サヴォンリンナ神殿への道行き11 船内探索 七 移民区画③ 付録:キレナイト移民
祐司はルドヴィグ航海士見習の説明を聞いて、王家がリファニア本土からキレナイトに送る元流民である移民はブラジルなどで見られたコロノのようなものだと理解した。
*話末付録あり
「では、移民区画の食堂に行きましょう。食堂は今居ます前部移民区画と後部移民区画の間にあります」
ルドヴィグ航海士見習が祐司とパーヴォットに声をかけた。
「移民用の食堂は別になっているのですね」
パーヴォットが少し思うような感じの口調で言った。
「ここが移民用の便所です」
ルドヴィグ航海士見習が前部移民区画のどん詰まりが来ると左右を交互に手で示した。右舷と左舷に小部屋のような造りの一画があった。
「左舷が男用、右舷が女用となってます。二人ずつ使用出来ます」
「百人以上で四つですか」
ルドヴィグ航海士見習の説明にパーヴォットは少しばかり驚いたように言った。
祐司の目から見てもリファニアは清潔な中世世界である。
それは頻繁に入浴をして洗濯もこまめに行うということ以上に、排泄については感覚的に昭和中期ほどの気の使い方がされている。
都市の城壁内の地域でも男女をとわないで人目につかない路地で立ちションベンはするが、流石に大便をしているとなると罰金刑が課される。
(第六章 サトラル高原、麦畑をわたる風に吹かれて あやかしの一揆、逆巻く火の手21 伯爵館包囲戦十三 ランディーヌ 参照 )
街中で便意が生じれば町会が管理している一種の公衆便所があるのでそれを利用する。王都では糞尿は下水で城壁外の沈澱池に運ばれてそこで数年かけて肥料になっていく。
(第八章 花咲き、花散る王都タチ 王都に舞う木の葉23 チュコト神殿再訪 上 参照)
下水がない場合は肥だめに溜まった糞尿を近隣の農民が回収するか、時に都市の細民に臨時の職を与えるという理由で便所掃除を雇って糞尿の処理をしているので、町会の当番は便所自体の掃除をすればいいだけである。
(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き ベムリーナ山地の秋霖16 三組の夫婦 中 参照)
農村地帯を歩いていると時に耕地の端に掘っ建て小屋のような便所があり、耕作者がやはり糞尿を肥料として回収している。
(第十四章 ミツガシワの雫を払い行く旅路 道標は北の高き北極星4 模擬戦余話 参照)
かなり貧しい地域の都市部の地区の家屋や寒村といったような農家でも独立した便所があるのが当たり前で、パーヴォットの感覚では百人以上で四つしか便器がないとなるときつい状態だと感じてしまう。*話末注あり
このパーヴォットの懸念に対してルドヴィグ航海士見習はすぐに説明を始めた。
「後部移民区画、それに船首と船尾にも便所があってそこも男女が二人で使えますから二百人乗っているとすると十数人で一つになります。一斉に腹でも壊さなければなんとか回ります。
ただ第三甲板の便所は海面からほど近い位置にあるので、少しばかり時化てくると使用禁止になります。
パーヴォットさんが使っている第二甲板の便所は余程荒れても使用出来ますので安心して下さい」
「では、移民の方々は便所が使えないとどうするのですか」
ルドヴィグ航海士見習の説明はパーヴォットにさらなる疑問を生じさせた。
「便所の穴は海水が浸入してこないように蓋をしますが、便所におまるを設置して使って貰います。
ただおまるは数人が使うと一杯になりますから頻繁に取り替えて、使ったおまるロープをつけて海に投げ込んで洗います。
この作業は移民に志願してしてもらいますが、手間賃を一日銅貨七枚出します。移民となった流民は一文無しの者が多いので、少しでも手持ちを作ろうと希望者は殺到します。
