虚飾と格式、領主直轄都市バナミマ7 緋色のバナミナ
次の日、ダンダネールはまだ早朝と言ってよい時間に出立の準備を始めさせた。
ダンダネールの部下はかなり遅くまで酒を飲んでいたようで、赤い眼をしながら黙々と準備をした。そして、村長が用意してくれた簡単な朝食を、ダンダネール、祐司を含めた一同が表で食べていると寝ぼけ眼のスピリディオンがやってきた。
「早い出立だな」
「昨日は心のこもったおもてなしありがとうございました。午後には伯爵様にご報告があるゆえ名残はつきませんが失礼します」
ダンダネールはスピリディオンの横にいた村長を意識しながら言った。スピリディオンはそれに気がつかず機嫌のよい口調でダンダネールに返した。
「それはなりよりだ。わしはこれから近くにある我が館に寄ってからバナミナに帰る。秋のランディーヌ様のご成婚十五年祭の式典の詳しい式次第ができたら届けてくれ。わたしの方からランディーヌ様に説明するからな」
祐司は伯爵妃ランディーヌのご成婚十五年祭という言葉に、バルバストル伯爵領の異常さを感じた。伯爵妃が成婚十五年なら伯爵も同様であり、伯爵主体で祝賀は行われるべきだからである。
「承知しました」
ダンダネールは少し頭を下げて言った。しかし、祐司はダンダネールの発する光が揺らいでいることを見逃さなかった。最初は不快の感情だろうと思ったが、単純な憤りとは違うような感じがした。
祐司は、多くの人間と接する中で光の揺らぎ具合や発具合、色の変化で多少は気持ちや感情を推論することができるようにはなっていた。
ただ、巫術のエネルギーを根源とした光は、個人で大きな差がある上に、現在の祐司の経験値では細かな情報までは読み取れない。
そのことを考慮しても、ダンダネールの感情は負の感情ではなく正の感情である。しいて言えばしてやったりというような感情だろうと祐司は考えた。
祐司は三年ばかりの会社勤めの間、気のいい上司に恵まれて右も左もわからない新人社員の時に、上司がまとめたかなり大口の取引の一部を祐司の手柄だと上層部に報告してくれたことがあった。
祐司は申し訳なくて、それからは、その上司を信頼して大過なく仕事を続けてきた。
もちろん、そのような上司ばかりではない。祐司は学生時代の恋人に会いに東京に行ったときに何度か、東京で就職した学友と飲んだことがあった。
学生時代に「策士」と呼ばれていた学友は、上司に手柄を全て横取りされたことがあったが、その時は堪えて全ての仕事を上司の手柄になるように仕向けたと言う。
そして、どこまで本当かはわからないが、ある時、自分が開拓した新規の取引先で納期が守れないことがあった。
元々、納期を全うするのが物理的に無理な案件だったが上司は全て自分の手柄にしてたために責任を取らされたという。
なんとなく、ダンダネールの隠された喜びの感情は、そのような事案ではないかと祐司は感じていた。
この推論は間違っていたことを祐司は後で知ることになる。ダンダネールは成婚十五年祭の式次第などはなから作るつもりはなかったのだ。
「ダンダネール様、用意ができました」
御者が報告に来た。
「さあ、ユウジ殿、パーヴォットも馬車に。今日は昼までにバナミナに到着する。従者達も一刻も早く帰りたいであろうからほとんど休み無しでいくがよいか」
ダンダネールにそう言われては、祐司は断ることなどできなかった。
「結構でございます」
馬車は心なし速い速度で動き出した。道はバナミナに近づくにつれて状態がよくなり、水はけの悪いような場所には石畳が敷いてありぬかるまないように工夫してあった。
道の状態がよいことと、馬車に多少は慣れてきたためか祐司とパーヴォットはそれほど苦痛を感じずに馬車に揺られた。
祐司は昨夜のことをダンダネールの報告するかどうか迷っていたが、ダンダネールには隠し事をしないと心を決めて包み隠さずに報告した。
「そうか。結婚式前の娘に夜伽を命じたのか。スピリディオンならさもありなん」
そして、ダンダネール自身も昨夜のことを語り出した。
「スピリディオンはとんでもない奴だ。昨夜来た女があまりにも幼いので歳を聞くと十四だという。そんな子供みたいな女を相手に出来るか。
その女が泣きながらいうには、スピリディオンは、この前来た時に無理矢理に所望したそうだ。腐れ外道が。食事のことと言いスノバスの風上にもおけん」
