ドノバ連合候国の曙34 パーヴォットの誤解 下
祐司はリヴォン亭の番頭にエッカルの住んでいる場所をたずねた。番頭はエッカルの住所までは知らなかったので、近所の馬商人に宿の小僧を使いに出して住所を聞いてくれた。
祐司がドノバ候から貰った馬を連れて、南の市壁に近い、その住所まで行ってみると、零細な露天商、行商人などが多く住む二階建ての借家が並ぶ街だった。
祐司は道端の水飴売りの露店でエッカルの家を聞いた。リファニアでは商売をしている家は看板がある。また、ヌーイのような郷士の家には番地を示す番号が書かれているが、それ以外の家では表札などないから目当ての家の近所で誰かに聞く必要があった。
祐司は家を教えてくれた礼のかわりに水飴を買うと、近くで遊んでいた十歳ほどの三人の子供に与えてエッカルの家まで案内してくれるように頼んだ。
子供は、二人の男の子と、一人の女の子でいずれも可愛い顔立ちである。色々な人種の混血が進んでいるリファニアでは、掛け値無しに美男、美女は多い。それにも増して、子供の可愛さは引き立っていた。
子供達が案内してくれた家は日本で言えば二間間口ほどの家だった。二階建てで一階は馬小屋になっていた。
その馬小屋から引き出したのか馬が二頭、家の前にいた。二十歳ぐらいの男が木のバケツに入った水で二頭の馬の身体を洗っていた。
男の発する光は平均的なものだったが、祐司がよく観察していると男が馬に触れるたびに馬は居心地悪そうにしていた。祐司が推論したように馬は巫術のエネルギーに悪い意味で敏感であるようだった。
祐司は今まで、パーヴォットが馬やラバを牽いているところを見てこわごわしているので馬やラバを祐司ほど巧みに扱えないのだろと位に考えていた。祐司は、先入観念を持つあまりに、自分の物事を見る目がなかったことを恥じた。
「エッカルさん、いますか」
祐司は若い男に声をかけた。男は多少不審そうな目で、馬を連れた祐司を見ながら言った。
「ああ、いるよ。親父に用かい」
「一願巡礼の祐司が頼み事があってきたとお伝えください」
若い男は、何も言わずに家の奥に入って行った。しばらくすると、エッカルが出て来た。
「おやユウジ様、無愛想な息子で驚かれたでしょう。今日はまた馬子の御用ですか」
祐司の顔を見ると、エッカルは愛想よく言った。若い男が、エッカルの息子らしく無愛想と言われても、無表情でエッカルの後ろに立っていた。
「今日は、仕事はありますか」
祐司の問いかけに、エッカルは馬子の仕事ではないことを察したようだった。
「いいえ。午前中で終わりました」
祐司は、思い切って本題から入った。
「それでは、わたしに乗馬を教授してくれませんか。一日に銀貨一枚出します。一日といっても昼からで構いません。出立の予定がありますが三日は来られると思います」
「銀貨一枚は、わたしにとっては結構な金額ですが、ユウジ様はドブに金を捨てることになりますよ。
乗馬は軽業です。誰もが出来ないから軽業なのですよ。息子にも小さな頃から教えましたが、わたしが傍で馬を宥めて歩かせるくらしかできないのですよ。ましてや三日とは」
祐司が予想したようにエッカルは、半ば断るような口調で言った。
「出来なくてもいいのです。教えてください。もし、三日間続けて教えてくれるなら銀貨四枚出します」
祐司は、この後も散々粘ってようやくエッカルに乗馬の師範を引き受けさせた。
「そこまで言うのなら教えますが、怪我をしても文句はなしですよ」
「馬はこの馬でお願いします」
祐司は連れてきた馬をエッカルに見せた。エッカルは馬を撫でながら筋肉の付き具合や気性を調べているようだった。
「良馬ですな。良馬は悍馬と紙一重なのが多いのですが、この馬はおとなしそうだ」
エッカルは祐司の馬を褒めるような口調で言った。
「鞍は荷物用ですね」
祐司は馬小屋の壁にかけてあった鞍を見て言った。
「人が乗るための鞍なんぞどこでも作っていません。わたしが手直しした物で荷物を載せるのと兼用です」
エッカルは、その鞍を取り出して、祐司の馬の背に装着した。
「今日はこの馬をわたしに預けていきませんか。人を乗せたことがないでしょうから、わたしが手なずけておきましょう。ユウジ様の稽古は明日からにしてください」
祐司は翌日、午前中にパーヴォットを連れて旅支度の買い物を行い,午後は一人でエッカルのもとに行った。
エッカルは市壁に面したテニスコートほどの空き地に祐司と馬を連れて行くと乗馬の練習を開始した。
