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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏
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ドノバ連合候国の曙27 舞台裏-シュテファ- 上

 次の年、パットウィンは撒く種の八割をライ麦とエン麦にした。そして、残りを年貢用の小麦にした。奇しくもこれは一般的なリファニアの農家が穀物を播種する時の、割合に等しい。

ドノバ州は地味が豊かであり小麦の割合を半分程度にすることもあるがパットウィンの畑は城の荒れた中庭であり条件が悪かった。


 幸いに、その年の春は天候が比較的順調で芽が早く出て収穫も期待出来そうだった。そんな春のある日、ゲラクが一人の小柄な女を伴ってやってきた。


「今日は、人を連れてきました。あなたも一人だと気が滅入るでしょう」


「本当に、ご主人様であらせられるのですね。なんと神々に感謝してよいか」


 真に嬉しそうにそう言った女は、パットウィンに両膝をついて跪いた。土下座の風習のないリファニアでは最大限の尊敬と謙譲、そして、服従を示す姿勢だった。


 女は二十代半ばから三十代ほどの感じだった。黒髪に近い濃い褐色の頭髪は乱れて長い間、頭を洗っていないような感じだった。


 顔立ちは整っていたが、どことなくすすけたような感じで栄養状態が悪いことが見て取れた。


 ただ、小柄な上に痩せてはいるが頬が少し張っていて丸顔に見えるのはイス人の血を濃くひいているからだろうとパットウィンは思った。

 女は何ヶ月も洗濯をした様子がないつぎはぎだらけの襤褸と言ってもいいような服に使い古した木靴を履いていた。


「ご主人様?」


 パットウィンは戸惑って言った。


「わたしは、ご主人様の台所女中見習いでございました」


 女は両膝をついたまま上半身を深く垂れて言った。


「この者は城が陥落したおりに、捕虜になりました。身寄りがないらしく、あなたが治めていた村で因果を含められて、年貢代わりに一生奉公であなたに仕えていた女です」


 城代のゲラクが女の説明を始めた。


「それは、知らなかった」


 城住まいの貴族が自分の城の台所に行くことなどない。ドノバ候であったパットウィンが女を知らない方が自然である。

 ただし、新しく召し抱えた者は、一度は主人が目通りをするから、相手がパットウィンを見知っていたとしても不思議ではない。


「この女は、あなたの直属の家臣という扱いになったので同じく一生奉公で、フレーレンの街の商人に払い下げられました。そこで下女として働いていたものを、ドノバ候が買い取りました」


 フレーレンの街は、旧ドノバ候の居城に一番近い街である。尚武の気質の高い旧ドノバ家は純粋な城下町というものを持たずに純粋に防衛上有利な丘陵の端に堅固な城を築いていた。

 そのため、居城から二リーグほど離れて場所にあるフレーレンが城下町としての機能を担っていた。


 パットウィンは漠然とフレーレンの街の忠誠を信じていた。ドノバ州全体を統治する、旧ドノバ城に隣接していることで交易上の利益を上げていたからだ。

 そのフレーレンの住民が、破れたりといえ、ドノバ候であった自分に仕えていた女を買い取ったということが不快だった。


 特に女の様子を見れば決して優遇されていたのでないことは明らかだった。


「この女は、あなたが保護してやりなさい。これが、この女の一生奉公の契約書です。最初のあなたの名前は抹消されて商人の名に書き換えられていましたが、また、抹消してあなたの名に書き換えました」


 ゲラクは、そう言って羊皮紙の契約書をパットウィンに差し出した。


「貴方に会った以上、この女はここにいるしか仕方ないのですから」


 そう言うとゲラクは、女を残して去って行った。旧ドノバ候パットウィンが生きていることは最高機密である。それを知った平民女の運命は想像にかたくない。パットウィンが女を拒めば女の命はないだろう。



「名前は何という」


 いつまでも跪いている女にパットウィンが聞いた。


「シュテファ、ヴィクナル(杏、杏の花)・シュテファでございます」


 女は頭を地面に擦りつけんばかりに下げて言った。


 名の前につく卑称にヴィクナル(杏、杏の花)という良い名が付くのは、この女が幼少の頃から虐げられてきた証拠である。一般にはリファニアでは、神々の嫉妬を免れるために名の前に卑称を付けて難を逃れる。


