南部紀行前章3 エォルンの夏至祭
祐司とパーヴォットはプロプロムド神官に従って、桟橋に停泊しているサナエンド号のタラップまできた。
「わたしはサンデクト神殿の神官でプロプロムドと申します。是非なるお願いがあり船長に会いたいのですが在船中でしょうか」
プロプロムド神官はタラップ付近で見張りをしているという感じの水夫に声をかけた。
「ハガシャン・エティエド船長はいますが。ひょっとして連絡のあったお客様でしょうか」
水夫はプロプロムド神官と背後にいる祐司とパーヴォットを交互に見ながら言った。
プロプロムド神官は「これはナルレント神官長の正式な書状です。まずハガシャン・エティエド船長に見せて下さい」と言って水夫に書状を渡した。
水夫は「少々お待ちを」と言って船内に入っていった。
すぐにダボダボのスラックスと適正サイズより二回りは大きな上着という典型的なリファニアの船長姿の中年男性と温和そうな表情ながらやや目つきが鋭い上品な服装をした中年女性がタラップを降りてきた。
「これはプロプロムド神官様、到着の時間を教えていただければお出迎えしたのですが、失礼いたします。
後先になりましたがわたしはサナエンド号の船長のハガシャン・エティエドです。で、そちらにおられるのがお客様のジャギール・ユウジ殿でしょうか」
エティエド船長はアジア系のイス人系住民が主流のナデルフェト州の人間には珍しく髪こそ黒いが虹彩は青みがかった灰色でヨーロッパ系の顔立ちが色濃かった。
「ジャギール・ユウジです。急な頼み事で恐縮なのですが、勿論、相応の乗船費は出しますのでここにいますパーヴォットとイカルイトまで同乗させていただけないでしょうか」
「ヨエシェ・マルユアック様。乗船費と仰ってますが」
エティエド船長は背後の女性を見やって問うた。
「わたしはサナエンド号を運営いたいますイカルイトのヘルキンネ商会の商会長ヨエシェ・マルユアックで御座います」
一歩進み出てきた女性が言った。
ヨエシェ・マルユアックと名乗った女性も名前こそイス人風であるが平均的なナデルフェト州の住民からすればヘロタイニア系の要素が強かった。
「ヨエシェ・マルユアック様はご主人が五年前に亡くなってからイカルイト第一のヘルキンネ商会を切り盛りしているお方です」
エティエド船長が補足するように言った。
「女だてらに身の程もわきまえないことです。ただ我が子が成人して主人が育てました商会を仕切れるようになるまでは亡き主人との約束で商会を守っております」
マルユアックは丁寧な口調だが元営業マンの祐司は中々したたかな商人だと感じた。
「ヨエシェ・マルユアック様、ご謙遜なさらずに。この片田舎のエォルンまでヘルキンネ商会はヨエシェ・マルユアック様が切盛りをし出してから益々盛況と聞いています」
プロプロムド神官が笑顔で言った。
マルユアックは「買いかぶりです」とプロプロムド神官に言うと、祐司に軽く頭を下げてからしゃべり出した。
「さてサンデクト神殿のナルレント神官長様の頼みでなくとも天下の武芸者ジャギール・ユウジ殿にサナエンド号に乗っていただけることは大歓迎で御座います。
今、ジャギール・ユウジ殿は乗船費と仰いました。そのようなモノは受け取る算段はありませんでしたが、気を使われるのもわたしどもの本意ではありません。
どうでしょう。食費分を出していただくということでいいでしょうか」
「ありがとうございます。実はもし可能なら馬二頭とラバ一頭も同乗させていただきたいのです。もしそれが可能なら馬とラバの費用を加えた金額でお願いしたいのですが」
祐司はマルユアックはだらだら商談をするのではなく、即断即決を旨とする商人なのだろうと思ったので、すぐに提案を受け入れて自分の要望を伝えた。
「大丈夫です。ただ馬糧は積み込んでいませんので、その分を積み込んでいただければと思います」
マルユアックの口調は祐司をして手慣れたホテルのフロント係を思わせた。
「ありがとう御座います。で、お幾らになりますか」
「銀貨一枚でお願いします」
初めてマルユアックは笑顔で言った。
「それは安価に過ぎませんか」
金額を口にするときだけ笑顔になったことで祐司は益々マルユアックが敏腕の商売人であると感じた。
「本当は銅貨一枚といいたいのですが、あまりに安価だとかえって失礼かと思いました金額です。どうかそれでお願いします。
すでに半ば公になっておりますので隠し立てすることは無意味と思います。ヘルキンネ商会はナデルフェト公爵家のご指示を受けて北極海交易をいたしました。
