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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十一章 極北紀行
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極北水道復路18 祐司の置き土産 中 -具体例①-

 祐司はどのような知識をリファニアの長寿一族に伝えたのか。


 前段として祐司の知識のソースはスマートフォンの百科事典からの知識ですから、ここに記述したような概略的な事しか伝えることは出来ません。

 ただ機材や技術の進化は、後から見ると袋小路に入って無駄なことに傾注してしまって、最適で正しい方向へ向かうのが遅れてしまったということばかりです。


 それはそれで試行錯誤する中で無駄なことや無理筋なことの理由がわかり、正しい道筋に繋がるという利点もあります。

 しかし祐司がゴールとすべき最適解を示すことで途中の知識の修得や工夫は必要になりますが、リファニアの科学や産業発達は最短ルートを進むことが出来ます。



一、火器に関する知識


 祐司は火器に関する三つの改良点と一つの用法をウィンバルド神官に伝えました。リファニア世界では銃は”大神官会議”およびエリーアスの一族の手ですでに製造されていますが、最重要機密であり秘伝の武器です。


 ”大神官会議”およびエリーアスの一族は敵対勢力が火器を開発した場合に、これを公開して対抗するという予定です。

 祐司は火器の改良競争になりどちらも優位性を得られないという状況は避けるべきだと考えています。


 銃および大砲を戦闘に導入するのであれば、圧倒的性能と戦法で相手を完膚なきまでに打ち負かせてさらに技術的優位を保ち続けるべきだと考えていますので、その観点で火器に関する知識を伝えました。


 改良点の一つ目は褐色火薬の製法です。


 黒色火薬は標準的な配合として硝酸カリウム75:硫黄10:木炭15の割合を配合しますが褐色火薬は、硝石79:硫黄3:褐色木炭18を配合したモノです。

 黒色火薬は爆薬としては優れていますが、弾丸や砲弾を発射する装薬としては燃焼が急激すぎるという欠点があります。


 その点褐色火薬はゆっくりと燃焼するので装薬に適しています。そのために過度に火器の肉厚を分厚くしなくてよく、また褐色火薬は黒色火薬の変種なので製造方法も同じです。


 改良点の二つ目は”椎の実弾”とライフリングです。またこの改良が何故必要かを説明するのに用法の工夫を伝えました。


 祐司がウィンバルド神官から聞いた銃弾と砲弾は三十年戦争当時と同じで球形でした。また銃の発射方法は火縄式ないし、燧石を使った燧発式銃、一般的にはフリントロック式と呼ばれる銃でした。


 日本では戦国時代の火縄銃、英語でいえばマッチロック式(Matchlock gun)が延々と江戸時代も使われて、幕末にいきなり雷管式に変わります。


 欧米では江戸時代に相当する間はフリントロック式(Flintlock gun)の銃が主体になります。


フリントロック式の銃は17世紀初頭に発明され三十年戦争ではしだいに火縄銃から置き換わりますが、エリーアス司祭の知識では燧石を利用した新式の銃があるという程度です。


 そのためにリファニアでフリントロック式の銃が使えるモノになるまで、ウィンバルド神官の話では半世紀ほどかかったようです。



挿絵(By みてみん)




 フリントロック式には火縄銃と比べて幾つかの利点があります。


 まず天候の影響を受けにくいことです。火縄銃でも雨に濡れないように点火部分に覆いをするなどの工夫がありましたし、フリントロック式も雨の影響は受けましたが、雨天時は火縄銃は射撃がかなり困難でフリントロック式はなんとか射撃できる程度の差が出ます。


 次に火縄銃装備の銃兵が密集隊形となると隣の火縄により点火することがあり誤射が起きます。


 また点火した火縄を常に携行しなくてはならず、どうしても燃焼した匂いが出るので不意を突いた狙撃には不利です。


 ただ江戸時代は銃を用いた大規模な戦闘は18世紀後半の蝦夷地での”シャクシャインの蜂起”以外は行われません。

 社会的な背景以外では競技的な射撃や狩猟では、射撃時に強力なバネを使うために射撃精度が火縄銃に劣るというフリントロック式の欠点があり使い慣れた火縄銃を使用したといえます。


