虚飾と格式、領主直轄都市バナミマ13 奥方の予見
晩餐が終わり、部屋に戻った祐司がようやく寝かけた頃に、屋敷で大きな叫び声が聞こえてきた。
もちろん、二十近く部屋のあるような大きな屋敷であるからくぐもったような声だったが、男女が怒鳴り散らしているのがわかった。
確かに男の声はデルベルトの声のようだった。夫婦喧嘩かと思って寝ようとしたが、皿が割れるような音がしだしたので祐司は起きていこうかと思ってベッドから身を起こした。同時に、部屋にパーヴォットが入ってきた。
「ユウジ様、起きておられましたか」
パーヴォットは水差しとカップをのせた盆を持っていた。
「ああ、あの叫び声では起きる。ちょっと、行ってみよう」
「やめておいた方がいいと思います」
ベッドから起きかけた祐司にパーヴォットは小声で言った。
「何故だ」
「実は四半刻(三十分)ほど前から揉めております」
「どうして知っている」
「はい、ユウジ様のベッドにお水の用意がございませんでした。それで、水差しとカップを借りようと階下に下りました。首尾よく台所にいた使用人にこの水差しとカップを用意してもらえました。
ところが、二階に戻ろうとしたときに夕食をいただいた部屋で、デルベルト様と奥方が言い争いを始めたのです」
パーヴォットはベッドの横にある机に水差しとカップを置きながら言った。
「で、覗き見をしたんだな」
祐司はちょっと意地の悪い言い方で返した。
「申し訳ありません」
「いいさ。客を起こすほどの騒ぎだ。しかたあるまい。晩餐の件かな」
「確かに晩餐の件でも言い争っておりました。奥方がコハクの首飾りを質屋からいつ取り戻してくれるのだという内容の事を、ご身分にはふさわしくない言い方で言っておられました」
そして、パーヴォットは祐司にとって驚くべき話を始めた。
「その場には、若い女中もおりまして泣いておりました」
「なんだ。浮気か?」
「最初はわたしもそんなことかと思いました。ところが、デルベルト様は、その女中にユウジ様の夜伽を命じたようなのでございます」
「夜伽は領主を知行地の村がもてなすマールの習慣だろう。ここでは関係ないだろう」
祐司はそう言いながら、デルベルトが命じた夜伽とは晩餐の時に給仕をしていた若い女中だろうかと思った。そのために次にパーヴォットが言った言葉に思わず慌ててしまい苦笑するしかなかった。
「わたしもそう思いました。でも、ダンダネールがした接待以下のことでは家名の名折れだとかでデルベルト様は大層ご立腹でした」
もちろん、パーヴォットが言った”わたしもそう思います”の内容は、夜伽の相手ではなく夜伽は知行地の習慣だという意味である。
「女中は嫌がっていたのだな」
祐司はできるだけ落ち着いた声で聞いた。そう言いながら祐司は嫌がる女中が夜伽に来られても困ると思った。
「そうです。どうも夜伽を命じられた女中は奥方に泣きついたようです」
「で、奥方はなんと」
「女中はどうも奥方の小間使いのようで、奥方は大層立腹しておりました。その小間使いは奥方が王都から呼び寄せたのだそうです。
デルベルト様はダンダネール様があてがった田舎娘ではなく王都の女で接待するのが意味があるのだと言っていました」
「わざわざ王都から呼び寄せた小間使いなら奥方も引かないだろう」
祐司は解説するような口調で言った。
「でも、デルベルト様も引く気配がなくて、とうとう小間使いがそんなに大事なら、うば桜でも王都の女だからお前が夜伽に行けと言われました」
「やっちまったな」
祐司はそう言いながら上を見た。
「はい、そうで御座います」
パーヴォットが心底同意したように言った。
「で、どうなった」
祐司は興味本位からパーヴォットに続きを聞いた。
「奥方は離縁だと叫んで手がつけなれないほど怒り出しました。そこら中の手に取る物をデルベルト様に投げつけました。
