ドノバ連合候国の曙20 花嫁衣装
掃討隊のほとんどのメンバーは河原に出ていた。そして、僭称ドノバ候パウティス一行が立て籠もる河原の小さな森に矢を時々放って森から脱出できないようにしていた。
河原の灌木地帯まで来ていたスェデンとナニーニャのところに祐司がやってきた。
「相手の巫術師はグロッキーです。”屋根”は崩壊寸前です。もう一撃して」
祐司は”屋根”がひどく手薄な状態になっていることを視認して言った。
「相手の巫術師は”屋根”がなくなったことはわかるでしょう。そうすると、一斉に飛び出してくるかもしれません。
これだけの人数ですから負けることはありませんが必死の相手と斬り合うのは避けた方がいいでしょう。次の一撃は手心を加えていいので、その次の”雷”は出来るだけ早く繰り出してください」
祐司は冷静にスェデンに言った。
「この距離ならかなり正確に”雷”を落とせます。いきますよ」
ナニーニャは、勢いをつけるように言った。”雷”が”屋根”を直撃した。
「やりました。”屋根”は消えました。矢をどんどん放って足止めしてください」
祐司が大声で嬉しそうに言った。
「みんな、下がって下さい」
祐司は河原に出ると怒鳴った。それを聞いたクチャタが全員を数歩下がらせた。それでも、弩や弓を持っている者は下がりながら射撃を続けていた。
大きな”雷”が、僭称ドノバ候パウティス一行が隠れている茂みを襲った。
茂みの気配が変わった。静寂という音が聞こえるのなら、そのような音が茂みから聞こえただろう。
「片がついたようです」
手応えがあったのか、巫術師のスェデンが自信ありげに言った。
「相手には飛び道具は無いという話だが、用心して接近しよう。盾を持っている者は前に出るんだ。飛び道具を持っている者はその後ろに位置しろ。矢が飛び出たらその方向に撃ち込め」
クチャタが全員に指示した。
「用心の為に”突風”も用意しています。飛び出て来たら吹っ飛ばします」
ナニーニャがスェデンと手を繋ぎながら言った。
一行の中でも手練れが揃っている元ドノバ候近衛隊の面々が最初に茂みの中に入った。祐司も狭いところでも取り回しの利く短槍ということで、その後に続いた。
まず、目に付いたのは、口から泡を吹き出して悶絶している巫術師だった。多分、体力を消耗して巫術が発動できなくなったところに、”雷”の直撃を受けたらしい。巫術師自体は巫術のエネルギーに人一倍弱い。
その近くには、朦朧とした状態の兵士が四名座り込んだり仰向けに倒れていた。そのうち三人は矢を受けておりかなりの重傷だった。後で茂みの中から、失神している兵士がさらに二名発見された。
「逃げたぞ」
河原の方から誰かが叫んでいた。
ふらついた二人の兵士が剣を振り回しながら藪を突破して河原に出て来た。
スェデンとナニーニャが突風をお見舞いするまでもなく、たちまち、十人以上の弓手たちから矢が放たれた。
一人は下腹部と足の付け根、もう一人は左の太ももに矢を受けて倒れた。矢が下半身に命中したのはできるだけ生かして捕まえようという判断があったためである。
包囲陣の人間にはその余裕があった。
河原で倒れた兵士も、森の中の兵士も次々と縄で縛られていった。
森の真ん中の大きなナラにもたれて、五十年配の品のよさそうな男が座り込んでいた。男は身体が多少しびれているような様子だったが、悶絶している兵士とは格段にダメージが小さいことから正真の貴族だと思われた。
「その上着の紋章、僭称ドノバ候とお見受けした。間違いは御座いませんね」
クチャタは剣先を地面まで下げてから聞いた。
「ここに至っては、誤魔化しはしない。わたしはドノバ候パウティスだ」
