言えません。デルベルト司令は従者といっしょに戦いました。リストハルト様とは狭い路地で戦ったので、リストハルト様は実力を出せなかったのです」
「変な人」
ジェリーヌは口に手をあてて笑った。
「変ですか。失礼ですがあなたも十分に変だと思います」
祐司も少しばかり言い返したくなった。
「自分の武勇を喚き散らす男ばかりです。あなたは過度に謙虚です」
ジェリーヌはそう言って祐司の目を見つめた。
「あなたのような普段は普通の方が真の勇者ですのね。わたしは大変遠回りをしたように思えます」
ジェリーヌはにこやかな表情で言ったが、その口調は何かを悟ったような感じだった。
「と、言いますと」
「わたしは、十七の時にまだ健在だった父の薦めで、父の知人の息子と見合いをしました。でも、わたしは古今の勇者話に憧れるおかしな娘だったので、伯爵館の調度管理をしているという、その人とは絶対にいっしょになりたくありませんでした。
でも、断れるはずもなかったのですが、父が急病で亡くなって自然に縁談話はなくなりました」
「まあ、調度管理もりっぱな仕事だと思います」
祐司はあたりさわりのない受け答えをして、ジェリーヌの話を聞こうと思った。
「それから、わたしは自分で真の勇者、男といっしょになりたいと思いました。そして、何人かの近衛隊の者と見合いをしましたが、どの男も自慢ばかりするような男でした。実際に抱かれてもみましたが、女を優しく扱う真の男はいませんでした。
その頃、わたしは貴族や郷士ではなく、本当の男は平民の中にいるのではないかと思い初めたのです。女中や使用人の伝手を頼って何人かの平民の男とつき合いました。
でも、平民の男もおべっかを使うか、妙に自分は頼りになる男だと威張るばかりで貴族や郷士の男と同じでした」
「恋多き女という噂の実相ですね」
「お恥ずかしい話です。噂が立って見合いも来なくなりました」
「一つ聞いていいですか」
祐司はビルボラ村の村長の息子マチュイから聞いた話の真偽を確かめたくなった。その話からすればジェリーヌはとんでもない性悪女である。しかし、今まで話している中のジェリーヌが性悪女であるとは思えなかったからだ。
「なんでしょう」
「ボウラという男のことをご存知ですか」
「ボウラには気の毒なことをしました」
ジェリーヌは暗い顔をした。ジェリーヌの発する光が緩やかに波打った。自然な感情の動きである。ジェリーヌが意図的にボウラを陥れたわけではなさそうだと祐司は感じた。
「ボウラさんとはどういう仲だったのですか。実はわたしはビルボラ村の村長の息子マチュイと知り合いなのです。
マチュイの話ではあなたが興味半分でボウラを屋敷に誘ったくせに、庇わなかったために水牢で死んだと聞きました」
「やはり、そう思われているのですね」
ジェリーヌは悲しげなため息をついた。
「真相はちがうのですね。よろしかったら教えていただけませんか」
「ボウラは父親がいなくてビルボラ村でも困窮しておりました。見た目はいい感じの男で、わたしも何度か話したことがありますが、色恋沙汰になったことはありません」
「でも、ボウラは貴女のことが好きだった」
「それは感じておりました。でも、ボウラが口に出したことはありません」
ジェリーヌはここで深い溜息をついた。
「あの日、わたしはビルボラ村の屋敷にある自分の部屋に戻った時に、ボウラが忍び込んでいるのを見つけたのです。
ボウラは驚きましたが、正直に盗みに入ったとわたしに話しました。ただ、金目の物を取る気はなく、わたしが使っている些細な物を何か一つだけ欲しかったと言いました。その物を見てせめて叶わぬ思いを満たしたいと言って跪いて許しを乞いました」
祐司は注意深くジェリーヌの発する光を見ていた。いささかの揺らぎも光の強弱もなかった。ジェリーヌは本当のことを言っていた。
「あなたはそれを信じたのですか」
