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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏
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ドノバ連合候国の曙23 夏至祭の日

 祐司とパーヴォットが結婚式からリヴォン亭に帰ったのは明るいといっても深夜だった。二人は流石に疲れ果てて、すぐに寝入ってしまった。


 祐司が起きたのは、宿の前がやけに騒々しかったからである。祐司が何事かと窓を開けると、通りをシスネロス市旗や、各組合の旗を持った男達の一群が楽隊を引き連れて行進していた。その後を着飾った女性や子供がゾロゾロとついていく。


「なんですか?」


 寝ぼけ眼のまま祐司は、部屋から出て一階に行くと、番頭がドアを開けて表を見ていた。


「はい、”夏至祭”です。本当は二十日に予定されていましたが、バナジューニの野の葬列が行われることになったので今日に延期されていました」


 番頭は祐司の問いかけに嬉しそうな表情で答えた。


「祭ですか」


「はい、今年は中止という意見もあったそうですが、中止などしたらモンデラーネにしてやられたことになります。ここは、シスネロスが意地で譲れないところです」


 今度は番頭は胸を張って言った。番頭は生粋のシスネロス市民である。


「はあ、そうですね」


 祐司は自分でも間の抜けたと思えるような返事をした。


 夏至祭は、リファニアの数ある年中行事の中では重要な祭である。それぞれの地域で少しづつ違った太陽神を祝い、夏の到来を祝うのである。

 そして、最後に悪神ゾドンに見立てた、高さ数メートルの藁人形を焼くのが一般的な形であるという。



「ヘルトナでも夏至祭はするのか」


 祐司は自分の部屋に戻るときに、洗濯物を籠に入れたパーヴォットに廊下で出会った。


「ええ、一年で一番賑やかな日になります」


 祐司の問にパーヴォットは嬉しそうに言った。


「シスネロスの夏至祭を見物に行こうか」


「でも、洗濯物が溜まっています」


 パーヴォットは自分が持っている洗濯物の籠を見やって言った。


「今日は宿にお願いしよう」


 祐司は優しくパーヴォットに言った。


「でも、そんなことをしたら、洗濯のおばさんが祭りに行けなくなります」


 パーヴォットは、少し考えてから言った。


「そんな気遣いができるパーヴォットは好きだ。だが、その程度の洗濯物で、おばさんは一日中洗濯するわけじゃない。

 洗濯するおばさんに心付けを渡そう。そうすれば、洗濯のおばさんも、もっと楽しい気分で祭に行けると思うな」


 宿に洗濯物を頼む場合は、夏物の衣服と下着程度なら銅貨三枚で洗濯をしてくれる。リファニアにはチップの習慣はないが、丁寧な仕事をしてもらいたい時や相手を特に慰労したい場合に心付けを出す習慣があることは祐司も知っていた。


「ユウジさま。無駄遣いは今日だけですよ」


 パーヴォットは少し嬉しそうに言った。パーヴォットも夏至祭に行きたかったのだ。


 祐司は北欧に夏至祭という祭があることは知っていた。それがどのようなものかは詳しくは知らなかった。

 多分、リファニアでも現在の北欧と同じような感覚で夏至を祝うのではないかと思った。祐司はリファニアの夏至祭を見たかった。


「あの…」


 最近のパーヴォットにしては、歯切れが悪い。パーヴォットは洗濯物が入っている籠を見ながら何やら言い淀んでいた。


「なんだ?」


「デートですか」


 パーヴォットは小さな声で聞いた。


「デートは嫌か?」


「デートがいいです」


 パーヴォットはもっと小さな声で言った。



「賑やかだな」


 通りをドレスを着たパーヴォットと手を繋いで歩いている祐司が思わず口に出した。シスネロス中の人間が外に出いると思えるほどに何処に行っても人で溢れていた。


 そして、祐司は、今のパーヴォットとの、この距離感が良いのだと思った。パーヴォットと手を繋いで、時折、パーヴォットの若草のような匂いを感じることが、二人の間にとって丁度いい間合いだと感じていた。


 いずれ、パーヴォットの父親であるキンガ師匠の故郷に着けばパーヴォットとは別れなければいけない。

 祐司はパーヴォットにとって、少女時代の”いいお兄さん”という思い出になればいいのだと祐司は自分に言い聞かせていた。


「ユウジ様、向こうから松明隊がきます」


 パーヴォットが大きな声を出した。


「松明隊ってなんだ?」


 祐司が聞くと、パーヴォットは信じられないという表情から、からかっているのではないかという表情へと顔つきを変えた。それでも、パーヴォットは祐司の質問には真面目に答えた。


