ドノバ連合候国の曙4 ドノバ候の居間
ランブル市参事が逃亡して半刻後
ドノバ候の私邸には、ドノバ候と、その亡くなった候妃、子供達だけが入れる、居心地の良い大きな居間がある。それ以外の人間で入れるのは掃除のメイドくらいで、飲み物や軽食の世話をする召使いも入れず、ドノバ候であろうとも、酒やハーブ茶の支度も、自分ですることになっていた。
ただ、家宰のチェレスだけは、時々、ドノバ候に呼ばれて、酒飲みと話相手として部屋に入ることができた。ただし、本人が固辞するので、チェレス家宰は、いつも酒は一杯しか飲まなかった。
居間という概念は、リファニアでは新しい概念である。家族が、家族だけで一時を過ごすという為には、多少の上下関係があっても、同じ空間にいて家族としてくつろげる関係が前提にあるからである。
その意味で、ドノバ候の一家は時代を先取りした一家だった。
一人でドノバ候が居間でくつろいでいると、長子のエーリー以下、三人の息子が居間に揃って入ってきた。ドノバ候が子供達全員に招集をかけたのだ。
「おや、てっきりチェレスさんも一緒だと思いましたが」
長子のエーリーが意外そうに言った。バナジューニの野へ出陣した日以外は、この数週間、必ず家宰のチェレスと居間で長い間、話し込んでいたからだ。
子供達は小さなころからの習慣で、チェレスには”さん”付けで呼ぶ。これは、ドノバ候とその亡くなった候妃が、そのように躾けたからだ。
「今日から芝居が再開された。チェレスは芝居見物だ」
「ひょっとして”バルバンの友情”ですか」
エーリーがドノバ候に聞いた。”バルバンの友情”とは、リファニアの芝居では、中程度に人気がある演目である。
「チェレスさんは楽しみを排除して生きているように見えますが、”バルバンの友情”だけは欠かさず見に行きますね」
「まあ、人それぞれだ。ところで、芝居と言えば、ワシは今日は会心の演技だっただろう。今にも死にそうなドノバ候が、ランブル市参事の我が儘につき合っているとな」
ドノバ候は嬉しそうに言いながら椅子に座ると足を投げ出した。
「わたしは、お父上の真似はできません。正直、感服したり、あきれたりでした。それ以上に…」
長子のエーリーが、ため息のように言った。
「それ以上になんだ」
ドノバ候が悪戯っ子のような口調で聞いた。
「面白かったです。騙される人間を端から見ているほど面白いことは無いと、今日初めて知りました」
エーリーも、少し微笑んで言った。
「そのような面白がられる人間になるでないぞ。特に上に立つ者は、自身の肩書きにとらわれて自分を見失いやすい。わたしとて、媚びへつらいに騙されて、この年になるまでは、散々失敗してきておるのだ。特に、耳に痛いことを言う近親や近習の者の意見は大切にせよ」
少し真面目な口調でドノバ候は言うと、次男のロムニスに問を振った。
「今日、一番たくさん騙されたのは誰だ」
「シスネロスの民で御座います」
その時、部屋に入ってきた娘のベルナルディータが答えた。ベルナルディータはエーリーとロムニスの同母妹でドノバ候唯一の女子嫡子である。
ベルナルディータは、今年で十七歳になる。母親譲りの濃い金褐色の髪を背中の後ろで束ねており、広く白い額が聡明な感じを与える娘だった。
ベルナルディータは、テーブルの上にあるティーポットに、サモワールのような湯沸かし器から湯を入れる。そして、ハーブティーをカップに注ぐと、ドノバ候の座っている椅子の横にあるサイドテーブルの上に置いた。
「うむ。騙した以上は、庇ってもやらんとな。何より今はわしらの一番の支持者だ」
ドノバ候は、そのハーブティーを一口飲んでから言った。
「これからは、市民、いやドノバの民を味方にして政をする時代だと思います。そうしなければ、外からくる嵐に抗えません。いくら、調略をしようとしても、ドノバの民が我々を支持するなら恐くありません」
次子のロムニスが、真剣にドノバ候に言った。ドノバ候は、続けなさいというように頷いた。
「勝手に団結して、扇動者によってあらぬ方向に向かうよりは、先を見通せる者が導いた方がよろしいでしょう。
