極北水道復路19 祐司の置き土産 下 -具体例②-
四、電気に関する知識
現在、リファニアで知られている電気現象は、多分陽電子が関係している巫術のエネルギーの為に雷の発生がないリファニアでは静電気による火花の発生程度です。
取りあえず物質は原子からなり、原子は正の電荷を持つ陽子と電荷のない中性子からなり、その周囲を負の電荷を持つ電子が回転していることを伝えました。
なおさらに陽子や中性子もさらに幾種類かの量子に分けられるが祐司の世界でも完全に解き明かされてはいないので記述しないとしました。
そして巫術のエネルギーにより正の電荷を持った陽電子が発生して”雷”と”屋根”をなしていると考えると持論を記述しました。
祐司は取りあえず最も原始的な発電機であるファラデーの模式図を描き発電の理論を知って貰うことにしました。そして直流発電機と交流発電機の模式図も描きました。
また初期の電池についても紹介して安定的に電気を取り出して実験をして欲しいとしました。
祐司の最大の悩みは中世リファニア社会において取りあえず電気を何の為に使うかを指示することでした。
史実において電気が社会で有用なものとして大規模に使われた最初の事例は電信です。
電信は十八世紀から実用化に向けた研究がヨーロッパ各地で行われますが、最初の実用的かつ商業的にも引き合う電信システムを開発したのはイギリスのウィリアム・フォザーギル・クック(1806~1879年)です。クックは鉄道の路線を使って電気的な信号を送ることに成功しました。
その後に普及する電信システムを開発したのはアメリカ合衆国のサミュエル・モールス(1791~187年)とアルフレッド・ヴェイルで低品位な銅線でも電気信号を送れる電信機を開発して、モールス信号を考案します。
最初の電信が送られたのは1838年で1860年にはアメリカ合衆国全土に電信網が設置されます。広大すぎる領土の統治と統一性の保持に電信が果たした役割は大きいでしょう。
リファニア本土はアメリカ合衆国の領土面積の四分の一弱ですが、中世国家としては広大です。
もしリファニア王によるリファニア本土統一が果たされた場合に電信網があれば、その統治はより強固で適切なものになるのではないかと祐司は考えました。
さらに早くも1857年には大西洋横断海底ケーブルが敷設されて北アメリカとヨーロッパは瞬時に情報のやり取りができるようになります。
リファニアの技術産業の発達により将来的にはリファニア本土と王領キレナイトの通信も視野に入ってきます。
ただ何百、何千リーグにも及ぶ長さの銅線を比較的安価に製造できるという前提があり、冶金技術、鉱山での採取技術も並行して進化する必要がありますが、それが揃うまでは各種の実験にいそしんでもらえばいいと祐司は割り切ってモールス信号を含めた情報を提供しました。
次に到達可能だろう祐司が考えた技術はアーク灯です。
広義のアーク灯は蛍光灯や水銀灯も含みますが、狭義のアーク灯は接近させた二本の炭素棒の間に放電を起こしてその光を利用するものです。
リファニアには”照明術”があり、裕福な家庭では室内の照明は満足のいくものが得られていますが、”照明術”は風のある屋外では不向きですから、アーク灯は戸外での照明を担うでしょう。
五、ゴムの利用に関する知識
天然ゴムは現在はアマゾン川流域が原産地であるパラゴムノキから採取された乳液状ラテックスを原料にしています。
ラテックスは熱帯の多くの樹木から採取できます。コロンブスが弾力性のあるモノとしてカリブ海地域からゴムをヨーロッパに持ち帰りますが、そのゴムをいかなる樹木から採取したかははっきりとはわかりません。
おそらくカリブ海地域でも見られるアカテツ科のマニルカラではないかと思われます。
リファニアでは少量ですが、ラテックスが輸入されています。ただその用途は消しゴムで画材や硬くして筆記用にしたコンテに使用します。
ラテックスはカリブ海の原住民が防水具や靴を素材にしたと言われていますが、少しの高温で溶け出して形成しても耐久性に乏しいものです。
これを現在のゴム製品にしたのはアメリカ合衆国の発明家グッドイヤー(1800~1860年)が硫黄を加えることを思いついてからです。
ただ祐司の情報源では硫黄を加えるとだけありその工程は不明ですので、これも実験を繰り返して欲しいとウィンバルド神官に伝えました。
またラディスラが大量に採取出来るパラゴムノキはアマゾン川上流域までを版図とするインカ帝国から入手出来るだろうとも伝えました。