物を投げながら、親が門番風情の者にわたしは嫁ぐような身分ではないとか、自分は優美な王都の女で、王都にいれば田舎くさい男が妻にできるような女ではないとか言っていました。それで、デルベルト様はますますご立腹されました」
「奥方も言ってはいけないことを言ってしまったのだな」
祐司の言葉にパーヴォットは大きく頭を振った。
「立腹したデルベルト様も奥方を何度が殴りました。さすがに、他の使用人達もやってきてたのでもどってきました」
いつの間にか階下の騒ぎの声は聞こえなくなっていた。
「静かになったようだな」
「寝ますか」
「寝よう。夜伽はこないからパーヴォットも安心して寝ろ」
そう言って祐司は再びベッドの布団に潜り込もうとした。
「ここで寝ていいですか」
パーヴォットは何か使命に取り付かれたような口調で言った。
「何故だ」
「ダンダネール様の執事に聞きました。マールの女は気性が激しいそうです。ひょっとしたら奥方がユウジ様を逆恨みして怒鳴り込んでくるかもしれません。あの疫病神を叩き出してやると言っていましたから」
「奥方はそんなことも言っていたのか。でも、奥方は優美な王都の人間ではないのか」
祐司はため息をつきながら言った。
「執事さんの話では風土に関係するそうです。マールに三年いれば、どのような温和な女でも亭主を口で言い負かすほどの気性になるそうです」
「じゃあ、パーヴォットがそうならないうちにマール州を出立した方がよさそうだな。で、奥方は他には何を言っていた」
祐司の軽口にパーヴォットはのってこなかった。
「はい、ユウジ様を、あなたが叩き出す気がないのなら、わたしが叩き出すと言っておりました。ユウジ様を叩き出さないなら離縁だと。
その後でデルベルト様が、奥方に夜伽に行けと言ったので収拾がつなくなったのでございます」
「泥沼だな」
また祐司は上を向いて言った。
「ユウジ様、先程も言いましたように頭に血が上った奥方が怒鳴り込んでくるかもしれません。わたしが用心のためにユウジ様の部屋で番をします」
「パーヴォット、心配してくれるのは嬉しいがどこで寝るつもりだ。ベッドは一つしかないぞ」
「寝ずの番ですからご心配なく。もし、どうしても眠くなったら床で寝ます。ドアの前で寝るようにします。奥方が入って来てもわたしに躓くでしょう」
「そんなことさせられるか」
祐司は十四歳の女の子を床に寝かせて、自分がベッドで寝ても気になって寝付けないに違いなかった。
「ユウジ様、従者が主人の部屋の床で寝るのは当たり前のことでございます。それに、夜伽が来ないのであれば…」
「オレは嫌だ」
祐司はそう言うと、部屋の中にあった机をドアの所に運んでドアが開かないようにした。
「これで、誰かが入って来ても寝込みは襲われずにすむ。安心して自分の部屋で寝ろ。それから、パーヴォットもドアの所に何か置いておけ」
そう言いながら祐司は、パーヴォットのことが心底心配になってきた。いつも、気を付けていないと亡失しているが、祐司は二十歳台半ばの青年であり、パーヴォットは十四歳の女の子である。
「いや、オレがパーヴォットの部屋に行ってドアの前に何かを運ぼう。万が一、パーヴォットに何かあってはキンガ師匠に顔向けできないからな」
「父にですか」
パーヴォットの口調はちょっと不満そうだった。
「それもあるが、オレはパーヴォットのことが心配なんだ」
祐司はそう言いながら、パーヴォットの地雷を踏まずにすんだだろうかと気になった。
そして、ドアの前においた机をもとの場所にもどして、パーヴォットの部屋に行くと、机をドアの近くまで運んだ。
それを、祐司が出て行ってからドアに押しつけるように言って祐司は自室に戻り、再び机をドアに押しつけた。
幸い、奥方の来襲はなかった。
翌日の朝食時には奥方と子供達の姿が見えず、デルベルトと母親だけだった。使用人達の様子も何となく上の空のような感じだった。
早朝に来ると言っていたダンダネールの執事の姿が見えないので、配膳をしていた女中に聞くと、女中は祐司の問に答えずにデルベルトの顔を見た。