それも、民に自分達の意志表明で政が動くのだと夢を与えるのがよろしいかと思います。たまに実現する夢は独立自治などという実態のわからないものではなく、住居や食糧、仕事の待遇の改善といった目に見える物であることが肝要かと」
「わたしは果報者だ。エーリーの温厚さ博識、ロムニスの現実を読む目、バルガネンの勇敢さがあれば、リブラレル王(史実でリファニアを統一した王)にも匹敵しようぞ」
ドノバ候は心底嬉しそうに言った。
「まあ、わたしはどうなるでございましょう」
ベルナルディータが、ふざけて拗ねたように言った。薄い色合いの鳶色の瞳がドノバ候を睨みつけていた。
「お前まで、加わったらホーコン王(伝説上の初代リファニア王)を越えてしまうわ」
ドノバ候は、ベルナルディータを見ながら微笑んで答えた。
「お兄様達、媚びへつらいには、気をつけなければなりませんよ」
ベルナルディータの言葉に、居間にいた者たちはドノバ候も含めて大笑いをした。
「ところで、ベルナルディータ、何かあったのか?」
ドノバ候は娘を上目遣いで見ながら言った。ドノバ候はベルナルディータが座らずに立っていることから何かの用事を持ってきたことを察していた。
「ランブル市参事が逃亡したということです。近衛副隊長から連絡がありました。父上達が、この居間にいると申しましたら、わたしの方から伝えて欲しいということでしたので」
貴族の家で、当主の娘に政治上の情報を家臣が託すなどということは考えられないことである。ドノバ候の家名であるホノビマ家「正確にはノルトホノビマ家」ではドノバ候の日頃のベルナルディータへの扱いから家臣達も、極秘情報を除いては、娘のベルナルディータへも気軽に政の様子を伝えていた。
そして、根が賢いベルナルディータは、政に干渉したと思われるのを避けるために、その情報の感想を含めて口にすることはなかった。
「父上まさか」
エーリーがちょっと驚いたように言った。長子のエーリーは荒事が不得意であった。そのため、弟のロムニスに”バナジューニの野”への出陣を託したのだ。
「戦をするから命は取らないとはいわないが、わたしは人殺しだけは出来る限りしない。むしろ、命の危険のある人間は安全な所へ逃がしてやるぞ」
ドノバ候の言葉で、子供達はランブル市参事の行方不明に父親が関係していることを察したが内容までは聞かなかった。
ドノバ候は自分が話してもいいと思える話、話してもよいと判断した時期までは決して子供達に話さないことを知っていたからだ。
「まあ、ランブル市参事ほどの有名人だ。すぐに行方は判明するだろう」
長子のエーリーが兄弟を代表してランブル市参事の話を終わらせようとした。
その時、家宰のチェレスが部屋に入ってきてドノバ候に何事かを告げた。チェレスは慇懃にエーリーらドノバ候の子供達に礼をすると部屋を出て行った。
「そうか。やっぱりな」
ドノバ候のしたり顔にロムニスが聞いた。
「父上、何事ですか」
「ビルケンシュト市参事を暗殺した連中が、ランブル市参事の指示だったと自白したそうだ。家族の安全を守りたいならと強要されたそうだ」
ビルケンシュト市参事はバナジューニの野の直前に暴発した市民によって非業の最期を遂げた外交担当の市参事である。
「誰でも死刑は嫌でしょう。それも、今となっては死刑になる大儀も名分もない。ただの敵の手先という犯罪者としての犬死にだ」
長子のエーリーが解説するように言った。
「ランブル市参事はとんでもない悪党という証拠がまた出たわけだ。さらに、明日には、モンデラーネ公から受け取った手紙が表に出る。己の権力確立のためにモンデラーネ公と裏取引をしていた卑劣漢だ」
三男のバルガネンが怒ったように言った。少し単純なバルガネの言葉に後の人間は苦笑した。
「ビルケンシュト市参事を暗殺した犯人は、もう十日近くも取り調べを受けている。身体に障害が残るような凄惨な拷問を行わずとも、連日長時間休ませず攻め立てればいかような自白を取るにも十分な時間だ」
エーリーがバルガネンに噛んで含めるように説明した。
「あ、そういうことですか」
バルガネンもようやく気が付いて妙に納得したように言った。
「しかし、自白と言いますが、具体的な内容に欠けていれば、ランブル市参事は何とでも言い訳ができるのでは」