「松明をどんどん悪神ゾドンの藁人形へ投げて焼くんです」


「藁人形を焼くのなら松明隊じゃなくて、松明一つで十分じゃないか」


 祐司の言葉にパーヴォットは、祐司が本当に何も知らないことを悟った。


「藁人形は、水をかけてあるんです。だから、どんどん松明を放り込まないと燃えません。それに、夏至祭が雨の日ということもあります」


「藁人形が燃えないどうなるんだ」


「悪神ゾドンの力が大きくて、神々からの不作になるといういう警告です。まあ、そんなことは滅多にないそうです」


 パーヴォットが言ったように、やがて数百人の人間が手に手に松明を持って現れた。


「ほう、大したものだ。でも、幾ら藁人形が湿っていても、例え少々雨が降ってもどんどん松明を投げ込めばいずれ藁人形は燃え上がるだろう」


「松明はタダじゃありませんよ。神殿の火でつけた特別の松明です」


 パーヴォットにそこまで言われると、祐司も大体の事情が飲み込めてきた。


「神殿に御布施を払うんだな」


「ええ、金持ちで銀貨数枚、貧乏人なら銅貨数枚で火を付けさせてくれます」


「どうやって金持ちと、貧乏人を見分けるんだ」


「神々が知ってます。だから、みんな身に相応の御布施を出します」


 いくらシスネロスが中央盆地第一の都市だと言っても、日本の地方都市程度の人口規模で市域はずっと狭い。人付き合いも濃密である。

 そんな場所で、身分相応でない額の布施をするのは、出来ない相談なのだろうと祐司は思った。


「そういうものか」


「そういうものです」


 祐司の問いかけにパーヴォットはしたり顔で返事した。その前を松明隊がご詠歌とも、ヨーロッパ中世の聖歌とも言えるような節回しで祝詞を唱えながら通り過ぎる。


「ユウジ様、悪神ゾドンが燃え上がるのを見ると三日長生きできるといいます。松明隊の後について行きましょう」


 松明隊をじっと見ていたパーヴォットが緊張した声で祐司を誘った。


「三日とは微妙だな」


 パーヴォットが精一杯の勇気で祐司を誘ったのが、あまりにも分かり易いので祐司は苦笑しながら、パーヴォットの手を握ると松明隊の後を歩き出した。


 松明隊の目的地は、お馴染みの市庁舎前だった。そこには、高さが数メートルの程の悪神ゾドンを形取った藁人形が林立していた。祐司が数えてみると十基しつらえてあった。


「大きな街では町内ごとに藁人形をしつらえると聞いていましたが本当ですね」


 パーヴォットが感心したように言った。


「ヘルトナでは藁人形は一基かい」


 祐司の何気ない一言にパーヴォットはつっかかるように言い立てた。


「でも、ここの藁人形よりずっと大きいです。三階建ての家ほどもあります。西区画と東区画で、毎年藁人形を交互に作って、それを作らなかった方の区画が焼くんです。

 でも、藁人形を作った区画は水をかけて燃えにくくします。ヘルトナの夏至祭も町を二分した大層な祭です」


 パーヴォットはヘルトナには良い思い出がないと以前言っていたが、それなりの郷土心はあるようだった。


「シスネロスでは、藁人形を作るのと焼くのが同時ということだな」


 祐司はパーヴォットに逆らわないように少し話の視点をすりかえた。


「そう聞いています。それぞれの松明隊が別の町の作った藁人形を焼くそうです。宿の番頭さんに教えてもらいました。

だから、シスネロスでも自分の町で作った藁人形に水をかけて燃えにくくするそうです。でも、かける水は桶に四杯までだそうです」


 パーヴォットは聞きかじった話を祐司に得意げにした。


「それで念入りに考えながら水を掛けているんだな」


 祐司が言うように、目の前で数人の男達が何事かを言いながら藁人形の足元や首筋に念入りに桶の水をかけていた。


「さあ、始まりますよ」


 藁人形の周りを、松明隊が取り巻いた。


 角笛と太鼓の音が市庁舎前の広場に鳴り響いた。それを合図に次々と松明が藁人形目がけて投げつけられる。もちろん、藁人形は水をかけられているので最初のうちは持ち堪えているが数十、数百の松明に囲まれた藁人形は煙たい白い煙を上げ出す。