サナエンド号は半ば公船で御座います。その為に出立にあたり種々のご指示を書いた書状をいただきましたが、その中にジャギール・ユウジ殿はナデルフェト公爵バンジャ・ビリデル・イキニパラガク殿下の御友人であるので出会った時は出来るだけ便宜を図るようにと書いて御座いました」
「それは勿体ないことです」
祐司はナデルフェト公爵バンジャ・ビリデル・イキニパラガクの名が出てきたので敬意を示して少し頭を下げてから言った。
「さて、サナエンド号は明後日の三刻(午前八時)に出航いたします。馬の積み込みがあるのなら二刻半(午前七時)までにお越し下さい。もし宿舎が未定でしたらすぐにでも乗船していただいて結構です」
「お気遣いありがとうございます。ただサンデクト神殿で宿泊する予定です」
マルユアックの申し出を祐司は出来るだけ丁寧な口調で固辞した。
桟橋を離れるとプロプロムド神官が「どうですか。そろそろエォルンの夏至祭が始まります。見学していきませんか」と提案したので、特に予定のない祐司とパーヴォットは夏至祭に行くことにした。
エォルンの夏至祭は街中ではなく、街の背後にあって街を見下ろす丘の上で開催されていた。
祐司達が到着した時は丁度夏至祭が始まるというタイミングで、来賓として招かれたナルレント神官長が祝詞をあげているところだった。
いつの間に来たのかヨエシェ・マルユアックとハガシャン・エティエド船長、そして水夫らしき服装の一団が少し離れた場所にいたので祐司は軽く会釈をした。
夏至祭は地域地域で形態や進行が異なる。
エォルンの夏至祭は高さが五尋(約9メートル)以上もある悪神ゾドンの像が主役である。
大きな都市では町内対抗でそれぞれが悪神ゾドンの像を作り、互いに燃やし合って競技的な要素がある。
小さな都市や農村では像は一つだけだが出来るだけ大きなモノを作ろうとする。
エォルンは人口が千人にも満たない都市なので像は一つのようだが、祐司が今まで見てきた悪神ゾドンの像は藁を組み上げたモノだった。しかしエォルンの像は木の枝を組み上げたモノだった。
これは極北の地に近いエォルンでは藁は貴重品なので、幾らでも入手出来る木の枝を利用したのだろうと祐司は思った。
ただ木の枝を組み上げているので、その外観から祐司はウィッカーマンを想像してしまった。
「あの像は隙間が多くあるようですが、動物などの生贄を入れたりするのでしょうか」
祐司は思わずプロプロムド神官に訊いてしまった。
「いや、そんなことはしません」
プロプロムド神官は驚いたように言った。
「すみません。変なことを言って」
祐司は気まずい顔をするしかなかった。
「太古の時代にこの辺りのイス人は夏至の日に天の神に生贄として動物を捧げていたそうです。
そしてそれを燃やすことで天の神に届けたという話が伝わっています。ジャギール・ユウジ殿はその話と混同されたのでしょう」
どうもプロプロムド神官は勝手に都合のいいような話を思い出してくれたようで祐司は「はい、そうかもしれません」と誤魔化した。
やがて地元民で構成した音楽隊が調律など関係ないという音色の演奏を始めた。
それにつられて悪神ゾドンの周辺に人々が集まってきた。そして人々は三重の輪になって悪神ゾドンの像を取り囲むと手を取り合って足だけを四拍子のリズムで右右右左と動かし出した。
そしてこれを二回繰り返すと立ち止まって手を二回叩いた。そして左右の者と向かい合って両手を掲げて合わしてから位置を入れ替わりまた右右右左と動いた。
いたって簡単な集団ダンスの始まりである。
ダンスの輪がさらに外側にもう一つ出来る時にプロプロムド神官が「わたし達も踊りましょう」と誘ったので祐司とパーヴォットも集団ダンスに参加した。
このダンスは四半刻(三十分)ほど続いたが、老若男女と目まぐるしく相手が代わって飽きることはなかった。
このダンスが終わると人々は周辺に設けられた飲食を供する露店を巡って、炙り肉や焼いた海産物などを肴にビールを飲んだ。
プロプロムド神官も祐司とパーヴォットを連れて露店を巡った。祐司は立ち食いで焼き魚とビールを腹に入れ、パーヴォットは大きな羊の炙り肉を注文してアルコール度数の低いエールを飲んだ。
その間もプロプロムド神官は「ビルドさん、今日は姿を見てませんがお母さんは元気にしてますか」などとしきりに人々に声をかけていた。
大神殿の神官でも積極的に地域の祭に参加して、顔見知りの信者に声をかける姿を見て、リファニアの宗教の大原則である”信者に寄り添う”ということが日頃から徹底されていると祐司は感じた。
祐司は露店を切り回しているのが中年の女性や高齢者ばかりであることに気が付いた。
