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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏
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ドノバ連合候国の曙3  亡命者 下

挿絵(By みてみん)




「お義父さん?」


 ランブル市参事の前に現れたのは、義父で、先代の羊皮紙組合長のダルベルシと、ランブル市参事の二人の弟のうち、末の弟であるネーフィットだった。


 ダルベルシは、早くから職人としても、対外的な取引でも有能なランブル市参事に目をかけていた。そして、ダルベルシ自慢の三姉妹の長姉を、ランブル市参事に嫁として嫁がせた。


 ダルベルシの娘を娶ることで、ランブル市参事は羊皮紙組合で重きをなし、シスネロス市という限られた場所ではあるが、政界に進出できたと言ってもいい。


 その意味で、ダルベルシはランブル市参事に取って大恩ある人物だった。


「一階に行こう」


 ランブル市参事が、事務所として使っている建物は変わった構造をしている。建物の外壁にある幅の広い階段を上がって二階の事務所に入る。普通なら、二階が店舗として利用される。

 一階は、二階から中の階段を下りて行く。もともと、一階は倉庫である。一階にも荷物の搬入の為の出入り口は表口と裏通りに面した二ヶ所にあるが、今は煉瓦と漆喰で塗り固められており、直接表から出入りすることは出来なかった。


 ダルベルシは、一階への階段を下り始めた。ネーフィットが黙ってそれに続く。仕方なく、ランブル市参事も二人に続いて一階へ下りた。


 一階は、小さな換気用の小窓が天井近くに幾つか空いているだけで、目が慣れてこなければ部屋全体の様子もわからないような暗さだった。

 一階は建物全体を使った部屋で、中に四本の柱があるが、テニスコート半分ほどの大きさのがあった。部屋の一角に教壇のような台が置かれて、その前に木製のベンチが、部屋の半分を占めるほどに並べられていた。


 ランブル組は、この一階を、集会室として利用していた。


「時間がないので端的に言おう。娘と離縁してくれ。それと、わたしの孫達とも義絶して欲しい」


 一階に降りてきたランブル市参事に、岳父であるダルベルシは、ランブル市参事の目を見ながら言う。


 ランブル市参事は、予想もしていなかったダルベルシの言葉に、しばらく、声が詰まった。


「何故、わたしが、ネリスと離縁して、フェリシーやバウティスタと義絶しなくてはならないのですか」 


 ネリスは、ダルベルシの娘でランブル市参事の妻の名、フェリシーとバウティスタは、今年、八歳になる女の子と、五歳になる男の子で、ランブル市参事の子である。


「何故?」


 ダルベルシは、大きく目を見開いて驚いた様に言った。


「何日も自分の家にも帰らず、政治ごっこをして、その挙げ句どうなったのか、わたしにわざわざ言わせるのか。この人殺し」


 ダルベルシは、感情をむき出しにしてランブル市参事をなじった。


「人殺し?お父さん、何があったんですか」


 ダルベルシの言っていることが、よく理解できないランブル市参事は、面食らうばかりだった。


「ネリスが自殺を図った」


 ダルベルシの言葉に、ランブル市参事の心臓は口から飛び出しそうになった。ランブル市参事は、家庭では、妻子を愛するよき夫だった。


「え、自殺って」


「心配するな。発作的に首を吊ったが、すぐに発見したので一命は取り留めた。二三日前から様子がおかしいので、女中に見張らせていたんだ。お前は自分の妻の様子が変だとは気が付かなかったのか」


