ドノバ連合候国の曙2 亡命者 上
「シミリ・ドバデンが逮捕されました」
ランブル市参事が、ランブル組の事務所兼寄り合い所として使っている二階建ての商家に入るなり、年かさの側近が困ったような声で言った。
「ドバデンて誰だ」
「モンデラーネ公の使者を襲ったグループのリーダー格です。ランブル市参事の命令だったという噂が広まっています。捕まった時に、そうわめきちらしたんです。傭兵隊も特に黙らすことはせずに、しばらく放っていました」
年かさの側近は、ランブル市参事に大まかな説明をした。
「知らんぞ。それは、お前達が一番わかっているだろう。で、具体的にはそのドバデンは何と言ってたんだ」
ランブル市参事は、それでも事態がもう一つ飲み込めずいた。
「ランブル市参事がオレを助けてくれるだの、あの人の考えを実行しただけだのと言い回っていたそうです」
年かさの側近の、説明でようやく自分が、とんだ悪役にされているのだとランブル市参事は理解した。
「そのドバデンっていうヤツの勝手な思い込みじゃないか。そのドバデンというヤツは何処のどいつなんだ」
「靴職人だ。四十手前だが、気むずかしい性格で独身だそうだ。さっき、ドバデンを知ってる言うという若い者がいたので確かめたら、あんたの演説を、最前列でよく聞いていたそうだ」
ランブル市参事に、幼馴染みでランブル組の幹部をしている男が言った。
「ああ、思い出した。黒い帽子を被っている親父だろう。二三回握手したことがある。よく、独立自治のために、この身をささげるとか言ってたぞ」
少しばかり考え込んだランブル市参事は、薄い記憶をたぐり寄せた。
「多分、そいつのことです」
若い側近が勢い込んで言った。
「それから、もっとまずいことも言っていたようです」
年かさの側近は、忌々しげな顔で言い足した。
「なんだ」
「ドノバ候を殺してシスネロスの独立自治を完全なものにせよとか」
ランブル市参事は、年かさの側近の言葉に勢い込んで反論した。
「オレは、そんなこと言ってないし、思ってもないぞ」
「ドバデンはドノバ候を殺せ。ランブル組、ランブル市参事万歳と」
年かさの側近の言葉に、ランブル市参事は頭を左右に振った。
「おい、そいつはランブル組じゃないだろう?」
ランブル市参事は、二百人ほどいるランブル組の人間は顔も名前も知っており、自分の統制が効くと判断した人間しか組員として認めていなかった。
「はい、若旦那がドバデンに手土産を持ってきたら、ランブル組に入れるように口を利いてやると言ったとか言わなかったとか」
若い側近の言う若旦那とは、ランブル市参事の演説を聞いて、ランブル組の事務所に出入りするようになった裕福な商家の次男のことだった。
商家の次男だけあって、多少、会計管理に詳しかったのでランブル市参事は、ランブル組の会計を任せていた。
「ランブル市参事、すでに、全ての黒幕は貴方だと噂が広まっております」
若い側近の言葉に、さっきよりも大きな声でランブル市参事は反論した。
「それは言いがかりだ。モンデラーネ公の使者暗殺事件の後で、これ以上の暴発が起こらないように市民を集めて統制したのはオレじゃないか」
ランブル市参事の、この言葉にはウソはない。モンデラーネ公の使者殺害で騒然としていた市民を市庁舎前に集めて統制したのはランブル市参事である。
ランブル市参事が市民を市庁舎前に集めて統制していなければ、シスネロス市は混乱状態のままモンデラーネ公軍の来寇を受けた可能性もあった。
ただ、ランブル市参事に対する情勢の悪化で、ランブル市参事の言葉は全て言い訳のように聞こえてしまう。
「言いがかりかも知れんが、市民はこの件を知っているぞ」
幼馴染みの側近が、ランブル市参事に対して暗に対応策を求めた。
「若旦那を呼んでこい」
ランブル市参事は、苛ただしく言った。
「若旦那なら、半刻ほど前に父親が、ここに来て、連れて帰りました。当分、家で謹慎させるそうです」
年かさの側近が、諦め声で言った。そして、更に、ランブル市参事を困惑させることを言った。
