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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏
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黒い嵐19 バナジューニの野の戦い 九

挿絵(By みてみん)


馬の年 六月十三日 第八刻をかなり過ぎた時刻 (午後六時三十分)


 モンデラーネ公は、撤退の為の指令を次々に発した。それには、限定的な反撃の準備も含まれていた。敵が崩れていない中での戦場からの離脱は難しい。一度、敵を突き放しておく必要があるからである。



 この時間帯に、戦闘が行われていたのは、バナジューニの野ではなく、その北東方向にある北からの街道であった。ここでは、ドノバ州領主軍と、モンデラーネ公が最も信頼するシュテインリット男爵が指揮する部隊が交戦していた。


 ドノバ州領主軍といっても、全土からの部隊ではなく、北部と西部のリヴォン・ノセ州と接する領主は、地域防衛のために動員がかかっていなかった。動員されたのは、ドノバ州南部と東部の領主軍である。

 この各個バラバラの領主軍は前日に、タイタニアで合流してモサメデス川を渡河した。そして、早朝からバナジューニの野を目指して行軍を開始した。


 北からバナジューニの野に通じる街道を、ドノバ州領主軍は、急ぎに急いで、南下して五月雨式に、バナジューニの野の北東に達した。

 そこで、ドノバ州領主軍は、モンデラーネ公が最も信頼する指揮官であるシュテインリット男爵麾下の部隊に行く手を阻まれた。


 当初、総兵力では、ドノバ州領主軍は、シスネロス市民軍への攻撃のために半数の兵力を提供したシュテインリット男爵の部隊に対して三倍近い兵力があった。

 ただし、ドノバ州領主軍は長い隊列で順次到着したために、全軍が攻撃隊形になった時には、シュテインリット男爵の部隊は、一度、戦列を離れた部隊に加えて、シスネロス市民軍に対するモンデラーネ公軍兵力の一部が増強されていた。


 この時点で兵力は、ドノバ州領主軍、シュテインリット男爵軍とも四千と拮抗していた。ドノバ州領主軍は、総兵力で五千であるが、行軍消耗でまだ到着していない部隊があった。


 ようやく攻勢準備ができたドノバ州領主軍であるが、朝から八時間以上、強行軍を行ってきたドノバ州領主軍の動きは鈍く兵士の疲労からせいぜい一戦がようやくできるかどうかという状態だった。


 ドノバ州領主軍を率いるヘルマン伯爵は、比較的元気な部隊だけを攻勢に回した。それ以外の部隊は敵の反撃に備えて部隊の三分の二ほどを残した状態で攻撃を開始した。

 しかし、その準備が整った時には、モンデラーネ公軍の前衛が主要戦場となったバナジューニの野から本格的な撤退を開始し始めていた。


 シュテインリット男爵は軍勢を防御に撤しさせて、ドノバ州領主軍を柔らかく受け止めた。敵との接触を極力避けるために弓兵を集中的に戦列に配して矢を連射させた。

 ドノバ州領主軍のお世辞にも、強烈とは言えない攻撃は死傷者が出るとますます緩慢な状態になった。


 その様子を見て、シュテインリット男爵は秩序だって徐々に軍勢を後退させていく。しかし、完全にドノバ州領主軍から離脱することはできなかった。


 モンデラーネ公自身は、この時、シスネロス市民軍の攻撃をしのいで、主力を撤退させるために、この日は戦闘に参加せず、いまだに意気軒昂な親衛隊を引き連れて、シスネロス市民軍の突き放すための指揮を行っていた。


 モンデラーネ公は親衛隊を率いて出撃すると部隊を、バナジューニの野の北端に親衛隊を展開させた。



 バナジューニの野から主力前衛部隊の撤収を指揮するために戦車を急がせるモンデラーネ公に、ドラヴィ近侍長が同じような戦車で近寄ってきた。


「マリッサはどうした」


 モンデラーネ公は、ドラヴィ近侍長に声をかけた。


「まだ、もどってきません」


 ドラヴィ近侍長の言葉にモンデラーネ公は、嘆息したように言った


「まさか、マリッサが油断をしたり、不覚を取ったとも思えんが」



 モンデラーネ公は、シスネロス市民軍が、攻め寄せてくる気配がないことを確かめると最低限の部隊だけを、シスネロス市民軍に対する防御として残置させ他の部隊の撤退を急がせた。


