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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十二章 シャクナゲ舞う南部紀行
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南部紀行前章18 万に一人の女 五 -ハンナマリネ-

四十代半ばになっていたエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは長年の過度な房事と飲酒、偏った食事内容により消渇症状が年々悪化しており、一時は八ドム(約96キロ)という尚武の気質の為に肥満の少ないリファニア貴族の中では周囲から恰幅がよすぎると陰口を叩かれた体重は五ドム半(約66キロ)ほどに減少した。


 また体重が減少し出すとエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは喉の渇き、黄疸おうだんとむくみや倦怠感にも悩まされていた。

*消渇症状は糖尿病、黄疸とむくみ、倦怠感は肝臓癌と思われる。


 家臣団の心配を顧みずに正妃のフヴェリュ・セラフィーナ妃の娘ジルゲル・ディアンタリーネを取りあえずにでも世子としなかったエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは自分の身体の衰えがようやく尋常のものではないことを自覚して、ようやく愛妾ハンナマリネラの子を世子にしようとした。

*話末注あり



挿絵(By みてみん)




 ところがフヴェリュ・セラフィーナ妃は自分の子でエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノの嫡子ジルゲル・ディアンタリーネを差し置いて養子など迎え入れないと、ハンナマリネラの子を断固して養子にしてあまつさえ世子にすることに断固として抵抗した。


 リファニアは男尊女卑であるが、王妃や貴族家の妃が大きな権限を振るうことの出来る時期がある。

 一つは当主が亡くなり次の当主が正式に決まり叙任するまでの時期で、当主の未亡人としてその権限を全て受け継ぐとされるからである。


 もう一つは夫の要請で庶子を自分の養子と受け入れる時である。


 夫唱婦随が原則で高位身分ほど男性の権限が強いリファニアでも、正妃が庶子を養子として認めるかは否かは完全に正妃の意志に委ねられる。


 正妃に子が出来なかったり、また世子にするには面倒なことが起こる可能性がある女子だけしかいない場合に正妃がすんなり庶子を養子と認めてくれるようにと当主は正妃を尊重して正妃の機嫌を損なわないように気を使う。


 しかしエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノはフヴェリュ・セラフィーナ妃との結婚以来真逆のことを続けてきた。


 エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは正常な家庭生活は破綻した男だったが、貴族家の当主としてはそれなりの手腕はあり、一族はおろか家臣団の生活のために家の存続をはからなけらばならいことは重々承知していた。


 エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノはフヴェリュ・セラフィーナ妃とその子ジルゲル・ディアンタリーネをそれまでの離れから母屋に移し、愛妾ハンナマリネラとその子は母屋から王都郊外にある別宅に移した。


 そしてエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノはそれまで正妃を連れていかねばならない公式行事でしか同じ空間にいなかったフヴェリュ・セラフィーナ妃と出来るだけ日常生活で一緒に過ごすようにした。


 これにはフヴェリュ・セラフィーナ妃はかなり満足げであった。


 フヴェリュ・セラフィーナ妃は結婚して以来夢見てきた甘い新婚生活が十数年を経て取り戻せたからである。


 今までさんざんないがしろにしてきた男との生活を満足して過ごすという中世を生きる女性フヴェリュ・セラフィーナ妃の感覚は男であり現代日本人である祐司には理解は出来ない。



挿絵(By みてみん)




 さてエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは一年ほどかけて何とかフヴェリュ・セラフィーナ妃の機嫌を取り愛妾のハンナマリネラは退けてもその子をフヴェリュ・セラフィーナ妃の養子にすることを承知して貰おうとしたが、養子の話をしようとするとフヴェリュ・セラフィーナ妃は「顔色がお悪いです。込み入ったお話は明日にいたしましょう」などとはぐらかした。


 その間にエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノの病状は更に進んで、ベッドで体を起き上がらすことも難しい状態になった。


 重病人になったエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノの介護を女官や侍女に任せることなくフヴェリュ・セラフィーナ妃は自身で愛惜の念が溢れる様な感じでかいがいしく行った。


 死期を間近に弱ったエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは、介護をしてくれるフヴェリュ・セラフィーナ妃に愛おしさを感じて男女の関係はようやく性愛だけはないことに気が付いた。


 エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは死の二か月前に「世子はお前との子であるジルゲル・ディアンタリーネとする」と言った。


 これに対してフヴェリュ・セラフィーナ妃は「ジルゲル・ディアンタリーネはまだ十一歳(満年齢十歳)で御座います。誰を婿にするかで揉め、また言い様に扱われてエトホフト男爵家のためにまりません。プボガヅ・ルヴァルド様を貴方とわたしの養子にして世子とすれば家中が納得し、外からもつけいられません」と説いた。


 プボガヅ・ルヴァルドは男爵位を継ぐ前に亡くなったエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノの兄の長子である。


 本来ならフヴェリュ・セラフィーナ妃は父が男爵位を継いだおりには世子となって将来のエトホフト男爵であるプボガヅ・ルヴァルドと婚姻をする予定だったのだ。


 プボガヅ・ルヴァルドは次の世子になる予定を、世子の父親が早世したしたために成人した当主を必要とする家中の都合で世子になれなかった。

 そこで新しい分家として認定されてエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノに跡継ぎが出来なかった場合の世子ないし当主予備という扱いになっていた。


 そしてプボガヅ・ルヴァルドは親戚衆の中ではでは見所のある人物として家中で評価されていた。 


 エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは少し考えたが「エトホフト男爵家としてはそれが最善の方策であろう。だがお前とジルゲル・ディアンタリーネはどうする。そなたに報いることなく死ぬのはつらい」と冷静な判断をした。


 元々、マゼボ・ベルナルディノはエトホフト男爵としてはそれなりに有能であり、貴族の本能と言っても家の存続に拘るエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは無理をして愛妾ハンナマリネラの子ベルナルドを正妃の養子にした上で世子とするとなると、親戚衆と家中を納得させた上で対外的に愛妾の子と侮られない為に相当な時間をかけてベルナルドを当主として教育し、また対外的には顔見せを重ねさせて当主として務まる器量があるところを知らしめようとしていた。


 その教育は早ければ早いほうがいいのだが、愛妾ハンナマリネラは「ベルナルドはまだまだ子供で御座います。年若くして世子になるのですから、世子の心得は世子になってから教えても間に合います」とベルナルドの教育にはまったく熱意がなかった。


 その為に貴族身分であるがベルナルドは、貴族としての躾はなされず我が儘な大店の子供ような感じだった。


もしベルナルドが少しでも貴族の世子として躾がされていれば、庶子の身でありながら嫡子のジルゲル・ディアンタリーネを家臣のいる前で罵倒したりすることなどしなかっただろう。


エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノはそれほど不明な人物ではなかったので、愛妾ハンナマリネラの魅力に目が曇っていたか、ひょとしたらハンナマリネラは男性を魅了する巫術を無自覚に使用できる女性だったかもしれないと、カラシャ滞在中にエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノとハンナマリネラのことをあらために聞いた祐司は思った。


 病床に伏して愛妾ハンナマリネに会わなくなったエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは田舎貴族の小娘と嘲っていたフヴェリュ・セラフィーナ妃が王都の流行の服などには疎いが貴族としての気品があり、むしろ華美を嫌う理想的なリファニア貴族女性であることをようやく理解するようになった。


 また一日に一度は見舞いに来る娘のジルゲル・ディアンタリーネは母フヴェリュ・セラフィーナ妃によって躾をしっかり受けていることも理解した。


 以前は年に数度ほどしか会わずに軽んじていたジルゲル・ディアンタリーネは「お父様、今日はいかかでしょうか。また以前のように両手で抱え上げてください」などと真摯な態度でエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノに言った。


 エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは自分がほとんど忘れていた気まぐれにジルゲル・ディアンタリーネを抱え上げたことを、彼女はいつまでも父親に可愛がられた記憶としていることにかえって心が痛んだ。


 それに比べて時に母親のハンアマリエラに言い含まれたのか見舞いにくる息子のベルナルドは、見舞いの言葉など口にせず「正妃様に私を養子にするようにお願いしてください」とか「新しい短剣と母上と出かけるための馬車を下さい」などと要求ばかりを口にした。 


 こうしてフヴェリュ・セラフィーナ妃の提言のように甥にあたるプボガヅ・ルヴァルドを世子にすることを決めたエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは、フヴェリュ・セラフィーナ妃に自分自身と娘ジルゲル・ディアンタリーネに関する望みを言うように促した。


