サヴォンリンナ神殿への道行き7 船内探索 三 付録:リファニア船員組合
「どうかしましかた。何か考え事でも?」
祐司が以前出会った少々風変わりな背景を持った料理人の事を頭に思い描いているとルドヴィグ航海士見習が声をかけてきた。
「すみません。以前出会った料理人のことを思い出していただけです」
祐司は慌てた声で返した。
するとルドヴィグ航海士見習に背を向けたパーヴォットが声に出さずに口の形で「ドレアさんとブラウリオさん」と言った。
ドレアとブラウリオはパーヴォットにとっても強烈な印象を残しているようだった。ブラウリオという料理人もワケありのようだが、少々の事では祐司は驚かないだろうという確信めいたものがあった。
祐司達が話をするためにテーブル席に座るとソフィアネッテ号の司厨長デゼメ・パンタレオの助手であるパンニ・ルジェロがパンタレオが作っていたポテトパンケーキをのせた盆を持って基幹船員食堂に入ってきた。
「デゼメ・パンタレオがこれもお持ちするようにと」
ルジェロはまたようやく聞き取れる程の声量で言った。そしてまるで逃げ出すように厨房へ戻って行った。
「パンニ・ルジェロという人は人見知りなんでしょうか」
パーヴォットがルドヴィグ航海士見習に小声で訊いた。
「そうとも言えるのでしょうか」
ルドヴィグ航海士見習は要領を得ない感じで返した。
「デゼメ・パンタレオさんが厳しすぎるとか?」
パーヴォットは小首を傾げてさらに訊いた。
「いいえ、逆です。デゼメ・パンタレオはルジェロを大層大事にしていますよ。もう彼等とは三年以上一緒にソフィアネッテ号に乗っていますがデゼメ・パンタレオがルジェロを怒鳴るなんてことは一度も見てません」
ルドヴィグ航海士見習はそう言ってからおもむろにパンタレオとルジェロの話を始めた。
「デゼメ・パンタレオは親も料理人でほんの子供の頃から料理の修業に励んでイナギ亭”ではそのうち料理長になるだろういう男だったそうです。
一方のパンニ・ルジェロは孤児で天涯孤独の身の上だったそうです。王都のマメレス神殿付属の孤児院で育って、その孤児院の口利きで”イナギ亭”で下働きとして働くようになったということです」
リファニアでは近代社会では行政が行う福祉事業を”宗教組織”が行っている。これは特に裕福な信者や統治者からの義援金を募って運営されている場合が多いので財の再分化を”宗教組織”が代行している形である。
ルドヴィグ航海士見習の言ったマメレス神殿は王都第一のヘルゴラルド神殿内にある主神ノーマの妻マメレスを祭神とした神殿のことを指しており独立した神殿ではない。
ただマレメスを祭る神殿は主神殿とは別の神殿として建立されたのでマメレス神殿と一般には称される。
女神マメレスは慈悲の女神でありマメレス神殿は王都で孤児院を運営している。またマメレス神殿には王家からの寄進が多いので、王都の人々はマメレス神殿の孤児院は王家が後援者であると認識している。
無論、マメレス神殿への寄進の過半は一般信者からのものなのだが、王家がマメレス神殿付属の孤児院の後援者であるという評価は民衆への心遣いを忘れていないという王家お得意のプロパガダンの賜である。
「デゼメ・パンタレオとルジェロは”イギナ亭”で出会ったワケですが、デゼメ・パンタレオが見習として厨房で働き出すと二人は理無い仲になったのです。
まあそれはそれであまり人前でおおっぴらなことをしなければ問題になるようなことではなかったのです」
性におおらかなリファニアでは男性の同性愛もおぴっらに人に見せつけるようなことでもなければ、密かな関係として後ろ指をさされることではない。
全員ではないが武将も小姓という名目で十代の少年を伴って戦場に行くので少年愛もそう希有なことではない。
ただ女性は男性に庇護されるべきという考えによる男尊女卑の延長なのか女性同士の同性愛は隠れた存在で、高位身分になればなるほど憚られる傾向がある。
ルドヴィグ航海士見習の話は続く。
「それはそれで特に問題も無く二人の関係は続いたでしょうが、ところが”イナギ亭”の娘の一人がデゼメ・パンタレオに恋心を持っていたんです。
息子がいなかった”イナギ亭”の主人とすれば娘が次期の料理長として考えていたデゼメ・パンタレオと結婚してくれれば、娘とはいえ自分の子に店を継がせる形になるのでこれは好都合な話でした。
そこで主人はデゼメ・パンタレオにルジェロとの関係を清算して娘と所帯を持って将来の料理長、そして”イギナ亭”の主人として腕をふるってくれと持ちかけたのです」
