ドノバ連合候国の曙9 契約の履行 下 -ロティーの赤い木札-
市庁舎職員は五十がらみの、恰幅のいい男を連れてもどってきた。
「局長のガッツァーリです。申し訳ありません。しかし、パーヴォットという従者は本当に当方で確保していないのです。ですから謝罪します」
ガッツァーリと名乗った義勇軍局長は横柄に言った。とても謝罪している口調とは思えなかった。
「謝罪するそうだ。どうするユウジ殿?」
クチャタが身体を後ろに仰け反らして言った。
「これは詐欺です。詐欺師が謝罪すれば事は終わりですか。契約を履行してパーヴォットを返してください。できなければ市参事会に正式に訴えます」
祐司は心底怒りに満ちた声で言った。
「何を持って詐欺だと言われます。市庁舎を侮辱したらただでは済みませんぞ」
ガッツァーリ局長は、祐司とクチャタに招待状の失態などなかったかのように恫喝気味に反撃してきた。
「こちらもただでは済みませんな」
クチャタが落ち着いてガッツァーリ局長の言葉を受け流した。そして、祐司に目で合図をした。祐司はすかさず二枚の書類を机の上に置いた。
「これを見て下さい」
「正式の契約書です。一つは戦時保護人の安全を保証する書類で金を払いました。もう一つはわたしの義勇軍契約書です。契約相手は私とシスネロス市、代表者はシスネロス市庁舎代表ハタレン市長及び市民総会代表ランブル市参事です。義勇軍局長バウドという副書もありますよ」
バウドとは、ランブル組が義勇軍局を牛耳っていた時の局長で、ランブル組の主立ったメンバーの一人である。そのバウドはランブル元市参事の没落によって一昨日罷免されていた。
現在の義勇軍局長のガッツァーリは苦々しく書類を見ていた。
「わたしがシスネロスの為に命を的に戦って、契約を履行して欲しいといったら門前払いですか。
それで、よく商人の街の市庁舎だと言えますね。わたしはこのことを旅の先々で訴えます。パーヴォットをわたしの元に返してください。この契約書はパーヴォットの安全を保証すると書いてあります」
ガッツァーリ局長は、ランブル組にかき回された義勇軍局の後始末を任されていた。ガッツァーリ局長はもともと市参事会から見込まれている能力の高い官吏である。
ガッツァーリ局長は義勇軍局全体の仕事量を考えて、かなりやっかいな目の前の問題をシスネロス市が譲歩して解決することを決断した。
「わかりました。保証金を出す方向で…」
ガッツァーリ局長は祐司の差し出した保護人の安全を保証する書類を詳しく読み出した。すぐに、ガッツァーリ局長は驚愕の声を上げた。
「金貨三十枚ですと。従者ごときに!」
「普通は保証金は三倍返し、ただし、金貨十以上は十倍返し。金貨三十枚の保証金をわたしが出していますから十倍返しです」
祐司は淡々と説明した。金貨三百枚となると、市庁舎幹部クラスでも年俸十年分の大金である。
「そんな馬鹿な」「誰だ。そんな契約を認めたのは」「いや例の契約では?」
ガッツァーリ局長と三人の市庁舎職員は、祐司達の前で狼狽しながら相談を始めた。
「金貨十枚以上の決済は、市長の決済が必要になります。金貨百枚以上ですと市参事会の承認が必要になります。少々、お待ち願えますか」
ドノバ候関係者が介在して、契約を破棄する選択肢がない以上、ガッツァーリ局長は諦めたように言った。
「少々とは?」
クチャタが追い打ちをかけるように言った。
「一週間、いや、二週間ほど」
ガッツァーリ局長は慌てて頭の中で段取りを考えながら返事をした。
「お金など要らないのです。こちらから金貨三百枚を出しますからパーヴォットを連れてきてください」
祐司は必死に食い下がった。そして、もう一枚の契約書を机の上に置いた。
「次にわたしの義勇軍契約書をよく見て下さい。わたしは一願巡礼です。そのことは契約書に書いてありますね。この書類を作ったのはバナン・キンケルという市庁舎職員です。脅迫的な言動で無理にわたしに著名させました」
「また無体なことを。シスネロス市庁舎の人間が脅迫をするなどあり得ないことです。誰か証明する人間でもいるんですか」
