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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏
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ドノバ連合候国の曙28 舞台裏-シュテファ- 下

 シュテファの頑張りのおかげで、この年は前年と比べて二倍以上の耕地に播種ができた。ただ、耕地面積が広がれば手間もそれに比例して増える。

 ところが、シュテファはいつもパットウィンが起きる前から農作業をするので、パットウィン自身の仕事は前年よりも減ったくらいだった。



 二年目も無事に穀物やジャガイモの芽が出た。霜害には気を付けなければならなかったが、多少は時間に余裕が出来る季節になった。


 午前中の農作業が終わってパットウィンが、ゲラクから借りた物語本を読んでいると、シュテファがちょっと悲しそうな目で見ているのに気が付いた。


「どうした」


 パットウィンは初めて見るシュテファの表情が気になってたずねた。


「はい、ご主人様は字が読めるのでございますね」 


 シュテファは羨ましそうな声で聞いた。


「まあな、シュテファは字は知らないのか」


 リファニアの識字率は低く、自由に読みこなせる者は人口の一割程度であり、布告や店の看板程度なら、たどたどしく判別できる者を入れても二割ぐらいである。


 都市では生活上の理由から三割程度は、書くことは無理でも字を読めるくらいは出来た。それでもリファニアの都市でさえ現代の最も教育制度が遅れた発展途上国よりも識字率は低いと言っていい。もしシュテファが字を知っていたらパットウィンは驚いたであろう。


「はい、字を習うような機会がございませんでした。女が字など知ったら目がつぶれるとも聞きました。でも、前にいた商家の娘さんは本を読んでいましたから嘘でございましょうね」


 シュテファの眼差しは訴えるような感じだった。


「これは”バルバンの友情”という話しだ。芝居でも有名だから知っているか」


 パットウィンの問に、シュテファは下を向いて言った。


「名は聞いたことがございますが、どんな話かは知りません。第一芝居など見たことはありません」


「そうか。読んでやるから聞きなさい」


 そう言うと、パットウィンは音読を始めた。”バルバンの友情”という話は元々は芝居であるので、パットウィンは台詞調で半刻ばかりの物語をシュテファに読んで聞かせた。


「いい話でございますね」


 パットウィンが読み終わってシュテファを見ると目を潤ませていた。


「いつでも読んでやるぞ」


 パットウィンが微笑みながら言った。いつまでも、シュテファが黙っているのでパットウィンは静かにたずねた。


「お前は今の話しを聞いて心が動いたか」


 シュテファはまだ心がいっぱいなのか頷くだけだった。


「シュテファよ、お前はものの哀れがわかる人間だ。本の中にいる人の心を思いやれる人間だ。

 本の中の出来事は世迷い言だという者もいるが、わたしはそうは思わない。世のことや、人間を知りたくば本を読むべきだ」


 パットウィンはそう言ってから苦笑いした。下女に説くような話では無い上に、本、特に物語をバカにしていたドノバ候であった頃の自分を思い出したからだ。


「どうした。ひょっとして字を習いたいのか」


 いつまでもシュテファが黙っているのでパットウィンは戯れ言のように言った。しかし、その言葉にシュテファは小さく反応した。パットウィンはそれを見逃さなかった。

 パットウィンは献身的に働く、シュテファに何か褒美を与えてやりたいと思っていたが、囚われの身では叶わぬ願いだった。


 パットウィンは字を知りたいシュテファに字を教えることが褒美になるのではと思った。


「命令する。正直に言え」


「字が知りとうございます。字を憶えればご主人様に読んだものを聞いていただけます」


 シュテファがせきを切ったように言った。



 その日から、パットウィンは一日に半刻から一刻ばかりは、シュテファに字を教え始めた。


 祐司がスヴェアにリファニア文字を習っている時に感じたことではあるが、巫術のエネルギーの作用からか、現実世界より人々の字に対する学習能力は低い。


 ところが、シュテファはパットウィンが舌を巻くほどの勢いで字を憶え始めた。パットウィンはシュテファは生まれてからずっと空腹に耐えていたように、知識への渇望という空腹にも耐えていたのだと感じた。


