”小さき花園”の女10 いわゆる聖女 下
夕食の時間を挟んで、再びスヴェアは話を始めた。
「ユウジよ。この過酷な世界に招き入れすまぬ事をした。ただ、我らの唯一の希望はユウジなのだ。今、一刻我の話を聞いてくれ」
スヴェアは何か言いたそうな祐司を制した。
「我が夫イェルケルと我は、我らが滅びの道を進んでおると確信したころに、巫術の中心地ともいうべきリファニアに至った。
そして、この地を見つけたのだ。かつてこの地にはボウラという都市が栄えておった。しかし、都市の支配を巡って巫術師達の激しい戦いが行われ、ボウラは滅んでしまった。
その戦いの時に生み出されたのが”迷いの森”であり、祐司が見た”岩の花園”の怪物どもだ。そのため、この地は誰も足を踏み入れることのない呪われた地となった。
しかし、我らはこの地に希望を託した。かつての争いのさなかに、異界から大いなる巫術師を招こうとした者がおり、半ばその異界への門を開けることに成功したという伝承があったからだ。
そして、我らはこの地に至り、この世界を救える者を招くことができることを知った。
なぜかは祐司には説明できん。わかったとしか言いようがないのだ。しかし、どのような世界から、どのような力を持った者を招くことができるかはわからなかった。
イェルケルと我は巫術の限りを尽くして”迷いの森”と”岩の花園”の怪物どもを制御した。確かに異界への扉は存在した。巫術の成果と言うより多分、偶然の産物で不安定なものだった。
ユウジは知っておるな。ユウジの出現から間もなく岩で門が閉ざされたことを。門とは本来岩の中にあるのだ。
その門の向こうに来た人物を招き入れるためには、常に門の近くにイェルケルと我のどちらかがいて、巫術で空間を空けておき、さらに巫術でこちらの世界に誘導する必要があった。
イェルケルと我は話し合って、イェルケルは”岩の花園”に、我は麓でイェルケルの生活を支え、この地に侵入する者を防ぐことになった。そして、他の者に悪用されぬように”岩の花園”を封印した。
異なった理の異界から、人間を招くことは命がけで、多分、命を落とす可能性が高いこともわかっておった。イェルケルがその役目を譲らぬことも承知しておった。
我らは今生の別れを惜しんでから百五十年近い年月を待っておったのだ。イェルケルが命を落とした場合は、その人間は一人で”岩の花園”を降ってこねばならぬ。しかし、それができぬような者では、この世界を救う術などもたぬことになる。
ユウジを初めて森で見た時は嬉しかったぞ。ただ、我も未練で少しばかりイェルケルの姿を探したがな」
スヴェアは少し寂しそうな顔をしたが祐司は気がつかないふりをした。
「何か質問はないか」
スヴェアは、あらたまって祐司に言った。
「一番聞きたいことを聞きます。僕は何をすればいいのですか」
祐司はわざと元気よく尋ねた。
「この世界を見てきて欲しい。ユウジの力で巫術、”空の割れた日”のエネルギーとやらをできるだけ減らして欲しい。自然を悪化させるような巫術を使う者を少しでも減らして欲しい。
全ての”空の割れた日”のエネルギーがなくならずともよい。今より事態が少しましになり、我らの文明が進歩してこの事態に対処できるために時間稼ぎができる程でよいのだ。
ユウジの持って来た水晶を使えば、我も同様のことができようが、我では、この地のどこに巫術の力が溜まっておるかが見えぬ」
スヴェアはここで言葉を句切った。
「この”迷いの森”の地に宿る巫術の力は豊富だ。それゆえ、それを手なずけておく手間がいるのだ。それを怠れば、どのような天変地異、すなわち嵐がいつまでも続いたりするようなことが起きかねないのだ。
イェルケルが、この地を安定させる業の多くを担っていた。しかし、それが叶わぬ今は我がするしかない。今となっては、数日ほどしか、我はこの地を離れることはできぬ。
そのために、ユウジに苦難をかけるがこの地を見てきて欲しい。巫術の力を減らして欲しいのだ。
正直に言う。ユウジを元の世界に戻すのは我の力では足りぬ。元の世界に戻すことは無理に異界に呼び寄せるよりは易しいが我も年老いた。
ただ、”空の割れた日”のエネルギーが減れば、この世界とユウジの世界の段差が低くなり、我の力でもユウジをもとに戻せる」
スヴェアはじっと祐司の目を見た。
「何十年もかかったら?」
「心配するな。ユウジは異なった理の外の存在だ。最近気がついたことはないか?」
「そうなんです。髭が伸びなくなりました」
