黒い嵐4 シスネロスの戦い 四
ランブル市参事が市民代表として、晴れがましい思いに浸っていたころ、ドノバ候以下、交渉派市参事達、そして、傭兵隊のディンケ司令は市庁舎のドノバ候控え室に集まっていた。
彼らは今日、市庁舎と市門にある会議室で行われたシスネロスの戦いの勝者だった。そして、敗者は戦いが行われたことも、自分が敗者になったことも明確には認識していなかった。
「ランブル市民代表も、今や自分のお膝元でこのような会合が開かれているとは想像だにしてないだろうな」
ドノバ候は出席者が全て揃ったのを確認すると笑いながら言った。
その場には、ドノバ候家宰であり、ドノバ候の知恵袋であるバナゾ・チェレス、ハタレン市長、市参事の重鎮ルヴァルド市参事、直轄地の代表アズエイ市参事、財務担当にドストレーム市参事、傭兵隊のディンケ司令、新しい顔として外交担当のハシット市参事がいた。
ブロムク司令も参加予定だったが、軍の司令官が二人とも見当たらないのは不自然なのと、市民軍の雑用で忙殺されていたため出席できなかった。
「楽しそうで御座いますね」
チェレス家宰が、低い声でドノバ候の後ろから言った。
「ワシは謀議が好きなのだ」
ドノバ候は、ますます嬉しそうに言った。
「これで、こちらの目論見通り野戦ということになりました」
ディンケ司令が、実質的な話を始めるために口火を切った。
「くれぐれも負けない戦いをお願いする。市民に戦いは絵空事や、芝居ではないことを知らせてくれればいい。真にドノバ州の力を結集しなければ生き残れない時代がやってきたことがわかるようにだ」
ドノバ候はディンケ司令に半ば頼むような口調で言った。
「あまり、ディンケ司令に圧力をかけて、萎縮されても困ります」
チェレス家宰がドノバ候をたしなめた。
「まあ、野戦が予想以上の負けになって、籠城になってもモンデラーネ公がシスネロスを囲んでいられるのは数日だろう。包囲したことで、勝利を宣言するだろう」
ドノバ候は、チェレス家宰になぜか頭が上がらないらしく、神妙に言った。
「皆さんご存知のように、籠城になっても一切合切の食糧で半年は確保できます。多少節約すれば八ヶ月は大丈夫でしょう。
古のシスネロス籠城と比べて心もとなければ、トムスの倉庫に二ヶ月程度の備蓄があります」
ハタレン市長は、一同に確認するように言った。トムスとは、シスネロス直轄地南部の食糧物資の集積都市である。
ランブル市参事には、備蓄食糧は百日弱とハタレン市長は言ったが、それは、市の備蓄食糧と大商人が、緊急時に市へ販売を委託する食糧を合わせたものだった。
実際は中小の商人や家庭での備蓄が、最低二ヶ月分は在るはずだった。また、アハヌ神殿には、奉納物として穀物や乾物が蓄えられていた。
この奉納された食糧は、神官の消費量を上回る。そのため、時々貧窮者への炊き出しが行われ、更に余った分は売却されて神殿の維持費になっていた。
アハヌ神での備蓄量だけで一ヶ月ほどの穀物があることは、ハタレン市長は、アハヌ神殿の主席神官であるスヴェンエリク神官長から聞いていた。
このシスネロス市内の食糧に関する資料はランブル市参事にも渡してあったが、樹皮紙の粗末な書類に、非常にわかりにくく書かれており、シスネロス市庁舎内で使用される専門用語で溢れていた。
その資料も、望外なことに行方不明になっている。そのため、ランブル市参事はハタレン市長の言ったことをもとに考えるしかなかったという代物である。
「トムスも自分の所までモンデラーネ公軍が押し寄せまいかとビクビクしている。食糧を持ち出すのはいい顔をしないだろう」
ドノバ候は真面目な顔で言った。ドノバ候はドノバ州全体の太守であり、シスネロス至上ではなかった。
「いざとなったら、農村地帯の備蓄食糧を少しずつ集めて船で運び込ませましょう。リヴォン川もモサメデス川も我々の物です」
