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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十一章 極北紀行
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極北水道復路22 波止場の軋轢

「入港痛み入ります」


 祐司達の背後で声がした。


 祐司が振り向くとそこにはヴォーナ・ルチバルド修道神官と、何度か波止場で見かけたことのある長髪痩身という姿の中年の男性神官がいた。声をかけたのはこの神官のようだった。


「わたしはワウナキト神殿で波止場の治安と沖合を航行する船舶の管理を担当しております、衛士神官のテザチェ・ソカノンといいます。ディネル号に入港要請の旗旒信号を出しましたのは私です」


 ソカノン衛士神官はヴァウト船長にそう言ってから軽く頭を下げた。


 そしてソカノン衛士神官は「ところで、東側の集落ではお望みの品はどの程度入手されましたか」とアッカナンとヘルヴィに事務的な口調で質問した。


 アッカナンとヘルヴィがその質問に応じたために、手持ち無沙汰になったパーヴォットがルチバルド修道神官に訊いた。


「ヴォーナ・ルチバルド神官様、ひょっとしてディネル号が今日沖合を通過することを知っていたのでしょうか」


「はい。ディネル号は貴方達がセンバス号で到着する二日前までここに停泊していたと言ったでしょう。

 その時に航行予定を提出して貰っていたのです。その為に今日ディネル号が沖合を通過することがわかっていました。


 ワウナキト神殿から東の海域に行く船は、帰路にワウナキト神殿から自船が視認で来る距離の沖を通過することが義務づけられています」

*話末注あり


「そうだったのですか」


パーヴォットが納得顔という表情で言った。すると少し荒げた感じのアッカナンの声がした。


「そのようなことでわたし達を寄港させたということは何かをお疑いなのですか。わたし達が押し買いでもしたとお思いですか。

 海獣の皮革は規定された以上の量は得ておりません。その検数はエォルンでするのでしょう。なぜ、それを今訊くのですか。


 ここで検数するのなら何故またエォルンで検数するというのですか。二度手間をかしておかしくありませんか」


「ああ、申し訳ありません。交易品のことはわたしの職務でありますので、つい問うてしまいました。全く余計なことでした」


 アッカナンに気圧されたようにソカノン衛士神官が謝った。


「アッカナン、落ち着いて。表に出ればあなたの言動はバーリフェルト男爵の言動と同じです」


 ヘルヴィがアッカナンを諫めた。アッカナンは気が短いというより早合点なところがある。


 またアッカナンはバーリフェルト男爵の祐筆という立場以外にも、リファニアの畿内であるホルメニアの警察というべき府内警備隊の隊員でもあるので余計に職務質問のような問いかけに余計な反応をしてしまったのかもしれないと祐司は思った。


 自分が「おい、そこの者少し話を聞かせて貰いたい」などと声をかけて現代日本での職務質問に相当する行為を行う時は半ば以上に相手に不法行為の疑いがある時であるから、居丈高に根掘り葉掘り聞かれれば普通の人間以上に罪人扱いされていると感じてしまうのだろうとも祐司は思った。


 また祐司はこの一年半で地方における王都貴族やまたは王家直参郷士の立ち振る舞いに思うところがあった。

 幾ら王権が轟かない地方とはいっても、やはり王家に仕える王都貴族、王家直参郷士という看板はそれなりに尊重される。


 尊重されることを王家の威光によるものと謙虚に受け取り、自分は王家の威信を辱めないように王家を盾にせずに謙虚さを忘れず行動するのが王都貴族、王家直参郷士の理想のあり方であろうがそれは理想である。


 地方では腹の中は見えずとも王都貴族、王家直参郷士を持ち上げる人間が多いのでどうしても尊大な態度を取ってしまう者の方が多かったと祐司は感じている。


 今にして思えば唯一の例外はマメダ・レスティノだった。


 イルマ城塞籠城戦では決死の覚悟でイルマ城塞に解囲軍の使者として駆け込んだマメダ・レスティノは祐司が隊長になっていた、別動巫術師隊の副官になった。

 その職務の中で王都貴族バーリフェルト男爵家の高位家臣であるマメダ・レスティノは副官としての権威は見せながらも、王都貴族の家臣という心持ちで巫術師達に接してはいなかった。


 マメダ・レスティノは祐司と懇ろになった飛びきり気立てのいい公認娼婦ルシェニアを妻に迎えた。またパーヴォットもマメダ・レスティノのことを慕っていった。


 最近はそんな感情がわかなくなったが、祐司はヨーロッパ的な顔立ちにアジア風のテイストが混じったパーヴォットのような可愛い女の子の相手は矢張りヨーロッパ風の顔立ちのリファニア男性が似合うのではないかと僻んでいた。


 ところがどうしたことかマメダ・レスティノには、このような感覚を持ったことが一度もない。


 マメダ・レスティノの容姿は、薄いブルネットの巻き髪と、鼻筋の通った血色のいい白っぽい肌で、少し浅黒い感じを受けるアッカナンなどより更にヨーロッパ系の要素が強いにもかかわらずにである。