「シュテインリット男爵より、ドノバ州領主軍の攻勢のために戦場を離脱できかねるとの連絡にございます」


 モンデラーネ公の馬車を追いかけてきた伝令が馬車と並んで走りながら言った。


 これを聞いたモンデラーネ公は、自身はシュテインリット男爵の部隊を離脱させるために、親衛隊を率いて北東方面に移動しようとした。


「大公殿下、先にお下がり下さい。殿軍の栄誉はなにとぞ、わたしめにお与え下さい」


 モンデラーネ公はドラヴィ近侍長の言葉に、しばらく考え込んでから言った。


「よし、任せる。親衛隊を預ける。フレドリ(シュテインリット男爵のこと)を頼む。離脱させてやれ。ただし、親衛隊もできるだけ損害を被らないように手際よく動かせ」


 順次、モンデラーネ公軍は撤退を開始していたが、さすがに輜重部隊までは手が回らず戦場の後方に大半が残されていた。もちろん、輜重隊にも撤退命令が出されていたが、リヴォン川の渡河点に向かう西へ街道は、モンデラーネ公軍部隊で溢れていた。


 おまけに、バナジューニの野の豪雨の余波で、街道はかなりぬかるんでおり、輜重隊の荷馬車は、すぐに立ち往生した。

 街道で一括して、通行する部隊を管制する者がいないこともあり、身軽に動ける戦闘部隊が輜重隊を押しのけるように先に撤退を行った。


 輜重隊は、動こうにも動けなかった。


 モンデラーネ公は、本陣に詰めていた百人隊長の一人を呼び寄せた。


「エスパルテにシスネロス市民軍に対する殿軍の指揮を取らせろ。輜重隊が撤退する間、戦列を維持して、輜重隊が撤退を行ったら速やかに戦場を離脱せよと伝えよ。くれぐれも、敵の挑発に乗って、戦闘にならぬように言い含めろ」


 エスパルテ男爵は、バナジューニの野の戦いで、モンデラーネ公軍左翼を指揮していた。モンデラーネ公は、そう言いながらエスパルテ男爵には、少し荷が重い任務かもしれないと思った。

 ここにきて、防御を任せれば安心できるデラトル男爵がいないことが、再び悔やまれた。

しかし、モンデラーネ公自身が、全てのことを行うことはできない以上、腐っても一軍の将たるエスパルテ男爵に任せるしかなかった。


 勝利を諦めた時点で、モンデラーネ公の最低の目的は自軍の保持になった。そして、総指揮官である自身が無事に帰還することだった。万が一、敵の予備部隊がシスネロスから到着した場合は、自身が討ち取られる可能性も考慮しなけらばならなかった。


 モンデラーネ公の命令を賜った百人隊長は、伝令用の馬車に飛び乗ると左翼を指揮しているエスパルテ男爵の元に向かった。


 モンデラーネ公自身は、少数の護衛部隊を引き連れて戦車で撤退を開始した。モンデラーネ公軍旗が翻る軍旗が見えると、街道に溢れていたモンデラーネ公軍は左右に寄って道を空けた。


「何から何まで、今日は思い通りにいかないな。しかし、親衛隊は無傷だ。その他の部隊とて補充可能な損害だ。巫術師が全滅したわけでもない」


 モンデラーネ公は、最大限の自制心をもって誰に言うことなく言った。そして、自分がひどく疲れていることに気がついた。




「モンデラーネ公を取り逃がしたか。なんとかならぬか」


 シスネロス市民本陣では、ほぼ霧が晴れた戦場を見ながらブロムク司令が、少し悔やんだ口調で言った。

 偵察に出ていた者から、次々とモンデラーネ公軍旗を掲げた場所が西へと走り去ったという報告が届いていた。


「我が方も朝からの戦いで甚大な被害を受けています。兵も疲れ果てています。巫術師も当分はまともな攻撃はできないくらいに消耗しております。数名の巫術師は失神しています。追撃は無理です」