 するとフヴェリュ・セラフィーナ妃は「王都は素晴らしい所です。でもわたしにような田舎者には気が張るばかりの場所でもあります。もし貴方に先立たれたら故郷に帰り余生を過ごしたく思います。プボガヅ・ルヴァルド様が当主になればわたしは鬱陶しい先代の妃ですからいない方がいいのです。ジルゲル・ディアンタリーネも故郷で嫁がせたく思います」と言った。


エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは死の寸前にそれまで正妃であるフヴェリュ・セラフィーナ妃を疎かにすることで、政略・戦略的な観点から彼女の輿入れを奨めた本家ロカンチコド子爵家、彼女の実家であるブランブルド男爵家との関係修復を精力的に行った。


 まず新しく世子としたプボガヅ・ルヴァルドの次期世子となるプボガヅ・ルヴァルドの長男ニメナレ・ネファルトに、本家ロカンチコド子爵家世子の長女ネルナ・リザンドリーネを将来の妃として迎え入れることにこぎつけた。


 さらに本家ロカンチコド子爵家と王都の分家エトホフト男爵家の意思疎通を密にするという理由で、ネルナ・リザンドリーネにエトホフト男爵家が禄を出す付け家老と相応の人数の侍女を伴ってエトホフト男爵家に入って貰うとした。


 これはフヴェリュ・セラフィーナ妃のように正妃を軽んじたりいたしませんという意思表示でもあった。


 そしてフヴェリュ・セラフィーナ妃の願いを叶えるために、今まで彼女を軽んじていたことを謝罪する手紙を彼女の実家ブランブルド男爵家に送り、ブランブルド男爵家の世子とジルゲル・ディアンタリーネの婚姻を願った。


 そしてエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは娘のジルゲル・ディアンタリーネにハクをつけるために以下の手順を行った。


 まずジルゲル・ディアンタリーネを世子に認定して王家の認可が得られると病により当主として務めが果たせないとして男爵位を彼女に譲った。


 形式上は実際の王家による男爵位叙任は最短でも半年ほどかかるが、その間は仮即位という形を取れ、後に王家の認可が出ると仮即位期間も男爵位を保持していたとして認められる。


 次にエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは甥のプボガヅ・ルヴァルドを世子として、王家に届けた。

 そしてジルゲル・ディアンタリーネの男爵位が認可され王家から叙任されたら、すぐにプボガヅ・ルヴァルドに男爵位を譲位すると誓約した。


 これはフヴェリュ・セラフィーナ妃をエトホフト男爵家に送り出しながら、彼女とその娘ジルゲル・ディアンタリーネがぞんざいな扱いを受けながらも王家との窓口になるエトホフト男爵家との関係をおもんばかって本家ロカンチコド子爵家を通じてでしか抗議できなかったブランブルド男爵家に取っては渡りに船の提案だった。


 将来の妃として迎えるジルゲル・ディアンタリーネは現ブランブルド男爵の姪であり一族の範疇に入る。

 そしてジルゲル・ディアンタリーネは形式だけとはいえ一時はエトホフト女男爵という称号を得ている。


 平和的に譲位した場合は譲位した前当主は前○○男爵という称号を名乗ることになり、譲位された現当主は前当主を自分の両親と同等の扱いをしなければならない。


 すなわちブランブルド男爵家にすれば、それなりに権勢のある王家貴族エトホフト男爵家の前当主が妃であるのでエトホフト男爵家はブランブルド男爵家に一肌脱ぐ以上の配慮をすることになる。


こうしてエトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノの死を挟んで一年後には、エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノの施策は全て実行されてジルゲル・ディアンタリーネは王都からタラダテ州に下向してブランブルド男爵妃となった。


ただジルゲル・ディアンタリーネはまだ満年齢で十四歳だったので、実際にブランブルド男爵家の世子バナンガ・イェルケゼンとの結婚生活が始まったのは一年半後になった。

 

 そのジルゲル・ディアンタリーネ妃に結婚生活に入るまで付きそうという理由で、母親の前エトホフト男爵妃となったフヴェリュ・セラフィーナも同行した。


 実際にはセラフィーナが王都に帰ったのは、現エトホフト男爵プボガヅ・ルヴァルドの世子ニメナレ・ネファルトの任命式などの公的な行事出席のための数回に過ぎず、実際は故郷のブランブルド男爵領の隠居舘で時に娘時代の知人達を呼び寄せて穏やかに過ごしてそこで死去することになる。


