”小さき花園”の女8 いわゆる慈母
まだまだリファニア世界の説明が続きます。少しですがリファニア世界の全体像が明らかになっています。
「ユウジよ。太古の書の研究は進んだか」
スヴェアが3メートルほどの長さの棒で祐司を突きながらきいてくる。集団戦での主要兵器は槍ということで祐司は刀による防御練習をスヴェアから受けていた。
「気が散ります」
顔の直前まで打ち込まれた棒先を木刀で払いのけた祐司は荒い息で答えた。
「いいだろうハンディキャップがあるのだ」
スヴェアはもう一度祐司の顔を目がけて突いてきた。
「スヴェアさんから借りた”神話集”と”精霊伝記”も読み終わりました。それから”マルカイケル巫術書”も大体読み終わっています」
祐司は棒を左に避けた。しかし、棒の先は軌道を変えて祐司の方を向く。祐司は身を屈めてなんとか避けた。
「左へ避けるのはユウジの癖だ。勝負が長引くと見破られるぞ。で、どうだ。何かわかったか」
スヴェアは棒を下向きに祐司を叩くように動かす。
「空が割れた災厄 について最も客観的なのは”マリ書”だと思います」
祐司は横転しながら棒を避けると、立ち上がってスヴェアの問に答えた。
「よし、逃げるときは逃げる。よくできた。さあ、稽古はこれまでだ。マリ書は我も重要な書であると思っておる。されど古来から異端の書として論議がある書だ。所持するだけで迫害される地域もある」
スヴェアはそそくさと母屋の方に向かった。
「宗教書として読むからですよ。巫術の種類と淡々と”空の割れた日”のことを書いてあるにすぎません」
あわてて祐司は服の土埃を払い追いかけながら言った。
「全ての書は神々と精霊を讃えるためにあるとする神官がほとんどだ」
スヴェアの言葉の様子から、スヴェアはそれに批判的なことは明らかだった。スヴェアは槍代わりの木の棒を軒先に立て掛けた。祐司もスヴェアに続いて母屋に入る。
「体がほぐれたところで頭もほぐそうか。お茶を入れてくれ。それから、朝食の残りのゆでイモも出してくれ」
ユウジは命じられたようにハーブティーを入れた。ハーブティーとは言っても”言葉”では茶である。本来の茶は、この地域には伝わっていないか、広まっていないようである。
そのハーブティーも祐司が知らない草木の葉や実を乾燥させた物を数種類混ぜ合わせており不思議な味わいがした。
リファニアでイモというのはジャガイモのことである。南アメリカ原産のこのイモはコロンブスなき世界では本来は氷にとざされたリファニアを経由して漸次伝播といった形で他の大陸に広がったようである。
ただし品種改良は行われていないようで、どれもピンポンほどの大きさだった。ただ、食べると濃厚な味がした。
「ユウジよ。マリ書を要約してユウジの分かったことを話してみよ」
「”空の割れた日”のことが一番詳しく書かれています。おそらく書いた人間が実際に体験したことだと思えます。これがマリ書が貴重だと思う理由です。
空が割れたという表現ですが、実際に何が起こったのかは体験した人もわからなかったでしょう。何か目に見えないものが大地を押しつぶした。
それは風とかではなく人間が初めて体験する現象だった。多くの家が押しつぶされた。家に押しつぶされて死んだものはいるが人も動物も押しつぶされなかったと記されています。すごく不思議な現象ですよね。
そして、それに続く天候異変の記述があります。嵐の日々が十年続き人の大半は死んだとあります。干魃、異常低温、洪水が毎年続きます。
しばらくすると生き残った者の中に巫術を使える者が現れて人の生活を助けた。その巫術の種類について解説があります。しかし、今まで豊穣であった地は荒れ野になり人々は世界に散らばった。
