ドノバ連合候国の曙14 捜索
総勢で四十名ばかりの男女は、夕刻にかかる時刻にシスネロスを出発した。いつもなら、夏至に近い日々は一日中、街道を移動する人間や荷馬車に出会うはずである。
ところが、たまに近在から野菜や川魚をシスネロスに運ぶ荷馬車に出会う程度で街道は静まりかえっていた。
一行は夜中近くに、タイタニアの渡りをシスネロス市庁舎からの特別許可証を使って渡った。
タイタニナで仮眠と食事を摂った一行は食糧品を買い足すと、いよいよモンデラーネ公残党が潜伏するというモサメデス川東岸に入った。
その頃から、天候は悪化して小糠雨がひっきりなしに降り出した。
タイタニアから、祐司は一月半ほど前にたどった道を北上した。雨は、止んでは降りといった様子で道もぬかるみ始めていた。
前に歩いたときは、タイタニアから北も、かなりの交通量があったが、時折、厳重な護衛がついた隊商と出会うくらいだった。楽しそうに会話をしながら道行く巡礼などは皆無だった。
捜索隊は、かわりに殺気だった雰囲気を持つ住民による掃討隊に何回も遭遇した。
そのたびに、シスネロス市庁舎からの、モサメデス川東岸に武装集団で立ち入る特別許可証を見せて納得してもらう必要があった。
モサメデス川に沿った地域は広範囲に”不用不急の者立ち入るべからず”という布告がシスネロス市参事会から出されていた。実際に、旅人が落ち武者に襲われて衣服や金品を奪われる事件も数件起きていた。
祐司が以前宿泊した小さな巡礼宿舎の少し手前で、隊商に出会った。隊商は三十頭ばかりの中規模な隊商だったが、規模に似合わない十人ほどの護衛を連れていた。
「おや、ユウジ様、ユウジ様ですよね」
すれ違いざまに、護衛の一人が祐司に声を掛けてきた。
「何故、名前を?」
「わたしは、ヘルトナから来ましたジャギール・ポカという傭兵でキンガ副長の部下だった者です」
「そうですか。ヘルトナの方なら知っておられても不思議ではありませんね」
祐司は少し気を許して懐かしげに言った。
「大層な人数と武具を揃えられておりますが、落ち武者狩りですか?」
ポカは、ちょっと、あきれたような口調で言った。
「まあ、本命は人捜しです」
この祐司の言葉の後に、ポカは祐司が仰天する言葉を発した。
「パーヴォットさんですね」
「え、パーヴォットのことをご存知なんですか」
祐司は人目も気にせずに、ポカの両腕を掴んで聞いた。
「パーヴォットさんとは、ここから北に十数リーグばかり行った所で別れました」
そして、ポカは、パーヴォットがシスネロスを脱出した日のことを詳しく話してくれた。
「それで、もし、ユウジ様に会ったら渡してくれと」
ポカの取り出した樹皮紙には、どこか優しげなパーヴォトの筆跡で「子のない母」と書いてあった。
「ありがとう御座います。目的地はシスネロスですか」
祐司は、あらためてポカに頭を下げた。
「はい、十日ばかりは滞在します」
「では、また御礼をしたいと思いますが、取りあえずシスネロスでの酒手にしてください」
祐司はそう言うと、銀貨十枚をポカの手に握らせた。
「こんなに貰うわけには」
銀貨十枚と言えば、物価の高いシスネロスでも十数万円から二十万円ほどの使い出がある。
「手紙を届けてくれた御礼です」
ポカは祐司の気持ちを察したのか、銀貨を受け取った。
祐司達一行は、翌日、ポカがパーヴォットと別れた場所を目指した。その途中で本街道から、東の山間部に通じる山道が分岐する場所に出た。重なった低い山々の向こうには、当分は見ることはないと思っていたキリオキス山脈が薄く霞んで見えていた。
「多分、この山をつききった方が目的地に早く着けます」
故郷が、この近くだという元ドノバ候近衛隊隊員が山道を指さして言った。
「ユウジ殿、どういたしますか」
クチャタが祐司に聞いた。
「近道なら、異存はありません。それに、ちょっと匂いますね」
落ち武者狩りをしたいという一行の気持ちも、よくわかる祐司は同意の言葉を出した。
「中々、いい山だ」
ガバリが薄ら笑いをしながら言った。そして、含蓄深い口調で続けた。