ロムニスがドノバ候に聞いた。
「ランブル市参事が、弁明をせずにシスネロスから逃げたらどうなる。最後まで、ランブルを信じておった連中も口を閉ざすしかあるまい」
ドノバ候は悪戯っ子が仲間に、これから行う悪戯の手口を話すような感じで答えた。
「弁明できないようだから、例の手紙は明日にでも公表しよう。もちろん、明日、公表する予定だったと付け加えてだ。市参事会は公表の時期については、わたしに一任すると言ってくれているが、後でハタレン市長には連絡をしておこう」
ドノバ候の言う例の手紙とは、ランブル市参事がモンデラーネ公の調略担当であるシュテインリット男爵から受け取った手紙のことである。何の変哲もない挨拶の手紙は、ランブル市参事へ裏切りを薦めるような形に改竄されていた。
「公表されるから逃げ出したと思われますわね」
ベルナルディータが追い打ちをかけるように言った。
「行方不明ということですが、シスネロス市自体から逃げ出しますか。どこかに潜んでいて、機会を持って命にかえても弁明するのでは。わたしならそうします」
バルガネンが不審そうに言う。
「そう、それが最善の道だ。冷静に考えればその結論しかない。ただ、冷静に考えるヒマもないと、つまらん選択をするのが人間だ。
一つだけ言っておいてやろう。ランブルはシスネロスにはいない。そして、シスネロスから姿を消したランブルは売国奴と罵られるだろう」
ドノバ候の言葉から、エーリー以下のドノバ候の子供達は、ランブル市参事の逃亡が意図された計画であることを察した。
「売国奴?」
聞き慣れない言葉に、ロムニスが復唱するように言った。
「ヌーイから聞いた言葉だ。故国や郷里を己の利益のために売る人間のことだそうだ」
ドノバ候が解説する。もちろん、ヌーイに売国奴という言葉を教えたのは祐司である。
「売国奴ですか。数日後にはシスネロスのあちらこちらで聞かれそうですね。もちろん、お父様がお広めになるのでしょう」
ベルナルディータはそう言ってから少し笑った。ドノバ候は、ベルナルディータの言葉を否定しなかった。
「さて、ランブルの話はこれくらいにして、疲れておるところ、お前達に集まってもらったのはドノバ州の組み直しの話だ」
ドノバ候は、子供達全員を居間に呼び寄せた本来の目的を口に出した。
「父上の理想をいよいよ実現させると」
長子であるエーリーが、他の兄弟を代表するように言った。
「わしが生きている間に、できるとは思っていなかったが好機が突然舞い降りた。これを奇貨として少しでもドノバを今以上の豊かで、強力な軍事力を持った州として真の独立不羈を達成したい」
ドノバ候は話しているうちに、自分の言葉に酔ってきたようだった。
「ドノバ州共通の法、ドノバ州内での関所の廃止、ドノバ州内での自由交易、まずこの三つは達成したい。すでに、各領主とは長年、この件については話をしてきおる。数年以内にはできる。
最初は領主達は渋っておったが、商売に関して領収書に領主が発行する収入印紙をつけることを教えたら大分納得がいったようだ。関所無しの自由交易で商売が盛んになれば、その方が収入が増えるからな」
「北クルトのやり方ですね」
ベルナルディータが補足するように聞いた。
「そうだ、あの貧しい北クルトでさえ交易が盛んなのは関銭を廃止しているからだ」
ドノバ候は、しばらく黙った後に突然言った。
「共通軍の創立だ。それも、常備軍として。シスネロスを含めて各領主軍は地域防衛隊として、自領および協力して近隣地域の防衛のみに当たる。ドノバ州全土の機動的な防衛および外征には共通軍が当たる」
ドノバ候の話に子供達は静かに聞き込んでいた。何度も聞かされた話だけにドノバ候の常備軍設立に対する思いを知っていたからだ。
「領主領、シスネロス直轄領から人口に応じてまず供出させる。そして、大部分は職業軍人だ。もちろん従来の傭兵隊とは違う。ドノバ州の人間だけで構成されたドノバ軍だ」
ドノバ候の話がいつもと少し異なるのは、現実味を帯びた要素を初めて言ったことだった。費用について言及したのだ。
「費用は、各地域の経済規模に応じて徴収する。まあ、過半はシスネロスが負担することになるだろう。