夜空には雲のように光る”死者の道”が現れた。ただ”死者の道”が現れたのは”空の割れた日”のできごとなのか、それに続く災害の日々でのことかは判断が尽きません。そして、”死者の道”はやがて見えなくなった。ただ、早く見えなくなる者と長く見える者もいた。
夜空に光る雲状のものは他に銀河があります。僕の世界では銀の川です。ミルクの道なんていう地域もあります。決して不吉なものではありません。
でも、”死者の道”は不吉な名前がついています。本来は夜空を照らすものですからもっといい名がついてもよさそうなのに、そんな名がつくのは本当に大勢の人が死んだことの傍証だと思います。
他の書は神々の懲罰とその贖罪について多くを割いているのとは対照的です。
概論は以上です。ここから僕の推論を二つ話します。
まず、”死者の道”とは僕が夜空に見る”光る道”の事のことだろうと思います」
「ユウジが夜空を横切る光の筋は何と呼ばれているかと聞いたときは驚いたぞ。我にはそんなものは見えない」
「それがヒントになりました。マリ書に書かれた”死者の道”と僕が勝手に”光る道”と呼んでいるものは同じものです。
僕はスヴェアさんから出ていたり、巫術による生成物から発せられる光のようなものが地球全体から発せられているのだと思います。
それは極弱いものでしょうが、赤道に沿っては多少濃くなっています。それをこの高緯度地域から見れば赤道上空で地球を取り巻くリングのように見えているのだと思います。
”空の割れた日”にもたらされた何かしらのエネルギーが地球全体に、ひいては大地の恵みを糧にしている生物にも永続的に影響しているのでしょう。
ただ、”死者の道”そして”光の道”が見えなくなったという記述です。ここに興味を引かれました。キンブリ書とネギャエルーガ書でも象徴的な記述ですが”死者の道”に触れられていますので実在したのでしょう。
仮説を立てました。
”空の割れた日”にもたらされた何かしらのエネルギーは実は急速に排斥されました。地球を構成する物質とは本来相合わない性質のものでしょう。そのエネルギーが中和ないし、消滅している過程で見えるのがスヴェアさんの後光や”光の道”です。
”空の割れた日”にもたらされた何かしらのエネルギーは大地にも生物にも取り込まれました。急速に排斥されるエネルギーはそれらと桁違いだったでしょう。だから、”死者の道”として見えたのです。
ただ、自分の持っているエネルギー量に比べてその排斥されるエネルギー密度が低下すると見えなくなった。この辺りの説明は苦しいです」
「いや、わからんでもないぞ。我がユウジには理解できぬ感覚を持っておることは言ったな。ある感覚を得た者は代償を払っておるのかも知れぬ。
実はユウジのいう”光る道”の話は今のこの世界にもあるのだ」
スヴェアが思いがけぬことを言い出した。
「え?」
「西方大陸の住民の中で夜空に時々、光る道の見える者がおる。我が直接その何人かから聞いたものだ。
ほとんどが賤民とされるような者達が多く、我以外にはほとんど知られていない。その者達は巫術による効果も少なく。まして巫術師は一人もおらなんだ」
スヴェアは少し身を乗り出して言った。
「残存してるエネルギーに濃淡があるということでしょう。エネルギーレベルの低い者には見えるのかもしれません。僕にはエネルギーがまったくありませんから巫術の作用した物体からまで、その光が見えるのでしょう。
でも、この地の物を食べ、大気を呼吸する僕も次第にエネルギーが溜まって、やがて、僕も”光る道”やスヴェアさんの後光が見えなくなり、ここの普通の住民と同じになるでしょう」
「それはどうかな。我も実験とやらをしたい。しばし待て」
スヴェアはそう言うと寝室から布のかかった高さ横幅とも50センチほどの板状をものを持ってきて椅子の上においた。
「これは巫術ではなく職人がつくったものだ。我が儀式に使っておる道具だが、ここまで大きな物はめったにないぞ」