そこでクジで毎日誰に任せるかを決めることになります。一度、当たりを引いた者は希望者が全員仕事にありつけるまでクジは引くことを禁止しますので、荒天が続くと航海の終わりまでには希望者はほぼ全員銅貨七枚を貰えます」
このルドヴィグ航海士見習の追加した説明でパーヴォットはようやく「そういうことですか」とやっと納得した声で言った。
「では、移民区画の食堂へ進みましょう」
ルドヴィグ航海士見習は祐司とパーヴォットを促して前部移民区画を通り抜けて船尾の方へ向かった。
ルドヴィグ航海士見習は前部移民区画の船尾側の突き当たりまで来ると、引き戸になっている扉の掛け金を外して扉を開けた。
「ここが移民区画の食堂です。今は机やベンチを片づけた状態です」
ルドヴィグ航海士見習は扉の横に体を動かして内部が祐司とパーヴォットによく見えるようにして言った。
祐司の目から見て食堂は小中学校の教室より一回り大きいといった広さで、船の右左舷に長机とその長さに合わせたベンチが寄せられて船が動揺しても動かないようにロープで縛ってあった。
そしてその長机とベンチの置かれている場所は床が煉瓦になっており、右左舷にそって竈と調理台のような台が設置してあった。また床だけでなく竈が接している舷側の壁も煉瓦で覆われていた。
ルドヴィグ航海士見習は「さあ中に入りましょう」といって祐司とパーヴォットを導き入れた。
「ここは上の第二甲板の一般船員食堂の真下になります。ですから一般船員食堂の床と同じように取り外せて、荷物を船底の貨物室に降ろすことが出来ます。」
ルドヴィグ航海士見習は天井部と床の明らかに四角に区切られた形になっている床を指差しながら言った。
「ここは食堂と厨房が一緒になっているのですね」
パーヴォットは”照明術”による光が弱まり少々薄暗い中で右舷と左舷にある竈を見ながら言った。
「移民区画の食事はそう凝ったモノは作りません。ごった煮やスープ、ライ麦パン、チーズ等です。
それも専門の料理人ではなく船員が作ります。移民を乗せた時は移民の世話係ということで、一当直分ほど多い船員を乗せるんです」
「移民は二百人ほど乗せるといいましたが、この食堂では精々三・四十人ほどしか食べられませんね」
パーヴォットが食堂を見渡しながら言った。
「はい、移民は交代制で食事をします。食事を出す方からするとのべつ幕なしに移民が食堂にやってくる感じになります。
一刻半(午前5時)に最初の朝食組が来て、四刻(午前10時)にやってきた最後の朝食組が終わると、すぐに最初の昼食組が来ます。そして昼食組が終わると七刻半(午後5時)には最初の夕食組が来ます。夕食組の最終が食べ終わるのはは十刻(午後10時)です。
その後は翌日の仕込みになります。ですから厨房には一日中誰かがいます。無論、火のことがありますから移民を乗せた時はこの厨房を無人にすることはありません」
ルドヴィグ航海士見習は火のことについて触れたが、現代でも船舶における火災は厄介な代物である。
ましてや前近代の可燃物で構成された木造船となると、一旦火災がおこれば消火能力も低いのですぐに大惨事になりかねない。
この為に史実の木造帆船では横暴な船長でも自室に裸火を持ち込むことだけは自重していた。
リファニア船は土地柄からして寒冷な海域を航行することが多いが、裸火が使用出来るのは防火対策をした厨房だけである。
暖を取る時は厨房で沸かした湯を使った湯たんぽか、焼け石を布でくるんだもので対処している。
付録:キレナイト移民
リファニア本土からキレナイト(北アメリア)への移民といってもおよそ三種類に分類することが出来ます。
第一は資産がある自主的な移民です。彼等は渡航費やキレナイト到着後の耕作地収得、或いは製造、商売の為の資金を自己で負担する移民です。
この移民は裕福な地主、商家の次男以下の者が多く、中には郷士階級の者もいます。現在の生活はそこそこであるが一国一城の主となるべく新天地で一旗揚げたいという者です。