「深すぎず、賑やかすぎず。いろんな事情から身を隠さねばならない人間は山ほど見てきました。そんな人間が、誘い込まれそうな山です」
「では、行きましょう。北部直轄地での活動許可は五日間ですから、勝負は一回です。小物でもなんでも最初のを全力でやりましょう」
リーダー格のクチャタが山に入ることを決めた。
祐司一行は、本街道を外れて、山道に入った。ガバリ一家の若い者を斥候役にして先を探らせながら、二リーグほど進むと比較的平らで幅の広い尾根道に出た。そして、雨が降り出した。もう、キリオキスの山並みは霞と雲で見えなかった。
平らな尾根道の次は、かなり傾斜のある細い石だらけの道になった。そんな登りの山道を進む。傾斜は、日本で山歩きをしていた祐司には、手頃な登りというほどだったが、シスネロス付近の平坦地ばかりを歩いているような人間には堪えているようだった。
「少し休みませんか」
元近衛隊の男達が音をあげ始めた。年齢は四十半ばから、五十前後である。そして、元近衛隊の男達は、不意打ちを食った時の用心だと言って、ヘルメットに金属製の肩当て、籠手、レザーアーマーとはいえ金属片で覆った剣道の胴に似た鎧を身につけている。昔から着用には慣れているだろうが、山道ではかなり身体に堪えるだろうと祐司は思った。
防具とは本来、戦闘になる時に着用するもので、行軍する時は担いで運ぶのが本来の姿である。
「こんな場所では、休息にもなりません。頑張ってもう少しだけ進んでください」
祐司は山道の先を見て言った。山道の先は、空が見えていた。祐司は先が平らな場所だと判断した。
祐司の予想通りに、道は平坦になり一寸した草原に出た。山の中腹の少しばかり平らになったような場所だった。
「草原を横切って、森の端で休みましょう。そこなら、雨もしのげます。風に当たると身体が冷えて動けなくなります。頑張ってください。風があって雲の動きが速いです。少したてば雨はあがります」
祐司は、一行をせき立てるように言った。
「ユウジ殿は、山に詳しいな」
クチャタが感心したように言った。
「まあ、山はかなりあちらこちらを歩きましたから」
祐司は、はぐらかすかのように言った。
森の中に入って、数箇所の大木の下に分かれて一行は雨宿りをした。祐司の言ったように、しばらくすると雲の合間に青空が見えてきて雨は上がった。
それでも、風はかなりあった。その風の吹きすさぶ中を、縮こまるような格好で一行は黙々と進む。
「気配はするんですがね」
山道に入ることを提案した元ドノバ候近衛隊隊員は、つまらなそうに言った。
「相手も必死ですから、道のあるところをのこのこと歩いてはいないでしょう」
ガバリが笑いながら言った。ガバリはかなりの高齢であるだろうに、何時までも息を切らせず軽々と歩いていた。
それ以上に感心するのは、馬子のエッカルが率いる荷を運ぶ馬たちが山道でも遅れずに付いてくることである。
時々、馬が止まってしまうと、馬子のエッカルがなだめる。すると、馬は何事もなかったかのように歩み始めた。ガバリがエッカルが役に立つと言ったことは本当だったと祐司は思った。
ただ、後で考えるとガバリがエッカルが役に立つと言ったのは、このことを指してはいなかった。
「少し、広がって道を離れたところも歩いて見ますか」
クチャタが提案するように言った。
「道以外を進むとなると、なかなか厄介ですよ」
祐司は進む速度が落ちるのを心配して、反対するように言った。
「試して見ましょう」
しかし、そう言ったガバリの言葉で、道の両側に数十メートルほど広がって進むことになった。
夏の日本の低山のように、山道を外れると下生えや、バブで進めないほど植物が、繁茂しているわけではないが、歩くにはちょっと骨が折れるほどに草木は茂っている。
その上に、雨が降って滑りやすいとなると、一刻で一リーグほどしか進めなかった。
「泥だらけになっただけで成果なしですね」
祐司は言わずもがなだと思ったが一言言わずにはおれなかった。
「そうでも、ありません。こちらに来てください」
近衛隊グループの一人が、一行を道から少しくだった谷側の方へ案内した。そこには、大勢の人間の新しい足跡があった。