「僭称ドノバ候であっても、あなたは貴族ですので縄目の屈辱を与えることはいたしません。ただし、常に複数の者が見張っております。よからぬことを考えることはお控え下さい。また、武器もこちらでお預かりいたします」
クチャタの言葉に、僭称ドノバ候パウティスは自ら剣と護身用の小刀を差し出した。
注:話末注あり
”おさびし谷”の河原は僭称ドノバ候パウティス一行捕縛の後始末の時間になった。手首足首を縛られてキナーリから簡単な尋問を受けている無傷や軽傷の者、傷が深く、ガバリ一家とナストリッド村の傷の手当に詳しい者に応急処置を受けている者、そして、死んだ者の首をはねる元ドノバ候近衛隊の面々。
手厚く介護していた者が死んでしまうと、あたかも物のように容赦なく首をはねるリファニア人の感覚は祐司には、いつまでたっても理解できなかった。
「ユウジ様」
パーヴォットが四人の元ドノバ候近衛隊員の先頭に立って祐司の方へ走ってきた。祐司は用心のために、元ドノバ候近衛隊に頼んで木の上で見張っていたパーヴォットを迎えに行ってもらったのだ。
「見たことをクチャタ隊長に報告しろ」
祐司がパーヴォットに、いつになく命令口調で言った。
「五人ばかり逃げました。三人は最初に飛び出した兵士です。河原の灌木に沿って逃げました。後の二人はルードビニとバルタサルです。手負いになっていると思います。ルードビニは自分で歩けないほどの重傷のようです」
パーヴォットは祐司の言葉遣いには無頓着にクチャタに報告した。そこに、クチャタの妻のルティーナが割って入った。
「申し訳ありません。弓でなんとか足止めしようとしましたが、逃げられました。ただ、バルタサルは少なくとも矢を二本撃ち込みました。そこで、ほとんどの矢を発射してしまいトドメはさせませんでした。
バルタサルが連れて逃げたのがルードビニという男だとすると、ルードビニも矢を二本を受けています。当面はどこかに潜むしかないと思います」(注:バルタサルがキナーリ隊から受けた矢は実際は一本である)
クチャタの妻のルティーナが悔しそうに言った。バルタサルを迎え打った弓隊はキナーリ以外はルティーナの実家の者達であるので、名目上の隊長はルティーナだったからだ。
「弩に加えて矢を二本受けながら、もう一人を連れて逃げたのか。やはり、化け物だな。やっかいなのが逃げたな。それにしても、そのような化け物相手に誰も怪我がなくてよかった」
クチャタはルティーナを、庇うように言った。
「追いますか」
ガバリが間髪をおかずに聞いた。
「パーヴォット、どっちに逃げた」
祐司はパーヴォットにたずねた。
「はい、バルタサルはルードビニを背負って東の斜面を駆け上がりました。まさか、逃げることができるとは思えないような崖ですから、こちらの人間はいませんでした。
そこから先は木があってわかりません。すぐに見えなくなりましたから、そのまま東の方へ逃げたのだと思います」
パーヴォットはできるだけ大きな声で説明した。
「その他の者は?」
クチャタが直接、パーヴォットに聞いた。
「後の三人は西の出口から逃げました。ナストリッド村の人達が弓で一人は仕留めました。その者は生きたままナストリッド村の人達が捕らえたようです。
後の逃げた二人のうち一人は矢を受けたまま逃げました。もう一人は無傷だと思います。二人は西の出口から先は森の深い北の方向に逃げました」
「逃げたうちの一人は、リヴォン・ノセ州のパルミラ子爵麾下の戦士で父親は家来を持った郷士ということです。後一人は臨時徴発された小物です」
尋問をしていたキナーリが言った。
「七人の班を四つ組織して追う。そこに、ナストリッド村の者に飛び道具を持たせて、五人をそれぞれの班に道案内として付ける。ベルトラン村長もそれでいいですね」