ガッツァーリ局長は、再び最初の威厳を持った言い方で反論した。
「そんな言った言わないという水掛け論を、わたしは言っているのではありません。証拠があります。
わたしが、脅迫的言動で強制的に義勇軍に参加させられたとは先程も言いましたよね。わたしが無理矢理書かされたという文章も読めますね。この一文が後でわたしが書き足したことのない証明に印もありますよね」
祐司が言った印とは、リファニアでは契約書の文章の先頭部分と最後尾に、印を押すことがよく行われていたからだ。確かに契約証には、文章の先頭と最後尾に、シスネロス市庁舎の公印が押してあった。
「脅嚇により著名…」
ガッツァーリ局長は、文章の最後の一文を読むと押し黙った。
日本は表意文字の漢字文化圏であるので、脅嚇などという言葉を知らなくても、文字を見れば脅かすような類の単語であることはわかる。
しかし、リファニアの文字は表音文字であるので、”きょうかく”と書かれても、その単語を知らなければ何のことかはわからない。
祐司は”太古の書”などを読むために古風で難しい”言葉”を知っていたのだ。そして、相手が見当がつかないだろうということを当て込んで契約書の端にとっさに書き込んだのだ。
三人の市庁舎職員が、”きょうかく”の意味を、ガッツァーリ局長から教えてもらって、愕然とした表情をしていた。
契約書第一のシスネロスでも脅迫によって書かされた契約書は無効であるという法律がある。
祐司の契約書が無効であるとすれば本人の了解なしに義勇軍で戦わせたことになる。
「ところで、ユウジ殿の件に関してはアハヌ神殿のスヴェンエリク神官長から行方の照会と義勇軍からの解放を望む書簡が送られた。その書簡に関してシスネロス市庁舎は、どのような対応を取られたのか」
クチャタは突然、祐司が知らないことを口走った。祐司は驚いたがクチャタに合わせるように頷いた。
「気になっていた書類があるのですが」
市庁舎職員の一人がガッツァーリ局長に耳打ちをしたが、動揺しているのかかなり大きな声で祐司にもはっきり聞き取れた。
ガッツァーリ局長は、耳打ちをした市庁舎職員に何事かを命じた。市庁舎職員は急いで部屋を出ると数分ほどで、書状を手に持って戻ってきた。
「アハヌ神殿からの書状ではないか」
市庁舎職員から書状を受け取ったガッツァーリ局長は、今さらのように驚いた声を上げた。
「読んで下さい」
クチャタがゆっくり言った。ガッツァーリ局長は眉間に皺を寄せながら苦しそうに読んだ。
「ジャギール・ユウジ・ハル・マコト・トオミ・ディ・ワは一願巡礼で在る故、即刻釈放をお願いする」
「著名は誰ですか。それと宛先は?」
クチャタの問に、ガッツァーリ局長は観念したように答えた。
「アハヌ神殿のスヴェンエリク神官長です。宛先はハタレン市長です」
「しかし、どうしてスヴェンエリク神官長の書状が無視されたんだ。アハヌ神殿の封印もあるぞ」
ガッツァーリ局長は、書状を持ってきた市庁舎職員に当たり散らした。
この理由は後で判明した。臨時市庁舎職員で書状の配分役になったランブル組の関係者は字が読めなかった。
そこで、字の形から判断して、担当部署に届けていたが市長宛の書状は一つしかなかった為に、宛先がわからず自分の机の上に放置していたのだ。その書状に気が付いたのが書状を持ってきた市庁舎職員だった。
あと祐司の釈放を要求する三通の書状がスヴェンエリク神官長から出されていた。ところが、同じくランブル組の別の配分役が気を利かせすぎてランブル市参事に届けていた。ところが、ランブル市参事は多忙で書状は放置されてしまっていた。
「シスネロス市庁舎とは神々より偉いらしい」
クチャタは、芝居っ気たっぷりに言った。そして、ひどく真面目な口調でガッツァーリ局長に聞いた。
「貴方方が拘束する権利のない人間を拘束して、脅迫して契約をさせた。あまつさえ、戦場へ連れていった。法的にはどのような償いがユウジ殿にされるのか」
「義勇軍に関する法規と動員法を検討してみます」
ガッツァーリ局長は弱々しい声で答えた。もし、真にバナジューニの野での祐司の役割を理解していたら、金貨千枚でも安いと判断しただろう。