「領主の屋敷に盗みに入るなど割にあわない行為です。見つかればその場で殺されても文句は言えません。
だから、わたしは、ボウラは余程にわたしへの思いが強いのかと反対に感心いたしました。そこで、わたしは、わたしのハンカチを与えたのです」
現代日本の感覚からすれば、ストーカーに自らの品物を与えるような行為である。ただ、近代以前のリファニアでは物事を捉える感覚が違う。
日本でも一昔前ならストーカーは一途に思い詰めている純情な人であると判断されていたかもしれない。
「しかし、お兄さんのスピリディオンに見つかってしまった」
「そうです。兄はわたしの言うことなど一切聞かずにボウラが大胆にも妹を誑かしにきたのだと決めつけました。
兄はボウラを散々、殴りつけてからボウラをどこかに連れていってしまうと、わたしを部屋に閉じ込めました」
ジェリーヌは、また溜息をつくと少し間をおいて言った。
「わたしが部屋から出されたのは、ボウラが死んでからです」
「水牢で?」
「水牢などありません。どこの物語ですか。たかが、田舎郷士の屋敷に水牢なんてあるわけがありません。ビルボラ村の屋敷の隣にある石造りの小屋に閉じ込められたんです。
そこは、雨が降ると雨漏りが激しくていつも床に水が溜まっていました。確かに湿気で不快でしょうが水牢などではありません」
「では、なんでボウラさんは死んだんですか」
「飢え死にです。正確には衰弱死です」
「衰弱死?食べ物を与えられなかったのですか」
祐司の問にジェリーヌは首を横に振りながら言った。
「いいえ、ボウラはわたしと関係したことはない。わたしがボウラを引き入れたのでもないと言い張りました。あまつさえ正直に盗みに入ったことも話したそうです。それを信じてもらう為に自ら食べることを拒んだのです。
わたしが、ボウラを屋敷に引き入れてみだらな行為をしていると認めるなら食べる物を与えると兄が言ったそうです。でも、ボウラはわたしの名誉の為にその証言を拒みました。そこで毎日、兄に殴られていたボウラは衰弱して死んだのです」
「何故、お兄さんはボウラにそんな証言をさせたかったのですか。思い込みですか」
「半分は」
「後の半分は?」
「わたしを追い出したかったのです。父の遺言で領地は兄が継ぐことになっていましたが、わたしが結婚したら金貨三百五十枚を持参金に出すようになっていました。
その遺言はまだ我が家に多少余裕のあった頃に書かれたものです。しかし、今の我が家には途方もない金額なのです。ですから、不行状な行いをした妹ということでわたしを義絶したかったのです」
「ボウラが死んでからも、わたしはビルボラ村の屋敷で軟禁されていました。兄はなんとしてでもわたしに結婚して欲しくなかったからです。
軟禁されていること以上に心苦しかったのは、ボウラはわたしを庇って真実のみを言って死んだことです。
わたしは、なんとか、わたしの言うことを聞いてくれる女中を介してボウラの家族に銀貨十枚程度ですが届けました。それから、わたしの宝石や装身具を、ことがおさまってから換金するようにと渡しました」
祐司はジェリーヌの話を聞いて、スピリディオンがビルボラ村のすぐ近くにある屋敷にダンダネールや祐司を招待しなかったのか納得した。スピリディオンは妹を軟禁していることが、露見することを恐れていたのだろうと祐司は思った。
「一揆が起こった時も軟禁されていたのですか」
「はい。二階の窓から一揆が密かに迫ってくるのが見えました。わたしは、密かに作っていたシーツのロープで逃げ出しました」
「何故、バナミナへ」
「郷士の娘で田舎では顔も知られています。知られていなくとも田舎では皆顔見知りですから、見知らぬ人間はすぐに捕まって尋問されます。
だから、人の多い、見知らぬ顔でも平気なバナミナへ潜り込んで嵐の過ぎるのを待とうと考えたのです。少し情勢が落ち着けば王都まで逃げ延びて親類を頼ろうと思いました」
