”小さき花園”の女7 いわゆる女学生
後半は説明話です。
その夜、祐司とスヴェアが戦利品の仕分けをしているとリッポーの鳴き声が表から朗々と響いてきた。
「今日は客人が多い日だな」
「また誰かきたのですか。まさか昼間の連中の仲間?」
「違う。オオカミだ。今年の冬は厳しかったから飢えているのだ。新しく手に入った馬には巫術で気配を消す術を施していないから嗅ぎつけたのだな。手を抜くと余計な仕事が増える」
スヴェアは気怠そうに言った。
「そうだ。いい機会かもしれぬ。ユウジよ。しばらく相手をしてやれなんだが刀の稽古は手を抜かずにしておるな」
「はい、一応サボらずにしています。いい機会って?」
馬がいななき始めた。
「リッポーがいるかぎりオオカミは近寄ってはこんが鬱陶しいからな。ユウジ、表に出ろ」
「スヴェアさんが表に出ろって言うときは、あまりいい思いがありませんが」
「言い忘れた。刀を持ってだ。それから今日手に入った鎧の籠手と喉当て、それから玉隠しをつけろ」
「玉隠しってなんですか?」
スヴェアは金属製のコップに皮のヒモがついたものを祐司に放った。
「大事なところをそれで守れ。オオカミは首筋と股間を狙ってくるからな。まあ、ゆっくり装着しろ。我は家畜小屋の戸と窓を閉めてくるからな」
祐司は絶対にろくな目に合わないと確信した。
外は上弦の月でかなり明るかった。慣れない玉隠しを装着したおかげでがに股気味に歩くことになった。
そんな祐司にかまわずスヴェアはリッポーをお供にしてどんどん森の中に入って行く。
「この辺りでいいだろう。ユウジ、その木の下に立て」
スヴェアは大きな古木を指さした。
祐司が言われたようにすると、スヴェアはリッポーの耳元で何かを呟いていた。リッポーは一声鳴くとその場で前を向いたまま動かなくなった。スヴェアは祐司のいる木を挟んでリッポーとは反対側に歩いて行った。
「ユウジ、じっと前を見ていろ。右にはリッポー、左はわしが守るから横は気にするな」
「何がはじまるんですか?」
「もうすぐオオカミが出てくる。奴らは一番弱そうな者を狙ってくるぞ」
スヴェアはプラズマ玉を出現させた。リッポーはうなり声をあげている。祐司は、どう考えても一番弱いとは自分のことだと確信して刀を構えた。
暗闇の中にいくつか光るものが見える。オオカミの目だと祐司は思った。しばらくすると、目が慣れてきたのか森の外れにオオカミの群が雪明かりの中にぼんやりと見えてきた。
突然、一頭のオオカミが月明かりの中に走り出してきた。続いて数頭のオオカミも出てくる。全てが祐司めがけて走ってくる。
オオカミが跳躍した。祐司はこちらに飛びかかってくるオオカミの動きがスローモーションのように感じられた。祐司は少し身を屈めながら左に寄り飛んでいるオオカミの頭を斜め横から切りつけた。
刀に手応えがあった。
木の前に耳の後ろから首にかけて切り裂かれたオオカミが横たわった。
「前だ!」スヴェアの声で祐司は素早く反応して刀を構え直した。
近くまでやってきたオオカミ達は急に立ち止まるとゆっくり後ずさりした。そしていっせいに反転すると森の闇の中に戻っていった。
「もういいぞ。よくやった」スヴェアが祐司に近づきながら言った。
「まぐれですよ。たまたま刀で切ったからよかったけど。何でこんな無茶をさせるんですか」
興奮で荒い息の祐司はまだ刀を構えたまま言う。
「切らずともユウジがよけただけで、こいつは木に衝突しておったがな。巫術使いのオオカミならユウジは更に無敵だな。オオカミが巫術を使っても少しの間、相手を錯乱させるくらいだがな」
スヴェアは死んだオオカミの首にロープを巻きながら言った。
「その死体どうするんですか。それに答えてもくれないんですか?」
「持って帰る。ハヤブサのギーミュならオオカミの肉でも食うだろう。毛皮も取れるしな」
