黒い嵐10 バナジューニの野の戦い 前夜
祐司達の義勇軍部隊は、バナジューニの野に引かれた防衛線から二百メートルほど下がった場所に宿営を命じられた。宿営といってもテントもなく支給された荒い織り方をされた毛布にくるまって地面に寝転ぶだけである。
雨が降った時の用意に、数名に一枚大きなフェルトの布地と、テントのように布を支える棒があったが、幸いに天候は快晴だった。
毛布を含めた用具は、祐司達が自分で運んできたのではなくシスネロス市の総力をあげて、荷馬車を集めた輜重隊が運んできたものだった。輜重隊の御者のうち、四分の一程度は女性が動員されていた。
祐治は、シスネロスにとって、この戦いは総力戦なのだろうと感じた。
祐司達がそれぞれの居場所を確保して、人心地ついたころにガークと、形式上のドノバ防衛隊隊長のネースレンがやってきた。
「申し訳ない。行軍で疲れているだろし、腹も減っているだろう。ただ、手違いで諸君らの夕飯を用意するのにはまだしばらくかかる。
その間、ディンケ司令官の命令で、我が義勇軍選抜隊は前衛の前にある堀を拡張する作業を行う。全員、防具、武器をおいて、傭兵隊の指揮に従って作業を始める」
形式上の隊長であるネースレンが、大分丸くなった言い方で精一杯怒鳴った。ネースレンのいる方向を見てはいるが、ドノバ防衛隊の隊員は座ったまま黙っていた。
「とっととしろ。飯が食いたくないのか」
ガークが怒鳴り声で叱咤した。
その声で祐司を始め、義勇軍の男達は一斉に動き出した。その男達を傭兵は数十名づつに分けて作業場所に連れて行く。祐司は前衛近くでスコップのような道具を渡されて堀を拡大する作業に投入された。
義勇軍以外にも市民軍から人数が出て堀の拡張作業を行っていた。
堀はバナジューニの野を横切るように一リーグに満たないくらいの長さがあった。幅が二メートルで深さが五十センチほどだった。
祐司達義勇軍が命じられた作業はまだできあがってない壕の拡張作業だった。
歩兵であれば難なく飛び越えたり、駆け抜けられる程度の堀であるが戦車が通過するとなるとかなりの障害だろうと作業をしながら祐司は思った。
壕は少し掘ると、大きな石が、いくらでも出て来た。傭兵はその石で壕を補強するように言った。祐司は、一抱えもあるほどの石を仲間と持ち上げて、壕の上の方に埋め込み壕の補強材料にした。
祐司は知らなかったが、義勇軍がこの作業を行い、また祐司が属する一隊が義勇軍選抜隊と名付けられたのはちょっとした理由があった。
シスネロス野戦軍の総指揮官であるディンケ司令官が平然と行軍を行う義勇軍を見て義勇軍の形式上の隊長であるネースレンを呼び出したのだ。
ネースレンは、何事か叱責を受けるかと思い、責任を押しつけるつもりでガークをともなって出頭した。
ディンケ司令官はガークを見知っており、義勇軍を率いていることに驚いた。なにしろ、ディンケ自身がガークにシスネロス傭兵隊に入隊しないかと直接要請に出向いたことのあるほどの人物だったからである。
もともと、ディンケ司令官は義勇軍の戦力的な価値に否定的な考えを持っていた。このため、予備市民軍へ数あわせのために義勇軍を回すことを考えていた。
しかし、ディンケ司令官以上に予備市民軍のネファルト司令が義勇軍に懐疑的であり、すでに二戦級部隊を率いており三戦級を組み入れて組織の弱体化はできないと言って、職をかけてでもその配備に強固に反対した。
困ったディンケ司令官は義勇軍を、輸送やその他雑用を担当する補助軍として使用するために本隊に組み入れていた。しかし、ガークが義勇軍の一部を率いていると知ると、ガークが率いるドノバ防衛隊を義勇軍選抜隊として総予備とした。
そして、ディンケ司令官はその他の義勇軍を当初から考えていたように攻勢時では囮、撤退に移れば足止め部隊として使うことにした。
