黒い嵐22 死者のための帳(とばり) 上
リヴォン・ノセ州領主軍が壊滅しつつある時、祐司はシスネロスから運ばれた来た食事を配る荷馬車に並んでいた。
「ユウジ殿、こんなところに並ばなくとも、わたしがあなたのもとに食事を運びます」
祐司の後ろから声をかけてきたのは、旗手のツハルツだった。ツハルツは、律儀に旗をまだ持っていた。旗は一日の戦いで、泥にまみれ、矢でも貫通したのか穴が空いていた。
「ツハルツか。いいんだ。一刻も早く食べたい」
「おい、一願巡礼のユウジ殿が腹を空かして並んでいる」
ツハルツが大声で言った。
「これを食べてください」
食事をもらったばかりの兵士が、食器を祐司に差し出した。祐司が遠慮していると、兵士は無理矢理に祐司の手に食器を持たせた。
「わたしはもう一度並びます。それでも、結局は夕食にありつけます。でも、あなたがいなかったら絶対に食べられなかったでしょう」
「わたしはそんな大それた働きはしてない」
食器を持ったまま、どうしようかと迷っているユウジに、いつの間にか近くに来ていたガークが声をかけた。
「謙遜するな。戦場で共に戦った者は誰が英雄かを知っている。カメラード(戦友)・ユウジ」
「さ、いっしょに食べるか。戦勝の後は習いで、煮込みの干し魚と大麦の粥だ。縁起物だから食べ残すなよ」
煮込んだ干し魚と、大麦の粥は調理に時間がかかる。その料理は勝者にのみ許された料理だった。
祐司とガークは、今日一日戦場に降った雨の余波でぬかるみばかりの地面の中で,少しでも乾いていそうな場所を探した。すると、根転がせた丸太に男が座っているのを見つけた。男は馬商人のナサーンだった。左の肩に大きな包帯を巻いて、膝の上に置いた食器から片手で不自由そうに、干し魚と大麦の粥を食べていた。
「ナサーンさん、お怪我をされたんですか」
祐司は、少し心配げに聞いた。
「流れ矢が当たってな。傷はたいしたことはないんだが、少々痛む」
ナサーンは、少し笑って見せて祐司を安心させるように言った。
「これを使ってください。傷からヘンなものが入り込んで身体を蝕むのを防いでくれます」
祐司は餞別代わりに薬屋のアスキナから貰った軟膏を取り出した。アスキナの話では、特別なコケを、混ぜ合わせた軟膏ということだった。特に傷の化膿を防ぐ作用があるとということで祐司は抗生物質が含まれているのではないかと推測していた。
「おお、"エト神の涙"じゃないか。こんな高価な薬を使っていいのかい」
祐司から軟膏を貰ったナサーンはびっくりして言った。
「どうぞ、わたしは運良く今日は無傷でした」
祐司は、軽く微笑んで答えた。
「ありがたく使わせてもらうよ。それより、飯ならここで食べればいい」
祐司とガークは、ナサーンの座っていた丸太に座って遅い夕食を食べ出した。
朝食を食べたときに、これが最期になるかもしれないと覚悟したが、蓮台チームは全員が無事だった。ヴェトスラル師匠の弟子が左手に槍がかすった傷を負っただけだった。
「九割以上が生き残れたな。祐司とガオレのおかげだ」
ガークの言うように、ドノバ防衛隊の戦死者は十八人だった。そして戦死者の半数が途中で部隊を見失ってしまった兵士だった。
しかし、第一部隊の義勇軍の戦死者は百を超え、捨て石と言われた第三部隊では二百人以上が戦死して、部隊としては壊滅状態だった。
ガークが、干し魚を手でもって、大麦の粥にひたしながら言った。バナジューニの野は、傾いた太陽で照らされていた。
シスネロス市民軍の兵士が、広く散開して戦場を歩いていた。味方の負傷兵を収容するためである。
「何千という人間が死んだんですね」
祐司が、ちょっと感慨深げに呟いていると、祐司を呼ぶ声が聞こえたきた。
「ユウジ、ガオレさんの具合が悪い。あんたを呼んでいる。すぐに来てくれ」
石工のハンマット親方が、息を切らせて走り寄ってきた。そして、祐司の顔を見ながら叫んだ。
祐司とガーク、それにナサーンは、食器を放り出してガオレが休んでいる幕舎に駆けつけた。
