極北水道18 極北の探検者達 一 -イアハタキの伝説-
この話の途中からリファニア世界の極地探検の話になります。祐司とパーヴォットの冒険譚のみ読みたいという方は、この章の「極北水道22 極北神殿」へお進み下さい。
センバス号は”キクレックの瀬”の最北部である北キクレック海峡に入ったが、この海峡は長さが四十リーグ(約70キロ)であり、祐司とパーヴォットが朝食時にはすでに海峡に本格的に入り込んでいた。
そして夕食が終わった時に祐司とパーヴォットが再び甲板に出てみると、前方の海域が大きく東西に広がっていた。
センバス号が半日の航行で”北キクレック海峡”の北の出口に接近したのだ。
「あれが北極海だ」
祐司は前方の青さがひときわ目立つ海域を見て感慨深げに言った。
「エゼ・バンハルドもこの海峡を抜けて北極点まで行ったのですね」
パーヴォットも霞むような感じの薄い霧が覆う船の行く手を見ながら感慨深げに言った。
「そうです。エゼ・バンハルドの他にも極北の海域を明らかにしたルクフ・フォルデントらもこの海峡を越えて北極海に出たのです」
いつの間にか女性巫術師のバガサ・カリネルが祐司とパーヴォットの背後にやってきていて二人に声をかけた。
風はセンバス号を押すように南から吹いているので、風を操る巫術師はお休みといったところのようである。
カリネルの言ったエゼ・バルンハルドとルクフ・フォルデントは今から二百五十年程前に活躍したリファニア王立水軍に属した人物である。
リファニア王立水軍は中世段階の必要な時に編成される水軍ではなく、近世的な専門の水軍士官と兵士で構成された常備海軍である。
エゼ・バルンハルドとルクフ・フォルデントはようやくリファニア王立水軍が近世水軍としての成長期から充実期段階に入った王立水軍の艦長を拝命していた王家直参郷士だった。
この王立水軍所属のバルンハルドがおそらくリファニア世界で最初に北極点にまで達したのは当時の政治的な背景がある。
当時のリファニア王は第五十九代リファニア王トライデアである。
トライデア王の伯父にあたる第五十六代リファニア王マルナガンは従兄弟のトランテオン僭称王との”白狼の乱”に勝利して王位を獲得した。
ちなみに白狼は戦乱に勝利したマルナガン王側から見て叛乱軍の巨魁であるトランテオン僭称王の岳父イルコミット侯爵の家紋である。
この”白狼の乱”においてトランテオン僭称王を担ぐ南部最大の貴族領主イルコミット侯爵と彼に与力した南部の大貴族家は討伐された。
しかし地方にリファニア王の威光はマルナガン王に与力した貴族家を重んじたことで益々届かなくなり王家はリファニアの畿内であるホルメニアをなんとか保持しているという形勢が明らかになりつつあった。
これに輪をかけたのが摂政ベルババラントによって行われた政策である。
それは面積的に不利であってもホルメニア内の地方貴族の領地を王家に返納するかわりに、その貴族家に隣接する地方の王領を与えたことである。
これにより王家は地方領地のほとんどを失った。
摂政ベルバラントは第五十四代リファニアからみて曾孫にあたり王族ではあるが、影の薄い存在であった。
さらに実子マルナガンが”白狼の乱”によってリファニア王に即位しても表に出ることはなかったが、マルナガンが死去すると前王の実父、そして、王族の長老として政治の表に出て来た。
マルナガン王とその岳父ヤスカル伯爵は貴族領主に領地を返還させて、王家が任じる数年ほどの任期を持った太守として地方を統治させる中央集権化を考えていた。
しかしマルナガン王は自身の王位確保を決定づけた”グラニダニの戦い”の戦傷が元で統治二年目に死去する。
(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き ベムリーナ山地の秋霖5 史実グラニダニの戦い 下 参照)
岳父ヤスカル伯爵は”グラニダニの戦い”と同時期に行われた”ファヴァセルトの戦い”で討ち死にしていたのでリファニア王による全土統一という計画は水泡に帰した。
ベルバラントは実子マルナガン王やヤスカル伯爵が目指した野心的な政策ではなく現実的で中庸というそれまでの評判のような政治を行った。
その第一歩は血統の上ではより正当性のあったトランテオン僭称王とその血筋を否定して実子マルナガンによる血筋を正閏化することであった。
マルナガンは王の五世孫で王族の末端である。王家に近い要素はダレン王の二人の孫娘の内の一人マニーシャリー王女が妻で王都暮らしており王都貴族に顔がきくことだけである。