「王都に行くにはまとまった金が要ります。そこで恥を忍んでベーリージア横町で働くことにしたのです。
考えればおかしいですよね。貴族や郷士の娘だと言っていても自分で稼ぐとなると、賤しい女だと蔑んでいる女と同じ手段でしか金を稼げないのですからね」
「そこまで、割り切っていたのに、何故、伯爵の暗殺を?」
「名を惜しんだのです。バナミナに来て王都派に勝ち目がないことはすぐにわかりました。
また様子を見て王都に向かう考えも甘かったことがすぐにわかりました。バナミナに隠れている王都派は密告で次々摘発されていましたから。
ベーリージア横町は仁義がありますから密告されることはないでしょうが、そこから一歩でも出るとどうなるかわかりません。このままベーリージア横町で隠れていても、一生隠れ続けなければなりません。
わたしも郷士の娘です。世間の片隅で生きるよりも郷士の娘として死にたいと思いました。自首しようかと思い悩んでいる時に、どうせなら、わたしたちに恩恵を与えてくれた伯爵妃の為に死んではどうかと思うようになったのです。でも、漠然とそう考えて短刀を手に入れただけです」
祐司はルティーユ姐さんが、祐司に伯爵の暗殺を考えている女がいると言ったのは、このジェリーヌの行動を察知して先走ったからではないかと思った。
「では、どうして実際に暗殺を?」
「わたしの背中を押してくれる人がいました」
「客引きのハヌボですか」
祐司はダンダネールから教えられたジェリーヌの手引きをしたという男の名を思わず口にした。
「そうです。でも、今から思えば怪しいですよね。多分、伯爵側の人間だったのではないかと思います」
ジェリーヌは乾いた笑いをしながら言った。祐司はジェリーヌがかなり頭のよい女性だと思った。
「そう思っているのなら裁判で言えばよかったのでは」
祐司はそう言いながら、言わずもながだと思った。
「ハヌボが伯爵側の人間でも、わたしに名誉ある行いを決意させてくれたことに代わりはありません。だから恨んでもいません」
ジェリーヌは、何もかも達観したように言った。
「では、何故、今更、伯爵館に行くと言ったのですか」
「怖じ気づいたのが半分。後は、どうせ死ぬのなら戦って死のうと思ったのです。伯爵の暗殺を決意した時から刑死の覚悟はしていました。
でも、本当は暗殺に成功すれば、その場で華々しく自害することを考えていました。自分の最後が刑死ではやはり惨めです」
ジュリーヌの発する光が心持ち強くなった。感情が高まったようだった。
「あなたのことが立派に思えます。でも、自ら死んではいけません。生きていれば名誉を回復して、新たな名誉を掲げることもできます」
祐司はジェリーヌが、すでに決心をしているだろうと思いながらも言わずにおれなかった。ジェリーヌの決心とは死であるからである。
「もう反逆者のレッテルは消せません。それより、反逆者だが、勇敢に戦って死んだという名が欲しいのです」
この言葉に祐司は説得することさえ、覚悟を決めてしまったジェリーヌに対する冒涜のように思えた。
「何故、わたしを」
祐司は目の前の問題を解決することにした。
「言っている以上のことも、以下のこともありません。勇者に抱かれたいのです。それが乙女であった頃からのわたしの唯一の願いです」
ジェリーヌは淡々した口調で言った。
「わかりました。正直に言います。最初、貴女はわたしを誘い出して復讐をするのではないかと恐れていました。それから、頭が飛んでしまっている女かとも思いました。
でも、話をして貴女が真のスノバス(リファニアの”言葉”でやんごとなき身分というような意味)であることがわかりました」
「本当に正直な方ですね。正直過ぎることは時に不快ですが、あなたにはそんな感情はありません」
ジェリーヌが微笑んだ。祐司はジェリーヌがきれいだと思った。