彼等はキレナイトに向かう以前から現地の知人や斡旋者と連絡を取って、農場主になろうという者は土地の取得、製造業を行おうという者はすでに施設や生産器具の手配、さらに販路の目処があることがほとんどです。
こうした移民のほとんどは本格的な移住の前にキレナイトに少なくとも一回は渡航して現地の様子を調べ現地の人間関係を構築しています。
郷士階級の者はキレナイト総督府での役職就任や、各地の領主家への仕官が目的の者が過半です。
キレナイトでは統治機構の実務者が慢性的に不足しており、実務経験や技能がある者はリファニア本土より容易に仕官が出来ます。
この第一の移民は全体の一パーセント、多い年で二パーセントほどで最初から成功する確率の高い移民の中のエリートと言えます。
無論、彼等はキレナイトに渡航する場合には、乗船した船の乗客区画を利用して荒天にならない限りは快適に海の旅を過ごします。
第二は資産のない自主的な移民です。彼等は寒村出身者や都市の細民が主体です。
彼等はキレナイト総督府と契約したキレナイト移民を斡旋する口入れ屋を通じて、キレナイトの農場主や網元、製造豪奢と年季奉公契約を結びます。
これによって契約主が渡航費用を負担してくれ現地ですぐに仕事が出来ます。
慣例的に年季奉公は五年程度で衣食住は保障されますが、賃金は特に支払われず契約主から小遣いが出る程度です。
これはリファニア本土で年季奉公で作男や徒弟として働く場合とそう差がありませんが、年季明け後は農場で働いていた場合はリファニア本土の基準より条件がいい契約で耕作権が保障された小作農になりまた自分の耕作地も得て半自営農になります。
製造業の場合は正社員のような立場で給与を貰いながら働くか、雇い主の援助を受けて独立して雇い主の下請けとして独立したりします。
こうした年季奉公の移民は若い男性がほとんどですが家族での移住者もおり、その場合は女性は雇い主の家庭で家事労働をするのが一般的です。
彼等のほとんどは格安な移民区画を利用して渡航をしますが、年季奉公が一年ほど増えてもよいからとなけなしの金をつぎ込んで少しでも快適に過ごしたいとして乗船区画を利用する者も希にいます。
こうして無理をした場合にはさらに幸運に恵まれる場合がままあります。
乗船区画には先の資産がある裕福な移民が乗っていますが、彼等と親しくなり気に入られると自分の元で通常の奉公者として働かないかと持ちかけられます。
そうなると年季奉公の期間を経ることなくキレナイトで安定した生活を始めることが出来ます。
特殊なのは若い女性を対象にした花嫁としての移住です。
年季奉公で移住した若い男性が年季明けで独立して直面するのが結婚相手が容易に見つからないということです。
そこでキレナイト総督府は移住者の定住と人口増加を目的にリファニア本土から若い女性を送り込んでいます。
この資金の半分以上は領主や農園主、商人などが負担していますが、長期的には領主は人口増加による租税の増加、農園主や商人は顧客の増加を期待できます。
こうした女性も寒村出身者や都市の細民の出の者が過半で、やはりキレナイト総督府と契約した口入れ屋を通じて募集されます。
契約すれば支度金が出されますが、これは女性の家族が受け取る場合がほとんどです。キレナイトに到着した女性達は同数の結婚相手を探す男性との合同見合いのようなことを行います。
この合同見合いではかならず相手を選ぶというが決まりです。
*話末注あり
年季奉公を利用した自主的な移民者以外に、すでにキレナイトに定着した親類縁者に呼び寄せられて移住する者もいます。
これは自主的な移住者の中では5パーセント程度と少数派です。またほとんどは乗船区画を利用しますので第一の移民と第二の移民の中間のような存在になります。
第二の自主的な移民は全体の二割程度ですが、リファニア王室やキレナイト総督府ではこの種の移民を増やしたいと思っています。