ドストレーム市参事が結論じみたことを言った。
「水運と水軍を任せたダネル市参事は意外と使える男だったな。本格的な水軍を組織するには適任者かもしれない」
ドノバ候は、本格的にダネル市参事を自分の陣営に引き込むことを考えていた。
「まあ、それは先の話でございます。この戦いを、しのがねばモンデラーネ公の水軍を作る手助けをするはめになります」
それを聞いたチェレス家宰は、また、ドノバ候を諫めた。ドノバ候は、軽く頷くと、ルヴァルド市参事に礼を言った。
「食糧のことに関しては、ルヴァルド市参事以下穀物商が私財を出してのシスネロスへの奉仕を感謝する」
モンデラーネ公よりの不遜な手紙が届き、戦争の可能性が出て来た段階で、ルヴァルド市参事らの大手穀物商は、リヴォン・ノセ州の領主や商人から、相場よりも幾分高い価格で穀物を買い漁っていた。
領主は穀物を年貢として集めるが、中世的な世界とはいえ、貨幣経済がある程度発達したリファニアではそれを売却して、初めて意味のある収入になった。
穀物が高く買ってもらえるとなると、戦時に備えて食糧備蓄に心がけるのが領主の努めという古よりの言い伝えがあっても、領主の自制心は揺らぐ。
今年は春先の気候が、昨年よりは穏やかであったので、去年以上の収穫を見越して備蓄してあった食糧の売却に多くの領主が乗ってきた。特に慢性的に困窮している小規模な領主ほどその傾向は強かった。
「いいえ、戦いが終わって収穫が見込み通りならリヴォン・ノセ州を含めて、近隣の州に売却しますから損はいたしません。収穫前で近隣の州は、かなり困窮しているようですから。戦争も利用すれば儲けがでます」
ルヴァルド市参事は腹黒いことを吐露した。最もこの席で、それを非難すべきことと思うような人間はいない。誰もが後先を考えないリヴォン・ノセ州領主の責任だと割り切っていた。
「不作と言っても、自分で食べる食糧が確保できている、我がドノバ州の豊かな地味には感謝してもしきれないな」
ドノバ候は、しみじみと言った。
「リヴォン・ノセ州の民は気の毒です。自分達の売った穀物を、売値より高く買うことになります」
ビルケンシュト市参事の代わりに急遽、外交担当になったハシット市参事が心底気の毒そうに言った。そして、外交上の情報も付け加えた。その言葉には感慨はなかった。
「モンデラーネ公の徴発が予想以上でしたから。戦分以上に自領へも穀物を運ばせているようです」
「リヴォン・ノセ州の状況を知れば知るほど、モンデラーネ公の傘下に収まることはできません。
ここは苦しくても商売抜きに頑張る所です。シスネロスがあってこそ、我々の自由な商売ができるというものです。経済的な独立無くして独立自治は達成できません」
いつも冷静なドストレーム市参事が、ちょっと憤慨したように言った。ルヴァルド市参事は、反対に冷静な口調でしゃべり始めた。
「昔のように、”ドノバが中央盆地の腹を満たす”と言うほどの余力はないのです。何とか備蓄食糧を掻き集めれば、今年はしのげても来年以降は綱渡りになります。
他に穀物を売ってという上手い儲け話など吹っ飛びます。金がなければ独立自治と口で言い張っても相手にもされません。
絶対にモンデラーネ公が収穫時期まで居座って、食糧を収奪するような事態も、青田に火をかけられるような事も防がねばなりません」
ルヴァルド市参事の本業は息子達に経営を委ねているとはいえ穀物商である。モンデラーネ公による収奪は、大きな痛手になる。
多少の犠牲を伴っても短期決戦の野戦で、モンデラーネ公軍をドノバ州から駆逐して欲しいのが本音である。
このシスネロスの穀物商達の利権保護が、今回の野戦を決意させた要因の一つであることは、出席者の誰もが知っている。ただ、そのことを公に口にはすることはなかった。