 ここまでの記述からするとハッピーエンドの話となるが、フヴェリュ・セラフィーナとその娘ジルゲル・ディアンタリーネも聖女ではない。


 この母娘の心中にはどす黒い恨みが宿っていた。


 その恨みは夫であり父であった故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノへのものではなく、愛妾ハンアマリネラとその子ベルナルドに対してである。

 セラフィーナにすればハンナマリネラは夫を手練手管で奪った淫乱、ベルナルディータにすれば異母兄ベルナルドはその母ハンナマリネラとともに自分から父を奪った性悪である。


 ディアンタリーネのハンナマリネラとベルナルドに対する負の感情は、ベルナルドが彼女に行った所業ももちろんあるが、事あるごとに母セラフィーナがハンナマリネラのことを悪し様に言っていたことに由来する。


 セラフィーナは妃である時は故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノにハンナマリネラのことを直接悪く言うようなことは一切なかったが、心の中は彼女を呪い殺さんばかりの感情に満ちていたのだ。


 勿論、ハンアマリネラの視点からは別の人間関係が見えてくる。


 ハンナマリネラは貴族の庶子とその家の女官の間に生まれた女児で、生まれた時は父と同じように庶子の扱いだった。

 しかし父の実家がハンナマリネラに貴族の資質があると知ると父親に役を与えて禄を出すとともに、生活の為の年金を多少上乗せして母の女官と正式に結婚させた。


 貴族の資質を持った女性は需要が高いので、いずれ当主家の養女として忠誠を高めるために高位家臣か多額の結納金を出すであろう大商人に嫁がせる駒というのがハンナマリネラの立場だった。


 ハンナマリネラは二人の女中だけがいる貴族の資質を持つ一家としては、かなり質素な家庭で育った。その間に妹が生まれてこの妹も貴族の資質があった。

 丁度その時に当主家の女児が死亡して、当主家に女性の子供がいなくなった。そこでハンナマリネラか妹を養女として当主家に引き取るという話が出た。


 ハンナマリネラが養女にという意見もあったが、結局まだ物心がついていない妹の方が馴染み易いという判断で妹が養女になり、この姉妹の将来を大きく隔てていく。


 満十六歳でハンナマリネラは父親の伝手で、エトホフト男爵家に侍女見習で入る。


 当時は故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノなまだ部屋住み状態で、同じような境遇だったハンナマリネラの父親とは遊び仲間だった。


 ハンナマリネラの父親が故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノの口利きで、ハンナマリネラを侍女見習にしたのは、自家での生活が質素すぎて貴族としての行儀作法が身につかないと考えたからだ。


 ところがハンナマリネラの父親が想像していなかった方向へ事態は進む。


 三十代になっていながらまだ独身だった故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノがハンナマリネに惚れ込み関係を持ってしまったのだ。


 これは半ば故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノの打算もあった。


 貴族家は代を絶やさない保険として親戚衆と呼ばれる分家を置く。有力な分家は時々本家と通婚して血統を保持している。

 このような分家とは別に当主の兄弟は新たな分家になる。しかしその子、孫の世代になると貴族の資質を持った女性との結婚が難しくなって貴族の資質のない者が生まれてくる。


 そうなると親戚衆からは離脱して郷士として家臣に下るか、多少の支度金を当主から出して貰い平民身分の地主などで生きていくことになるので分家が際限なく増えていくことはない。


 故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノとすれば、貴族の資質を持った女性と結婚して少なくとも子の世代までは分家であり続けたかった。


 しかし上に二人の兄がいた故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノに嫁いでくれる貴族の資質を持った女性がなかなか見つからなかったことで結婚が遅れていた理由である。


 そこへ貴族の資質を持ったハンナマリネが現れたので、故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノは既成事実をつくり結婚にまで持ち込むつもりだった。


 ところが兄たちが相次いで病死したので、思いもかけず故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノが当主になった。


 もし故エトホフト男爵マゼボ・ベルナルディノがハンナマリネとの結婚を急いでいれば、ハンナマリネラはそのままエトホフト男爵妃となっていただろうし、フェザトンとフェヴァリアの間に起こった不幸もその起点がなくなった。



