最果ての村アヒレス1 迷宮の森
再び春分の日が近づいた。
祐司は馬に積む荷を整え必需品をリュックに詰めた。祐司は二三日かけて持って行く物を取捨選択していた。
取りあえず祐司が持ち込んできたものは原則として持っていくことにした。ペットボトルといった誤魔化しようのない文明の利器以外で置いてくことにしたのは水晶である。祐司は自分の体内以外の九つの水晶のうち五つをスヴェアに託した。
「これだけあればリファニア全体を持ち上げることができる巫術をためることができようぞ」
スヴェアは真顔でぶっそうなことを言って受け取った。
スヴェアから受け取った物は護身用として刀と生活用に小刀、機会があったら槍の穂先にするために剣鉈。
当面の食料として巫術で三倍の密度に高めた黒パンに燻製肉。油抜きをしていない山羊毛の毛布、鍋、火打ち石をはじめとする露営に必要な道具、多少気持ち悪かったが、砂のテラスで死んだ男の一人が装備していた鎖帷子、コート、上着、ズボンなどをスヴェアが仕立て直してくれた衣料である。
スヴェアは上着の左胸にオオタカの尾羽を縫い付けた。そして、スヴェアは上着を祐司に着せながらその意味を教えたくれた。
「オオタカの尾羽は一願巡礼の印だ。これがあればあれこれと詮索されずにすむ」
「一願巡礼?」
「一願巡礼とは心に秘めて決して他人にしゃべらぬ願いが成就する日まで、どのような困難があろうとも各地の神殿を回って祈願する巡礼だ。
一願巡礼の願いは、自分の利益のための願いではなく、この世のためになるものと決められている。だから、一願巡礼にはどうして巡礼をしているなどとは誰も聞かぬ」
スヴェアは小さな一枚の羊皮紙と、革紐のついた銀製の小さなメダルを祐司に渡した。
「これは、一願巡礼であるというチャヤヌー神殿の証明書と一願巡礼の持つメダルだ。メダルは肌身離さず首にかけておけ」
「チャヤヌー神殿?」
「チャヤヌー神殿はリファニア東沿岸にあるノーマ神の古刹といっていい神殿だ。ヘロタイニア(ヨーロッパ)からの人間が住んでいる南東沿岸の神殿はもとより、リファニア人が住んでいる北東部沿岸の神殿も大分荒らされたが、チャヤヌー神殿は所領と兵を有しておるゆえ無傷で残った。
リファニアでの一願巡礼は古来よりチャヤヌー神殿で証明書と名を刻印した印のメダルを貰うのだ」
「僕はそんな所に行っておりませんが」
「我がユウジという名で貰ってきた」
「いつ?」
「去年の秋だ」
祐司は一昨年と比べてスヴェアが秋に留守にした期間が多少長かった理由がやっとわかった。
「僕は男ですよ。スヴェアさんが僕に成り変わってばれませんでしたか?」
「我を誰と思っておる」
スヴェアはメダルを祐司の首にかけて祐司の上着を整えながら言った。確かにスヴェアが巫術を使えば祐司に化けるのも容易いかもしれないと祐司は思った。
「さて、ユウジの名だが、ジャギール・ユウジ・ハル・マコト・トオミ・ディ・ワということにした」
ジャギールはリファニア世界特有の風習で幼少の頃に神々に目をつけられて早世しないためにワザとつけた卑称である。ジャーギルとはウズラ、リファニアではこそこそ隠れるという意味がある。
最後のワは出身地をあらわす。以前、スヴェアに日本という地は太古には「倭」と呼ばれていたと話したことがある。それに、因んだのだろう。
スヴェアは祐司に、偽の身の上話を授けた。
祐司の両親は一願成就を求めてワ「日本」から数年をかけヘロタイニアに至った。そこから、イース(アイスランド)に渡ったが旅で生まれた幼い祐司を残して流行病で死んでしまった。
祐司を育ててくれたのは、両親が最後に逗留していた森に住む渡り巫女だった。そして祐司は両親の一願成就を達成するためにイースから去年リファニアに渡って来た。
「この渡り巫女の印象は我でよい」