「面白い物が手に入りました」
少し話が切れたところで、ディンケ司令が手紙のような物を取り出した。
「なんだ。祐筆が書いたような丁寧な文字だな」
ドノバ候はディンケ司令が直接手渡した手紙をそう言いながら読み出した。ディンケ司令は、ハタレン市長とドストレーム市参事にも同じような手紙を渡した。
「この手紙の宛先はランブル市参事。写しを二部作りましたから、内容は回し読みしてください」
しばらく、部屋には三枚綴りの手紙を動かす音だけがした。
「内容は通り一辺倒だな」
手紙を読んだドノバ候は味気なく言った。
「ドノバ州の領主達に出した書状と大同小異です」
ハタレン市長は特に感情もなく言った。
モンデラーネ公はドノバ州の領主にも、同様の手紙を出していた。内容は挨拶のような内容であったが、領主達はドノバ候へ、その手紙を差し出していた。
「ほう、モンデラーネの懐刀と言うシュテインリット男爵の署名があるな。おや、最後に大仰な著名があるぞ」
ドノバ候はそう言うと、手紙を机の上に置いた。
「モンデラーネ公の著名です。ドノバ州領主の手紙にもありました」
手紙の著名を見たハシット市参事が言った。
「ランブル市参事は領主と同格ということか」
ドストレーム市参事が皮肉っぽく言った。
「ビルケンシュト市参事の家を襲った暴徒が持っておりました。警備担当の長が直接、わたしに持ってきました。この手紙の存在は、警備担当の長しか知りません。すでに、口止めをしております」
全員が手紙を読み終えてのを確認すると、ディンケ司令が経緯を説明した。
「この手紙はビルケンシュト市参事の家にあったということか?」
ハタレン市長がディンケ司令にたずねた。
「はい、調査の結果、真に大事な書状は盗まれておりません。ビルケンシュト市参事が地下の秘密の場所に隠しておりました。今は奥方よりそれを預かりハシット市参事に渡しました」
ディンケ司令に続いてハシット市参事が、あわてて言い添えた。
「自宅で厳重に保管しております。侵入者にもおいそれとは見つかりません。また、普通の火事ぐらいでは焼けません」
「外交はビルケンシュト市参事の個人技に任せていたからな。これからは、ちゃんとした部署を作らねばならないな」
ハタレン市長が言ったことに、ハシット市参事は慌てて言葉をつないだ。
「そうして貰うと助かります」
「思い出しました。領主らが差し出してきた書状を吟味して市参事会で、ビルケンシュト市参事が、同様の手紙が市参事にも来たら、わたしに報告して欲しいと言っておりました。 まさか、一介の市参事、その上、平民にまで書状を出してくるとは予想しておりませんので聞き流しておりました」
ドストレーム市参事が記憶をたどるようにして言う。
「交渉ごとの細かなことはビルケンシュト市参事にまかせしておったから子細まではわからぬが、市参事に調略の手が及んでいるとは聞いておりました」
ハタレン市長がドノバ候に言った。
「ランブル市参事も表ではあれこれ言っても、ビルケンシュト市参事を信頼しておりましたから、この手紙が来たことで相談に行ったのかもしれません」
ドストレーム市参事が言ったことに、ディンケ司令が説明を加えた。
「奥方の証言で、ビルケンシュト市参事が殺される四日前に、ランブル市参事が訪問したそうです。一刻ほど、話をして帰ったそうです」
「日付からみて、貰ったその日くらいに相談に行ったのだろう。ビルケンシュト市参事は手紙を預かった。何か聞いておったか」
ドノバ候がハシット市参事にたずねた。
「はい、聞いております。ランブル市参事にまで調略じみた書状が届いておると」
ハシット市参事は今度も慌てたように言った。
「しかし、ビルケンシュト市参事も大切な書状のありかは奥方には言っておったのだな」