「先程来たがダンダネール殿に言付けがあったので、一旦、ダンダネール殿の屋敷に戻ってもらった」
デルベルトはそっけない言い方で祐司に言った。
朝食が終わったのを見計らったようにダンダネールと執事が、祐司とパーヴォットを迎えにデルベルトの屋敷にやってきた。
「本当は、我が家に長逗留いていただくはずであるが、ダンダネール殿はシスネロスのグリフード男爵様より、ユウジ殿の接待を頼まれているとのこと。
我が主、バルバストル伯爵へのそのような伝言の手前もある。ダンダネール殿と話し合った結果、申し訳ないが、ダンダネール殿の屋敷に帰っていただくことにした」
デルベルトはダンダネールを屋敷に招き入れるとさも残念そうに言った。
「それから、バルバストル伯爵様より、ことの子細が判明するまでダンダネール殿が常時ユウジ殿を見張っておくようにという命令が出た。
よって、ダンダネール殿に迎えにきてもらった。いっしょにダンダネール殿の屋敷に向かわれよ」
祐司とパーヴォットは、デルベルトの気が変わるのを恐れて急いで荷物を部屋から持ってきてダンダネールの背後に立った。
「明日はお役目ですか」
ダンダネールは別れ際にデルベルトの何気ない様子で聞いた。デルベルトはぶっきらぼうに返事をした。
「警護に五十人ばかり連れて行く」
「それは大層な数ですな」
ダンダネールは少し微笑みながら言った。
「ユウジ殿を再びわたしの屋敷に戻したのは、家計を預かる奥方が、悲鳴を上げたのでしょう」
デルベルトの屋敷の前から離れるとダンダネールは祐司に向かって言った。ダンダネールの言葉に祐司とパーヴォットは顔を見合わせた。
祐司はダンダネールには隠し事をしないと決めていたので、昨夜の様子を夫婦喧嘩と夜伽のことも含めて話をした。
「特にデルベルト殿は、近衛隊司令として格式を重んじる御仁だが、そのために家計は火の車、借財もある。年貢は数年先まで前払いで納めさせている」
祐司から事のあらましを聞くと、ダンダネールは夜伽の事には触れることなく解説口調で言った。
「年貢の前払いですか?」
祐司が意外そうに聞いた。
「一割ほど負けるというような約束で、先の年貢を納めさせるのだ。二三年先だと二割ほどまけてるのが相場だ」
「収入にあった暮らしをすれば、いいではないですか。先の年貢を納めさせたら、損ではありませんか」
パーヴォットがもっともなことを言った。
「まあ、それができれば」
「あれで、格式を守って見栄がたつんですか」
パーヴォットは昨日から何度目かの呆れた口調で言った。
「まさか。余計に消化不良のような感じが残ったでしょうな。でも、無い袖は振れないので、わたしが、ドノバ候家老のグリフード男爵様から、あなたのお世話を頼まれたので仕方なしに、わたしの屋敷に移ってもらったという言い訳をするしかない」
「でも、ダンダネール様の、お屋敷に戻れてうれしゅうございます」
パーヴォットが笑顔で言った言葉に、ダンダネールもまんざらでもないような感じで返事をした。
「それは、お褒めの言葉かな」
「デルベルト様の奥方がお子達を連れて家を出られました」
デルベルト家の使用人と話し込んでいた執事が、祐司達に追いつくと驚くべき事を報告した。
「で、どこへ行かれたのだ」
ダンダネールは奥方が買い物にでも行ったのかというような聞き方をした。
「はい、王都のご実家に帰ると行って、男衆二人に、ご自分の小間使いを連れて早朝に家を出られたそうです」
この奥方の電光石火の決断は、奥方と子供達を救うことになった。同じ家を出るにしても、奥方がデルベルトの家を出るのが一日遅れていても奥方と子供達には災悪が降りかかっただろう。
「それから、奥方は屋敷を出る時に、何とか止めようとするデルベルトのご母堂に気になることを言ったそうです」
執事は少し声を落として言った。
「ひょっとして噂のあれか」
ダンダネールは目だけを執事の方に向けて聞いた。
「そうらしいです」
「何の噂でございましょう」
祐司も気になって執事に聞いた。