リファニアというか、この世界の人間はスヴェアしか祐司は知らない。祐司にとって親身にしてくれた渡り巫女の印象をスヴェアにしておくのは賢明だと祐司は思った。
「スヴェアさん、一つ疑問があります。僕はイースで生まれたことになっています。なのに名前は『ディ・ワ』で『倭』の出身になってますけど」
「ある夫婦が縁のない旅行先で子を産んだ。この場合は、その地が子の出身地とは言えまい。リファニアでも、そのような場合は、両親もしくは片親の出身地を名乗る」
スヴェアはそう説明すると偽の身の上話を続けた。
首尾良くチャヤヌー神殿で一願巡礼の証明書を貰ったが、冬になる季節の旅立ちを止める神官の言葉を聞かずにリファニアの内陸に踏み込んだ祐司は”迷いの森”に入り込んでしまった。
「神官が止めるのも聞かずってスヴェアさん自身の体験ですか」
祐司はそこまでの話を聞いたときに思わず言った。
「そうだ。まったく閉口したぞ」
「さて、続きだが結局ユウジは”迷いの森”に入り込んでしまった。そこで、われに出会って一冬世話になったのだ。
これなら、チャヤヌー神殿で巡礼証明を貰った時期と、祐司がこの春に巡礼を初めた時期がずれておることが誤魔化せる。ただ、人に言う必要はない。千年巫女はユウジを助けたことを口止めしたからな。万が一のつじつま合わせの話だ」
祐司は本当の話を繋ぐことで無理のない偽の身の上話になっていると感心した。そして、気になっていたことをスヴェアに聞いた。
「ところで僕の一願って」
「決まっておろう。それ以外の望みがあるのか」
スヴェアは目を丸くして悪戯っぽく言った。
「ありません」
祐司の願いは現代の日本に帰ることだ。
「願いが成就しなかったらどうなるのですか」
「旅で果てる」
スヴェアの言葉に祐司が返答を失った。スヴェアはそれを察して言う。
「心配するな。ユウジはもうリファニアの世界を巡るのは十分であると自分で判断したらここに帰ってくればいい。それが、ユウジの願いであり、我の願いだ」
スヴェアはユウジの背中に顔を押し当てた。
「”小さき花園”ともしばしの別れだな」
スヴェアは祐司の背中で泣いていたのかもしれない。祐司は振り返る勇気はなかった。
出発は夜明けだった。
「本当に”迷いの森”の入り口までの案内はしなくてよいのか」
スヴェアの言葉に祐司は頭を上下にゆっくり振った。
「さよなら。これ僕の国の別れの挨拶です。でも、僕は必ずここに戻ってきます」
ユウジはスヴェアの手を握りながら言った。
「サヨナラ、いい言葉だ。しかし、ユウジがここに戻ってくるならその言葉は言わないでおこう。ユウジが元の世界に帰れる日まではな」
「では、行ってきます」
祐司の目に涙が溢れた。
「その言葉の方がいい」
スヴェアは笑顔で答える。
祐司は荷を積んだ馬を曳きながら何度も振り返ってスヴェアに手を振った。
森に入り道が曲がる所で祐司はもう一度振り返った。
「スヴェアさん」
スヴェアはまだ少女の面影が残っているような容姿になっていた。祐司の為に精一杯の巫術を使ったのだろう。
「スヴェアさん、僕は必ずスヴェアさんの願いを果たしてここに戻ります」
祐司は手をメガホンの形にして大声で言った。
森に入って三十分ほどすると霧が出て来た。ただ祐司の周辺は霧が侵入してこない。”小さき花園”から巫術のエネルギーが満ちたる領域に入ったのだ。
周囲の霧もそう濃いものではなく、数キロさきがぼんやりと見通せる。”迷いの森”に染みこんだ巫術の力による天候への影響によって常に自然な霧が沸いている。この霧は祐司にも避けることができないが、巫術によって直接発生した霧は祐司には見えない。
リファニアの地に生まれた者ならば、十メートルもいけば先が見通せないほどの濃霧に包まれているはずである。
このことは、何度か”迷いの森”の薬草探しにスヴェアに同行した時に気がついた。