 ダルベルシの言葉は、ランブル市参事を打ち据えるようだった。ランブル市参事が、何も言わないので、ダルベルシは言葉を続けた。


「この二三日、度々、バナジューニの野で戦死した遺族が家を訪ねてきてたんだ。何故、わたしの夫、息子が死んだのか、ランブル市参事に説明して欲しいと言ってな。

 ネリスは、市庁舎とここに籠もっているお前に心配をかけまいと自分だけで対応していたんだ。

 今日は、市民集会の特に多くの人間が家の前に集まった。かなり、酷くネリスを罵った輩もいるらしい」


「なんで、ネリスが罵られなければいけないのですか」


 ランブル市参事は、妻が罵られていると聞いて怒りがこみ上げてきた。その怒りを打ち砕くような言葉がダルベルシの口から出た。


「裏切り者の妻だからだ」


「裏切り者?」


 ランブル市参事はシスネロス市全体のことを思い私利私欲を、排して行動してきたつもりだった。そのため、裏切り者と言う言葉が自分に対してのものだということにランブル市参事は、なかなか理解できなかった。


「明日、手紙が公表される。何人かの有力者とわしは市民集会の後で市庁舎に呼ばれて、その手紙を見せられた。

 突然、発表して市民が混乱しないようにと言う説明を受けたが、お前がネリスの夫でなければ、すぐにでも傭兵隊に突き出すか、ここで殴り殺したいくらいだ。すでに、手紙のおおまかな内容は、シスネロス中に知られているだろう」


 ダルベルシが苛立って言った。


「手紙って?」


「とぼけるな。お前が、モンデラーネの重臣から受け取った手紙だ」


 ダルベルシの言葉には怒気が混じっていた。


「いや、あれはには当たり障りのないことしか書いていません。第一、ビルケンシュト市参事にすぐに届けました」


 落ち目とは悲しい物である。ランブル市参事は本当のことを言っているが聞いている人間には、誤魔化しや言い訳にしか響かない。


「どういった経緯で、手紙がビルケンシュト市参事の手に入ったかは知らんが、手紙を入手したビルケンシュト市参事の口を封じるために、ビルケンシュト市参事を殺させたのはお前だという者もいるぞ」


 ダルベルシは自分を抑えるようにゆっくり言った。


「今日は、市民集会が終わってから、ひときわ多くの人間が家を取り囲んだ、娘は、お前に会わせろという群衆の罵声に耐えていたんだ。それなのに、何時までもお前は帰ってこない。

 それでも、娘はお前を信じていた。シスネロスの為に我が身を省みず頑張っていたんだとな。そして、耐えきれなくなったネリスは、わたしが夫に代わって責任を取ると言って自殺騒ぎになったんだ」


「離縁などできません」


 ランブル市参事は懇願するように言った。


「今すぐ、家に帰ります」


「お前の家には誰もいない。すっかり、子供達が怯えてしまったので、わしの知り合いの家に、ネリスともども匿ってもらっている」


 ダルベルシは、冷徹な口調でランブル市参事に言い放った。


「どこですか。すぐに行きます」


 ランブル市参事は慌てて言う。


「どこかは言えん。もう、ネリスを楽にしてやってくれ。あいつは、三姉妹の長姉だが、本当は、ただの気の優しい女だ。

 長姉ということで、しっかり者のように、振る舞っておるが、本当は人に甘えたい女だということは、お前も知っておるだろう」


 ダルベルシは父親としての口調になっていた。


「なおさらです。わたしが夫としてネリスを支えます」


 ランブル市参事も必死だった。確かに市参事やランブル組のために、家を空けていることは多かったが、早くに両親を亡くしたランブル市参事は自分の家族には愛着が人一倍強かった。