優れた緩衝材になるゴムが入手出来れば、ソリッドタイプでいいので馬車の車輪に使用してリファニアの馬車の乗り心地を向上させて欲しいと祐司は願っています。
六、蒸気機関に関する知識
蒸気機関にはピストンの往復運動を利用した外燃式と蒸気でタービンを回転させる方法があります。
このうち蒸気タービンは紀元前一世紀頃にアレキサンドリアのヘロンによって造られたとされていますが、玩具の粋を出なかったようです。
リファニア世界では文化と科学が最も発展しているのは、ネファリア(北アフリカ)のアサルデ人国家です。
アサルデ人国家ではヘロンの蒸気タービンのような装置は作られていますが、やはり玩具程度の扱いです。
祐司は構造的に簡単な蒸気タービンを紹介して、動力源として有用であることを示すべきだとしました。
そしてシリンダーとピストンを用いた往復式の蒸気機関を説明して、これもリファニアの工作技術でもなんとかなりそうなニューコメンの蒸気機関を製造するように勧めました。
1712年に稼働を始めたニューコメンの蒸気機関はイギリスで炭鉱での排水に利用されました。
ただニューコメンの蒸気機関は肝心の蒸気エネルギーはピストンを持ち上げることに利用されて、実際に取り出せる力は大気圧によるものでした。
この為に効率が悪く程度の悪い装置では掘りだす石炭の過半を燃料として使用しなければなりませんでした。
ただ構造が簡単であるので寿命が長く19世紀になっても使用され、最後のニューコメンの蒸気機関が引退したのは1923年です
こうした背景があるので祐司は効率には目を瞑って、蒸気機関の有用性を知らしめる為に鉱山や炭田での排水用にニューコメンの蒸気機関をまず投入するべきだろうと伝えました。
そして機械の工作技術が向上すれば、効率が四倍以上にもなり蒸気エネルギー自体を取り出せて、回転運動も得られるワットの蒸気機関に移行するべきとしました。
ワットの蒸気機関が実用化されれば蒸気船や蒸気機関車の製造も間近になります。
七、度量衡の改訂と工作機械に関する知識
祐司はリファニアの全国的な技術向上には度量衡の改訂が必要ではないかと考えている。
リファニアの長さの単位は、1アタ(約3センチ)でその十倍が1ピス(約30cm)、1ピスの六倍が1間(約1.8メートル)ないし1尋、1間の六倍が1ペス(約18メートル)、1ペスの百倍が1リーグ(約1.8キロ)で六進法と十進法(ないし百進法)が混在しています。
これは1ピスが男性の靴の大きさ、1リーグは歩いて八分の一刻(15分)で移動できる距離からきているからです。
*”間・尋という表現は発音がケン・ヒロであることにちなむ。
面積は1モルゲン(約5ヘクタール)が基準で、これはリファニアの平均的な農家(四人の労働力と牛馬)の耕作面積から来ています。
1モルゲンの五十分の一が1ルード(約10アール)で平均的な一畝の面積に相当います。そして1ルードの三百分の一が1トワース(3.24平方メートル)で、ほぼ1間×1間の広さに等しいくややこしい単位です。
重さは1ピール(約3g)の十倍が1オンス(約30g)で、1オンスのその十倍が1フント(約300グラム)、1オンスの二十倍が1斤(約600グラム)、1オンスの四百倍が1ドム(約12キロ)、1フントの千倍ないし1ドムの二十五倍が1エリ(約300キロ)とこれもややこしいことになっています。
*斤という表現は発音がキンであることにちなむ。
体積は1ピム(約20CC)の六十倍が1クォート(1.2リットル)、1クォートの十倍が1ジル(約12リットル)、1ジルの十倍が1マグないし1マグジル(約120リットル)で面積や重さよりはまだましです。
日常生活にあった単位なのでそれなりに便利なところはあるのですが、長さ、面積、重さ、体積がそれぞれ関連性を持って単位の創始をすべきだと祐司は考えています。
そこで祐司は思い切ってメートル法を提唱しました。
1メートルは赤道から極までの距離の千万分の一と定めて、体積と重さも関連付けられています。
リファニアでも地球の大きさを基準に1メートルを定めたと理屈づければ受け入れられやすいと祐司は考えました。
そして”宗教組織”でメートル原器を作製して普及させることで全国統一した度量衡になることで各種の工作物に互換性が持たすことが可能になってきます。
その過程で祐司はリファニアの技術でも将来的には手が届く工作機械を普及させることを提案して、これらの工作機とともに各種の測定器具の外観を祐司は示しました。
八、写真に関する知識
ウィンバルド神官に写真について教えて欲しいと言われた祐司ですが、写真技術の知見はそれほどありませんでした。