「パーヴォットを探してください」
祐司は、強い口調でガッツァーリ局長に迫った。
「いや、それは市庁舎の仕事では…。わたしたちにできることはありません」
ガッツァーリ局長は、ひどく歯切れの悪い言い方で答えた。
「ユウジ様がその気なら懸賞金を出して探しましょう。後で、シスネロス市が払ってくれます」
クチャタが、あきれたように祐司に言った。
「そうですね。ガバリさんの所にお願いしましょう。この人達よりシスネロスの裏表をよく知っていそうです」
祐司も市庁舎が本気でパーヴォットを探してくれる気がないことを感じて、人捜しに頼りになりそうなガバリの名を出した。
「ガバリって。故買屋の?」
市庁舎職員の一人がおずおずとたずねた。祐司は頭を振って肯定した。
「それはおやめください」
ガッツァーリ局長は気分を害した様に言った。よからぬ商売の者に市庁舎の失態を尻ぬぐいさることにガッツァーリ局長は耐えられなかった。
「ユウジ殿、のんびり訴えたところでパーヴォットは見つからない。わたしもバルガネン様にお願いして近衛隊で探していただこう」
クチャタは、後一押しと感じてドノバ候庶子バルガネンの名を出した。
「いや、それもおやめ下さい」
局長が青い顔で狼狽えるように言った。シスネロス市庁舎とドノバ候及びその麾下の関係は微妙である。
シスネロスでは最高の行政組織であるシスネロス市庁舎とドノバ州全体に影響力を及ぼすドノバ候とその麾下はシスネロス市では張り合う程ではないが互いに煙たい存在なのである。
現代の日本で言えば、県と政令都市である県庁所在地の市の関係とでも言えば近い感覚になる。
シスネロス市庁舎の過ちを尻ぬぐいするためにドノバ候側が乗り出してくるとなると市庁舎の面目は丸つぶれである。
「探してくれと言ったら断る。こちらで探すと言っても断る。どうすればいいんだ」
クチャタは、ガッツァーリ局長を叱責するように言った。
「わかりました。探します。どうぞお引きとりください」
ガッツァーリ局長は覚悟を決めたように言った。
「そうですか。今からアハヌ神殿でも相談してまいります」
クチャタは腰を上げながら何気ない様子を装って言った。
「後生で御座います。おやめ下さい」
ガッツァーリ局長は、謝罪するように言った。アハヌ神殿にスヴェンエリク神官長の書状が市庁舎の失態で無視されたと報告されたら、なにかしらの処罰は覚悟しなければならないからだ。
「なにか代わりのことをしていただけるのですか」
クチャタは完全に立ち上がってガッツァーリ局長を見下ろして言った。
「全力で探します。アハヌ神に誓います」
ガッツァーリ局長はそう言うしかなかった。リファニアで神の名を出して誓うことは勇気がいる。もしできなければ、神の名を汚したとされるからである。
反対に、よほど無茶なことを言う人間でも、神の名で誓えとは言わない。自分が神を利用していることになり甚だしい不敬を犯すことになるからである。
「見つかりましたら」
市庁舎職員の一人がおずおずと聞いた。
「オレの家に連絡をくれ」
「どこにお住まいでしようか」
また、市庁舎職員がおずおずと聞いた。
「オレの親父は、ガナシャン・ヌーイだ。そこに一緒に住んでいる」
クチャタの返事に、ガッツァーリ局長以下の市庁舎職員が顔を見回した。ヌーイは、ドノバ候のもとで長年勤めた高位の臣下として、市庁舎でも名が知られていたからだ。
「ヌーイ様のお宅に?あなたはガナシャン・ヌーイの息子さんですか」
ガッツァーリ局長は、今までにない丁寧な口調で聞いた。
「そう言っているだろう。そして、ユウジ殿は我が父ヌーイの賓客だ」
クチャタはガッツァーリ局長の質問には、直接答えずに別の言い方で、さらに、ガッツァーリ局長に揺さぶりをかけた。
「ヌーイ様の…賓客ですか。何故、賓客なのですか」
ヌーイは元々は、ドノバ候の儀典関連の仕事をしていたため、市庁舎でも知って居る人間が多い。ガッツァーリ局長は今度は困惑した口調で言った。
「報告書を出したぞ」
クチャタは芝居の台詞のように大袈裟に言った。