注:リファニアの世子

 世子は読み方はセイシとなります。漢字では世嗣という表記もあります。元は歴代中国王朝の皇族である親王の跡継ぎの名称です。

 日本では江戸時代に将軍世子とか藩主世子という用語がありました。さらに日本の西洋史では神聖ローマ帝国に属する領邦国家の世継ぎを示す用語になります。


これはエルププリンツ(Erbprinz)を訳したもので貴公子(prinz)の中でも世継ぎであることを明確にする語です。

 リファニアの”言葉”においても男女別のエルププリンツに相当する語があるので世子という訳語をあてています。


 世子はリファニア王家に届け出て法的にも正式な存在になります。世子がいない場合はでも多少手続きが厄介ですが世襲と叙任がが認められますが、王家を含めて貴族家は代替わりの時期が脆弱な状態になりやすく跡目争いが発生する恐れがあるので当主が健在なうちに世子を定めておきます。


 ただ世子は次期当主ということで、現当主と世子を担ぐ勢力で家中が二分されるということも考えられます。

 すると別の人物に世子が変更になる場合もありますので、世子は世子なりに気配りが必要になりますが、これにより貴族家当主の心得を学ぶという効果もあります。


 貴族家の世子になると卑称と名前の間に男性はエルないしホトという尊称が入ります。本文のプボガヅ・ルヴァルドは世子になってプボガヅ・エル(ホト)・ルヴァルドと名乗るようになります。


 女性世子の場合もエルは用いますがホトは用いません。さらに女性専用のエレを用いることもあります。本文ではバーリフェルト男爵家の世子ブアッバ・エレ・ネルグレットが代表です。


 歴史的にはエルだけだったのが、女性用のエレが分離してさらに言語発生的にも明確に性別を区別する為にホトが登場してきました。

 エル、エレ、ホトの使い分けはその家の伝統によります。郷士の場合は男性世子はキ、女子はレを用います。


 ただ信者は平等という立場から信者証明ではこの称号は記載されません。


 なお法的には跡継ぎは以下の順です。(詳しく見ていただかなくとも嫡子男子を中心にかなり広い範囲で規定されていると理解していただければいいです)


 当主の嫡子(長男→末弟→長女→末妹)→当主の嫡子孫(長男の子→末弟の子)→(嫡子曾孫の場合は嫡子孫の順と同様にここに入る)→当主の嫡子兄弟→当主の嫡子兄弟の嫡子男子→当主の嫡子姉妹→当主の嫡子兄弟の嫡子女子→当主の嫡子姉妹の嫡子男子→当主の嫡子姉妹の嫡子女子)→当主の嫡子伯父→当主の嫡子叔父→当主の嫡子伯父の子(従兄弟→従姉妹)→当主の嫡子叔父の子(従兄弟→従姉妹)→当主の嫡子伯父の男子嫡子孫(従兄弟)→当主の嫡子叔父の男子嫡子孫(従兄弟)→当主の嫡子大伯父→当主の嫡子大叔父→当主嫡子大伯父の嫡子男子(長男→末弟)→当主嫡子大叔父の嫡子男子(長男→末弟)→当主の嫡子大伯父の男子嫡子孫→当主の嫡子大叔父の男子嫡子孫→当主の嫡子伯母→当主の嫡子叔母→当主の嫡子伯母の嫡子男子→当主の嫡子叔母の嫡子男子→当主の嫡子伯母の嫡子女子→当主の嫡子叔母の嫡子女子→当主から見て三代前に分離した分家の嫡子男子(順は分家当主を起点に当主から見た順に同じ)→当主から見て四代前に分離した分家の嫡子男子(順は分家当主を起点に当主から見た順に同じ)→以下五代前、六代前と続く

*女子は他家に嫁いでいないことが条件、一族内男子と結婚して家名が同じなら既婚でも世襲可能


 さらに庶子の子でも正式な結婚相手との子であれば嫡子となるので上記の対象者はさらに増大します。


 法的には当主の庶子が爵位の相続権を得るには記載した立場の全ての人間からの爵位を辞退するという誓約書の提出が要求されますので、実質的に庶子には相続権がないと言い切っても支障ありません。

 

 その為に庶子を後継者にするには正妃の養子にするという手段以外は存在しないことになります。

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