スヴェアは落ちていた木の枝にオオカミを吊すとユウジにいっしょに担ぐように言った。
スヴェアは口を利かなかった。
「ユウジよ。ここへ来てからお前の身に異変は起こっておらぬか?」
オオカミを軒に吊して母屋に入り人心地ついたところでスヴェアが聞いた。
「異変というと?」
「以前、龍やグリフォン、大蛇に対峙したときその攻撃を避けたと言っておったな。信じがたいことだった」
「避けてはいません。ちょっと逸らしたくらいです。そして、コウモリやネズミになってしまいました」
「確かにユウジに触れれば巫術は解けてユウジに害は及ばないが、その一撃を逸らすなど常人では無理だ。ユウジが刀の稽古を一人でしておるのを見て常人の下だと思えたしな」
「子どものころちょっとかじったくらいですから」
「ところが相手をしてみると驚くべき素早い動きをする。我でなければ稽古相手にはならなかったぞ。それも、最近では我をもしのぐ程の腕前になり相手をするのが大儀になっておった」
「スヴェアさんおかげで天賦の才が開花したってことですか」
「まったく違う。一人で稽古しているときは相も変わらず下手になるのも数年はかかろうかという程に絶望的に下手以下のできだ」
「先ほどオオカミが飛びかかって来たときに、オオカミの姿は見えたか?」
「はい、だから避けました」
「ユウジよ。お前は”電気の精霊”とか”物を引く力”などということを教えてくれたな。その中に神経という体の器官の働きの話があったな。
まばたきするほどの間に数尋の早さで脳の命令を伝えると。それが、ここへ来てもっと素早く命令が伝わるように変化したのでないか」
「確かに変化ということで説明がつくと思います。先ほどのオオカミの件とスヴェアさんに言われるまでは半信半疑でしたが確かに僕もおかしいなとは思っていたんです。
ただ僕自身が変わったとは思えません。実験してみます。申し訳ありませんが少しだけ手伝ってくれますか」
「どんな実験だ?」
スヴェアも興味を引かれているらしい。
「正確には実験というより僕が変化を実感するための仕掛けです。で、お願いがあるんですが以前見せてくれた絵馬を用意してもえますか。それと絵の具かそれの代用品。それから長さがこれくらいの丸い切り口の棒を木で作ってくれませんか」
祐司は右手の親指と人差し指で5センチほどの長さを示した。
祐司は次の日の午前中、仕掛けを準備した。それが終わるとスヴェアを呼んだ。
「最初の実験は実験ともいえないものです。わかりやすいので先にします」
祐司はそう言うと足下の小石を拾い上げた。
「この石は僕のせいで巫術の作用がなくなりました」
「最初から石に巫術などかけておらんぞ」
「いや、かかっているんです。見ててください」
祐司は小石を投げた。石は低い放物線をえがいて二十メートルほど先の地面に落ちた。
「そんな、馬鹿な」スヴェアは石の飛翔を見て思わず声をあげた。
「そう言うと思いました。では、スヴェアさんも石を投げてください」
スヴェアは同じように石を投げた。石は祐司の投げた石の近くに落ちた。
ただ違っていたのはスヴェアの手を離れた石は最初はゆっくり、そして次第に速度を上げて落ちる直前には祐司の石と同じような速さになった。
「石とはそういう風に飛ぶものですか」
「当たり前だ。石に与えた力がだんだん解放されるのだ。なぜユウジの投げた石はそんな奇妙な飛び方をするんだ」
「力は最初に与えられるだけです。同じような速度に見えるかもしれませんが、実際は空気の抵抗で段々と遅くなってます。少なくとも僕の世界ではそうです」
「なぜ、いままで気がつかなかったのだ?」
「石や物を力一杯で投げるなんてことは日常生活ではしませんからね。以前、スヴェアさんに薪を投げてみろと言われてそうしましたが、あれは放り上げたので違いがわかりにくかったんです。先日、やってきた男の一人が石を投げたときに気が付いたんです」
