ドノバ連合候国の曙8 契約の履行 上
話はバナジューニの野の戦いの三日後、ランブル市参事の逃亡の翌日、余録の戦いの二日前にさかのぼる。
その日、義勇軍に徴発された男達の家族が解放されることになった。指定された倉庫街に大勢の義勇軍の男が、ようやく自らが解放された兵舎からつめかけた。
「こんな倉庫に閉じ込められていたのか」「元気にしてるといいんだが、かかあは、双子と、まだ赤ん坊をかかえてるんだ」「おっかはもう年で持病があるんだよ」
口々に肉親を心配する声と、怨嗟の声が入り交じる騒然とした雰囲気の中で、次々と倉庫の扉が開けられて、二三十人ごとにグループになり疲れ切った様子の老若男女が次々と出てくる。
「AからCの人は一番倉庫、DからFの人は二番倉庫……」
「Aの一から二十番の札の人は出て来なさい」
*便宜上Aというようにアルファベットで表しているが、本来はリファニア文字である。
扉が開けられた倉庫の前に男達が急いで分かれる。前に出て来て家族の名を呼ばれてあわてて飛び出す者、じっと、見ていて呼ばれる前から飛びかかるような格好で待っている者。
倉庫の前では目を皿のように、耳をウサギのようにそばだてた大勢の男達で殺気すら漂っていた。
大声で名前を呼ぶ声で慌てて倉庫前の数名の男が駆け寄り、それぞれの妻子や親、兄弟と抱き合うように、また、しっかりと抱き合って再会を喜んだ。
喜びながら家族と家路に着く男達が去ると、残った家族が倉庫から出てくる。
市庁舎職員が、家族の名を呼び上げる。おずおずと市庁舎職員の前に出てくる家族に受け取りの書類と引き渡しに市庁舎職員は難しい顔で鎧や剣などを渡す。
戦死者の遺品である。
どの家族も泣き崩れて、見ていてもいたたまれない光景である。市庁舎職員は淡々と戦死を告示した書類を遺族に渡して確認を取る。
ほとんど人がいなくなった倉庫前で市庁舎職員が机などを片づけだしたので、祐司はあわてて一人の市庁舎職員に詰め寄った。
「おい、オレの従者はどうしたんだ」
「従者?」
怪訝な顔をする市庁舎職員に祐司は、パーヴォットを保護したという内容のシスネロス市庁舎と市民総会発行の書類と赤い木札を見せた。
「ここに、書いてあるわたしの従者であるパーヴォットはMの百一番です。ずっと待っていますがまだ呼び出しがかかりません」
祐司が見せた赤い木札を、市庁舎職員は何故か不自然に長い間見つめていた。そして、意を決したかのように言った。
「数字は百番までです」
「正式な書類もあります」
ますます怪訝な顔をする市庁舎職員は通りかかった仲間にも祐司の持っていた書類を見せた。
「正式な書類のようですな。ちょっと待ってください」
そう言って後から来た市庁舎職員は立ち去った。祐司が四半刻も待たされてから、後から来た市庁舎職員は書類の束を持って上司らしい人物を連れてきた。
「書類を再度調べましたが、パーヴォットという名はありません。第一、倉庫にはもう誰も残っていません」
上司らしい市庁舎職員は祐司がカタリだと言わんばかりのぞんざいな口調で言う。
「パーヴォットがいないってどういうことですか」
祐司は思わず目の前にあった机を両の拳で叩いた。
「倉庫で保護していた人間の名簿にはもとからその名はありません。取りあえずお引き取り下さい」
上司らしい市庁舎職員はいくら祐司が抗議しても、そう言い返すばかりだった。祐司が気が付くと祐司の背後に、数十人の男が取り巻いて様子をうかがっていた。
「ユウジ殿、どうした」
祐司に声をかけた男は、ドノバ防衛隊で見知った顔だった。その男以外にも、ドノバ防衛隊で見かけた顔がいくつもあった。
祐司は手短に、自分の保護人が行方不明であるが、市庁舎職員はいないの一点張りだと説明した。
「おい、この人はカタビ風のマリッサを討ち取ったジャギール・ユウジ殿だ。そのお方の保護人がいないとはどういうことだ」
最初に、祐司に声をかけた男が、市庁舎職員に詰め寄った。それを、合図に男達が口々に罵声をあげながら、市庁舎職員を取り巻いた。