 そのうち、一気に火に包まれる藁人形が出てくる。そのたびに見物人から大きな歓声が上がった。


「勇壮な祭だな」


「あ、最後の藁人形に火が着きました。今年はいい年ですね」


 パーヴォットが言うように十基の藁人形には全て火が回って、市庁舎前の広場は、それをはやし立てる人々で大変な喧噪に包まれた。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)




「ユウジ殿、探しましたよ。宿の主人に聞いて”夏至祭”を見学に行ったと聞きましたが、この人出ですから貴方を見つけるのに苦労しました。ユウジ殿がその上背でなければ見つけられなかったかもしれません」


 突然、祐司は声をかけられた。その声の主はドノバ候近衛隊の制服に身を包んだクチャタだった。


「クチャタ様、今日はどのような御用ですか」


 祐司はクチャタの服装からちょっと厄介なことになると覚悟して聞いた。


「ともかく、一緒に来て下さい。あなたをお招きになった人がいるのです。時間を取ってありますが、ご多忙な方ですから遅延は許されません」


 クチャタはそう言うなり祐司の手首を掴んで歩き出した。



「さあ、着替えも用意しておりますから」


 クチャタはユウジに有無を言わさない勢いで、近くの食堂に連れ込んだ。そこには、衣装箱を持った男がいた。服装から近衛隊の兵士のようだった。


「おやじ、個室を貸して貰いたい」


「さあ、早くお着替え下さい。パーヴォットさんもですよ」


 パーヴォットは渡された衣装を持ったまま複雑な顔をしていた。


「パーヴォットさん、何をもじもじしてるんですか」


「ここで、着替えるのですか。ユウジ様だけならまだしも」


 パーヴォットは上目遣いにクチャタに言った。


「親父、もう一部屋貸してくれ」


 祐司が渡されたのは、正装一式である。ゆったりしたワンピース型の上着に、これもゆったりした、股引型のズボン。その上にトーガのような形でマントを羽織る。先日、結婚式のために借りた最上級の物だという衣装よりもさらに上等な感じがした。


 パーヴォットの衣装は裾が長く、少しばかり地面をこするようなドレスだった。刺繍などの凝った飾りはないが、上質な生地で織られた薄いピンク色で日本で言えば訪問着のような感じを受けるドレスである。


 祐司とパーヴォットが着替えると、クチャタは二人をかしにかして歩かせた。いくら気候冷涼なリファニアでも夏である。その中を、正装を着て急ぎ足で歩くのである。すぐに、祐司の額から汗が噴き出してきた。


 パーヴォットも慣れないドレスのふともも辺りを掴んでドレスの裾が地面に擦れないように小走りでついてくる。


 目的地には数分で到着した。 


「ここはドノバ候の私邸ではありませんか」


 門の前で祐司は驚いて言った。クチャタが門番と少しばかり話すと門が開かれてドノバ候私邸に祐司とパーヴォットは招き入れられた。


「さあ、汗をぬぐって」


 クチャタは祐司とパーヴォットを、こぢんまりした部屋に通すとムクの布を祐司に渡した。リファニアにはまだタオルという概念がない。


「ここでしばらくお待ちください」


 急がすだけ、急がされた割には、祐司はその部屋で半刻ばかり待たされた。


「さあ、こちらへ」


 やがて戻ってきたクチャタに祐司とパーヴォットは、十メートル四方ほどの何の家具も置いていない部屋に案内された。


「ここは小謁見室です」


 クチャタの説明が終わったと同時に、部屋のドアが開いて背丈ほどの杖を持った兵士姿の男が入ってきて大声を上げた。


「ドノバ候、おなり」


ひざまづくんです」


 クチャタは祐司とパーヴォットに言うと、自分も片膝を跪かせた。


 祐司は両膝を跪いて頭を下げた。ヨーロッパ系の文化が基底のリファニアには土下座の風習はない。両膝を跪く姿勢が最大の尊敬を表す姿勢である。祐司は日本の感覚からかなり深めに頭を下げていた。