 マメダ・レスティノはアッカナンより高位の家臣である。それをひけらかすこともない性格のいい男でもある。

 ところが気はいいがそれが行き過ぎて粗忽なところから、祐司はこの男には勝てると見下している面があった。 


しかしマメダ・レスティノがルシェニアを妻にしたいと祐司に言った時に、祐司とルシェニアの関係を知っているマメダ・レスティノは「わたしは、ルシェニアさんがユウジ殿を好いていることは百も承知です。わたしはルシェニアさんにユウジ殿が一番好きな貴女をその想いごと引き受けますから一緒になって欲しいと頼みました」と言われて祐司はマメダ・レスティノに完敗したと感じた。


 女性の方がマメダ・レスティノという男性の誠実さと謙虚な生き方を見抜いていたのだと思いながらアッカナンとソカノン衛士神官のやり取りを祐司は見ていた。



「申し訳ありません。ディネル号はこれから急いで王都に戻り、それからマルトニアでバーリフェルト男爵家の荷を積み込むと再び北西部のムリリトへ向かう予定です。

 航海日数がかなり窮屈でついそのことばかり頭にあって、北辺の民を庇護するワウナキト神殿の尊き働きを軽んじてしまいました」


 ヘルヴィに諫められたアッカナンは素直に謝った。


「いえ、本題を言わずに先程も言いましたように職務柄余計を商人相手のようにため口で訊いてしまいました」


 ソカノン衛士神官も素直に謝った。


 ソカノン衛士神官も名刹ワウナキト神殿の専用波止場を切り回しているという自負心で、尊大な態度をアッカナンに取ってしまったのではないかと祐司は感じた。


「本題といいますと?」


 ヘルヴィがアッカナンより一歩前に進み出てソカノン衛士神官に訊いた。


「ディネル号に乗せて欲しい人がいます。エォルンで降ろしてください」


「お言葉ですがディネル号はバーリフェルト男爵家のお抱え船です。公用船という免状を王家からいただいております」


 アッカナンが難しい顔で言う。


 アッカナンとしてはバーリフェルト男爵家の船をわざわざ呼び寄せて勝手に乗合船にして欲しくないという気持ちがあるようだった。


「同乗させて欲しいのはこのお二人です」


 ソカノン衛士神官が祐司とパーヴォットを見て言った。


「え!ユウジ殿、本当ですか」


 アッカナンが大声を出した。


「はい。お願いできますでしょうか」


 祐司とパーヴォットは同時にそう声を発すると頭を下げた。



注:ヴォーナ・ルチバルド修道神官の省略したこと

 ヴォーナ・ルチバルド修道神官は「ワウナキト神殿から東の海域に行く船は、帰路にワウナキト神殿から自船が視認で来る距離の沖を通過することが義務づけられていま」と祐司とパーヴォットに説明していますが、この言葉の背景に多くのことが省略されています。


 前述したようにカナック州は日本の国土面積より広いのにもかかわらず人口は三十万人しかいません。

 人口千人程度でも中世世界リファニアでは城壁なり柵で囲まれていれば都市と区分されますが、その定義に当てはまる都市もカナック州にはありません。


 ただ本文ではカナック州の都市から来たという人物が登場します。


 祐司とパーヴォットが中央盆地最大の都市シスネロスから王都に向かっているときにベムリーナ山脈で怪異な姿の老神官に出会いました。

(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き ベムリーナ山地の秋霖2 魔狼の村 リファニア版山月記 参照)


 その老神官はどこから来たのかと尋ねるパーヴォットに「カナック州のマニアルドという街だ」と答えています。

 この老神官と出会ってから祐司は現実とも幻想ともつかない不思議な光景を目にしたり、何かに引きずられるように怪異な行動をします。


 老神官の口にしたマニアルドという都市名ですが、日本語にすると”マニアの街”ということになります。マニアとは無という意味です。



挿絵(By みてみん)




 カナック州はカナック辺境伯家が統治しますが、カナック辺境伯家が直接統治する地域は全体の五分の一以下でその他の地域では広範な自治活動が行われています。


 カナック州におけるカナック辺境伯の役割は各集団の利害調整と各集団内で手に負えない案件の司法権の行使に過ぎません。


 そしてカナック州内でも平均値以下の人口密度しかない北極海に面したワウナキト神殿の三万リグルス弱(約三万平方キロ)にもおよぶ広大な教区内の多くの行政的な手続きやその他の公的な仕事をカナック辺境伯家はワウナキト神殿に委託しています。


 その対価はカナック辺境伯爵家からのお布施と、教区内の住民が交易であげた利益から出すこれも心がけ次第というお布施です。


 そのお布施でワウナキト神殿が行う業務が賄われているかというと微妙なところで、ワウナキト神殿としては”信者に寄り添う”という”宗教”の根幹教条を守る為に献身として行っているといっていい状態です。