クチャタは即断した。
「わかりました。ここから東に向かうと急に山が深くなります。そこに、逃げ込まれると厄介です。また、自棄になってどっかの集落を襲われてもかないません。早く追跡隊を出しましょう」
ベルトラン村長は別の観点から賛同した。
「無理はいけませんよ。折角、無傷でこれだけの獲物を手にいれたのです。欲をかいて死人がでるとケチがつきます。ここら辺りから追い払うつもりで行動するように」
クチャタの言葉にベルトラン村長は鷹揚に答えた。
「そういうことでしたら、かえって東の方に追い込みましょう。山が逃げた者をじわりじわりと始末してくれるでしょう。
東は山も森も深いのですが、針葉樹ばかりで碌な食べ物を得ることはできないし、民家もありません。それどころか、腹をすかせた熊や狼がうろついています」
ほんの数分で、臨時の追跡班が組織された。それぞれ班のリーダーは、元ドノバ候近衛隊のメンバーが務めることになり、リーダーの判断には絶対誓うことをそれぞれの班の人間は神々に誓約した。
「追跡は半日だけだ。七刻までだぞ。出来る限り西から回り込んで東に追い立てるんだ。わかってると思うがバルタサルとは真っ向勝負するな。飛び道具で距離がある時だけ戦え。真っ向勝負すると昨日見た死体の仲間入りだ」
クチャタは何度も追跡班のリーダーに念を押した。
追跡班が出発するのを待って、残りの人間は臨時につくった担架に重傷者を乗せて、僭称ドノバ候パウティス以外の捕虜を縄で数珠つなぎにすると来た道を引き返し始めた。
「ユウジ様、無茶はしないで下さい。パーヴォットは見ておりました。わざとバルタサルを怒らせて追いかけさすなど危険すぎます。
弩の一撃ぐらいでバルタサルがくたばるわけがありません。せっかく、ユウジ様とまた会えたのに……。もしものことがユウジ様に……」
歩きながらパーヴォットは泣かんばかりの口調でユウジに言った。
パーヴォットの言う弩の一撃とは祐司が、ナストリッド村のベルトラン村長から借りた弩のことである。祐司はルードビニやバルタサルを挑発する前に、その弩を逃げ帰る予定のルート上に置いておいた。
-ここから祐司の回想になります-
祐司は思ったより早くバルタサルが追いかけてくるのに肝を潰しながら、弩を隠した草むらに飛び込んだ。そこから、必殺の一撃を至近距離でバルタサルに加えようと思ったのだ。
ところが、祐司の姿を見失ったバルタサルは祐司のいる草むらの手前で立ち止まってしまった。
バルタサルの恐るべきカンは祐司が近くにいることに感づいていた。バルタサルは周囲を警戒ながら祐司の姿を求めた。そして、祐司に背を向けて二三歩後ずさりしながら祐司に近づいてきた。
バルタサルがこちらに振り向いた時に、胸に一撃を与えるつもりで祐司はバルタサルを狙っていた。
しかし、バルタサルから発せられる光が強烈な殺気を示していることに気が付いた祐司は動転した。バルタサルがこちらを向いて祐司を見つければ心臓に矢が刺さっても突進してくるような気がした。
バルタサルがゆっくり振り向こうとした瞬間に、祐司は我慢できなくなり弩から矢を発射した。矢はバルタサルの背、右肩辺りに命中した。
ガッォーというような声をあげたバルタサルは祐司を見つけた。
祐司は弩を放り出して短槍だけを持って草むらから逃げ出した。
しばらく、走ると横の灌木の陰に隠れて様子を窺っていたガバリの手下が五人見えた。
「下手に手を出すな。殺されるぞ」
祐司はそう言いながら、自分が見栄っ張りでお人好しだと激しく後悔した。祐司は後ろを振り向く勇気はなかった。今にもバルタサルの剣先が自分の背中を刺すような恐怖の中ひたすら走った。
