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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏
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黒い嵐21 バナジューニの野の戦い 終結

挿絵(By みてみん)


馬の年 六月十三日 第九刻半(午後九時)


 敵中突破の後、ドノバ州領主軍の押さえに回っていたモンデラーネ公親衛隊も、すでに撤退を完了していた。満を持して参戦したモンデラーネ公親衛隊は、敗走に近い形の殿軍の過半を収容すると、追撃する敵を上手くあしらって最後尾を守っていた。


 追撃してきたシスネロス軍も、モンデラーネ公軍親衛隊と本気で一戦する気はなく、輜重隊の捕獲や、逃亡兵の捕縛に集中し出した。


 バナジューニの野での戦いの大局は決まった。しかし、バナジューニの野の戦いは、まだ、最後の一章が残っていた。


 バナジューニの野の戦いの、副次的な戦場になった迂回路の戦いの結末である。


 時刻は現代で言えば、午後九時を回っており、太陽は地平線の近くをさまよっていた。この季節のリファニア南部では暫くすると、ホンの短い少しばかり薄暗くなる夜がくる時刻である。


 バナジューニの野の戦いの余波か、ときおり小雨が降ったり、霧が流れてきて視界は徐々に悪くなっているが、昼間同様に明るく戦いには支障がなかった。

 ただ、両軍の人間の体力がこれ以上の戦闘を続けることを難しくしていた。この傾向はドノバ州領主軍の兵士により深刻であり、モンデラーネ公側では、親衛隊は縦横の働きをしていた。


 ドノバ州領主軍の兵士は長時間の強行軍と、無理を押しての攻勢を短時間行った後、足をつったり、疲労や空腹で動けなくなる者が続出した。

 そして、相手は撤退行動中とはいえ、”黒い嵐”の異名があるモンデラーネ公である。士気も下がったドノバ州領主軍はなんとか動ける兵士だけで戦列を維持していたが、ついに動きが止まってしまった。


 ドノバ州領主軍は半刻ほどの大休止に入った


 ドノバ州領主軍は先陣だけが戦列を展開して、その後ろは長い縦列というT字型の隊形になっていたドノバ州領主軍に最初の輜重部隊が到着した。


 兵士に急いで、水と黒パンが配られる。さらに、なし崩しの大休止である。小一時間ほどして、人心地ついた兵士達はようやく武器を持って立ち上がった。


 しかし、モンデラーネ公軍は急速に戦線を離脱しており、モンデラーネ公近衛隊の最後尾までが早足で撤退にうつっていた。


「腹がようやく落ち着いた。まだ、腹が減っているならこれから敵の殿だけでも食うぞ」


 ドノバ州領主軍の指揮官であるヘルマン伯爵は、少し焦り気味に言った。そう言ったヘルマン伯爵であるが、すでにモンデラーネ公軍の殿が戦場を去り出していた。

 またモンデラーネ公軍の最後尾はモンデラーネ公親衛隊であり、あまり関わり合いたくない部隊だった。


「敵が南から来るぞ」


 本陣の周りにいた兵士達が立ち上がって口々に叫びだした。


 この兵士達の声は、バナジューニの野の戦いの最終盤で、再び激しく燃え上がる戦いが繰り広げられる合図だった。

 一日中運に見放された軍勢が、さらに運のない陥穽に向かった行軍をしていた。否、敗走していたのだ。




 ドノバ防衛隊が出陣した頃、その東、森を挟んでシスネロス市民予備軍、二度寝返ったシスネロス直轄領非選挙地域軍と戦っていたのは、リヴォン・ノセ州領主軍である。


 

 この結果、押し込まれつつあったシスネロス市民予備軍は息を吹き返して前進を始めて当初の位置からかなり北上していた。その分、リヴォン・ノセ州領主軍は森の手前の狭小な部分に押し込まれる形になっていた。


 リヴォン・ノセ州領主軍の過半は後方の疎林地帯に押し込まれて、戦列をひいて実際に敵と対峙しているは、二千を下回っていた。

 それに対して、シスネロス側は一万以上の軍勢が戦列をひいて、三方向からリヴォン・ノセ州領主軍を押しつつ形で対峙していた。さらにシスネロス側は、後方に予備兵力まで展開していた。