それに対して岳父イルミコット伯爵の領地で育ったトランテオン僭称王もダレン王の孫娘ゲルグレット王女が母であるが、彼女はマニーシャリー王女の姉で、年功も考慮されるリファニアではこれだけでマルナガン王より優位である。
そして父親はダレン王が異例の長寿の為に即位はできなかったが王太子バルガネンである。
バルガネンの祖父ジェルデルは第五十三代リファニア王バナバミルの長子で王太子であったが即位前に死去した。
そしてその子ヘルデドは第五十四代リファニア王シタファバの王女を妻としていたこともあり長寿であるが唯一の男子エルガバが即位前に死去したのでダレン王によって王太子にたてられた。
ヘルデドも即位前に死去したのでダレン王はその子バルガネンを王太子に立てた。
不幸にして三代続けてジェルデルの血筋は王太子になりながら即位以前に死去したが、長いダレン王の治世の間ジェルデルの血筋は王太子の一族と呼ばれてダレン王亡き後はリファニア王として即位することが当然視されていた。
しかしダレン王は晩年になり英明で王都に住んでいたために幼少の頃から接していたベルバラントの即位を考え始めていたので、バルガネンの子であるトランテオンには仮の王太子に立てただけで正式な王太子には立てずに死去した。
ダレン王は臨終にあたりマルナガンに王位を譲るという遺言だけを残して死去した。この遺言は王の臨終のさいに口頭で伝えられ文章にしたものにリファニア王のサインがあった。
臨終に立ち会った者は、マルナガンの母で王の孫娘マニーシャリ、そして、その夫のベルバラント、マルナガンの岳父にあたる宰相ヤスカル伯爵以下、三名の貴族にしか過ぎず最初から疑惑の目で見られていた。
王都貴族は見知ったマルナガンが王位につくことを支持したが、多くの地方貴族はマルナガンは正当な王位継承者トランテオンから王位の奪った王位簒奪者だと見なしていた。
負けたのでトランテオン僭称王を担いだイルミコット伯爵らは反逆者の汚名を着ることになったが、当時のイルミコット伯爵らは政治的経済的な利益を期待してはいたがそれ以上に大義は我等にありリファニアに正義を示すと本気で考えていた。
マルナガン王は唯一の正当なリファニア王として君臨したが、”白狼の乱”収束後もリファニア全土をリファニア王が統治するという自分の信念に反する行動をしなければならなかった。
まだ支持基盤が脆弱なマルナガン王は取りあえずは地方貴族の支持を繋ぎ止める為にイルミコット伯爵ら叛乱軍貴族領主の封土を王家に取り込むのではなく、マルナガン王に与力した貴族領主だけでなく日和見をしていたような貴族領主にも分け与えた。
トランテオン僭称王は当時ヘロタイニアに亡命していたが、もしリファニアに留まり我こそリファニア王だとして軍勢を募ればかなりの確率でリファニアが内戦状態になりトランテオン僭称王にも逆転の可能性があった。
ただトランテオン僭称王はその気概がなくむなしくヘロタイニアで死去してしまうが、これはマルナガン王陣営にとっては僥倖に過ぎなかったとベルバラントは正しく認識していた。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 王都の陽光2 ベルファネルの嵐 一 参照)
マルナガン王が即位後二年で死去してマルナガン王の子であるまだ幼児であるがガヴァザマ王が即位する。
ベルバラントが王の祖父として筆頭家老の地位について政治に表立って乗り出したきたのはこの時である。
ベルバラントにすれば実子にマルナガン王の死は父親としては悲しい出来事であったが、リファニア王家の安定からすれば好都合だった。
それはマルナガン王のリファニア王による全土統一という現状からすれば夢想的な政策が行われなくなったことと、リファニア王を父とするガヴァザマ王が即位したことである。
正当性を疑われる王であっても、その王の子は最も王に近い血筋の王であるので正当性が増すのである。
ところがガヴァザマ王は十歳で早世した。この時にベルバラントは自分の王族であり自分の妹の夫であるワェルスサウを王に指名した。
これは出来レースで、ワェルスサスは病気を理由にわずか半年で退位して、まだ幼少の子である甥にあたるトライデアを王に就けた。
これは疑義のある王の子でも王になれば正当性が増すという手法をベルバラントが再度使ったということである。
そしてベルバラントは幼いトライデア王の摂政となった。さらにベルバラントは自分の娘をトライデア王の王妃とすることで権力を固めた。
ベルバラントが地方貴族の支持を受ける、少なくとも王家に反旗を翻すことのないように前述したように一見王家に不利な領地の交換を行ったのは摂政になってからである。
