ドノバ連合候国の曙24 ドノバ連合候国
「終わったか」
ドノバ候は先程祐司から献上された”カタビ風のマリッサ”の守り刀を鞘から出して見入っていたが、居間に入って来た長子エーリーに気がついて声をかけた。
「はい、大層感激して帰りました。なかなか器量のよい娘ではありませんか。あの娘が荒くれの傭兵を相手に斬り合ったとは驚きです」
エーリーはパーヴォットのことを褒めた。リファニアの一般的な基準ではパーヴォットはちょっと可愛いというのが相場だろう。
ただ、高位貴族は美男美女が多く、別の美醜に対する判断基準を持っていた。その判断基準の方が現代日本の基準に近い。
「そうだな。お前も目が高くなったな。それにしても、お前が小娘とはいえ、女の容姿を褒めるのは珍しいな。気に入ったのならユウジとやらに話をつけて愛妾にでもするか」
ドノバ候は”カタビ風のマリッサ”の守り刀を鞘に戻しながら含み笑いで言った。このような時は大概、軽口の類である。
「いいえ、あの娘はユウジとやらに気を使っておりました。ユウジとやらが無体な扱いをしていれば別ですが、娘を大層可愛がっているとのことです。そっとしておいてやりましょう」
エーリーも父であるドノバ候の言っていることは本心でないことを承知しながら真面目に答えた。
「うん、それがよかろう。さて、これからお前に会ってもらいたい人間がいる」
ドノバ候は手の平を合わせながらゆっくりと言った。今度のドノバ候の言葉は真面目な内容という合図である。
「さては、縁談ですね」
エーリーは小遣いでもくれるのかというような軽い口調で言った。
「この頃、お前も妹のベルナルディータ並みに頭が働くようになったのか」
ドノバ候が少し嬉しそうに言った。
「バルガネンとベルナルディータの縁談を進めれば、わたしの縁談も進めると普通は考えますよ」
エーリーの異母弟バルガネンはリヴォン川河口部に領地を持つシャンデルナ子爵の娘と、妹のベルナルディータはドノバ州の領主一人であり、ドノバ第一の貴公子とされるアンドレリア子爵ルヴァルとの縁談が計画されていた。
(第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏 ドノバ連合候国の曙4 ドノバ候の居間 参照)
「やはり、相手は?」
エーリーはドノバ候に聞いていた話が次の段階にきたことを察した。
「そうだ。上手くシスネロスへ招くことが出来た。しばらくは、秘密だがな」
ドノバ候は感情が表情から消えて事務的に言った。
「で、どのような女性ですか」
エーリーの問いかけにドノバ候はますます感情を押し殺すように言った。
「きっと、お前も気に入る。いくら政略といっても相性の悪い者同士を無理に付けようとは思わないから安心しろ。わしも性悪な女は嫌いだ」
「ハタレン市長がお見えになりました」
居間に家宰のバナゾ・チェレスが入ってきて、ドノバ候に告げた。
市参事会はランブル元市参事の失脚後、シスネロスの最高統治機関に返り咲いて精力的に活動していた。
”バナジューニの野の戦い”以降、大きな影響力を持つようになったドノバ候だが、シスネロス市参事会では、自発的な発言権がなかった。
そのため、市参事会議長でもあるハタレン市長が日々ドノバ候を訪れてその意向を確認するとともに市参事会の進め方を相談していた。
「うん、市民総会は手順通りに進んでもらわねばならん。そのための打ち合わせは慎重にせんとな」
ドノバ候と市参事会は、市民総会を再度招集することで一気に懸案をするつもりだった。ドノバ候は独り言のように言うのを、エーリーは笑いながら受け答えた。
「ランブル市参事、いや、ランブル元市参事の功績は市民総会の使い方を教えてくれたことですね」
「ロムニスとバルガネンは所用で出ている。後で話だけは入れておこう。そのような次第なのでハタレン市長との話はお前が同席してくれ。何か気になることがあれば口を出していいぞ」
「諫言する身内は大切にせよですね。では、ベルナルディータも同席させればいいでしょう」
「うむ、気は進まんが大事の前の小事だ。ハタレン市長が気を悪くせんようにベルナルディータは隣の部屋にでもおいて話を聞かせよう」
あからさまな男尊女卑とは言わないが、リファニア社会は男性社会である。シスネロス市参事会会員は男性のみである。市庁舎職員も正規の職員は男性のみで臨時雇いの賄い婦に少数の女性がいるだけである。
唯一の例外が、領主階級において男系の相続人がいなかった場合の女性領主である。それとて、例外的な存在で現在のドノバ州にはいない。