 リヴォン・ノセ州領主軍は一気に突っ込まれて敗走することを防ぐために防御に撤しており、攻勢に出る機会はなかった。


 小競り合いは、そこかしこで、ずるずると続いていた。非選挙地域の二度の寝返りで一時は大混戦になった戦場は、全体として落ち着きを取り戻していた。

 両軍ともそれぞれの上位指揮官から、相手を牽制して動くなという命令が出ていたからだ。


 それでも勢いを回復したシスネロス予備市民軍は、投擲兵器で絶え間ない攻撃をリヴォン・ノセ州領主軍に加え、一部のリヴォン・ノセ州領主軍が反撃に出るという形で戦闘は断続的に続いていた。

 また、戦場の東に位置する、シスネロス直轄地選挙地域の軍も、不用意に近づいてきた、リヴォン・ノセ州領主軍に手痛い攻撃を加えていた。


「罠だったのか?」


 モンデラーネ公から派遣された軍監のノシェット男爵は、混戦から抜け出して本来の位置である本陣で訝しげに言った。


 この時本陣にはリヴォン・ノセ州の領主か、その代理が集まって善後策を話合っていた。


「いえ、確かにシスネロス直轄地軍の一部は本気でシスネロス軍と戦っておりました。指揮系統で混乱があるのではないでしょうか。或いは大公殿下の指示に指揮官は忠実であるが配下がついてこなかったか」


リヴォン・ノセ州領主軍の代表者であるゲルベルト伯爵は、確信なさそうに答えた。


「こうなっては、大公殿下の当初の指示のように、陣を組んで敵を牽制しよう。間もなく大公殿下がバナジューニの野で決定的な勝利を収める頃だ」


 ノシェット男爵は、自らを鼓舞するように言った。モンデラーネ公からの伝令は、一刻半前に、優勢に攻撃中という連絡が来ていらい途絶えていた。

 これは、ドノバ州領主軍が連絡路になっている本街道に進出してきたために連絡線が断たれたからだ。


 しかし本街道の確保は、シュテインリット男爵の軍が行うことになっていたため、後方への警戒を、まったくしていなかったノシェット男爵は連絡線が断たれているとは知るよしもなかった。


 もちろん、現在の状況を知らせるための伝令は三人ほど出していたが、ことごとく、ドノバ州領主軍の警戒部隊の餌食になっていることもノシェット男爵は知らなかった。


「この混乱状態を収めることができましょうや。敵軍の攻撃は小規模ですが、長時間になると、損害は無視できません。それよりも、兵士はずっと戦闘隊形のままで食事も摂れていません」


 ゲルベルト伯爵は、本心では撤退を望んでいた。それを、遠回しで、ノシェット男爵に提案した。


 攻撃に適した隊形を取ることのできない狭小な地域に追い込まれているリヴォン・ノセ州領主軍に比べて、シスネロス側は充分に軍を展開して、攻撃にあたる部隊を随時交代させていた。


「少しづつ後退して、敵を引きつけよう。我々の目的は目前の敵を拘束することにある。ドノバ侯爵軍にはいいようにされたが、すでに奴らの姿はない。バナジューニの野に呼び戻されたか、戦況が悪化して退却したに違いない。

 あと少し頑張っていれば、シスネロスの主力を打ち破って、背後から大公自ら軍勢を率いてやってくる。その時には、我々は奴らを壊滅させる」


 ノシェット男爵は、敵撤退路の遮断という目的を放棄して、敵軍の拘束という最低限の任務達成に専念することを決断した。


「各領主には、間もなく大公殿下が敵の背後から現れると伝えろ。少しずつ後退して、敵を引きつけるんだ。

 敵を引っ張り出すほどに、モンデラーネ大公様の背後からの一撃は敵に打撃を与える。その時は大公殿下はそれぞれの戦働きを評価するだろうとも伝えろ」


 ノシェット男爵はウソで味方を奮い立たせるという意識はなかった。自分でも、その言った内容を信じていた。


 ノシェット男爵は、この時点でもモンデラーネ公が主力を率いて、撤退するシスネロス市民軍主力を追って、シスネロス予備市民軍の背後に現れることを確信していた。

 その時まで、シスネロス予備市民軍を拘束していれば、挟撃が可能であり戦果の拡大に貢献できると考えていた。


「幸い敵の攻撃は散発的だ。攻撃を受けていない部隊から徐々に後退させろ」


「後退で一気に崩れる恐れがあります」


 ゲルベルト伯爵が不安な顔で言った。指揮系統が一元化されているモンデラーネ公軍とは異なり、リヴォン・ノセ州領主軍は各領主軍の寄せ集めである。自分の隊が壊滅的な打撃を受けても全軍の為に盾になるというような行動は期待できない。