 卑称によい意味の言葉を選ぶのは、その良い意味の名を持った子に災厄を集めて周りの子を守るためである。富裕層が捨て子を貰い受けて、そのような行為をすることがある。


「歳は幾つだ」


「今年で二十になりました」


 パットウィンは、聞き違いかとも思った。どう見てもシュテファは三十手前のような感じだったからだ。シュテファという女は余程の重労働を小さなうちから強いられていたに違いなかった。


「よく聞こえん。頭を上げて答えよ」


 パットウィンはそう言ってシュテファの顔を上げさせた。パットウィンはこのあたりの、やり取りを数年間ドノバ候をしていたおりに身につけていた。


 パットウィンは暴君でもなければ、暗君でもない。目下の者に対しても心遣いのできる君主だった。ただ、ドノバ候としての威厳や習いを媚びへつらいから声高に言うのもはいても、君主がすべきことを教えてくれる者がいなかったのだ。


「親はなんと申す」


 パットウィンは、自分の顔を見ているシュテファに聞いた。


「親はおりません。生きているかもしれませが居所はわかりません。ただ、親の名は忘れないように憶えております。

 わたしの親は流民でございました。それで、わたしは幼い頃に幾ばくかの金で村長様の家に下女として売られました」


 リファニアでは流民とはかなり広い意味を持つ。


 一番多いのは耕作地から逃亡した農民である。常に数万の逃亡農民がリファニアを流浪している。彼らは、自分を受け入れてくれる、農村共同体や開発領主を求めてリファニアを彷徨っている。

 

 これが本来の流民でありあってはならない不法な存在である。


 ところが中世社会では定住者以外は流民の如き者として軽んじられ、流民と呼ばれる一群の人々がいる。


 まず一ヶ所に定住せずに各地を回って生業を行う者がいる。 


 旅回りの一座や行商、露店で鋳掛けなどの技術を提供する者である。また、素材を得るために各地を回る木地師や養蜂を行う者もこの範疇に入る。


 これらの者は一年の大半を旅で過ごすが、冬季は家屋のある本拠地に帰る。帰るべき場所のある流民である。


 次に天涯孤独か家を飛び出して傭兵稼業を行う者がいる。傭兵は武芸が出来なければならないが、傭兵団で雑役を行うような者や流れの巫術師もこの範疇である。定住する家、帰るべき故郷もない者が多いが稼ぎはいいグループである。


 それから現在の祐司のような一願巡礼を頂点とした巡礼者がいる。神殿から公式に認められた一願巡礼は一目置かれる存在であるが、ほとんどの巡礼は木賃宿に泊まるか野宿をして長期の旅を行う。底辺の巡礼となると物乞いと区別がつかない。


 最後に、故郷で食い詰めた者、共同体から何らかの罪があるために追い出された者がいる。職人であれば、最初のグループに入ることもできるが、定住して初めてその技能を発揮できる農民は、農繁期に臨時に雇ってもらうか。物乞いをするしかない。


 シスネロスやヘルトナのような都市は、外部からの物乞いなどは容易に入ることは出来ないために、家族で物乞いする姿は農村部で多く見られる。


 そのような物乞いが子を持て余して、売るという話は珍しいことではない。


 シュテファの話からすると親はこのグループだと思われた。


「わたしの信者証明でございます」


 シュテファは両手で千切れそうになるくらいにボロボロになった信者証明を差し出した。主人が代わるときに信者証明を示すことは習いである。


 パットウィンはその信者証明を受け取った。


 それによると、シュテファの本名はヴィクナル(杏、杏の花)・シュテファではなく、マリト=バレーゲ(小さな毒蛾)・シュテファ・ハレ・ゲニャルナ・マナ・ディ・ドノバだった。ヴィクナル(杏、杏の花)という名は売られた時についた通り名のようである。


 パットウィンが気になったのは、マリト=バレーゲという卑称である。バレーゲは毒蛾であるが、見方によっては美しい蛾である。卑称に微妙に尊称ともとれる名を付ける習慣は郷士階級に見られる。


 パーヴォットの卑称がローウマニ(薄ノロ、古語でおぼろげな光、転じて優しげな光)であることもこの例である。


 そして、マナという変わった家名に覚えがあった。読みにくくなっていたがシュテファの父の名は、マシューバニ・レ・ゲニャルナ・ハル・(欠損部分)・マナ・ディ・ドノバとあった。