現実的に伝えるべき写真技術は化学作用を利用したガラス板による写真ということになります。
ところが元ネタになるスマートフォンの百科事典の情報は極めて貧弱でした。
これは写真がほぼデジタルに移行して、銀塩カメラは存続してはいても過去の技術と扱いだからのようです。
取りあえず祐司はガラス板を用いたカメラの構造と感光剤、また焼き付けに使用する薬剤の知識を百科事典でそのまま引き写して、後は実験をして実用化してくれと相手に丸投げしました。
九、機械式時計に関する知識
脱進機を用いた機械式時計は十一世紀に脱進機を用いた天体の位置を示す天文時計が作られます。しかしこれは一般的な時計には発展しませんでした。
現代に繋がる機械時計は十四世紀にヨーロッパで作られた定期的に重錘を引き上げて、その位置エネルギーを脱進機で徐々に開放して時針を動かす重錘式時計が嚆矢となります。
十六世紀初頭にはドイツでゼンマイを使った携行できる時計が作られます。
リファニア世界では砂時計、水時計、蝋燭を用いた非機械式の時計が発達してそれなりの制度がありますが、これでは個人が時間を気軽に知ることが出来ません。
神殿が時鐘で時を知らせていますが、基本的に一刻(二時間)ごとの時刻がわかる程度です。
祐司は腕時計を盗み見るということで正確な時刻を常に知ることが出来ます。その為にリファニアの人間はなんと時間に関してはルーズだろうかと呆れることがあります。
そこで懐中時計は将来の目標としても、ヨーロッパ中世後期の都市のように、時計台に使用する機械式の時計が設置されることを提案しています。
祐司は脱進機を説明して、錘を利用した重錘式の時計を紹介しました。さらに現在は秘密になったままですが、十九世紀のアメリカ合衆国から来たサラエリザベスが航海用の精密な時計であるクロノメーターを持ち込んでいますので、それを見せて貰えばゼンマイ式の時計をが作ることが出来ます。
そしてゼンマイ式の時計は取りあえず振り子時計を目標にすればいいと伝えました。
十、木綿の発見
リファニア世界では木綿が知られていません。十七世紀前半のドイツから来たエリーアスは木綿を知ってはいましたがまだまだヨーロッパでは他の繊維で代用できる状態だったのでリファニア世界で木綿を求めることはなかったようです。
十九世紀後半のアメリカ合衆国から来たサラエリザベスは当然木綿を知っています。ところが彼女は木綿はインドなどの南アジアの産物だと思い込んでおり、木綿のことは半ば諦めていました。
しかし世界で木綿の使用を最初に行ったのは中央アメリカから南アメリカの住民です。
この木綿は現在はアップランド綿またはメキシカン綿としても知られ世界で最も広く栽培されている綿花の一種です。世界的には綿花生産量の約九割はこの種に由来する栽培品種によるものです。
祐司の世界ではインカ帝国やそれ以前の社会でも木綿は使用されていましたが、どうしたことかリファニア世界のインカ帝国やアステカ王国では木綿は知られていません。
祐司はこれは人間によくある”見ているが見えていない”現象だと思っています。
木綿の形状に似たものはヤナギやポプラの花芽を覆う絹毛などがあります。実はこれらは布団の充填材としては優れた素材ですが、歴史的はどの地域でも大々的に使用していません。
現在となっては木綿があるので産業的にこうした絹毛の産業化は難しいのですが、日本を含めたユーラシア大陸の温帯から亜寒帯の人々は手軽にもっと軽く暖かい服や布団を入手することは可能でした
祐司は南アメリカの人々も野生の木綿を見てもそれを利用してみようと考えなかったと思っています。
おそらく木綿を最初に利用してみようと思いついたのは、かなりの変人だったのではないかとも祐司は思っており、残念ながらその変人はリファニア世界では生まれなかったのだろうとも祐司は思っています。
祐司は木綿の形状と簡単な栽培方法を記述して、友好国であるインカ帝国の領域、難しいですが限定的な交易した行っていない非友好的なアステカ王国の領域で木綿の原種を発見して栽培するようにするのはリファニア王国百年の大計だと大風呂敷を広げました。
化学繊維が豊富にある現在でも、木綿は繊維の中で一番多く使用される優れた天然繊維です。
もしリファニア王国の王領であるキレナイト南部で大規模な木綿栽培が可能になれば、リファニア本土はそれを輸入して木綿工業を興すことが出来ます。
現在、リファニアの植物繊維の代表は麻と亜麻ですが、これらの繊維植物は連作が効かない上にかなり肥沃な農地でないと栽培が出来ません。
もし木綿が大量に輸入できれば土地生産性にも難がある麻や亜麻を栽培している良質な農地の多くで食糧生産が出来ます。