シスネロスでは女性が表だった政治に関わることは常識の範囲外であるため、ドノバ候は娘のベルナルディータの才能を認めつつもハタレン市長に気を使う必要があった。
”夏至祭”より、三日後、シスネロス市参事会の発議によって再度開催されたシスネロス市市民総会において重要な議決がなされた。
一、ドノバ州はドノバ候を君主とした、領主および自治都市の連合体
である。
二、ドノバ候のもと各自は、その領内の統治において対等の政治的権
利を有する。
三、ドノバ候はドノバ州の政治を総攬して、連合議会の協賛によりド
ノバ州を統治する。
四、ドノバ州領域外の領主、都市との交渉はシスネロス市参事会の協
賛によりドノバ候の専決とする。
五、交渉締結については連合議会の承認を必要とする。
六、領主、自治都市はその領域内の治安、通商の自由を守る責を負う。
七、領域内の責が果たせない場合は連合議会が一時的にその責を代替
する。
八、ドノバ州防衛のため、ドノバ防衛隊を設立する。
九、ドノバ防衛隊の総指揮官はドノバ候で、実務的指揮権者は連合議
会が決定する。
十、領主、自治都市は人口、収入に応じて、ドノバ防衛隊に兵力、資
金を提供する。
以上はドノバ連合に関する規定であり、このドノバ連合に加盟するか否かというのが議題であった。
さらに、シスネロス市独自の議題としては、シスネロスとドノバ候の関係を明文化してドノバ候はドノバ州太守と、シスネロス市の形式的な総督となり、シスネロス市長、シスネロス市参事会会員の任命をシスネロス市参事会の要請により行うことになった。
これは、現在の日本における天皇の総理大臣以下の国務大臣任命という権能に近い。ただ、シスネロス総督が任命を行なわないという選択を取れることも可能であるため間接的にシスネロスの政治に容喙することができる。
このことにからくも気が付いた市参事会は、三ヶ月の間に二度の任命要請を行った場合は、シスネロス総督は任命を拒否できないという補足条文を付け足した。
さらに、シスネロス総督にシスネロス市長、シスネロス市参事会会員を罷免する権利は与えなかった。それでも、政治的混乱を避けようと思えばシスネロス総督の意向を市参事会は無視できないだろう。
公にはされていなかったが、シスネロス総督の地位は、いずれドノバ候長子エーリーが就任して、ドノバ州太守つまりドノバ候には次子ロムニスが即位することが計画されていた。
形式的と謳っていても、シスネロスに対するドノバ候の権限が強大化することに、ドノバ候派の市参事を含めてシスネロス参事会が難色を示した事から決まった。
また、ドノバ候側からしても、形式的とはいえ相続できるポストが増えることは、将来の世襲時における争いを避けるためにもメリットがあった。
そして、最も重要な議案はシスネロス市民権、すなわち近代的な選挙制度はないが、自分達の代表をシスネロス市参事会に送れる権利を拡大する議案である。
この議案の決議はシスネロス市参事会で決定できるがシスネロス市民の反発も予想されるために、戦争後の愛郷心が高揚している時期にシスネロス市民の総意として議決することにされた。
拡大される市民権は、今時の戦争において義勇軍に参加して市民権を望む者とその家族およびシスネロス市直轄地非選挙地域のうち、シスネロス市に忠誠を示した三つの地域の住民である。
この結果、市参事会の地域代表枠が二から四に拡大されることになった。また、高額納税者枠も一つ増やして増加分はシスネロス市以外の居住者に割り振られることになった。
飴ばかりではなく、非選挙権地域のうち、裏切り行為をした地域はドノバ防衛隊への兵力供出、費用分担を他の地域と較べて人口比で倍を課されることになった。
ただし、ドノバ防衛隊で七年以上勤務した場合は市民権が与えられる規定もあった。非選挙地域への分断策である。
最後に面倒な宗教問題である。シスネロス市直轄地において本来はシスネロス市のみの守護神であるアハヌ神が優遇され、地の守護神が疎かにされているという問題である。シスネロス市参事会は、このやっかいごとをアハヌ神殿に丸投げした。
地域住民から評判の悪い各地域のアハヌ神神殿に対する援助を取りやめて、アハヌ神殿に対するシスネロス市の献金を増やすことにしたのだ。各地域のアハヌ神殿は、シスネロスのアハヌ神殿の責任で運営しろということである。
市民総会で示された議案は、数名の市民による意見表明という儀式の後に、拍手により次々と採択された。