祐司は自分の顎をさすりながらいった。
「ユウジの体には異なった時間はゆっくりとしか作用しない。最初は時間の方も混乱しておったようだが最近落ち着いてきたな」
「あ、だから以前、素早く動けるようになったんじゃないかって聞いたんですね」
「ああ、素早く動けるというのは間違いだった。時間の理はユウジの言う新陳代謝というものに影響しておる。だから寿命ははるかに延びておる」
「でも、帰ったら白髪のおじいさんで浦島太郎だ」
祐司は言ってから浦島太郎の話をしなくてはならないなと後悔した。
「心配するな。ユウジがこの世界にきた場所、時間に帰れる。全ては何事もなかったことになる。ただ…」
「ただ?」
「問題は我の方の寿命だ。術を解く」
スヴェアは小声で何かを唱えた。フィルムのコマが入れ替わったような感覚だった。
目の前の三十歳前とおぼしきスヴェアの姿は消えて、そこには、スヴェアの面影がある老婆が立っていた。
頭を覆った白髪、少し色が濃くなった肌、窪んだ頬、口や目の周囲に刻まれた皺から七十代の女性のようだった。
「これが本来のわしの姿だ。何時まで生きれるかはわからぬ。術の力も落ちてきておる。わしの力が残っているまでに帰ってこい。
巫術の理の一端でも、わかれば効率よく巫術を使えるだろう。そのためには、”太古の書”の研究が欠かせない。
我は約束する。ユウジを元の世界に戻すと。ただ、”太古の書”によってユウジの言う科学的知見とやらがもう少しつまびらかになれば我の力が衰えようがユウジを確実の元に世界にもどせよう。そのためにも”太古の書”の研究は続けて欲しい。
わしの力が尽きかければ、どこに居てもユウジはわかるだろう。その時は、できるだけの努力はするからすぐに帰ってくるのだぞ」
きょとんとした顔の祐司にスヴェアはかまわず言った。
「なぜそんなことが僕にわかるんですか?」
祐司はようやく頭に入ってスヴェアの言葉の後半に持った疑問を聞いた。
「ユウジは我と交わっておっただろう。この力は巫術ではない我の独自の力だ。この力のおかげで手紙以外にイェルケルと深く結びついておったのだ」
スヴェアは憂えたような笑い顔で言った。
祐司はスヴェアの笑い顔は確かにあの時のスヴェアの顔であると確信した。
「あのー、ひとつ聞いていいですか」
「何だ?」
「僕がなにかしらそのですね」
「ユウジよ。お前は若い。長い旅では女と交わることもあろう。ただ、我が心配するほどのことは控えることだ」
「やっぱりわかるんですね」
とほほな口調の祐司だった。
スヴェアは微笑んだ。そして後光は今までになく光り輝き部屋全体を包むようだった。
祐司は絵画に描かれた聖女を思い出した。そして、祐司はやっぱりスヴェアは綺麗だと思った。
「大事な質問が二つあります」
「二つだな」
祐司はかなり間を置いてから聞いた。
「一つ目は僕以外にこの世界に招かれた人間はいるのですか」
スヴェアは言葉を選ぶようにゆっくり答えた。
「確かなことはわからぬ。我は存在したと思っておる。かつて”迷いの森”の中にボウラという街があったと言ったな。その街の巫術師が異界の者を召還しようとした。召還に成功したという伝説もある。
しかし、我が彷徨ったどの場所にも、そのような者は居らず。近い昔にもいたという話も聞かなかった。
ただ、太古の昔には異界からやって来た者がいたという話は各地にある。この伝説についての研究はまだまだ足りぬ」
まだ、何か聞きたそうな祐司にスヴェアは、はっきりした口調で言った。
「我が言えるのはそれだけだ」
「二つ目の質問です」
更に間を置いて祐司は言った。
「僕が巫術の力を大地から吸収して消し去ったとします。でも、何十年リファニアを彷徨ったところで、全体から見れば極々僅かなものでしょう。
しかし、それで、今の自然の均衡が破れないとも限りません。その結果、天変地異が起こるかもしれません。それでも、いいのですか」
スヴェアは迷い無く返事をした。
「その天変地異はもとの状態に、この世を戻していくだろう。祐司の世界のような肥沃で温暖な土地がこの世界よりもずっと広大に広がる世界に」
「リファニアは氷の下になりますよ」
祐司の言に、スヴェアの返答は揺るぎがなかった。
「それには、何十年、あるいは百年の単位がかかるだろう。巫術を捨て物を造り、大地を耕す術を発展させて、最後には肥沃で温暖な地へ移り住めばよい。千年の時で見ればその方がより多くの人が豊かな生活を得て幸福になる」
スヴェアは祐司の目を見つめて、命じるように言った。