具体的には半ば統治権を簒奪されている地方の広大な王領を諦めて実際に王家の統治が手堅く行えるホルメニア内に王領を集めたことである。
このために長らく摂政ベルバラントの評価は低いモノであったが、近年王家の勢力回復の目処がつきだしてからは非常に評価されている。
二百数十年ほどの時間を要したが、リファニア王による統一の為の種はベルバラントが撒いたと言える。
もしマルナガン王とヤスカル伯爵が自分達の考える政治体制を強行したとしたら、大規模な貴族領主の叛乱が起こっただろう。
そして日本史における”建武の新政”の失敗のような事例をリファニア史に提供しただろう。
現在、王都タチを中心に王領が形成されて、リファニア王家が封建領主として豊かな領地を持っているのはベルバラントの功績である。
そして、ベルバラントは軍事面でも改革を行った。近衛隊を王家直属の軍とするとともに、新しく常備軍である王立軍を発足させて王領防衛の要とした。
さらにベルバラントは自分が王の祖父として摂政になり権力を振るっていることの弊害を除く政策を自ら行った。
すなわち外戚の害を除く政策である。
マルナガン王の盟友であったヤスカル伯爵は、確かに王家に忠誠を誓い自家の領地の返納まで考えていたが、代々ヤスカル伯爵は王家と婚姻を結んで無視できない勢力を誇っていた。
この先、王を傀儡のようにあつかうヤスカル伯爵が出ないとも限らなかった。また、リファニアの歴史でも外戚が政治に容喙した例は多数あった。
ベルバラントが行った改革は、王ないし王太子の正妃は四つの王家に連なる公爵家の限るとして新しい公爵家を創立した。
その時にできた公爵家はワェルスサス王の弟を祖とするスコプス公爵家、トアイデア王の弟を祖とするヴァスラオン公爵家、それにトランテオン僭称王の系統だが、ダレン王の庶子の娘の血を引くマブラレン公爵家である。
特にマブラレン公爵家の創始は、二王が立って王族の間にも不穏な空気がいつまでもぬぐえなかったことに対して、トランテオン僭称王の系統でも王妃が出せることを示すことで王族全体の和解をはかるためには有効な方策だった。
ベルバラントの死後にトライデア王の子でありマブラレン公爵家の娘を正妃とするバスザラス王の弟がアスパルト公爵に任じられた。
現在でも王の正妃はスコプス公爵家、ヴァスラオン公爵家、マブラレン公爵家、アスパルト公爵家の四家からしか出せない。
この四公爵家は、リファニアの正式な貴族名ではないが、大公爵家(大公)と呼ばれて他の公爵とは区別されている。
また二代続けて同じ公爵家からは正妃は出せないことや、四公爵家の間では当主の三等親以内の者同士が婚姻してはいけないことなどが定められている。
そして万が一に王家の直系が絶えた場合は、四公爵家からリファニア王が選出され摂政も四大公爵家の当主に限られる。
現在モンデラーネ公がリファニア王に大公爵(大公)を要求しているのは、大公がこの摂政、最終的にはリファニア王へのスプリングボードであるという理由からである。
この四公爵家は家格は高いが領主としては極めて小規模で経費の大半は王家から支出され王都に居住している。
これによりこの二百数十年はリファニア王は外戚の害を阻止して内部抗争の種の一つから解放されている。
さてベルバラントはトライデア王が二十二歳の時に摂政を退いたが、前摂政という鵺的な役職でトライデア王を支えていく。
ベルバラントが行った政策の一つは武名も業績もないトライデア王の威光を高めることだった。
ただし地方に親征など行う大義も力もないので、ベルバラントが選んだのはリファニア北辺の探査と平定だった。
当時リファニア北方の北極海の彼方には北極を中心にしたイス人の呼称でイアタハキというかなり大きな島があると考えられていた。
このイアハタキにはかつてリファニア北部に住んでいた身長が七ピス(二.一メートル)ほどの勇猛な巨人族の末裔が狩猟民族として住んでいるとされていた。
イス人が大柄なのは巨人族と混血したのであると説明されており、イス人と交雑することをよしとしない好戦的な巨人族の者達はイアハタキに渡ったとされる。
(第十七章 霜を踏みゆく旅路 マルタンへの道程15 神々の国、クアリ州 -オッチャの防壁- 参照)
北極海に面した地域に住むイス人達は一年中海氷に覆われた永久流氷の海域にはほんの沿岸以外には足を踏み入れない。
この永久流氷の海域には周辺部以外は獲物がいないことと、永久流氷の彼方には好戦的な巨人族の住むイアハタキがあり彼等の領域を侵さないためであった。
*話末注あり