「全ての議案は決議された。この場に賓客としてお越しいただいたドノバ候に、シスネロス総督としての挨拶をお願いしたのち市民総会は解散とする。異議無き者は拍手で答えよ」
ハタレン市長は、安堵の心持ちで市民に呼びかけた。
自分達の議決により、重要事項が決まるという市民総会ということで、当初は気分が高揚していた市民も、そろそろ家に帰りたくなっていた。この辺りもドノバ候とシスネロス市参事会の計算があった。
市民は大きな拍手を送った。
「なんか最後は、お金で解決するのはシスネロスらしいですね」
市民総会の見物に来ていた祐司にパーヴォットは感想を言った。市民権付与が決まっている義勇軍関係者は見学お構いなしとの布告が出たので祐司はパーヴォットと市民総会の様子を見に来ていた。
「ああ、でも金があれば大概の揉め事は解決できるぞ」
祐司がそう言うとパーヴォットは少し声を落として答えた。
「そうですよね。お金があれば、母も・・」
祐司はあわてて話題を変えた。
「今日は総会なので、この後は休日になるそうだ。戦勝を祝って市参事会とドノバ候からの振る舞い酒も出る。女子供には菓子を配るらしいぞ」
「わたし達も貰えるんですか」
パーヴォットは菓子という言葉に反応しているようだった。
「ああ、何しろ義勇軍の関係者だからな」
「ユウジ様もシスネロス市民権を貰えるんですよね。でも、関係ないか」
「いや、貰っておこうと思う。パーヴォットもだ。従者といっても書類上は戦時保護人になっていたから問題ないだろう。シスネロス市民権を取ることに異議はないか」
祐司はパーヴォットの顔を見つめて聞いた。
「なんかいいことがあるんですか。シスネロス市は二度とこないかもしれませんよ」
「身許が確かになる。シスネロスの商圏は南西沿岸まで伸びていて、シスネロスの関係者も多く住んでいる。王都タチにはシスネロスの商館がある。何かあった時は、多少は面倒見て貰えるかもしれない」
「そんなものですか」
パーヴォットがもうひとつ市民権に関心が薄いのは、パーヴォットが暮らしていたヘルトナのような特許都市では、居住権さえ認められていれば市民権がなくとも、市参事会に参加しようという金持ち以外は、不自由はなかったからだろう。
近代的な概念で言えば、市民権は国籍にあたり、居住権とはレベルが違う個人に対する法的根拠である。
「そんなものだよ」
祐司は笑って答えた。
祐司とパーヴォットが宿屋に帰ると、市庁舎から、三人の市庁舎職員が祐司の帰りを待っていた。番頭が、気を利かせて食堂の奥にある、小部屋を用意してくれていた。その小部屋で祐司は、市庁舎職員達に用件を聞いた。
「これはガッツァーリ局長自らどのようなお話でしょうか」
市庁舎職員の内、一人は祐司がパーヴォットの捜索を頼んだ義勇軍局のガッツァーリ局長だった。
「まずは、これをご覧下さい」
ガッツァーリ局長は、羊皮紙を祐司に渡した。羊皮紙にはハタレン市長の公印が押してあった。羊皮紙には、引換証という大仰な文字に続いて、金貨三百枚を祐司に支払うようにと書いてあった。
「これは?」
祐司の問に、ガッツァーリ局長は商人のような丁寧な物言いで答えた。
「シスネロス市は契約違反をいたしました。違約金金貨三百枚の証書です。市庁舎の会計係に申し出ればいつでも受け取れます」
「取りに行けと?」
祐司は少し意地悪く言った。
「いえ、すぐにお持ちします」
ガッツァーリ局長の隣にいた市庁舎職員が慌てて言った。祐司は苦笑いしながらも、優しい口調で言い返した。
「いいですよ。取りに行きます。ただし、その金貨を神殿為替にして王都タチに送りたいので護衛代わりに市でアハヌ神殿まで運んでもらえませんか」
金貨三百枚となると懐に隠してという枚数ではない。一人で金貨を神殿まで運ぶことに不安を持った祐司はガッツァーリ局長に頼み事をするように言った。
「神殿為替ではなく、王都タチのシスネロス商館で全額受け取れるように手配いたします。そうすれば全て市庁舎の中で受け渡しができます。ユウジ殿が望むのであれば他の金もその方法で送らせていただきます」
ガッツァーリ局長が素早く反応した。祐司はシスネロスの公的な資金移動システムの使用を即断できるガッツァーリ局長が、相当の遣り手で権勢も持っているのだと気が付いた。
「そうして、いただければ助かります。よろしくお願いします」
「それから、貴方を間違って義勇軍に参加させた補償金です」
ガッツァーリ局長が差し出した羊皮紙は先程の引換証と同様の物だった。引換証には、金貨百八十五枚と書かれてあった。