「ランブルよ。事態は夫婦の問題なんかでは無くなっているんだ。ネリスどころか、ワシにも色々な圧力がかかってきておる。一族も肩身の狭い思いをしておるのだ」


 ここでダルベルシは困り果てたように言った。岳父として責任を取れという有言無言の圧力に、市民総会解散終了直後から悩まされていたからだ。 


「どうか後生です。ネリスと子供達の居所を教えてください」


 ランブル市参事は、そんなダルベルシの苦悩は理性では理解できても家族に会いたい心情を押さえられるわけではなかった。


「どうしてもと言うのなら教えてやるが、ネリスといっしょに自殺しろ。それで、他の親族に対する風当たりも和らぐだろう」


 ダルベルシの思い詰めた目にランブル市参事は何も言えなかった。


「その気がないなら離縁と絶縁だ。その場合は逃げてもいいぞ」


 ダルベルシの本心は自分に逃げて貰いたいのだとランブル市参事はわかった。


「逃げろってどこへ?」


「兄さん、手引きをしてくれる人がいる。取りあえず逃げてくれ」


 今まで、黙ってランブル市参事とダルベルシのやり取りを聞いていた弟のネーフィットが口を挟んだ。


 ネーフィットは、二人いるランブル市参事の下の弟である。ネーフィットはシスネロスでランブル市参事と同じ羊皮紙職人だった。今はランブルの跡を継いで親方をしてる。妻はダルベルシの末の娘である。

 上の弟は、シスネロス市直轄地トムスで、そこの親方の娘と結婚して婿入りとなって、やはり羊皮紙職人の親方をしている。

 

二人の弟が親方になれたのは、ランブル市参事の口利きがあってこそである。


 ランブル兄弟は比較的早く両親を亡くしたが、ランブルが立身出世をしたお陰で、弟たちもその余録に預かっていた。


「兄さん、オレはトムスのブルバン兄さんの所に身を寄せることにした。兄さんには悪いが、オレも妻子がいる身だ。

 どうせ、兄貴のとがで、運がよくても所払いくらいにはなるだろから、上申書をシスネロス市庁舎に出して自分で出て行く。だから、兄さんも、誤解が解けて良い風が吹くまでどこかで隠れていてくれ」


 流石に、肉親のネーフィットの言葉にはランブル市参事に対する気遣いが感じられた。


「出ていってどうやって暮らすんだ」


 ランブル市参事は反射的に聞いた。


「幸いに、兄貴の義姉さんと義父は離縁などは考えていないそうだ。だから、そこで、昔のタダの職人に戻って働く。もともと、オレには親方なんぞ身に合わなかった」


 そう言うネーフィットの決心は固いことがランブル市参事にもわかった。


「逃げてくれるな」


 ダルベルシの言葉にランブル市参事が何も言わなかったので、ダルベルシはランブル市参事が逃げるという前提で話を進めた。


「逃げる前に、わたし達に身の安全を保障してくれ」


「身の安全?今のわたしに何ができると?」


 ダルベルシの勢いに、ランブル市参事も逃げるという前提で話に乗り始めた。


「これで、われわれを殴るんだ。腕や肋骨が折れても良いから遠慮無く殴りつけてくれ」


 ダルベルシは、肘から先の手ぐらいの長さと太さを持った棍棒を持っていた布包みの中から出してきた。


「何で殴るんですか?」


 ランブル市参事はダルベルシの言っている意味を取りかねた。


「もちろん、自首を勧めたが、逃げだそうとしたので、我々が取り押さえにかかったら、お前に反撃されて怪我をするからだ」


 ダルベルシの言葉に、ランブル市参事は大声で抗った。


「できません」


「兄貴、後生だ。やってくれ。オレ達の身の安全を少しでも確かなものにしてくれ」


 弟であるネーフィットまでがランブル市参事を説得するが、ランブル市参事は首を横に振りながら黙っていた。



 部屋の隅の暗がりから、三人の男が現れた。三人の男はいずれも、シスネロスの祭でよく使用される革製の面を被っていた。一人は熊の面を被り、後の二人はボウスと呼ばれるモサメデス川に棲むというカッパのような妖精の面を被っていた。