「その若旦那の件で、あなたが、ここに帰ってくる少し前に市庁舎の会計担当が、二人来てました。悪い知らせです。聞きたいですか」
「言ってみろ」
ランブル市参事は、自信なさげに言った。
「実は若旦那が担当していた義勇軍の食費の件で、市庁舎の役人がこんなものを置いて行きました」
ランブル市参事が年かさの側近から受け取ったのは、会計報告書だった。
「なんだ?」
ランブル市参事は、いきなり渡された会計報告書が、何の会計報告かもわからないために不機嫌に言った。
「若旦那が市庁舎の臨時職員として担当していた義勇軍の会計報告です。人数に比べて食材の購入費が多すぎると言うんです。二割以上は高いそうです。納品書と領収書を調べたいから明日までに用意するようにと言って帰りました」
年かさの側近が説明して、若い側近が補足を行った。
「若旦那は、どうも業者からの代金の一部をリベートして受け取っていたようです。ただ、若旦那は、その金を自分のものにしたのではなく、ランブル組の活動費に入れたようです」
若い側近の補足説明に、ランブル市参事は怒鳴った。
「ランブル組が市庁舎の金をちょろまかしたみたいじゃないか」
ランブル市参事の怒りに、構わず年かさの側近は、事務的にランブル市参事に対応策を言った。
「兎も角、納品書と領収書を探して会計報告書と一致させないといけません。合っていれば少々高くとも納得するでしょうから」
「じゃあ、早くやれ」
ランブル市参事は事務所中に響き渡るような声で言った。
夕刻になると、ランブル市参事にとって事態は急速に悪化してきた。
ランブル市参事は人を集めようとしたが、二人ばかりが事務所に顔を出しただけだった。仕方なしにランブル市参事も、納品書や領収書を探して会計報告書と照らし合わせる作業を手伝っていた。
実はランブル市参事は、この些細な出来事に時間を費やしている暇はなかった。情報を集めて、それに対処すべく精力的に動く時間だったのだ。
市民集会での、突然の権力からの転落に対する衝撃によって、ランブル市参事は冷静な判断を行えていなかった。
こうして、ランブル市参事の貴重な時間は失われていった。
二刻半ほどしてようやく、会計報告にあるはずの納品書や領収書との照合に目鼻がたってきた。
ランブル市参事は急に表がざわめいていることに気が付いた。
「何事だ?」
「大変です。大勢の市民がこの建物の前に集まっています。ランブル市参事の弁解を聞きたいそうです」
数枚の領収書がないために、再度、書いてもらえないかと交渉に行っていた若い側近が、転がるように事務所に入ってきた。
「何の弁明だ」
ランブル市参事はうんざりしたように言った。
「のんびりしている場合ではありません。あなたが、ビルケンシュト市参事の暗殺に関わっていたのではないかと疑っているようです。
また、ドノバ候へ謝罪をしろとも言っていました。それから、表で使いの人間に会いました」
若い側近は、半分泣き顔になりながら言った。ビルケンシュト市参事はシスネロス軍出陣の前に、過激な独立自治支持の市民によって殺害された外交担当の市参事である。
(第四章 リヴォン川の渦巻く流れに逆巻く渦に抗して7 独立不羈の旗印 五 参照)
「使い?」
ランブル市参事は訝しげに聞いた。
「職人組合の人間です。樽職人組合と武具職人組合からの義絶状を持っていました。幾つかの組合も同様の処置を考えているようです」
若い側近は、羊皮紙の手紙を二枚、ランブル市参事に差し出した。
「それから、タネールンさんから伝言です」
「まだ、あるのか。で、なんと言っているんだ」
タネールンとは、ランブル組の支持者で、今いる空き店舗をランブル組の本部として貸してくれている男だった。
「もうこの建物は貸せないから即刻出って行って欲しいとのことです。騒ぎに巻き込まれて建物が損傷した場合は、あなたのご家族に請求するそうです」
若い側近の言うことに、ランブル市参事は、どう対処していいのかという思考が追いつかなくなってきた。