「足跡ですね。でも、狙っている者ではないと思います」
祐司は、しゃがんで足跡をよく見てみた。足跡には滑り止めの痕がなかった。祐司は”バナジューニの野の戦い”を日本から持ち込んだ登山靴で戦った。
他の兵士は、分厚い皮の靴底にスパイクのような小さな金属片が打ち込まれたようなサンダルのような靴を履いている者が多かった。
それは戦死者を回収した時に、モンデラーネ公軍でも同じような傾向があることに気が付いていた。
そのために、祐司は足跡を見て、兵士の集団ではないと思ったのだ。
「何者かは確認する必要がある。つけて行こう」
クチャタが、一行に指示を出した。
「馬はついてこられますか」
祐司が心配して馬子のエッカルに聞いた。
「鹿が通うような獣道があります。それなら馬も行けます」
エッカルは事も無げに言った。それで、祐司も何も言わずにクチャタに続いて谷の方へ向かう踏跡に従って谷の方へ下りて行った。
やがて、谷底の小川に突き当たった。
「川沿いに上流の方へ行ったようです」
ガバリの手下が足跡を見ながら言った。
「用心しながら進みましょう。待ち伏せされて上の方から攻撃を受けるのはおもしろくありませんから、身軽な者を、左右の斜面を少し登らせて進みましょう」
ガバリは、そう言うと数名の者を左右の斜面に登らせた。
小雨とはいえ、小川は増水しており一行は小川の左右の僅かな空間にへばりつくように進んだ。
「静かに。声がします」
先頭を様子を見ながら進んでいたガバリ一家の男がクチャタのもとに報告に来た。
「おい、ジャンガ様子を見てこい」
ガバリは自分の横を進んでいた眼光の鋭い小柄な男に命じた。クチャタは様子がわかるまで一行を停止させた。
「お頭、二十人ばかり集まって、何やら話し込んでいます。多分、この辺りの奴らだと思います」
数分ほどでジャンガと呼ばれて男が帰ってきてガバリに報告した。
「ふん、同じ狩人か」
ガバリはつまらなそうに言った。クチャタはガバリに意見を求めた。
「どうする」
「挨拶くらいはしておいた方がいいでしょう。何しろ、こちらは相手のシマに入っている立場だ」
ガバリは聞くまでもないというような口調で答えた。
百メートル程すすむと、少し小川の両岸にスペースがある場所に出た。そこには、ジャンガが言ったように槍や弓矢で武装した二十名ほどの男達がいた。
「ご苦労様です」
急いで先頭に出たクチャタが大きな声で言った。武装した男達は武器を構えてクチャタを威嚇した。報告のように服装から見て近隣の農村の男達のようだった。
「お前達は何だ」
リーダーらしい男が槍を構えながら聞いた。
「怪しい者ではありません。これをご覧下さい」
クチャタは、シスネロス市庁舎の特別許可証をリーダーらしい男に見せた。リーダーらしい男はゆっくりクチャタに近づいてひったくるように特別許可証を受け取った。
「おい、読んでくれ」
リーダーらしい男は、特別許可証を傍らの年かさの男に渡した。その男もすらすらと読めるような能力はないらしく、二三人の者と相談しながら特別許可証の文章を読み進めていた。
やがて、年かさの男は特別許可証をリーダーらしい男に渡しながら耳打ちをした。
「オレらはナストリッド村の者だ。ここはオレたちの縄張りだ。人捜しなら、なんでこんな場所にくるんだい」
リーダーらしい男の問から特別許可証の内容は正しく伝わったようだった。
「人捜しの為に近道をしております。すると怪しい足跡を見つけました。探している人間はこの近くにいますから、怪しい者が徘徊していれば拙いと思い確かめにきたのです」
クチャタはリーダーらしい男から特別許可証を返してもらうと簡単に説明をした。
「皆さん、何か困ったことでもあったのですか?」
ガバリが少し殺気だった様子の近在の男達に聞いた。
「これだ」
リーダーらしい男は、クチャタ達を河原の端の方へ案内した。
河原の端に、二人の男の死体があった。二人ともヘルメットが、数センチほど、額のところでV字型にへこんでいた。当然、ヘルメットは額に食い込んでおり、顔は血だらけだった。