スヴェアがその布を取ると出て来たのは金属製の鏡だった。ユウジは髭を剃るために小さな手鏡をスヴェアから借りていたが、大きな鏡を見せられたのは初めてだった。
「さあ、その鏡にユウジの姿を写して見ろ」
祐司は鏡の正面に立った。
「え!これは」
「何が見える?」
「僕の体の周囲に体から離れて光が見えます」
「どんな光だ」
「説明しにくいですが、スヴェアさんの後光のように体のエネルギーが発している光とは違います。同じ光でも全然違うんです。
もともと薄くて頼りない光なんですが説明できなくてもどかしいです。しいていえば、”光の道”に似ています」
祐司はもどかしそうに引っかかるものを確かめようとした。
「そうか。これは僕がエネルギーを排斥している光だ」
祐司は大きな声を出した。
「スヴェアさんの光はエネルギーを排斥しているのではなく反応させている光なんだ。だから巫術が使える。この間やって来た男達も散発的ながら薄い光を放っていました。
この世界の人は程度の差はありますが、巫術のエネルギーを反応させているんだと思います。そして、その反応が大きい人間が巫術を使える人間なのでしょう」
祐司は少し考え込んでから言った。
「仮説に次ぐ仮説ですが、”空の割れた日”にもたらされた何かしらのエネルギー、その日にもたらされた強大なエネルギーは地球の物質が排斥する容量を上回り地球の物質に残存した。
しかし、その残存するエネルギーは通常の物質で排斥することが出来る。エネルギーを排斥された物質はまたエネルギーを排斥する。僕の体は通常の地球の物質からなっていた。それらは、この地のエネルギーを中和し、そのさいに光として見える。
証明できません。仮説です。単なる身勝手な仮説です。”空の割れた日”にもたらされた何かしらのエネルギーの正体も知らなければ、測定することもできないんですから」
祐司は次第に言葉に力を失った。
「ユウジよ。確実にユウジが来てからこの辺りの巫術への反応力は低下しておる。その仮説はあっていると思うぞ」
スヴェアは事も無げに言った。
「さあ、話をもとに戻そう。ユウジ。まだ太古の書について話が残っておるぞ」
祐司は少し落ち着いてからしゃべり出した。
「僕の世界でも天変地異で多くの人が太古の昔に死んだことがわかっています。しかし、いつしか記憶は薄れて、記録も散逸します。
スヴェアさんの説では四千年以上前の出来事ですよね。それが、今まで複数の書が伝わって人々が知っているということは桁外れの災厄であり、世界が一変してしまった大事件であったこと。そして、これが全地球規模で起こったからだと思います。
マリ書と第二の聖典とされるキンブリ書から著者の住んでいた世界は乾燥地域で灌漑農業が進んでいたと思います。一方、異端の聖典ともされるネギャエルーガ書の元の世界は乾燥した季節はあるが雨も多く降る温帯地域の感じがします。
もし、僕の地球とこの世界が”空の割れた日”まで同じ歴史をたどっていた。これはスヴェアさんの説ですよね。今から四千年前で記録を残せるほどの文明があり、そのような条件の土地を考えると」
祐司は黙って考え込む。
「いいぞ、ゆっくり考えよ」
スヴェアは祐司が考えている間にハーブティーのおかわりを入れてくれた。
「スヴェアさん、ピラミッドって、大きな四角錐の形をした山ほどの大きさの石積みの墓のことを知りませんか」
「キンブリ書の異伝書は何種類かあるが、その中に神々は人が石で山を造り神々の国へ到達しようとしたために空を割り、大勢の人を殺したと記されたものがある。
その石の山は作りかけで今は大半が海に沈んだとされておる。我も若い頃に一度行ったことがあるが一カ所だけ大草原の中に大石が散らばっておるだけだった」
スヴェアはハーブティーを飲みながら昔を思い出すように言った。