霧が濃いから、自分から離れるなとスヴェアが注意したが、どうしてもその意味を祐司がとりかねているために、巫術の力によって直接発生している霧を祐司は感知できていないことがわかったのだ。
巫術による直接発生する霧は祐司にとって存在しないのだ。
祐司は実際に一人で旅立つとスヴェアの案内の申し出を断ったこととを悔やんだ。スヴェアは祐司に道の大小、先行きの地形にかまわずひたすら西に向かえと教えていた。
祐司の腕時計は方位機能付きであったが、太陽の位置から見て真の方位と磁石の方位はかなり異なっていた。これはグリーンランド辺りに磁北があるためのようだ。祐司は”小さき花園”にいた間にその大まかな偏差を調べておいたので腕時計の方位機能は役に立っていた。
スヴェアはどうしても迷った時は馬にまかせろと言った。細かな道まで馬は熟知しているとも言った。
祐司は午前中はときおり晴れる霧の狭間に自分の影の方向へ進んだ。日本の山なら地面にまで太陽の光が届かぬほど樹木が密生して藪が進路を塞ぐが、針葉樹の森は比較的開豁地も多く霧さえ晴れれば太陽の光が地面にまで届いていた。
秋にスヴェアが馬車で通う道ではあるが、数百メートルごとに分かれ道があった。祐司はスヴェアの言いつけを守って西へ続く道を選択していった。
時々、獣の声がするが近寄ってくる気配はなかった。巫術で強化された動物がいるが、祐司を恐れて近寄ってこないだろういうスヴェアの言葉は正しいようだ。多分、”岩の花園”の守護神とはレベルが違うのだろう。
昼近くなって影で方向を判断するのが難しくなってきたので祐司は休息することにした。少し道から降った所にある小川で、太陽が傾くまで自分は昼食を摂り、馬を休息させた。
馬はもともとスヴェアが使役していた牝馬である。一番非力そうで歳を取っている馬を連れてきたのは道を知っているということと、去年、山賊まがいの男達が持ち込んできた馬には焼き印があり馬泥棒に間違えられる恐れがあったからだ。
高緯度地方は太陽があまり高く昇らない。午後になって影が長くなると磁石での方位と、太陽の方向が時間を勘案してみて一致していることを確かめてから西に進んだ。
祐司は低い尾根道を進んでいくと右手に廃墟が現れた。巫術師の主導権争いで滅んだというボウラの街である。
背丈ほどの低い城壁は半分以上が崩れ去り、石積の家も屋根どころか壁が残っているものもなく土台だけが家のあったことを示している。
祐司が驚いたのはその小ささだった。スヴェアはボウラはこの地域で栄えた唯一の都市だといったが、ほぼ方形の都市は一辺が五百メートルほどだった。人口もせいぜい数千人の規模だろう。あらためてこの世界の生産性の低さを見せつけられるようだった。
都市は食糧を周辺の農村に依存する。”岩の花園”を中心にした広大な土地に君臨しながらこの程度の規模の都市しか維持できなかったのだ。
そして、この小さな世界の主導権を握って激しい戦いが行われ結局誰も住めなくなったのだ。
祐司は廃墟に寄ることもなく先を急いだ。
午後遅くに家ほどもある大岩がある場所に到着した。スヴェアは祐司に最短距離を進んでいるとすれば大牛と呼ばれる岩を通過すると言っていた。祐司が見たところ寝そべっている牛に見えなくもなかった。石の北側にはまだ残雪がかなりあった。
祐司は少し早いが大牛岩で野宿をすることにした。
大牛岩の辺りは少し小高くなっているので祐司は今日歩いてきた方を見た。所々に霧とも雲ともつかないものが森や丘陵を覆っていた。1キロほど先はまったく見通せなかった。
水晶のおかげで”岩の花園”と比べ弱い巫術のエネルギーは広範囲に無効にされていても、視界が利かない世界である。もし巫術のエネルギーが完全に作用していたらどのような状態になるのだろうかと祐司は想像してみた。
