黒い嵐8 閲兵
軍勢を整えたシスネロス市民軍は出陣の時間を待っていた。出陣の前にランブル市参事のたっての希望で閲兵式が行われることになった。
「最終的にバナジューニの野に向かう軍勢の数です。市民軍一万三千、傭兵軍二千二百、ドノバ侯爵近衛隊千七百、市民予備軍五千七百、現地で合流します直轄地からの部隊が七千、最後に義勇軍が二千七百です。野戦軍総兵力は三万二千八百です」
閲兵式の前にシスネロス市民軍司令で、シスネロス軍の総司令官でもあるブロムク司令が、兵力の最終報告をランブル市参事に行った。
ランブル市参事は、ハタレン市長からランブル組と、その関係者を中核にした臨時市庁舎職員にポストを明け渡すと言われて、そのポスト配分と臨時市庁舎職員の規律確保に忙殺されていたため、シスネロス軍に関してはブロムク司令に丸投げしていた。
そのため、基本的な軍序列に関しても出陣前まで詳細は知らなかった。
「おい、義勇軍が二千七百とは、どういうことだ」
ランブル市参事が目を見開いて言った。ランブル市参事が考えていた義勇軍の倍の数字であった。
「一般市民からの応募が多数出たそうです」
ブロムク司令は事務的な口調で答えた。
「意味がわからん」
ランブル市参事は、苛立って大声で言った。
「無産市民の中には困窮した者もいます。手当は義勇軍の方が良い上に、家族には食糧が届けられます」
ブロムク司令は、説明口調で淡々と言った。
「何をたわけたことを。何故、許した。シスネロス市民としての誇りはないのか。すぐに、市民権のある者は市民軍へ編入しろ」
「ランブル市参事殿、一旦編成した軍勢の組み替えには平時には数日、緊急にいたしましても丸一日はかかります。なによりようやく出立の準備ができました軍勢が混乱いたします」
ブロムク司令は、興奮したランブル市参事を静めるように、ゆっくりした口調で諭すように言った。元々、十歳以上年上の武人に軍の編成を説かれてたらランブル市参事に反論の術はなかった。
「義勇軍は、好ましからざる非シスネロス市民の第一部隊と武芸の心得のある第二部隊に分けました。市民軍として訓練を受けておりますシスネロス市民は、大方、武芸の心得のある第二部隊に配属されているかと思います」
苦虫を噛みつぶしたような顔をしているランブル市参事に、ブロムク司令は義勇軍の説明をした。
実際は、第二部隊の三分の一はガークの率いるドノバ防衛隊であったが、ブロムク司令は、そこまでは説明しなかった。
「では、閲兵は義勇軍の第二部隊まで含めて行う。手配を頼む」
気持ちの折り合いをつけたランブル市参事は、新たな命令を出した。
周囲にいた高級指揮官達が顔を見合わせた。閲兵で出陣の時間が遅れることを懸念していた上に、新たに閲兵する部隊を増やすとランブル市参事が言ったからだ。
市内の練兵場には出陣の順番に各部隊が整列していた。大急ぎで設えられた数メートルほどの高さがある演台の上から総司令官であるランブル市参事が激励の演説を行った。
リファニア世界には、天然の拡声器という設備がある。
演台の直ぐ後ろの壁には大きな貝殻のような形をした窪みがある。演台で話す者の声はこの窪みに反射して、何も無いときよりは格段に遠くまで聞こえる。
そして、もう一つの拡声装置が巫術師の術である。
特殊な巫術に属するが、演説者の立っている周辺の空気密度を少しばかり高める術である。これにより、演説者の声は寄り効率的に周辺の空間に伝わると共に、演説者の前の空気密度をより高めれば声は前方に指向して拡散が押さえられる。
これを行う巫術師自体がこの原理を科学的に理解しているわけではない。演説者にあわせて経験的に細かな術を発動しているだけである。
上手な巫術師になると背後の反射板の効果もあり、ちょっとしたスピーカーほどの音量を出させることができる。
拡声術を持った市直属の巫術師を使って、いつものアジ演説に磨きがかかったようなランブル市参事の声に市民軍の兵士は熱狂する。ただ、傭兵隊はお義理の歓声で、義勇軍は意気があがらない。
続いてドノバ候が演台に上がった。
数日前からドノバ候の体調がすぐれないという噂が、シスネロスのあちらこちらで囁かれていた。
ドノバ候に向き合った兵士達は、何もしゃべらずにいるドノバ候を心配げに見守った。
ドノバ候は兵士をゆっくり見回してから短い演説を行った。