このことをプロプロムド神官に尋ねると、露店は地域で困窮している寡婦や身寄りの無い高齢者者に食材やビールなどを提供して原価を除いた分をその者の収入にするということだった。
社会保険などはリファニアにはないが、地域共同体が生きているのでこのような施しにならない形で困窮者を支えている。
リファニアでは地域全体が飢餓状態にならなけらば、困窮者でも栄養失調や暖を取れないことが原因で死ぬことはほとんどない。
また人付き合いが煩わしい面はあるが高齢者が孤独死するというようなこともない。
半刻半(一時間半)ほどすると幾つもの角笛が吹かれた。
すると人々は再び悪神ゾドンの周辺に集まってきて今度は像の正面を開けたU字型に像を取り囲んだ。
そこに点火された松明を持った数十人の若者が二列になって登場した。
若者達は群衆が開けた通路を通って悪神ゾドンの像を取り巻くと、リーダーが「悪神ゾドン、立ち去れ」と叫ぶと一斉に松明を像に投げつけた。
像の下部に油でも塗ってあったかのように悪神ゾドンの像は一気に燃え上がった。そして群衆から「ヴァォーー」という雄叫びが上がった。
この後は再びダンスが行われたり、飲み食いの時間になって、 刻ほどを目処に夏至を祝うということだったが祐司とパーヴォットはサンデクト神殿に戻ることにした。
祐司とパーヴォットはプロプロムド神官とともにまたサンデクト神殿に戻るとナルレント神官長の公邸に案内された。
リファニアの支配層は全住民に満ちる尚武と華美を排する気質をさらに導くという気概があり、祐司はそれをしてリファニアを理想的な中世世界にしている最大の要因だと思っている。
それは宗教組織にも当然言えることで、大神殿の神官長の公邸といいながら公邸は少し大きめの飾り気のない民家という感じだった。
祐司とパーヴォットが王都で暮らしていた屋敷や、宗教都市マルタンで暮らした屋敷よりも質素な感じである。
プロプロムド神官は公邸の管理をしているという神人と、その妻であり家政婦として働いているという中年の夫婦に祐司とパーヴォットを紹介するとサンデクト神殿本院に戻っていった。
神人に案内された公邸の内部はそれこそちり一つ無く毎日のように床や柱が磨かれているかのようだった。
さらに祐司とパーヴォットが案内された二つの部屋もベッドと一組の机と椅子だけがある簡素なものだったが、極北の地にしては大き目の窓から陽光と潮風が入って来ており快適に過ごせそうな部屋だった。
祐司は午後の時間にふと思いついて、十七世紀のドイツから来たエリーアス司祭の息子であるウィンバルド神官に伝える知識の補遺を書きだした。その間、パーヴォットはサンデクト神殿の図書館に行って借りてきた本を読んだ。
*話末注あり
夕食時にはナルレント神官長が同席したが、「これから二日間はジャギール・ユウジ殿の武勇伝を直接聞けます。役得ですな」と上機嫌だった。
祐司は半ば予想の範囲内ではあったが、ナルレント神官長が公邸に自分を招いたのには厚情以上に下心があったことを知った。
注:祐司の補遺
祐司が追加の知識としてウィンバルド神官に伝えたのはロケットと擲弾の知識です。さらにリファニアでは知られていない料理方法です。
ロケットは火薬の発明とほぼ同時に中国でおそらく十世紀末に火箭という名で登場しました。
このロケットは十九世紀前半までアジア各地やヨーロッパ、北アメリカで使用されます。
ただ回転もせず無誘導ですので命中率は悪く大砲の性能向上により一度は歴史から姿を消した兵器です。
ただリファニアの冶金技術が低い段階にあるので祐司は遠距離兵器としてロケットを紹介しました。
擲弾は手榴弾の先祖になります。
擲弾も中国での使用が最初で十四世紀頃に登場したようです。
鋳鉄製の容器に火薬を詰めて導火線に火をつけてから投擲されました。ヨーロッパでは十七世紀から十八世紀に擲弾兵が活躍します。
擲弾兵は大柄で体力のある兵士が選ばれて軍の花形でしたが、小銃の精度があがってくると至近距離で敵の前で仁王立ちしながら擲弾を投擲するなど自殺行為になり十九世紀には廃れていきます。
祐司は城壁から投擲するなどすれば比較的安全に使用出来るし、実用的な大砲が登場するまでは投石機を用いて炸裂弾を使用できるのではと提案しました。
料理の面では小麦の利用方法を広げる為にパスタ、うどん、ピッツァ、餃子について記述しました。
そして救荒食として細々と栽培されるソバに関して、ガレット、そばがき、或いは麺にすれば美味しく食べられることを伝えました。
リファニアには魚醤がありますので、百年後にはリファニアの露店でかけそばが売られているかもしれません。