まず、祐司が直面した困難は、馬の背に乗ることだった。間抜けなことに、馬に乗る時に気が付いたが、鞍には鐙がなかった。エッカルも鐙のことは何も言わなかったのでリファニアでは鐙は知られていないようだった。
祐司はエッカルが持ってきた踏み台の助けで、ようやく馬の背に跨った。
「どうしたことか馬が嫌がりませんね。余程、ユウジ様は馬と相性がいいようだ。こんなことはわたしも初めてです」
エッカルは祐司を乗せた馬の手綱を引いて何度も空き地を周回した。
「ユウジ様は馬に、馬はユウジ様に慣れなければいけません。口でとやかく言うより慣れましょう」
祐司は鐙がないために、なんとか馬の背に跨っているだけで全身から汗が噴き出すほどの体力と緊張感を使った。
何しろ、慣れない姿勢で足に力を入れて馬を挟み込む。馬の上下左右の動き、背中の動きにあわせて絶妙のバランスを取る必要があった。
四半刻ほどもしてようやくエッカルは祐司を馬から降ろした。
「最初から馬に跨ぐことが出来るなどと言うことは、千に一つもないことです。正直に言うと、ユウジ様はすぐさま馬に振り落とされるであろうから、それを口実に乗馬の稽古など止めてもらうつもりでした。ユウジ様は乗馬ができる巫術をお使いですか」
エッカルは感嘆したように言った。
「いいえ。巫術などまったく無縁です」
祐司は汗を手ぬぐいにしている布で拭きながら息も絶え絶えな声で言った。
「しかし、ユウジ様は文句一ついいませんね」
エッカルは持っていた水筒を祐司に差し出した。祐司は両手でそれを受け取ると一口飲んでからエッカルに深く頭を下げて言った。
「師匠に文句など言いません。御教授していただいているのです。悪いところや生意気なことがありましたら叱責してください」
「わたしが師匠ですか。ただの馬子ですよ」
エッカルはあわてて祐司の頭を手で上げて言った。
「関係ありません。先達の言う教えを素直に聞くことが上達の基本と習いました」
祐司はさらに出来るだけ丁寧な口調で言った。エッカルはそれには答えずに別のことを言い出した。
「明日は”足かけ”を用意します」
「”足かけ”?どのような物か詳しくお教えください」
エッカルの言葉に祐司は機敏に反応した。
「はい、馬に乗りやすくするための道具です。乗馬の軽業を習得するときに稽古で使う道具です」
「それは、このような物ですか」
祐司はまさかと思ったが、出来るだけ思い出しながら馬と鐙の絵を地面に指で描いた。
「はい、よくご存知で。見せ物の時には使いません。どこで、ご覧になりました」
エッカルは驚いて聞いた。
「申し訳ありません」
祐司は胸に付けたオオタカの羽をエッカルの方に向けて言った。
「一願巡礼に関することですか。では、聞けませんな」
エッカルは一願巡礼の習いを知っていたらしくそれ以上は聞いてこなかった。そこで、祐司はさらに話をすすめた。
「説明できなくて心苦しいのですが、もし”足かけ”が二つありましたら馬の左右につけていただけないでしょうか」
「左右どっちからでも乗れるようにということですか?」
エッカルは不思議そうな顔で聞いた。
「馬に乗っている時に”足かけ”に足をかけていれば踏ん張りが効くと思いました」
祐司の言ったことに、エッカルは感心したように答えた。
「目から鱗ですな。そう言われればそうかもしれません。”足かけ”は二つありますから鞍の左右に付けましょう。明日からと言わず今から取ってきます」
家から”足かけ”すなわち鐙のような物をもってきた、エッカルは鞍に装着すると自分で、数分間、”足かけ”を使用して馬に乗った。
「中々、具合がいいです。こつがわかってきましたからユウジ様にも伝授しましょう」
エッカルは馬から降りると、驚くことに祐司に鐙の使用法を説明しだした。
二日目の午後。
祐司は、エッカルの指導で”足かけ”に浅めに足を入れて人の早足ほどの速さで馬に乗っていた。
「とても乗れているとはいきませんね。馬に乗せてもらっている感じです」
馬から降りた祐司は額に吹き出た汗を布で拭きながらエッカルに言った。
「三日でここまでできるのは奇跡ですよ」
エッカルは、驚嘆したように言った。
「これから王都タチに向かいます。そこで、エッカル師匠のように乗馬を教えてくれるような人はいますか」
祐司の問にエッカルは、少し考え込んでから言った。
「王都ならどんな人間でもいますよ。ただ、乗馬は軽業ですから弟子入りでもしないと教えてくれないでしょう」