「ここにいる多くの者はシスネロス市民だ。しかし、その前に諸君らは同じ同胞のドノバの民のために立ち上がったのだ。モンデラーネの略奪を許してはならない。わたしはドノバの民の安寧のために出陣する諸君らの顔を忘れない。
諸君はドノバの新しい歴史の証人だ。シスネロス市民でありドノバ州の住民である諸君、ドノバの繁栄を守れ。シスネロス市民はドノバ州の繁栄と民を守るために立ち上がったことを示すのだ。そして、ドノバに栄光あれ」
ドノバ候が右手を挙げた。最初は少し戸惑っていた市民軍も、そして傭兵隊や義勇軍までもが大声で応えた。
「ドノバ候万歳!ドノバ州万歳!」
ドノバ候近衛隊の兵士が一斉に叫ぶ。それにつられた形で全軍が叫ぶ。
「ドノバ候万歳!ドノバ州万歳!」「ドノバ候万歳!ドノバ州万歳!」
先に演台から降りていたランブル市参事は拍手をしていたが顔は笑っていなかった。
この後、総司令官であるランブル市参事とドノバ候による閲兵が行われた。シスネロス市民軍は通り過ぎるランブル市参事に兵士達は槍や剣を突き上げて熱狂的な歓声がおこる。
ランブル市参事はそれに応えるように手を差し出す。その手に触れようと大勢の市民兵が隊列を乱してランブル市参事の周りに集まった。
傭兵隊とドノバ候近衛隊は、規律正しく身動きしない。
やがて、ランブル市参事が義勇軍の前に来たときに、オオカミの毛皮をマントのように羽織った大男が一歩隊列から歩み出した。護衛の兵士がその男を隊列に押し戻そうとする。
男は押し戻される前に早口でランブル市参事に向かって言った。
「ランブル市参事殿、あなたの演説にはいつも感心しておりました。是非、握手をお願いいたします」
ランブル市参事は、その男の持っている短槍の穂先が、革で覆われていることを素早く見て取った。
ランブルは少し躊躇したが、手を男に差し出して右手を強く握った。ランブルは少し手の甲に違和感を感じた。
男は指の間に隠し持っていた水晶をランブルの右手の甲に押し当てて自分の両手でランブル市参事の右手を包んだ。
「ありがとうございました」
男は丁寧な口調で言った。
「しっかりやってくれ」
ランブル市参事の手を握った祐司から離れてゆくランブルは、常人の発するような弱々しい光しか発していなかった。
もちろん、短槍の大男は祐司である。
祐司はこの時点では確信がなかったが体内に貯めた巫術のエネルギーは、一度完全に放出してしまうと、完全放電した鉛蓄電池のように充電能力が著しく劣化するだろうと推測していた。
これは、巫術師が連続して巫術を使えないことや、無理をして巫術を発動させると、数日から数ヶ月は巫術を使えないという話。
そして、グネリに溜まった巫術のエネルギーを祐司が吸い取った後で、グネリが溜め込む巫術のエネルギーが、かなり少なくなっていたことから判断していた。
この推測が正しいのなら、ランブル市参事は、早くても年単位、遅くて一生が終わるぐらいまで、人を引き寄せる無意識な巫術は発動しないだろうと祐司は考えていた。
練兵場に集合したシスネロス軍は、ランブル市参事の演説に、何度も出て来た正義のありかを示すために野外決戦を行うべく行軍体勢にうつる。
シスネロスにも戦車部隊はある。ただ、防衛戦ないし治安維持に特化したシスネロスの軍では戦車は、傭兵隊が快速部隊用に運用する数十乗程度だけで、本格的な会戦では飾りでしかなかった。
その戦車を先頭に練兵場から、街中を通って、まずアハヌ神殿のある広場に野戦軍は向かった。
アハヌ神殿のバルコニーには、神官長のスヴェンエリクが、数名の神官を従えて正装して待っていた。バルコニーの真下に当たる神殿の正面には、すべての神官が、これも正装をして並んでいた。
アハヌ神殿のバルコニーの下に、ドノバ候の馬車が止まる。すぐに、市民軍のブロムク司令、市民予備軍のネファルト司令、そして、野戦の指揮を任された傭兵隊のディンケ司令の馬車がきた。
スヴェンエリク神官長は、バルコニーの上から場所を見下ろして簡潔ながらも個々の兵士の無事帰還を祈った祝詞を唱えた。
スヴェンエリク神官長が戦勝では無く個々の兵士の無事帰還を祈った祝詞を唱えたのは、愚かし人間動詞の戦いに神々の助力を願うのは不敬に当たるというリファニアの宗教教義による。
祝詞が終わると,司令達は再び軍を牽いて動き出す。
その間、スヴェンエリク神官長は祝詞を唱え続けた。そして、最後の義勇軍の姿が見えなくなるまで、傍目にも誠意のこもった祝詞を唱えた。