「ジェリーヌ様、どうか貴女の願いを叶えさせて下さい」
ジェリーヌの決心に答えて、祐司もささやかな決心をした。死を覚悟した女性の最後の頼みを全身全霊で叶うように努力することを。
「喜んで」
ジェリーヌは祐司に近づいてきた。
「もう時間です」
祐司はベッドの横に立って言った。
「わたしは真の勇者とは自分の弱みをわかって、受け入れている男だとわかりました。ユウジ様は本当にお優しいですね」
ジェリーヌも立ち上がって微笑んだ。
祐司は七刻になる直前にドアをノックした。ドアはすぐに開いた。
「ジェリーヌさん。貴女の武運を祈っています。でも、一つだけお願いがあります。戦って武運拙く戦死するのは致し方ありません。
でも、自分から命を絶つのは止めてください。負傷して捕まったら、それはまた神々が与えた運命です」
祐司はジェリーヌにそう声をかけるとドアをくぐった。ジェリーヌは何も言わなかった。
祐司が包囲陣に戻ってきたのは、もうすぐ祐司が包囲陣から離れるような時間だった。
「ユウジ様、サモタン城塞で何があったのですか」
パーヴォットが心配そうに祐司に近づいてきた。
「悪いが言えないこともある。ただ、どうしても聞きたければ、バナミナを離れてからにして欲しい」
祐司の言葉に何かを感じたのかパーヴォットは小さく頷いた。
それから、半刻(一時間)ばかりして、祐司達が包囲陣を引き上げようとしていた時に、サモタン要塞に通じる道から二台馬車がやって来た。
先頭の馬車には、ダンダネールと祐司が知らない郷士のような男、後ろの馬車には二人の兵士に挟まれて手首を縄でくくられたジェリーヌが乗っていた。
ジェリーヌの乗った馬車はゆっくりと祐司の前を通り過ぎた。
ジェリーヌは祐司の前を通り過ぎるとき一瞬だけ祐司の方を見た。祐司は軽く微笑んだ。そして、祐司は誇り高き郷士の娘バブニン・ジェリーヌに心で別れを告げた。
通りすぎて行くジュリーヌの発する光は輝きを一瞬増すと少し揺れていた。祐司はジュリーヌは本当は怖いのではないだろうかと感じた。
ジュリーヌを乗せた馬車はそのまま、伯爵舘の正門に近づいた。すると正門横の通用口が開いて、数名の兵士が出て来た。
兵士を率いているのは、りっぱな、フルアーマーの甲冑を装備した男だった。名のある郷士のようで、馬車から降りたダンダネールが丁寧に挨拶をしていた。
ジェリーヌの乗った馬車の兵士がジェリーヌを馬車からおろし、手首の縛めを解いて伯爵舘の兵士に引き渡した。すると、伯爵舘の二人の兵士がジェリーヌの乗っていた馬車に乗り込んだ。
祐司が何事かと見ていると、ジェリーヌを受け取った伯爵舘の兵士はすぐに通用門から伯爵舘に引っ込んで通用門を閉めた。
ダンダネール達の馬車と、伯爵舘から出て来た二人の兵士を乗せた馬車も包囲陣の方へ帰ってきた。
「あの二人は間者ですね」
祐司は隣にいた副官のバルガに言った。
「多分な。もう伯爵殿下は間者の必要性も感じなくなったのだろう。間者は必ず救い出すという姿勢はこれからの間者の働きに影響するだろうしな。見てみろ一人は近衛隊の装束をしている」
副官のバルガが近づいてくるダンダネールの馬車と伯爵舘から出て来た兵士の馬車を見ながら言った。
ジェリーヌと間者を交換するという水面下の交渉があったのだろう。伯爵舘の王都派としては伯爵暗殺を謀ったジェリーヌを引き取らないわけにはいかない。
その代償として間者と思われる兵士を引き渡したのは、間者を追い払ったということでは、伯爵舘に籠もる王都派の方が有利なのだろうかと祐司は考えてみた。
伯爵舘から引き渡された間者らしい兵士は武装したままだった。多分、直前までばれていなかったのだろう。
多分、王都派が立て籠もる伯爵館に間者はもういないだろう。ただし、その確証はない。伯爵舘では疑心暗鬼に陥るだろう。ひょっとしたら、それもダンダネールなどの地元派の策略かと祐司は思った。




