南部紀行前章24 三族同盟 四 九人の異母兄弟③
「四人目は?」
祐司は恐る恐る訊いた。
「ズラトゥシュカヴァさんはよく御存知ですよね」
フェルヴェ・ドナシアン神官長は祐司にとって身に憶えのある女性の名を出してきた。
宗教都市マルタン滞在中に渡世人プシェベ・カジェタノの紹介で”銀鈴亭”という公認娼舘に通っていた。
そこで馴染みになったのがズラトゥシュカヴァ、源氏名ズトリャである。
祐司はたとえ娼婦であっても気に入った女性一筋になる。これは女性を性欲の対象だけでなく疑似恋愛であっても女性と精神的な繋がりを持ちたいからだ。
リファニアの娼館うち公認店の娼婦は性行為以外でも男性を癒やす事の出来る女性しか務まらない。
もちろん客筋も富裕層でリファニアの都市文化の神髄である”粋”を心得ており、行為中はいざ知らずそれ以外の時には娼婦と会話を楽しみ会食を行う。
公認店の客筋は現実では立場的に自由恋愛が出来ない階層ともいえるので、公認店で疑似恋愛を楽しむ。
そうした目的の為に公認店に通う客が多いので普通は一人の女性を贔屓にすることが一般的である。
疑似恋愛を楽しむためにはもって生まれた雰囲気といったものが客に近いことが前提で、客と公認店の女性はこれらの客に自然に接することの出来る郷士階級や親が一時的にでも富裕階級であった女性ばかりになる。
その為に当然支払う金額は高額になる。数時間は饗応してくれるが現代日本の感覚なら一回に少なくとも数万円、普通は十万円程度は用意するし、また間遠くなっていれば出し損なっていた花代だとしていつもの倍ほども渡す。
そして女性の体調がよくなさそうだと思えば「今日は話をしに来ただけだ」と言って帰るくらいの度量がいる。
祐司が贔屓にしていたズラトゥシュカヴァは大仰な名前からわかるように現役の郷士の娘である。
ズラトゥシュカヴァという名では流石に慣れているリファニアの人間でも呼びにくいので源氏名はズトリャである。
ズラトゥシュカヴァは零落した郷士の娘で中世世界リファニアの基準であるという前提ながらかなりの教養を持った女性だった。
悲しい事ではあるが戦乱の絶えないリファニアでは主家を失って浪人している郷士が一定数いるので今の所公認店はそうした女性の供給に困ることはなく、女性も高い水準を保てている。
ズラトゥシュカヴァの親はベムリーナ・ノセ州エルクラバ準男爵家に仕える郷士だったが、モンデラーネ公軍により主家は滅亡して浪人となり聖都マルタンに流れて来たという。
浪人の半分は周囲の領主家に仕官の口を求める。これは地縁を利用するためである。かなりの家臣を抱える大領主は家臣間の婚姻で無い限りは許可制にしたりまたは原則として認めてない場合がある。
しかし中小領主の世襲のお抱え家臣は数十人という場合もあるので周辺の領主の家臣と婚姻関係になることが多く、また余程仲が悪くなければ周辺領主と友好関係を強化するという意味合いからむしろ領外の者との婚姻を奨励することもある。
(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き ベムリーナ山地の秋霖13 傭兵ベレクタの運と不運 四 ハルトムート 参照)
この縁を利用するので滅んだ主家の周辺領主に仕官の口を求めるのだ。
残りの半分は王都などの都市を目指す。特に近年は王立軍や大領主の軍勢が強化されているので仕官の望みはあるが、並の領主軍と比べるとかなりの指揮能力や或いは得難い文官としての能力が必要である。
ズラトゥシュカヴァの父親はマルタンで神殿関係の職を得ようと算段した。マルタンは神殿が多いこともあるが、規模の大きな神殿は神官職だけでは回すことが難しいので事務方や衛士神官に郷士身分の者も雇用する。
衛士神官は聖職者であるので信仰が篤いと認められなければならないし、神官としての最低限の素養もいる。
また宗教組織も衛士神官は信仰に目覚めた兵士格の元傭兵や主家に仕えていた兵士の為の職種であるという方針を持っている。
このために郷士身分の者が衛士神官になるには、神官になるということは世俗の身分から離脱することだと自身が納得していなければならない。
この点事務方の仕事は俗人が雇用された形態であるので、郷士ではなくなっても郷士身分であると少なくとも孫世代くらいまでは名乗ることが出来る。