すると、前にキナーリとルティーナそして、ルティーナの実家の者達が弓でこちらの方を狙っているのを見つけた。祐司はキナーリ達の方へ向かった。
一斉に矢が発射された。
矢は祐司の横を飛び去って行く。
「ユウジ殿、ここはお任せください。仕留めます」
キナーリが叫んでいた。祐司は後ろを振り向かずにキナーリの横を走り去った。そして、河原と森の境で、ようやく後ろを振り向いた。
祐司の十メートル位後ろでバルタサルが飛んでくる矢を盾で防ぎながら立ち止まっていた。いくらバルタサルでも、矢継ぎ早に七人から矢を打ち込まれたらたまったものでは無いはずである。
バルタサルが討ち取られるのは時間の問題だと思った祐司はそのままキナーリ達の背後から森の中に駆け込んだ。
そして、祐司は河原を囲む崖の上をしばらく小走りに走った。すると崖の下をルードビニが身を低くして歩いているのが見えた。
祐司はおぼろげにもバルタサルを操っているのがルードビニだろうと理解していた。
祐司はバルタサルを真っ向勝負で倒すのは苦労するだろうがルードビニをバルタサルから引き離せばバルタサルの力はあらぬ方向へ向かうだろうと思った。
少なくともキナーリ達がバルタサルを始末したことを確認できるまではルードビニをバルタサルの方へ行かさないように足止めするべきだと思った。
そう思った祐司は、急いで崖を滑り下りた。
しかし、短槍を持ったまま滑り下りた祐司は崖の途中で身体のコントロールを失って身体が二回ほど横転した。そのために崖の下で起き上がってから、落ちている短槍を持って立ち上がった瞬間にルードビニに見つかった。
「待っていたぞ。お前を殺してミシャーリを取り戻す」
祐司は短槍を構えるととっさに言った。
祐司はルードビニがパーヴォットを探しにくくするためにパーヴォットのことをミシャーリと呼び、また、パーヴォットが自分と一緒ではないという誤った情報をルードビニに信じ込ませたかった。
「悪いが今日は忙しい」
ルードビニはそう言うとバルタサルのいる方向へ逃げ出した。祐司は走って数歩追いかけたが再びバルタサルに遭遇することを恐れてルードビニが走って行った方向へ用心しながら進んだ。
大きく育った草と灌木で見通しが悪いために、人の気配を気にしながら祐司がゆっくり進んで先程、キナーリ達がバルタサルを迎え打ったちょっと開けた場所が見える所まで来た。
すると、バルタサルがルードビニを背負って、急斜面を信じられないような速さで登っていくのが見えた。
「逃げたか」
祐司は悔しいとも、安堵するともないような声を出した。そして、祐司は僭称ドノバ候パウティスが立て籠もっているだろう河原のある小さな森に向って走り出した。
-ここから話の最初の状況に繋がります。話は祐司がパーヴォットに心配されてバルタサルとルードビニのことを回想している部分にもどります-
「望外の得物が手に入った」
パーヴォットに泣かれて先程のことを思い出していた祐司は、クチャタの声で現実に引き戻された。
「万が一私が士爵に叙任さても、それは、まだまだお勤めを果たした後だ。ただ、わたしが士爵になることはまずない。そうなると我が息子ジャンマに重荷がかかる。
普通は三代、巫術への耐性がないと貴族への叙任資格はできない。巫術への耐性がある子を得るには、お役目を果たし、出世して貴族の女性を娶らねばならない。それでは兄と同じような苦しみをジャンマに与えることになるかもしれない」
クチャタは少し不安そうに言った。
「そこまで、わかっていらっしゃるなら最後はどうするかはジャンマ様にお決めさせてください。自分の欲望、ましてやお爺さまであるヌーイ様の欲望で縛ってはいけません」
祐司は心を込めてクチャタに言った。そして、考え込んでいるクチャタに話を続けた。
