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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十一章 極北紀行
1074/1161

大神官タブリタの系譜24 巫術師の邑ボウラ 五 -”ヤンベルトの森”-

 巫術師のジャブロ・バジャルは、少しばかりしんみりしたような口調でエリーアスに語り出した。


「ハヤル・ボニトドは三十年来のわたしの親友でした。貴方を召喚する時に貴方の安全を担保する為に時間をかけるわけにはいかないとして、”屋根”の術に集中して貴方を早くたぐり寄せようとした。


 しかし今までの経験であまり早急なことをすると、”雷”のようなものが飛び出してきて術をかけている巫術師を打ち倒してしまうことがわかっていました。


 その防御でわたしも含めて”雷”を防ぐ”屋根”をわたしを含めた巫術師四人でハヤル・ボニトドにかけていました。


 ハヤル・ボニトドが途中まで来たと言うので、手筈通りに一人の巫術師が”屋根”を通路に入れて手助けしました。

 四箇所の異界の入り口のトバ口は特定の巫術師の”屋根”しか届きませんが途中まで来れば他の巫術師の”屋根”でも届くのです。


 ところがハヤル・ボニトドは途中で引っかかったから誰かもう一人屋根で引っ張り出すのを手伝ってくれと言います。


 今にして思えばハヤル・ボニトドは誰かと言うべきではなかった。はっきり名を言うべきだった。

 わたしを含めて三人の巫術師が”屋根”をかけていましたが、わたし以外の二人が防御の為の”屋根”を通路に入れました。


 そして勢いよく貴方を引き出した。ただ勢いよくは危険なことです。わたしが危ないと思った瞬間に”雷”のようなモノが貴方が出現した空間から飛び出しました。

*話末注あり


 それはわたしの一重しかない”屋根”をいとも簡単に撃ち抜くと、ハヤル・ボニトドを直撃しました。そしてハヤル・ボニトドは死んだのです。ほぼ即死でした」


「それはお気の毒としか…」


 エリーアスにしてみれば勝手に異世界であるリファニアに運ばれたのであるから、自分の命を救おうと急いでエリーアスを引っ張り出すために命を失ったと言われても感謝半ばという気持ちである。


「わたしが仕切っていたのだからハヤル・ボニトドへの”屋根”へ一人は戻れと言うべきでした。

 三人で引っ張り出せば勢いがつきすぎるのはわかっていた。そうなれば”雷”が誰かを害することも容易に想像できた」


 ジャブロ・バジャルは悔しそうに言った。


 ジャブロ・バジャルは今までエリーアスを見ると、素っ気ないような態度を取ることが多かった。


 またエリーアスはジャブロ・バジャルは自分に対してなにか意趣のある感情を持っていることを、エリーアスがリファニアに来てから得た漠然としてはいるが相対する人間が自分にどのような感情をもっているかがわかる能力で察していた。


 それがジャブロ・バジャルの言で、エリーアスと会っていれば忘れたくなる光景を思い出すからだとエリーアスはようやく理解した。



「貴方を勝手にリファニアにお招きして、更に私の願いを聞いていただこうという無礼をお詫びします」


 ヘファ・タブリタ神官はそう言うと深く頭を下げた。


 エリーアスはヘファ・タブリタ神官には正確には表現しがたい徳を感じていた。ヘファ・タブリタ神官の謝罪は真の謝罪であり、それまでエリーアスが受けたことのある謝罪が全て言い訳のように感じられた。