 さらに良質な燧石を得られたヨーロッパでもフリントロック式の銃はしばしば不発を起こしました。

 日本では良質な燧石は得られませんでしたから、フリントロック式の銃の存在は知っていたのですが国産で作る意義が薄かったのです。


 さて火縄銃ないしフリントロック銃はどちらも先込めの銃身内が滑らかな滑腔かっこう銃です。


 これではどうしても弾丸の銃身の間に隙間が出来て弾丸を飛ばす燃焼ガスが漏れてしまうことと、弾丸を詰めるために銃身口径より弾丸を小さくすることで発射時に僅かでも弾丸が銃身に当たりながら飛び出るので射撃精度が低下します。

 

 火縄銃はフリントロック式より射撃精度は高いですが、程度がいいものでも人体ほどの大きさに命中させられる有効射程距離は100メートル以下です。


 それでも至近距離の相手しか打ち倒せない槍兵は、銃兵が銃剣を使用しだして無装填の銃でも或る程度騎兵に対抗出来るようになると急激に戦場から姿を消して歩兵は隊列を組んだ銃兵ばかりになります。


 ただ滑腔銃を使っている間は銃兵は戦列を組んで敵に数十メートルという至近距離まで接近して、数撃てば当たるとばかりに一斉射撃する戦法が用いられました。


 十八世紀の戦争やナポレオン戦争を舞台にした映画などで敵味方一列になった戦列歩兵が指揮官の命令で立ったまま一斉射撃の応酬をして、バタバタと倒れていくという今から見れば馬鹿げた戦闘をしているのを見ますが、兵器の性能の限界から残酷ながらそれが一番効率的な戦闘方法だったのです。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)




 ちなみに貴族である指揮官は列のすぐ後方で馬上から指揮していました。これは現代人からすれば絶好の目標ですが暗黙の了解で敵味方とも指揮官を狙わないお約束になっていました。


 敵味方の戦列が向かい合ったときに、指揮官が「どうぞお先に発砲なさい」と譲り合ったという話もあります。

 ただ流れ弾は飛んできますので、度胸がなければ不正確な弾道の銃弾が飛び交う中でどう考えても被弾率の高い馬上などにはいられないでしょう。


 このヨーロッパで戦列歩兵が銃撃の応酬をするという時代は、日本は江戸時代でこうした形の戦闘は起こりませんでした。

 ただ幕末の鳥羽伏見の戦いの序盤でフランス式教練を受けた幕軍歩兵が戦列を形成して薩摩軍と対峙しました。


 ただ兵力が少ないこともあって薄く広く展開した薩摩軍でしたが命中精度のいいライフル銃装備であったので、敵性勢力と半日近く睨み合っていながら行軍隊形のままにしていた上層部の不明と士官の数が少なく統率に難がある幕府歩兵の戦列を撃退しています。 


 祐司は銃の命中精度を上げるために弾丸を”椎の実弾”にすることを提案します。そして底部には開口部を設けています。

 祐司は褐色火薬は固形化出来るので、その開口部に弾丸から飛び出るような形であらかじめ仕込んでおくことも提案しています。


 そうすれば装薬と弾丸を別々に込める必要がなく射撃速度が向上します。


 さらに銃身内にはライフリングを行います。銃口から弾丸を込めるさいにライフリングは弾丸を押し込みにくくしますが、”椎の実弾”を銃の口径より有位に小さくして押し込みやすくします。


 弾丸が発射されると弾丸の底部が広がってライフリングを咬みながら銃身内を移動します。


 これにより弾丸に回転を与えて射撃精度を向上させるとともに、ガス漏れも防ぐことが出来ます。


 この種の弾丸は発案者の名からミニエー弾と称されて、日本では幕末から西南戦争に至るまで使用されています。



挿絵(By みてみん)




