ドノバ連合候国の曙11 市民権
祐司は急いで朝食を摂って、パーヴォット探索の進捗状況を市庁舎に聞きに行った。すると、ガッツァーリ局長が待っていたとばかりに、応接室に祐司を連れて行った。
そこには、怯えた目をした三十歳半ばほどの男がいた。祐司はなんとなく顔に覚えがあった。しばらして、祐司を拘束した市民軍の隊長だと思い至った。
武装もしていない上に、妙に縮こまった態度から、祐司を自信満々に捕らえた隊長とはすぐに気が付かなかった。
「こいつです。確保していない人間を確保したと言っていたのは。市民軍で半隊隊長をしているババガ・リストフェルという乾燥魚を扱う仲買の親父です」
ガッツァーリ局長は手柄話をするように言った。
「それは、そちらの問題です。この人が嘘の契約書を押しつけたのですか?パーヴォットの行方を知っているんですか?契約書を交わしたのはバナン・キンケルという男です」
祐司は、ガッツァーリ局長が全ての責任を市民軍の隊長に押しつけて幕引きを図ろうとしているのではないかと警戒しながらクギを刺した。
「バナン・キンケルという男は、今、探しているところです。二人に賠償金を出させます」
ガッツァーリ局長は祐司の考えのように、二人に責任を押しつけて金で全てを解決しようとしているようだった。
「重ねて言います。パーヴォットが拘束されていないのに、拘束したという虚偽の契約書を結ばせたのは、シスネロス市庁舎の責任です。バナン・キンケルという男個人の責任ではありません。
わたしはパーヴォットを連れてきて欲しいだけです。金が欲しいわけではありません。犯人捜しをしているヒマがあるならパーヴォットを探して下さい」
祐司は相手のペースに巻き込まれないように自分の要求を主張し続けることにした。
「あのー、賠償金って幾らですか」
不安げに市民軍隊長ババガ・リストフェルが聞いた。
「金貨三百枚」
傍らにいた市庁舎職員が大きな声で言った。
「出せっこない。市民軍の給与だって貰ってないんだ」
市民軍隊長ババガ・リストフェルは両手で頭を抑えて俯いてしまった。しばらくすると、頭を上げて妙案を思いついた様に言った。
「そうだ。ランブル市民代表の命令だったんだ。だから、最高責任者に出して貰えばいい。ランブル市参事が出してくれる」
「そうか、お前、今朝からの騒ぎを知らないんだな」
市庁舎職員が憐れむように市民軍隊長ババガ・リストフェルに言った。
「ランブルは逃げたよ。それも、モンデラーネの所らしい」
もう一人の市庁舎職員が言ったことに、市民軍の隊長は、かなり衝撃を受けたのか、顔色が見る間に悪くなり一言もしゃべらなかった。
「傭兵隊本部から布告が出た。それから、指名手配書があちらこちらに張り出されている。まあ、ヤツならシスネロスでは顔を知らんヤツはいないがな」
ガッツァーリ局長は、市民軍隊長ババガ・リストフェルにそう言うと、今度は意地悪そうにランブル元市参事のあしざまに罵った。
「ランブルはモンデラーネと内通してたんだ。その手紙が公表された。わざと戦争に持っていってシスネロスを敗北に導こうとした売国奴だ」
「そんな。オレはランブル組なんだよ」
市民軍隊長ババガ・リストフェルは、祐司を捕縛した人間と同一人物とは思えないほどの小声で言った。
「ランブル組は軒並み尋問を受けてる。そのうち、呼ばれるよ」
ガッツァーリ局長はパーヴォット捜索の憤懣を市民軍隊長ババガ・リストフェルに押しつけているようだった。そのやり取りを聞いていた祐司は時間の無駄だと思ってパーヴォット捜索についてに念を押して市庁舎を退出した。
「局長、仕事が溜まってどうにもなりません。市長にもいずればれます。それに、市外に出た可能性が高いのでしょう。そこまで手を割けるのでしょうか?」
祐司が去ってから、リストフェルを部屋に軟禁してきた市庁舎職員がガッツァーリ局長に泣き言のように言った。