「貴方の力になれるかどうかなどわかりません。でも貴方の願いの一助になりたい。何故でしょう。貴方にはそう思わせる徳があります」


 しばらく沈黙してからエリーアスは断言するように言った。


「ヘファ・タブリタ神官は真にリファニアの宗教を救える唯一のお方です」


 ゼンド・ガガザレスがそう言うと、ヘファ・タブリタ神官に一礼をした。


「わたしに何を求めているのですか。貴方は”わたしは心の問題、信仰についての争いを無くしたい”と仰いました。それにわたしが何をどう手助けが出来るのでしょう」


 エリーアスは戸惑った。


「貴方は貴方が信仰する神の声を聞いたことがありますか」


「いいえ」


 ヘファ・タブリタ神官は微笑みながら問うた。エリーアスはリーレブルクの隠者シュタイベルトから同じ事を聞かれたことを思い出した。


「わたしも神々の声を聞いたことはありません。その神々への信仰を説く資格がわたしにはあるのでしょうか」


 ヘファ・タブリタ神官は今度は真剣な顔付きになった。


 このヘファ・タブリタ神官の言葉は、エリーアスも心の底に溜めていた想いであった。


「貴方は神を信仰しますか」


「はい」


 ヘファ・タブリタ神官の質問にエリーアスは力強く答えた。


「わたしも同じです。でもその信仰を他人に自信を持って語ることが出来ますか」


 今度はエリーアスは何も言えなかった。


 もちろんバイエルンで同じ事を問われたらすぐに「はい」と答えただろう。ただそれはそれ以外の返答は異端と断じられる恐れがあるからだ。


 ヘファ・タブリタ神官は静かに語り出した。


「信仰は押しつけではありません。また人を導こうなどとは神々の教えを聞くことも能わずそのご意志を知ることも出来ない者の放漫です。

 信仰に迷いながらも信仰を求める人々に寄り添える者にわたしはなりたいのです。そうした人々と迷いを共有したい。その為に余計なものは取り除きたい。


 太古の昔は神意を感じる者が祭祀を行い、伝えられた祭祀場を崇めました。それは広い地域で同じ信仰が広まり人々が信仰を通じて結ばれました。


 それは争いを避けるという意味ではよいことだったでしょう。


 しかし広い地域と大勢の人々の信仰を纏めていくには聖職者という人間が必要になりました。

 

 それでも初期の聖職者達は信者の為に己の財どころか命まで惜しまずに尽くしたことでしょう。


 しかし聖職者による組織、貴方の世界の教会のような者が組織されると、信仰よりもその組織が生き残っていくことに聖職者は傾注したのではないでしょうか。


 少なくともリファニアではそうです。


 今から四百年ほど前にヤンベルトという商人がいました。ヤンベルトはリファニアの北西にあるフィシュ州で砂金を集める事業をしていました。

*ヤンベルトの話は”第二十章 マツユキソウの溢れる小径 流れ行く千切れ雲35 砂金取り 上”で祐司がパーヴォットに語っています。


 ヤンベルトは借財で身を売った者達を集めては、阿漕な仕打ちで多くの金を採取して巨万の富を得ました。

 ところがヤンベルトはいくら金を集めても不安で仕方ありませんでした。自分の老後や家族のことを考えると今ある金でも不足と思ってしまったのです。


 ところがヤンベルトは莫大な富を集めて老年に至りましたが、妻に死なれたのを最初に子供、孫を次々に病気や怪我で失います。

 その度にヤンベルトは『かねは幾らでも出す。このような時の為にきんを集めていたのだ』と医者に言ったが役に立つことはありませんでした。


 ヤンベルトは親族の葬儀で神官に『死んだ者がすぐに”黄泉の国”に行くにはどれくらいの金を出せばいい』と訊きました。


 すると神官は『”黄泉の国”には現世の金は持っていけません。持って行けるのは死んだ者が積んできた徳だけです』と諭しました。


 すっかり身内を失ってしまったヤンベルトは数日神殿に日参して、生まれて始めて神々に心からどうすればいいのかを問いました。


すると神官は『神々はすでにあなたの心にそれを教えています。あなたは何をすべきか既に知っています。それを迷わずに行いなさい』と言いました。


 ヤンベルトはまず年季奉公人達の証文を焼却して全ての年季奉公者を解放しました。


 そして自分の財産から給金を出して元年季奉公者達を雇用して、ヤンベルトはフィシュ州北部にあった広大な荒地にブナやハシバミ、ボダイジュのような堅果をつける落葉広葉樹の実を播き、そしてそれらの苗木を自分も参加して植えたのです。