 命中精度が上がると一列に並んで立射するなど自殺行為になります。


 そこで工作精度があがり個々の敵兵を狙えて敵も銃や弩のような投射性器がある場合は集団で伏射をすることを奨めました。


 伏射の場合は被弾率が下がるとともに、僅かな地面の高低で体を隠すことも出来ます。祐司は敵勢を打ち破るだけでなく味方の損害を極小化することの重要性を説きました。



挿絵(By みてみん)




 また後述する工作機械の精度が向上して二千分の一アタ(約0.015ミリ)程度までの加工が可能になってくるなら、後装銃の製造が出来るようになるだろうと祐司は伝えました。


 もしリファニア世界で原始的な銃が作られてそれを装備した軍勢がリファニア軍と対峙するならいきなり五百年以上進歩した銃と銃兵の用兵に長けた軍勢と合戦をすることになります。


 これが銃の用法に関する知見です。



三つ目は大砲に関した知見です。


 まず大砲の砲身は鉄製が目標ですが、リファニアの技術から当面は砲金を奨めています。


 砲金は青銅の一種で銅9、錫1の割合です。砲金は靱性じんせいに優れており砲身としては理想的です。

 銅はリファニアでの産出も多いのですが、祐司はリファニアとは友好関係にあるインカ帝国版図のアンデス山脈中のすでに発見されているチュキカマタ銅山に加えて、それ以上の銅鉱山であるエルテニエンテ銅山の大雑把な位置を知らせました。



 大砲は発射時に大きな反動が生じます。これを受け止めるために砲架には車輪が取りつけてあり大砲は後退します。

 これで反動を逃すわけですが大砲が移動したことで照準を発射の度に行う必要があり、発射速度が低下します。


 大砲が後退する距離を確保できない艦砲はロープで無理矢理後退を阻止していましたが時に危険な事故に繋がりかねませんでした。


 この欠点を取り除いたのが駐退機です。これは砲身だけが発射時に後退して砲身を油や空気の圧力で元の位置に戻す工夫です。


 真に満足の出来る駐退機が出来るのは1897年にフランス陸軍が導入したM1897 75mm野砲です。

 冶金技術の向上と部品各部が空気や油が漏れないように密閉できる工作精度が必要になりますが、ゴールが見えているのと見えていないのでは開発速度に違いが出ると祐司は考えたのです。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)




 そして最後に硝石の利用として火薬などよりもっと人々の役にたつ肥料としての利用を推進して欲しいと祐司は伝えました。



二、疾病対策に関する知識

 祐司はリファニアでは見出されていない細菌、リケッチア、ウィルスの存在を知らせるとともに顕微鏡の作製ついて記述しました。

 リファニアではレンズが知られており、虫眼鏡や原始的な望遠鏡が作られています。その知見と技術から作製可能な顕微鏡を祐司は二種類提示しました。


 一つは虫眼鏡のような単独のレンズを用いた17世紀のオランダの科学者レーウェンフックが作製した顕微鏡です。この顕微鏡は単独のレンズでありながら倍率は200倍を超えました。


 レーウェンフックは磨いてレンズを得るのではなく小さなガラス管の先端を容喙して微細なレンズを得たこれを持って顕微鏡に使用しました。

 これは数撃てば当たる方法を厭わなければリファニアの技術でも顕微鏡を作製出来ます。


 二つ目はイギリスの科学者ロバート・フックの使用した対物レンズと接眼レンズを用いた近代的な顕微鏡です。


 ただリファニアのレンズ研磨技術が未熟なので顕微鏡に用いる小型のレンズの研磨が難しければレーウェンフックのレンズと同様に細いガラス棒の先端を溶かして見ればいいと伝えました。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)




 そして祐司はすでに十九世紀後半のアメリカ合衆国から来たサラエリザベスに、現在のリファニアで製造されるソーダガラスより透明性と屈折率が高い鉛ガラス(クリスタルガラス)についての知識を伝えているので、鉛ガラスが製造できるようになれば研磨技術を工夫して眼鏡や望遠鏡を含めた各種の光学機器を発展させて欲しいとしました。