そしてリファニア王国は羊毛製品に続いて木綿製品でも大西洋沿岸を席巻出来るでしょう。
現在、キレナイトの王領は小麦をリファニア本土に輸出していますが、重量辺りの単価は穀物より木綿の方が高価になるはずで木綿栽培をするキレナイトの王領の住民は自分達の為に多くの穀物を消費して一層の人口増加が可能になります。
そしてそれは二世紀か三世紀後にはリファニアの王領キレナイトが現在のアメリカ合衆国とカナダを合わせた領域になる要因となるはずです。
十一、筆記用具
現在リファニアで文字を書くために使用されるのは、羽根ペン、葦ペン、そして樹皮紙に巻かれた円筒型の硬質のコンテです。
これに祐司は金属製のペン先、グラファイトを使用した鉛筆を紹介しました。微細な
金属加工技術が向上しないと金属製のペンは普及しないでしょうが、グラファイトの鉛筆はコンテよりかなり安価に製造出来る可能性があります。
リファニアでは公式な契約書や高価な書籍は羊皮紙を使用しますが、樹皮紙が文字を書き付ける素材として普及しています。
リファニアの樹皮紙の技術はかなり高度で、現代日本人が手にすれば表面が少しばかりざらっとした紙だと思うでしょう。
高級な樹皮紙は細かい砥石で表面を削っているので、紙との見分けは益々難しくなります。
ただ製造工数が多くなり紙よりは高価になってしまいます。また繊維が並んだ方向に平行に折り曲げることは出来ますが、繊維と垂直に折ると裂けやすいという欠点があります。
また数枚では気になりませんが、紙より重量がありリファリアの書籍は祐司が手にするとずっしりとした感じです。
一応、祐司は植物繊維をバラバラに溶解した状態にして、その植物繊維が含まれた溶液を漉くことで紙が得られるとだけ伝えました。
十二、その他
1-数列、対数、指数関数、そして微分・積分
まだリファニアでは見出されていない数式を伝えることはリファニア世界の数学者の業績を奪うのではないかという懸念がありました。
祐司はその懸念をウィンバルド神官に話しました。
しかしウィンバルド神官が「心配入りません。数学を研究する神官にそれとなくヒントを与えて彼等が見いだしたという形にします。数学的な知識は徐々に出して行きます。数学は奥が深い。貴方が提供してくれた数式は数学を研究する者の頭脳を活性化させてより高次なモノに発展させるでしょう」と言ったことで祐司は解説抜きの数式だけを渡しました。
2-リファニア世界に入れてはいけないもの
祐司は麻薬の恐ろしさを説きました。ネファリア(北アフリカ)ではケシから抽出されたアヘンが鎮痛薬として使用されています。
実際鎮痛剤としてのアヘンの使用は西アジアで五千年ほど前から始まっていますが、麻薬として暴威を振るいだしたのは十八世紀になってからです。
祐司はリファニア王国が統一されて交易が益々盛んになれば完全にアヘンを閉め出すことは難しいので、ケシの栽培はリファニアの勢力範囲で認めずアヘンの取り扱いは王家などが医療目的の専売にするように提唱しました。
そして南米産のコカインの危険についても祐司は警告しました。祐司はインカ帝国の版図の一部でコカの葉を嚙む風習があることを知っていました。
コカからコカインが作られたのは十九世紀後半になってからです。コカインは粘膜に作用する表面麻酔として使用できますがリファニアにはまだ全身麻酔薬は実用化されていませんが優れた局部麻酔効果の或る薬草は見出されています。
コカが存在する以上はその害を先んじて祐司は警告して局部麻酔には現在の薬草類で対応するように忠告しました。
特に祐司の世界ではまだ見出されいない”青幸草”は鎮痛作用のみを発揮するという優れた薬効があるので栽培技術を確立すべきだとしました。
(第十三章 喉赤き燕の鳴く季節 ヴァンナータ島周遊記9 リファニアの白雪姫 参照)
さらに全身麻酔薬として祐司はジエチルエーテルの使用をすすめました。ただ詳しい製造方法は不明でエタノールを硫酸のような強酸と混ぜるとだけ記して、これも実験を繰り返して欲しいとしました。
ジエチルエーテルは八世紀にイスラム世界で初めて見出されて、ヨーロッパでは十六世紀には合成されたことは確実なので、リファニアの化学技術でも手に負える物質となります。
ただジエチルエーテルは引火温度が低いのでその点だけは注意することを付け加えました。
またジエチルエーテルとアルコールを混合しゼラチン化させると綿火薬が出来て、それをローラーに通して薄いシート状に形成してから切断して使用するという用法もあるので祐司は研究をすればいいとも伝えました。