黒い嵐17 バナジューニの野の戦い 七
馬の年 六月十三日 第七刻(午後四時)
巫術による濃い霧と、自然の薄い霧、まだ時折、降り出す小糠雨のような通り雨が戦場を包んでいた。
その中で、モンデラーネ公軍陣営から攻撃の太鼓が打ち鳴らされた。太鼓も雨に当てられたのか、くぐもったような音だ。
ドッドンーー、ドッドンーー。ドッドンーー、ドッドンーー。
モンデラーネ公の軍勢が、午前中の攻撃とは異なり多少不揃いな形で一斉に前進を開始した。不揃いなのは、損害が出て戦力の低下した部隊の再編成を行ったために指揮系統に混乱が生じたためである。
近代軍なら再編成は当然の行動である。それを、モンデラーネ公指揮下の部隊というという条件下ながら短時間で行ったのはリファニアでは驚異的な出来事である。
「総攻撃をかけてくる気だ」
ディンケ司令は、いよいよ本当の正念場が来たことを知った。モンデラーネ公軍の総攻撃を凌げば勝利である。
「絶対に防げる」
ディンケ司令は、たった今、目の前で見たドノバ候の登場によるシスネロス市民軍の熱狂に、モンデラーネ公軍を跳ね返せるという確信があった。ディンケ司令は戦列全体にみなぎる戦意が陽炎のように揺らいで見えるような気がした。
「ただいま、ヘルマン伯爵よりの伝令が」
ディンケ司令の副官が、ナジューニの野の東にある森を、無理矢理に通過してきたために泥まみれになった兵士を連れてきた。
「ただいま、後方よりヘルマン伯爵以下、領主軍五千が全力でモンデラーネ公軍に攻勢をかけております。ただ行軍消耗が激しいので総攻撃はかけられませんが、領主軍の名誉に誓って少なくとも同数の敵は拘束いたします」
泥まみれの兵士は見るからに疲労困憊していたが、はっきりとした口調で言った。
「そういうことか、領主軍と本格的な戦闘になる前に、こちらに一撃を与えて離脱するつもりだ。それで、勝利を宣言するのだろう」
そう言ったディンケ司令の心に少しばかり余裕が出来た。モンデラーネ公軍は、本格的な戦列突破を狙っていないことを理解した。
敵戦列を突破して、壊滅戦になると隊形も何もあったものではない。そういった状態で敵軍が背後にいて、いつ襲いかかってくるかわからない状況で、モンデラーネ公がシスネロス市民軍を徹底的に打ち破るつもりはないとディンケ司令は理解した。
「守りきってみせようぞ。一歩たりとも防衛ラインから退くな。これが、最後の攻撃だ。そう各隊長に伝えよ」
ドッドンーー、ドッドンーー。ドッドンーー、ドッドンーー。
ドッドンーー、ドッドンーー。ドッドンーー、ドッドンーー。
このモンデラーネ公軍の攻撃を知らせる太鼓の音は、ドノバ防衛隊のガークや隊士にも聞こえていた。市民軍による「市民軍の歌」を聞いて、いまだに、シスネロス軍の防御ラインが健在であると確信したガークや隊士ではあったが、より近くで響く太鼓の音に大きな威圧感を感じていた。
ドノバ防衛隊と成り行き上、ガークの指揮下に入った落後兵達は黙って不気味な太鼓の音を聞いていた。霧は再び深くなり前の様子は見えなかった。
「モンデラーネ公軍の総攻撃だ。一か八かの攻撃だ。きついがすぐ終わる」
ガークが全員に聞こえるように言った。
「よし、こっちからおびき寄せてやる。市民軍ばかりに歌わせないぜ」
ガークは一拍おいて言った。
「ドノバ防衛隊の歌」
♪我らは街でも野でも 大熊のごとき勇壮豪腕な戦士!
剛胆無双の我らは ドノバに満ちるアオアザミの戦士
戦友!我ら共に行かん
恋人とは、今は別れの時
戦友!我ら共に行かん
我らの望みは承知の通り
さあ征こう! 戦友!
さあ征こう! 戦友!
仇なす敵兵を粉砕だ!