 撤退は、下手をすると収集のつかなない敗走へとかわる恐れがあった。


「パルミラ子爵、君の隊で右翼から攻撃を仕掛けてくれ。仕掛ける真似でいい。敵が退いたら一気に撤退しよう」


 午前中の戦いで、混戦になった原因の一つである先駆けを行ったパルミラ子爵に、ノシェット男爵は事実上の命令を行った。


「パルミラ子爵、左翼に退路を開けておく。そこを一気に撤退しろ。疎林を抜けたらそこで陣を組み直してシスネロス軍の北上をくい止めるんだ」


 まだ、二十代前半で、今回の出陣が実質的な初陣というパルミラ子爵には、荷が重いかもしれないが、命令無視の先駆けを行った以上は、何らかのケジメを取らせるべきだとノシェット男爵は判断していた。

 また、パルミラ子爵には、先代から使えている古参の家臣団がついており、ある程度の戦働きはできるだろという考えもあった。


 パルミラ子爵は少し不安な顔つきをしたが、「はい」と短く言うと自分の陣に帰っていった。


「ゲルベルト伯爵、すまぬが貴公の軍が殿軍になってくれるか。わたしの直卒の軍勢も同伴する」


 ノシェット男爵の言葉にゲルベルト伯爵は、致し方ないというように頷いた。



 やがて、パルミラ子爵の軍勢は、シスネロス予備市民軍の左翼を攻撃し始めた。突然の攻勢にシスネロス予備市民軍左翼は、少しばかり後退した。

 そのスキに他の領主軍は、疎林地帯を抜けて、森に挟まれた数百メートルほどの幅の開豁地に移動を開始した。


 殿軍になったゲルベルト伯爵の軍勢と、モンデラーネ公軍が、防備を固めてじりじり下がりながら次第に、疎林に吸い込まれていく頃になってもパルミラ子爵の軍勢は、シスネロス予備市民軍から離脱できずにいた。


「一気に下がるぞ」


 パルミラ子爵の掛け声で、一斉にパルミラ子爵の軍勢は、走って後退、否、逃げ出した。それを追ってシスネロス予備市民軍も駈けだした。


 逃げ遅れたパルミラ子爵の兵士が背後から槍でつかれ、剣で刺し抜かれていく。一方的に損害を出しながらもパルミラ子爵の軍勢は、僅かに空けられた通路から疎林にたどり着いた。


 それを追って、シスネロス予備市民軍も疎林中に入り込んだ。疎林の中では、ゲルベルト伯爵の軍勢を主力にして、数隊のリヴォン・ノセ州領主軍が戦列を引いていた。もし、シスネロス予備市民軍が戦列を乱して疎林に入り込んでくれば、これを撃滅するためである。


 この目論見は、バラバラになって、疎林に走り込んでくるシスネロス予備市民軍兵士の様子に上手くいくように見えた。

 ところが、パルミラ子爵の軍勢が走って後退するすぐ後ろにシスネロス予備市民軍がいるために、パルミラ子爵の軍勢を逃すために戦列に間隙ができた。そこに、シスネロス予備市民軍もなだれ込んできてたちまち乱戦になった。


 当初は、両軍は同数程度であったが、疎林地帯で敵の抵抗にあっているという報告から、シスネロス予備市民軍は三千ほどの増援を投入してきた。もともと、疎林にいたリヴォン・ノセ州領主軍は、千人程度であったので、しだいに押される一方になり敗走に近い形で疎林から撤退した。


 シスネロス予備市民軍が、疎林を抜けると分厚い布陣のリヴォン・ノセ州領主軍が防御態勢をひいていた。


 ここで、再び両軍は睨み合う形になった。


 シスネロス予備市民軍では、守備に専念するか追撃を行うかで論議が起こった。そこに、モンデラーネ公軍が撤退に移ったという知らせが届いた。知らせに続いて、残敵を掃討して、現位置を守備せよという指令が届いた。