「なんとかしろ」
ガッツァーリ局長はそう言うしかなかった。先程は、市民軍の隊長をいたぶって鬱憤をはらしていたが、市民軍の隊長風情が祐司が要求するような大金を出せないことはわかっていた。
ここに至っては、市参事会が義勇軍に対する金の支払いを拒否することを祈るしかなかった。しかし、この願いは一刻もしないうちに打ち砕かれた。
「ガッツァーリ局長、市参事会で義勇軍関係の賞金、補償金の引き渡し日が決定しました。それまでに、書類を整えておくようにとの内示を受けました。正式な命令書は夕刻に届くそうです」
市参事会からの報告を持ってきた市庁舎職員がガッツァーリ局長に報告したのだ。
「いつだ?」
ガッツァーリ局長は、私情を押し殺して聞いた。
「七日後です」
「七日後?」
ガッツァーリ局長は渋い顔をした。七日という猶予期間は、そう無理なものではない。律儀にこなしていけばできる。ただ、パーヴォット捜索のために人を今までのように割く訳にはいかない日数である。
「あのー、市参事会にあがっている報告書ではユウジ殿関係の金額は出ていません。訂正して報告しますか」
市参事会の報告に来た市庁舎職員は、恐る恐るガッツァーリ局長に聞いた。
「間違いでした。金貨三百枚追加って言えるか。昨日、戦時保証人の引き渡しは遺漏無く終わったと報告した」
ガッツァーリ局長は有能な官吏である。それだけに、今まで目立った間違いということをしたことがなく、また、間違いをしないという自尊心があった。この自尊心がガッツァーリ局長を必要以上の窮地に追い込んでいた。
多少の叱責やあるいは、悪くて昇進に分が悪くなる程度のことを受け入れれば片づく問題であるが、ガッツァーリ局長は自尊心からそれを受け入れなかったのである。
「局長、パーヴォットさん捜索に懸賞金をかけましょう」
朝、祐司に使いに行った若い市庁舎職員が、思い切ったように言った。
「そんな金はない」
ガッツァーリ局長は、けんもほろろに言った。
「ここの職員から集めるのです。局長からお願いします。局長が出す額でどれくらい集まるか決まりますよ。そして、直轄地全域に懸賞金付きで捜索願いを出しましょう。
知らせるのは村会のシスネロス担当者でいいと思います。きっと、力を貸してくれます。近郊は、人手をやりくりして我々で捜索を続けましょう」
若い市庁舎職員は、賢明に食い下がるように言った。ガッツァーリ局長は長い沈黙の後で、「仕方あるまい」と言いながら腕を組んだ。
結局、その日の内に金貨四十八枚と銀貨六枚が集まった。シスネロスでちょっとした土地付きではない家を買えるほどの金額である。このうち金貨三十枚はガッツァーリ局長が出したものだった。
祐司がガッツァーリ局長と話をしている頃、市庁舎の一室では、再びシスネロス市の最高議決機関になった市参事会が開催されていた。
「どうしますか」
市参事達が食い入るように書類を見ている中でハタレン市長が情けなさそうに聞いた。
「どうもこうも、全部無かったことにすることはできないにしろ値引きはできないのか。総額で金貨一万五千枚を超えている」
ヤロミル市参事は、提案とも愚痴ともつかない発言をした。全ての市参事は、ヤロミル市参事を睨みつけた。
ヤロミル市参事は、失脚したランブル元市参事派と目されており、ランブル市参事が招集した義勇軍への支払いを愚痴ったことで呆れられたのだ。
議題は、義勇軍に対する報償金と補償金、戦時保護人の言う名の人質への補償金である。ドノバ防衛隊への報償金だけで一万枚の金貨、その他の義勇軍の報償金と戦死者に対する補償金で四千枚の金貨が必要だった。
それに、義勇軍の日給が加算される。
また、戦時保護人のうち五人が拘束中に亡くなっており、さらに数十枚の金貨が必要だった。
「こういう話を聞いたことがある。ある金持ちが死を覚悟するほどの病を患った。その病を名医が治してくれたそうだ。金持ちは金貨千枚で感謝の気持ちを表そうと考えた。