祐司は慣れた手つきで火打ち石を使って火を起こすと簡単な食事を始めた。食事の途中に祐司は急に孤独感に苛まれた。これから出て行く世界に知人は誰一人としていない。陰日向に祐司を保護していたスヴェアの手も届かない。その世界で自分は何事をなすことができるのかという不安が湧き上がってくる。
「男はやせ我慢だ」
誰も聞いていないことをいいことに大牛岩の上で祐司は大声で叫んだ。
ハヤブサのギーミュが念入りに偵察してくれているのでオオカミはいないことはわかっていた。少なくともある程度の距離を移動して生活する動物は幾世代も”迷いの森”に馴染んだ鹿の群以外は巫術のかかった”迷いの森”には入ってこないということだった。
それでも祐司は岩を背後の防御にして手前に焚き火を置き、弓と刀を手元におくと毛布にくるまって寝た。
翌日は雨模様になった。
時雨のような雨だった。気温もかなり低下したので祐司はとっておきのビニールの雨着を着用して西に進んだ。太陽が見えないので前日、辺りをつけておいた方向に進んでは大牛岩の方向を振り返って方向を確かめた。
祐司は出発前に水晶を使って大牛岩あたりの巫術のエネルギーを吸い取らせていた。そのおかげでかなり長時間大牛岩のあたりは霧が立ちこめず、標高も高いために大牛岩が見えていた。
それでもかなり雪が残り、ぬかるんだ道を苦労して二時間ほど歩くと大牛岩は見えなくなった。ちょっとした広場のような場所に出たので祐司は大休止を取ることにした。雨はまだ降り続いていた。
広場の真ん中には1メートルほどのケルンが積んであった。そのケルンの一番上には赤ん坊の頭ほどの赤っぽい石が置いてあった。
祐司はここが、スヴェアの言っていた大牛岩から西に進んだ時に出会う最初の”迷いの標識”だと理解した。一番上の石は巫術で固定してあり解除の術を使わない限り動かない。
この広場からは複数の道が延びており必ず、同じ形の赤い石の置かれたケルンがある別の広場に通じている。広場と赤い石のケルンの組合せは実は数十ほど森の中にあるということだった。
周囲は同じような針葉樹で囲まれて区別はつかない。また道の中にはU字型の閉じた形の道があり同じ広場に戻ってくるのもあるそうだ。
このため森を進む者は自分がどこにいるかを次第に把握できなくなる。簡単な仕掛けだが”迷いの森”は巫術だけに守られているのではない。反対に祐司も迷う可能性があるということだ。祐司はスヴェアの案内を固辞した以上、この点は徹底的にスヴェアから叩き込まれていた。
森を出るにはこの迷いの標識を四つ間違えずに通過しなければならない。その道を判断するには小さな目印がある。雨が霧雨のようになってから祐司はその目印を探した。
道の近くの木の下にこぶし大の石が落ちていた。祐司はその石を持ち上げる。何個目かの石の下には大きな石が埋まっていた。祐司は丁寧に持ち上げた石をもどしてその道を進んだ。
間違っていれば馬が嫌がるとスヴェアは言ったがその兆候はなかった。小一時間ほど進むとまた、広場に出た。やはり赤い石がのったケルンがある。雨は完全に上がっていた。
祐司はここで昼食を摂った。祐司は薄い霧の中に森を守る守護獣の姿を見た。大きなバッファローのようなものがちらりと見えた。牛の原種である体高が2メートルほどもあるオーロックかも知れないと祐司は思った。
巫術を無効にしていなければ濃い霧の中をあれが襲ってくるのだ。そう思えば”迷いの森”を突破して、半数を失いながらも”小さき花園”にたどり着いた山賊まがいの男達はたいした勇者だと祐司は思った。
太陽が差してきて方向が分かるようになり、進むべき道は大体わかったが念のために木の近くの石を持ち上げて見る。下には何もなかった。隣の石の下には石があった。二番目の広場では石の下に石のない道が正しい道だと祐司はスヴェアから教わっていた。