またどの家中にもいる勘定方や文書を扱う奉公をしていた者なら慣れ親しんだ仕事である。
上手く採用されても当面は臨時雇用のような立場で家族がいれば慎ましやかな生活になるが、基礎的な神学を学ぶ気持ちがあれば職能神官として叙階されて正社員のような立場になれる。
ただそうした職場には平民身分の者も多いので、郷士としてのプライドを封印して仕事仲間に接していく必要がある。
ズラトゥシュカヴァの父親は郷士であるという気持ちを棄てられなかったので、折角仕事を見つけたムルヘル神殿の事務方を一度しくじったという。
それでも何とかワビを入れて雑用を引き受ける見習いという立場で仕事をさせてもらっている。
ただその収入ではまだ十代前半の弟二人の教育も出来ないどころか何処かの商家に奉公に出なければならないので、ズラトゥシュカヴァが公認娼婦となって父親が再び正式にムルヘル神殿に雇用されるまで一家を支えているということだった。
ズラトゥシュカヴァは現代日本女性と比べると一回り小柄なリファニア女性の中でもさらに小柄な部類で身長は五ピス(約150センチ)程度である。
*日本女性の平均身長は158センチ、リファニア女性はおそらく152から3センチ程度
ズラトゥシュカヴァの容姿はリファニアの美人の要件であるふっくらした顔付きに切れ長の少し憂いを含んだような目、小さめの鼻と口、やや豊満な体つきだった。
そして肩の下まで伸ばした濃いブルネットの柔らかい髪の毛にヘーゼルに近い薄い茶色の虹彩をズラトゥシュカヴァは持っていた。
何よりも娼婦でありながら、品があり何時までもしとやかさと乙女のような恥ずかしげな雰囲気があった。
これは公認娼婦全体にいえるが公認娼舘では女性に娼婦としての匂いがつかないように気を配っているからだ。
ズラトゥシュカヴァが務めている”銀鈴亭”では娼舘はあくまでも職場という扱いで、娼婦達はやや離れた場所にある大きな一軒家に各自の個室を与えられて暮らしている。
祐司が親しくなった公認娼舘”銀鈴亭”の女主人ブルネルの話ではそこではいつ妻として身請けされてもいいように、娼婦達はかつて”銀錫亭”の娼婦として働いていたが、結婚した年かさの女性の指導の下で基本的な家事を分担して行っているということだった。
また家事の補助に手伝いの少女も雇われており、使用人がいるような家庭にも適応できるように気が配られているいう。
ブルネルは「各自の個室は神学校の寄宿舎並に整頓するように指導してます。自堕落な生活は心をすさみさしますからね。令嬢が恋人に接するような気持ちで仕事をするのが肝要です」とも祐司に言っていた。
フェルヴェ・ドナシアン神官長が祐司の気持ちが落ち着くのを待つように少し間を置いて話出した。
「実はズラトゥシュカヴァには身請けの話が進んでいたのです。その相手はマルタン守護のセウスボヘル伯爵家の高位家臣でズラトゥシュカヴァを後妻に求めていました。
そしてその高位家臣はエリーアス一族の者です。勘ぐられないために少々苦労しましたが、早く子が欲しいので自分が最後にズラトゥシュカヴァと行為をした後では巫術による否避妊や堕胎はしないようにと申し入れていました。
そしてジャギール・ユウジ殿が最後にズラトゥシュカヴァと行為をした後で、自分で”銀鈴亭”に出向いてズラトゥシュカヴァと客として最後の行為をしたから今後は客を取らせずにと身請けの金を出したのです」
「それでわたしの子を得たというのですか。その方はわたしの子と知りながら自分の子として育てるのですね。でもそんな関係でズラトゥシュカヴァは幸せになるのですか」
祐司は多少とも心を通わせたズラトゥシュカヴァが、長寿一族達の手駒にされているよに感じて懐疑的に訊いた。
フェルヴェ・ドナシアン神官長は祐司の気持ちを察したのか、少し言い訳じみた口調でしゃべり出した。
「矢張りジャギール・ユウジ殿は女性を気遣える方だ。大丈夫です。ズラトゥシュカヴァを身請けした者は前々から彼女を身請けしようかどうか迷っていました。
そこに貴方という要素が入ってきて、貴重な第二世代を得られて自分の元で育てられるという利点が背を押したのです。
また第二世代の子という事も重要ですが、天下の武芸者ジャギール・ユウジの子を育ててみたいという思いもあったようです。
最後になりましたが、その男はイス人系なので子の容姿から貴方の子だと疑われることもありまえん。