「この人は、タイナニナの渡船事故でオレの息子以外にも大勢を助けている。どれだけ、シスネロスの為に命を省みず働いたユウジ殿をコケにするんだ」
クチャタは、この言葉で自分の手駒は全て使った。渡船事故に巻き込まれた人間の中には、ちょっとした有力者の関係者も含まれていた。事故報告書作成の手伝いをしたクチャタはそれを知っていた。
クチャタは祐司が渡船事故で救難活動を行ったことを言っただけだが、市庁舎職員たちはその有力者のことを考えざるえないだろと思った。
「必ず探し出します」
ガッツァーリ局長は、そう言いながら深く頭を下げた。一般的にお辞儀の風習のないリファニアでは最大限の謝辞の方法である。
「新市街区も探してください」
祐司の言葉に、ガッツァーリ局長以下の市庁舎職員は顔を見合わせた。新市街地は市庁舎職員でも出入りを嫌がるほどに治安が悪いのだ。
「この木札を見て下さい。これが、パーヴォットを貴方達が預かっていると言って、わたしに渡した木札です。この木札を出してくれた市庁舎職員は親身になってくれました。どうか、貴方方も、その方と同じようにパーヴォットを探してください」
祐司は、拘束された日に、市庁舎から来たらしい老人に貰った赤い木札を取り出して見せた。
「赤い木札?」
市庁舎職員の一人が、赤い木札を見つめながら何処か上の空で言った。
「どうかしましたか」
不思議に思った祐司が、たずねても市庁舎職員達は赤い木札を見て黙っていた。
「誰がそれを」
ガッツァーリ局長がおずおずと祐司に聞いた。
「名は知りませんが、市庁舎からきた年配の市庁舎職員です。温厚そうな人で、わたしに色々と骨を折ってくれました。その後で義勇軍のためにも色々手筈を整えてくれました。その後は姿を見ていません」
祐司は淡々と話した。市庁舎職員達は互いに目配せするような様子で聞いていた。
「新市街も探します」
局長は悲鳴にも似た物言いで言った。その後、局長は、祐司とクチャタを拝み倒すように、こちらで善処しますという言葉を繰り返しながら一度引き取って欲しいと言った。
「赤い木札の老人など、オレは信じないぞ」
「いや、やっぱりロティーの亡霊だ」*話末参照
「契約を履行しないと終生祟られるぞ」
市庁舎職員達が言い争いをする中で、ガッツァーリ局長は、蒼ざめた顔をして黙り込んでいる。
「くそ、ランブルのせいでオレは破滅だ」
そう、苦しそうに言ったガッツァーリ局長に市庁舎職員が声をかけた。
「傭兵隊の方へ捜索の要請をしましょう」
「今、傭兵隊は多忙だ。こちらが下手なことに使ったらまずい」
すぐさま、ガッツァーリ局長は首を横に振って言った。
「では、誰が探すのですか?」
「お前達だ。いや、二三の部局に声をかけよう」
ガッツァーリ局長は、ようやく、肝が据わったのか急に生き生きとした声で言った。
「そんな、仕事はどうするんですか?」
市庁舎職員は、驚愕したように言った。
「お前達も巻き添えになるぞ。非番の者を呼び出せ。いや、最低限の人間を残して家族も動員してシスネロス中、郊外を回っても従者を捜し出せ」
本来は有能な官吏であるガッツァーリ局長は、次々と指示を出した。
「すぐにランブル組の奴らを集めろ。市庁舎でうろうろしていた奴らだ。奴らにも手伝わせろ」
「来ますか?」
市庁舎職員は、懐疑的な口調で言った。
「アハヌ神殿の不興を買って地獄に堕ちたければ来なくていいと言え」
ガッツァーリ局長は、立ち尽くしている市庁舎職員達を怒鳴った。
「早く行け。草の根を分けてもシスネロスの石の下を全て見ることになってもパーヴォットとかいう従者を探すんだ」
半日とたたないうちに五百人近い人間がシスネロス市内で、パーヴォットを探すためにかけずり回ることになった。
話末注 ”ロティーの亡霊”もしくは、”ロティーの赤い木札”
この話は代々、シスネロス市庁舎で働く市庁舎職員の間で伝えられてきた話である。
シスネロス市がまだ小さかった頃の話である。市庁舎にロティーという誠実な市庁舎職員がいた。ロティーは出世はできなかったが、仕事を辞めようと思うような歳には小さい部署ながら、その副長に任命されていた。