「相手は、かなりの腕というか、怪力なのか」
その死体の様子を見てクチャタが驚いた口調で言った。
「昨日、この谷を調べに出た二人が帰ってこないんで見に来たらこのざまだ」
リーダーらしい男が悔しそうに言った。
「俺たちは別に命がけで、落ち武者狩りをしているわけではないからな」
近在の男の一人が気弱そうに言った。それを聞きとがめた別の男が怒ったように言う。
「こんなことをされて黙って引き下がれと言うのか」
「そうだ、こんなことを平気でする奴が近くにいるんだ。狩り出して捕まえるか、殺してしまわないと枕を高くして寝られないだろうが」
「これ以上の犠牲者を出してどうする。潮時だろう。村に籠もっていれば相手からは襲ってこない」
「死んだ奴の家族に、忌中金ぐらい出してやらんと。周辺の村の協力を仰いでも山狩りすべきだ」
「すぐに村長のグループと合流すべきだ」
何人かの男達が同調したように言う。また、それに反対するする意見を言う者で雑然とした雰囲気になった。
「まあ、落ち着いてください。わたしたちは、目的地に向かいます」
クチャタが少し大きな声でその騒ぎを静めるように言った。
「それから、こちらには、ドノバ候近衛隊出身者や軍に所属する巫術師もおりますので、困ったことがありましたら呼んでください」
「軍の巫術師までいるのか。道理で、女連れの理由がわかったよ。しかし、巫術師が三人とは豪勢だ」
リーダーらしい男は感心したように言った。
「三人?」
クチャタが聞き返した。巫術師はスェデンとナニーニャの二人だからだ。
「女は巫術師だろう」
リーダーらしい男の言葉にクチャタの母キナーリと、クチャタの妻ルティーナは顔を見合わせて苦笑した。リーダーらしい男はそれに気付かずにクチャタに言った。
「多分、あんたらの探している人間なら、この山を超えたロヴィー婆さんの所だ。昨日も会ったぞ。ロヴィー婆さんは一人暮らしで物騒だから、二日おきくらいには見に行ってる」
「パーヴォットに会ったんですか」
思わず祐司が聞いた。
「そうだ。パーヴォットって言ってた。そうそうある名前じゃないから、書類にある人間と同一人物だろう。元気にしてる。早く行ってやんな。この谷を遡れば自然と尾根道に出る。目的地までは一本道だ」
リーダーらしい男は少し優しげな口調で祐司に言った。
リーダーらしい男の言ったように、谷を遡っていくと谷が終わって少し急斜面だが尾根に出る山道に出会った。四半刻ほど進むと山道の少し先に小高い頂上があった。
「さっきの死体ですけど、あんなことができる男は一人しか心当たりがありません」
そう言った祐司は先程の死体はバルタサルの仕業だと確信していた。
「一人でも知ってる方が珍しいよ」
元ドノバ候近衛隊の男が言う。そして、別の元ドノバ候近衛隊の男が祐司に向かって真顔で言った。
「一つ言いたいことは、あんな太刀筋の奴とは手合わせしたくない」
いつの間にか、雨は完全に上がって青空が広がってきた。
この山を超えたらパーヴォットに会える。そう思うと嬉しさと同時に、祐司は心が締め付けられるように感じた。
祐司は、この気持ちはなんだろうかと自問自答した。
とうとう山の頂を越えた。すると眼下に小さな小屋が見えた。以前見た時と角度は異なるが祐司はその小屋がロヴィー婆さんの家だとすぐにわかった。
「あそこです。あそこが”子のない母”ロヴィー婆さんの小屋です」
祐司は自然と早足になり、半ば駈けるように緩やかな斜面を下り出した。
「おい、あの煙はなんだ」
その声に祐司は小屋を見た。小屋の煙突から薄い少しばかりの黄色い煙が出ていた。
「黄色い煙は危険を知らせる合図だ。それにしても盛大に出ているな。もう小屋が見えないぞ」
ガバリが怒鳴るような大声で言った。祐司は「えっ」と声を出した。祐司が見ている煙と、ガバリが見ている煙は同じものであっても見え方が違うようだ。それは、煙が巫術に由来するに違いないことを示している。
祐司は短槍を構え直すと急に斜面を走って下り出した。祐司の背後からクチャタの声が追いかけてきた。
「おい、ユウジ!一人で行くな」