(第十三章 喉赤き燕の鳴く季節 ヴァンナータ島周遊記21 カヴァス岬の異邦人 九 長寿一族 ③ 参照)


 祐司は顕微鏡の技術を伝えたのは病原菌を発見してもらおうという考えではありません。


 将来のリファニアの学者が個々の病原菌を見出すのことよりも、感染症が瘴気といった漠然としたモノではなく肉眼では見えない微生物によるものだという認識が広まれば産褥熱などは出産を手助けする者が手を洗うことなどで防ぐことが出来る病気だと理解して貰えると思ったのです。


 またリファニアで最も恐れられる伝染病の発疹チフスがダニが媒介するリケッチア、腸チフスが細菌が原因であると知ればダニの駆除を行い、また腸チフスに罹患した者の糞尿を厳重に管理するでしょう。


 ただ風邪などはウィルスが原因ですから、光学顕微鏡では見ることが出来ません。そこでウィルス性の疾患については祐司は一覧を作りました。


 次に祐司は抗生物質の存在を伝えました。


 抗生物質はカビや土中に棲む放線菌が合成します。祐司はアオカビから得られるペリン以外はリファニア世界でのカビ及び細菌の特性と分布がわからないので片っ端から実験する以外はないとして細菌を培養する培地の知識を伝えました。


 細菌を培養することで、その細菌に有効な抗生物質を見つけてもらおうと考えたのです。


 培地は寒天を利用する方法がありますが、リファニアには寒天がないので肉と骨から得たゼラチン、ジャガイモのデンプン、オートミールなどを利用する方法を伝えました。



挿絵(By みてみん)




三、鉄鋼生産に関する知識

 リファニアには原始的ですがすでに高炉があります。しかし鉄鉱石を高炉で融解しても得られるのは銑鉄です。

 銑鉄は炭素含有率が4パーセントを超えています。その為に硬いが脆いという性質があり使いづらい鉄です。


 そこでリファニアでは銑鉄を一度比較的低温で熱して鍛造することで炭素含有率を下げて鋼を得ています。

 ただこの方法は大量生産に向かず、また鋼を高価なモノにしており、鉄材の使用を阻害して鋼は刃物の類にしか使用されていません。


そこで祐司は反射炉の建設を提案することにしました。


 反射炉は現在の転炉にあたるものです。現在は高炉で鉄鉱石から銑鉄を得るとそれを転炉でもう一度融解して炭素おたの不純物を減らして鋼を得ます。

 現在の転炉からすると反射炉は三世代以上前の技術で、世界中のどこにも創業している反射炉はありません。


 しかしリファニアの技術水準からすると反射炉は間尺に合った存在です。


 利点は耐火煉瓦がそろえばなんとか建設出来ることです。リファニアでは暖炉や高炉に耐火煉瓦が使われているので材料の入手は容易です。

 またリファニアでは石炭の使用が広まっていますので、燃料も問題がありません。反射炉が上手く稼働すれば鋼の生産は飛躍的に向上して値段も数分の一以下になるでしょう。



挿絵(By みてみん)




 鋼が大量に手頃な値段で使用できれば、建物や橋梁に鋼を用いることができますから居住環境や交通の便が向上します。


 現実的な選択として祐司が登場して欲しいと考えているのは馬車鉄道です。

 鉄鋼の生産量が増大して単価も下がるならミリ単位までの精度でよいレールの供給は可能になるでしょう。


 レールは劇的に摩擦抵抗を引き下げるので、馬二頭で数十人の人間やトン単位の荷を運ぶことが出来ます。

 王都やシスネロスのような都市では、明確な交通ルールが確立されていないなかで馬車と人が溢れて事故も多発しています。

 公的な使用をされている馬車以外の馬車や荷車より馬車鉄道を優先するルールを確立すれば、事故の減少と糞尿の害がある馬車を牽く馬の増大を防げると祐司は考えています。



挿絵(By みてみん)

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