あえていえばズラトゥシュカヴァもその男の子を身籠もったと思っております。育てていけば思うところはあるかもしれませんが、男はズラトゥシュカヴァが負担におもわないように、『この子は絶対わたしとズラトゥシュカヴァの間の子だ』と彼女に言い聞かせると言っております」
フェルヴェ・ドナシアン神官長の説明を聞いた祐司は結婚は男女が互いに信頼を醸成していくものだから、おそらく複数の結婚経験があるだろう長寿一族の男性ならズラトゥシュカヴァを幸せにしてくれるだろうと思って納得することにした。
「で、ズラトゥシュカヴァの子の性別と名は?」
「それはまだ分かりませんし決まっていません。前段でジャギール・ユウジ殿のリファニアでの子は全部で九人で、男女各四人と言いましたよね。
男女の合計と子の人数があわないのはズラトゥシュカヴァさんがまだ出産したという連絡が来てないからです」
祐司の問いかけにフェルヴェ・ドナシアン神官長がにこやかな顔付きで答えた。
祐司が最後にズラトゥシュカヴァと情交したのは三月の下旬であるから、出産は年末から年明けになる。
*現在は六月二十八日
「では五人目は?まさかルシェニアさんってことはないですよね」
祐司は恐れを抱きながら訊いた。
ルシェニアは祐司が王都にいるときに親しくなった公認娼舘”花ウサギ亭”の子持ちの公認娼婦である。
ルシェニアは清楚な美人で類い希なほど気立てのいい女性で、もしパーヴォットという存在がなければ祐司がリファニアで迷いなく選んだ女性である。
ルシェニアとは疑似恋愛どころか半ば本気の恋愛関係で、彼女の娘ラトシュニアを含めて家族ごっこまでしていた。
しかし祐司が王都を旅立つ直前にこれも祐司が親しくしていたバーリフェルト男爵家の家臣マメダ・レスティノの妻になった。
もしルシェニアが祐司の子を身ごもっていたりしたらマメダ・レスティノに顔向けが出来ない。
「ルシェニアさんは貴方の子を身ごもっていません。”花ウサギ亭”は十日をおかず避妊や堕胎の巫術を女性に施術していました。
避妊は兎も角も堕胎は受胎してから早ければ早いほど女性の体に負担がなく、その後で妊娠できなくなることもありませんからね。
我々にとっては残念ではありますがその点は”花ウサギ亭”はことさら気を使う娼舘だったようです」
これを聞いた祐司は安心した。
ただ祐司には王都ではもう二人心当たりの女性がいる。バーリフェルト男爵家の双子の姉妹ブアッバ・エレ・ネルグレットとデジナン・サネルマである。
デジナン・サネルマがレフトサリドリ子爵と結婚する前に一度だけ祐司に抱かれたいとバーリフェルト男爵と母親サンドリネル妃に申し出たのだ。
その口実は祐司に自分の”性交確認人”になってもらいたいというものだた。
”性交確認人”は法的に定めがあるが、すでに過去の風習である。女性が性交が可能な肉体かを確認するというのが表向きで、政略結婚前に一度は合法的に好きな男に抱かれさすという風習である。
デジナン・サネルマの婚約者レフトサリドリ子爵も含めてこれを承知で祐司は彼女を抱いたが、行為を行う部屋に隠し扉があり、そこから姉のブアッバ・エレ・ネルグレットが入って来て最初は姉を抱くようにとデジナン・サネルマが懇願した。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 西風至りて南風が吹く10 性交確認人 下 -双子の姉妹- 参照)
バーリフェルト男爵家の世継ぎであるブアッバ・エレ・ネルグレットは従兄弟ニメナレ・ウオレヴィデと結婚を控えた身であったが、密かに心惹かれていた祐司に抱かれるという危ない行為を母親サンドリネル妃の黙認で行ったのだ。
こうして祐司はバーリフェルト男爵家の双子の姫君と連続して情交を持った。
ただこの時点ではデジナン・サネルマはすでにレフトサリドリ子爵の子を宿しておりブアッバ・エレ・ネルグレットは万が一のことがないように絶対確実な巫術による堕胎処置を複数回受けたと聞いているので姉妹が祐司の子を出産することはないはずである。
バーリフェルト男爵家の双子姉妹と情交を持ったということは、祐司が墓場に持っていく秘密なので、この場でそれを確認するようなことも口に出来なかった。
「では最後の五人目の子の母親は誰ですか。もうわたしには心当たりがないのですが」