どうせ、常備軍の大部分はシスネロス近郊に駐屯する。物資の売買や兵隊の落とす金でシスネロスへの利益もあるだろから文句は言っても了解するだろう。
モンデラーネ公の脅威があるこの時期だからこそ実現させる。お前達は、ドノバ候の家に生まれた不幸だと観念して、ドノバ州とその民にために働いてくれ」
「おもしろい働きにございます。わたしは父上について参ります」
真っ先にベルナルディータが答えた。
「取りあえずは、隣接するリヴォン・ノセ州領主領を併合するおつもりですか」
エーリーが目先の方針をドノバ候にたずねた。
「常識的な線だろう。少なくとも、再度のモンデラーネ公侵攻に備えて、リヴォン・ノセ州のリヴォン川左岸(東岸)は手に入れんとな。
ただ、すぐには軍は動かせん。しばらくは調略だ。あの辺りの小領主は借金で首が回っていない。借金を肩代わりしてやるから、シスネロスで貴族として暮らしてはどうかと持ちかける」
ドノバ候の語った計画を確認するように次男のロムニスが聞いた。
「借金の肩代わりですか」
このドノバ候の話は、ドノバ州では、そう突飛な話ではない。まず、ドノバ内戦で領地を没取された家がある。それらの家は、郷士が持つほどの僅かな領地を残して、シスネロス市内で、捨て扶持を貰いながら貴族として生活している。
暗殺されたビルケンシュト市参事の家などがその代表である。
次に、借財を重ねてシスネロス市に領地の経営を完全に任せてしまった家がある。形式的には、領地持ちである。
だが、大半の年貢をシスネロス市に経営費と、それまでの借財返還に取られて、シスネロス市に貴族としての最低限の体面を保って暮らしている。ただ、家臣の大半を放逐して、個人的には裕福に暮らしている家もある。
ドノバ候の従兄弟であるブリナーレ子爵がその代表である。
「金を貸しているのは、リヴォン・ノセ州の商人だ。わたしが干渉するから実質的なドノバ州になってしまうと取り立てにくくなる。
そんな噂を流せば、元金返済で手を打つだろう。まあ、金の交渉はシスネロスの商人に任せておけばいい」
ドノバ候は何気なく言ったが、リファニアではシスネロス商人は約束を守るが、どんな手段を使ってでも相手にも約束を守らせるという勇名が鳴り響いていた。
「それは、リヴォン・ノセ州の商人にとっては気の毒なことだ」
長子のエーリーが本当に気の毒そうに言った。
「徳政令と武力併合をちらつかせば効き目がありそうですね」
次男のロムニスが不敵そうに笑いながら言う。
「藪の中のウズラ(取らぬ狸の皮算用)になりませんように」
長女のベルナルディータが皮肉を込めて言った。庶子のバルガネンは肩をすくめただけだった。
「これはベルナルディータにも関係のある話だぞ」
ドノバ候は、いつもやり込められてしまうベルナルディータに反撃するかのように言った。
「縁談で御座いますか」
ベルナルディータは、躊躇いもなく言った。
「お前は二歩も三歩も先を読むな。アンドレリア子爵のルヴァルドを知っておろう」
ドノバ候は父親としての己の敗北を感じながら言った。
「よく存じております。時々、舞踏会ではダンスのお相手を」
「そこら中の貴公子が、何であんな山育ちの田舎者をベルナルディータ様がと悔しがっておりました」
バルガネンが面白そうに言った。
「ふん、ルヴァルドにかなわないとわかっての嫉妬だ。あの男はお前達の世代の中でも、飛び抜けた男だ。是非とも味方にすべき男でもある」
アンドレリア子爵ルヴァルドは男でも見惚れるような貴公子を絵に描いたような整った顔立ちで、シスネロス市の女性の間では、あこがれのアイドルのような有名人である。
ただし領主仲間からは本人への評価は別として、アンドレリア子爵という立場への評価は高くはない。むしろ嘲笑の対象にする貴族もいる。
アンドレリア子爵領はキリキオス・エラ州と接したドノバ州東北部のアンドレリアにあり、そこはドノバ州の大半を占める中央盆地の、地味豊かな平坦地とは異なり、比較的、険しい山地であった。
そのことからアンドレリア子爵のルヴァルドは、ドノバ州の他の貴族からは、陰で山育ちなどと言われることがあった。
「もうルヴァルドを山育ちなどとは言わせない。領地替えをする」