騒ぎを聞きつけて武装した数名の傭兵が駆けつけてきた。すぐにでも実力行使を行いそうな傭兵達と、市庁舎職員を取り巻く男達の間に祐司は割って入った。
「皆さん、ありがとうございます。でも、止めてください」
何度も、祐司が叫ぶ。ようやく男達が市庁舎職員から離れた。
「ここで皆さんに、ご迷惑をかけるわけにはいきません。どうか、ご家族のもとに帰ってください」
祐司は、ドノバ防衛隊の男達に何度も頭を下げた。リファニアでは同格の者に頭を下げるのは最上級の謝罪を意味する。ドノバ防衛隊の男達は、頭を深く下げる祐司を黙って見ていた。
「ユウジ殿はそれで平気なのか」
一人の男が祐司に声をかけた。
「平気ではありません。でも、皆さんに迷惑をかけるくらいなら、どのような我慢でもいたします。この問題は、わたしが解決しなければなりません」
祐司は少し涙ぐんだ声で言った。生死をともにしたドノバ防衛隊の男達の厚情はありがたかったが、その男達が、やっと家族と会えたのに余計な争いに巻き込みたくなかったのだ。
「ユウジ殿、そんなことを言って解決できそうなのか」
また、祐司に誰かが声をかけた。
「もし、わたしを助けていただけるなら、皆さんは、わたしの保護人が行方不明になっていること、保護人を盾にわたしを戦わせたくせに、その保護人をいないと市庁舎職員がわたしを追い払ったとあちらこちらで言ってください」
祐司はとっさに思いついたことを言った。
祐司の言葉は市庁舎職員を多少動揺させた。パーヴォットが行方不明になっていることは明らかに市庁舎の失態である。
シスネロス市庁舎はシスネロス市民を統治するが、独立自治の建前から市民の感情を敵にはできない。バナジューニの野の英雄に、無体な態度を取ったと噂されると市民感情が悪化しかねない。
市庁舎職員達は集まってしばらく相談していた。そして、上司と思われる男が祐司に丁寧に言った。
「一刻ほどして、市庁舎の義勇軍局へ来てください。それまでに、再度調査をします」
傭兵の一人が祐司に近づいてきた。祐司は拘束されるのかと思ったが、その傭兵は穏やかな顔で祐司に声をかけた。
「ユウジ殿、よく我慢してくれました。職務上、騒ぎが大きくなると、貴方も含めて全員を拘束しなければならないところでした。
ユウジ殿の事情はわかりました。この話、必ず傭兵隊のディンケ司令にも伝えます。今日はいったん引いてください」
祐司は、傭兵にも頭を下げた。
「いつでも、我々を頼ってください」「ユウジ殿、従者のご無事を祈ってます」
ドノバ防衛隊の男達は、祐司に声をかけながら散っていった。
祐司は憤懣とパーヴォットへの心配で心がつぶれそうになりながら歩いているとヌーイの家の前に来ていた。
祐司は少し躊躇いもあったが、パーヴォットのことに自分がヌーイに引け目を感じることなどは些細なことだと言い聞かせててドアを叩いた。
しばらくすると、ヌーイの妻のキナーリが出て来た。
家の中に通されると、ヌーイとその息子のクチャタ夫妻、そしてクチャタの二人の子供がいた。一人はタイタニナの渡し船事故の時に命を救った男の子だった。
祐司は、昼飯時にきてしまったらしい。
「お食事とは存じません。いや、このような時間ですからあたりまえです。気が動転して失礼なことをしました。後で伺っていいでしょうか」
祐司は、そう言うと出直すために、ドアから出て行こうとした。
「ユウジ殿、余程のことがおありのようだ。顔色がすぐれませんぞ。さあ、お気を遣わずに」
ヌーイの妻のキナーリが気をきかせて子供達を女中といっしょに連れて行った。
「さあ、話を聞こう」
ヌーイが祐司に椅子をすすめた。祐司は意を決した。
祐司は四半刻ほどかけて、出立が遅れた原因となった黒猫亭のリューディナの事も包み隠さずに話すと、拘束されてからのことを説明した。
「カタビ風のマリッサをユウジという一願巡礼が倒したという噂を聞いたときはびっくりしました。ユウジ殿はてっきり街を出られたと思っておりました」