「全員、池の前に集合。池を盾に防御する。池の後ろに半円形に陣を作れ」
「後ろを守っている奴らに言う。命が惜しかったらこちらから、手を出すな。近づいてくる敵だけと戦え。戦いたくなかったら、槍を構えて敵が近づけないようにしてろ」
「弓を持ってるヤツは前に来い」
矢継ぎ早にガークが命令を出す。祐司を含めた男達は不安で押しつぶされそうになりながらもガークの指図のように動いた。
散発的にシスネロス側から”雷”が放たれる。その半分以上が”屋根”に弾かれることなく着弾していた。これは、祐司には見えた。霧を通してでも、”屋根”に”雷”が命中すれば砕けたような光が空中に見えるからだ。
戦場を漂う霧は祐司にとってかなり薄くなっていた。その薄い霧の中に、モンデラーネ公軍の戦列が見えた。シスネロス側の”雷”は当てずっぽうである。大半は人のいない場所をむなしく穿っていた。
もし、ディオン司令に弾幕射撃という概念があれば、一定の距離の所ばかりを列状にして狙わしただろう。モンデラーネ公には幸いにして、今だその概念はリファニアにはない。
「敵は見えますか?」
祐司は傍らのガークに聞いた。
「いいや、霧が濃い」
祐司は自分には見えることから、巫術による霧が出ていることを知った。巫術の霧は祐司には感知できないからだ。
「正面、右に大きな”屋根”の欠損があります。今ならやり放題です」
祐司が突然叫んだ。一日中、戦場の上を覆っていた”屋根”があちらこちらで大穴を開けていた。巫術による”屋根”は、リファニアの人間には見えないが、祐司には大気の揺らぎとして見えた。
多くのモンデラーネ公軍巫術師が討ち取られたために、残った巫術師の数ではモンデラーネ公軍は”屋根”を味方全体の頭上にかけることが困難になっていたのだ。
「わかるのか」
ガークは、疑心のない声で聞いた。
「確かです」
祐司の言葉に、粗い息をしているガオレにガークは言った。
「ガオレ、やれるか」
「二三発ぶち込んでやる。距離は?」
ガオレが上体を蓮台の上で真っ直ぐにして術を発動させようとしたまま祐司は聞いた。
「三百尋(約四百八十メートル)、大きな穴だから適当でも大丈夫です」
祐司が答えると、すぐに”雷”が二発、モンデラーネ公軍の後列が密集している辺りを直撃した。戦列が二ヶ所で大きく乱れたことが祐司には見えた。
モンデラーネ公軍は、より散開した。霧の中でも、すぐに敵の攻撃に対応できるモンデラーネ公軍の練度の高さを見せたが、散開することで敵に対する衝撃力は弱まる。
「今、先頭は百尋(約百八十メートル)くらいの距離にいます。後列はさっきのガオレさんの攻撃で前後に散開してます」
祐司の声にガークは頷いた。
ドッドンーー、ドッドンーー。ドッドンーー、ドッドンーー。
ドッドンーー、ドッドンーー。ドッドンーー、ドッドンーー。
太鼓と音と足音が近づく。やがて、ガークにも霧の中にかすかに人影が見えた。
「合図したら矢を放て。それまでじっくり狙ってろ」
突然、池の対岸に明瞭な人影が見えた。急に霧が無くなったかのようだった。祐司の力で巫術の霧が無効化される距離になったのだ。戦列を組んだ黒備えのモンデラーネ公軍兵士が誰の目にはっきり視認できた。
目の前に現れた池に、最前列の兵士が池に入っていく。二列目も。
祐司達は知っていた。一見、大きな水溜まりのような池は、二メートルほどもいくと急に腰の深さになる。そして、底は足を絡め取られる泥である。
多く最前列の兵士が急に姿勢を崩して腰の辺りまで水に浸かる。後ろから押されるために、戦列は乱れて団子状になった。
「撃て」
二三十本ほどの矢が、三十メートルほど先の池の対岸に低い矢筋で飛んでいく。ほとんどの矢が命中した。
近距離の密集隊形の戦列兵に打ち込んだためだ。リファニアでは、戦列と言えども、巫術による攻撃をさけるために兵士の間は、一人分以上の幅は開けるが、霧によって方向を見間違えないためにより密集していたのが徒となった。
また、本来なら盾が矢を防御するが、兵士達は姿勢を崩しているため盾は身体を隠してはいなかったのだ。
「どんどん撃て」
池の対岸と、その近くの水面には死体やら、矢傷でもがく兵士で埋め尽くされていった。
「流石だな」
ガークが言うように、モンデラーネ公軍の兵士は、思わぬ打撃に後退するのではなく、盾で矢を防ぎながら池を迂回しだした。