ところが、翌日になると金貨五百枚でも法外な報酬だと思えてきた。三日後には金貨百枚でも十分だと思えてきた。そこで、金持ちはこのままでは、金貨一枚でも惜しくなると思って十日後に金貨十枚を支払ったそうだ」
選挙地域直轄地代表のアズエイ市参事が言った。
「で、言いたいことは?」
ハタレン市長が、アズエイ市参事の真意を取りかねて聞いた。
「もし義勇軍の活躍がなくて籠城戦になればいくらかかったと思う。ランブル元市参事の発案だとしても、損得を考えれば純粋に成功した投資だと思う」
実際に籠城戦になれば三ヶ月で金貨一万二千枚が必要だった。それに、交易が出来なくなる損失まで加えると、金貨二万枚以上になると計算されていた。
「モンデラーネ公からの分捕り品も結構あるだろう。それは、周知の事実だ。けちくさいと非難されるのも拙いだろう」
アズエイ市参事はそう付け加えた。
モンデラーネ公軍から、シスネロス市は、軍資金としてモンデラーネ公が携行していた金貨三千三百枚をはじめ、馬、武具といった物をシスネロス市で競売にかけて得た金額、捕虜を奉公人として引き渡した金額も金貨で三千枚を越えていた。それでも、競売にかけられた品と人間は全体の半分にも満たない状態だった。
これに加えて、捕虜になったモンデラーネ公軍高位者の身代金が交渉によって入ってくる予定であった。
また、ドノバ領主軍が捕らえたリヴォン・ノセ州の領主や高位家臣の身代金交渉はシスネロス市が一括して行うことになっており、手数料として一割程度はシスネロス市が受け取る算段になっていた。
希有な例だが純粋な防衛戦であったにもかかわらず、ドノバ州勢は戦利品を大量に得て戦費のかなりの部分が補われる筈だった。
「オオカミがいなくれば猟犬は始末され、ムクドリ(正確にはホシムクドリ)がいなくなれば鷹狩りの鷹は食われる。
確かにそういう諺はあるが、オオカミはまだ藪の中に潜んでいるし、ムクドリは我々の畑を虎視眈々と狙っておる」
古手市参事であるルヴァルド市参事が、リファニアのたとえ話に絡めて言う。ドストレーム市参事が、それに続いて発言した。
「契約書を反故にする。シスネロス市がだ。そのシスネロスの看板を背負って今までのように商売ができるのか。信用貸しをしてくれるのか。
我々の祖先は、この何も無い湿地にシスネロス市を築いて、絶対に約束を破らないことだけを担保にして商売をしてきた」
そこまで言うと、財政担当のドストレーム市参事が立ち上がった。
「わたしは言いたい。ここで、契約を履行すればそれは将来大きな利益を我々は受けるだろう」
契約と信用を重視するシスネロスの常識では、義勇軍に金を払わないという選択は誰にもなかった。ただ、あまりの巨額な金額に何か打つ手はないのかとあがいていたのだ。あるいは納得できる理由を見いだしたかったのだ。
「良い筋書があります」
アズエイ市参事が腕を机の上に置いて言った。
「なんですか?」
ハタレン市長が聞いた。ただ、これは茶番でありハタレン市長はドノバ候を交えた事前の打ち合わせでアズエイ市参事の発言内容は知っていた。
「解決策は何でも良いでしょう。今なら何でも嫌なことは引き受けてくれる御仁がおりますからな」
アズエイと同じく直轄地代表のスラヴォ市参事が合いの手のように言った。
「ランブル市参事か」
ハタレン市長が軽く笑いながら言った。ヤロミル市参事も含めてすべての、市参事が苦笑しながら同意の表情を見せた。
「いや、そう嫌なことでもありません。まず、契約を履行しろと言って矛盾することを言うが値切ってみせます」
座が落ち着くとアズエイ市参事が意外な事を言った。
「それで納得するか。今、市内に不安要因を持ち込むのは危険だ」
ハタレン市長がアズエイ市参事に苦言のように言った。
「値切るかわりに金で買えない物を与えようと思います」