ロティーが属していたのは、その頃、シスネロス市の商売を盛んにする目的で作られた有望な零細商人に資金を貸し付ける部署だった。
ロティーは、難解な申請書の書き方を笑顔で申請者に教え、字の書けない者には代書までしていた。しかし、筋のよくない商人の要請はきっぱりと断った。
この頃のシスネロス市は、顔で物事が通るということが多かった。ある日、執務(現代日本では部長相当)が知り合いの商人への融資を認めるようロティーに言った。ロティーはいつものように、その商人の面接から始めて、その商人のことを近所で聞き回ったりした。
その結果、まがい物を売る評判のよくない商人であることがわかった。ロティーは迷わずに、その商人の申請を却下した。
顔をつぶされた執務は、部下に今後は緊急性の高い案件と赤い木札の申請書受付の印をもった商人の案件については、副長のロティーのみに任せて、他の人間が関与することを禁じた。
翌日から、申請書が出れば全ての申請者に、申請書受付の印として赤い木札が配られるようになった。執務は嫌がやせをしてロティーを退職に追い込もうとしたのだ。
十人ばかりでしていた仕事が、全てロティー一人にかかってくるようになった。それでも、ロティーは文句を言わないで今までのように黙々と仕事を続けた。
ロティーはほとんど家に帰れなくなり、今日の仕事を明け方に終えると、役所の机で俯せて少しばかりの仮眠をとってから、明日の仕事に取りかかるという生活になった。
この時にロティーが扱った融資を受けた商人の多くは、後に大商人になりシスネロスを支える背骨に育っていった。
根を上げないロティーに対して、執務はささいなミスに文句をつけて仕事をやり直させたり給与を下げたりした。
最初は仕事をせずに給与をもらえていた他の市庁舎職員も、ロティーがしだいに元気がなくなり、死相のようなものまで顔に浮かんできたことが気になり出して、何人かがロティーの仕事を手伝うようになった。
そのことを知った執務は、今後、ロティーの仕事を手伝った者は罷免だと脅かしてロティーを手伝うことを禁じた。
そして、ロティーが仕事を一人で行うようになって一年後、朝早く役所にやってきた市庁舎職員が、机で俯せているロティーの姿を見つけた。
市庁舎職員はロティーの机にある未決の書類が一つを残してなくなっていることに気が付いた。そして、ロティーが息をしていないこともすぐに気が付いた。
ロティーの顔は、なんとなく残念そうな表情をしていた。
執務以外の市庁舎職員はさすがに気が咎めたのか、質素ながら身寄りのないロティーのためにささやかな葬儀を出した。葬儀には、ロティーのおかげで商売が上手くいくようになった大勢の商人がつめかけて涙を流した。この話は噂になって、いたたまれなくなった執務は辞任してしまった。
ロティーの葬儀の後から不思議なことが、シスネロス市庁舎で起こった。緊急性の高い赤い木札を持った申請者に関する仕事が、ことごとく滞り出したのだ。どんなに丁寧に仕事をして片づけようと思っても、なぜだか上手くいかないのである。
赤い木札の仕事は、ロティーの仕事だったからだという噂が広まった。
シスネロス市庁舎では、この時以来、赤い木札を使うことを止めてしまった。ところが時々、赤い木札を持った人間が現れて、親切な年老いた市庁舎職員にお礼を言いたいということがある。
赤い木札を持った申請者は、決まって正当で緊急性の高い人間ばかりだった。
市庁舎職員はその老人が仕事をしている姿を一度も見ることはなかったが、申請者はいつでもその老市庁舎職員のことをよく憶えており、申請者と老市庁舎職員が話しているところを見た、という目撃者も多かった。
本来は無いはずの赤い木札を持った申請者が現れたら、何をおいても誠実に対応するよにしないとロティーの叱責を受けるという。
これが、シスネロス市庁舎に伝わっている”ロティーの亡霊”もしくは”ロティーの赤い木札”の話である。
赤い木札を取り出した祐司に対して、シスネロス市庁舎の人間が必死になって、その要望を聞き入れよとしたのには、このような話があったからである。