年季奉公による移住は独立前のアメリカ合衆国地域で見られた年季奉公者としての移住と類似しています。
十七世紀から十八世紀を通じてアメリカ合衆国地域の移住はイングランド人をはじめヨーロッパからの年季奉公者が全体の移住者の三分の二を占めていました。
こうした年季奉公者の需要が高かったのは、アメリカ合衆国地域では容易に農地を得られることから既存の農場経営が農業労働者を得ることが難しかったからです。
そこで一般的な解決策として、イギリスまたはドイツ諸国から若い労働者を年季奉公人として連れてきて数年間働かすことで渡航費を返済させることでした。
契約期間中、使用人には現金賃金は支払われませんでしたが食事、住居、衣服が提供されました。契約期間は最低1年から最大7年までで、通常は4年または5年でした。
ただこうした年季奉公者の生活は過酷で法的な保護はほとんど受けられず、契約による奴隷という立場でした。
数的な資料は乏しいのですが年季明けまで生きていられれば幸運だというほど死亡率は高かったようです。
また年季奉公者に対する鞭打ちなども横行して、故意に殺害されることもあったようです。
さらに女性は家事労働に従事しましたが、主人によって性的に搾取される場合があり出産すれば年季奉公の期間が延長されました。
こうした年季奉公者は困窮して選択肢として海外渡航を選ばらすを得なかったとしても自発的な意志に基づくものが八割以上でした。しかし残りは囚人と誘拐という手段で連れてこられた青少年です。
アメリカ合衆国地域における年季奉公者は法的には1917年まで残っていたもののアメリカ合衆国独立後は減少していきます。
理由としては諸説ありますが、まずアメリカ合衆国独立戦争で新たな年季奉公者の渡航が途絶したことです。
この為に年季奉公者のかわりに賃金労働者が主体になりますが、賃金労働者の方が労働生産性が高く嫌々働く年季奉公者が非効率と見なされます。
そして年季奉公者に代わって永代に使用出来るアフリカ系奴隷がより大量に導入されたということもあります。
さらに十九世紀になるとヨーロッパ諸国で労働者の賃金が向上して年季奉公の制度を利用せず自費で渡航をし易くなったことがあげられます。
さてリファニアのキレナイトにおける年季奉公者は少なくとも鞭で打たれたりはせず、法定な保護化にありますので大部分が年季明けを迎えられて、独立後はリファニア本土で得るには難しかったほどの生活の向上が見込めます。
ただ年季奉公を利用した自発的な移住者は犯罪歴がないことに加えて、農村出身者であれば村長や村会、都市出身者であれば町会長の真面目な人物であるという推薦状が必要になります。
第三の移民が避難民や流民です。彼等はキレナイト移住者の八割を占めています。
彼等の行き先は同郷の集団を単位として一部がキレナイト総督府直轄地、大部分は各領主領の農園になります。
この場合の形態はブラジルの大農園であるファゼンダにおけるコロノと似ています。コロノは日本語では請負契約労働者というような訳になります。
身一つで移民してきた人々がまず生活するために農場主とコロノになる五年ほどの期間の契約を交わします。
農場主は住居、生活用品、農機具、種などを用意して、それを利用してコロノになった者は耕作を行い収益は農場主と折半します。
立場上は農場主の方が強いのですが、あまり条件が悪いとコロノの契約をしてくれる移民がいませんので双方が納得する契約になります。
移民はコロノとして働く過程で現地の農法を収得しながら、自ら開墾して自営農として独立していきます。
リファニア本土からの避難民と流民はコロノと同様の契約を農場主と行います。また単独の農場主だけでなく、先住の農民集団が自分達の共同耕作地の労働力として契約をする場合もあります。
契約は五年ほどでその間に移民達は領主から許可を得た土地の開墾も行って自分達の農地を得ていきます。