アズエイ市参事はそう言うと、一同がざわめくような提案をした。
「シスネロス市民権です」
アズエイ市参事は、かまわずに話を続けた。
「市民権を与えて、十年年賦にする。ただし、金利は二分(二パーセント)つけましょう。一時金で欲しい者は市民権と引き替えに二割引き。ただし戦死者には約束通り払う。怪我をした者は補償金を別途出す」
シスネロス市民権は両親ともシスネロス市民権を持っている者、あるいは父方母方の祖父ともシスネロス市民権を持っている者に与えられる。
特権は市庁舎公認の職能組合に加盟できることである。職能組合に入らなければ商売や製造が出来ないわけではないが信用の問題から、職能組合に入っていない者は下請けに甘んじなければならない。
また、職能組合は間接的ながら、市参事会会員を選出するために、シスネロス市民権を持っている者は限定的ながら参政権がある。
シスネロス以外でもシスネロス市民権保持者にはシスネロスの庇護が期待出来た。シスネロスの商圏は、王都タチのある南西沿岸地域にまで広がっており、そこには幾つかのシスネロス商館がある。
シスネロス市民権保持者は、その商館の保護を受けて商売上の情報を得たり、顧客を紹介してもらえた。
そして、シスネロス市民権保持者は市民軍に参加できる。この辺りの価値観は現代日本では理解し難いかもしれないが、自分の属する共同体のために武装できることはリファニアでは名誉である。それ故、市民は名誉を持っている者であり、非市民は名誉を持たない者である。
アズエイ市参事は市民権は金で買えないと言ったが金にはなる。商売上の信用におり経済的な恩恵があることと、シスネロス市内で土地、家屋を所有できるのは市民権保持者だけである。非シスネロス市民は、いくら裕福な者でも借地の上にある借家にしか住めない。
市民権があることによる利点の有無は、微妙な問題である。一般論で言えば資産がある者ほど利点がある。資産の無い者でも、非市民権住民の多くはシスネロスで、一旗揚げようとしている者が多いことから、今回、市民権が得られることを喜ぶことが予想された。
また、前述したようにリファニア社会では名誉がある存在に認定されるという無形の価値は大きい。
ここで、ドストレーム市参事が質問をした。
「しかし、シスネロス市民も千人以上参加していますが」
「元々のシスネロス市民には小規模ならば店舗営業申請金は無料、市営倉庫の一部を集合住宅に改造して希望者には格安で住まわせる。戦死者の家族は無料だ。それで、十年年賦か、二割引きの一括支払いかを選ばせる」
アズエイ市参事はもとから想定していたのか淀みなく答えた。
「中々斬新な案だな。しかし、言うことを聞いてくれるのか」
ルヴァルド市参事は腕を組みながら心配そうに言った。
「ドノバ候何かこの件についてご意見がありますか」
ハタレン市長がドノバ候に意見を求めた。
「わしが話そう」
ドノバ候は短く言った。
「先程の案、市営倉庫を住居に改装するには、それなりの費用がいるぞ。出してくれるとういう奇特な人物がいればよいがな」
ルヴァルド市参事の何気ない言葉に、ドノバ候は笑いながら答えた。
「わたしが出そう。ただし、家賃はわしが貰うぞ」
市参事達が、驚いた顔をした。その市参事達にドノバ候はまた頭の痛い発言をした。
「ただし、流石にそんな金は手元にないから貸してくれ」
市参事達は顔を見合わせた。貸した金でドノバ候が住居を提供すれば、住む人間はドノバ候に恩義を感じるだろう。ドノバ候に借財の請求をしてドノバ候が支払うことが出来なった場合はシスネロス市自体がどう思われるか。
取りあえず、義勇軍関係の日当、賞金、補償金は七日後に支払われることになり、その前々日に、割引きを受け入れれば市民権付与との布告が出せることになった。
事務処理のために、七日後の支払い予定日は事務方の義勇軍局にすぐさま知らされた。