「領地替え?」
ドノバ候の言った領地替えという言葉に、四人の子供達は一斉に聞き返した。
ドノバ候の言い出した領地替えは、祐司がヌーイとの雑談で出て来た話だった。祐司は領主や領地という言葉に江戸時代の印象で、何気なくリファニア王は領地を変更することができるかと聞いたことがあった。
反対に領地替えというリファニアには無かった概念にヌーイが興味を持ったのだ。もちろん、ヌーイからこの話を聞いたドノバ候も多いに興味を持った。
「そうだ、ドノバ候の命で行う。さすれば、ドノバ州の政は誰が仕切っておるか誰でもわかるだろう」
ドノバ候は堂々と言い放った。
「言うことを聞きますか。アンドレリア子爵のルクヴィスト家は質素が旨ですから借財はそれほど無いはずです。先祖伝来の地ですから、いくら父上の命でも二つ返事で応じるでしょうか」
長子のエーリーが少し心配そうに言った。ドノバ候が一旦命を出した以上、実行されなければ誰かが傷つくからである。もちろん、ドノバ候の命を反故にさせる訳にはいかない。
「領地替えは、今度の戦に対する論功行賞の一環だ。アンドレリア子爵ルヴァルドは小勢ながら、敵の総大将ゲルベルト伯爵を討ち取っている」
エーリーの心配など無用だと言わんばかりにドノバ候が言った。
「まあ、それはわかりますが」
それども、珍しくエーリーは食い下がろうとした。エーリーは個人的にアンドレリア子爵ルヴァルドと親しく、ドノバ候の命にルヴァルドが逆らった場合に、何らかの咎をルヴァルドが受けるのを心配したのだ。
「領地替えの先はリヴォオ川沿いの農耕地だぞ。それで、名はアンドレリア子爵からリヴォンアスト子爵にかわる。
どうしてもアンドレリア子爵の名を残したい、先祖伝来の土地を失いたくないというのなら一村くらい名目上、もとの領地に残せばいい。それに、領地替えには祝い付だ」
そんなエーリーにドノバ候は脳天気なことを言い続けた。
「わたしで御座いますか」
ベルナルディータは、祝いと聞いてドノバ候にたずねた。
「不服か」
ベルナルディータは、にこやかに頭を横に振った。
「よかった。わしもお前の嫁入りで、手放すのはしかたないと思っておるが、せめて、近くに嫁入りして欲しいのだ。
新しい領地は、最初は経営が大変だが、美男子と美女の領主を見れば領民も悪い気はしないだろう。しっかり、ルヴァルドを補佐してやってくれ。しかし…」
確かに、ベルナルディータは並以上の美人であり聡明さは他の女性の及ぶところではないが、同年配の貴族の娘の中にベルナルディータ以上の美人は何人もいる。
ドノバきっての貴公子であるアンドレリア子爵ルヴァルドとベルナルディータをいっしょにして、美男子と美女とは、ドノバ候も親ばかであると、三人の息子は心の中で同時に思った。
「わたしが、目立つようなことはいたしません。その点はご心配なく。夫を支える健気な妻となりますわ」
ベルナルディータは、もうすっかりアンドレリア子爵ルヴァルドの妻になったような口調でドノバ候に言った。ドノバ候はそれを嬉しそうに聞いていた。
「その健気な妻役を演じるということだろう。ルヴァルド殿には同情するよ」
ロムニスが小声で言った。エーリーとバルガネンは小さく頷いた。三兄弟とも、小さな時から口でベルナルディータに勝ったという覚えがなかったからである。
「空いたアンドレリア子爵の領地はいかがいたします」
エーリーは、すでに、アンドレリア子爵が領地替えを了承したとの前提で聞いた。
「差し当たってはシスネロス直轄地だな。それが、一番ドノバ州の利益になる。あそこには手つかずの良材が眠っているからな。ただし、金にするには道を設けることから始めなけばなるまい」
ドノバ候は、淀みなく答えた。
「そこまで、考えているとなると、アンドレリア子爵には話が通っているのですか」
そう聞いたロムニスは、父親であるドノバ候は、まったくの夢想を前提に、人に話を振り向けないことを知っていた。
「バナジューニの野へ出陣する前に、わたしの見舞いに来たアンドレリア子爵には、こんなことを考えているが、どうだというふうに話を持っていった。わたしは具合が悪いことになっている手前、ベッドの中からできるだけ弱々しく言ってやった。