「わたし達が、いたしましょう」


 三人の男の真ん中にいた熊の面を被った男が、ドスの利いた低い声で言った。ランブル市参事は堅気の者ではないと感じた。


「こいつは誰だ?そして、いったい何処から、ここに入ったんだ。一階には誰もいなかったはずだ」


 ランブル市参事は闖入者ちんにゅうしゃに驚きの声を上げる。しかし、ダルベルシとネーフィットは、予想していた出来事なのか、何も言わずに困った顔で三人の男を見ていた。


「名を言わぬ約束だ。ただ、シスネロスの人間だと言っておこう」


 義父のダルベルシがそう言ったとたんに、熊の面を被った男の左右にいた男達が、棍棒で数発、義父のダルベルシと弟のネーフィットを殴りつけた。二人とも不意を突かれて、二発ほど頭を殴られてから手で防ごうとした。その手にも棍棒が振り下ろされる。


 ランブル市参事は義父達を殴打する男につかみかかって止めようとしたが、熊の面を被った男に羽交い締めされて動けなかった。熊の面を被った男は小柄だがランブル市参事を、まったく動けなくするほどの力があった。

 その間に、ダルベルシとネーフィットは振り下ろされる棍棒を防ぎながら膝をついた。ようやく、棍棒での殴打が止まった。


「しばらく、倒れていてください。我々がいなくなって、百を数えてから表に出て下さい。そう、ネーフィットさんが、ダルベルシさんの肩を持って弱々しく出て行けばいい絵姿になりますよ」


 羽交い締めを解いてランブル市参事を自由にすると、熊の面を被った男は倒れた二人に声をかけた。二人は呻きながら頭を振った。


 熊の面を被った男の口調から、年配の男のようだった。


「なんてことするんだ」


 ランブル市参事は倒れている二人の駆け寄って傷を見た。二人とも頭に裂傷を負ったのか、顔一面に血が垂れるほど出血していた。棍棒で殴られた腕もひどく腫れている。

 

「見た目よりは痛くありませんよ。頭の傷なんてたいしたことはありません。でも、大怪我に見えるでしょう。

 手も怪我をしてますから、あなたに殴られようとしたので防いだように見えるでしょう。でも、最後は頭を殴られて一瞬気を失った。気が付いたら逃げられていました、と言えば誰でも信じますよ」


 このような修羅場に慣れているのか、熊の面を被った男は驚くほど冷静に言った。


「さあ、行きましょう。ここにいたらお二人に迷惑がかかりますよ。もっと、大きな怪我をしてもらわなくてはなりません」


 熊の面を被った男の言葉に、ランブル市参事はダルベルシとネーフィットの傷を手で押さえて黙っていた。


「さあ、ランブルさん手引きをいたします。ここから、出ましょう。貴方の手には血が付きましたよ。もう、言い訳もできません」


 二人の男がランブル市参事の肩と手を持って後ろから立たせた。


「出るって?出入り口は二階にしかないんだ。そこを出れば群衆が目の前だ。お前達を傭兵隊に引き渡してやる」


 ランブル市参事は自嘲気味に言った。


「ここから、出ることができます」


 二人の男は部屋の後方、すなわち、建物が裏通りに面している方に連れて行った。そこの壁は、一メートル四方ほど煉瓦が抜かれた穴があった。もとは裏通りに出る出入り口があったが漆喰と煉瓦で固められていた。しかし、その漆喰が削り取られて煉瓦が丁寧に抜かれていた。


 熊の面を被った男は、目で合図する二人の男はランブル市参事を穴の前に連れ出した。


「猿ぐつわをして、馬車に放り込んでおけ」


 穴にランブル市参事を押し込もうとする二人の男に、熊の面を被った男は命令口調で声をかけた。そして、倒れているダルベルシとネーフィットにも声をかけた。


「さあ、もうすぐ我々は出て行きます。我々が裏口から出ていったら、さっき、言ったように百数えて、二階の表口から出て下さい。表に出たら群衆にランブル市参事が逃げたと言うのを忘れずにね」


