ドノバ連合候国の曙29 舞台裏-チェレス- 上
シュテファの出産は大変な難産になった。
リファニアでは通常は出産経験のある女性か産婆が出産の補助する。しかし、事前にシュテファの難産を予想していたドノバ候差し回しの医師の助言で、産婆ではなく、やんごとなき方の種を宿した下女の出産という名目で急遽出産に詳しいという女性巫術師が呼ばれた。
女性巫術師は医師の助言を受けながら半日の悪戦苦闘の末に男児をとりあげた。
「母体は、出産をするのには十分な骨格が育っていませんでした。今回はなんとか母子とともに無事でありましたが、母親は妊娠できない身体になったとお思いください」
医師と巫術師は異口同音に、そう言うと疲れ切った表情で城を去った。
「この子には、聖職者、いや商人か職人の道を進んで欲しいと思います。命のやり取りをしたり、権謀術数の渦巻くような世界に置きたくありません」
疲れ切って寝入ったシュテファの横で幸せそうに寝ている我が子を見ながらパットウィンはゲラクに言った。
「名はどうしますか」
ゲラクの問に、パットウィンは即座に答えた。子供が生まれる前からパットウィンは名前を考えていた。
「アスキナ、プリャーニル・アスキナとつけて下さい」
「家名はどうします」
ゲラクは続けざまに聞く。
「シュテファの家名を使います。プリャーニル・アスキナ・ハル・パットウィン・マナ・ディ・ドノバ」
パットウィンは名前と同様に家名を考えていた。シュテファの家名であるマナは反逆者として処罰された家の家名である。
しかし、二十年以上前のことでほとぼりがさめたであろうことと、旧ドノバ候時代の反逆者を積極的に忌避することはないだろうという考えだった。
「心苦しいでしょうが、父称に貴方の名をつけるのはやめておいた方がいい」
ゲラクは首を振りながら言った。
「しかし」
パットウィンは、頭では理解していても自分の名を父称として我が子に付けられないことに難色を示した。
「ちょうどいい機会だと思います。バナゾ・チェレスという男がいました」
ゲラクは思わぬことを言い出した。
「バナゾ・チェレス?」
「あなたの家臣です。正確には又家来です。戦死したブカミン城代の家来です」
ブカミンとは旧ドノバ候であるパットウィンがシスネロス包囲陣にいる間、本城を統括守備するためにパットウィンが任命した士爵位を持った城代である。
「ブカミンですか。ブカミンとその一族一党は、わたしに忠義を尽くして、ほとんど討ち死にしたと聞きました」
「あなたが、ブカミンとその一族、一党に負い目を持つのはわかります。しかし、ブカミンの仕事ぶりに疑問があったことも今の貴方ならわかるでしょう」
「ブカミンを城代にしたのは、わたしです」
パットウィンはため息ながらに言った。ゲラクから指摘されてように、ブカミンという士爵はその能力に疑問があった。
無能とは言えないまでも細々したことは全て部下に投げ出していた。もちろん上司という立場であれば細々したことは部下に任せて置けばよいのだが、その仕事ぶりを監督するという能力にも欠けていた。
部下がそこそこ有能で不正をしなければ、また、決まり切った仕事の長であれば問題はなかっただろう。しかし、ドノバ候が戦時に任命した城代には種々の実務能力や決断が必要であった。
しかし、兄の急死により思わぬ事でドノバ候になったパットウィンは、信頼できる部下が少なく、能力に疑問を持ちつつも自分の養育係であったブカミンを重用したのだ。
「そう、任命したのは貴方だ。上に立つ者の最も大切な仕事は、誰にどの仕事をさせるか決めることだ。確かにブカミンは城を守って討ち死にしました。
しかし、城代としての仕事ぶりはどうだったでしょうか。あなたが帰還するまでは城を堅守する仕事があったはずです。その備えをしていたのでしょうか」
不安視されていたようにブカミンは、パットウィンには忠実な部下ではあったが想像力もなく平時と同じように部下に仕事を丸投げして城代を務めた。
ブカミンが城代としてしたことは、ドノバ候が要求してくる居城の守備兵を削った増援と城に備蓄した食糧をドノバ候がいるシスネロス包囲陣に送ることだけで、万が一の籠城には何の備えもしてはいなかった。
そのブカミンが籠城の用意を始めたのは、シスネロスを包囲しているドノバ候勢が総崩れになったという報告を受けてからだった。
慌てたブカミンは、ほとんど空になった城の食糧貯蔵倉庫のために、近隣の村から急いで穀物を徴収するために、ただでさえ少ない戦える兵士を城外に派遣した。そして、老人と子供に毛が生えた兵士だけが城に残り城の防衛力は低下した。
そのために、本来の防衛力を発揮できないままに、代々のドノバ候居城はあっけなく陥落したのだ。
