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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十一章 極北紀行
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極北水道16 詐病

 イェルケゼン神官が「キとはなんですか?」と訊いてきたので祐司は手短に説明を始めた。


「”気”というのは考え方ですね。自然の現象、体の外にあるもの、主に大気の流れや海の干満といったものは人間の活動と結びついています。


 分かり易いものでは血です。血は血管を巡ることで栄養分や大気の精気を運んで体を維持しています。

 この血管が切断されたり圧迫されてしまうと、血は巡らなくなり最悪の場合は命を失ってしまいます。


 血を通す血管の他に五感を伝えたり体を動かす為の神経があります。神経が具体的に何を伝えているかはまだわかっていませんが、わたしはそれを仮に”気”と呼んでいるのです。


 時のこの”気”が乱れたりうまく通じなかったりします。丁度、用水が詰まって水の流れが阻害されるような感じです。

 すると身体に異変が起こり、それが精神にも悪い影響を与えます。わたしはその”気”の流れを時に正すコツを持っています。


 ただそれは特別の条件が揃った場合にようやく出来るといった程度のモノでしかありません。


 ただ効果が不確かなだけにより悪化するというようなことはまずありません。


 そしてこのようなあやふやな術が喧伝されてわたしに治療を頼みたいという人が出てくると責任が持てない上に正直迷惑をします。ですから今からわたしが行うことは口外しないようにお願いいたします」


 祐司自体は”気”というものの存在を信じているわけではなく、相手に触り巫術の根ネルギーを吸い取ったり場合によっては注入する方便として使用している。


 祐司は”気”を操るという術に対しては、精神的な効果はあるだろうがそれ以上のモノでは無いと思っているので、リファニアに迷信的な術を残さないために”気”を実在する神経伝達を行う電気信号に擬した。

*話末注あり


「兎も角、実害がないのなら何もしないというのも愚かな選択だと思えます。どうかジャギール・ユウジ殿、その”キ”の調整を試みてもらえますか」


 イェルケゼン神官が確定したというような言い方をしたので、祐司とパーヴォットは立ち上がった。


「大人数で押しかけるとヴォーナ・ルチバルド修道神官が恐れてしまいます。ここはジャギール・ユウジ殿と一番ヴォーナ・ルチバルド修道神官が心を開いている妻のミラベリ-ナだけで部屋に入って貰いましょう」


「あのー、暴れたりして危険なことはありませんか」


 パーヴォットが心配げに訊いた。


「大丈夫です。部屋の中には常に屈強な船員が見張っています。それに武芸に優れたジャギール・ユウジ殿がいれば問題ないでしょう」


「それはそうですが」


 イェルケゼン神官はひょうひょうとした口調だが、それでもパーヴォットは自分がふと口に出したことから事が始まっているので万が一祐司に何事かあれば心配だという感じだった。