アハヌ神殿で戦勝を祈る祝詞を受けた野戦軍は、正門である東市門に向かう大通りに出た。
大通りとはいえここは常は露店が二重に立ち並ぶ市内で最も人出の多い市場でもある。
この日は、露店がすっかり片づけられて、めったに見ることのない本来の大通りが姿を現した。シスネロス一のこの大通りは、幅が十間(約十八メートル)で、長さは東西に三分の一リーグ(六百メートル)あり、五百歩通りとも呼ばれていた。
全軍の先頭は戦車部隊、戦車部隊に続くのは、徒歩のドノバ候近衛隊だった。甲冑姿の候子デヴォー・ロムニスが戦車に乗り指揮を司る近衛隊は長槍部隊、投槍部隊に分かれた赤揃えの甲冑である。
市民達は候子デヴォー・ロムニスに敬意を表して帽子を取ったり、目の前を通り過ぎるときに会釈をする。この近衛隊が進むにつれて「ドノバ候万歳」の声があちらこちらから自然と起こった。
続いて野戦軍総司令官をたまわった傭兵隊司令官ディンケ、その幕僚、そして市参事会から派遣されたヤロミル市参事を乗せた数乗の四輪馬車、それに従うのは、大きなシスネロス市旗とシスネロス市民軍旗を掲げたひときわ体格の大きな男達である。
それに続いて、主力軍である市民軍が七列縦隊で続く。市民軍は二十代を中心とした頑強な体格の者で構成されていた。
シスネロスの主力部隊である。歓声が一際大きくなる。
短剣を除く装備は市よりの貸し出し武具であるが、裕福な者は自分で誂える。特に防具は身体に合った物でないと、不具合があるために胴防具だけでも誂えようとする者は多い。
そのため、ドノバ候近衛隊から見るとやや不統一な感じを受ける。
市街地では出陣する軍勢を見送るために、人々が集まっており市民軍に大きな歓声が上がる。
市民軍は市章を描いた布を誇らしげに胸甲に貼り付けた重装歩兵である。五メートルほどの長さの槍と、各自自慢の短剣を装備している。
時折、道端の人混みから恋人か細君であろう若い女や、親や兄弟と思えるような者が飛び出してきては行軍する兵士になにやら声をかけていた。兵士は返事はするが誰も隊列を乱すことはない。
市民軍に続くのは傭兵隊である。持っている槍は二メートルほどの投げ槍やメイスのような打撃系の武器である。揃っているのは一様に長剣を持っていることである。
普段は警察、治安維持部隊を勤める傭兵隊にも市民から大きな歓声があがる。
傭兵隊の次は市民予備軍である。三十から四十代、もしくは体格の劣る者で構成されており、鎧もチェーンメイルで槍も幾分軽い物が支給されていた。
道端から飛び出してきて声をかけるのは市民軍とは様相が異なり子連れのおかみさんといった者が大半である。
次は義勇軍部隊である。市民の反応は複雑である。それでも、義勇軍部隊の前半分は非シスネロス市民も混じるが貧窮しているシスネロス住民が主力であるため、市民軍や市民予備軍と同じように家族が兵士に駆け寄る光景も見られ歓声もそれなりに上がった。
最後に義勇軍のうち非シスネロス市民の部隊である。先頭と最後尾は傭兵隊の一部によってガードされている。祐司やガオレが属している自称ドノバ防衛隊は、もちろん、この部隊の一部である。
非シスネロス市民の家族は拘束されているため誰も通りからは出てこない。
見送るシスネロス市民のほとんどが無言である。
シスネロス市民は義勇軍の一隊が、つまりドノバ防衛隊が左の胸に白い布を縫い付けていることに気が付いた。手の平ほどの布に、ドノバ州を代表する花である青アザミの花の絵が描いてあった。それぞれが、描いたのか微妙に絵柄は異なっていた。
ドノバ防衛隊の先頭は、ガークだった。ドノバ防衛隊には馬車の割り当てがなく、ガークも形式上の指揮官であるネースレンも徒歩だった。ガークの横で、お手製のアザミを描いた軍旗をツハルツが掲げていた。
「おい、ネースレンの旦那、さっきから何を見てるんだ」
ツハルツが、横ばかり見ているネースレンに聞いた。
「ああ、かみさんと、孫が来てる」
小柄な老婆が、十ぐらいの女の子と、五つくらいの男の子の手を引いて、じっとネースレンの方を見ていた。
「おじいちゃん、頑張れ。モンデラーネなんかやっつけて」
男の子が大声で言った。ネースレンはすこし微笑んで、男の子に手を振った。ネースレンの妻と女の子は、終始、不安そうな顔でじっとネースレンを見ていた。
「あの子らの親はどうしたんだ」
ツハルツが、傍目にも緊張しているネースレンに聞いた。