ガオレは、蓮台をベットのかわりにして寝ていた。そして、浅い息を激しく繰り返していた。乾燥して、黒っぽくなった皮膚の色、目の下が落ち込んで、見るからに死相が現れていた。
「ユウジ、聞いてるか」
ガオレは、傍らに跪いた祐司の方を見て弱々しく言った。
「もう、しゃべらないほうがいいですよ。休んでください」
祐司は、そう言わずにはいられなかった。しかし、ガオレは、ひどく間合いを開けてもしゃべることを止めなかった。
「オレがしゃべらなくなったら死ぬ時だ。聞いておいてくれ」
誰もが、黙ってガオレの次の言葉を待った。
「ユウジには感謝の言葉もない。巫術師として生まれて今日ほど充実した日はなかった。こんな、半端なオレでも少しばかりは巫術師として名が残せた」
ガオレは、ゆっくり言葉を句切りながら言った。いつの間にか、泣いているようだった。
それから、ガオレは目玉を少し動かした。
ただ、もう視力がほとんど残っていないのか周囲にいる人間の区別はついていないようだった。
「オレが死んだら馬商人のナサーンは五十枚金貨を払うって言っていたが,ヤツは生き残ったのか」
ナサーンは、少し大きな声で言ってからガオレの手を握った。
「ナサーンは、ここにいます。最後の方で調子に乗って暴れてたら左手に矢が刺さって少々痛い思いをしたが死ぬようなことはないよ」
ガオレは、ナサーンの手を少しばかり握りかえしてから言った。
「ナサーンさん、まだ金貨を払ってくれるなら五十枚の金貨を娘のボティルにやってくれ。ただし、一年に金貨を五枚に分けてだ」
ガオレが言った娘のボティルとは、以前祐司が遊女屋で遊んだ時に、使いを頼んだ少女である。ナサーンがガオレの言葉を不思議そうに聞き返した。
「どうして?」
「持ちつけない金はろくなことはない。ましてや人をすぐ信じてしまうような娘だ。わかるだろう」
ガオレの言葉は短かったが、本当に娘の行く末を心配していることが伝わってきた。
「あんたはいい父親だな」
ナサーンはもともと感激しやすい性格なのか涙を流しながら言った。
「なあ、そのボティルって娘さんをウチで面倒みさせてくれないか。この春に娘が嫁いでちょっと寂しくなってるんだ。
妻も家事を手伝ってくれる女手を探しているんだが、娘さんは、自分の娘だと思って家事を教えよう。それで、わしが責任を持って、いいつれあいを探す」
「わしは最低の父親だ」
ガオレは、長い間を置いて、ほとんど聞き取れないような声で言った。
「ボティルが具合が悪いのはオレのせいなんだ。神々よ、どうかオレの悪行を悔いる時間をお与えください」
ガオレは、少し息を吸い込んでから言った。無理に客を取って、妊娠したボティルを巫術で堕胎しようとして、ガオレはボティルの健康まで損なってしまった。
「ユウジ、最後だ。最後の力をくれ」
ガオレは祐司に巫術のエネルギーの補充を頼んだ。巫術のエネルギーは、強力なカンフル剤のようなもので、無理矢理にガオレの肉体を刺激して動かしているに過ぎない。本来はもう少し生きれるのに命を奮い立たして削っているようなものである。
「本当に死んでしまいます」
「どうせ死ぬ。死ぬ前に言っておくことがる。オレに悔いを持たせてリンボを彷徨わせるつもりか」
ガオレの言葉に祐司は迷った。リンボとは黄泉の国の周辺部にあり、迷った魂はそれこそ地獄のような体験をすると信じられている。
確かに祐司が巫術のエネルギーをガオレに注入しなければ、ガオレの命の炎は、しばらく燃え続けるかもしれない。
しかし、しゃべることもできず昏睡状態で命を二三日保つのと、五感を保って、しゃべったりして暫く生きるのは、どちらがガオレに取ってよいことなのかという問題だった。
祐司はガオレに巫術のエネルギーを少しばかり注入した。少し、ガオレが呻くような声を上げた。
「誰がいる」
ガオレは少ししっかりした声で聞いた。
「ガーク殿、ナサーンさん、ハンマットさん、ヴェトスラル師匠、それにガオレさんを担いでいた人はみんないますよ。それから、ドノバ防衛隊の隊員が大勢います」
ガオレが死にそうだという話でドノバ防衛隊の兵士が、幕舎を取り巻くように集まっていた。祐司の言葉にガオレは嬉しそうな顔になった。