 夏至を過ぎる頃には、シュテファは寝転がっているパットウィンに時々訂正されながらも”バルバンの友情”をパットウィンに読み聞かせることができるようになっていた。



-バルバンの友情-


 昔、キリアスの町にバルバンという若い郷士が住んでいた。キリアスは南西沿岸にある街でしばしばヘロタイニア人と戦っていた。


 ある日、バルバンは領主の命で隣国の街まで書状を届ける用事を言いつかった。街を出て三日後、バルバンは森の中で野盗の不意打ちを受けて、書状だけは守ったが、所持金と武具を盗まれた上に重傷を負ってしまった。


 バルバンが倒れている道端を、ノード人の郷士、イス人の商人、アサルデ人の農民が通り過ぎるが誰も関わり合いになるのを嫌がって黙って通り過ぎようした。


 そこへ、やってきた一人の若者がバルバンを一緒に助けてくれるように頼むが、三人は、人助けをしたいのなら勝手にしろと言い放って立ち去った。そこで若者は、一人で怪我をしているバルバンを担いで、次の街の宿屋まで連れて行った。


 若者は渋る宿屋の主人に多めの宿泊費を出して、さらに医者まで呼んできてくれた。そして、五日ほどすれば自分の用事が終わってこの人を迎えに来ると言った。


 約束通り、五日目に若い男は戻ってきた。少し元気になっていたバルバンは若者に感謝して、名を聞いた。若者はニュロミルと名乗った。ニュロミルは故郷を一人で出て、行商をしているということだった。


 バルバンはニュロミルに、家に使いをしてくれるように頼んだ。そして、バルバンからの使いだとわかるように自分の指輪を持たせた。

 七日後にバルバンの家に使えている下男のセバンが衣装と武具を届けにくる。バルバンは、あまりに時間がかかったことをセバンに問うた。


 セバンの話では、家を訪ねてきたニュロミルが話の中からヘロタニア人とわかった為に、バルバンの父親が騙りであると決めつけた。

 また、街では野盗に襲われた郷士をヘロタイニア人が連れ去って行方不明になっているという噂が広がっていた。というのも、バルバンの救助を断った、三人が自分の保身の為に勝手な話を流していたからだった。


 セバンはニュロミルがウソを言っているとも思えず、バルバンの父親に万が一を言い立てて、この宿屋に来たことを告げた。


 バルバンに対して、ニュロミルが官憲に突き出されて、拷問を受けているとセバンは言った。また、自白しなくてもバルバン殺しの嫌疑で五日後に処刑されるだろうとも言った。


 バルバンはセバンの話に苦悶した。


 バルバンは、領主から言われた書状を渡す期限よりも早めに出立していた。しかし、今から領主の務めを終えて、ニュロミルの冤罪を晴らすべくキリアスに戻るには、日にちがなさ過ぎたからだ。バルバンは悩んだ挙げ句、書状を届けるべく走りに走った。


 そして、無事に書状を届けると、キリアスに向かって再び走りに走った。


 キリアスの街の広場で、ニュロミルが斬首されようとしている所に、息も絶え絶えのバルバンがたどり着いた。


-ここで、ニュロミルの冤罪を証明したバルバンが絶命するパターンもある-


 この一件の後、バルバンとニュロミルは無二の親友となった。ニュロミルは、キリアスの街で小さいながらも店を出した。最初は、ヘロタイニア人と言って陰口を言う人間もいたが、誠実に商売をするニュロミルの店は繁盛した。


 ところが、数年後、キリアスと隣のヘロタイニア人の間で戦争が起こった。


 キリアスの街に住むヘロタイニア人は、嫌がらせをされたためや、あるいは自ら望んでキリアスを去って、仲間のヘロタイニア人達のもとに身を寄せた。


 ニュロミルは、どうすればいいのかバルバンに相談した。すると、バルバンは、自分も領主のめいと、恩人であるニュロミルのいのちを天秤にかけて、領主の命を優先させたことを告白して深く詫びた。