ダンダネールが怒りにかられて言ったことの背景には、スピリディオンが犯していているリファニア社会の慣習がある。
一つは女性を性行為の対象とするのは十五歳以上であるというタブーである。これは性的なことよりも、十五歳は数え年なので実際は十四歳になり万が一妊娠した場合は、母体が極めて危険な状態になりやすいからである。
もうひとつは、スノバスという日本語には正確に当てはまる語句がない単語に関する事項である。
無理に当てはめれば”やんごとなき身分”というような語句に近い。英語で言えば”noblesse oblige「高貴さは義務を伴う」”という概念に近い。
ダンダネールは領民の用意した結婚式の食事を見返りもなく、たかりのように要求するスピリディオンの所行に同じ身分の者として我慢ならなったのだ。
前日、ダンダネールは自分の領するガゼット村で結婚式に招かれているが、そこで、心ばかりだが年貢の値引き、領主の挨拶でダンダネールはスノバスとしての義務を果たしたと考えていた。
領民は本心ではどう考えているかはわからないが、少なくとも領主と領民は”ご恩と奉公”というような双務的な関係であると考えるのがリファニアの常識である。
領民は契約した年貢や税はどのようなことがあっても領主に納める義務があるが、領主といえども契約以上の要求を領民に課すことはできないのだ。
マール州は東隣のドノバ州の半分に満たない面積である。また、同じ中央盆地の州であってもマール州は標高の高い台地に立地しており地味にも恵まれていない。
この台地は、ぞくにサトラル高原と呼ばれている。サトラル高原は本格的な高原ではなく、あくまでも中央盆地の一部であるが、明らかに気温はドノバ州より低い。
ほんの少しの気温差かもしれないが、高緯度のリファニアでは農作物の生育に明らかな差となって現れる。
また行政区画もドノバ州は大小三十近い領主が並び立っているが、マール州は四人の領主が治めている。
皮肉なことに、ドノバ州では個々の領主勢力が相対的に弱体だった。そのため今や最大の領主で政治的権威を持ったドノバ州太守ドノバ候が政治的は圧倒的な権威を握った。
そして、今やドノバ候を形式的な君主から、形式的には従属する盟約相手となったドノバ候全土の中で最大の領域を誇る直轄地を背景にしたシスネロス市がドノバ州を経済的に支配にすることによって擬似的ながらも中央集権化が進んでいた。
反対にマール州では、四すくみの状態で安定した時代が長く続いており、それは時代を重ねるに従ってますます不文律の体制として認識されたためにマール州の統一的な政権が樹立される下地はまったくなかった。
その四人の領主の中で最も大きな領地を誇るのが東部のバルバストル伯爵領である。
バルバストル伯爵領の主邑が、バナミナである。
バナミナはシスネロスがリヴォン川とその支流モサメデス川に接しているのと同様に、ヒネナル川というリヴォン川の支流に接している。
しかし、百人以上の人を乗せた船が遡行する木曽川や吉野川級の河口ほどの大きさがあるリヴォン川とその最大の支流であるモサメデス川と違ってヒネナル川は荒川や大和川の中流程度の規模で、しかも水深が浅く、ホンの小舟程度しか利用できない。
それに比例して、中央盆地最大のシスネロスと比べてバナミナは四半分程度の大きさである。
ただ、街の規模に比べてもちろん、リファニア基準であるが造りは豪華というか豪壮だった。
城壁の高さは、リファニア全体から見れば辺境の北クルトの商業都市ヘルトナ並みの規模であるが石材は全て赤砂岩が使用されており、どことなくヨーロッパ風のたたずまいがあるリファニアの他の都市と比べると中東やインド風の感じがあると祐司は思った。
バナミナは南北に流れるヒネナル川の西にある。東西方向に走る街道はバナミナの手前でヒネナル川に遮られるが、祐司がリファニアに来て初めて見る大規模な橋が架かっていた。
百メートル幅ほどの川に石積みの土台があり、その上に木材を並べた橋である。有事にはすぐに木材を取り払えるような簡易な橋だった。
橋の両側には、関所があり橋の通行料を徴収していた。本来なら一人につき銅貨5枚といかなりの金額を取られるが、祐司はダンダネールと同行していたために、関所改めもなく無料で通過した。
「ここには、小さいながら我が屋敷があります。どうぞ、ゆっくりしていってください」
橋を通過している時に、ダンダネールは祐司の意向を聞くことなく言う。