しかし、城に残った兵士はブカミン以下奮戦をしてほとんどが討ち取られるまで戦い、遅ればせながら最後の意地を見せた。
「先程、貴方が言ったように、城代のブカミンは女子供も含めて一族、郎党のほとんどが討ち取られました。バナゾ・チェレスはその一人です」
察しのいいパットウィンは驚いたように言った。
「ひょっとして、その者の名を名乗れと?」
「察しがいいですな。あなたは信者証明をお持ちか」
「いいえ、手元にはありません」
貴族であろうが信者証明はでるが、平民と違って貴族が自らの信者証明を持ち歩くことはない。本城落城のおりにパットウィンの信者証明は焼かれるか、誰かに持ち出されたに違いなかった。
「ならば、一時、借りておきましょう」
リファニアでは驚天動地の言葉がゲラクから発せられた。信者証明の偽造や他人の信者証明を使用することはもちろん犯罪であり処罰も受ける。
しかし、余程、年季の入った犯罪者でも信者証明の偽造はしない。信者証明の偽造や、他人の信者証明を故意に使用することは神々に対する犯罪であるからだ。
「神々がお許しになるか」
パットウィンは絞り出すような声で言った。
「それはあなたが死んでから神々に弁明すればいいことです。あなたが仮の信者証明を使うのは、あなたの身の保証もありますが、まずはシュテファとお子さんの身の安全を図るためです。
神々は弁明を聞いてくれると思います。それに、死期が迫れば告解して、あなた自身の正しい信者証明を作ればいい」
ゲラクが考え込むパットウィンに気楽な調子で言った。それでも黙っているパットウィンにゲラクは小声で呟くように言った。
「あなたのことは、アハヌ神殿のブエナベントゥラ神官長には報告してあります。多分、大神官長会議も知っていることでしょう」
大神官長会議とはリファニアの”宗教”組織の最高決議機関だとされるものである。神官長を中から特に信仰に篤く知識の深い者が大神官となり、その中から大神官長会議のメンバーが選ばれる。
大神官長会議のメンバーになると世から姿を消すために、メンバーが何をしているのか大神官会議がどこで開かれて何を決めているのかさえ定かではなくなる。
ただ、パットウィンは高位貴族であるので、リファニア社会で絶大な権威を誇る大神官長会議が純粋に宗教的な動機で動いていないことは理解していた。
パットウィンが信者証明を不正に利用することを大神官長会議が黙認してくれるとすれば神々に対する精神的なパットウィンの負い目はかなり軽減する。
「わかりました。で、バナゾ・チェレスという男はどういう男ですか」
ゲラクの説明によると、バナゾ・チェレスはブカミン士爵の庶子である。ただ、女中に手をつけた子であるので、認知はされずに私生児としてバナゾ・チェレス・ハル・ノーマという名がついた。
普通はノーマの位置に父親の名がくるが、不明の場合は神々の子として最高神ノーマの名を用いる。
ところが、ブカミン士爵はバナゾ・チェレスを不憫に思ったのか、自分の部下であるババリトという郷士の名目上の養子にして、バナゾ・チェレス・ハル・ババリト・マメルディー・ドノバという名を与えた。
バナゾ・チェレスは利発な子であったようで、長じてはブカミン士爵領の監督官補佐のような役目を与えられてブカミン士爵領管理の裏方として事務仕事をしていた。
そして、旧ドノバ候本城落城時に父親と共に戦死した。
「適当な人物を探すのに苦労しました。読み書きができて、ある程度キャリアがあるが親族を含めて見知った者は少ない。
少なくとも相続関係がある人間は全滅している。生死が今ひとつ不明である。年格好を含めてそれにぴたっりだったのがバナゾ・チェレスだったのです」
ゲラクの説明にパットウィンは、自分が新ドノバ候の計画に乗せられていたことを痛切に感じ取った。
「本当のバナゾ・チェレスは死んだのですね」
パットウィンは質問に、ゲラクは微笑みながら答えた。
「そうです。戦死者の整理されていない信者証明からバナゾ・チェレスの信者証明を見つけ出しました。あやうく、アハヌ神殿に届けられる寸前に押さえました。まあ、一年以上前のことですが」
「すると、いつかはわたしにその名を名乗らすつもりだったのですか」
「そう、あなたがその名を受け入れるようになる時を待っておりました」
パットウィンの質問にゲラクは益々、笑みの度合いを強めながら優しく言った。
「わたしはバナゾ・チェレス・ハル・ババリト・マメルディー・ディ・ドノバですか」
「そうです。そして、あなたの子はプリャーニル・アスキナ・ハル・チェレス・マメルディー・ディ・ドノバと決まりました」
五日後、パットウィンはゲラクに頼み込んで来てもらった神官の前で、シュテファを妻とすることを誓い、赤子のプリャーニル・アスキナの仮信者証明を書いてもらった。