 その上でバルバンは、ヘロタイニア人として自分の定めを果たすことは私事より大切なことであるとニュロミルに言った。


 この言葉に、ニュロミルはキリアスの街を去った。


 キリアスとヘロタイニア人の戦いは、一進一退となる。やがて、ヘロタイニア側から休戦の申し出があった。休戦調停を結ぶために、行軍隊形で進むキリアス軍に対して、突然、戦闘隊形のヘロタイニア人が攻撃を仕掛けた。


 最初は、押される一方であったキリアス勢であるが、バルバンなどの郷士の活躍で、さんざんにヘロタイニア人を打ち破った。


 大勢の捕虜になったヘロタイニア人の中に、ニュロミルの姿を見つけたバルバンは自分の財産の大半を差し出して、ニュロミルの一生奉公の権利を買い取った。


 ニュロミルは、深く感謝するが、バルバンは自分の持っている財の大半で、ニュロミルが自分を助けてくれたことと同じだと言った。

 そして、貸し借りのなくなった今こそ、真の友人になれるのだとバルバンはニュロミルに言った。


 その後、キリアスの街で、二人は年老いて神々に召されるまで親友として暮らした。



 この話は、芝居では六幕もので、リファニアの芝居としては比較的短い。とはいっても、三時間ほどかかる。バルバンがニュロミルの冤罪を証明して死ぬ、一時間半ほどの別パターンも、しばしば安価な値段で上演される。


 劇中の以下の台詞は日常でもよく使用される。


「ヘロタイニア人は一人の友人として良き友人だ。ただし、集団になれば最悪な連中だ」

「ヘロタイニア人は一人ではいい人間が多いが、集団になると狡猾で残忍だ。人は個人で判断せよ。集団はその評判で判断せよ」

「リファニア人はリファニアに、ヘロタイニア人はヘロタイニアに」

「義理も恩義も果たしてこそ人として価値がある」




挿絵(By みてみん)




 夏至の頃は、高緯度のリファニアでは太陽が大部分の時間、地平線から出ているために作物がもっとも育つ時期である。

 その日、水やりの農作業を終えたパットウィンは石臼で粗くエン麦を挽いているシュテファを見ていた。


 春に初めてシュテファを見た時は、ただのくたびれた女にしか見えなかったが、貧しいながらもパットウィンと同様の食事を摂りだしてから、幾分、血色がよくなり、やせ細った四肢にも幾分肉がついてきたようだった。


 石臼でエン麦を挽くため、シュテファは身体を前のめりになっていた。粗い麻の繊維の服は胸の下に垂れて、シュテファの体がちらちらと見えていた。 それを見るともなく見ていたパットウィンに向かってシュテファは顔を上げて少しばかり微笑んだ。


 その後のことは、パットウィンは誰かに操られているような感じがした。


 パットウィンは立ち上がると、シュテファのもとにいって、石臼を回すための棒を持っているシュテファの右手を無理に棒から引き離すと、その手を掴んで少しばかり驚いた風のシュテファを伴って小屋に入った。



 気が付くとパットウィンはシュテファの横にいた。シュテファは目を閉じていた。その目の周りには泣いた後があった。


「ご主人様、このような卑賤の女で申し訳ございません」


「すまぬ。このようなことはもういたさぬ。許してくれ」


「わたしは、このような仕事もしておりました故、遠慮なさらないで下さい。ただし、わたしはご主人様のお相手にはふさわしくない女でございます」


「このような仕事?ふさわしくない?」


「はい、ご主人様やご主人様の言いつけた使用人のお相手をしておりました。ですから、ご主人様のような貴いお方の相手など…」


「言うな」


 パットウィンは怒鳴った。


 シュテファは一生奉公の女として、その時の主人に性的な行為をさせられていた。これはパットウィンでも理解できるが、驚いたのはシュテファの主人は使用人の相手もシュテファにさせていたことだった。