「世界は破壊されてこそ、建設されるのだ」
「私はリファニアにとってはシヴァ神(ヒンドゥー教の破壊神)ですか」
そう言い返した祐司は、スヴェアが部屋で休むように言うまで押し黙ってしまった。
次の日、スヴェアは術をかけ直して祐司の見知っている容姿になると去年と同じように薬草や燻製肉を積んだ馬車を引きながら出かけた。やはり十日ほどしてスヴェアは戻ってきた。
去年と異なっていたのは荷の少なさだった。薬草は去年よりはるかに多く収穫したり採取したのに対価は去年の半分ほどの量もなかった。
「今年の収穫は去年にもまして厳しい。飢餓が起こるだろうな」
祐司にライ麦の袋を場所から降ろさせながらスヴェアは重い口調で言った。
「今年の冬はこれで足りますか?」
祐司が心配そうに聞いた。
「春の山賊崩れの残した食糧もまだ残っておるし、手持ちも食い延ばせば数年分の蓄えはある。また、狩猟も控えめにしておるから去年のようにオオカミの群れが迷い込んでこなければいつでも十分な肉が冬も獲れる。
食糧が少なかったのは、これに替えた分もあるからな」
スヴェアは馬車から革袋を持ってきて祐司に渡した。
「中を確かめろ」
袋の中には、直径が2センチほどの銀貨とおぼしき丸い金属板が八つに、これも明らかに貨幣とわかる二センチほどの直径の銅板が十枚入っていた。
「ユウジの路銀だ。あと金貨の蓄えがあるからそれも渡そう。ただ、金貨はいざという時に使いにくいから幾らかの銀貨と銅貨を手に入れた」
「この銀貨は重さで取引するんですか?」
祐司は見慣れない銀貨を手に持ちながらスヴェアに聞いた。
「ああ、正しくはそうだ。それほど傷がなければ銀貨一枚は銅貨六十枚の価値で重さを量らずに通用する。ちなみに、小金貨は銅貨七百二十枚分の価値。大金貨は小金貨十二枚の価値がある」
その冬は祐司は翌春の出発のためにさらに剣の修行に励むと共に長槍の稽古もスヴェアにつけてもらった。たった一人で広大な世界を旅するには手数の多い方がよいと思ったからだ。
加えて祐司は旅人が常備してちょっとした狩猟と護身用に使うという小型の弓をスヴェアに作り方から使用法まで指導してもらった。祐司の放つ矢は最初から早く飛ぶために、その動きに慣れていない獲物や敵には大きなアドバンテージがあるはずだった。
長い夜には、祐司はこの世界の概略をスヴェアに教えてもらい、また、祐司は自分の知識をスヴェアに教えた。
春が近づくとスヴェアは四枚の手紙を祐司に渡した。
「一枚は我が秋に取引するヨスタという者への手紙だ。ただし字を読むのはもう一つなので、我の著名と一言だけだ。商人だから数字は読める。話はつけてあるからそれを見せればよい。まず、ヨスタを頼って、向かうべき場所を相談しろ。
二枚目は、祐司が最初にたどり着くアヒレス村の神官ナチャーレ・グネリ・ハレ・アストへの手紙だ。ただし、必ず見せる必要はない。祐司が困った時か、あるいは相手が困っていたら見せるとよい。
ナチャーレ・グネリが助けを求めたら出来るだけ親身に助けるのだぞ。
ナチャーレ・グネリにはユウジの紹介状を書いて貰うように頼んである。リファニアでは、まっとうな旅人なら紹介状は必ず持っておる。くれぐれも忘れるでないぞ。
三枚目は我が弟子マレーリ・ラディスラ・ハレ・コルネリへの手紙だ。巫術の力はそれなりのものだったから二百年以上生きているならリファニアのどこかにいる。会うことができれば師匠の要請だから必ず助けてくれる。
四枚目はベルンハルド将軍への手紙だ。我も二百年まるまるここにいたわけではない。世の情勢を知るために数回留守にしたことがある。最後に出かけたのは三十年前だ。
その時に病の子を助けた。親はいたく感激していつかは恩を返そう。できぬならこの子自身に返させようとしつこく言うので一筆取った。
その子は今は出世してベルンハルド将軍と名乗っておる。少なくともラディスラ捜索の労くらいは取ってくれるだろう。
ここで、しかと言っておく。マレーリ・ラディスラの探索については、ベルンハルド将軍以外の人物に頼ってはならぬ。話すことも避けるのだ」
スヴェアは少し沈黙してから言った。
「ベルンハルド将軍に会う時の注意を教えよう。そして明日から我の出来る巫術を全て祐司に見せよう。このリファニアでどのような巫術が行われているか憶えておいてもらいたい」
旅の準備は残り少ない冬の間に着々と進んだ。
冬は盛りを過ぎて太陽が再び地平線から姿を現す季節になった。