「お前の一族の長はなんという名だ。もしくは祖父の名だ」


 パットウィンは、ふと思い出したことがあってシュテファに聞いた。


「メガガレ・ファネルナでございます」


 その名を聞いてパットウィンは十数年ほど前にあった一揆騒ぎを思い出した。まだ、パットウィンは子供であったが、ガガリナ子爵領のマナという地区で一揆を計画して武器を隠し持っていたという嫌疑でかなりの人間が土地を没収されて所払いになった。


 首謀者のファネルナという在地領主であった郷士は斬首になった。その首は反逆者を処罰した印としてドノバ候に届けられた。

 子供であったパットウィンはその首をおっかなびっくりで見たこと、首の主の名がメガガレ・ファネルナという不忠義者だと父親に教えられたことで記憶に残っていたのだ。


 二百年ほど前から各地の大領主は次第に地の土地持ち郷士への支配を強化していた。もともと、地の郷士というのは領主の家臣ではない。自分の土地に対する支配権を認めてもらうかわりに臣従しているに過ぎない。


 土地持ち郷士は地域の地主であり、名家でもあり地域の住民を擁護するという意識が強かった。

 そのため、自分の領地のように無理難題をつきつけてくる領主への反発は強く、また領主による地の郷士への弾圧事件は多発していた。


 この状況は、日本の戦国時代に戦国大名が、かつては同輩であった、もしくは双務的な関係にあった国人をしだいに家臣として取り込み支配していった状況に近い。

 数十年ほど前となると大方の中小領主は潰されるか取り込まれて大領主の支配下にあった。シュテファの一族の場合は独立系零細領主の生き残りが取り潰しになった末期の例である。


 ともかく、パットウィンはシュテファの一家が反逆者として土地を追われた者だということはわかった。郷士であった者が反逆者の親族として土地を追われれば誰も相手にせず、もとから自分の才覚で生きていくすべもない。


 多分、シュテファが生まれるか生まれない頃に、祖父が反逆者の汚名を着せられて、一族は没落したに違いない。

 本来ならシュテファは有力な地の郷士の孫娘として、”花よ蝶よと”と育てられてたことだろう。それが食い詰めた親によって物心もつかないうちに、一生奉公に出されたに違いなかった。


 どうもシュテファはそのことを知らないか認識していないような感じがした。知っていれば自分の身に起こっているあまりに理不尽な出来事に、シュテファは耐えられなかったに違いないとパットウィンは思った。



「しかし、どうやって食っていけばいんだ」


 信者証明のおかげでシュテファの身許はわかったが、今は何の意味もないことである。パットウィンは、途方にくれたように言った。


「ご主人様、ゲラク様がわたしを買い取るときに予定より安く買えたので残りの金で、大麦を買いました。その大麦が正袋で二袋と小袋で一袋ございます。それは、ご主人様の物です」


 リファニアでは、およそ七十リットルの穀物が入った袋を正袋せいたいと呼んでいる。年貢を納める時の基本的な単位であり、正袋二袋で成人一年分の穀物を見なされている。


「その大麦はお前の物だ」


 パットウィンの言葉にシュテファは困ったような顔をした。一生奉公という名の奴隷に限りなく近い状態しかシュテファは知らないのだ。


「よし、お前の持ってきた大麦とわたしの穀物を合わせて二人で食べる。いいな」


「はい」 


 シュテファは、パットウィンが言ったことは命令だと解釈した。それに逆らうような選択肢はシュテファは持っていなかった。


 パットウィンは取りあえず、自分が使っている小屋の横に板を立て掛けて、その上から穀物を乾燥させる時に使っている大きな布を乗せてテントと掘っ立て小屋の中間のような物を作ってシュテファの寝場所にした。


「秋には二人分の収穫を得ないと」


 パットウィンは難問に対する答えを探した。


 そこで、シュテファが持ち込んだ大麦の小袋を播種することにした。元から、ガラクの企みか小袋の大麦は脱穀されていなかった。

 ただし、大麦を播種すると言っても新たに土地を耕作する手間から始めなければならなかった。


 石の多い荒れ地をパットウィンは、シュテファと一緒に寝る間も惜しんで開墾した。開墾と言っても碌な道具もなく家畜もいないために、大きな石を掘り出しすことしかできなかった。ただ、シュテファは農村の出と言うだけあって作業は手慣れていた。