もし、真にバナジューニの野での祐司の役割を理解していたら、金貨千枚でも安いと判断されただろう。
祐司はドノバ候私邸からの帰りにクチャタが言った言葉を思い出した。「まあ、我が主ドノバ候は良い意味で倹約家だからな。シスネロス市参事会で、ユウジ殿の違約金の話をしたかもしれんな」クチャタは笑いながら祐司にそう言った。
祐司は、ドノバ候は他人の金で、祐司に褒美を出したということだと思った。
祐司は結局、シスネロス市からバナジューニの野の戦いで、金貨二百枚、僭称ドノバ候の捕縛で、金貨四枚(正確には金貨四枚と銀貨二十七枚)、それに違約金の金貨三百枚、一願巡礼を強制的に義勇軍に参加させた補償金で金貨百八十五枚、併せて金貨六百九十一枚を受け取ったことになる。
ここからカタビ風のマリッサの首をはねた庸兵に金貨二十枚を出して祐司の取り分は金貨六百七十一枚である。
シスネロスで小綺麗な家を借りて、女中の二人でも雇い、数人の家族で、上の下程度の生活を、十数年以上続けられるほどの金額である。
現代日本で言えば、東京の世田谷あたりの、百平米を越える面積のマンションに住んで家政婦を雇い、毎週二三回は値段を見ずに食べたいものを頼んで高級レストランで食事をする。
そして、季節ごとに、基本ビジネスクラス、たまにはファーストクラスを利用して海外旅行をする生活を十数年続けるほどの価値である。
ちょっと贅沢な旅をしても二十年は大丈夫だろうという金額でもある。路銀に関して祐司は当面の心配をしなくてよくなった。
「シスネロス市民権を申請しようと思います。従者のパーヴォットも資格がありますよね」
祐司は本当はガッツァーリ局長が権勢がある上に、柔軟な対応をしてくれることを頼って聞いてみた。
「バナジューニの野の勇者で、僭称ドノバ候を捕らえたユウジ殿はシスネロス市の第一の恩人でございます。従者殿も僭称ドノバ候パウティスを捕らえるのに一役買ったと聞いております。厄介な手続きはこちらでいたします。
実はグリフード男爵様からの直々の申し出もございまして最優先でいたします。ただし、信者証明は確認しませんと」
ガッツァーリ局長は祐司の思ったようなことを言った。祐司は機嫌良く返事をした。
「それくらいなら、市庁舎へ行きます」
「そう言っていただけると助かります。明日にでもわたしを訪ねてきてください。すぐに手続きをいたします」
祐司は、そのガッツァーリ局長の言葉に心から謝辞を述べた。
「ユウジ様、お願いがございます」
ガッツァーリ局長以下の市庁舎職員が帰って祐司が宿の自分の部屋に入ると、パーヴォットが付いてきていた。
「なんだ」
「シアツというものをしてください」
「シアツって指圧?」
パーヴォットの話によると、先日、ドノバ防衛隊の隊長だったガークと、リューディナの結婚式で祐司が、何度も巫術師のガレオにシアツを行って元気を出させたという話を聞き込んだ。是非、その元気が出るシアツを自分にも施して欲しいと言うのだった。
「是非、お願いします」
パーヴォットは真剣な顔で言った。
「じゃ、パーヴォットの部屋に行こう。ベッドの上で腹ばいになるんだ」
「ここでもいいですよ」
パーヴォットはそのままベッドに身体を投げ出さんばかりの勢いだった。
「こんなオレの使った小汚いベッドに寝転ぶことはない」
祐司はあわてて、パーヴォットの背中を押して部屋から出した。
「さあ、ベッドに俯せに寝転んで。で、どこが具合が悪いんだ」
パーヴォットは勢いよくベッドに飛び込むようにして俯せに寝転んだ。
「はい、少し背中がつっぱたような感じがします」
「まあ、着慣れないドレスを着たり緊張したからな」
祐司はパーヴォットの背骨の少し横、俗に肩癖と言われる場所を右の親指で押してみた。パーヴォットはかなりスリムな体型だが、やはり女の子の身体は柔らかかった。
祐司は日本でつき合っていた彼女がよく肩や背中が凝るといっては、祐司に肩癖を押させていたことを思い出した。肩癖という言葉もその彼女が教えてくれたものだった。
パーヴォットは顔を完全に敷き布団に埋めて、何かに耐えるように身体を小刻みに揺らしていた。
「どうした、効いているのか。ちょっと痛いくらいがいいんだ」
「ワハッハハハッハハハ…ダメです。我慢できません」
指圧がくすぐったくて笑うパーヴォットは子供である。
次話から、ドノバ候とドノバ内戦で死んだとされるドノバ候パットウィンを中心とした話になります。祐司とパーヴォットの話をテンポ良く読んでいきたいという方は「ドノバ連合候国の曙33 パーヴォットの誤解 上」へお進み下さい。