ドノバ候の独り言のような言葉に、ディンケ司令が反応した。
「そのことはつきましては、”いいえ”と、”はい”でございます」
「不思議な言い方だな」
ハタレン市長が小首を傾げながら言った。
「実は、ビルケンシュト市参事は非業の最期をとげる前日に、急に自分が死んだら地下室にある戸棚に大切な書状が隠してあるから、ハシット市参事に届けるようにと奥方に、言ったそうです」
ディンケ司令が、不思議な言い方の理由を説明した。
「その話を聞くと痛ましいな。ビルケンシュト市参事は自分の最後を予期したようだ」
個人的にも貴族であるビルケンシュト市参事と親しかったドノバ候が、ふっと、ため息をついてから言った。
「何故、ランブル市参事への手紙を持っているなら我々へ報告がなかったのだ?」
ドストレーム市参事が不審げに言った。
「もう詳しいことは、ビルケンシュト市参事からは聞けませんが、ビルケンシュト市参事は自分を頼ってきた人物を、弱みにつけ込んでどうこうしようという人間ではありませんでした」
ハシット市参事は、外交という専門職にありながら私生活では、表裏のなかったビルケンシュト市参事を庇うように言った。
「それは、認めるが、ただし、その美徳が発揮されるのはビルケンシュト市参事が個人でつき合う人間に対してだろう。外交上の問題があれば親でも利用するだろう」
ドストレーム市参事は、ハシット市参事の意見に異を唱えた。
「まあ、内容が大したものではなく、挨拶みたいなものだから、ビルケンシュト市参事も大して気にしていなかったのか。それとも、この手紙を足がかりにしてランブル市参事を説得しようとしたのか」
ハタレン市長も、真相を見極められないため、独り言のように言った。
ビルケンシュト市参事が手紙を市参事会に報告しなかった。ましてや、交渉派市参事にも報告しなかったことについては、全員が推測の域からは出なかった。
今更、詮索は無駄だと感じたアズエイ市参事が久しぶりに口を開いた。
「この手紙が、隠し場所になかったのは何故だ」
「大したものではなかったからか。直前に訪れていたモンデラーネ公の裏使者との話し合いで見せたかだな」
ハタレン市長が言う。
「後者の可能性が高いと思います。いくら個別に書状を出してもこちらは全てを把握しているとでも言ったのでしょう」
ハシット市参事は、今度は私情を差し挟まずに言った。
「ビルケンシュト市参事は、殺されたときは急いで屋敷を出て市参事会に行こうとしていました。それで、手紙を元の場所に戻さなかったのだろうと思われます」
ディンケ司令が状況の補足説明を行った。
「これは、出し時が大事だな」
考え込んでいたドノバ候は、後ろの椅子に座っているチェレス家宰を一瞥してから言った。
「このままでは面白くありません。通り一遍の文章です。でも、二枚目がなければどうでしょう」
チェレス家宰が、言ったことに全員が顔を見合わせた。
「どういうことですか」
ハタレン市長が、全員の疑問を代表して聞いた。
「一枚目の終わりの文章が、市参事会でも当方の意向を伝えて欲しいとあります。そして二枚目の大半はランブル市参事への当たり障りのない文章です。
全体として読めば面白くありません。ところが二枚目を抜くと、二枚目の最後に書いてある、ランブル市参事と直接会えれば故郷の特産である杏酒を手土産として差し上げたいという文章に続いて、三枚目の最初に、手土産を楽しみにして頂きたいとあります」
チェレス家宰は、机の上に三枚の手紙を並べて説明した。そして二枚目の手紙を脇にやって、一枚目と三枚目を並べた。
「一枚目と三枚目を直接繋ぐと、市参事会で便宜を図ってくれれば手土産をやろうという文章になります」
「二枚目はないことにしよう」
ドノバ候の一言で、会議は終わった。