「そんなに来てくれてありがとう。オレは一人で野垂れ死ぬものだと思っていた」
「アハヌ神殿の神官も連れてきた」
兵士の一人が、神官を伴って幕舎に入ってきた。
「神官に言いたいことがある」
ガオレは、さらに、はっきりした言葉で言った。
リファニアでは臨終にさいして、キリスト教のように罪を神官に告白する儀式がある。神官が幕舎に来ると、祐司以下の人々は、一旦外に出た。
しばらくすると、神官が出て来て幕舎の中に入るように言った。
「みんなも聞いてくれ」
ガオレの呼吸は少し乱れていた。巫術のエネルギーも尽き、無理を重ねた身体が悲鳴を上げているのが祐司にはわかった。
「オレにはわかるんだ。この戦いがドノバ、いやリファニアの歴史を変えた戦いだったと。オレはその戦いに加われて・・。仲間と戦えて・・満足だ」
そう一気に言うとガオレは、大きく息をして目を閉じた。そして、間があって小さな息を幾度か繰り返して目を開けた。
神官は口の中で、なにやら祈りの言葉を唱えだした。死に立ち会うのが仕事の神官は、下手な医者より臨死の状態か、そうでないかがわかった。
ガオレは目は開けた。そして、周囲の人の顔を名残惜しそうに見るとゆっくり閉じた。そして、すーぅという息をすると、ガオレはその呼吸を止めた。
「大往生だ」
ナサーンが言った。
「アハヌ神よ。あなたの身許へ、あなたのご加護により生をまっとうした魂がまいります」
「オレもこのような、死を恐れぬ最後を遂げたいものだ」
ヴェトスラル師匠が感嘆したように言った。
祐司はガオレに、巫術のエネルギーを与えたことがよかったのか、悪いことだったのかを、いまだに迷っていた。
祐司は気がつくと、幕舎を出てバナジューニの野を一人で眺めていた。太陽は、半分近く地平線にかかっていた。夏至が近いために、高緯度のリファニアでは、白夜の季節である。実際は、真夜中が近い時間である。
バナジューニの野からは、シスネロス側の戦死者が、次々と運ばれて地面に一列に並べられていた。それは、数百メートルにも及ぶ長さになっていた。
それでも、担架で戦死者は、まだ、ひっきりなしに運ばれていた。低い位置の太陽に照らし出されて、戦死者を運ぶ者達の影はどこまでも長く伸びて動いていた。
祐司は、その遺体を見ながら、全て誰かに殺されたものだということに気が付いた。
ガオレが死ぬ間際に言っていた、この戦いがリファニアの歴史を変えるほどの意味があるのかどうかはわかなかったが、誰かが、殺された者に、戦いの意味を伝えてくれることを願わずにはおれなかった。
せめて、煌々と、照る太陽がもう少し光を弱めて死んだ者達を隠してくれないだろうかと祐司は、ちょっと、感傷的な気分になった。
「逃げたぞ」「気をつけろ巫術師だ」
突然、周囲が騒がしくなった。
左肩に血に塗れた包帯を巻いた若い男が、祐司のいる方向に走ってきた。数名の兵士が槍をかまえて、その進路に立ち塞がった。若い男は右手を突き出した。
突風が兵士をなぎ倒した。突風に煽られた兵士達は数メートルほども飛ばされて地面に転がっていた。
若い男を追っていた兵士達はそれを見て急に止まった。若い男は、囲みが薄いと判断したのか祐司の方へ走ってきた。
「巫術師を呼べ」「殺せ」
男の周囲の兵士が口々に怒鳴る。その兵士達に、若い男は、また突風を見舞った。数名の兵士が吹き飛ばされる。
「人を傷つけるな。お前も死ぬな」
祐司は、そう言いながら若い男の方へ走り出した。
若い男は、少し戸惑ったような表情をしたが、迷わず右手を祐司の方へ向けた。何も起こらず、祐司は若い男にタックルをカマした。
堪らず、若い男は、仰向けに倒れ込んだ。祐司は、もがいて逃れようとする若い男の上から抱きつくようにして押さえ込んだ。そして、水晶を男の身体に力一杯当てた。
ガオレに力を与える時は、二つの水晶を当てて、エネルギー量の多い水晶から、少ない水晶へ巫術のエネルギーを身体を通じて移動させる。この時に、エネルギーの少ない水晶を少しだけ早く離してやることで、身体に巫術のエネルギーが蓄積される。