「ご主人様、この鋤で耕しましょう」


 大方の石を除いて、耕すだけとなった状態の時にシュテファは家畜が牽く鋤を指さして言った。

 鋤はパットウィンが与えられた農具の中にあったものだ。ただし、家畜もおらず使い道がなかった農具である。


「これは家畜用の鋤だ。馬も牛もいないぞ」


 パットウィンは驚いて大声で言った。


「わたしが牽きます」


 シュテファは事も無げに言った。家畜用の鋤は小型の物ではあるが、数十キロほどの重さがある。


「鋤を牽くのは良い考えだが、牽くのは、わたしがした方がいいだろう。わたしの方が力がある」


「いいえ、わたしは鋤を牽くのは慣れております」


「このような物をお前は牽いていたのか」


 パットウィンは小柄な女が言うことを訝しげに聞いた。


「数年前、お城に上がる前に村でしておりました」


 パットウィンは愕然とした。話には貧窮者が家畜用の鋤を牽くという話は聞いたことはあるが、シュテファがそのような仕事をしていたとしたら十代半ば位のことになるからだ。


「はい。ご主人様が後ろで鋤を押さえて下さる方がよろしいかと。わたしですと身が軽すぎて上手く押さえることができません」


 そう言われればもっともなことであるので、試しにパットウィンはシュテファに鋤を牽かせてみた。流石にどんどん牽いて行くというわけにはいかないが、一歩に満身の力を込めてゆっくりゆっくり前進した。


「どうしたらそんな力が出るんだ」


「力でも体重でもございません。力を入れるコツでございます。馬や牛はそれがわからない畜生でございますから無駄なことをしているのでございます」


 シュテファはコツと言ったが、荒い息の中から絞り出すように説明した。



 シュテファは農作業以外も器用だった。靴や服の補修、洗濯、調理と一通りのことは無難にこなした。


「シュテファ、働きすぎるな少しは休め」


 いつ見ても何かしらの仕事をしているシュテファにパットウィンが声をかけた。


「小さい頃から、このようにして暮らしております。休んでいたら何かよくないことがおこるような気がします」


 シュテファは石臼を挽きながら答えた。


「たまには一刻休んで昼寝をしろ」


「はい、ご命令とあれば従います。ここはご主人様しかいませんから安心でございます」


 そうは言ったがシュテファは石臼を挽く作業を止めなかった。


「どういうことだ」


「はい、わたしは色々な人に仕事を言いつけられました。ある人の言いつけをきいていても、別の人が違う事を言います。そして、最後にはどちらかの人にぶたれました。

 ここにはご主人様しかおりませんので大層気が楽でございます。どうぞ、仕事をお言いつけください。のろまでございますが一生懸命いたします」


 余程、理不尽な目に会い続けていたのかシュテファは嬉しそうに言った。そして、シュテファはのろまなどではなく、後先を考えて手際よく作業することにも長けていた。


「シュテファよ。お前はのろまではない。それどころか、かしこい娘だ」


 パットウィンは優しげな声で言った。シュテファは石臼を回す手を止めて下を向いた。


「どうした」


「わたしを褒めてくださったのはご主人様が初めてでございます。ご主人様のご期待を裏切らぬように精一杯いたします。どうぞ、わたくしめをここにおいてくださいませ」


 シュテファは泣いているのか、下を向いたまま途切れ途切れに言った。


「シュテファ、それはわたしがお願いすることだ。このような囚われの身のわたしは、お前に報いてやることができない。もどかしく思っておる。許せ」


 パットウィンは心から思っていることを口に出した。


「もうお止めください。身に過ぎたる言葉でございます。のろまでなかったら、石臼を回す手を止めたり致しません」


 シュテファは顔を上げると元気よく言った。シュテファは勢いよく石臼を挽き出した。

顔には涙の後が残り、かなり泣いた様子だった。シュテファは下を向いている時に声一つ出したりはしていなかった。


 パットウィンはシュテファは泣くことさえ許されなかったに違いないと思った。


 パットウィンは酷い目に遭い続けてきたシュテファが何故にも純真で、気立てがよい娘になったのか不思議な気がした。 



挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)


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