命令が出たのか、池の畔にまでやってくる兵士はいなかった。
「後ろに回ったぞ。霧の中に人影が見えたら敵として躊躇せず突け」
ガークは叫ぶが、後ろから攻撃してくる者はいなかった。やがて、後方で叫び声やら、武器が発する音がしてきた。
モンデラーネ公軍が、シスネロスの防御ラインに到達したらしい。
「おい、矢を準備しろ。鼓手がくるぞ。鼓手を狙え。当てられないなら太鼓でもいいぞ」
太鼓の響きが一層大きくなってきたことに気が付いたガークは新しい命令を出した。
ガークの思惑通りに、霧の中から三つの太鼓が現れた。それぞれが臼ほどの大きさの太鼓を棒で吊して四人の男が運んでおり、左右にいる鼓手が太鼓を打ち鳴らしていた。
太鼓は戦列の後ろにいたので、池を迂回する命令を聞き逃したようだ。
「撃て」
三つの太鼓に向かって矢が飛ぶ。あっという間に太鼓隊は壊滅した。
「太鼓の音がしないと不安だろうな」
ガークは意地悪く薄ら笑いを浮かべた。
「後ろの奴ら、雄叫びを上げろ。バォーーーー。」
円陣の後方どころか、ドノバ防衛隊は一斉に雄叫びを上げた。
「バォーーー。バォーーーー」
視界の効かない戦場で、その雄叫びは不気味に響いた。
モンデラーネ公軍の中央を進む兵士は霧を突き進み、分けのわからない水溜まりで思わぬ損害を出した。
それでも指揮官達は素早く池を迂回させて、霧の中で戦列を組み直させた。日頃の猛訓練の賜である。
戦列を組んですぐに、シスネロスの防御ラインに到達した。最前列で戦っている兵士にはわからなかったが、後方にいる兵士は急に進撃を促す太鼓が聞こえなくなったことに気が付いた。
バォーーーー、バォーーーーー。
そして、雄叫びが聞こえてきた。ドノバ州特有の鹿のような雄叫びである。
最後尾の兵士達は後ろを向いた。
「挟み撃ちになるぞ」
指揮官一人が不用意に言った一言は兵士の戦意を砕いた。
二列目以下の兵士が後ろに下がった。
「敵の中央への攻撃がひどく鈍いです。ほとんど攻撃してきません。左右もなんとか持ち堪えています」
シスネロス市民軍本陣では、ひっきりなしにやってくる伝令の報告を、ディンケ司令の副官が取りまとめて報告した。
いまだに霧のため、全体が見渡せない中で、ディンケ司令は戦況の把握を頻繁な伝令に頼っていた。
「予備を左右に」
ディンケ司令は躊躇なく言った。
「最後の予備だぞ。罠ではないのか。中央を突破されたら大逆転を食らうぞ」
シスネロス軍全体の総指揮官であるブロムク司令が、少し驚いた様に言った。
「いや、わたしのカンは違うと言っています」
「カン?」
「カンばかりではありません。耳をすませてください」
戦いの喧噪の中に、バォーーという歓声が混じっていた。
「モンデラーネ公軍の攻撃の前には義勇軍が歌っていた歌が聞こえました。あれは、義勇軍の雄叫びです。モンデラーネ公軍戦列の後方から威嚇してます。
だから、奴らは不安で真面目に攻撃できないのです。また義勇軍が潰えても、ドノバ候近衛隊が最後の予備として待機しております」
ディンケ司令は、なんとか攻撃を凌げると自分に言い聞かせながら言った。
「第二陣が来るぞ」
祐司が叫んだ。
祐司は自然の霧がほぼ無くなったために戦場全体を見通すことができた。祐司は人目を気にせずにオペラグラスを取り出して目に当てた。
モンデラーネ公軍の第二陣が、薄い戦列ながらやや早足で前進してくる。左翼(モンデラーネ公軍にとっては右翼)の後方には、真っ黒い軍旗を押し立てた一群がいた。モンデラーネ公は自軍の左翼を厚くして攻撃をしかけるようだっった。
「真っ黒い軍旗は、どんな部隊ですか」
「それは、モンデラーネ公の親衛隊だ。最強の部隊だ」
祐司には西側の森から、戦車が突入してくるのが見えた。
「戦車だ」
「モンデラーネの野郎。いったい、どれだけ戦車を持ってるんだ」
「いいえ、味方です。雄牛の軍旗が見えます」
雄牛の軍旗はドノバ候戦車部隊の軍旗である。その軍旗を掲げた戦車をV字の底にした隊形で戦車隊が進んで行く。
「パンツァーカイルだ」
祐司は思わず口に出した。各戦車は、尾部に、初歩的なランタンのようなランプを付けていた。各戦車は全体が、霧と蒙気で見渡せないが、二三台先の戦車のランプは見えるだろうと祐司は思った。
戦車は泥濘に行き足を取られて、精々、駆け足ほどの速さである。しかし、その戦車が霧と蒙気で、ついそこまで接近しなければモンデラーネ公軍の兵士は視認できない。