また現実的な問題として流氷をたどり陸地を離れて洋上に出た場合には目標物のない北極海で迷子になる恐れがある。
この為にイス人達が陸地が見えなくなるほど沖合に出ないことも北極点付近のことが知られていない理由の一つである。
ベルバラントはこの北極点付近の探査を行い、もし巨人族の住む地があるのなら彼等と接触して北辺の安全をより確実にすることをトライデア王の功績としようとしたのだ。
そして北極点付近の探査という当初は数隻の船を北極海に派遣して数年で終了すると思われていた事業の一応の終了をトライデア王が探査事業が宣言したのは二十七年後のことであった。
しかし北極海探査がトライデア王の名を高める一大事となることは策士で名高いベルバラントも予想していなかった。
注:イアハタキ
リファニア世界におけるイアハタキは祐司の世界のトゥーレに相当する伝説の島です。
ギリシャ人は極北の地をトゥーレと呼んでいました。この地は寒冷のあまり無人ともあるいは楽園であるともされていました。
リファニアのイアハタキは北極点にあるとされた陸地ですが、ヨーロッパ世界のトゥーレは北方の地ということでアイスランドやグリーンランドがそれに相当するとされたこともあります。
トゥーレという想像上の陸地には文明を持った人々が暮らしているとされていますが、元々はギリシャ神話に登場する北方の地に住むヒュペルボレイオス(Hyperboreios)人が起源です。
ヒュペルボレイオス(Hyperboreios)は北風(Boreas)の彼方(hyper)に住む人々という意味のギリシャ語です。
ちなみにアメリカ合衆国の作家クラーク・アシュトン・スミス(Clark Ashton Smith,1893~1961)が創造した架空世界ハイパーボリア (Hyperborea)、同じくアメリカ合衆国の作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft、1890~1937)の創造したクトゥルフ神話にもトゥーレもしくはヒュペルボレイオスという概念は取り入れられています。
さらにトゥーレはアメリカ合衆国の作家ロバート・アーヴィン・ハワード(Robert Ervin Howard、1906~1936)の英雄コナンが活躍するハイボリアにも取り入れられています。
ヨーロッパ文明ではトゥーレの名は時に姿を現します。
ゲーテの小説「ファウスト」の中でヒロインであるマルガレーテ(グレートヒェン)が口ずさむのは「トゥーレの王」という詩です。
1910年にグリーンランド北西の海岸はトゥーレと名づけられました。また現代グリーンランドのイヌイットの祖先民族は何も関連性はありませんがトゥーレ族と名付けられます。
南大西洋の南サンドウィッチ諸島にある最南端の三つの島は”地の果ての島”という理由から南トゥーレと名付けられています。
さらに1919年にドイツで結成されたトゥーレ協会は、トゥーレに住むヒュペルボレイオスがアーリア人の起源だと信じていた者達が結成したものです。
トゥーレ協会はドイツ人はアーリア人だとして反ユダヤ主義を標榜して初期のナチス党の勢力拡大に寄与しています。
祐司の世界の古代人から中世人、そしてリファニアの人々も漠然と北極には大陸か、もしくはそれ相応の面積がある島があると考えていました。
地球の地軸のある地点が陸地でないわけがないというような感覚なのでしょう。
リファニアにおけるイアハタキはヘロタイニア(ヨーロッパ)から移住していき人々が漠然と持っていた極北の地のイメージと、先住民イス人の伝承が元になって出来た北極点を中心に広がる陸地です。
一般に流布しているイアハタキは北極点を中心にしたリファニアの四分の一(約50万平方キロ)もある巨大な島です。
そしてイアハタキの周辺はブリザードが吹き荒れる永久流氷で囲まれており、その海岸部はすべて絶壁になっていると考えられたいました。
イアハタキの大部分は氷で閉ざされた地ですが、中核部には火山地帯があり地熱で地面が熱せられて農耕や放牧が出来る地域があるとされ、その中心にはムルクナムという都市があるとされています。
本文で説明されているようにイアハタキに住むのはかつてリファニア北部にいた巨人族の末裔です。
地熱地帯に住む巨人族は短い夏に農耕を行い、それ以外の地に住む者は狩猟を行っているとされていました。
またイアハタキの住民は冬眠するという伝承もあります。
巨人族は幾つかの部族に分かれていますが、いずれも好戦的であり自分達の最後の楽園であるイアハタキに近づく者は容赦なく排除するとされます。