街の正門は街道に面した東側にあった。
バナミナの家は木造か一階の土台部分までが、石造りで、それから上は木造という形式でヘルトナやシスネロスの一般的な住居と同様な様式だが、屋根はスレート瓦、木製瓦、板葺きにかかわらずベンガラ(酸化第二鉄)塗りだった。
バナミナを俯瞰すると、城壁の赤も相まって赤い街に見えるだろう。
「きれいな街でございますね」
パーヴォットは祐司の方を見ながら微笑んで言った。
「この辺りは、郷士屋敷が集まっておるからな。屋敷の造りで格式がわかるようになっておる」
ダンダネールが無機質な言い方で簡単に言う。
「さあ、着いたぞ」
ダンダネールが招いてくれ屋敷は、敷地こそ日本の小公園ほどであったが、屋根裏を含めての三階建でどっしりした石造りの建物だった。
ただ、リファニアでは一般的であるが、木製の瓦が載った屋根と三階から上は傾斜の強い木造である。
正門から先触れが送られていたのか、玄関前には奥方と十代前半とおぼしき三人の子供、使用人が並んでいた。
「お役目、ご苦労様でございました」
ダンダネールにそう言った四十代前と思える奥方は、赤みがかった長い裾のワンピースに赤いケープを羽織って、頭にはナースキャップのような赤い帽子を被っていた。
「ご主人様、おかえりなさいませ」
使用人が一斉に声を出す。
「うむ、留守中、大過なく過ごせたか」
「はい、いたって順調でございます」
奥方が他人行儀な言い方で答える。
「先触れで知っておると思うが客人がおる。しばらく、逗留していただくので無礼のないように頼む」
「承知しております。バギャナン様とヒルトニア様が、あなたがお帰りということを聞いて是非、伺いたいと使いが来ております」
「聞き耳の早いことだ。では、そのように晩餐の手配を頼む」
祐司たちはダンダネールに家族を紹介された後、寝室へ案内された。十畳ほどの広さの寝室に隣接して三畳ほど広さで、大方はベットで占領された使用人用の小部屋が隣接していた。
ダンダネールは休息もそこそこにバルバストル伯爵にシスネロス訪問の報告に行った。祐司はダンダネールには悪いと思ったが、夜伽騒ぎで二日ほど寝不足になっていたので、一刻ほど午睡をした。
夕食というより晩餐は、ダンダネール一家と、二人の郷士が一緒だった。執事と三人の給仕担当の女中が傍らに立った。
ダンダネールは最初に、それぞれの人物を紹介した。
「今日は、無礼講の私的な晩餐ということで、使用人を減らしております。ただし、お客様に対するもてなし、料理は正式なものと同じで落としてはいけません」
ダンダネールは晩餐の前に二人の客に説明した。二人の客は頷いて聞いていた。
「ユウジともうされたかな。ダンダネール殿は礼儀作法に詳しいゆえ精々教えていただくのだな」
客のうち、年配の赤ら顔の郷士が完全な上から目線で祐司に言った。
「ヒルトニア殿、相手は平民ですよ。あまり無体なことを言うと、畏れ多くて食べるものも食べられなくなります」
それを、たしなめるりっぱな口髭を生やした中年の郷士も雲上人のような口調だった。
「それより、従者が同席とはどういった作法かな?」
年配の郷士が、明らかに不満そうにダンダネールに聞いた。
「はい、その従者は郷士の子でございます。そのような身分の者を、我が家の使用人室で食べさせるわけにもいきません」
ダンダネールは、その不満げな質問を逸らすように答える。
「なぜ郷士の子が、平民の従者をしておる?」
年配の郷士は今度は観点を変えて非難がましく聞いた。
「その話はユウジ殿からお聞きになられた方がよいかと存じます」
ダンダネールはにこやかに答えると手を軽く叩いて給仕係に、食前酒と最初の皿を持ってこさせた。
スープを含めて六品のフルコースで木イチゴとリンゴのデザートもついていた。ダンダネールの帰還と客がいるということで、いつもよりは多少贅沢なのだとダンダネール自身が言っていた。
ただ、祐司とパーヴォットはあまり味を覚えていなかった。そして、出された量の三分の一も食べることができなかった。
二人の郷士が延々と話しかけてきたからだ。
まず、パーヴォットの生い立ちと、何故、祐司に同行して従者をしているかの説明に相当時間を取られた。パーヴォットが女だとわかれば、更に話が延びるのであくまで、パーヴォットを男として説明して押し通した。
