極北水道往路35 中キクレック海峡の談話 二 -リファニア王国軍士官学校-
「それなりに使える十人をいつも得られるようにするには教育が欠かせません。王立軍の階級の出発点は階級により異なりますが、その教育は軍の実務の中だけで行われています。
軍の教育、特に指揮官に対する教育とは武芸の上達や戦闘方法の教授以上に重要なものがあり、それは教義です。指揮官になる者の教育は一元的に行うべきです」
祐司は参謀についての説明の次に、軍の教義と教育の重要性を話出した。
「教義とは具体的には?宗教的なことではないようですが」
アッカナンが小首を傾げながら言った。
リファニアには(宗教的教義)(一般的な意味での教義)という教義に関する別個の単語がある。
これは日本語で”教理”という単語が宗教的な教義であることに似ている。だだリファニア語で”教理”という言葉は聖職者が使う言葉で、普通は”教理”から派生した”教義”という単語を使うがこれも知識階級が使用する単語で通常は”モノの理”という意味の単語が使用される。
そのために祐司は”ドクトリン”という単語を(一般的な意味での教義)という単語で表現したがアッカナンはその真の意味合いを捉えかねていた。
祐司は少し長い話を始めた。
「宗教も背景にはあります。宗教は倫理観を左右します。ただここで述べる教義とは軍の基本方針です。
戦争といえども自ずとやっていいことと、やれば軍の権威を傷つけたり後世の非難されるような事案もあります。
分かり易い事案では捕虜の扱いになります。リファニアでは捕虜をみだりに虐待しない。捕虜は身代金を用意出来なければ一生奉公にするなどの慣例がありますが、これは宗教的な倫理観に基づいた社会的観念と言えるでしょう。
これを規定として明文化することで、やっていいことといけないことが明確化できます。ただこれは時代により変化すると思います。
そして軍に関するドクトリンは軍だけが考えては軍の維持の為に国家があることになりかねません。
軍のドクトリンは必ず為政者の方針、これもドクトリンと一致、さらに民衆の一般的な道徳規範とも一致している必要があります。
以前、アッカナンさんに”国民国家”の話をしました。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 春の女神セルピナ13 マルトニア見聞記四 -サスカチャ湾の談義- 参照)
今のリファニア王国は”国民国家”ではありませんが、その下地は十分に出来ています。
”国民国家リファニア王国”における国軍はリファニア王の率いる軍でありますが、リファニア国民の総意と倫理観に基づいた軍でなければなりません。
国軍は自分達の生命安寧を守ってくれる存在であり、自分の意志及び国家の要請で時にその一員になると常に思われる存在です。
その国軍に参加した兵士の倫理観と軍の行動に大いなる齟齬があれば精強な軍であることは出来ません。
国軍は”国民国家リファニア王国”の国民から頼られる存在で、恐れられる存在になってはいけます。
勿論、きれい事を排すれば軍とは、時に”爪と牙”を振るう暴力装置です。人を害することを躊躇わずに行動しなければなりませんから、兵士もそのこと自体は疑念がないでしょう。
ただ自分の命令された行動に疑念や嫌悪感を持つことは軍を弱めることになります。
モンデラーネ公軍は直接支配した地域に自軍の兵士を送り込んで、武力を背景に苛政を行っています。
住民は最後のジャガイモまで奪われ、モンデラーネ公の直轄州ローゼン州に男性を中心に働き手を強制的に出さねばなりません。
そして女性は時にモンデラーネ公軍兵士の慰め者にされます。
このモンデラーネ公軍を反面教師とすべきです。おのずと国軍とはどのような倫理観によって行動すべきかが分かると思います。
次に純粋な軍事的観点の教義の概念について話します。
予想される敵対者はどのような特色を持つのか。予想される戦場はどのような特色を持つのか。これらを文章化して共同認識します。
そのような予想される敵と戦場に適した軍勢の編制を考え、その軍勢にどのような装備を持たせるのかを決めます。
そして軍勢を戦闘においてどのように戦わせるかの方法を普遍化します。これは半隊、百人隊、千人隊、軍団ごとに決めることが異なってくるでしょう。
