閑話 その1 リファニア世界の創成
章末にリファニア世界を紹介する閑話があります。閑話部分は物語の一部ではありませんので読み飛ばしても物語の理解に不足することはありません。話の流れを中断したくない方は「最果ての村アヒレス1」へお進み下さい。
まだ、祐司の冒険物語は始まったばかりです。祐司はまだリファニア世界を歩み出してさえいません。
そのため、ここで述べることのできることは、スヴェアから聞いた北アフリカやヨーロッパの様子。祐司が研究をしていたリファニアの神話についてです。
最初に史実世界とリファニア世界の分岐した時期を考察します。
リファニア世界が史実世界と分岐したのは”空の割れた日”である。この出来事は史実世界では知られていない純粋な物理的自然現象である。
ある日、未知のエネルギーが地球近傍を通過した。その年代はスヴェアの推測が正しいとすれば紀元前2500年頃である。
さらに、文中でエジプトに行ったスヴェアが建設されなかったピラミッドの廃墟を見ていることからもう少し詳しい年代が推測できる。
古代エジプトでピラミッドが耳目を引くような巨大な建設されだしたのは、紀元前2650年頃の階段ピラミッド「高さ60m」である。
スヴェアの見たピラミッドの廃墟は、このピラミッドから有名なギザの大ピラミッド(最も高いクフ王のもので高さ146.6mで紀元前2540年頃)のいずれかのピラミッドであるだろう。
もし、スヴェアが見た放棄されたピラミッドの工事現場がギザの大ピラミッドのものであれば階段ピラミッドは残存しており、地域では有名な建築物であるはずである。しかし、スヴェアが何もそれについて触れていない。
このことから、建設途中で放棄されたのは階段ピラミッドであると考えられる。すなわち”空の割れた日”はピラミッドの建設期間を考えると紀元前2660年前後の出来事であったと思われる。
エジプトでは初期の統一王朝である第三王朝の時代である。この王朝をもって古王国時代が開始されたという重要な時期である。長らく南北「上下」に分かれていたエジプトが統一されて四百年であるが、いまだ各地の有力者の勢力は強大であった。
この時代に王「ファラオ」は神たる王として、ようやく全土に名実共に号令する権力と権威を確立したとされる。
しかし、リファニア世界では”空の割れた日”を境にエジプトは再び分裂の時代に入ったようである。
それは、災悪による被害と混乱で王朝が崩壊したこともあるが、大きな気候変動が始まったのである。
続いて祐司がスヴェアからの知識で知っているリファニア世界の様子を記します。
ヨーロッパが寒冷化していくとともに、海洋からの水蒸気を運んでくる偏西風が南下したために乾燥の度合いを強めていたサハラ砂漠が定期的な降雨に見舞われることになった。
森林を形成するほどではないが、サハラ砂漠は数十年ほどでサハラ大草原となった。そこには草を求めるウシ科やシカ科の膨大な草食獣が溢れた。
今ではワジ(涸れ川)になった場所は、乾季にはか細い流れになりながらも雨季にはとうとうたる流れを持つ大河が見られるようになりカバや水牛のような動物の楽園も見られるようになった。
そして、本格的な農業を行うには少ない雨量であるために、多くの人々は、コブ牛を飼う遊牧生活を始めた。そして、特に湿潤な地域や河川沿いでは、雑穀を栽培する農耕地域も見られるようになった。
やがて、寒冷化したヨーロッパからはヨーロッパ系統の集団が次々と北アフリカに移動してきた。これらの人々はまだ少数であったアフリカ系と次第に融合したようである。
このため、スヴェアの見たエジプトを含む北アフリカは、マライア・キャリーのような容姿を持ち、様々な色合の褐色の人々が住んでいる。
直毛から波状で黒から茶色の毛髪を持つこれらの人々は、広大なサハラ草原で遊牧と河川沿いで灌漑農業を行いながら生活している。
スヴェアの時代になってもまだまだ無人の居住可能地域は残されており、人口が数百万人程度の地域国家は形成されてもサハラ全土を統一する国家は出現したことはない。
この状態はヨーロッパ人が進出直前の北アメリカ草原地帯のような状況に近い。リファニアのサハラ草原での技術文化は多少発展してはいるが、多くのインディアン部族が時に小王国を建国しながらも北アメリカで分裂していたような状態である。
リファニア世界ではナイル川河口に人口が集中して強大な王のもとで統一国家が建設されて文明が栄えるという図式が崩れたのである。
これは、老子や荘子の説いた理想郷である「小国寡民 文末参照」の世界とも言える。
サハラ草原が出現した北アフリカとうってかわってヨーロッパのアルプス以北は最盛期の氷河期ほどではないがアルプス山脈やピレネー山脈には周辺の平地にまで押し寄せる巨大な山岳氷河が発達している。特に北欧であるスカンジナビア半島の過半は氷河に覆われている。
その影響で現在のドイツ東北部、ポーランドといった地域は極めて寒冷でツンドラが発達する農業には不適切な地域である。ヨーロッパ南部も真夏でも二十度を越えることが少ない寒冷な地域である。
小國寡民 老 子
小國寡民使有什伯人之器而不用使民重死而不遠徙雖有舟轝無所乘之雖有甲兵無所陳之使民復結繩而用之甘其食美其服安其居樂其俗鄰國相望雞狗之聲相聞民至老死不相往來
小國で人口は少なく、たくさんの便利な道具があっても使用しない。民の死という重い事実を目の前にしても土地を捨てて移住しない。船や車があっても乗る必要もなく、精鎧や武器はあるが誰も身に着けない。
歴史を伝える縄結びをさせることはあるけれど、平凡な食事を味わって食べ、ありきたりな服で満足し、住んでる家を都とし、くだらないことを楽しむ。
隣の国は見えるところにあり、鶏や犬の鳴き声が聞こえるが、国境を超えて行き来することは老いて死ぬまでない。
老子の生きた春秋戦国時代は、大国が小国を併合して大国も富国強兵をはかり、技術・制度の革新を怠らぬようにしなければ生き残れない時代である。逆説的に封建制度は崩れ中央集権的な政治制度へ以降し、青銅器から鉄器へと武器や農具は進歩した。老子は何処にでも農村の変化に乏しい日常生活の中に理想郷を説いた。