二時間ほど進むとやはり同じような広場に出た。真ん中に赤い石の置いてあるケルンがある。知っていても不安になる光景だった。
西に進んで着いた広場では下に石のない道である北へ進めとスヴェアは教えていた。太陽はかなり傾いて来たが祐司は北と思える木の下の石を持ち上げる。石の裏は十字の刻み目があった。
実は石が動かされたような時も想定して別の目印もスヴェアは教えてくれていたが、その目印の見つけ方は多少複雑なので祐司はほっとした。
森の中の道から足音が聞こえてきた。祐司は刀の柄に手を添えた。
森から濃い霧が流れてきた。しかし、その霧は広場に入ると消滅していく。霧を巫術で発生させる何かが近づいているのだ。
やがて、森から広場に入ってきたのは、服がすり切れて包帯を幾つもまとったような姿の裸足の男だった。少なくとも祐司には男に見えた。髪はおおかた抜け落ちて、ひからびた皮膚と生気のない乾燥した目から普通の人間では無いことは明らかだった。
祐司がいて、その男が発している巫術のエネルギーを無効にしていなければ、男の周辺は目の前も見えないほども霧に覆われていたはずである。
「森歩きか」
祐司は小声をもらした。祐司が”森歩き”と呼んだ歩く死体のような男は立ち止まって明らかに死んだ人間の目を祐司の方へ向けた。
スヴェアから”森歩き”のことを聞いていなければ祐司はゾンビが出たと思いパニックになっただろう。
”森歩き”は死体である。
スヴェアによれば今は失われた巫術の中に蘇生術がある。死んだ直後の人間なら生き返らせることが出来たという。ただ、生き返っても話はできずただ生きていただけだという。
体温も死者のごとく低下する。冬になれば動くことをやめて爬虫類のように冬眠するという。
長らく絶えていた術のため真偽が不明になっていたが、ボウラの街で巫術師がその術を復活させた。
いわく、スヴェアによれば瀕死の人間を巫術の力で無理矢理に動かす術で、生き返らす術ではないという。ただ魂の失われた身体を動かす術に過ぎないという。
そして、その術は失われたのではなく禁断の術として意識して忘れられたのではないかという。
”森歩き”になれるというかなってしまうのは巫術師か、それに近い能力を持った者に限られる。動くためには、それなりの量の巫術の力を体内に蓄えていなければならないからだ。
”森歩き”は時に雨水を飲み、動物の死体や、特定の木になる実を食べるという。その量は生きている人間の十分の一位でよいらしい。
祐司は体温維持に多大のエネルギーを回すような恒温動物ではなく変温動物になっていると推定している。
通常、人間が摂取するエネルギーの大部分は体温保持などの基礎的な生体維持のために使用される。運動に要するエネルギーは摂取するエネルギーの数分の一である。その中で大きなエネルギーを消費しているのが大脳である。
最も、”森歩き”に触れてそれを確かめる気はなかった。
”森歩き”はおそらく脳死に近い状態なのであろう。体温調整の機能も失われているが随意運動を司る機能は残っていて巫術のエネルギーで機械的に動いている。動くための最低限のエネルギーを保持するために食べたり飲んだりするがそれは反射的な行動に過ぎない。
祐司は確かめたワケではないが、スヴェアから詳しく”森歩き”のことを聞いたときに”森歩き”は本能的に巫術のエネルギーのある物を選択して、そのエネルギーを摂取しているのではないかと考えた。
目の前の”森歩き”は再び動き出した。
そして、できるだけ祐司から遠ざかるようにして再び森の中へ続く道を歩み出した。祐司が巫術のエネルギーを吸い取ってしまうことがわかるかのような行動だった。
”森歩き”の存在目的は自らが歩くことによる道の維持である。いくら植物が日本より乏しいリファニアでも人が歩かなくなった道は消えていく。特にこの”迷いの森”という迷宮の惑わすための道はたちまち消えてしまうだろう。