 この命令は解釈が難しい。疎林の北側まで撤退したリヴォン・ノセ州領主軍を残敵と見れば掃討しなけらばならないからだ。


「ともかく、左右の森林地帯に弓兵を進出させて、矢戦をしましょう。それで、少しでも敵を消耗させればいい。

 敵が退けば、軍の半分程度で押し込むように追いましょう。伏兵にあわないように用心深く少しづつ進めばいいでしょう。この位置は選挙地域の軍勢を張り付かせておけば余程の大攻撃にも耐えられると思います」


 シスネロス予備市民軍副官が具体的な案を出した。


「よし、そうしよう。弓兵を森に展開させろ。その間に、左翼はシスネロス予備市民軍後衛部隊、右翼は選挙地域軍で陣形を組み直す。シスネロス予備市民軍前衛部隊は、追撃隊形に取らせろ」


 シスネロス予備市民軍のネフェルト司令は、その案に乗ることにした。



 午後の長い時間、シスネロス側と、疎林の北に後退したリヴォン・ノセ州領主軍との散発的な戦いが続いた。リヴォン・ノセ州領主軍は積極的な反撃を行うことはなく少しづつ北へと後退した。


 シスネロス予備市民軍が、リヴォン・ノセ州領主軍に対して、左右の森から弓兵に狙撃させる作戦は、多いに効を発していた。

のべつ幕無しに、暗い森から矢が飛んでくる。その矢は、見逃さなければ盾で防げるが、それが長時間続くと、矢に射られる兵士も続出する。


 無傷な兵士も、一瞬たりとも神経が休まらない。リヴォン・ノセ州領主軍の隊形は、できるだけ左右の森から離れるように細長い隊形になっていった。


 その隊形では、南からくるシスネロス予備市民軍の攻撃を防ぎきれない。


 それを、見透かしたかのように、少しづつシスネロス予備市民軍は、北へリヴォン・ノセ州領主軍を圧迫した。



「いいぞ、敵を釣り出して後方からくるモンデラーネ大公様の軍に対応できないようにするんだ」


 ノシェット男爵は、リヴォン・ノセ州領主軍の後退を意義あるものだと、周囲と自分に信じ込ませようとした。この時、ようやく苦労の末に森を抜けて、モンデラーネ公よりの伝令が到着した。

 ただ、この伝令は森の中で迷いに迷って、事態が変わっているのにも関わらず二刻ほど前の、モンデラーネ公軍による最後の攻勢時にモンデラーネ公が出した命令を届けることになった。


「シュテインリット男爵の軍と合流せよ」


 これは、最後の攻勢を行った後に、全軍、撤収を行うという意味でモンデラーネ公が出したものだった。

 この時点で、リヴォン・ノセ州領主軍が取り得る最善手は、なんとか、ドノバ州領主軍の横をすり抜けて北に撤退することだった。


 しかし、伝令の命令を実行しようとすれば、ドノバ州領主軍が待ち構えている西の方向に進むことになる。

 簡単な命令だが、ノシェット男爵はモンデラーネ公軍主力はシスネロス市民軍主力を撤退に追い込むほどの勝利を得てないことは理解できた。


「敵の追撃は緩慢だ。急いで命令を実行しよう」


 ノシェット男爵の指令は、一刻も早く出血を強要される状態から逃げ出したいリヴォン・ノセ州領主軍兵士にとっては待ちかねたものだった。

 心は急くが分厚い布陣のままリヴォン・ノセ州領主軍は北に向かって移動を始めた。敵がすぐ背後にいるために、行軍隊形ではなく戦闘隊形で、布陣を崩すことなく移動するので、リヴォン・ノセ州領主軍の後退はゆっくりとした歩みだった。