「極希なことですが、あの奥方は身近にいる誰かの死が近づいていることを予見するのでございます」
執事は低い声を出しながら真顔で言った。
「信じる者もいれば、偶然だと言う者いる」
すぐさまダンダネールは吐き捨てるように言った。
「旦那様の前ですが、わたしは信じております。最近は二年ほど前ですが隣家の七歳になる男の子が遊びに来ていたそうです。その男の子が帰ると、奥方はうつろな感じで、あの子は今日限りの命と言ったそうです」
ダンダネールにかまわずに執事は話を続けた。
「そうなったのですか」
パーヴォットが心配したような声で聞いた。
「はい。隣家の主人が丁度、領地の見聞から帰って来る日でございました。その子はダダをこねて市門まで父親の出迎えに行くと言ったので、母親と女中で市門まで連れていったそうです。
ところが、男の子の姿が見えなくなりました。ちょうど父親がヒネナル川の橋にさしかかった時に、城壁の上から、父親を呼ぶ男の子の声がしたそうです。
いつの間にか男の子は城壁に上がっていたのです。父親をよく見ようと思ったのか、その子は城壁の胸墻の上に立ったそうです。
母親はあわてて降りるように叫んだのですが、男の子はその声に驚いたかのように、下を見ると体勢を崩して城壁から、可哀想に石畳に頭から落ちたのです。即死だったそうでございます」
「隣の子が事故で死んだのは事実だが、まるで見てきたかのような話だな」
ダンダネールは冷笑するような感じで言った。
「旦那様、わたしは男の子が落ちる時、その場にいた女中に直接話を聞きました。この話には何も付け加えておりません」
珍しく執事は感情的な口調で言った。
「何故、奥方は危険を教えてあげなかったのでしょう」
パーヴォットが執事に素朴な疑問を聞いた。
「どうも、奥方もよくわからないまま自然に言葉が口に出るという話です。死ぬということだけがわかるだけです。
これは噂ですが、奥方は小さな頃から、数日以内に死ぬ人を予見したそうです。もちろん小さな子の言うことなど最初は誰も信じなかったそうです。
でも、数が重なりますと偶然とも言えません。
物心がついてから奥方も何度か死を避けさせようとしたようです。友達の死を予見した時は、その親も本気になって数日子を家から出さなかったそうです。
ところが、その家が火事になって友達は死んでしまったということです。
ですから、奥方も誰かの死を予見しても、無駄だと悟ったかのように何もしなくなったそうでございます」
ダンダネールがこの話に興味を持っていないのを知っているのか、執事はパーヴォットに向かって説明した。
「対策を取っても死から逃れられないということですか」
パーヴォットも執事の話を信じたのか、ため息を出しながら言った。
「神々が決められた死を避けることはできません」
執事も自分の言ったことに自分で納得するかのように首を振りながら言った。
「誰が死ぬのだ」
突然、ダンダネールが聞いた。
「デルベルト様です」
執事の言葉に誰も何も言わなかった。執事はしばらく歩いてから言いにくそうにしゃべりだした。
「どうすれば助かるのかと、ご母堂が聞きますと…」
「奥方はなんと言った?」
ダンダネールが執事に言葉を続けるように促した。
「はい、ユウジ様が死ねば見込みがあるかもと言ったとか」
「そこも予見か」
少し考え込んだダンダネールは執事に聞いた。
「それが聞いていた使用人も判断できなかったそうです。でも、今までの予見は誰かが死ぬということだけでしたから違うと思います」
「もし、デルベルトがそれを聞いてどう思うかだな。近衛兵は五十人と言っていたが、デルベルトは変に小心者だから増やすかもしれんな」
そう言ったダンダネールはまた考え込む様子だった。
「増やすなら倍にします。小出しは避けろと父が口癖のように言っていました」
子細はわからないながらパーヴォットはダンダネールに声をかけた。
ダンダネールは無言でパーヴォットに微笑みを返した。