「わたしは、貴方やヌーイ様は心情ではりっぱな貴族だと思います。公私混同を戒め、わたしとパーヴォットのような取るに足りない者にまで温情をかけていただきました。反対に貴族でも、その心意気を見失って民を己の踏み台としか考えない貴族もおります」
「モンデラーネ公とか?」
クチャタが少し目を大きく開けて聞いた。
「そうです。モンデラーネ公はその権力を恐怖と恩賞に頼り、人をコマのようにしかあつかっていません。それが、貴族として身を立てていくには都合がいいのかも知れません。ただ、貴族は民から尊敬されてこその貴族と思います。
リファニアの貴族にはその心意気が伝わっております。是非、心持ちで貴族でないのなら、わたしは貴方の子孫が貴族になって欲しいとは思いません。反対にヌーイ様や貴方が示してくれた温情を子孫に伝えてくだされば是非貴族になっていただいきたい」
祐司の最後の言葉にクチャタは、よく理解できないというような口調で聞いた。
「我が父ヌーイが温情を?」
「わたしとパーヴォットに、心からの餞別をくださいました。そして、何よりわたしを殺さずに生かしてくださいました」
祐司の言葉に、クチャタも多少心が動いたのか、少し息を吐き出してから言った。
「正直に言う。今回の捜索隊は、僭称ドノバ候の捕縛を目的としていた。だが、信じて欲しい。パーヴォットさんの確保を第一にしていたのは事実だ。少なくとも、わたしと母キナーリ、妻のルティーナはそうだった」
「それぞれが、満足してたのであればそれでいいではないでしょうか。もう、この話は止めませんか」
祐司が少し微笑みながら言うと、クチャタも同意するように少し口元が緩んだ。そこへ、ナストリッド村のベルトラン村長が声をかけてきた。
「皆さん、ロヴィー婆さんの家で少し休みましょう。あそこまでなら、荷馬車が入れます。歩けないような怪我人も捕らえた者の中にいますから荷馬車で運びたいと思います」
村長の提案で一行はロヴィー婆さんの家で休息することになった。もちろん、全員がロヴィー婆さんの家に入れるわけではないので大半の人間はロヴィー婆さんの家の周辺で座り込んだ。
ベルトラン村長は二人の村人に荷車を運んでくるように命じた。残りの連中は荷車が来るまでに食事をしようということになり、焚き火を何カ所かで起こすとロヴィー婆さんから持っているだけの鍋釜を借り出して大麦の粥を作り始めた。
「ベルトラン村長、お手柄だね」
小屋に入ってきたベルトラン村長にロヴィー婆さんが声をかけた。
「四人組に襲われた話は聞いている。ロヴィー婆さんも無事でよかった」
ベルトラン村長は少し照れたように言った。それを見てベルトラン村長の人柄の良さを祐司は感じた。
「シスネロスから来た人達のおかげだよ」
ロヴィー婆さんがそう言いいながら小屋に入ってきた人々にカップを渡して、大ぶりのやかんからハーブティーを注いだ。
「この四人は、こちらの獲物ということでいいですか」
ハーブティーを飲みながらクチャタがベルトラン村長に言った。
「その四人は我々が直接かかわっていないのでかまいません。第一、貴方方が我々を加勢に呼んでくれたことに感謝しております。これ以上、何も望みません」
ベルトラン村長は欲のないことを言った。
「”おさびし谷”で捕まえた者につきましては、人数割りで報償金を分けましょう」
クチャタの言葉にベルトラン村長は不思議そうに言った。
「え、約束は山分けでは。それに、こちらの方が人数が多いですから、ご損では?」
「シスネロスへ護送という仕事が残っています。捕まえた者のうち何人かは荷車で運ぶ必要があります。それを、手伝ってもらえますか。