 リヴォン・ノセ州領主軍は一刻ほどかけて、森が途切れてバナジューニの野に向かえるあたりに到達した。


「前方に軍勢が居ます。およそ数千かと」


 先頭の部隊からノシェット男爵に報告が届いた。


「味方か?」


 ゲルベルト伯爵は願望を持って聞いた。しかし、その報告は、想像していたものとは違っていた。


「いいえ、旗印からいたしますと、ドノバ各地の領主軍連合かと」


「敵であれ、味方であれ、あそこを通らねばシュテインリット男爵の軍と合流できんぞ」


 ノシェット男爵は、覚悟を決めたように言った。


 リファニアの戦いで最も多いのは、領地争いから起こる領主同士の戦いである。


 小競り合いは日常茶飯事である。指揮官クラスである貴族も、その配下の兵士もドノバ州領主軍を見て、なんとかなる相手だと心理的に安堵した。

 戦いに来たからには、一戦をするが優劣が見えてくると損害が大きくならないうちに、交渉で手を打つのが領主軍同士の戦いであったからだ。


 例え、劣勢になっても敗走にうつれば戦いは終わりである。ただし貴族社会の習いとして後で、戦いに負けたことで勝者に、相手側が費やした戦費に幾分かの心付けを上乗せした金品物資を献上する必要がある。


 しかし、その代償を約束すれば戦いは終わりなのだ。負けた方は臥薪嘗胆して復讐の機会を狙う。その繰り返しが領主の知っている領主間の戦争であった。


 市民軍や農村兵といった未知の敵とは異なり気安く戦うことの出来る相手という心理が全軍に満ちていた。少しばかり小競り合いをして、後退すれば戦いは終わりで自分達はこの敵対地域から撤退できると思っていた。



 ところが、ドノバ領主軍には、一戦をして戦いを終わらせる気はなかった。


 シスネロス市から猜疑の目で見られていることは領主達は痛いほどにわかっていた。



 領主達はシスネロス市に叛意などは持っていなかった。その理由はドノバ内戦以来、新ドノバ候に忠誠を誓いドノバ州内の争いが皆無になったこと。領主達にはいまいましいがシスネロス市に経済的な支配に組み込まれつつ、その繁栄のおこぼれにあずかっていること。

 なにより、他の州の領主に比べて洗練された生活や社交を行えるのはシスネロス市の繁栄があってこそなのだ。


 ドノバ内戦から、全ての領主が代替わりどころか、大半が三代目になって現在の生活しか知らないドノバ州領主の大半は現在の体制を替えるメリットなど見いだすことができなかった。だからこそ無理に無理を重ねて戦場へ急行したのである。


 おっかなびっくりで戦ったモンデラーネ公軍との戦いは線香花火のような状態で終わった。このままでは、モンデラーネ公と八百長のような戦をしたと見られかねない。ここでは、是非にでも目に見える戦功を上げる必要があったのである。


 そこへ、半壊状態と思えるリヴォン・ノセ州領主軍が現れたのである。総指揮を司るヘルマンニ伯爵以下の領主は欣喜雀躍した。


 大休止になったために、各部隊から指揮官である領主が離れてヘルマンニ伯爵のもとで善後策を話し合っていたことが幸いした。彼らはヘルマンニ伯爵に指示された自分たちの隊形と、おおまかな動きを確認すると自分達の部隊に戻っていった。


 たちまちドノバ州領主軍はモンデラーネ公軍などいなかったかのように、リヴォン・ノセ州領主軍に対して戦列を整えていく。一部の部隊は延翼行動を取ってリヴォン・ノセ州領主軍を包囲するように移動する。


 夏にシスネロス市に領主達が集まった時、一部の兵だが互いの軍の精強さを競い合う為に、合同で演習を行っていた成果である。


 やがて、西へ逃れようとするリヴォン・ノセ州領主軍にドノバ州領主軍が近づいた。激しい”雷”がリヴォン・ノセ州領主軍に浴びせられる。リヴォン・ノセ州領主軍は本格的な戦いをする意思がないためひたすら”屋根”をかけるだけで防御に撤した。


 その屋根も、あちらこちらに、穴が空いており、ひどく手薄だった。午後の長い間、リヴォン・ノセ州領主軍の巫術師達は、森から放たれる矢を逸らすために屋根をかけ続けてきたために消耗していた。


 ドノバ州領主軍の巫術師が放つ”雷”のうち三割程度が、リヴォン・ノセ州領主軍の軍勢の中で炸裂した。

 リヴォン・ノセ州領主軍は、西へ向かうために行軍隊形のような布陣になっていた。それを、戦列隊形に変換しようとするが、戦列を組む端から、”雷”を食らうために、戦列も穴だらけであった。