ディンケ司令官が後方で義勇軍選抜隊を予備として待機させることをガークに伝えると、ガークはリファニアの習いである合戦前に食する羊の炙り肉の供与が、義勇軍には無かったことを伝えた。
ディンケ司令官は、それを謝まり、至急手配すると約束してくれた。これが、祐司達の夕食が遅れた理由である。
ディンケ司令官の厚意にガークは義勇軍による正面の堀の強化を申し出た。これが、祐司達が堀の拡張作業に駆り出された理由である。
祐司は、堀の拡張作業の最中に、バナジューニの野が巫術のエネルギーの集積による、おぼろげな光があちらこちらに見えることに気が付いた。
かつて、キリオキス山脈から運ばれた巫術のエネルギーをもった泥が、その時は、この辺りを流れていたモサメデス川によって堆積したのではないかと祐司は考えた。
祐治は手近な、巫術のエネルギーの集積場所から、エネルギーを回収しようとした。
祐司はあわててその行為を止めた。明日の戦闘ではシスネロス側巫術師の糧になるエネルギーである。
(危なく、自分で自分の首を絞めるところだった)
祐司は、明日は両軍の巫術師は、今日は術の切れ味があると感じるだろうと思った。
祐司達が作業を始めて間もなくして、穴掘りをしていた一群が作業を止めて帰り支度を始めた。
一日前に、バナジューニの野に派遣されていた十代半ばの少年兵達だった。
「彼奴ら、夜を徹してシスネロスに戻るらしい。あれでも、シスネロス守備隊の兵力に数えられているそうだ」
ガオレの蓮台担ぎ役をしている、四十ばかりのハンマットという男が、少年兵達を見ながら言った。
ハンマットは石工で歳のわりに、筋骨が逞しく蓮台担ぎに選ばれた男だった。陰日なたのない性格らしく、蓮台を担いでいる時は、年下の者に指図しながら、六人の蓮台担ぎ役の中でも一番長く蓮台を担いでいた。
「親方、彼奴らは、ここで死ななくていいってことか」
ハンマットは、いつの間にか蓮台担ぎの他の男達からは、親方と呼ばれていた。その蓮台担ぎの男の一人が言った。
「子供だからな」
ハンマットは、本心でそう言っているようだった。
少年兵達は、口々に不平を言っていた。どうやら、戦いを前にして帰されるが不満らしかった。
「おい、カルネじゃないか」
ハンマットは、突然、一人の少年兵に声をかけた。小柄な少年兵が顔をこちらに向けた。すこし、俯いていたところから、少年兵の方が、先にハンマットに気が付いていたようだった。
「ごめんなさい」
少年兵はおずおずと近づいてくると小さな声でハンマットに言った。
「おい、なんで謝るんだ」
ハンマットが目を大きく開けて驚いた様に言った。
「おじさんに、生意気な口を利きました」
少年兵はますます、小さな声になり、ハンマットのすぐ横にいた祐司にやっと聞こえるくらいの声で答えた。
「気にしちゃいないよ。友達といっしょで、ああ言うしかなかったんだろう」
ハンマットの言葉で、祐司は少年兵が友達と、一緒になって、非シスネロス市民のハンマットを罵ったのだろと思った。
「どうかしてたんです。ランブル市参事の演説を聞いて、おじさん達がシスネロスの富を掠め取っている吸血ダニだって思い込んでいたんです。
おじさんが、毎日、一生懸命に働いて何一つ後ろ指なんかさされることなどしていないことを知ってたのに。僕を小さな頃からずっと可愛がってくれていたのに」
「カネル、ジャグラとシーナは元気だったか」
ハンマットは、少年兵に聞いた。
「よくわかりません。おじさんが連れて行かれてから、すぐにシャグラとシーナも連れて行かれました」
「ジャグラとシーナというのは、ハンマットさんの?」
祐司がハンマットにたずねる。
「ああ、子供だ。ジャグラが十五歳で、オレの手伝いを始めたばかりだ。シーナは十歳で娘だ。ジャグラと、このカネルは幼なじみだ。で、こいつの親父とは石工仲間なんだ」
ハンマットは少し笑いながら、祐司に言った。
「父は予備市民軍で招集されて、シスネロス守備隊に配属されました。僕もすぐにシスネロスに帰って守備隊になります」