「廊下ではわたしとギューバン・ハルトムート殿が見張っていましょう。よろしいですかギューバン・ハルトムートさん?」


 イェルケゼン神官は王家直参郷士のハルトムートに声をかけた。


 祐司はイェルケゼン神官が聖職者らしからぬ強引な性格だと呆れてしまった。


「それは構わない」


 ハルトムートは少し前のめりな感じで答えた。


 尚武の気質の強いリファニアで、安全の為に郷士が聖職者から助力を頼まれては断るという選択肢はない。


「では、マトヴェイ船長に許可を取ってきますのでお待ち下さい」


 そう言ってイェルケゼン神官は食堂から出て行った。



 数分ほどしてマトヴェイ船長とイェルケゼン神官が戻ってきた。


「話はわかりました。船内でのことは全てわたしに責任があります。ですからわたしも船室内の見張りをします。

 それからギューバン・ハルトムート殿は船外に出る階段で見張りをお願いします。廊下の見張りは二人の船員が行います。


 これはギューバン・ハルトムート殿の技量を低く見ているわけではなく乗客の安全を図るのが船長の役目とご理解下さい」


 マトヴェイ船長は最後にハルトムートの目を見て言った。


 郷士のハルトムートにすれば面子があるので、それを立てる必要がマトヴェイ船長にはあったようだった。


「ジャギール・ユウジ殿、何か準備は必要ですか」


 イェルケゼン神官が祐司に訊いた。


「何もいりません。ただもう一度言っておきますが、わたしの行う”気”の調整はあやふやな術です。

 むしろ何も変化が起こらない方が確立が高いでしょう。それを再度認識していただきたく存じます」


「承知しました。では、よろしくお願いします」


 祐司の言葉が終わるとイェルケゼン神官はそう言って少し頭を下げた。


 マトヴェイ船長、イェルケゼン神官の妻ミラベリ-ナ神官、祐司の順に食堂を出た。ヴォーナ・ルチバルド修道神官の部屋は食堂から一番遠い同乗者用船室である。


 ただヴォーナ・ルチバルド修道神官は現在は船の後部にある幹部用船室の一角にある施錠できる監禁室とでもいえる部屋に移されているので、祐司達は下甲板後方の船倉を通り抜けてヴォーナ・ルチバルド修道神官のいる部屋に辿りついた。



挿絵(By みてみん)




 船室には閂がしてあり、その前で船員が一人椅子に座っていた。


「いつの間に部屋を変えたんですか」


 祐司はてっきりヴォーナ・ルチバルド修道神官は自室に監禁されていると思っていたのでマトヴェイ船長に訊いた。


「昨夜です。元のヴォーナ・ルチバルド修道神官の部屋で監禁する場合は中で一人の船員を見張りにおいてなおかつ廊下も警戒しなくてはなりません。

 ですがそう潤沢に船員がいるわけでもないし、見張りという仕事は余計な仕事なので人手を節約しました。


 何より部屋でヴォーナ・ルチバルド修道神官と二人でいるのはあまりに船員の気持ちの面での負担が大きい。


 見ての通りこの部屋は外から閉鎖できます。またドアに覗き窓があるので外から見ることが出来ます」


「そんな部屋があったのですね」


 マトヴェイ船長の説明にミラベリ-ナ神官が驚いた様に言う。


「ここは本当は予備の同乗者室です。ただ伝染病の疑いが出た場合や、あってはならないことですが不法な行いをした者が出た時に監禁できるようになっています。

 ですから外から施錠できますし、覗き穴で室内を見張ることが出来る仕掛けになっています。


 また椅子式の便座もありますから、排泄の度に見張りをつけて部屋の外に出すことも必要もありません」


 マトヴェイ船長は淡々とした口調で説明した。


「かわりはないか」


 マトヴェイ船長は椅子から立ち上がっていた船員に訊いた。


「はい。ずっとベッドに入っています。朝食は半分ほど食べました」


「何か話したか?」


「いいえ、怯えた感じで口はききません」


 祐司はセンバス号がワウナキト神殿所属の船で神人を中心に運航されていることからあらためて船員の丁寧な口調に感心した。


 マトヴェイ船長は覗き窓から中の様子を見ると、口に右手の人差し指を当ててしゃべらないようにと注意を促すと祐司とミラベーナ神官に中を覗かせた。

ヴォーナ・ルチバルド修道神官は胸まで毛布をかけて目を開けたまま天井を見つめるように上を向いて寝ていた。 


「開けてくれ。これから三人で中に入る。入ったら閂を降ろして様子を見ていてくれ」


 マトヴェイ船長の指示で船員は閂を引き抜いて、祐司、マトヴェイ船長、ミラベリ-ナ神官が船室に入った。


 部屋は祐司とパーヴォットが使っている二人部屋よりも広く、そこにベッドが一つだけ置かれていた。

 祐司はマトヴェイ船長が予備の同乗者船室といったが、高位聖職者などの為に用意されてものだろうと思った。


 覗き窓から見た時はヴォーナ・ルチバルド修道神官は毛布を胸までしか掛けていなかったが、人が室内に入る気配を察したのか頭まですっぽり毛布を被って横向きになっていた。


「ヴォーナ・ルチバルド修道神官、ミラベーナです。ご気分はどうですか」


 ミラベーナ神官が優しげな口調で声をかけた。


「悪いです。出て行って下さい」


 ヴォーナ・ルチバルド修道神官はようよう聞けるような小さな声で返した。


「悪いのなら治療が出来る人がいますのでよくなるように術を施して貰いましょう」


 ミラベーナ神官がヴォーナ・ルチバルド修道神官の返事を見透かしたように言う。


「術?巫術ならいいです」


 ヴォーナ・ルチバルド修道神官が”治療”と”術”という単語から巫術という言葉を使用したのはリファニアの巫術は医療の分野でも用いられるからである。


 医師が的確な診断をしていれば金属や石材を強化する”激成術”を応用させて超音波で腸閉塞の解消、各種の結石を破壊して体外に排斥させる事が出来る。

 また特に優秀な術を操る巫術師であれば癌組織に打撃を与えて病状を改善させることさえ出来る。


 祐司は今までヴォーナ・ルチバルド修道神官を間近でゆっくり見る機会がなかった。ヴォーナ・ルチバルド修道神官を間近で見て、彼が発する巫術のエネルギーによる光を見ると多少過剰と思える程の光が体から出ていた。