「グズグズしていたら、”雷”だけで大損害を受ける。このまま、損害にかまわずに西へ突破するんだ」


 ノシェット男爵は、抗戦を諦めてシュテインリット男爵の軍がいるはずの西への突破を命じた。


 比較的長い隊列で西へ逃れようとするリヴォン・ノセ州領主軍の先頭部隊に、ドノバ州領主軍が押し包むように攻撃をかけてきたために、たちまち混戦状態となった。

 ドノバ州領主軍の兵士にとっても今日の戦いで上げられる戦功への最後の機会であるためと、休息したために体力気力とも十分な兵士の攻勢は苛烈なものになった。


 もとから戦意の低かったリヴォン・ノセ州領主軍は押される一方になり、そして、一旦、北へ向かう敗走にうつった。ところが、すでに自分達がやってきた南の方向以外はドノバ領主軍に包囲されていることに気がつく。


 当初から北へ向かえば、ドノバ州領主軍の展開が間に合わずに一部でも逃れることはできただろうが、この時点では北への道はドノバ州領主軍に押さえられていた。


 そして、太陽が地平線近くに移動して、森の中は薄暗くなってきてはいるが、南の方向からはシスネロス市民予備軍の旗印が見え、進撃を促す太鼓やラッパの音が近づいている。


「なんとしてでも西へ突破するんだ。もう一踏ん張りして西へ突破すればモンデラーネ公様の救援軍に合流できるぞ」


 ノシェット男爵は自分の願望を込めて大声で叱咤激励した。その西からは、モンデラーネ公軍輜重隊を捕獲したシスネロス市傭兵隊が、新たな敵に対して接近しつつあった。


 この戦いの終盤にあって、ドノバ領主軍以上に戦功をあげる必要のある部隊があった。


 シスネロス非選挙地直轄軍である。自らの手で裏切りの首謀者を排除したとしても、現状ではどのような処罰が待っているかわからない。

 年貢の倍払いぐらいなら許容しなければならないだろうが、今までのシスネロス市の姿勢からはもっと苛酷な処罰が降ってもおかしくない。


 少しでも、損失を補うためにも血でその忠誠を見せる必要があった。カンキンを殺害した後で、非選挙地域直轄地軍の指揮権を把握したマキャンは、ほとんど土下座するようにネフェルト予備市民軍司令に懇願して追撃部隊の先陣を勝ち取った。


 ただし、部隊の半数は武装解除されて、実質的な人質として選挙地域の直轄地軍に拘束されることが条件だった。


 マキャンは、一瞬顔をしかめたが、断れる立場ではなかった。マキャンは、できるだけ若く武芸の熟達した者を中心に追撃部隊を編成して、ほとんど駈けるような速さで追撃を開始した。


 途中で落後したリヴォン・ノセ州領主軍兵を討ち取りながら、リヴォン・ノセ州領主軍主力に接近したときは、すでにドノバ州領主軍との戦闘がたけなわになっていた。


 マキャンは、攻勢に向かない農村部隊の特性を理解しながらも、リヴォン・ノセ州領主軍が蝟集している一角に突撃を敢行した。

 自分たちの親族が人質になっている非選挙地域直轄地軍は、散発的ながら浴びせられる”雷”など無いかのようにリヴォン・ノセ州領主軍に突入した。


 突入してからは、喧嘩のような戦いになった。あまり、戦意のないリヴォン・ノセ州領主軍の兵士一人に数名の、農民兵が長柄の槍を、頭上から叩きつける。

 一撃や、二撃は盾でなんとか防いでも、横合いからも槍が叩きつけられる。鎧を着ていても数撃も食らえば負傷する。怯んだところを、さらにトドメをさされるといった戦いであった。