少年兵は少し気負ってように言った。
「お前の親父は、お前が、戦場にかり出されて、気が気じゃないだろう。親父が喜ぶのは、お前が手柄を立てることではなく無事に五体満足で、この戦を乗り切ることだよ」
ハンマットの言葉に、少年兵は小さく頷いた。そして、祐司が知りたかった情報を教えてくれた。
「一昨日、シスネロスを出発する時に、ランブル市参事が激励しに来たんです。でも、何かおかしな感じなんです。
ちっとも、言葉が耳に入ってこないんです。なんか、気が無くて、ウソっぽいです。同じ事を何回も繰り返して言ってるんです。
だから、早く話が終わればいいとずっと思っていました。後で、仲間も同じようなことを言って愚痴っていました」
祐司は、ランブル市参事の人を扇動する巫術のエネルギーを抜き去ったが、実際の、ランブル市参事が、どのように見られるようになったか気になっていたのだ。
「ハマーおじさん、死なないで帰ってきてください。僕、一生懸命に穴を掘りました」
少年兵は、そう言うと、帰り支度に余念がない仲間の方へと帰って行った。
「考えて見れば、カネルと同い年のジャグラは捕まってはいるが、戦いにはかり出されなかった。どっちが運がいいのやらな。ジャグラの方がずっと体格もいいいんだがな」
ハンマットは、去って行く少年兵の後ろ姿を追いながら呟いた。祐司はその言葉を黙って聞いていた。
太陽が地平線に近づいて、ようやく辺りがほんの少し暗くなりかけた頃に、堀の拡張作業は終わった。幅が二メートル、深さが一メートルに、やや足りないような浅い戦車の突入防止用の溝が東西の森から森へ戦列に沿って、二列掘られた。
掘り出された土砂や、溝の補強に使われなかった石は二列目のシスネロス側の溝端に積まれて数十センチの高さの緩やかな傾斜を持った土手になっていた。
地下水位の浅い場所ではすぐに底に水がたまり、ひどいぬかるみ状態になっていた。
溝は、車輪があるものなら現代日本の四輪駆動車でも乗り越えるのはかなりの技量がいりそうだったが、人であれば楽々と飛び越えられる。
二列の溝の間の五メートルほどの幅の地面には、森から切り出してきた人の腕ほどの枝の先を尖らせては一メートル置きくらいに埋め込まれていた。枝は自軍とは反対方向に傾けてあり簡易な防御柵のつもりのようだった。
そして、その背後には、所々に開口部を設けた高さが二メートルほどの柵があった。祐司は。それを日本では戦国時代に見られたような馬防柵というものだろうと思った。
祐司たちが野営場所として割り当てられた所は、壕や柵からは二百メートル後方にあり少しばかりだが微高地になり地面は乾いていた。もともと溝や柵から後方(すなわち南に向かって)はすこしずつ上り坂になっていた。
祐司達のいる場所の近くには、十数メートルほども高さのある頑丈な梯子が、垂直に立てられていた。その上で見張りが北の方をじっと見ている。
「見えたぞ。モンデラーネ公軍だ。うじゃうじゃ湧いてきやがる」
見張りが怒鳴った。
その声で、座っている者も急いで立ち上がって北の方をみた。
祐司も北の方を見ると二リーグほど先に薄いシミのような固まりがあちらこちらに見える。モンデラーネ公軍が接近してきたのである。四半刻ほどもすると、モンデラーネ公軍のいるあたりで火が無数に燃やされ出した。
野営をしてこちらと同様に炊事でもしているのだろう。
黒パンと具の多いスープ、そして、リファニアの習いとして合戦の前に供されるという羊の炙り肉を食べ、一杯のビールを飲みながら祐司はそんなことを考えていた。
「この中の何人かは、明日はこの夕食を食べることができないんだな」
慌ただしく食事が終わると、石工のハンマットが、しみじみ言った。
「誰も、その中に自分が入ってるとは考えもしてないだろう」
武芸の師匠であるテシュート・ヴェトスラルが少しひやかしたように答えた。