「草原ですか。気候が大変動してますからね。氷河期にはサハラが草原だったって話もきいたような憶えもありますから。で、その遺跡の近くに川がありませんでしたか」
「あったぞ。大きな川のほとりだ」
「その川の名は」
「ラァイルだ。土地の者はナァーイルとも言っておった」
「ナイルのことですよね。初めて地名が一致しました。さすがナイルです。四千年の時を超えて地名は生き残ったんだ。後で僕の作った世界地図で確かめて見ましょう」
祐司は笑顔で返した。
「その話が本当でスヴェアさんの説が正しければ、大異変は四千七百年前に起こったというのは大体正しいと思います。
推定を進めるとキンブリ書が書かれた地域はエジプトかその周辺ですね。いやピラミッドは墓だからエジプトの人間ならそういう風には書かないかな。いや墓じゃないって話も聞いたことがあるし……」
祐司は考え込んだ。
「何をぶつぶつ言っておる」
「すみません。ネギャエルーガ書の書かれた場所を推測して見ます」
「それは簡単で、なおかつとてつもなく難しいな」
「どうしてですか」
「ネギャエルーガ書は今から三千年以上前に編纂されたものだからだ。太古の書と呼ばれるものは三大書の他に幾つもある。それらをまとめたものがネギャエルーガ書だ。そのもとの書の多くは散逸している」
「そうですか。それでは今の僕にわかるのはさっき言ったことくらいです」
「それでも祐司の推論で太古の書に関する研究は数百年は進んだぞ」
祐司はスヴェアの言葉に反応せずに少し間を持って聞いた。
「スヴェアさん、一つ質問していいですか」
「なんだ?」
スヴェアの返事の口調を聞いて祐司は思い切って聞くことにした。
「僕の世界では女性に年齢を聞くのは礼を欠く行為だとされています。でも春にやってきた男の一人があなたのことを”千年巫女”と言っていました。先ほども若い頃にナイル川に行ったとおっしゃっていました。お年は幾つですか」
「千年とは買いかぶりだ。およそ三百五十年ほどは生きている」
暫く二人の間に沈黙が続いた。
「この世界では皆さんそれぐらい生きるのですか?」
祐司は少し息を飲んで聞いた。
「普通は長く生きる者で六十から七十年ほどかな。五十まで生きれば老人の境地だろう。ただ我やイェルケルのように数百年の齢を生きる者もいる。
巫術が自分の手足のように使えるほんの一握りの人間だ。数百年に一人も出てこないだろうな。
我とイェルケル、数百年に一人という二人が出会ったことが天地開闢以来の出来事だっただろうな」
スヴェアは何気なく答える。
「なぜ今まで黙っていたんですか」
「ユウジが聞かなかっただけだ」
「僕の世界では二十代ほどの年に見えます。スヴェアさんは不老不死ですか」
すでに見慣れたスヴェアの後光が祐司の目にはさらに鮮やかに見えた。
「いいや不死などではない。そして不老でもない。常人の数倍の寿命があるだけだ」
「でも若く見えます」
「だから最初はユウジが我に触れるのを避けておった」
「ひょっとしてその姿は巫術の助けで?」
「ああ、本来は年相応の容姿だ。それで自分なりに寿命も想像がつく。しかし、ユウジもこの姿の方がよかろう」
スヴェアは手櫛で髪を梳きながら悪戯めいた口調で言った。
「いつもその姿で?」
「いいや、巫術の維持は負荷がかかるゆえ、寝るときは術を解いておる」
「だから、呼んだとき以外は寝室に入るなと。なんか鶴の恩返しみたいですね」
「術を解いて我の本当の姿を見るか?」
「え?好きにしてください。僕に気を使うことは」
「今日はやめておこう。しかし、数百年などと言う寿命は人間が生きるべき寿命では無いかも知れない。
我は多くの事物を見て経験し、多くの人と交わったが忘れ去ったものの方が遙かに多い」
スヴェアは最後にため息をついた。