「確かに、言われれば違和感があったことを思い出した」
「ここでは、全ての物に巫術のもとになっている力が作用するんです。どんな力かは残念ですが僕の知識では仮定することしかできません」
「どんな仮定だ」
「宇宙にはまだ解明されていないダークエネルギーというものがあると聞きました。わたしたちが知っているエネルギーの何十倍もあるそうです。
この世界ではそのようなエネルギーが顕在化しているのだと思います。だから、最初に与えられた力は別のエネルギーに阻害される。本来ならそんなゆっくりした速度の石は重力の作用が同じですからはるか手前に落下します」
祐司はゆっくりと石を投げた。石は数メートル先に落ちた。
「でも、スヴェアさんの石がゆっくりとした速度でも遠くまで飛んだのは重力も影響を受けているのだと思います。だからダークエネルギーなんてことを思いついたんです」
「理解できるようなできないような。後でゆっくり説明しろ」
「はい。では、これから科学的な実験をします。まず、用意したのは昨日の男達が持っていた弩です」
祐司の部屋から持ち出された小さな机の上に弩はロープと棒を上手く組み合わせて水平に固定してあった。
「弩としては個人で携帯できる最大限の大きさだな。あやつらは怪物に出会ったときにと思って苦労も惜しまず運ぼうとしたようだが、
この程度の武器では最弱の大蛇にさえ、甲冑を装備した男に最も弱い藁を構えて突撃するに等しいぞ」
スヴェアは小馬鹿にしたように言った。
「この弩から向こうの木まで10尋、僕の世界の単位では18メートルあります。この弩に絵馬を分解して作った丸い木の棒を矢のかわりに装填します。これは僕の世界の物質ですから巫術が作用していません」
祐司は長さが5センチほどの棒の先に絵の具を塗ると弩に装着した。
祐司は弩の引き金を引いた。
棒はまっすぐに飛び木に当った。
祐司はスヴェアを連れて木の所にいった。木には棒が当たった絵の具の跡があった。
「棒の当った場所の上に印がありますね。これは途中で棒が重力で落下しなかった時に当たる場所です。ここの物差しは僕の世界の単位が刻まれています。親指と人差し指の距離を知ってたんで自分で作りました。今計ります」
祐司はそう言うと手製の物差しで二つの印の距離を計った。
「これで棒の飛翔速度がわかります」
「二つの印の差は16センチです。次にt = √(2h/g) t=時間 h=落下距離 g=重力定数という式を利用して速さを求めます。重力定数はうろおぼえですが9.8m/sの二乗です」
祐司は地面に計算式をかいた。
「飛翔時間は0.19秒です。だから、えーと、秒速95m、時速340km、ものすごい威力です」
「次にスヴェアさんの作ってくれたこの世界の木の棒を飛ばします。僕が合図したら引き金を引いてください」
祐司は木の下に行くと手で合図をした。
スヴェアの放った矢は祐司の矢とほとんど同じ場所に命中した。
「本当はその棒も速度を測れればいいんですが、できませんから僕が体感します。声をかけたら矢を放ってください」
祐司はそう言うとバット代わりの1メートルほどの木の棒を持って構えた。
「はい!」
スヴェアの放った矢は祐司に打ち返された。
「どんどん放ってください」
五本放たれた矢はすべて祐司に跳ね返された。
「神技としか思えん」
スヴェアが感心して独り言のように言った。
「僕が打ち返せる速さは多分時速120kmくらいまでです。そこから考えると時速100km程度の速さに相当すると思います。
実際は時速340kmで棒は飛ぶわけですから、僕が剣で勝負した場合は相手より僕は三倍以上早く動けます。反対に言うと僕にとっては相手の剣の速さは三分の一程度にしか感じません。昨日のオオカミの経験から多分間違ってないと思います。さらに」