 パットウィンは自己嫌悪におちいった。


 性的なことにおおらかなリファニア世界ではあるが、貴族にはそれなりの矜持があった。少なくとも平民の女性を自分の欲望のために犯すということは恥ずべき行為である。

 たとえ相手が女中などの使用人であっても、立場を利用して一方的に行為を迫ることは道義的に許されない行為であるとされていた。


 これは、人権的な思想に基づくことではなく、正反対の身分制度に基づいた思想である。貴族の男が相手にすべき女は、卑しい平民の女ではなく貴族の女であるという矜恃であり思想である。


 その貴族の矜恃を破ったこと以上の嫌悪感をパットウィンは感じていた。それは、パットウィンがシュテファの境遇に同情していたことにあった。そのパットウィンがシュテファを虐げてきた男達と同様の行為をシュテファに行ったのだ。


 ただ、パットウィンはこの後も、シュテファが拒まないことを言い訳にシュテファと数回の行為を持った。そのたびに、これを最後にしようとパットウィンは思った。


 何回目の行為の後でいつも涙を流しているシュテファにパットウィンが思い切って聞いた。パットウィンはシュテファが嫌々ながら自分との行為をしていると感じており中々泣く理由を聞けなかったのだ。


「どうして泣くんだ」


「ご主人様が、お優しいからでございます。わたしに無理なこと強いません。わたしのような女でも慈しんでくださいます」


 シュテファの言うようにパットウィンはシュテファを出来るだけ優しく接しており、「可愛い」「良い匂いがするね」などのように優しい言葉をシュテファにかけていた。


 これは、パットウィンに限ったことではなくリファニアの高位貴族男性の習いである。


 リファニアの高位貴族男性は性衝動が現れる年頃になると、奥女中や家臣の中の経験豊かな中年の未亡人が性についての様々なことを実践で教え込む。

 個人で種々の性癖はあっても、この習慣のために、基本的にリファニアの高位貴族男性の女性への扱いは優しい。


 シュテファの身体には傷がたくさんあった。パットウィンは男達がシュテファの身体をどのように慰んだのかを考えると気が重くなった。


「ご主人様はお優しいございます。ご主人様はわたしのことを、あのことをした後で”売女”とか”淫売”と言ってののしりません」


 そう言ったシュテファをパットウィンはやさしく抱きしめた。


「シュテファ、お前のことが愛おしい」


 パットウィンはシュテファが声を押し殺して泣いているのを、シュテファの頬を伝う涙で感じた。



 夏の盛りにパットウィンは、思い切ってゲラクに自分とシュテファが男女関係を持っていることを告白した。


「あまり悔やんでもしかたないでしょう。あの女は貴方を主人とした一生奉公の女です。このような行為も覚悟の上です」


 ゲラクは、特にパットウィンを咎めるようなことはなく言った。


「もし子ができたのならよろしく頼む…ここで養う自信はない」


 パットウィンはゲラクに頭を下げて頼んだ。パットウィンの後ろのいたシュテファが小さな声で恥ずかしそうに言った。


「わたしは石女でございます。赤子のことは心配せずにご主人様がお望みならば。いつでも抱き下さい」



 このシュテファの言葉と裏腹に、秋の収穫が終わる頃に、シュテファの妊娠が明らかになった。


 ガラクに相談したところ、一生奉公の女で虐待されていると月のものが止まったり、妊娠しても流れてしまうことが多いと言った。シュテファが自分を石女だと思い込んだのは苛酷な境遇のせいらしかった。


 パットウィンは困ったことと思う反面、自分の種がシュテファの中で育っていることに妙な満足感を感じていた。

 この感覚は跡取りを残すことを、最大の目的として教え込まれた貴族としての本能のような感覚である。


 事件は春分の日が近い、新たな年を迎える直前に起こった。


 その日、パットウィンは臨月に近いシュテファが思い詰めたような顔をしていることに気が付いた。パットウィンは嫌な予感がして、なるべくシュテファから目を離さないようにしていた。