「娘と孫の命は保障してくれるのだな」


 ダルベルシは痛みを堪えながら聞いた。


「二三日は、陰ながら護衛をつけます。ランブルが目的地に到着した頃に、娘さんにランブルの真の姿を語って貰えば、今の場所から絶対安心な場所に移ってもらい保護いたします。それに、お孫さん達には、生きていく手段をご用意いたします」


 熊の面を被った男の言葉は、どこか暖かみがあった。ただ、それに続けて言った言葉には凄みがあった。


「ご心配なく、お孫さん達は、表の世界で堂々と生きていけますよ。ただし、娘さんがちゃんとランブルの正体を語ってくれればですが」


「それは、任せておいてくれ。何があっても説得する。子供達の為だと言えば絶対に大丈夫だ」


 ダルベルシは必死に言った。娘を説得できなければ、更なる仕打ちが襲ってくることを感じていたからだ。


「あなたを信用しないわけではありませんが、これを、娘さんを説得するのに使ってください」


 熊の面を被った男は、ダルベルシの懐に一枚の羊皮紙を押し込んだ。


「何なんだ?」


「ランブル市参事の書き付けです。奥さん宛になっています。あなたの言うように言えと、書いてあります」


 熊の面を被った男の言ったことにダルベルシは不審げに聞いた。


「ランブルは、いつの間にそんな物を書いたんだ」


「ランブル市参事の書き付けといいましたが、ランブル市参事が書いたとは言っていませんよ。まあ、世の中には、色々と特技のある人間もいますからね」


 熊の面を被った男はそう言うと壁の穴を少しばかり点検した。ランブル市参事達が二階にいるのにもかかわらず、ほとんど音を出すことなく、煉瓦の間の漆喰を、特殊な細長いのみで削り取った手下の仕事に、熊の面を被った男は満足すると壁の穴を抜けて外に出て行った。


 熊の面を被った男の言うように、世の中には色々な特技を持った人間があり、熊の面を被った男は、それらの人間を使いこなす特技を持った男だった。



「さあ、ランブル様、南の船着き場へ着きましたよ」


 ランブル市参事は押し込まれた荷馬車から引きずり出された。このランブル市参事を密かに運んだのは、以前、祐司がドノバ候私邸に行く時に乗せられた物と同一の物だった。

(第四章 リヴォン川の渦巻く流れに 自治都市シスネロスの街角7 危険な仕事 参照)


 ランブル市参事の目に飛び込んで来たのは、やや大型の川船だった。桟橋には商人風の男と、いかつい姿の船員が立っていた。


 ランブル市参事は、商人風の男の前に突き出された。


「ランブル市参事です。船が到着した後はよろしく。ランブル市参事のことを知っているのはこの船員だけです。船長は貴方方のことしか知りませんのでお間違えのないように」


「確かにランブル市参事様だ。世話になった。もう、会うこともないだろう」


 商人風の男は、そう言いながらランブル市参事を拉致してきた熊の面を被った男に、金が詰まっているような感じの革袋を渡した。


「先に船に乗せておけ」


 ランブル市参事を拉致してきた熊の面を被った男の手下が手荒にランブル市参事を船内に連れ込んだ。


「ご事情もおありでしょうから、この金額でよろしいが、他の方がシスネロスに来られたらこちらでお世話します。その時は、手間賃をはずんでください」


 熊の面を被った男は面を外すと冷たい口調で商人風の男に言った。商人風の男は、少し、ギクリとした様な様子を見せた。明らかに、熊の面を被っていた男の言葉に威嚇を受けていた。