「バンスを使いに出して、誰にも傷つけさせないからと言ってきてくれ」
ランブル市参事は、しばらくたってから言った。バンスとは年かさの側近の名である。
「バンスは、あんたが、さっき便所に行っている間に家に帰ったよ。もう、ここにはこないそうだ」
幼馴染みの側近も、帰り支度を始めながら言った。
「ランブルさん、僕は帰ります」
若い側近は、そう言うなり早足でドアを開けて出て行った。ドアの外からは、かなりの群衆がランブル組事務所の前に集まっているのか人のざわめき声が聞こえてきた。
「なあ、悪いから直接、言うがオレは帰る。ランブル組もやめる」
帰り支度ができた幼馴染みの側近は、そっけない調子でランブル市参事に言った。
ランブル市参事は、持っていた書類を床に投げつけて言った。
「ラシュート、少しばかり状況が悪くなったからといってオレを捨てるのか」
ラシュートとランブル市参事から名を呼ばれた幼馴染みは、それに動じることもなく、諭すようにランブル市参事に言い返した。
「オレはお前の幼なじみだったから、ここまでつき合っている。市参事を自分で辞めろ。それから、ほとぼりがさめるまで身を隠せ」
「何故、オレが逃げ隠れする必要がある」
「別にきいてくれなくてもいいさ。でも、一つ頼みがある。その弁舌とやらで弁明するなら、弁明の途中でオレを罵ってくれ」
そう言って、ドアを開けて外に出て行こうとする、幼馴染みにランブル市参事は、少し力の抜けた声で言った。
「わかった罵ってやる。そのかわりにランブル組のメンバーをすぐ招集しろ」
「それで、どうする?」
いつもの調子でないランブル市参事の様子に、流石に幼馴染みは気になったのかドアから半分身体を出したまま聞いた。
「市民中心の政が、葬りさられようとしているんだ。市民総会主導が無理でも市参事会では、ある程度の影響力を残したい。
アハヌ神殿前で演説をする。組合の上層部ではなく、職人や店員に直接支持を訴える。ランブル組には、オレが演説することを触れに回らせる。ともかくできるだけ多くのランブル組をここへ呼んできてくれ」
ランブル市参事は、頼み込むような口調で言った。
「まあ、勝手にしな。最後の頼みは聞くが、今は集まれって言うだけでは、人は集まらないと思うぞ」
幼馴染みは、そう言うと事務所を出て行った。ランブル市参事は、椅子に座ると顔を手で覆って俯いた。
それに、続いて会計報告書の納品書と領収書の照合の手伝いにきていた二人の男も慌ててドアから出て行った。
ランブル市参事は、ようやく事態がただならぬ方向に進んでいることを理解した。そして、顔を手で覆って暫く椅子に座って俯いていた。
「ランブル市参事、悪い噂が流れています」
突然、ランブル市参事は声をかけられた。いつの間にか一人の若者がランブル市参事の前に立っていた。
ランブル市参事が、よく見ると最近、事務所によく出入りしているランブル組へ入りたいという希望を持った若者だった。その若者は、ランブル市参事に自分も臨時市庁舎職員に紹介して欲しいと言っていたので、ランブル市参事は市庁舎に紹介した。
ここ数日、若者の姿が見えなかったが、ランブル市参事は市庁舎の仕事が忙しいのだろうと思って気にしていなかった。
「どうだ、市庁舎の仕事は?」
ランブル市参事は、人が櫛の歯を抜くようにいなくなる中で、やってきた若者に、優しく声をかけた。
「ええ、なんとか人の足を引っ張らないようにしています。でも、毎日、戦場へ行きたくなかったから市庁舎で働き出したのかと言われています。モンデラーネ公と戦争になることを知っていたんだろうとも言われます」
若者は、ランブル市参事の問を丁寧な口調で答えた。そして、少し間を空けて言葉を続けた。
「ランブル市参事がモンデラーネ公と通じており、モンデラーネ公の手先になってシスネロスを牛耳ろうとしていたのだという噂です。
わざと、貴方はシスネロスにモンデラーネ公と戦争をさせて、モンデラーネ公の軍門に降るように画策したのだと断言する人間も、市庁舎では一人や二人ではありません」