 この行いは十数年も続きましたが、さしものヤンベルトの財もほとんどが尽きたといいます。


 しかし豊かな森がフィシュ州に出現して、そこに村が出来たり、また多くの野生動物の住処となったのです。


 ヤンベルトはこの様子を見て『人にも野の動物や鳥にも多少は豊かな地を残せた。金は取ればなくなるが森はずっと自分で生きていくだろう。わたしは大地に徳を残せたと思う』と満足しながら死んだそうです。


 この話を聞いて何か思うところはあるでしょうか」


「本当の話ですか」


 ヘファ・タブリタ神官に問われたエリーアスは思わず訊いた。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)




「本当の話です。わたしは子の目でフィシュ州北部で”ヤンベルトの森”を見て、その森の端にある小さなヤンベルトの墓に詣でました」


「話の中で出てきた神官のような聖職者になりたいと思いました。ヤンベルトに直接あれこれと自分の考えを述べないで、ヤンベルトの心に働きかけて善ある心を自身の手で引き出させたことに感心します。

 

 もし同じ状況なら、わたしの知っている聖職者の中には”教会への寄進”を奨めてる者もいたと思います」


「その方は財をわたくしする為にそう言うのですか」


 今度はヘファ・タブリタ神官が訊いた。


「そのような輩がいないとは言い切れないのがお恥ずかしいですが、多くの聖職者は教会の財を増やしたいからです」


 エリーアスはヨーロッパにある巨大な教皇庁、教会及び修道院の財のことを思い浮かべた。

*話末注あり


「リファニアでも”宗教組織”はその組織を維持する為に神殿領を持っています。そこでは聖職者でありながら信者の要望に答えること無く荘園の監督のような仕事を専らにする者が大勢います。


 ヤンベルトのように個人であれば必要以上に現世で利を築くことのむなしさを感じて精神的な糧を得ようとする者はこれからも出るでしょう。


 しかし組織は人の寿命を越えて生きていきます。組織をより安全で強固なモノにしたいという意志は途切れること無く続いてしまいます。

 わたしは”宗教組織”を壊したいわけではありません。”宗教組織”があるおかげで多様な神への信仰が保証されているからです。


 方便として各種の祭礼には整った形が必要で、古より伝えられた詠唱は何らかの意味があるでしょう。

 それを争いのないように或る程度調整して統一した形にするのも宗教組織があってのことになります。


 わたしは”宗教組織”のそういった良き面を残しながら、分を超えて組織の為と称して利を得るような形を是正したいのです。

 それにはリファニア以外の知識と感性をお持ちの貴方の力が必要なのです。どうかわたしに力をお貸し下さい」


 ヘファ・タブリタ神官の願いに、もう元の世界には戻れそうもないと観念しつつあったエリーアスは取りあえずもう少し詳しい話しをヘファ・タブリタ神官に問うことにした。


「どういった形で助力を?」


「貴方には私の師としてゼンド・ガガザレス神官になっていただきたい」


 エリーアスがまったく想像していなかったことを、ヘファ・タブリタ神官は言った。


「え?」


 驚いた様子でゼンド・ガガザレスを見たエリーアスにゼンド・ガガザレスが半ば苦笑するような感じで答えた。


「このような姿ですが、わたしはチャヤヌー神殿所属の神官です。正確には巫術を担当する職能神官ですがわたしの巫術は子供だましで、まともなのは”感知術”だけです。

 ただ”屋根”は得意で異界からの通路から導き出す時には巫術師として引っ張り出されておりました。


 貴方はわたしを巫術師の頭目と思っていたかもしれませんが、わたしは職能神官の身分ですか、このボウラの街の神官職を任されているのです」



注:”いかづち”のようなもの

 祐司はエリーアスの子であるタブリタ大神官からエリーアス司祭の伝えた話を聞いて、巫術師ハヤル・ボニトドを死亡させた”いかづち”のようなモノの正体について以下のような仮説をたてました。


