ドノバ連合候国の曙25 舞台裏-パウティス-
捕らえられた僭称ドノバ候パウティスは、ドノバ候公邸とされているシスネロス市の最北端にある城塞の一室に監禁されていた。
部屋は日本で言えば十畳ばかりの広さで、中庭に面してはいたが南に大きな窓がある気持ちの良い部屋だった。
部屋には清潔なベット、机と椅子があった。食事は捕虜や囚人の食べるようなものではなく、それなりに贅を尽くしたものが出されてていた。
シスネロス市の高官や、ドノバ候の家臣から何度が尋問めいたことを受けていたが、その時も、相手は敬語を使っていた。
「死刑でしょうな」
僭称ドノバ候パウティスは、初めての尋問が終わった時に、そう呟いた。
リファニアでは、身分の詐称は罪が重い。モンデラーネ公陣営にいた時は、ドノバ候を名乗り、その署名で書状も発給していた。リファニア王に認められていないドノバ候を名乗っていたことで、正式なドノバ候から告発されて処罰されてもおかしくは無かった。
僭称ドノバ候パウティスは、捕まってから、皮肉なことにドノバ候に叙任されるという夢想から醒めていた。
思い起こせば、若い頃に、王都タチで商人の娘と結婚して、亡くなったとはいえ子までなしていた。
ドノバ候叙任を夢見て旅に出なければ、商人の道に進んだにちがいない。そして、王都で、旧ドノバ候の嫡子という名を背負って殿様商売で暮らせた筈である。
また、二度目の妻を亡くして、二人の子供と暮らしているときに、モンデラーネ公の誘いに乗らずにいれば、田舎の名士として、それなりの老後を送れたはずである。
その夢想の結果、最初の子は早世し、妻には去られた。二度目の結婚でできた男子は、モンデラーネ公軍の演習で若くして死んだ。まだ、娘がいるが、モンデラーネ公領で一人寂しく暮らしているはずである。
父親が捕まってしまった娘に、モンデラーネ公が価値を見いだすことはないだろう。そのまま、娘は放り出されるかもしれないと僭称ドノバ候は、そう思うと心が締め付けられた。
「わたしの人生は、まったく無駄だったと思います。何も生まず、何もせず、ただ、ドノバ候の嫡子であるという名だけで、人にたかって生き延びてきました。ここらで、その年貢を納める時かと思っています」
最後の尋問の時に、僭称ドノバ候パウティスは諦観したように言った。そして、僭称ドノバ候パウティスは、相手が自分をドノバ候と呼ぶことに耐えられなくなり、嘆願するように言った。
「これからは、パウティスと言う名でよんでください。わたしはドノバ侯爵でもなんでもないのですから」
最後の尋問の翌日、パウティスは正装を着用したドノバ候家臣数人の訪問を受けた。
「パウティス様、このお召し物にお着替え下さい。ドノバ候に謁見していただきます」
パウティスは言われるままに高位貴族が正式な場で着用する豪華な衣服を身に纏った。服を着替えたパウティスが案内されたのはドノバ候公邸の客間だった。
「どうぞ、お入りください」
ドノバ候の家臣はそう言うと、自分たちは客間に入ることなく下がっていった。
客間に入ったパウティスに目に入ったのは、パウティスと同様の正装を纏った四十代後半と思える威厳のある人物だった。その人物の横に椅子はあったが、パウティスが入室した時は立って出迎えた。
パウティスはその人物が、ドノバ候であると直感で感じた。侯爵というリファニアでも二十余名しかいない高位貴族、そして、それを長らく務めてきた人間だけが発する雰囲気がパウティスにも感じられた。
その雰囲気を感じるだけでパウティスは、ドノバ候と名乗ってきた自分が惨めになり、ひどく打ちのめされるように感じた。
部屋の中にドノバ候と思える人物以外には、痩身の背の高い老人と、三人の護衛と思える若い男がいた。
ただ、三人とも兵士姿ではなく、正装を着用して儀式用とも思えるような短剣だけを腰に下げていた。そして、控え目にしているが妙齢の若い女性がいた。
「わたしが当代ドノバ候であるボォーリー・ファイレル・ジャバン・ハル・ホデーンです。もう一人のドノバ候に会えるとは思ってもいませんでした」
ドノバ候は賓客を迎えたような丁寧な口調で言った。
「ドノバ候ジャバン殿、お戯れを。わたしは、ドノバ候と呼ばれることは辱めであることにようやく気が付きました。どうか、お情けがあればパウティスとお呼びください」