「デゼメ・パンタレオという人は女性にも興味があったのですか」
パーヴォットが不思議そうに問う。
「詳しくは知らないのですが、デゼメ・パンタレオは実は一度結婚していたことがあるそうです。
ところが相手の女性が不義をしたのです。あまつさえ相当な金品を持ち出して間男と駆け落ちしてしまったのです。それ以来デゼメ・パンタレオは女性のことが信用できなくなったようです。
デゼメ・パンタレオは元々同性に興味があったのかは訊いたことがないので知りませんが、”イギナ亭”の主人に娘との結婚を勧められた時にはルジェロとは離れがたい関係になっていたようです。
ただそれを断ってもデゼメ・パンタレオの腕ならルジェロを含めて暇を出されることはなかったのですが問題が起きます」
「問題?」
「デゼメ・パンタレオに惚れていた娘さんが運河に飛び込んで自殺を試みたのです。幸いにすぐに引き上げられたので命は助かったのですが、”イナギ亭”の主人が何故そのようなことをしたのかと娘に問うと、デゼメ・パンタレオとルジェロが親しげに歩いているところを目撃して咄嗟に飛び込んでしまったと言ったそうです。
そうなるとデゼメ・パンタレオも”イナギ亭”に居づらくなって何処か別の料理屋に移ろうとしたのですが、ワケありの料理人ということで中々承知してくれる料理屋がなかったところを、”イナギ亭”の常連だったヘルコ船舶商会の王都支店長がこれを聞きつけてギスムンドル総帥にデゼメ・パンタレオを雇用してはと提案しました。
賓客も乗船することもあるこのソフィアネッテ号の厨房長を探していたギスムンドル総帥は自分でも何度も利用したことのある”イナギ亭”の料理長候補なら万が一の間違いもないということで即座にデゼメ・パンタレオをソフィアネッテ号の厨房長にと王都支店長に依頼したのです。
デゼメ・パンタレオの条件はルジェロを助手として一緒に奉公させて欲しいということだけでした。
デゼメ・パンタレオがソフィアネッテ号に来てから三年になりますが、今ではヘルコ船舶商会の船員は全員がソフィアネッテ号で勤務になることが望みです。
他の船でもそれなりの腕を持った司厨長が乗っていますが、デゼメ・パンタレオの料理は段違いですからね。
わたしも陸にいるときと比べて、ソフィアネッテ号に乗っている時の方が食欲が増すので太るような気がします」
最後はルドヴィグ航海士見習は苦笑しながら言った。
「ヘルコ船舶商会の方がソフィアネッテ号に乗ることが望みということですが、ソフィアネッテ号以外で働く方がデゼメ・パンタレオさんの料理を食べる機会があるということでしょうか?」
パーヴォットは頭の回転が速いので些細な事が時に気になる。
バンタレオの料理を食べる機会がなければバンタレオが司厨長として乗船するソフィアネッテ号で仕事をしたいと思わない。
「ええ、カラシャには他の船問屋の者も利用する船員組合のある建物があるのですが、デゼメ・パンタレオは頼まれて料理を出すことがあるのです。無論有給でです。
デゼメ・パンタレオはそこそこ高給だと思いますが、こんな言い方は失礼なのかもしれませんが将来の為に出来るだけ稼いでおこうという考えのようで組合で料理を出すのは副業のようです」
*話末付録あり
ルドヴィグ航海士見習がデゼメ・パンタレオが将来に備えて金を貯めようとしているという説明には一般的に老後に備えるという事であるが、さらにリファニアが中世世界、あるいは発展途上の世界であるという背景の理解が必要である。
リファニアには公的な社会保障制度が欠落しているんで、全て自己責任で自分の老後の生活をどうするかを考えなければならない。
通常は子供に頼るということになるが、デゼメ・パンタレオは自分の子を持つという選択肢がないのでより一層貯蓄に励んでおくということになる。
ルドヴィグ航海士見習はデゼメ・パンタレオの説明を終えたから、おや、という顔をしながら比較的大きな皿に十数個の小ぶりの薄いハンバーグ大になったポテトパンケーキの最後の一つを手にして口に入れた。
祐司はポテトパンケーキを二つしか食べていないので、どうも残りはパーヴォットが平らげてしまったようだ。
デゼメ・パンタレオの作ったポテトパンケーキはどう工夫したらこのように美味になるのかと思える一品ではあったが祐司はあらためてパーヴォットの大食漢ぶりに驚いた。
「さて、少し道草をしましたが、さらに船首に行きましょう」