 おそらく”雷”のようなモノとは本当の雷と思われます。バイエルンにおいてエリーアスの直上に落下した雷はすぐに地中に逃げたのでは無く、リファニアとの通路が開いたことでエリーアスとその周辺の空気を帯電させたままジャブロ・バジャルらの言う通路に押し込みました。


 ただ通路は周囲には絶縁性、内部は帯電性がある一種のコンデンサーのような空間だと思われます。


 そして”屋根”はリファニアではおそらく陽電子であろう”雷”を弾く性質を持ったモノですから通常の電子は誘導することになります。

 これが”屋根”が通路に入った何モノかをリファニア世界に導くことになると思えます。


 そして或る程度、数秒でも時間をかければ電位差は徐々に緩和されますが、急激に現世世界からリファニア世界に何モノかを引っ張り出せば雷がリファニア世界を襲うことになってしまいます。


 それは”屋根”を直撃すれば”いかづち”が対消滅するのとは異なり、雷は中和されて見た目には文字通り弾かれることになります。ただし雷の電荷が勝っていれば”屋根”を突き抜けるでしょう。



注:教皇領・司教領・修道院領

 ”第二十一章 極北紀行 上 大神官タブリタの系譜9  三十年戦争 六 -スウェーデン戦争期-”の話末に”司教領”についての注がありますは、この注はそれをさらに補足するものになります。


 中世のカトリック教会が優越する西ヨーロッパには多くのカトリック教会関係の領地がありました。

 時代や地域で差がありますが13~14世紀頃には西ヨーロッパは国王・諸侯の封土が全体の6割、自由都市の統治範囲が1割、カトリック教会の統治地域が3割という割合でした。


 西ヨーロッパの三割などと言う支配地域を持った世俗権力者はいませんので、カトリック教会が最大の封建領主だったとも言えます。

 カトリック教会関係の封土は修道院が開墾した土地もありますが、多くは信者からの寄進によります。


 教会への寄進で有名なのは”ピピンの寄進”です。


 751年、カロリング家のピピンはフランク王国のメロヴィング朝の王を追放して自ら王位につきカロリング朝を創始します。

 同じ751年に北イタリアを支配していたゲルマン人のランゴバルド王国はアイストゥルフ王のもとでビザンツ帝国領のラヴェンナを攻撃しました。


 ラヴェンナ総督はその地を放棄したためランゴバルド王国はその周辺のローマ教皇支配地を含めて併合するとイタリア半島統一をめざしてローマに迫ります。


ローマ教皇ステファヌス2世から救援の要請を受けたピピンは756年、大軍を率いて再びアルプスを超えランゴバルド遠征を行います。

 この武力行使により、ランゴバルド王アイストゥルフはラヴェンナとその周辺を放棄しました。


 そしてピピンはランゴバルド王国から奪ったラヴェンナ地方とその周辺をローマ教皇に寄進しました。


 これが”ピピンの寄進”です。


 こうしてローマ教皇は中部イタリアに広大な領土を得ます。ただこれは諸刃の剣です。協会内での豊かな生活を保障してくれる教皇領を維持するために歴代の教皇は世俗領主と同様に世俗の抗争に巻き込まれていきます。



挿絵(By みてみん)




 こうした教会の封土は近代的な国家では無く世俗領主が経営したのと同様の荘園の集合体です。この荘園も時代により変化します。

 8世紀頃から登場する荘園は領主が直接経営を行う地主で農民は農奴であり1年間で150日くらいの賦役を領主直営地で強制されました。


 12世紀頃からは領主が直営地を放棄して農民に貸与して賦役労働はなくなり年貢として生産物や貨幣を地代として徴集する方法へ変化します。


 司教領や修道院領も内実はこのように変化します。さらに教会関係の封土の管理を下級貴族である騎士階級に委託することで次第に教会関係の封土ではあるものの、実際は独立性の強い貴族や騎士が支配する土地になります。


 16世紀の収去改革によって北部ドイツ地域ではプロテスタントに鞍替えする諸侯が現れますが、純粋に教義に惹かれたというよりプロテスタントに立てばカトリック教会関係の所領を併合出来るという利益がありました。

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