「カカアと、最期に一発しておきたかったな」
ガレオが乗る蓮台に毛布を敷いてベットに造り替える作業をしていた、蓮台担ぎの男の一人がしみじみと言った。
「自分が死ぬなんて、そんなこと想像したら、食べたり寝たりできないぜ」
ハンマットは、食器を片づける手を少し休めて言った。
「オレが死ぬまでは、他の誰も死なせない」
ヴェトスラルが気負ったように言う。
「そうだ。死ぬのは奴らだ」
祐司が、モンデラーネ公軍の宿営地を睨みながら言った。
「蓮台を上げて様子を見せてくれんかね」
蓮台の上のガオレが言う。祐司が蓮台担当の者に言った。
「一の組、蓮台を上げろ」
ガレオは、蓮台に敷いて貰った毛布の上で、あぐらをかいて、背を伸ばして前を見る。その左右には、オオカミの毛皮を纏った祐司と、近づく者を射るような目のヴェトスラル師匠が少し足を開いて立っている。
そのただならぬ気配に、近くにいた市民兵すら、揶揄することもなく黙って見ていた。
「おい、戦いは明日だ。今日は気を休めておけ。矢をよく飛ばそうと思ったら、使う前の日は弓弦を外しておくもんだ」
ガークがいつのまにか、すぐ横にやってきて優しげな言いようで声をかけてきた。
「これは、わしとしたことが、年甲斐もなく戦場の気配に飲み込まれておりました。やはり、街の道場主で燻っておるような者はまがいですな」
ヴェトスラル師匠が少し照れ笑い気味に言った。
「戦闘は明日だ。夜襲などは心配するな。左右の森にも斥候を出すくらいの知恵が司令官にはあったようだからな」
ガークはドノバ防衛隊の面々に言ったあと、自分も大の字になって眠りだした。
ほんの短い夜が、それも地平線付近が明るく輝き空の大半が薄暮状態になった夜が明ける。もうすぐ太陽が全く沈まない白夜の時期を迎える。この時期は、眠る時間も短くなる。気をつけていないとすぐに徹夜をしてしまう。
祐司はオオカミの毛皮にくるまって無理にでも寝ようとした。数刻ほど浅い眠りと、目覚めを繰り返すと日は地平線をかなり離れた場所に移っていた。
「おい、今、何刻だ?」
祐司は、傍らで武具を着用しだしたハンマットに聞いた。
「二刻(午前六時)を大分過ぎたところです」
ハンマットは四十代になろうかという年齢だが、祐司が長ということで丁寧な言い方で答えた。
「そうか、まだ、そんな時間か」
祐司は、両手で顔をさすって眠気を押し出した。
「ユウジ殿は、たいした度胸ですな。オレはほとんど寝られなかった。何回か、こんな戦いを経験されたのですか」
ハンマットは、真顔で祐司に言った。祐司は笑いながら顔を横に振った。
「今日は、長い一日になるぞ」
ハンマットが、武具の装着具合を確かめながら言った。
「天気はよさそうだ。死ぬには良い日だ」
蓮台をベット代わりにしていたガオレが、杖を頼りに起き上がって、快晴といってよいほど晴れ上がった空を見て言った。後で、この言葉を、軽く聞き流したことを祐司は後悔することになる。
「いや、天気は最悪だ」
ハンマットが、意外な事を言った。
「どうして?」
祐司が、ハンマットの意図を図りかねて聞いた。
「黒い嵐(モンデラーネ公のこと)がやってくる」
ハンマットの言葉に、周囲にいた者達は押し黙った。
「シスネロスから朝食が届いた。並べ」
数人の兵士が大声を上げながら、まだ寝ている兵士を起こして回っている。
「シスネロスからとは待遇がいいじゃないか」
祐司の配下?の兵士の言葉にハンマットが言った。
「それだけ近いって事だ。オレたちが負けたらシスネロスまでモンデラーネの野郎を遮る者はいない。シスネロスに恩義が無くとも家族がシスネロスにいるのならここでくい止めるんだ」
すっかり、戦装束の準備ができたヴェトスラル師匠が言った。
「何言ってやがる。忘れたのかオレたちはドノバ州のために戦うんだ。オレらの故郷だ」
ハンマットの言葉に、ヴェトスラル師匠も頷いた。