 ディンケ司令は、ブロムク司令を慰めるように言った。


「せめて、敵の殿軍に一撃を与えられればよいのだが」


 ブロムク司令は、それでも諦めきれないように言った。


「その役目、我が近衛隊が引き受けよう」


 シスネロス市民軍、本陣に来ていたドノバ候近衛隊隊長のロムニスが言った。ブロムク司令は、何事か言いたそうだったが、ディンケ司令が発言するまで黙っていた。


「お願いいたします。よもやの敵の反撃があるやも知れませんので、動ける傭兵隊をつけましょう」


 ディンケ司令は、少しブロムク司令を見やってから言った。そして、ロムニスに向かって願いをした。


「それから、ロムニス様は、ここにいてください。万が一、貴方に何事かあれば、モンデラーネ公の思う壺です。敵将を討ち取ったと喧伝するでしょう。

 そして、近衛隊も無理をして損害を被らないでください。少しでも、危険を感じたらすぐに戻ってくるように厳命してください」


 ロムニスは、少し顔をしかめたが、はっきりとした口調で答えた。


「わかった」


「追撃は無理だが、市民軍を少しだけ前進させてはどうだろう。敵の反撃があればすぐに、防御ラインまで戻れる位置までいい。それでも敵から見ればシスネロス軍の総攻撃かと最初は誤認するだろう」


 ブロムク司令の提案に、ディンケ司令も同意して、シスネロス市民軍の前進も決まった。




馬の年 六月十三日 第八刻半 (午後七時)


 いまだにあちらこちらに残るぬかるみをさけながら、近衛隊の歩兵が駆け足程度の速さで進み、その後を、傭兵が戦列を保ったまま追いかけていく。


 その後を、酷く遅いペースで市民軍が、軍旗ばかりは派手に押し立てて、進軍のラッパを鳴り響かせながら戦列を几帳面に守って数十メートルばかり前進した。


 モンデラーネ公殿軍は、急いで戦列を整えるとシスネロス市民軍に備えた。


「勝ったのか、それとも負けたのか。ここにオレがいるということは負けたわけではないな」


 戦列が、ひどく薄くなった様子で、シスネロス市民軍の損害の多さがわった。ディンケ司令は勝ったという実感はなかった。


「勝ちです。何よりもモンデラーネ公の方が撤退をいたしました。ただし、モンデラーネ公の主力は戦力を残しております。その気になれば、明日も戦いができましょう。

 我が方の死傷者はかなりの数になっており、シスネロスに戻って軍の再編成をしなければもう一戦する力はありません。モンデラーネ公はシスネロス軍を痛打して退却したのだと喧伝するでありましょう」


 総指揮官であるブロムク司令が、淡々と言った。



 同じ時刻に、ドノバ候近衛隊本陣では、ヌーイがドノバ候に同様の発言を行っていた。


「どんな言い訳をしても先に戦場を離脱したのはモンデラーネ公です。だれが勝ち戦だと思いましょうか。我々は当初の防御陣から一歩も退いておりません。それより、最後の一手は誤ることなく慎重に行きましょう」


「それなら、ワシの理想よりは勝ちすぎたかもしれぬな」


 皮肉にも、この会話の後で名目的にシスネロスの戦術的勝利が少し損なわれて、目に見えない戦略的勝利が増してよりドノバ候の理想に近づいた。




 この時間、バナジューニの野の北西の戦いは、ドラヴィ近侍長が率いるモンデラーネ公親衛隊が、シュテインリット男爵にかわってドノバ州領主軍と小競り合いに入っていた。


 ドノバ州領主軍は、モンデラーネ公親衛隊の隊旗を見ると、ひどく消極的な攻撃しか仕掛けてこなくなった。その隙に、シュテインリット男爵の軍勢は悠々と西に退却を行った。



 主戦場であったバナジューニの野は、本来の静けさが戻っていた。死んだり、重傷で動けないモンデラーネ公兵士以外は、バナジューニの野の南半分からはモンデラーネ公軍兵士は姿を消した。


 ドノバ防衛隊の死の罠に飛び込んでくる兵士も、もう四半刻前を最後にいなくなった。


「見ろ。ドノバ候の戦車隊がこっちにやってくるぞ」


 ツハルツが、よりドノバ防衛隊のアオアザミの軍旗を高く掲げてながら言った。



 まだぬかるんでいるので、人の早足ほどの速度で、ドノバ候近衛隊戦車部隊が接近してきた。先頭の戦車には、二十ばかりと見える、いかにも貴公子風の隊長がいた。ドノバ候庶子のバルガネンである。