そう言ったルドヴィグ航海士見習が名残おしそうにポテトパンケーキの最後の一片を口にした。
「あのー、パンニ・ルジェロさんはどうしてあんなに声が小さいのですか」
パーヴォットがどうしても気になるというような口調で訊いた。
「ああ、内気だからです。数日ほどして慣れると普通に話しますよ」
ルドヴィグ航海士見習の返事はそっけないものであった。
ルドヴィグ航海士見習は祐司とパーヴォットを引き連れてもう一度、厨房の方へと向かった。
そして開けっぱなしになっている厨房の前を通り時に廊下から中の調理台で何かの下ごしらえを二人で並んでしているパンタレオとルジェロに「どうもごちそうさまでした。美味しかったです」とルドヴィグ航海士見習は声をかけた。
パンタレオとルジェロは今度は作業を一旦止めて、戸口の方へ体を向けてから笑みを浮かべて少しばかり頭を下げた。
「厨房の反対側は食料庫だといいましたが船首よりはデゼメ・パンタレオの個室です。ルジェロは一般船員扱いなので一般船員室で寝起きしています」
ルドヴィグ航海士見習はそう言いながら廊下の突き当たりの扉を開けた。
開いた扉の先は廊下ではなく船幅一杯の大きな空間だった。二つの長机とそれに対応した木製ベンチがあり、三人の船員が座ってビールを飲みながら談笑していた。
船員達はルドヴィグ航海士見習の姿を見ると立ち上がろうとした。
「座ったままでいい。巡回で来たのではない。お客さんに船内の案内をしているだけだ」
ルドヴィグ航海士見習は手で船員達を制止ながら言った。
ソフィアネッテ号は民間船であるが、リファニアの商船は服務や規律は王立水軍に範を取っており士官相当者の巡回がある。
また王立水軍、民間船を問わずに非番時間は制限があるがビール、時には火酒などの飲用が認められている。
反対に言えば飲酒を許可しているからこそ無軌道にならないように巡回が欠かせないという面がある。
付録:リファニアの船員組合
リファニアの船員組合は中世的な同業者ギルド、或いは近代の労働組合とも重なる部分はあるにしても独自の組織です。
リファニアの船員組合は二百数十年ほど前にその萌芽が見られます。
現在のリファニア船は海洋交易国家リファニア王領の海運関係者が荒れることの多い北大西洋で鍛えられたことと、十九世紀後半のアメリカ合衆国から来たサラエリザベスの知識などもあって十九世紀前半から半ば程度にまで発展しています。
しかし二三百年前はリファニア船といえども現在より遙かに脆弱で海難事故は数倍ではきかないほど発生していました。
船乗りの妻は十年以内に三分の一が未亡人になり、妻子はたちまち困窮することになりました。
この為に収入が少なくても手堅い仕事にありつければ、船乗りになりたいという者は少数でこの為にかなりの高給を提示しなければ船員が集まらないという慢性的な人手不足状態でもありました。
そこで船主は万が一の時には家族に一時金を出すなどという手段を講じましたが、船員の互助組織が自然発生的に誕生します。
これが船員組合の誕生に繋がります。
船員の互助組織は最初は数十人規模で毎月賭け金を出して、会員が海難事故で亡くなったり行方不明になった時は遺族に一時金、そして数年ほどの年金を出していました。
無論、こうした組織は人数が増えると資金が多く集まり、また怪我などで仕事が出来なくなった者の中で読み書きの達者な者を組織の専従者として雇用できます。
こうして二百年ほど前には王都をはじめリファニア各地の拠点港を中心に数グループの互助組織にまとまって来ます。
こうした組織は船主に対しても発言権が高まり、雇用する船員は互助組織に入ることを認めさせます。
それまでの船員はいわゆる悪い意味での”船乗り気質”の者も多く、一匹オオカミですぐに暴力に頼り、陸上では酒を浴びるほど飲んだ挙げ句に誰彼にかまわず喧嘩をふっかけるという者がかなりいました。
ところが互助組織に入るには適性があり、性格や素行に問題がないかという審査が始まり、今までは腕があるからと我慢して一緒に船に乗っていたような手合いが排除されていきます。
この互助組織が機能するまでは、事故率の高さとともに食い詰めた者が刹那的な生き方をして、さらに犯罪者の逃げ場のようになっていた船乗りの世界は殺伐としており、古参船員が幹部クラスより幅をきかせて新参者をいびったり、自分の仕事を仕事を教えるという名目で新参の船員に押しつけた上に給金の一部を上納させるなどという悪癖が見られました。