「そうですか。芸は秘伝ですからね」
祐司が残念そうに言うと、エッカルは何かを思い出したのか微笑みながら言った。
「そうですね。まだ健在ならファティウスという引退した軽業師をたずねたらいいでしょう。わたしの師匠の知り合いで何度か会ったことがあります。
気さくな方ですから、よく頼めば教えてくれるでしょう。特に”足かけ”のことを言えば新しい物が好きな人ですから大丈夫だと思います」
祐司が謝金をエッカルに払って、馬を連れて宿にもどってきたのは午後の遅い時間だった。祐司が部屋に入るとパーヴォットが物憂げな様子で窓から外を見ていた。
パーヴォットが祐司のいない時に、祐司の部屋に入り込むことは珍しい。
「どうしたパーヴォット?」
「お疲れでございましょう。いやお楽しみは十分できましたか」
そう言ったパーヴォットの言葉にはケンがあった。
「おい、パーヴォット、この数日オレが何処に行っていると思ってる」
「男の人は、いろいろありますから。シスネロスを出立すればご不自由でしょうし。わたしはこのような…」
パーヴォットが最後の言葉を飲み込んだのを祐司は見逃さなかった。
「ひょっとして、オレがルール通りでも入り浸っていたと思っているのか」
ルール通りは、シスネロスの色街である。祐司が”バナジューニの野の戦い”に強制的に参戦させられたのは、祐司がルール通りで今はガーク隊長の奥方になったリューディナと遊んで一日出立の予定を狂わせたからだ。
どうやら、パーヴォットは祐司が午後に出かけるのはルール通りで遊んでいると考えていたようだ。
パーヴォットは、酌婦をするかたわら心ならずも春をひさぐ稼業をしていた母と幼い頃から暮らしていた。そして、男というものの生態を否応なく見せつけられていたに違いなかった。
そのパーヴォットが若い男である祐司が、女遊びをしているのだと思っても不思議ではない。しかし、パーヴォットの顔は悲しいような表情が浮かんでいた。
「ちょっとついてこい」
祐司は少し乱暴な言い方をすると、宿の裏庭に繋いである馬の所にパーヴォットを連れて行った。
そして、祐司は馬に鞍を装備すると、いきなり乗馬した。
大きく目を見開いているパーヴォットの周囲を祐司は馬で三周した。馬から降りてきた祐司にパーヴォットはふぬけたような声を出した。
「信じられません」
「おい、これでもオレがルール通りに行っていたと言うのか。ここまでなるには猛練習したんだぞ」
祐司が胸を張ってパーヴォットに言うと、パーヴォットは、大真面目に祐司に聞いた。
「ユウジ様は軽業師であられましたか」
祐司はちょっとした虚脱感を感じながら、パーヴォットに言った。
「この馬はいい馬だ。名を付けてやりたい」
「でも、もう一頭の馬とラバにも名をつけてやってください」
動物に名を付けると情がより移る。馬やラバを売る時に悲しい思いをしないようにと祐司は名を付けるのを避けていた。
しかし、乗馬する馬となると名があるほうがいい気がした。それで、パーヴォットの言葉にも押された祐司は、名であるようで名でない名を口にした。
「そうだな。最初の馬は一号、今度の馬は二号、ラバ(祐司はリファニアの”言葉”でラバ「ミュメム」と言った)はラバ(日本語)」
祐司は半ばやけくそで言った。
「イチゴウ、ニゴウ、ラバですか」
パーヴォットは嬉しそうに言った。祐司は間髪を入れずに言った。
「風呂に行ってから、帰りに旨い物を食おう」
「でも洗濯物がまだたためていません」
躊躇するパーヴォットに祐司はできるだけ優しい口調で言った。
「帰ってからゆっくりすればいい」
祐司はベッドの中で今日の出来事を反芻していた。パーヴォットにちゃんと怒ってないことを言葉で伝えればよかったと思った。
すると足元から寝息が聞こえてきた。思わず起き上がって見るとパーヴォットが椅子に座って寝込んでいた。泣いたようなあとが顔に残っていた。
「お姫様、そんなところで寝たら風邪をひきますよ」
祐司はそう呟くと、パーヴォットを起こさないようにゆっくりと抱き上げた。
「あ、ユウジ様」
廊下に出たところでパーヴォットが目を開いた。
「黙ってろ」
「ありがとうございます」
パーヴォットは、少し寝ぼけているような声で言った。祐司はお姫様を運ぶようしてパーヴォットをベッドに運んだ。
そして、すぐさま寝息を立てだした。パーヴォットは、まだ眠気には勝てない子供なのだ。
「良い夢を見るんだぞ」
祐司はパーヴォットに小声で言った。