ただ開墾地が定住地から遠方の場合もあるので、集団の一部はそこに住み着いて開墾に専念しますがこのようなことが支障なく出来るのは同郷の者の集団だからです。
注:便器の数等
日本の法令(労働安全衛生規則628条)では職場の便器数についての規定が以下のように定められています。
一 男性用と女性用に区別すること。
二 男性用大便所の便房の数は、同時に就業する男性労働者六十人以内ごとに一個以上 とすること。
三 男性用小便所の箇所数は、同時に就業する男性労働者三十人以内ごとに一個以上と すること。
四 女性用便所の便房の数は、同時に就業する女性労働者二十人以内ごとに一個以上と すること。
五 便池は、汚物が土中に浸透しない構造とすること。
六 流出する清浄な水を十分に供給する手洗い設備を設けること。
以上からするとソフィアネッテ号の移民区画の便器は男女とも二十人に一つはありますので現代日本の法令基準を満たしているようです。
ただ学校に関しては法令の定めがなく、劣作を読んでいる学生の方の中には自分の学校はこの基準以下の便器しかない方もいると思います。
またほとんどの家庭では洋式便器を使用しており、和式便器を使った事がないという児童もいるかもしれません。
ところが学校ではまだ和式便器が残っている自治体が結構あります。文部科学省の2023年の調査では或る程度の学校数がある市以上で見ると洋式100%の市は(石川県-かほく市、愛知県-蒲郡市、岡山県-早島市、沖縄県-名護市)で、ほぼ洋式であるのは(富山県-富山市98% 鳥取県-倉吉市99%)です。
反対に和式が60%以上の市は(福島県-喜多方市63%、新潟県-加茂市64%、山口県-下関市66%、山陽小野田市65%、防府市64%、萩市-69%、愛媛県-今治市64%、高知県-南国市61%、宮崎県-小林市60%、西都市67%、鹿児島県-枕崎市73%、阿久根市60%、出水市65%、西之表市60%、垂水市-67%、さつま川内市654%、いちき串木野市69%)となります。
町村単位まで含めると結構多くの町村が洋式100%となっていますが、一番和式率が高いのは福岡県の添田町で80%です。
この差は財政的なこともありますが、筆者の感覚からすると限られた教育関係の予算をどこに重点的に当てるかという自治体の首長や教育員会の考えも大きな要因ではないかと思います。
さてソフィアネッテ号の移民区画の便器は数では現代日本の事業所基準を満たしていますが手洗いはなく、便器を汚した時に使う木桶に入った海水で手を洗うしかありません。
祐司とパーヴォットは乗客、それも特別待遇ですからソフィアネッテ号では毎朝キャビンボーイのデルデキクトが洗面用のお湯の入った木桶を持ってきます。
流石に風呂はありませんが夕食の後にはデルデキクトが矢張りお湯の入った木桶を持って来ますので手足を洗い、濡れた布で体を拭くことが出来ます。
まだ祐司とパーヴォットは頼んでいませんが、デルデキクトは「下着などの洗濯があれば申しつけて下さい」と言っています。
これに対して移民区画では洗面や口をすすぐ為の真水は一日に小さな手桶の水が数人に一つ与えられるだけです。これでは水を布に浸して顔を拭う程度のことしかできません。
ただ移民区画では食堂で大きな木杯に入ったハーブティーが出ますし、おかわりも出来ます。
そして樽から一人三杯までと制限されますが、大きな柄杓で飲料水を得る事が出来ます。
これから移民でも一日に飲料水は二クォート(約2.4リットル)以上が確保されているようです。
16~17世紀頃の大航海時代では船で乗客を含めて飲料水の供給が一リットル程度であったといいますから、初期にヨーロッパから北アメリカに移住した人々と比べるとリファニア本土からキレナイトに移民する人々はまだ恵まれています。