「おい、オレの耳がおかしのか?オレほどシスネロスの独立自治の為に尽くしている人間はいないと自負している」
ランブル市参事は、思いも寄らぬ情報に本気で反論した。
「モンデラーネに独立自治を保証して貰うより、多少は妥協してもドノバ候に統治して欲しいと言う者もいます」
若者は、冷静な口調で言った。
「奴隷になりたいのか。多少の不便があっても自治は尊いものだ」
ランブル市参事は憮然とした口調で言う。
「ランブル市参事、わたしは、今のままでも自治が達成されているように思えます。シスネロスはドノバ州全体の統治者ではありません。ドノバ州の統治者はドノバ候です。ドノバ候にシスネロスの自治を認めていただけるだけで十分ではありませんか」
若者の言葉に、ランブル市参事は自分を否定されたような感じを受けた。
「何故、認めていただく必要があるんだ。シスネロスの自治を勝ち取ったのは我々の祖父だ。ドノバ候の地位を与えたのも我々の祖父だ。話にならん」
「ドノバ候が不用だと」
若者は小首を傾げて聞いた。
「そんなことは言っていない」
ランブル市参事は、怒鳴るように言った。
「それは知っています。そして、数日前までは、あなたの言うことには惹かれておりました。でも、今はあなたについていけません」
若者の物言いは、どこまでも冷静だった。
「生意気を言うな。市政改革がしたいと言っていたのは誰だ。それを叶えるために臨時市庁舎職員に、お前を任命したのは誰だ」
「この七日間ほど、市庁舎で働きました。わたしは何もできませんでした。わたしがどれほど生意気で世間知らずの無能者かがわかりました。
何故、役所が担当ごとに細かく分かれているのか。何故、すぐに決済できないのか。わたしはシスネロス市庁舎の怠慢だと思っていました。
でも、中から見ると職員は精一杯仕事をしています。何となく、利害関係の絡むことは独断では動かないこともわかってきました」
若者は淡々としゃべり続けた。
「ふん、絡め取られたな。それが、あいつらの手口だ」
ランブルはそうは言ったが、羊皮紙組合の組合長として組織を束ねるために利害調整が大変なことや、地味な事務仕事の裏付けがなければ組織が維持できないことも実感していた。
ましてや、シスネロス市だけではなく、直轄地の統治事務まで引き受けているシスネロス市庁舎の職員の有能さも知っていた。
政治的な支持を得るために、ランブル市参事は演説で市庁舎を非難することも多かったが、それは市民受けがいいという理由からだった。
「これからは、正式に市庁舎の職員になれるように勉強したいと思います。仕事の飲み込みが早そうだから、正式に臨時職員に応募してみないかと言ってくれた人もおります」
若者は、口は嬉しそうに、目は少し悲しそうな様子でランブル市参事に言った。
「じゃ、ここから出て行け。泣きついてくるなよ」
ランブル市参事は、そう言ってやるのが若者の為のような気がした。
「失礼します。ただ、市庁舎で働いて、実際の市庁舎のことを中から見聞できたのは、貴方のおかげです。それは、感謝しています。だから、お礼を言いたくて来ました」
若者は、最後まで丁寧な口調だった。そして、ドアから出て行いく時に、立ち止まってランブル市参事に意外な事を言った。
「ダルベルシさんと、弟のネーフィットさんが見えています」
「どこだ?」
ダルベルシとは、ランブル市参事の妻の父、ランブル市参事の岳父である。そして、ネーフィットは、ランブル市参事が長兄である、三兄弟の末の弟である。
「お二人がここに入ってこようとする時に、少しでいいので貴方と話をさせて欲しいと頼みました。幸いにお二人は、わたしの話がすむまで待っているから、終わったら呼んでくれと言ってくれました。お二人を、すぐに呼んできます」
若者はそう言うとドアから出って言った。表に集まった群衆は人数が増えたのか、先程より人のざわめきが大きくなっていた。