「わかった。必ず伝える」


「船室へ案内します」


 いつの間にか船員が、商人風の男の後ろに立っており急に声をかけた。商人風の男は、小さく「あっ」と言って驚いた。


「あ、案内してくれ」


 商人風の男は、少し動揺しながら言った。


「お二人ではなかったのですか」


 船員は、感情のない口調で聞いた。


「ああ、十刻にここに来る。合言葉は教えておいた。お前も知っているだろう」


 商人風の男は、船員に虚勢を張るような感じで言った。船員は商人風の男の問に、軽く頷いた。


「来たらオレの船室へ案内してくれ」


「わかった」


 船員は、ますます感情のない声で答える。


「お前は逃げなくても大丈夫だと言い聞かせているんだ。でも、どうもやばい気がするって言うんだ。肝っ玉の小さい野郎は一度怖じ気づくと、役にたたないからいっしょに連れて帰る」


 熊の面を被っていた男に、商人風の男は言い訳がましく言うと、周囲を多少気にしながら船員に付いて船に乗り込んだ。



 熊の面を被っていた男が、桟橋を離れて、倉庫の角を曲がると。長身で痩せた老人が立っていた。


「こんな所まで出向いてよろしいのですか」


 熊の面を被っていた男が、驚いて痩せた老人に言った。


「ガバリ、ここが肝心のところでな。一目見ておきたかった。他意はない」


 故買屋のガバリに答えた長身で痩せた老人はヌーイだった。


「取りあえずお渡ししておきましょうか」


 ガバリは商人風の男から受け取った革袋をヌーイに差し出した。


「いや、後で使い者を出すから、しまっておいてくれ。そこから、金貨二十枚は先に取っておいていいぞ。しかし、急な仕事を安い金でやらして申し訳ないな」


 ヌーイは本心でガバリに、ただ働きに近いような金額しか渡せないことを申し訳なく思っていた。

 規定でガバリが請け負う任務には、金額の指定があった。今回の任務も、その規定に照らし合わせたものであるからガバリに特に不満はなかった。それでも、ヌーイがすまなそうに言うだけでガバリは、ヌーイの人柄に惹かれた。



 ドノバ候への巫術のエネルギーが蓄積された有害な食材を提供した業者の割り出し以前からヌーイはモンデラーネ公の間諜を何人か探し出していた。ヌーイの手先が故買屋のガバリだった。

(第四章 リヴォン川の渦巻く流れに 自治都市シスネロスの街角2 故買屋 参照)


 中世世界のリファニアでは、間諜といっても近代的な諜報組織があるわけではない。日本の戦国時代の「乱破らっぱ」「素破すっぱ」と呼ばれるようなゴロツキ集団を組織したものが多い。そして、既存の犯罪的な組織を利用することも一般的である。


 ドノバ候の防諜組織は、ガバリ一家という犯罪組織を装っているところが、ある意味先進的であった。


「色々、副業の方も仕事がしやすくなるんじゃないか」


 ヌーイは薄笑いを浮かべてガバリに言った。ヌーイの言った副業とは、もちろん、スリや置き引き、故買のことである。この副業からでもガバリは手紙などを、これと狙いを定めた相手から奪って本業に生かしていた。


「まあ、ハカー一家も壊滅しましたしね。モンデラーネ公側に情報を売ったり、工作をする人間もかなり始末できました」

(第四章 リヴォン川の渦巻く流れに 自治都市シスネロスの街角3 ハカー一家 参照)


 ガバリは、ヌーイに嬉しそうに言った。


「頭の悪い奴らはしょうがない。奴らは目の前の金ばかりに釣られて、モンデラーネにシスネロスを抑えられたら自分らが真っ先に始末されるなどとは想像の埒外らしい」


 ヌーイは、呆れたような口調で返した。


「頭の悪い連中ですから、戦場では、矢と槍は前からばかり来るとは限らないということを予想できなかったようです」


 ガバリはますます嬉しそうな口調で言った。ヌーイは、ガバリの言葉には答えず、急に真面目な口調で指図をした。


「ひょっとしたら、もう一仕事頼むようになるかもしれない。武芸の方で腕の立つヤツを十人ばかり見繕っておけ。今回のことの償いに、一寸した小遣い稼ぎをしてもらうことになるだろう」


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