すると、悲壮な顔をして家臣にも相談したい。考えさせて欲しいと言っておった。ただ、あれは、迷っているだけだ。選択肢がないことはわかっておるが、踏ん切りをつける時間をくれということだ」
ドノバ候の子供達は、すでに、アンドレリア子爵は外堀どころか、内堀を埋められていることを察した。
「この話はこれくらいにして、相談したい二番目の話だ。できるだけ意見を聞かせてくれ」
ドノバ候は、突然話題を変えた。
「父上はリヴォン川下流、河口地域への進出をお考えでは?」
ベルナルディータが間髪を入れずに言った。
「利発な娘は自慢だが、わたしにも一から説明させて欲しい」
ドノバ候は少し気落ちしたように言った。それに、エーリーがトドメを差した。
「水軍ですね」
「そうだ」
ドノバ候は不機嫌そうに肯定した。そして、自らを奮い立たして気を取りなすと、もう一度子供達が自分に説明を求めることを期待して言った。
「常備水軍は金がかかる」
その願いは、またしてもベルナルディータによって打ち砕かれた。
「ドノバ州の利点は、リヴォン川とモサメデス川の水運です。それを確保するためにも、水軍は是非とも必要です。ドノバは豊かかもしれませんが、唯一の弱点は海を持たないことです。
今以上の発展を願うのなら独自の海路を通じての王都タチを始めとする南西沿岸地域、遠くはキレナイト(北アメリカ大陸)との交易路を持つべきでしょう。今日明日の話ではなくとも海への出口は探すべきでしょう」
ベルナルディータはドノバ候が言いたかったことを簡潔に言った。
「水軍と簡単に言うが、要するに船を操る人の確保だ」
ロムニスがドノバ候を差し置いてベルナルディータに言った。このままでは、自分を差し置いて話が進んでしまうことを恐れたドノバ候は、とっておきだと自分で思っている話をした。
「そうだ。水軍は船を操る術がいる。わたしは司令官以外は、貴族でなくともよいと思っておる。平民でも腕に覚えがあり、よき働きをすれば水軍の百人隊長や、千人隊長に取り立てて良いと思う。
司令官も貴族に適任者がいなければ、平民を貴族格にして司令官をさせればいいとまで思っている」
「平民なら本人だけの報償ですみ、世襲を考えなくとよろしゅうございますね」
ロムニスがドノバ候の斬新な考えに驚嘆するのではなく解説するように言った。それに、バルガネンが相づちを打つように言った。
「軍では出世が難しくとも水軍ならと、意欲のある平民なら、やる気を出すでしょう」
ロムニスが、それを受けてドノバ候からすれば自分を無視したように、さらに、話を進めた。
「今のシスネロスにあるのは、商船を主体とした臨時編成の水軍です。本格的な水軍となると、わからないことばかりです。
バナジューニの野に出陣する前に、水軍担当のダネル市参事と話す機会がありました。何がわからない程ではないが、戦術はもちろん、編成や訓練など、わからないことは山ほどあると申しておりました。また、海では川船とは異なった装備も必要だと申しておりました。船の作りも多少違うそうです」
ドノバ候は、堪らなくなって気ぜわしく言った。
「余所から、教えてもらえばいい。そのための人材も呼び寄せればいい。最初は、海の船を買い込んで研究すればいい」
「どこからですか?水軍を持っている領主がおいそれと応じてくれますか。海を航行で来る船も右から左に買えるわけではありません。父上は心当たりがおありでしょうか」
エーリーが不審げに聞いた。ドノバ候は自分のターンがやってきたことを感じた。
「リヴォン川の河口の西に、シャンデルナ子爵の領地がある。ミストラという港町が本拠地だ。海に面しておるので海賊対策の水軍を持っておる。ただ、周囲の治安悪化で近隣の領主との諍いが絶えない」
ドノバ候が言葉を句切ると、子供達はドノバ候の顔を見て黙っていた。満足したドノバ候はできるだけ重々しく言った。
「シャンデルナ子爵には跡取りの令嬢がおる。なかなかの器量よしで父親思いの娘だそうだ。どうだ、バルガネン。縁談を持ちかけようと思っておる」
「誰の縁談ですか?」
バルガネンは跡取りの令嬢と聞いて気楽に聞いた。庶子の自分には関係のない話だと思ったからだ。