最初、シュテファは、あまりにも畏れ多くて貴族と結婚することなど出来ないと抵抗したが、パットウィンはシュテファは郷士の娘であることと、生まれた赤ん坊を私生児とすることは出来ないと言って、とうとうシュテファを説得した。
「城の外に出てみませんか。収穫まで作物の方は乳のみ児を抱えているとはいえシュテファだけで十分世話ができるでしょう」
旧ドノバ候パットウィンがドノバ候の城で匿われて三年目の夏、すでに農作業も手慣れて多少天候が悪い年だったが前年並みの収穫を見込める畑を満足そうに眺めていたパットウィンにゲラクが声をかけた。
唖然としているパットウィンにゲラクはさらに驚くべきことを言った。
「ご心配なら、あなたが留守中に一人下女を手伝いにつけましょう」
「わたしが逃げ出したらどうする」
何かの試しか、冗談だろうと思ったパットウィンが少し軽い口調で言った。
「あなたは逃げません。あなたには守る者ができました」
ゲラクはいたって真面目な口調で返してきた。
「シュテファとアスキナか。そうだな、あの二人を人質にされては何もできない。エウフェミアとパウティスは守ってやれなかった。二度も妻子を捨てたら地獄の釜に閉じ込められるな」
パットウィンは何年かぶりで非業の最期をとげた前妻エウフェミアの名を口にした。
前妻エウフェミアは、ドノバ候居城落城のおりに、剣を持って敵に刃向かい、槍衾になって死んだ。
あるいは追い詰められて城壁から身を投げたとも、ドノバ候の妻を名乗って投降しようとしたが、問答無用に敵兵に城壁から突き落とされたなどとも噂されていた。
「あなたは、賢く強くなられましたな」
ゲラクが感心したように言った。
「どうしてそのようなことを言う」
「守る者のために自分を大切にできるようになったからです。あなたがご自分の家族や一族、家臣のことを考えたら、あの状況でシスネロスとの戦いを始めましたか」
そうゲラクから言われると、領主の勢力均衡に上に立った不安定な権力基盤、妻の実家を優遇したことによる領主の反目、戦うことを目的に後先を考えない動員、いずれもがパットウィンに自ら墓穴を掘らせ、家族を危険な目に合わした所行だった。
「あの頃のわたしは人を守ってやろうなどとは考えたことがない。独りよがりで、妻や子のことなど考えていなかった。
今のシュテファやアスキスを守ってやりたいという気持ちの何分の一でもあれば、あのような戦争は起こさなかった」
パットウィンは激しい自責の念の込めて絞り出すように言った。
「あなたには、ドノバがどのようになったか見て欲しい」
考えこんでいるパットウィンにゲラクが優しい口調で驚くべき事を言った。
翌日から十日ほどパットウィンはゲラクとドノバ州を見回る旅に出た。パットウィンはほぼ二年半振りにホルト城を出た。
ゲラクは表向きは、新ドノバ候ルードビッテの委託を受けて、この時点ではドノバ州に点在していた新ドノバ候の領地の作柄を見て回る監察官だった。
表向きはパットウィンは、ゲラクの副官ということになった。そして、他に兵士が二人ゲラクの従者という役回りで同行した。
ゲラクは実際の監察官で、その役割はしっかりと行い、パットウィンにも手伝わせた。
「よく治まっているようだ。今日は途中で寄った茶店で、先代の時より随分と暮らし向きが楽になったと農民が話しておった」
領内の監察の仕事が終わってホルト城に帰る道すがらパットウィンは自嘲気味に言った。もちろん先代とは自分のことである。
「年貢を少し下げましたからね。ただ良い評判も数年のことです。慣れれば年貢が高いと愚痴るのが人間です。
統治するには領民に信頼されなくてはなりません。そして、領民に信頼されるためには絶え間ない努力がいります」
ゲラクがにこりともせずに、いやに真面目な口調で言った。
パットウィンは、監察旅行の間でゲラクがたいした能吏であることを見抜いていた。
パットウィンは旅行の最中、自分のことがばれないかとひやひやしていたが、パットウィンを、旧ドノバ候、もしくは似ていると指摘する者はいなかった。
そのことを、かえって不審に思ってパットウィンはホルト城に帰る前の日にゲラクに聞いてみた。
「ドノバ州の者にとってパットウィンは死んだ人間です。過去のことなど詮索する余裕無く人々は暮らしております。
それに、貴方の容姿はすっかり変わった。農作業で日に焼けて、身体が引き締まった。顔も随分と精悍で、それでいて、温和は目つきになられた。
例え、貴方と親しくしていた領主でも、貴方だとは気付かないでしょう。わたしだって毎日、貴方に会っていたから以前の貴方だと納得しているのですから」
ゲラクは笑いながら言った。
「女は化粧で顔を作り、男は生き方で顔を作ると言います」
ゲラクが去った後、パットウィンは宿の鏡で自分の顔を見た。そこには、自分の知らない男がいた。