軍勢の指揮官は往々にして独自に判断を迫られます。些細な状況判断を上級の指揮官に知らせて指示を待っていては戦機を逃して敗北します。
他の軍勢と共同して活動をおこなうための行動指針や判断指針が必要となるのです。この指針が統一できていれば武器の選択や軍勢の編成も決まってきます。
想定された行動指針、すなわち教義、ドクトリンに沿うように行動します。
基本的なことでは隊列の組み方、行軍速度、部隊の編成方法、部隊と各兵士の役割分担、戦場での地形認識、攻勢、守備の要領などを定めていくことです。
さらに攻勢作戦では奇襲、急襲、強襲の要領と判断基準、守勢作戦でも部分攻勢を考慮した積極防御、死守、遅滞行動など要領と判断基準の確立があげられるでしょう。
戦略的には外線か内線、短期決戦か、手堅く要所を押さえていく長期作戦、強大な敵に当たる場合の持久作戦を明確に文章化します。
何もこれらの事を一から想起する必要はありません。
リファニアの長い歴史の中で、優れた幾多の兵家が登場して兵書を残しています。それらをさらに研究して当世でも通用する部分を取捨選択していくだけでも新たな知見が得られるでしょう。
また戦闘に関する教義では、例えば部隊の損耗率の三割で指揮官の判断で撤収可能、五割になると上級組織の命令がなくとも降伏可能などと取り決めておくことになります。
そして最も気をつけなければならないのは、一度決めた教義と要領を墨守することです。常に国力国情の兵備の変化か合わせて適した教義に転換していく必要があります。
そしてこうしたドクトリンは口伝などではなく、一定の期間、教育を行って少なくとも指揮官階級に共通認識として徹底させる必要があります」
ここで祐司は一旦話を区切ると、アッカナンが自分の書いた速記を読んで内容を咀嚼する時間を作った。
「なんとなく分かってきました。ユウジ殿が言うなんとか使える十人がいても、広大な戦場では人数が足りない。
そこでなんとか使える十人が考えた行動指針に従って動けば、臨機応変さに欠けるかもしれませんが形は整うということですね。
それが徹底すればなんとか使える十人の候補が得られて、そのドクトリンを改善していけるということですね」
アッカナンの言葉を聞いて祐司は矢張りリファニア世界で最もわかり合えるのはアッカナンだと感じた。
「わたしの説明不足な話からアッカナンさんにそこまで察していただいて恐縮します」
「それで教育と言ったのですね。ユウジ殿の考える軍のドクトリンは具体的にあるのでしょうか」
アッカナンは
再び速記の為の筆記用具を持ち直してから訊いた。
「はい。指揮系統の合理化です。指揮官とはいっても上級、中級、初級と種々あります。今ある軍の階級をもっと明確化してはどうでしょう。
例えば現在は、兵、古参の兵や手柄のある兵が戦士、その上に戦士長、半隊長、百人隊長、千人隊長という区分ですが、軍は上意下達、一元的な命令で動かなければなりません。
これを例えば訓練段階の者は兵、名称による志気高揚の観点から一人前の兵は全て戦士、細分化するのなら戦士補と戦士に分ければいいでしょう。古参戦士で特に問題がなければ戦士長、これが兵という括りになります。
そしてこの兵を直接動かして自分も戦闘に参加するのは下士官です。
軍の根幹はこの下士官が担いますから、これらは能力と意欲のある兵から得るべきです。
兵の中で優秀な者を選抜し、さらに郷士階級の者であれば特に問題行動をするような者でなければ教導団といったような組織で下士官になるための訓練をします。
教導団では人を指導できるような武芸や後で述べる士官を補佐するために基本的な読み書きと算数を教育します。
すでに読み書きや算数の能力のある者は別の教育をするか短期で卒業させればいいでしょう。
教導団を無事に終えれば経験と手柄で階級は下から伍長見習、伍長、兵曹、兵曹長とします。
その上が士官です。士官は一隊を指揮します。その為に管理能力も必要で専門の知識が必要です。
身分に関係なく基本的な筆記能力や読解能力、基礎的な数学の知識があるかを確かめる筆記試験や軍の任務に堪えられるかを検査する体力試験で選抜された若者を士官学校に入れて数年教育します。