「寝ぼけるでない。お前だ。ただし、入り婿だ」
ドノバ候が、怒鳴った。
「入り婿?」
きょとんとした声でバルガネンが言う。
「シャンデルナ子爵領のうちリヴォン川沿の地域を持参金として貰うが、治めるのはお前と令嬢だ。シャンデルナ子爵にしてみれば領内に身内が治める封土ができるだけだ。
子が出来れば将来のシャンデルナ子爵だ。さすれば、領地は元通り。ただし、水軍の運用術伝授と港のドノバ州船舶への優先使用権は認めさせる」
ドノバ候は自分の考えを披露した。
「それだけは、足がかりとしてはどうでしょう。河口部に海への出口となるドノバ候領が必要ではありませんか。何か策を持ってシャンデルナ子爵の領地の一部でも割譲させるのですか」
ベルナルディータは父親の少々手前勝手な計画に水を差した。リヴォン川河口地域への足がかりを得るという以上には具体的な計画がまだ描けていなかったドノバ候は、思いついたことを口に出した。
「人聞きの悪いことを言うな。先程、周辺の領主との諍いが絶えないと言っただろう。バルガネンと、バルガネンに付いていくドノバ候近衛隊の一部がいればシャンデルナ子爵の領地を狙って侵入してくる領主を返り討ちにできる」
「その領主から土地を奪えと?」
ロムニスが少し呆れ気味に言った。
「何も広大な農耕地を入手したい訳ではない。なんならシスネロスほどの大きさの土地でもよいのだ。金で買えるかもしれん。むしろ、わたしはそちらの方を望んでおる」
少し冷静になったドノバ候は現実的な策を言った。領地を完全に金で売り買いすることは、封建領主としてのリファニア貴族にとって禁じ手である。ただし、土地を租借して利用するという方策はある。
「シスネロス市参事は、また父上の持ち込む難題に振り回されるわけですか」
エーリーが首を左右に振りながら言った。
「あまり、シスネロス市参事会に金の無心をするのはどうかと思います」
ベルナルディータもドノバ候を諫めるように言った。
「わたしの考えに反対か」
ドノバ候が不機嫌に言うと、ベルナルディータはドノバ候の声色を真似て答えた。
「耳の痛いことを言う近親者は大切にせよ」
「まあ、ほどほどにする」
ドノバ候は調子に乗りやすいが、本来は理性の人である。娘のベルナルディータの忠告をすぐに受け入れた。
それを見てベルナルディータは、さらに父のドノバ候に忠告をした。
「ほどほどにして、万が一河口部に、港が建設できる土地を得れば、そこで、ドノバ候直轄地として利用費を徴収すればいいでしょう。シスネロス市に金を出して貰ったがいいが、美味しいところを持っていかれてはなりません」
「まあ、来年再来年の話ではなく、十年単位の話だ。よくよく方策を考えてみよう」
気を取り直したドノバ候は、話し相手を御しやすいバルガネンに絞った。
「バルガネンよ。来年の春には縁談が成就するように下準備をする。婿入りが決まれば、男爵は無理でも、一代準男爵位はなんとかリファニア王に願えると思うぞ」
「爵位をいだけるのは嬉しいですが、話が急すぎませんか。第一ドノバ親衛隊はどうするんですか」
バルガネンは率直に気になっていることを聞いた。
「お前の武勲が売りなんだ。向こうは戦乱に巻き込まれる恐れが常にある。お前の働き時は、待っていれば必ず来る」
ドノバ候はバルガネンの説得にかかった。
「かわいい息子のいるシャンデルナ子爵領が厄介ごとに巻き込まれたら?」
また、ベルナルディータが口を挟んできた。
「もちろん、身内のドノバ候が動く。不当な敵を討つ。それで、領地を得る。シスネロス市参事会には、遠征費を援助してもらう。船で運んでもらう。この位でどうだ」
ドノバ候はベルナルディータを睨みながら言った。
「まあ、その程度ならシスネロス市参事会も乗ってくるでしょう」
ベルナルディータは、ようやく折れた。
「かなり先の話になるとしても、リヴォン川河口にドノバ候の勢力が及ぶとなると、シスネロスを筆頭にドノバ州の交易はますます盛んになりましょう。その切っ掛けがバルガネンの縁談であればめでたい話です」
エーリーが、話を明るい方向へ持って行こうとした。
「そこまで、父上がおっしゃるんですから具体的に話は進んでいますね」