「さらに?」
スヴェアは完全に祐司に引き込まれた。
「神経中の動きは電気で伝わります。それもダークエネルギーの影響を受けているとしたら僕の神経伝達速度は相手より三倍は早い。もともとの電気の速度がとてつもなく速いですからあまり影響はないでしょう。第一電気が遅くなるなんて現象があったら相対性理論が崩壊してしまいますよね。
でも神経伝達物質という物には作用するのでしょう。その速度が三分の一だとしたら無視できない数値になると思います。これは昨日、虫に殺された男の動きを見て実感しました」
「ユウジはやはり元の世界では名のある学者ではないのか?」
「いいえ違います。理系崩れの経済学部です。それより恐るべきはスヴェアさんの剣の腕前です。これだけハンディキャップがあっても僕は勝てない」
「ギリギリでしのいでいた。今の話を聞くまで本当は自信をなくしかけていたぞ。ところで」
スヴェアの逆襲が始まった。
「さっきルートとかいう単位を使ったな。それを説明しろ。それから木の棒を打ち返したときに120キロまでならとか言っておったな、なぜわかるんだ。それから、後いろいろあるから説明しろ。ここでは時間はたっぷりあるし二人きりだからの」
調子にのってスヴェアに考慮することなくしゃべりまくった祐司はとてつもない憂鬱に襲われた。九九が出来ればエリートみたいに思っている人間に平方根の説明、野球を知らない人間にバッティングセンターの説明するのだ。
これは結局、野球と他のスポーツについても説明しなくてはならなくなるだろう。そして記憶力のいいスヴェアは経済学部、相対性理論はなんだとういう説明も求めてくるにちがいない。
スヴェアの後光は神々しいまでに輝いていた。そして、その目は好奇心であふれている。
祐司は先手を打って質問した。
「スヴェアさんが特別だとしても、巫術師は普通の人間が持っていない能力を発揮しますよね。でも、今までのお話を聞く限りでは巫術師が支配者という訳でもないんですね」
「巫術師は変わり者が多いからの。協調性と言うものがない。誰かに仕えて、命令をしてもらわねば半人前の人間だ」
「それが答えですか?」
「この世界で政を行うのは、貴族だが彼らの多くは巫術に耐性があるのだ。反対に言えば耐性があるものが貴族だ」
「耐性ですか」
「例えば巫術師のうち程度の差はあるが、四割ほどが使える術に雷がある。雷を食らえば失神したり、大きなダメージを受けたり死に至ることもある。
貴族は雷を受けてダメージがない分けではないが、少しよろめいたり、せいぜいしばらく動けなくなる程度の影響しか受けないのだ。
他の直接、身体に危害を加えるような術も貴族には効きにくい。だから、貴族はそれほど巫術師を恐れない。
そして、これは女系を通じて子孫に受け継がれる特徴だ。だから貴族の血筋は守られて行く。
動物でも巫術の影響を受けにくいものが幾種類かいる。例えば馬だ。だから、馬は高貴な生き物とされておる。
ただ、祐司のように巫術を無効にしてしまうものとは根本的に違う。突風術ではユウジは風そのものを無効にしてしまう。
貴族は風の影響を防ぐことはできない。しかし突風で巫術師が貴族を打ち倒せるわけではない。貴族が率いる軍勢の中で使ってこその術だ。
反対に人一倍、巫術の力を受けやすいのが巫術師だ。そのため多くの巫術師は身を守るために、貴族に仕えて互いに牽制しあいながらも集団で身を守ることを選びたがる。
それに貴族と異なり巫術師の子が巫術師とはならないのだ。希に巫術師の子が巫術を使えるということはあるが、巫術を使えるのは気ままに生まれてくる。
巫術師が巫術によって権力を握ったところで子孫にそれを受け継がせるのは難しいのだ。だから、家族がいれば貴族や地域の有力者の権威にすがりたがる」
祐司の質問の後には、スヴェアの問いかけが待っていた。