そしてこの兵学校で軍のドクトリンを徹底させます。
当然、試験を行うとなると教養がある貴族階級や郷士階級が有利になりますから、十人中九人が貴族階級や郷士階級でも構いませんが、平民にも門戸は開けておくべきです。
こうした選抜試験を突破する平民は天才の可能性があります。
士官学校を出た者は士官候補生として半隊の副官、半隊を指揮する少尉、百人隊の副官である中尉、百人隊を指揮する大尉、複数の百人隊を指揮する少佐、千人隊の副官である中佐、千人隊を指揮する大佐、複数の千人隊を含む軍団を指揮する准将軍、複数の軍団を指揮する将軍、そして最高位が大将軍とされればいい。
また兵、下士官の志気を高めるために下士官の中で士官に進みたい者は、高等教導団といったより高度な知識を教える機関で鍛えて、准尉という少尉の下の階級を与えて半隊を指揮する新米の少尉を補佐させます。
准尉は士官学校への入学試験を別枠受験できるようにしておけば本格的な士官への道が開けます」
「中々、壮大な計画ですね。試行錯誤して形になるには何年もかかるでしょう。また軍の階級は家柄では無く能力主義だということを納得させなければなりません」
祐司の長い話を再び聞き逃すまいと速記に集中していたアッカナンが「ちょっと待って下さい」と言って自分の速記を読み直してから祐司に言った。
「すでに王家にはいい見本があります。王立水軍です。王立水軍では将来の艦長、そして提督を得る為に王立水軍の錬成所で貴族身分や郷士身分の少年を鍛えています」
祐司の言う王立水軍鍛錬所は貴族身分、郷士身分の十代半ばの少年を集めて将来の艦長、提督を育てる組織である。
王立水軍鍛錬所では水軍が専門知識とそれに伴う知識とそれを使いこなす技量、長期の航海に耐える体力、或いは飲料水欠乏や粗食に慣れる忍耐力も必要であるので入所した以上は身分に関係なく徹底的にきたえられる。
鍛錬は厳し軍下士官相当の平民身分の教官が「貴族や郷士の生まれでなくよかった」と言わしめるモノである。
王立水軍鍛錬所の過程を無事に終了した貴族身分の者は年少者でも士官からキャリアが開始される。
同じく王立水軍の錬成所出身の郷士身分の者は、家柄により士官見習相当の役職に任命される。
「それから言いにくいのですが、やがて王都貴族家の軍は兵士、もしくは家臣を含めて王立軍に編入されるかもしれません。
王都貴族は自らの武門ではなく高位文官、王立軍や王立水軍の高位指揮官の供給源として存続するようになるでしょう」
「それは何となく感じることですが、まだ何世代も先のことでしょうね」
祐司の言葉にアッカナンは微笑して返したが、神々ならぬアッカナンは晩年になってこの日に祐司が言ったことを鮮明に思い出すとは想像出来なかった。
注:尉官・佐官・将官
旧陸海軍では士官は下から少尉・中尉・大尉・少佐・中佐・大佐・少将・中将・大将となっており、自衛隊でも三尉・二尉・一尉・三佐・二佐・一佐・将補・将・幕僚長たる将と言い方は変わっても同様の数になっています。
日本語では少尉・中尉・大尉の尉官、少佐・中佐・大佐の佐官、少将・中将・大将の将官には明らかな区別があるように感じます。
明治時代に欧米の階級制度を取り入れた時に決められた士官の階級ですが、欧米では尉官・佐官は言葉の上では差があると感じません。
英語ではSecond Lieutenant(少尉)・Lieutenant(中尉)・ Captain(大尉)・ Major(少佐)
Lieutenant Colonel(中佐)・Colonel(大佐)・Major General(少将)・Generalもしくはlieutenant General(中将)、GeneralもしくはFull General(大将)となります。
なおGeneralは陸軍の呼称で海軍ではGeneralはAdmiralとなります。日本でも正式の階級名ではありませんが海将は提督とも呼ばれます。