わたしたちは、シスネロスへ帰れば家に帰れますがナストリッド村の衆はまた引き返さなくてはなりません。ですから、その仕事を含めてのことと思って人数割りで報償金を分けましょう」
クチャタの言ったことに納得したのかベルトラン村長は本当に嬉しそうに言い返した。
「ありがとうございます。精一杯護送の仕事は励みます」
それから、四半刻ほど小屋の中の一同が、落ち武者狩りの武勇伝で盛り上がっているとロヴィー婆さんがあでやかな服を持って祐司とパーヴォットの前に立って思い詰めたように言った。
「これは、娘のデリエナが結婚する時に持たせてやろうと思っていたものです。でもデリエナはもうこれを着ることはありません。わたしはこの服を見る度に、もう居ないデリエナを探し求めていたのかもしれません。
この着物は、わたしが持っていてもしかたのないものです。でも、もしわたしの我が儘を聞いていただけるなら、パーヴォットさんに着て貰いたい。
デリエナが着られなかったこの花嫁衣装を着てください。一目だけでもその姿をこのババに見せていただけませんか」
祐司とパーヴォットは黙って顔を見合わせた。
「わたしなんかが着ていいいんですか」
パーヴォットがおずおずと言った。すると、ロヴィー婆さんが喜色満面といった顔で返した。
「是非、お願いします。着付けはわたしが手伝います」
ロヴィー婆さんは、さっそくパーヴォットを台所に連れ込んだ。しばらくして、花嫁衣装を着て出て来たパーヴォットに一同は拍手をした。
ロヴィー婆さんの縫い上げた青色の花嫁衣装は、都市風の洒落た感じの花嫁衣装だった。
祐司はこの花嫁衣装なら、現代日本でもそう違和感はないだろうと見惚れていると急に誰かに背中を押されてパーヴォットの横によろめくように立った。
「花嫁の隣には、花婿がいるもんだ」
クチャタが笑いながら言った。
「いやそんな関係では…」「ユウジ様…。これはロヴィー婆さんに頼まれて」
祐司とパーヴォットは赤い顔で言い訳のように言った。
「パーヴォットさん、ユウジさん、ありがとう…」
まだ、赤い顔をしている祐司とパーヴォットにロヴィー婆さんは少し泣き声で言った。
結局、祐司と花嫁衣装のパーヴォットは並べて座らされて、しばらくは一同の話のネタにされた。
「お婆さん、これを貰ってくれないかな」
ガバリのとなりにいた手下のジャンマが樹皮紙をロヴィー婆さんに差し出した。
「これは」
受け取ったロヴィー婆さんは目を丸くして、その樹皮紙に描かれた絵を見ていた。色こそ付いてはいなかったが、そこには、花嫁衣装姿のパーヴォットが描かれていた。
「こいつのもう一つの稼業は街の似顔絵屋なんですよ。時々、傭兵隊に頼まれて手配書の人相書きもしていますから腕は確かだ」
ガバリは、珍しく嬉しそうに微笑みながら言った。その言葉の後にジャンマが説明をした。
「まだ、パーヴォットさんは花嫁に行くには少し間があるから、三年くらい先を見越した姿にしてます」
「ありがとうございます。さっそく部屋に飾っておきます。これを見ているとデリエナが、嫁入りでいなくなったと思えます。どこかで、幸せに暮らしていると思います」
ロヴィー婆さんは、パーヴォットと絵を何時までも見比べていた。
注:ワタリガラスの紋章
ワタリガラスの紋章はリファニア王家の紋章で、日本で言えば菊の御紋章や葵の紋章と同じような扱いである。ドノバ侯爵はドノバ州の太守を王家から王家の名代として託された歴史的な経緯があるので、異形の形ならばワタリガラスの紋章を使用できる。
旧ドノバ侯の紋章のワタリガラスが異様に大きな足で描かれているのは、この理由による。近年はこの原則を守るのならワタリガラスを紋章に使用することは広く容認されている。