その道を維持して”迷いの森”を”迷いの森”に保っているのが”森歩き”である。
スヴェアによれば数えたことはないが”森歩き”は全部で百を下らない数がいるだろうという。
その”森歩き”はボウラの街を守る”迷いの森”を維持するために造られた。そして、すでに百年以上前に滅んだボウラの街の廃墟のためにむなしく物理的に歩けなくなるまで”森歩き”は”迷いの森”を歩き回るのだろう。
”森歩き”はスヴェアによると濃い霧を発生させながら移動する無害な存在である。ゾンビのように人を襲ったりすることもない。多分、人を襲うという行動を取る能力もすでにないのだろう。
”森歩き”に遭遇した人間は濃い霧が移動していくように感じるだろう。”森歩き”は、ただただ道に沿って歩くだけである。
時に森には祐司が遭遇したような普通のオオカミもいる。それらに対して”森歩き”は無防備な餌であるが、”森歩き”をオオカミは襲うことはないという。巫術の力を蓄えた半ば腐りかけた肉はオオカミにとって毒だからである。
これは以前スヴェアから聞いた巫術の力を宿した薬草が有害であるという話から祐司は理解できた。
祐司は”森歩き”の足音が聞こえなくなってもしばらく”森歩き”が進んでいった道を見ていた。
「森歩き」 ”森歩き”によって”迷いの森”の道は消えずに残っている。
祐司は少し迷ったが次の広場に進むことにした。今度の広場は小一時間で着いた。祐司は一日同じ光景ばかり見ていたので進んでいる気にはならなかったが二日目の夜はここで過ごすことにした。
他の広場からの道は七本であるがこの広場の道は六本だった。近くの木に目印はない。それこそが最後の広場の証拠だった。
祐司は太陽の沈む方向から正しい西の方向を知り明日行くべき道を確かめておいた。万が一にも間違っていれば、新たな広場に出るからもとに戻ってやり直せばよい。そう考えると祐司は少し気が楽になった。
祐司は森の中に入り大牛岩ほどではないがちょっとした岩を見つけた。スヴェアが最後の広場の近くの森には野宿に適した岩があると教えてくれていたからだ。祐司はその岩の陰で寝ることにした。微かだが焚き火の跡が残っていた。
多分、祐司はスヴェアも毎年ここで野宿するのだろうと思った。そう思うと別れたときのスヴェアの顔が思い浮かび気持ちが昂ぶった。祐司はその気持ちを静めると夕食を取り、岩を後方の防御に、前に焚き火をおいて寝た。
翌朝は、鳥の声で祐司は目覚めた。思い起こせば”小さき花園”でこそ小鳥はいたが、この”迷いの森”ではほとんど鳥の声も聞かなかった。
祐司は西へ続く道を進み出した。暫く進むと道が小川で分断されていた。小川が目印というスヴェアの言葉通りだった。
祐司はその小川で我慢させていた馬に満足するまで水を飲ませ、自分も冷たい水で顔や手足を洗った。最後に小川のほとりの残雪からしたたり落ちる水を水筒全てに入れた。
小川を超えてしばらくすると道が急に細くなってきた。スヴェアさんもここは苦労して馬車で通過しているんだろうなと祐司は思った。道とはいえないような場所を進んでいくと、かなり大きな道に出た。
この道は”迷いの森”に入り”小さき花園”を目指す者にとっては最初の難関、祐司にとっては最後の難関である。
難関といっても知っていればなんのこともない。道は単に”迷いの森”の外周をなすほぼ円形の道なのだ。知らねば濃い霧の中を、巫術で強化された獣に殺されるまでこの道を回り続けるだけである。
当然、祐司は馬とともに道を単に横切り向かいの細い道のようなものに入っていった。やがて、道なき道は道らしき道に戻ってきた。気がつけば霧もほとんど晴れている。
祐司は日本の山道のような下生えが生えている斜面に出た。2キロほど先に南北の道が見えている。
祐司は”迷いの森”を走破した。