欧米の士官階級名はラテン語なしいラテン語の影響尾の強い古フランス語に由来しておりSecond Lieutenan(少尉)は”captainの次位の代理人”、 Lieutenan(少尉)は”captainの代理人”、captain(大尉)は”頭”、 major(少佐)は”より大きい頭”、Lieutenant Colonel(中佐)は”Colonelの代理人”、Colonelは石柱の意味で”軍勢の先頭にいる兵士のリーダー”、Major General(少将)は”准将(brigadier general-旅団の長)より大きな長”、General(中将)もしくはlieutenant General、General(大将)もしくはFull GeneralのGeneralは”全般的な長”という意味で、さらにインド・ヨーロッパ語族の祖語の子供を産むという意味から来ています。
海軍の将官であるAdmiral(提督)はアラビア語由来で”海の指揮官”を意味するアミール・アルバール(amīr al-baḥr)が語源です。
さらに少尉はensignとする場合がありますが、これは”旗を掲げる”という意味で軍旗の旗手を下級士官が行っていたことにちなみます。旧陸軍もこの流れを引いており、連隊旗の旗手は新任の少尉が務めていました。
なお大将の上位に名誉的な称号で元帥があり、英語ではMarshalです。Marshalは”馬の使用人”という意味で騎兵隊の長となります。
欧米でも尉官、佐官、将官は別の階層の士官という概念ですが、それはそうだと言われないと称号だけでは判断しずらいのに比べて日本語の場合は字面からでもはっきり認識できます。
尉官、佐官、将官の語源は奈良時代に唐の律令制度をもとにした役人の階級である四等官制に遡ります。
四等官制は、長官・次官・判官・主典の四等級から構成されます。
この四等官の名称は役所役職によって異なります。
中央政府にあたる太政官では長官は右大臣、左大臣、次官は大納言、中納言、参議、判官は少納言、弁、主典は外記、史となります。
地方官吏の国司では長官は守、次官は介、判官は掾、主典は目です。
この役職には相当する官位が与えれますが、役所役職によりそれは矢張り異なります。
太政官の右大臣、左大臣は正二位ないし従二位、大納言、中納言は正三位ないし従三位もしくは四位、少納言、弁は正五位から六位、外記録は六位から七位です。
これに対して国司では守は従五位から従六位、介は六位、掾は七位、目は従八位以下となります。
多くの役所の中で宮中の警備を行う衛門府、兵衛府は比較的格式が高く長官の督は従四位、次官の佐は五位、判官の尉は従六位から従七位、主典の志は八位です。
なお宮中の警備に二つの部門があるのは警備する場所が異なるのと、衛門府は古来より宮中警護を担ってきた畿内勢力、兵衛府は地方豪族が派遣した人員という別があり一方が反乱を起こした場合の対抗勢力とする理由もあったようです。
さらに天皇を直接護衛して行幸に従ったり、各種行事での警護や儀仗兵の役割をする近衛府が設置されます。
近衛府の長官は大将で従三位、次官は中将ないし少将で従四位ですが、中納言が兼任することもあって二位で少将という場合もありました。判官は将監で五位ないし六位、主典は将曹で七位となります。
日本の士官名称はこの将・佐・尉が起源となります。
なお源頼朝は十三歳で右兵衛権佐へ任ぜられています。この為に流された伊豆では「佐殿」と呼ばれて名士として扱われます。
武力を背景に勢力を持つ武家にすれば衛門府、兵衛府、近衛府といった部門の役職は栄誉の誉れになりますが、地方武士はほとんどが無位無冠です。
その中に兵衛府の次官である右兵衛権佐が来たのですから当然敬意を持たれます。
弟の源義経は後白河法皇より左衛門少尉に任じられています。左衛門少尉は衛門府の判官ですので源義経の別名が判官となりました。
さてリファニアにおける新しい軍の階級を祐司は提案しました。
古代の統一リファニア王国には王家直属で王宮警護の衛士隊(後の近衛隊)、外征を行う複数の軍団、地方の太守が組織する郷軍がありました。
その軍団の長はメルクリオすなわち将軍、軍団は二つないし三つの五百人隊からなりその長はシゲルリオすなわち五百人長、その下に百人隊があり長はケドルリオすなわち百人長でした。
祐司はこれを復活させてそれぞれに大や准、大小の区別をつけて、大将軍、将軍、准将軍、大佐(大千人長)、中佐(千人長)、少佐(小千人長)、大尉(大百人長)、中尉(百人長)、少尉(小百人長)という階級を提案しました。