 やがて、数名の人物が部屋に入って来る気配がした。


「頭を上げよ」


 その言葉に祐司が頭を上げると正面に椅子に座っている五十年配の男がいた。質素と言ってもよい身なりだがバナジューニの野や凱旋式で見たドノバ候その人だった。部屋に椅子はなかったので、わざわざドノバ候が入室した時に運んだようだった。


 ドノバ候を中央にして、左右に三人ずつ六人の男が控えていた。ドノバ候のすぐ左は、若い貴公子、右は威厳のある風体の老人、後の四人は護衛と小姓のようだった。

 祐司が横目で見るとドアの傍には、先程、ドノバ候の入室を告げた、杖を持った兵士に加えて二人の小姓が剣と短剣を持って立っているのが見えた。


「実に丁寧な礼儀作法だな。どこの風習だ」


 ドノバ候が笑顔で祐司に聞いた。


「ドノバ候のご質問である。即答いたせ」


 祐司が雰囲気に気押されて言い淀んでいると、ドノバ候の右にいた威厳のある老人が言葉を発した。


「お恐れながら、わたしの両親の生まれ故郷である”ワ”の風習でございます」


 祐司は肝を定めて、時代劇で見聞きしたような感じで対応することにした。


「そうか。時間がないので手短にいたす。今度の戦での働き、そして、掃討戦において、自称ドノバ候の捕縛に関しての活躍に感服した。よって、褒美を取らす」


 祐司はドノバ候の言葉に「ははぁ」と言いながら深く頭を下げた。


「褒美を取らす前に、他に望むことはあるか」


 威厳のある老人がまた祐司に声をかけた。


「お恐れながら、わたしは殿下がご聡明な政で統治なされる豊かなドノバ州に魅了されております。ドノバ州との縁が繋がりますようにシスネロス市民権を申請するつもりでございます。

 わたしは足手まといながら殿下の臣民としていただきたく思います。ただ、わたしは一願巡礼であります。これからも移動の自由をお許しください」


 祐司の言葉にドノバ候はいたく喜んだ声で言った。


「臣民と申したか。ドノバ州の住民はドノバ候を頂く臣民ということだな。うむ、気に入った。

そちの願いはわしが保証する。一願成就までリファニアの辺土までも行かれよ。しかし、その願いが叶った時は、シスネロスに戻りドノバ候家に仕官いたせ」


「ありがたき幸せに御座います」


 祐司は一層頭を下げて言った。


「普通は”御意”と言う。少し大げさな感じが致すが、それも、嫌み無く丁寧な言いようであるな」


 ドノバ候はますます感心したように言った。


「さあ、褒美を取らす。頭を上げよ」


 ドノバ候の言葉に祐司が頭を上げると、小姓らしい若者が目の前に二人立っていた。一人は、刃渡りが五十センチほどの小振りの片手剣、もう一人は二十センチほどの刃渡りの短剣を持っていた。剣の短剣も鞘から抜かれていた。


「これは?」


「一つは正確には褒美ではない。おぬしが討ち取った巫術師マリッサの守り刀だ。普通は戦利品として持っていくから忘れ物を返す。

 もう一つが褒美だ。我が紋章が刻印してある短剣だ。小振りな作り故、旅で持ち歩いても邪魔にはなるまい。ドノバ候の紋章があるので紹介状の足しになるだろう。ただ、巫術での強化はしておらぬ故、好みの巫術で自分の好みの剣にすればよい」


 祐司が示されたマリッサの守り刀は、巫術のエネルギーが満ちている光を発していた。マリッサが練りに練った巫術をかけて強化したのに違いない。祐司が持った瞬間に、ただの鉄屑になるかもしれない品物である。


 いつもなら肘に埋め込んだ水晶に巫術のエネルギーを溜め込んで祐司の身体が、すぐさま巫術のエネルギーを吸収しないようにいている。ただ今日は起きてすぐに夏至祭に出かけたために、その作業を怠っていたのだ。


 巫術のエネルギーを放つ剣に較べて、ドノバ候の短剣は鋭利に光る光以外は見えなかった。


「お恐れながら、マリッサの守り刀は、わたしの目から見ても、高価な物と思えます。わたくしごときが持ってよい品とは思えません。殿下から頂けます短剣だけで畏れ多いことであります。いえ、殿下から頂けます短剣が真に欲しい物でございます。