 そしてその光が示すヴォーナ・ルチバルド修道神官の感情は予想した恐怖ではなく不安であった。

 そしてやや彼が発する巫術のエネルギーによる光が多少乱れていることから自分でそれを押さえようと努力しているのだと判断した。


 祐司はヴォーナ・ルチバルド修道神官は巫術のエネルギーを溜め込みすぎてそれが精神にも変調をきたしている可能性があると判断していたがそれは誤りであることに気が付いた。


 巫術のエネルギーによっての異常なら体内から巫術のエネルギーを吸い出したり、また注ぎ込む事の出来る祐司が治療できる可能性がある。 


 しかしヴォーナ・ルチバルド修道神官が発する巫術のエネルギーによる光はやや大目とはいえ正常の範囲である。


 祐司はヴォーナ・ルチバルド修道神官は不安症といった病的な状態ではなく、そう見せるように行動していると判断した。


 すなわちヴォーナ・ルチバルド修道神官は詐病である。


「ひょっとしたら或る程度効果があるかもしれません。ダメ元でします。”気”の調整の為に指圧をします」


 祐司はそう言いながらヴォーナ・ルチバルド修道神官が抵抗する隙を与えないように、素早く毛布の中に両手を差し込み右手でヴォーナ・ルチバルド修道神官の首筋、左手で右肩を押さえた。


 祐司は本来は優秀な聖職者であろうヴォーナ・ルチバルド修道神官が詐病という行為をするのは深い事情があるのだろうと思い、その詐病につき合うことにした。


「わたしはジャギール・ユウジです。動かないで。危ないですよ」


 祐司のこの一言にヴォーナ・ルチバルド修道神官は体を硬くして動かなくなった。


 祐司は右手に隠し持った日本から持って来た水晶をヴォーナ・ルチバルド修道神官の体に当ててやや過剰と思える巫術のエネルギーを吸い取った。


「御気分はどうですか?」


 ヴォーナ・ルチバルド修道神官が発する巫術のエネルギーによる光はかなり薄れているとともに不安な気持ちも薄らいで来たことを祐司は見て取ってから声をかけた。  


「落ち着きました」


 祐司がヴォーナ・ルチバルド修道神官の体から手を離してしばらくすると、彼はか細い声で言った。


「眠りたいです」


 ヴォーナ・ルチバルド修道神官はそう言うとしばらくして寝息を立てだした。ただ

それは寝たふりであることを祐司はヴォーナ・ルチバルド修道神官が発する巫術のエネルギーによる光からわかていたが指摘することはなかった。


 ミラベリ-ナ神官が手で合図して全員を部屋の外へ出した。


「寝ているが見張りは怠らないように」


 マトヴェイ船長が部屋の外で待っていた見張り役の船員に言った。


「どうして急に眠り込んでしまったのでしょう」


「昨夜見張りをしていた者の報告ではヴォーナ・ルチバルド修道神官は感情が高ぶったような感じでほとんど一睡もしていなかったそうです。

 どうもジャギール・ユウジ殿の治療で多少は落ち着いて、睡魔に襲われたのでしょう。いい傾向だと思います」


 ミラベーナ神官が訊くとマトヴェイ船長が解説するように言った。



注:気功

 ”気”の調整を行う気功は中医学の経絡理論による民間治療法です。血や栄養分とともに”気”が体内にある経絡と呼ばれる通り道を循環すると考えてその調整を行う治療です。


 ただし現在医学では血の通り道である血管、リンパの通り道であるリンパ管、電気信号の伝達で感覚を伝え筋肉を動かす神経を見いだしていても”気”の通り道は見いだされていません。


 また”気”という存在は科学的な認定もされていません。


 祐司は自分で方便として”気”を使っているだけで、自分が信じていない”気”がリファニア世界に伝わってしまうことを恐れているので、神経という実在が確かなモノに”気”が通じると説明しており、本来の”気”の通り道である経絡があるという概念を出さないようにしています。

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