祐司はそう言いながらないこともなかった。心当たりとしては三人の女性がいた。
一人目の女性はシシネロスの半公認店といったような娼舘に務めていたリューディナである。
祐司は一晩リューディナと床をともにした。後でルティーユやドリシカネといった格別な女性を知ったが、もしルティーユと行為をしなかったら最も印象に残った女性だったはずである。
リューディナには祐司の上官という立場で”バナジューニの野の戦い”に参戦して、モンデラーネ公の牙とも右手とも称されるデラトル男爵を討ち取ったガークという好き合った男性がおり、まだ祐司とパーヴォットがシスネロスに滞在優に二人は盛大な結婚式を挙げて祐司とパーヴォットも参列した。
(第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏 黒い嵐18 バナジューニの野の戦い 八 参照)
(第五章 ドノバの太陽、中央盆地の暮れない夏 ドノバ連合候国の曙22 葬列と婚礼 下 参照)
その後、すぐに二人の間には子が出来た。
その後ガークから来た祐司への手紙には子煩悩なことが書き綴られており、その中には祐司はガークがドノバ防衛隊の高級指揮官になったことを知った伯父が訪ねて来た時に生まれた男児がガークの幼少期とそっくりだと言ったとも書かれていた。
ガークとリューディナはリファニアではノード人と呼ばれるヘロタイニア(ヨーロッパ)系の特徴が強い容姿であり、もし東アジア系の祐司の種であれば、ガークとリューディナの子としては違和感を持った子が産まれた筈である。
リューディナはガーク以外の種の子が出来ないように店の世話だけではなく個人的にも巫術による避妊や万が一に備えての定期的な堕胎を行っていた筈である。
このことを考えると五人目の子がリューディナの子である可能性もほぼない。
二人目の女性はタダラテ州ジュルムデル郡の馬借ヴァルビン組のチェストミル組長の内縁のドリシカネである。
チェストミル組長は昔堅気の渡世人で、渡世の義理という理由から客人の接待をドリシカネに任せている。
その接待の内容はドリシカネの裁量に任されているようだが、特別な客人にはチェストミル組長がドリシカネに「渡世の義理はわかっているな」と声をかける。
これは客人に性的な接待をしろという合図である。
ドリシカネは女伯楽でもあるチェストミル組長が見出した”千に一人の女”である。
完全な男性中心視点だがどうもチェストミル組長の男として”千人に一人の女”であるドリシカネを独占してはいけないという心意気ではないかと祐司は考えている。
ただドリシカネはチェストミル組長に心では操を捧げており、祐司の子を産むという失態をすることは考えにくい。
状況的な証拠としては、祐司がドリシカネと情交を持った翌日に、馬借であるヴァルビン組と同行して出発する時に、ドリシカネが居残る組の者に小声で「この後、巫術師の所に行くからしばらく頼んだよ」と言っているのを祐司は耳にした。
(第十二章 西岸は潮風の旅路 春風の旅14 ”癇癪のドリー”とジュルムデルビール 下 参照)
これは万が一を考えての処置を巫術師に頼みに行ったと思って間違いがなさそうだった。
三番目は北西軍所属の女性巫術師ヘルカネルである。
祐司とパーヴォットはモンデラーネ公軍別働隊との”イルマ峠城塞攻防戦”の間は北西軍に属する巫術師らで編成された”別動巫術師隊”に編入されて、祐司は隊長として指揮を取った。
この”別動巫術師隊”のまとめ役がヘルカネルで、祐司が小隊長なら小隊付き下士官のような役目を果たしてくれた。
ヘルカネルは二十代末といった年齢の未亡人で性欲が強いのか弟子といった感じの満十八歳のヘルモに夜の相手をさせていた。
ところがヘルカネルは男女の関係に義理堅いところがあり、ヘルモがトンクリアという少女巫術師と付き合い出すと夜の相手を祐司にさせていた。
(第十六章 北西軍の蹉跌と僥倖 下 イルマ峠の紅アザミ23 軍使到来とヘルカネルの待ち伏せ 参照)
ただヘルカネルは行為が終わる度に自分の下腹に手をあてて「女の巫術師ってのは”子流しの術”が出来てもなんかしたくないんだよ。でも自分で自分にする分には心に引っかかりがないよ」等と言いながら自ら避妊堕胎の巫術をかけていた。
こうしたことからヘルカネルに祐司の子が出来たというのも可能性が低そうだった。