ところが互助組織が認めた人間しか船員になれないとなると次第にそのような或る意味いい加減な者は居場所がなくなりいつしかいなくなりました。
これはかなり困難な道のりであったことは想像に難くありませんが、各地の聖職者が心ある船員を集めて指導したことが多くの記録に残っています。
これは表立って出てくることはありませんが、当時まだ生存していた十七世紀のドイツから来たエリーアス神父が、リファニアの繁栄は海外交易と水上交通の安定が必要だと見抜き、その為に船員の質の向上を密かに手助けしていた事によります。
時間はかかりましたが問題のある者を排除できて上位者に従って船舶を動かすという当たり前のことが出来るようになり、船主にしても長年真面目に奉公してくれる良質な船員が確保できることから都合のいいことでした。
海難事故は時代と供に減少しましたが、それは船舶の改良と相まって危険な状況に出会っても船長を頂点とした規律がある集団が成立したことで、指示通りに船員が自分の仕事を忠実にこなすことが出来るようになった面も大きいのです。
百年ほど前に各地の互助組織は連携を強めていき、現在は王都の互助組織が母体となった全土的な船員組合に発展しています。
密貿易を企図するような船主以外の認可を受けたまっとうな船主は船員組合に属する船員しか雇用しないという取り決められています。
現在、リファニアで商船の船員になりたければ推薦人か保証人に一筆書いて貰い船員組合に提出します。
そこで面接を行い問題がなさそうであれば船員見習として乗船できます。そして問題なく二年ほど経てば正式の船員組合の一員となります。
これは一般船員、基幹船員の別なく同じ決まりですので、航海士が船員組合の規定では見習で正式組合員の一般船員を指揮するということもままあります。
この船員組合による船員の選考は協調性があり組織として動くことが出来て、狭い船内で長時間過ごすことから激高したりしない他人を思いやれる性格かが見極められます。
この結果として現在のリファニア商船の船員が持たれるイメージは温厚で礼儀正しいというものです。
細かく本文を見ればそのように表現していますが、祐司とパーヴォットの乗船した商船の船員は誰もが礼儀正しく丁寧な王都言葉で話しています。
船員が王都言葉を使うのは、リファニア各地から集まった者が同じ船に乗ることから自然と商船の言葉は王都言葉が基準になったからです。
同じ海を仕事場とする漁師は真逆で、今でも勇み肌の者が多く地元の言葉を使います。これは漁船は家族単位といった小規模な経営が多く、また漁師は荒くれというステレオタイプに漁師が自らつき合っていることが要因です。
商船と漁師の中間のような気質を持つのが、王立水軍の水兵ということになります。当然、王立水軍は軍事組織ですから規律があり上位者には絶対服従ですが水兵は荒くれ者くらいがいいという考えがあります。
そして陸上では時に徒党を組んで大騒ぎを起こして営倉の世話になったりしますが、水兵の間では数多く営倉の世話になった者ほど一目置かれるという気質があります。
現実問題として軍船の多くには戦闘要員あるいは櫂走時の漕手として海兵が乗り込んでいますが、彼等の多くは血の気の多い漁師の次男以下の者が多いので、海兵に気圧されない為には無体なことを言われたりされた時は海兵に物申すほどの荒くれでなければならないという必要があります。
さて現在の船員組合は船員が海難事故で死亡したり、働けないほどの怪我をした場合は弔慰金や見舞金の他に有期ではありますが遺族に年金が出ます。また十年以上海員として務めた場合は勤務年数に従った年金も出ます。
船員組合は歴史を重ねていますので、一般船員でも同世代の職人と比べて一倍半から二倍という船員の給与の一割という組合費の積み立ては膨大といっていい額になっています。
この資金は神殿為替業者の資金などにも融資されていますが、一番多いのは船問屋への貸し付けです。
船問屋はこの融資で新造船の建造を行いますが、船が増えれば職場が拡大することから船員組合に取っても有効な投資といえます。
また船員組合は主要な港湾のある都市に宿泊施設を兼ねた会館を運営しています。
この会館は組合員とその直系家族であれば場所により異なりますが同等の施設の半額以下という格安な値段で利用出来ます。
リファニアの船員組合を現代日本で例えるとするならば、労働組合というより自治体に代わって人員採用を行っている公務員の厚生会組織ということになります。