これは、少しばかりコツがあって難しいが、一つだけ水晶を当てれば、身体の中の巫術のエネルギーが簡単に水晶に取り込まれる。
やがて、数名の兵士が加勢して、荒縄のような縄で若い男をきつく縛りあげた。
「怪我の手当をしてやっていたのが急に逃げやがる。ちょっと、痛い目にあわせんとな」
地面に転がされた若い男の背中を、兵士が蹴った。
「ほどほどにしてやってください」
思わず祐司が言った。
「憶えてろ。今度見たら空の果てまで吹き飛ばしてやる」
若い男は、祐司を見上げて吠えた。
「お前は運がいいぜ」
兵士の一人が、半ば笑いながら言った。そして、若い男を蹴った。
「どうして捕まったのに運がいんだ」
若い男は、苦痛を堪えながら呻くように言う。
「この人は、カタビ風のマリッサを倒した勇者だ。お前は命があるからな。マリッサの胴と首は生き別れになったんだよ」
若い男を蹴った兵士は、自分の手柄のように言った。
「ウソだ。マリッサ様を倒せる巫術師なんていない」
若い男は、心底、驚いたように言った。
「わたしは巫術師ではありません」
祐司は静かに言った。
「ウソだ。オレの突風を巫術で防いだだろう」
若い男の言葉に、話の進み具合では自分に拙い展開になるかもしれないと祐司は危惧し出した。巫術を防ぐ術が使えるなどという噂が広まったら面倒に巻き込まれるのは必至だからである。
何しろ、戦乱のリファニア世界である。一願巡礼という祐司の立場を無視して、祐司を拘束して、その力を使わせようとする輩がいないとも限らない。
「わたしは、巫術師ではありません。でも、貴方がどの程度の巫術師かはわかります。最低の巫術師です。数回ほどの巫術で力を使い果たします。だから、わたしに巫術が発動しなかったのです」
祐司は、少し焦り気味に、取って付けた説明をした。
「バカにするな。マリッサ様ほどではないが、オレの突風術は…」
若い男が、祐司に吠え立てていると、かなり高齢な老人が、その背後から近づいて、若い男の首筋を、右手で触った。若い男は、身をよじらせて逃れようとするが、老人は手を離さない。
突然、若い男は、痙攣したように身を引きつらせた。
「何をしやがるんだ。衝撃術かよ。そんな弱い術なんて効き目無いぞ」
若い男は、息は荒いがはっきりと言った。
衝撃術とは相手の身体に手を当てて、”雷”を発動する術である。上級の力のある巫術師が本気で術を発動させれば巫術に抵抗力のある貴族でも吹き飛ばされる。
一般人なら、衝撃で身体の一部が千切れてしまい、ほぼ即死である。不思議なことに巫術に弱い巫術師なら四肢が吹き飛ぶこともある。
ただ、”雷”を発動するには、多少、時間がかかるので、身体を拘束されていなければ逃げればいい。
「巫術師さんですか?」
祐司は間の抜けた質問をした。
「はい、ゲバ・ベッキロと申します。先程のは、普通の衝撃術です。この男は大した巫術師ではありませんな。普通程度の巫術師でも失神しているでしょう。精々、年に数回まぐれで術が発動する程度の巫術師とも言えない半巫術師ですな」
巫術師の能力を調べるために、巫術をかけて反応を見たのだろと祐司は思った。強力な巫術師ほど巫術に弱いからである。
祐司が若い男から巫術のエネルギーを奪ったために、若い男の能力は限りなく低下しておりベッキロの術に耐えたのだと祐司は判断した。
ベッキロと名乗った老巫術師は、兵士とともに、若い男を立たせて連れ去った。
祐司は、危うく窮地に落ちる可能性があったところを、ベッキロという老巫術師に助けられたような気分だった。
祐司が幕舎にもどってくると、ガオレの遺体は、粗く織った白い麻の布地にくるまれていた。千人近い戦死者を出したシスネロス軍では、シスネロス市から、戦死者の遺体をくるむ布が次々に運ばれてくるのにも関わらず布は不足していた。
ガークが直接、ディンケ司令に掛け合ってドノバ防衛隊用に布を供出させたということだった。
布に覆われたガオレを見て祐司は、これで少しは静かに、ガオレを見送ることができるような気がした。