霧と蒙気をつんざいて、突然、現れる戦車に対応できずモンデラーネ公軍の兵士が、跳ね飛ばされていく。
あわてて、前後に走って逃げる兵士は、やや遅れてくる後続の戦車に蹂躙される。
「だから、V字の形に隊形を組んだんだ」
祐司は戦車隊の指揮下の慧眼に感心した。
モンデラーネ公軍の隊列は、大きくかき乱される。霧の中で戦列が乱れると、再び集合するのは困難である。
モンデラーネ公軍の第二陣は、バラバラになった兵士を集合させて、さらに、戦列を組み直すためにバナジューニの野の真ん中で立ち往生した。
その戦況を祐司は、逐一ガークに報告した。
「ただならぬ物音と悲鳴がするから信じるが、ユウジは霧を見通す巫術を持っているのか」
ガークの言葉に祐司はワザと左胸にある一願巡礼の印である大鷲の羽を見せながら黙っていた。ガークはそれ以上は聞いてこなかった。
戦車隊は戦場を西から東に駆け抜けると、そこで反転して今度はやってきた方向へ突進しだした。
再度の悪夢が、モンデラーネ公軍第二陣の兵士達を見舞った。モンデラーネ公第二陣戦列は、見る影もなく広く散開した兵士の群に変わり果てた。
数台の戦車が、泥濘と水溜まりで立ち往生していた。その戦車の戦車兵は、馬を解き放ち戦車の近くにいた。
微かに聞こえてくる音からすると、角笛を吹いているようだった。その角笛に導かれるように味方の戦車が接近すると、立ち往生していた戦車兵は味方の戦車に飛び乗った。
「味方の回収まで考えていたのか」
祐司は戦車隊の指揮官に魅了されてしまった。
ただ、戦車が元の出撃位置であるバナジューニの野の西にある微高地に到着する頃にはどの戦車も、人が歩くほどの速度になっていた。
泥濘が車軸にも詰まったのだろうと祐司は推測した。戦車兵は、急いで戦車の整備を始めたが、この後、戦場を横切る大胆な戦車の機動は行われなかった。
「西側面からシスネロスの戦車が突入しました。第二陣の戦列は乱れされて、バラバラの状態です。最前列の部隊だけで戦っています」
モンデラーネ公の元に予想もしなかった報告が、泥まみれになった第二陣に属する半隊長によって届いた。
「集合の太鼓を打ち鳴らせ。二陣を一旦後退させて戦列を引き直せ」
ドドドン、ドドドン、ドドドン
太鼓の合図で、モンデラーネ公第二陣の兵士達が後退を開始した。各部隊長は、バラバラにもどって来る兵士で急いで戦列を組み直し始めた。
ただ、霧と蒙気は少し薄くなってとはいえ、攻撃発起地点はまだ遠方から部隊旗が見えるような状態ではなかった。
しかたなしに部隊長たちは部隊旗を霧の影響を受けていない後方に移して兵士を集め出した。そこはモンデラーネ公本陣よりも更に後方であり、戦列が再度組めてもシスネロス市民軍の防備柵まではかなりの距離があった。
戦っているモンデラーネ公軍最前列の兵士達が、攻撃疲れで後退しないうちに第二陣の攻撃を掛けられるかは時間との勝負になってきた。
「シスネロス前衛にドノバ侯爵旗が確認されました」
最前列の部隊から伝令がやってきた。
「なぜドノバ候が前線に出てこれるんだ」
第二陣の再攻撃準備が、はかどっていないことに気が焦り始めていたモンデラーネ公は、ドラヴィ近侍長も初めて聞くような驚愕した声で叫んだ。
「殿、影武者でございましょう。ドノバ候は健康を害しているのは確かでございます。我が手の者もそう報告をしてきております」
ドラヴィ近侍長は、モンデラーネ公の気持ちを落ち着けるようにゆっくりと言った。
「いや、はめられた。何故かわからんがドノバ候はこちらの計略に気がついた。そして、こっちの計略が上手くいっているように行動していたんだ」
モンデラーネ公は、すぐに落ち着いた声で答えた。
「シスネロス領主軍戦列が攻撃態勢で左翼後方から接近しています」
この報告を聞いたときには、モンデラーネ公は取り乱すことなくすぐに決断した。
「時間切れだ。前列の軍を呼び戻せ。そして順次、撤退を開始せよ。わたしは親衛隊を率いてシスネロス領主軍に当たる」
モンデラーネ公のこの決断によって、最精鋭部隊である親衛隊がシスネロス市民軍への攻撃を行う機会はなくなった。
「迂回部隊はいかがいたします。今だ戦闘中と存じますが」
ドラヴィ近侍長の質問に、モンデラーネ公は、当たり前のように返事をした。
「見捨てる。後始末が厄介だがいたしかたあるまい」