祐司が話し終えるとキナーリがさらりとした口調で言った。続けてヌーイが苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。
「それは、なんとも言いようがないな。バナジューニの野の英雄に市庁舎の連中は、そのような対応しかできんのか」
「よし、わしが行こう」
ヌーイが立ち上がって言った。
「父さん、この件はわたしに任せていただけないでしょうか。ユウジ殿にはまだ何の恩返しもできておりません。それに、市庁舎に行くお役目も御座いますので」
ヌーイの肩を持って、息子のクチャタが言う。
「いいな、ルティーナ」
クチャタは、ヌーイを座らせると妻に言った。
「郷士が受けた恩を返さないなどというのなら離縁でございます。しっかり、おやりください」
クチャタの妻ルティーナは、凛々しい声で言った。それを、ヌーイとキナーリは嬉しそうに見ていた。
「契約を履行してやってくれ」
クチャタは、祐司を差し置いてクレーマーさながらに吠え立てる。
「だからできません。再度、調査をしましたがパーヴォットという従者はいませんでした」
市庁舎職員がうんざりした顔で言う。先程からこの繰り返しである。クチャタは祐司と市庁舎を訪れると義勇軍関係の窓口に行って自分の身分を明かした上で話合いたいと申し入れたのだ。
しばらく、窓口で待たされてから応接室のような場所に案内された。そこには、三人の市庁舎職員がいた。
最上位の市庁舎職員は執務格と名乗った。日本の役所で言えば課長補佐である。
「シスネロス市庁舎の印があるぞ。シスネロスでこれ以上信頼できるものはドノバ候の公印くらいかな」
クチャタの言葉に、市庁舎職員達は忌々しげに顔をしかめたが反論はしなかった。
「上司を呼んでくれ」
クチャタの言葉に、祐司はやっぱりクレーマーのやり方だと思った。
「局長は多忙で」
市庁舎職員も定番の言い訳をする。
「誰が局長を呼べと言った。ハタレン市長を呼べ」
クチャタはふんぞり返って言った。
「しかし、市長は誰にでも会うわけでは」
「では、これを秘書官のヒルテン殿に渡してください。わたしの本来の用事はこれを届けることです」
クチャタは急に丁寧な言い方で言うと懐から封筒を取り出した。
「秘書官のヒルテン様は陳情を山ほど受けられておりますから」
市庁舎職員はクチャタが差し出して封筒を乱暴にひったくると机の上に放り投げた。勢いが余って封筒が床に落ちた。
「誰が陳情と言った。良く書類を見ろ」
クチャタの怒鳴る声に渋々市庁舎職員が封筒から中身を取り出す。傍目にも市庁舎職員の顔色が変わるのがわかった。
「それは、グリフード男爵様からの会食の案内状です。宛先はハタレン市長です。わたしは、公務でその手紙を市庁舎に届けにまいりました」
クチャタは、丁寧な口調で言った。
グリフード男爵とは、ドノバ候宮廷の表の顔である。ドノバ候は、ドノバ州の形式的な君主であるが、州単位で統治する君主ならば配置する州宰相をおいている。国で言えば首相に相当する人物である。
グリフード男爵の主な仕事は、ドノバ候の領地経営やシスネロス市に滞在するドノバ州領主の取りまとめである。ゆめゆめ疎かにできる人物ではない。
「ドノバ州宰相グリフード男爵の案内状を、投げ捨てるとは市庁舎はドノバ候に喧嘩を売るということですな。貴方が謝ったくらいではもうことはすみませんぞ」
祐司はクチャタが、市庁舎職員を怒らしてから、手紙を差し出したのは作戦だろうと感じた。これで、市庁舎職員はクチャタの機嫌を取る必要が出て来た。
別の市庁舎職員が対応していた市庁舎職員の耳元に囁いた。ただ、その内容は祐司やクチャタの耳にもはっきり聞こえた。
「この方はドノバ候近衛隊の百人隊長です。今度の合戦では手柄を立てられました。それから、その一願巡礼はたしか義勇軍でカタビ風のマリッサを討ち取ったというユウジという方かと」
耳打ちされていた市庁舎職員は、見る見る顔色が悪くなっていった。
「なんでそんなことを今になって言う」
耳打ちされた市庁舎職員は、あわてて、部屋を飛び出して行った。