 リヴォン・ノセ州領主軍は長い隊形のまま、シスネロス市傭兵隊、ドノバ州領主軍、非選挙地域直轄地軍及びシスネロス予備市民軍から、三方を攻め立てられた。

 非選挙地域直轄地軍及びシスネロス予備市民軍の参戦で、ようやく踏みとどまっていたリヴォン・ノセ州領主軍に破断限界がきた。


 組織的な行動は不可能になり、小部隊や個人が勝手に戦っているに過ぎなくなったリヴォン・ノセ州領主軍は次々に討ち取られていく。


 意外にも武勇武芸では、大きなアドバンテージを持っているはずの領主軍兵士が、非選挙地域直轄地軍の農民兵にも容易く討ち取られていく。

 午前中からの戦闘と敗走で食事も出来ず、碌な休息も取っていないリヴォン・ノセ州領主軍の兵士の体力と精神力は著しく低下していたからだ。


 ほとんどの兵士は、自分が殺されないために戦っているに過ぎない。


 やがて、乱戦の中で、モンデラーネ公軍旗を掲げていたノシェット男爵の戦車も、馬を槍で突き殺されて立ち往生したところを、二十近い槍で攻め立てられた。


 ノシェット男爵は、あわてて、戦車から走って逃げようとしたが、たちまち槍衾の餌食になった。


 モンデラーネ公軍旗は、ドノバ州領主軍が奪取した。部隊旗ではなく、モンデラーネ公軍旗が敵手に渡るのは初めての出来事だった。


 シスネロス市民予備部隊のうち三分の一が追撃部隊として進出してきた頃には、戦いは虐殺へとかわっていた。そして、その後半刻ほどで戦いは終結した。


 その後は森へ逃げ込んだ敗残兵の掃討は、非選挙地域直轄軍が志願して行なった。


 その掃討戦は、加勢として参加した選挙地域直轄軍との間で、競うようにして行われた。裏切り行為があったとしても、自分達もシスネロス市の為に充分に血を流したと考える非選挙地域直轄軍兵士からすれば、選挙地域直轄軍の参加は、手柄を横取りする行為だと認識していた。



 この二つの勢力の競い合うような落ち武者狩りもあって、従軍したリヴォン・ノセ州領主軍はリヴォン川渡河点を守っていた三千五百を除いて、前線に進出した七千五百のうち、包囲をかいくぐり敵対地域を逃れて無事に帰還した者は五百人ほどであった。


 二千人ほどが捕縛されて、高額な身代金を払わない限りは一生奉公という名の奴隷にされるべくシスネロス市に連行された。そして残りの大半はドノバ州の土になった。


 五百のモンデラーネ公軍分遣隊は、二十名ばかりの脱出者を除いて文字通り壊滅した。

 モンデラーネ公軍兵士は、その黒備えから目立っており、多くのシスネロス側兵士からは、討ち取れば手柄と思われて真っ先に狙われた。



挿絵(By みてみん)




 馬の年 六月十三日 第九刻半(午後十一時)


 この時刻に、森に逃げ込んで最後の組織的な抵抗を行っていたリヴォン・ノセ州領主軍指揮官のゲルベルト伯爵が討ち取られたことにより、バナジューニの戦いは、ようやく終結した。その戦いは午前八時に始まり、延々十五時間続いた。


 一人の伯爵、二人の子爵、四人の男爵、三人の準男爵が命を落として、一人の子爵と二人の男爵、四人の準男爵が捕縛された。


 領主達が代々保護してきた巫術師も大方が戦死した。これは、降伏した巫術師が命を助けられる慣習とはおおいに異なった出来事である。

 戦いが殲滅戦になり、興奮の中で誰彼構わずシスネロス軍が殺戮したからである。軽武装の巫術師にとっては不幸な状況だった。


 近代戦においても、九割以上の兵力を失うなど考えられない。戦闘の後半は虐殺に等しいものだったのだ。


 史実世界での中世的な戦闘が行われるリファニアの常識からすれば、馬の年、六月十三日、ドノバ州シスネロス市北方、バナジューニの野と、その東の迂回路の戦いは天地開闢以来未曾有の恐るべき犠牲をともなった戦いであった。


 バナジューニの野の戦いの結果が、モンデラーネ公にどのような打撃を与えたかの比喩は難しことです。

 無理にでも比喩すると織田信長が姉川の合戦で、浅井・浅倉勢に痛打を与えるも最後は敗走した挙げ句に柴田勝家と池田恒興を失い、徳川家康とその家臣団が敗死したのに匹敵するほどだと言えば、モンデラーネ公の被った打撃が理解できるでしょうか。


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