 パットウィンはシュテファが、しばらく前から姿を消したのに気が付いたのは、鍬を砥石で研いでいる時だった。

 つい先程まで、まだ何も植えていない畑で農作業の邪魔になる石を拾っていたシュテファの姿が見えない。


 パットウィンはあわてて、死角になっている小屋の裏に回った。


 そこには、シュテファが腹ばいになり、頭ほどの大きさの石にその膨らんだ腹を押し当てている姿が目に入った。


「やめるんだ」


 パットウィンはシュテファを抱きかかえて立ち上がらせた。


「何故、このようなことを」


「ご主人様はわたしめのような卑賤の女からの子を望んでおられません。それに、このような腹になってはご主人様のお相手ができません。

 それにもうすぐ農耕が始まります。わたしがこのような身体ではご主人様のために満足に働くこともできません」


 シュテファは半分泣きながら言った。


「命令する、わたしの子を大切にせよ」


 シュテファはしばらくして頷いた。


「これは命令ではない。シュテファ、わしの妻になってくれ」


 そう言ってから、パットウィンは自分の言葉に驚いた。


「そして、これは命令だ。自分の気持ちでわたしの妻になるか、ならないかを答えてくれ」


「お恨みもうします」


 シュテファはそう言いなり、崩れ落ちてパットウィンの前に身体を投げ出したような姿になった。そして、号泣した。


「何故、恨む?」


 意外なシュテファの言葉にパットウィンは戸惑った。


「わたしのような女がご主人様の妻になれるわけがございません。また、なってはいけないないことでございます。

 どうか、後生でございます。わたしの心を弄ばないで下さい。この身はむち打たれようと、焼き印で印をいれられようが平気でございます。殺されても恨みなどございません。ただ、心を弄ぶのだけはお許しください」


 シュテファは声を詰まらせながら言った。


「わたしは本気だ。シュテファよ。お前のような心根の優しい女は他におらぬ。何もかもなくしてしまったわたしだがもう一度人間らしい生活をお前としたい。

 シュテファ、わたしはシュテファでなければダメなのだ。お前の優しさはわたしの心を満たしてくれる」


 パットウィンの言葉にはウソはなかったが、パットウィン自身は熱に浮かされたような感じでしゃべっていた。


 そして、パットウィンは、急いで小屋に戻ると囲炉裏で燃えていた木と、シュテファが一生奉公の女であるという契約が書かれた羊皮紙を持ってきた。


 パットウィンは、燃えている木の炎で羊皮紙を灰にした。


「さあ、これでシュテファはわたしに一生奉公をする身ではなくなった。自由の身だ。その自由の身のシュテファにわたしはいっしょになってくれと頼む」


「ご主人様は、捕らわれの身。そして、わたししか女がいない中で血迷っておられるのです。どの様な女の方でも、もう一人ここに女がおれば、ご主人様は、きっと、その女をお選びになります」


 少し落ち着いてからシュテファは絞り出すような声で言った。


「シュテファ。自分を蔑むな」


「平民、それもこのような卑しく汚れた身の女が幸せになどなってはいけません」


「シュテファ、今、お前は幸せか」


「わかりません。幸せとはどのようなものでございましょう。飢えることなく食べさえていただき、夜は十分に寝させていただいております。びくびくせずに生きております。きっと、それが幸せというものでございますね。

 シュテファはそれを幸せと感じます。ですから、ご主人様には、すでにシュテファは幸せにしていただいております」


 地面に倒れたままのシュテファはパットウィンを見上げながら言った。


「それも幸せかもしれな。しかし、その幸せは畜生でも得られる幸せだ。一生をかけてでも、シュテファを人間として幸せにする」


 パットウィンは腰を屈めてからシュテファに言った。


「ご主人様」


 シュテファはそう言ったきり、パットウィンの足元に蹲って何時までも嗚咽を繰り返していた。


 ただ、その嗚咽は以前とは違っていることにパットウィンは気が付いていた。シュテファは、声を出さずに泣くのではなく自分の感情を露わにして声を出して泣いていた。

”バルバンの友情”という言葉は、パットウィン(家宰バナゾ・チェレス)が必ず見に行く芝居という形で「第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏 ドノバ連合候国の曙4 ドノバ候の居間」に登場します。読んですぐ気づかれたかと思いますが、聖書にある”善きサマリア人”と”走れメロス”を足した話しです。


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