「息子は市防衛隊に出てる。嫁は下の子を産んだときに亡くなった」
「あんたも、色々あるんだな」
ツハルツは、少しネースレンを見る目がかわった。
「お前らも、まあ、頑張ってくれ」
一人の男が声をかけた。
その男を鋭い目で義勇軍の男達は睨みつける。男はいたたまれなくなったようにうつむいた。
青アザミの図柄を描いた白い布をつけた布を左肩にひらめかせた一軍の最後尾がやってきた。その中でも目を引いたのが蓮台に乗った男の姿だった。
いくら高緯度地域のリファニアと言えども夏に差し掛かったこの時期に、黒いマントを羽織って、百年以上も前に造られてような古風なヘルメットを被った男が蓮台の上であぐらをかいている姿は、異様を通り越して不気味な雰囲気さえ群衆に与えていた。
黒いマントの男は、ガオレだった。
ガオレが僅か数日の間にでも日に日に、弱っていくのが周囲の誰もが感じていた。ガオレは弱音を吐かずにガークの要請で、”雷”に対抗する方法を義勇軍兵士に教えるために毎日、数多くの”雷”を放っていた。
流石に、出動前日になると杖を頼らなければ立てないような状態になったので、ガークは、ガオレを休息させるとガオレを乗せる蓮台を作らせた。
義勇軍の中には大工や指物師もいたので、間に合わせの材料ながら輿といってもよい程の頑丈な蓮台ができた。
ガークは蓮台を担ぎ、なおかつ、ガオレを守る男を選び出して、その指揮を祐司に命じた。蓮台は四人で担ぐようになっていた。
市民の見送りを受けたシスネロス野戦軍は東市門へ到達する。そこから、隊形を本格的な行軍隊形にかえて、次々に部隊が出て行く。
東市門には留守部隊である、やや高齢の者で構成された市民軍と市民予備軍を主力としたシスネロス守備部隊が待っていた。
シスネロス守備部隊は剣を抜くと振り回して、出て行く野戦軍を見送った。
「ヴァーオーーーー」「ヴァーオーーーー」
その声はいつまでも、シスネロス市門に木霊した。
シスネロス野戦軍は市門の外で待機していた荷馬車による輜重隊を引き連れてバナジューニの野でモンデラーネ公軍を迎え撃つために出陣した。
その近くには、近隣の農村で編成されたシスネロス直轄地軍がバナジューニの野へ行軍中である。
そして、バナジューニの野から二日行程の地点ではドノバ候の命とシスネロス市参事会の要請によって兵を拠出したドノバ州領主軍が北部軍と南部軍に分かれて行軍している。
この二つの領主軍は、バナジューニの野の北方で合流して、北からモンデラーネ公軍に接近して、戦術的に挟撃の態勢を取ることになっていた。
ドノバ州領主軍は、モンデラーネ公軍に圧力をかけて前面のシスネロス市民軍に全力を持って当たらせないようにする手筈だった。
全ての野戦軍が出立して、一刻ほど立ってからハタレン市長にアハヌ神殿のスヴェンエリク神官長から面会の申込みがあった。
「今日の祝詞は大変素晴らしいものでした。改めて御礼を申し上げます」
ハタレン市長は、スヴェンエリク神官長が、突然、市庁舎を訪れた理由を色々推測しながら言った。
「ところで、先般より三通続けて同じ内容の書状を義勇軍本部とやらに送っておるのだが、一行に返事がきません」
スヴェンエリク神官長は、いきなり本題を切り出した。
「義勇軍本部ですか。あそこは、新設された部署で主にランブル組の臨時職員が取り仕切っておりまして」
ハタレン市長は、うんざりした気持ちを押し隠して言った。
「それでも、市庁舎の一部ですから、何か不都合があればわたしがお聞きしましょう」
「いや、そうでしたか。ハタレン市長。そんな事情でしたら義勇軍本部は、ランブル市民代表の直轄にすればいいではないですか。わたしは、ランブル代表が責任を持った部署へ送るつもりで、そこへ書状を送ります」
スヴェンエリク神官長は、腹芸のような言いましで、ハタレン市長の言葉を受けた。ハタレン市長は、この話はドノバ候あたりからの差し金だろうと感じた。
ハタレン市長はスヴェンエリク神官長を見送ると秘書官を呼んだ。
「義勇軍本部をランブル市民代表の直轄にしたいと申し入れてくれ。それから、不用不急な部署も二三おまけにつけてやろう。
ランブル市民代表は、ポストを支持者に与えたくて幾つかの部署を回せと言っておるから渡りに船だろう」
スヴェンエリク神官長の出した書状とは、一願巡礼である祐司の釈放を申し入れたものだった。こうして、祐司の戦場からの離脱は叶わなくなった。