 その委託された仕事の内の一つが”キクレックの瀬”を通過して北極海に入ってくる船舶の確認です。


 北極海はリファニア王国という立場でみれば搦め手になります。


 現在はリファニア北辺の北極海海域に入るためにはリファニア西方の”西の海”から”キクレックの瀬”を通過するルートしか実質的にはありません。


 それはリファニア東方海域から北極海に入ろうと思っても流氷があって航行が夏季でも困難だからです。

 ただ年によってはリファニア北東部沿岸の流氷が薄くなるかまたは離岸して航行可能になる場合もあります。


 このルートを使って北極海に入るとすればリファニア南東沿岸を占拠しているヘロタイニア人が考えられます。


 この為に不審な船舶がリファニア北方の北極海に入らないように、リファニア北辺の守護を任されたカナック辺境伯爵家は不断の監視をする義務があります。

 その任務をカナック辺境伯爵家はワウナキト神殿に委託しているのです。ただこれはカナック辺境伯爵家からすると痛し痒しという状態でもあります。


 ワウナキト神殿は北辺の海域に異常があれば、無論カナック辺境伯爵家に報告しますが、それと同時に王都に急使を出します。

 季節にもよりますがほとんどの場合は船を利用して行われる王都とリファニア西岸にある王立水軍の基地へのへの報告の方が早く届きます。


 そして北辺の海域の異常に対処できるのは軍船など皆無なカナック辺境伯爵家ではなき王立水軍になります。

 すなわち実質的に北極海の守備はカナック辺境伯爵家ではなく王家が行っているといえます。



挿絵(By みてみん)




 ワウナキト神殿は北極海の安全と異常を発見するために、北極海における船舶の管制を行っています。


 ワウナキト神殿が北極海沿岸での交易の為に”キクレックの瀬”を通過する船舶の航行許可を出すとともに、ワウナキト神殿の別院で”キクレックの瀬”にあるワウナキト神殿に属する北キクレック海峡東別院が通過する船舶を監視しています。


 このおかげで情報伝達速度の関係でリアルタイムではありませんが、特定の日時に船名までわかった上で何隻の船舶が北極海にいるかがわかります。


 ワウナキト神殿による許可状は王都のヘルゴラルド神殿と、”キクレックの瀬”のすぐ南に位置するダンダス州エォルンのサンデクト神殿が代行しています。


 基本的に簡単な手続きだけで許可処状が出るのはいわゆる常連商人です。新規に参入する場合は王都のヘルゴラルド神殿及びエォルンのサンデクト神殿による二三ヶ月ほどかかる審査が行われます。


 これで訴訟を起こされた商人や商人の所属神殿に問い合わせてあまりに評判の悪い場合は許可状は出ません。


 ただ北極海に行く商船が減って競争原理が弱くなると北極海沿岸住民の利にならないので何年か続けて必ず北極海交易を行うと誓約する商人には許可状が出やすいようです。


バーリフェルト男爵家のお抱え船ディネル号は新規の参加ですが、背景が王都貴族であるということから容易に許可状が出ました。


 ただこの許可状だけではまだ北極海に入ることは出来ません。

 

 エォルンのサンデクト神殿で許可状が出た船舶はその場で、王都のヘルゴラルドで許可状が出た船舶は一度”キクレックの瀬”を通過する前にサンデクト神殿に寄港して、その年の”通し番号”を付与されます。

 この”通し番号”を受けると”キクレックの瀬”に入る許可が出たことになり、北極海を航行する間は、旗旒信号によって自船の”通し番号”を明らかにします。



挿絵(By みてみん)




 そして交易船は北極海に入るとまずワウナキト神殿に立ち寄ります。


 これは神殿が出す許可状という建前から、許可状の名目はワウナキト神殿に参拝する為だからです。

 目的地によっては遠回りになる可能性があるにしても、最初にワウナキト神殿に立ち寄るのは日本でも所用をした後に行う”ついで参り”が忌避されるのと同じ理由です。


 ヴォーナ・ルチバルド修道神官が祐司とパーヴォットにディネル号という船名を伏せたまま「今、沖合に接近中の船があります。ジャギール・ユウジさんがワウナキト神殿に到着する二日前までここの波止場に停泊して物資の売買をしていた船です」と言っていましたが、ディネル号はまずワウナキト神殿に立ち寄り三日間は波止場の市で海獣やその代替品としてトナカイの皮革を買い集めていました。


無論、ディネル号は祐司とパーヴォットが宿泊していたエォルンに立ち寄りましたが、その時は祐司とパーヴォットはカントシャク島にいたので行き違いになっていたのです。


 また”キクレックの瀬”の入り口にあるカントシャク島の横をディネル号が通過した時は祐司とパーヴォットは悪天候を避けるために避難小屋にいたのでディネル号の通過を見逃していました。

(第二十一章 極北紀行 上 極北水道5 カントシャク島 参照)


 そして祐司とパーヴォットがワウナキト神殿に到着する前に、ディネル号はワウナキト神殿から見て東の集落に直接買い付けに行ったのです。

 このような場合は帰路にワウナキト神殿に立ち寄る必要はありませんが、ワウナキト神殿から視認出来る距離の沖合を通過することが決められていました。

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