それが、終わるとバナジューニの野の戦いのことになった。ダンダネールが祐司が手柄をあげたと説明したのにも関わらず、二人の関心は領主軍の活動にあった。
「いや、最後に領主軍が間に合わなければシスネロスも危ないところだったのだな。所詮は平民を数だけ集めた市民軍など子供だましだ」
実際に戦場にいた祐司を目の前で、二人は見てきたかのように勝手に盛り上がりだした。領主軍の到着がなくとも、シスネロス側が負けることはなかった。
領主軍が到着しなければ、撤退の時期に踏ん切りがつかないでいたモンデラーネ公は無理な攻撃を続けて、さらに甚大な損害を被ったかもしれない。
祐司は郷士達の勝手な話に相槌を打っていた。郷士やダンダネール、その家族の様子を見ていると明らかにテーブルマナーが存在するようだった。
一度、パーヴォットがコースの真ん中で出て来た二皿並べられたシチューうち左側の皿から手をつけて二口目のためにスプーンを出そうとすると、一斉にみんなの目が非難するようにパーヴォットに集中した。
後で聞くとコースの中程で出てくる二皿同じ料理がのった皿の左側の皿は、使用人に残すための料理だそうだった。
ただ使用人はあくまで残り物を与えるという建前から一口食べるか、あるいは食べないでもスプーンやフォークで少しつつくということだった。
どうも、使用人のことをおもんばかっているというよりは、使用人にも相応の食事を与えているということを客に見せびらかすホストの見栄のような習慣らしい。
料理やもてなしに不満があると左側の皿から二口以上食べていいことになっているが、その場合はホストに喧嘩を売る覚悟がいるらしかった。
二人の郷士は、酔いも手伝って最後には二人だけで、”余録の戦い”でのガカリナ伯爵の話で大いに盛り上がった挙げ句に、ダンダネールからシスネロスで買った布地を土産に貰って上機嫌で帰っていった。
「食べたのかどうかもよくわかりませんでした」
部屋に戻ったパーヴォットがため息をつきながら言った。
「まあ、ああ吠えまくる御仁に加えて、しきたりなんぞ、てんでわからないからな。あの郷士が言っていたようにダンダネールさんに、しきたりについては逐一聞いて見よう」
そう言った祐司は、就寝前にダンダネールと居間で歓談していた時に、マナーがわからないということを相談してみた。
「それなら、執事をお付けしましょう」
ダンダネールは、すこし思案してから言った。
「余計なことですが、シスネロスで買い求めた布地はかなり高価なものをお見受けしました。それを、今日の客人に渡されたとは、余程親しい方か、名のある方々なのですか」
「いいや、近所の者だ。わたしと同じくバルバストル伯爵の配下ではあるが無役に近い者だ」
「失礼いたしました。ダンダネール様は豪儀な方でいらっしゃる」
「作法では、贈り物を貰えば、それ相応の返しがいる。あの布地を見て二人の奥方の困った顔が思い浮かぶ」
ダンダネールの言葉は、ちょっと意地の悪い言い方だった。
「旅人のユウジ殿には関係ないが、今日の宴会は、シスネロスに出立するおりに、あの二人が宴会をしてくれたお返しだ。
ここの作法の基本は受けたものは必ず返すだ。ただし、あまり背伸びしていると、足元がおろそかになって転倒する」
ダンダネールは意味深長なことを言った。祐司は、ダンダネールの発する光が少し揺らいで色が濃く変化したことに気が付いた。あきらかに、ダンダネールの言葉には悪意が存在しているようだった。
「ここでは長逗留する予定ではなかったが、二三日あるいは四五日はいたしかたあるまいな」
寝室のベッドの上で祐司は毛布を掛けてくれているパーヴォットに言った。
「商売もできませんね。でも、宿代はいりませんからトントンでしょうか。でも、わたしは今度から使用人といっしょに食事をいただくことにします」
パーヴォットは少し険しい声で続けた。
「ユウジ様、また、夜伽が現れたらいかがいたします」
「なるようにしかならないだろう」
祐司はダンダネールの家では夜伽は現れないように思った。夜伽は領主と領民、それも農民との微妙な関係の中で存在するように感じたからだ。
「そうですね」
「寝よう」
「何かあれば必ず私を呼んで下さい」
パーヴォットはきっぱりした口調で言うと、隣接した自分の部屋に戻って行った。
「そうする」
祐司は姿の見えなくなったパーヴォットに小声で答えた。祐司は寝ながら二十代も半ばの男が十四才の女の子に言われる台詞かと苦笑した。