パウティスは顔から火が出るほどの恥ずかしさと、言いしれぬ劣等感がこみ上げてきた。
「それは、悪かった。しかし、パウティス殿、貴公とワシは又従兄弟ではないか。多少の軽口は許してくれ。人智の及ばぬ神々の御意志で、今まで会えなかったのが残念と思っていました」
ドノバ候は軽く会釈してから言った。ドノバ候の態度はパウティスを同格に扱う態度である。
「パウティス殿、わたしの子供達を紹介しよう」
「ドノバ候長子エーリーでございます。バンジャ・レ・バガラン・エーリー・ハル・ジャバン・ホノビマと申します」
「同じく次子ロムニスでございます。デヴォー・ゲネウニ・ロムニス・ハル・ジャバン・ホノビマと申します」
「庶子のバルガネンでございます。ハヤル・マキ(認知された庶子の称号)・バルガネン・ハル・ジャバン・ホノビマと申します」
正装を着用していた若者が次々と自己紹介をした。
「バルガネン?近衛隊の戦車隊長ですか。バナジューニの野では奮戦されましたな。わたしは敗軍ですから、かえって、あなたの働きの大きさがよくわかります。ドノバ候は勇敢なご子息を持たれた」
ひときわ体格に恵まれた若者にパウティスは声をかけた。
「いいえ、わたしは近衛隊の戦車部隊の指揮を行ったに過ぎません。近衛隊を率いていたのは兄のロムニスでございます」
バルガネンは少し頭を下げて言った。
「わたし達が後顧の憂い無く戦えたのは長兄エーリーがシスネロスで全体を把握していたからです」
エーリーはバルガネンの言葉に微かに頭を左右に振った。
ドノバ候の三人の息子達はいずれもが謙虚な性格であることが、パウティスにも見て取れた。
「子というのは、何ものにも代え難い宝です。ドノバ候はいいご子息を持たれた。また、そのように薫陶して育てられたのでしょうな」
パウティスは早世した息子とモンデラーネ公親衛隊の演習で事故死した息子を思い浮かべながら言った。
「息子らは頭や剛胆さはやっと人並です。本当に切れるのはこの子です」
ドノバ候は微笑みながら、息子達の後ろに控えていた令嬢を手で招いた。
「ドノバ候長女のグテナン・マレンカ・ベルナルディータ・ハレ・ジャバンでございます」
ベルナルディータと名乗った令嬢は、リファニアの高位貴族の令嬢の中では、とびきり器量よしではないが、その鈴のような声にはいい知れない知性が感じられた。
「美しいお嬢様だ。わたしにも同じような年の娘がおります。同じホノビマ家の血筋は争えません。わたしの娘にどことなく雰囲気が似ております」
パウティスはモンデラーネ公のもとにいる唯一の生存している子である娘のリューディナのことを思わずにいられなかった。
「親ばかで言います。このベルナルディータと雰囲気が似ているとなると大層聡明なご令嬢なのでしょう」
ドノバ候は大層機嫌のよい声で言った。
パウティスは親戚の挨拶のような会話が、急に馬鹿らしくなった。そして、哀願するようにドノバ候に言った。
「ドノバ候、存分にお裁きをお願いいたします。貴方だけが使える名を語りました。どのような罰でも受け入れます。弁明もいたしません」
「罰?弁明?はて、なんのことですかな」
ドノバ候は目を大きく見開いて言った。
「ここに、呼び出された理由に、それ以外のことがあるでしょうか」
ドノバ候の言葉にパウティスは少し怒気を含んだ声で言った。
「あります。パウティス殿、貴方を驚かすことが二つと、貴方にお願いが一つあって来て頂きました」
ドノバ候の目は悪戯っ子のように輝いていた。
「驚かすことと、願いですか?」
高位貴族にしては茶目っ気の強いドノバ候のことをまだ理解していないパウティスは戸惑った様に言った。
「では、最初に驚かすことから」
ドノバ候はそう言うと右手を挙げた。すると、ドアが開いてパウティスの良く知っている人物が入ってきた。ドノバ候が声を発しなかったことから外部から今いる部屋は監視されているようだった。
「ファブリス!お前も捕まっておったか」
パウティスは入ってきた男に嬉しそうに声をかけた。その男はパウティスが最も信頼する家臣のファブリスだった。バナジューニの野からの逃避行の途中、ファブリスはモサメデス川渡河のおりに行方不明になっていた。
「いいえ、捕まっておりません」
ファブリスは深々とパウティスに礼をすると意外なことを言った。