ベルナルディータがドノバ候に聞いた。
「向こうの家老に内々で接触しておる。すでに、シャンデルナ子爵の耳には入っておる。かなり、乗り気にはなっているらしい。
このたびのモンデラーネ公との戦は縁談を進める上でも有利に働いてくれるだろ。なにしろ、リファニア全土に鳴り響いたモンデラーネ公軍を戦車で蹂躙した婿殿が来てくれるのだからな」
ドノバ候は手の内をすべてさらけ出した。
「モンデラーネ公は武力で勢力を拡大しますが、ドノバ候は婚姻で拡大ということですね」
ベルナルディータが微笑しながら言った。そして、急に真摯な声で、父親であるドノバ候へ頼むように言った。
「ただし、来年は母上の三年祭でございます。兄上とわたしの結婚は、その後でよろしゅうございますね」
三年祭とは、一度葬った遺体を掘りだして、神殿の壁やその敷地に改葬する行事である。君主の正妻となると、シスネロスではアハヌ神殿の壁ということになる。
ただ、ドノバ候のホノビマ家のエト神を信仰する家柄なので、実際はドノバ候私邸に隣接したエト神殿に改葬される。
「わかっておる」
ドノバ候の返事に、長子のエーリーが日頃思っていることを言った。
「三年祭が終われば、エミリヤ様を候妃になさればいいと思います。さすれば、バルガネンも嫡子ということになります。縁談でも有利になりましょうし、婿入りしてからも遠慮をしなくてすみます」
エミリアとは、ドノバ候の愛妾である。リファニアでは貴族が公認の愛妾を持つ事は不思議ではない。エミリアはドノバ候に仕えるグリフード男爵の従姉妹で、末席ながられっきとした貴族の血筋である。
ドノバ候は候妃が存命中に、自分が女性好きなことを告白した。そして、他の女性には手を出さないから一人だけ愛妾を持つ事を願い出た。候妃は、その愛妾を自分が決めさせてくれればという条件で認めた。
当主であれば妻の許可などなく愛妾を持つ。候妃の許可を取ったり、また、候妃が愛妾を夫に紹介するなどということはドノバ候家以外では、リファニアでは考えられないことである。
「バルガネンの前だが、フェリシアとは若いときに苦労を一緒にした。挫けそうになった時に、自分の不平は言わずに励ましてくれたのはフェリシアだ。
確かにエミリアも愛しておる。エミリアは気立てのよい優しい女だ。ただ、エミリアはいい時のわたししか知らない。上手く言えぬが、再婚は何故か許されぬ行為のようにも思える」
ドノバ候はしみじみと言った。フェリシアとは、ドノバ候がドノバ候家を継ぐことなど想像の埒外の時に、ほぼ恋愛結婚のような形でいっしょになった零細貴族の女性である。
親が決めた相手、もしくは親が決めた候補の中から見合結婚することが主流のリファニア貴族社会ではドノバ候の結婚は異例だった。
「そのようなお父様が好きですわ。でも、お父様の年で候妃がいないとつけ込んでくる輩もおりましょう。ここはドノバ候の立場で考えられてはどうでしょう」
ベルナルディータがやさしい声で言った。
「わたしもエミリア様であれば賢くドノバ候妃として立ち回れると思います。エミリア様の祖母は平民の出と聞いております。その方がドノバの民の支持も得られましょう」
長子のエーリーは、搦め手からドノバ候に再婚を促した。
「父上が母と結婚いたしましたら、かえって母やわたしのことを陰で悪く言う者もおりましょう。母はこの場にはおりませんが、わたしと同様に結婚には躊躇いたすと思います。
我が母を父上に紹介したのはフェリシア様と聞いております。父上との結婚は大恩あるフェリシア様を裏切るようなマネになると母は思うでしょう」
意外にも、バルガネン自身が母とドノバ候の再婚に異を唱えた。
「わたしは母が、エミリア様なら候妃になれると判断したからこそ父上に紹介したのだと思います」
ベルナルディータがバルガネンに言った。
「わたしは父上の再婚に、賛成でも反対でもありません。ただ、再婚したことでエミリア様やバルガネンに、陰口を言う者がありましたらわたしが成敗いたします」
ロムニスが勇ましいこと言う。
「そう悩ますな。これは、ドノバ州のこれからのことのより難しい」
子供達の意見にドノバ候はため息をついた。