 どうか御不興なら存分に成敗していただいて結構で御座います。わたしは、マリッサの守り刀を、殿下へ献上いたしたいと思います」


 祐司は剣を辞退するために口から出てくる言葉のままに言った。マリッサの剣を受け取って面倒なことになるのを避けたかったのだ。


「欲のないヤツだな。まあ、わしも本音を言うと、その剣、少し未練がある。マリッサはモンデラーネ公の愛妾だという噂があった。その剣を見て、噂は本当だと思った。それほどの名剣だ」


 最初はドノバ候はあきれたように、そして、後半は嬉しそうに言った。


「よし、ユウジ、ありがたく守り刀は貰っておく。ただ、貰いっぱなしも気になるので別の物を届けさせよう」


 短剣を持った小姓が祐司の前に進み出て短剣を目の前にかざした。その短剣は両刃でダガーのような形態だった。

 小姓はその短剣を鞘におさめると、懐からフェルト地、日本流に言えば毛氈のようなものを取り出して床に敷いた。そして、その上に短剣を置いた。


「ドノバ候、御退出」


 杖を持った兵士が再び大声を上げた。祐司は再び深く頭を垂れた。祐司の頭の上をドノバ候の言葉が通り過ぎた。


「ワシは次の来客があるゆえ、ここで失礼するが、まだ、そち達に用のある者がおる。今、少し時間をくれ」



「ユウジとやら、腕も立つが、かなり頭も切れるな」


 祐司がその声で頭を上げると、ドノバ候はおらず、ドノバ候が座っていた椅子はなかった。また、ドノバ候に並んでいた二人の小姓と杖を持った兵士、剣と短剣を持っていた小姓達もいなかったことから小姓が椅子を運び出したようだった。


 ドノバ候の椅子のあった場所には貴公子が、その横には威厳のある老人が立っていた。祐司に声をかけたのはその老人のようだった。その横には、相変わらず護衛役が二人立っていた。


「あの剣を持っておっては、口惜しがったモンデラーネ公が、おぬしに刺客を派遣せんともかぎらんからな」


威厳のある老人は好々爺丸出しの言い方で祐司に言った。そして、思い出したかのようにあわてて付け足した。


「おお、失礼した。わしはニメナレ・ワイゼス・ウィンバルト・ハル・バヤーナテリト・ノルチナル・ディ・ドノバだ」


 ニメナレ・ワイゼス・ウィンバルトとはドノバ候の筆頭家臣で、家老を務めている通称グリフード男爵のことである。


「これを、持って行かれよ」


 グリフード男爵は一通の書状を祐司に示した。


「わしからの名で書いた紹介状だ。今日はこれだけだがいづれ相応なモノを届けよう。こちらにきて受け取られよ」


 祐司は跪いたまま前に進んで紹介状を受け取ろうとした。


「そこまでワシは偉くない。立って取りに来られよ」


 グリフード男爵は苦笑しながら言った。祐司はあわてて立ち上がるとグリフード男爵から表彰状を貰う学生のように深々とお辞儀をして両手で紹介状を受け取った。



「ローウマニ・パーヴォット・ハレ・キンガ・ヘフトル・ディ・クルト=ノヴェ。こちらを向きなさい」


 貴公子が初めて声を出した。祐司は少しばかり後ろを振り返って、パーヴォットが緊張してドレスの両端を持ちながら顔を上げている様子を見て取った。


「こちらのドノバ候の御長子エーリー様が、そちの従者のことを聞いてえらく感服された。聞くところによると、従者殿は十五歳の女子だそうだな」


 このグリフード男爵の言葉で目の前にいる貴公子がドノバ候長子のエーリーだというこうがようやく祐司にもわかった。


「その通りでございます」


 パーヴォットが少し震えるような口調で返事をした。


「よい面構えをしておる。これからもジャギール・ユウジに忠勤を尽くせ」


 エーリーは、優しげな口調でパーヴォットに声をかけた。


「そのお言葉、心に刻みます」


 パーヴォットは今度はしっかりとして口調で答えた。パーヴォットを落ち着かせるほどエーリーの声は慈愛に満ちていた。


「郷士の娘として義を忘れず、苦難に陥った老婆を救ったことを嘉賞いたしたいと、この紹介状を手ずから書いてくださった。さあ、受け取られよ」


 グリフード男爵が、パーヴォットに紹介状を差し出した。


 従者が高位貴族から紹介状、それも嘉賞を旨としたような紹介状をもらうことなど滅多にあることではない。



挿絵(By みてみん)


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