「この者は、わたしの配下です。正確には間諜を束ねる者の腕利きの配下です」
ドノバ候は淡々とした口調で言った。
「そうでしたか」
パウティスは間を置いて力なく言った。
「パウティス様、任務とはいえ、謀っておりましたこと重々お詫びいたします」
ファブリスはまた頭を下げて心底すまなそうに言った。
「ファブリス、別にお前を非難はしない。乱世では当たり前のことだ。それを見抜けなかったワシが能なしというだけだ」
パウティスは諦観したように言った。
「では、次の驚きを。ただし、話は長くなると思います。さて、皆で座ろうか」
ドノバ候はそう言いながら、ファブリスに手で合図をした。ファブリスは頭を下げながら後ろ向きで客間を退出した。
それを見計らったように、ドノバ候の娘のベルナルディータが部屋の隅にあるテーブルに置いた大ぶりのカップにこれもかなり大きなポットからハーブティーを注いだ。
「このポットには氷が入っております。冷たいハーブティーをどうぞ」
ベルナルディータは最初に注いだカップをパウティスの近くにある椅子のサイドテーブルに置いた。そして、パウティスに椅子に座るように手で促した。パウティスは勧められるままに椅子に座る。
部屋の真ん中にはテーブルはなく人数分置かれた椅子にそれぞれサイドテーブルが置いてあった。いつの間にか、その椅子にドノバ候以下の家族が座っていた。
「ご令嬢手ずからとは痛み入ります」
パウティスは恐縮して言った。貴族の令嬢が客を自ら歓待するのは最高のもてなしである。ベルナルディータはにっこり笑うと、ドノバ候と兄たちにも冷たいハーブティーが入ったカップを配った。そして、いつの間にか座っていた痩身の老人にもカップを渡した。
「子供らも、今からする話は正確には知りません。良い機会ですからいっしょに聞かせてやりたいと思います。この話はホノビマ家では門外不出の話です。幸いここには親しき身内の者しかおりません」
ドノバ候は上手そうにカップからハーブティーを一口すすると宣言するような改まった口調で言った。
「この者は?」
痩身の老人の方を見やってパウティスが聞いた。
「わたしの家宰でありますバナゾ・チェレスです。今は後進に実務を任せておりますが、長らくドノバ候領の統治を実質的に差配しておりました。
今はわたしの知恵袋です。今度のシスネロス市民総会での発議は、バナゾ・チェレスが草案を作りました」
パウティスが黙っているので、ドノバ候は説明を続けた。
「この歳ですが、親はもちろん兄弟、妻もおりません。何度か地位に見合ったそれなりの妻を娶ってはと言ったのですが頑固者で受け入れません。
妻のようなものはおりましたが、若い頃に、奥方を自分の咎で死なせたので、正式な妻は一生娶らんそうです」
「あなたは、ここには身内しかいないとおっしゃいました。この者がいる意味がわかりませんが」
パウティスは、率直にたずねた。
「この者の先妻の間には子が一人おります」
ドノバ候の次の言葉の意味を理解するのにパウティスは一呼吸という間をようした。
「あなたです。パウティス殿」
「わたしの父は、ドノバ候パットウィンです。シスネロス内戦で討ち死にしました」
パウティスは侮辱されたかのように声を荒げて言った。
「遺体は見つかっていません」
ドノバ候は冷静な口調で言った。
「まさか」
パウティスがそう言って老人を見ると、老人は初めて口を開いた。
「パッテン、久しぶりだ。お前を最後に見たのはまだ三つだった。正確には遠目に、少年になったお前を何度か見た」
パッテンとはパウティスの幼名で、そうパウティスを呼んでいたのは両親しかいない。
「あなたは?」
「今はバナゾ・チェレス。人生の前半では元ドノバ侯爵、バナンガ・バカナン・パットウィン・ハル・パーヴァリ・ホノビマ・ディ・ドノバと名乗っていた。パウティスよ、お前の父だ」
「どう信じろと」
パウティスは、頭が混乱したまま茫然自失と言った感じで言葉を発した。
「パウティス、左足の小指の根本に傷跡があるだろう。お前には左足の小指が二つあった。ワシと候妃、そして、乳母だけが知っていたことだ。今、思えば不憫であったが、赤ん坊の時にわしが切り落とした」
旧ドノバ候パットウィンだと名乗るバナゾ・チェレスの説明にパウティスは、泣き笑いのような顔になった。
「あなたは父上なのですね」