「全ては見届けられなかったが貴公らの働き感服した。いや、正直、義勇軍がこのような大きな働きをするとは思っていなかった。わたしの不明だ」


 バルガネンは戦車を停止させると、ガークに声をかけた。


「バルガネン様とお見受けいたします。わたしは、ドノバ防衛隊隊長ガークです」


 ガークは深く頭をたれてから言った。それにつられるように、周囲の兵士のバルガネンに頭を下げた。


「うむ、聞いたことがあるぞ。ディンケ司令が、あれほどの男が義勇軍所属だと嘆いておった」


 バルガネンは馬車の上から声をかけていることもあるが、祐司は貴族というものが、名前だけでなく立ち振る舞いが平民とは根本的に違うのだと感じた。


「巫術師の首級をあげました」


 バルガネンの言葉に、旗手のツハルツが合いの手のように言った。


「ほう、大したものだ。一人か、それとも複数か」


 バルガネンは、子供を褒める父親のような感じで言った。もちろん、ガークは、一回り近くバルガネンに比べて年かさなのであるが、祐司には、そんな気がしてならなかった。


「はい、今、数えさせましたところ五十八人です」


 ガークの言葉に、バルガネンは一瞬聞き間違いかと思った。近代戦で言えば、一個大隊にも満たない歩兵部隊が、雨霰と砲弾銃弾が飛び交う中を突破して、重砲数十門を破壊したということに等しい。


「?????」


 バルガネンは、しばらく黙っていた。


「金貨五千八百枚で御座います」


 黙っているバルガネンに、またツハルツが合いの手のように言った。


「それに、モンデラーネ公麾下のデラトル男爵を討ち取りました」


 ガークが、さらに、バルガネンが驚くべきことを言った。


「何?デラトルを討ち取っただと。モンデラーネ公の爪と呼ばれる勇将だぞ」


 これも比喩が難しいが、雑兵部隊が長篠の合戦で、武田の勇将山県昌景を討ち取ったと報告している衝撃に近い。


「更に金貨千枚で御座います」


 そう言うツハルツの後ろで、一人の兵士がデラトルの首を高々と掲げてバルガネンに示した。バルガネンの戦車に同乗していた副官がバルガネンの耳元に囁いた。


「わたしは、デラトル男爵を見知らぬが、副官の言葉では確かに、その首はデラトル男爵と瓜二つだそうだ。後でじっくり首実検を行うはず。証拠となる装備品なども忘れずに持ち帰れよ」


 バルガネンの口調は、ガークに対して尊敬を含んだ口調になった。 


「あと兵士で討ち取った数を調べておりますが乱戦ゆえ、まだ正確な数は不明です。ただ各自が討ち取った敵兵の小指を持っておりますのでぴったりの数をご報告できます」


 ガークは、飽くまでもへりくだった感じで言った。祐司からすれば、貴族慣れしているという感じだった。

 

「一人につき金貨二枚で御座います」


 ツハルツがまた口を挟んだ。


「先程から、この者の言っていることがよくわからんのだが」


 バルガネンは、少しツハルツに目をやってから言った。あわてたツハルツはドノバ防衛隊旗を持って硬直したように直立不動になった。


「義勇軍契約のことです」


 その様子が可笑しかったのか、ガークは少し微笑みながら言った。


「義勇軍契約か何か、わたしにはよくわかならいが、まあ、無事で何よりだ。金貨千枚とはいかぬが褒美の方はわたしからも市参事会に要請しよう。取りあえず後退しろ。

 夕飯はたっぷりある。まさかとは思うがモンデラーネ公のことだ再度攻撃を仕掛けてくるやもしれぬ。ゆっくり休んでおけ」


 そう言うバルガネンのもとへ、伝令が走り込んできた。伝令は口ではなく手紙をバルガネンに渡した。余程、緊急な事態でも無い限り、シスネロス市民軍では、口答の命令ではなく簡潔ながら命令書、もしくは、ドノバ近衛軍には依頼書が用いられていた。


 その手紙を、一目見てバルガネンは、馬車を走らせ出した。そして、ガークを振り返りながら声をかけた。


「追撃命令が出た。わたしは、これにて失礼する。さあ、早く陣へ戻られよ」


 その言葉に、ドノバ防衛隊の兵士は武器を振り回して、互いに武器を打ち付ける騒がしい音でバルガネンの武運を祈った。


 バルガネンの戦車隊は、戦場の真ん中で一列になった。本来、戦車隊は追撃戦に適した部隊であるが、戦場がまだぬかるんでいるために本来の威力を出せなかった。


 モンデラーネ公軍の最終攻勢時に、戦車が威力を発揮したのは霧が出ていて低速の戦車の接近がモンデラーネ公軍に察知されなかったためである。霧が晴れた状態では、低速の戦車は敵の好餌になる恐れがあった。


 そのために、近衛隊長のロムニスは、万が一に、追撃軍が反撃を受けて待避してくるときの援護を戦車隊に命じていた。


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