極北水道12 同乗者
祐司とパーヴォットはナベゼ・フェルトルド神官夫妻が船室を開けてくれたのでようやくセンバス号へ乗船出来ることになった。
*話末注あり
センバス号への荷の積み込みが終わった船員がマトヴェイ船長の指示で祐司とパーヴォットの荷を運んで、航海士のヴァルラモが二人を船室まで案内してくれた。
センバス号は後部と船の中央部、そして船首近くに高さが一尋ほどのボックス型の出っ張りがありそこが船内への出入り口になっていた。
特に後部の出っ張りは大きく上部は手すりで囲んであり、さらに簡単な囲いで覆われた舵輪があったので指揮所という感じだった。
祐司とパーヴォットが案内された船室は甲板中央部のすぐ直下の右舷にあって、五から六畳ほどの部屋であるが小さいながら引き上げ窓がついており室内はそれなりに明るかった。
船室内は壁際に船体に沿った形で作り付けの二段ベッドと荷物を入れる木箱があるだけだった。
木箱はテーブル代わりになりそうだが何か作業するならベッドを椅子にするようだった。
室内では船員がベッドメイキングの作業をしており、祐司とパーヴォットに「ベッドの敷布と毛布は取り替えてますから、どうぞ」といって船室に招き入れた。
「こちらがジャギール・ユウジ殿の部屋で左がパーヴォットさんの部屋です。見ての通り二人で使えますが、今は船室が余っています。
同乗者の皆さんには御夫婦の場合は一部屋を使って貰っています。が、それはここより広い船室になります。
ここは狭いのでジャギール・ユウジ殿とパーヴォットさんは一人一部屋という割り当てにしました」
言外にセンバス号は神殿所属船なので、船内で男女の営みは遠慮して欲しいというヴァルラモの意思が祐司には読み取れた。
「幹部と同乗者の便所は廊下の突き当たりの左側です。前部にも便所はありますがそこは船員用となります。
そこも使って貰ってもいいですが、人数割りで便所の配分をしていますので、余程でなければ後部の便所を使って下さい。
ところで船の便所は使用したことがありますか?」
ヴァルラモが祐司とパーヴォットに訊いた。
「はい。王立水軍の軍船と輸送艦で使いました。船の横に出ていて穴からそのまま下に落ちるやつでしょうか」
パーヴォットが返事をした。
パーヴォットは王都に到着した直後に王都見物で、リファニア王立水軍の軍船フレヌバ号を見学したがその時にフレヌバ号の便所を使った。
またマルトニアへの航海で王立水軍の輸送艦フェアズ号に乗船して洋上で同様の便所を洋上で使用した。
(第八章 花咲き、花散る王都タチ 王都の熱い秋21 リファニア王立水軍 下 参照)
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 春の女神セルピナ2 マルトニアへの航海 ニ -輸送船フェアズ号- 参照)
リファニア船の便所は海に突き出るような位置にあり、排泄物はそのまま海に流してしまうという構造である。
「そうです。ただ荒れるとフタをしっかりしますので、その時は備え付けのオマルを利用して自分で海に捨てて下さい。
あっては大変なので先に言っておきますが、オマルを使うのはかなり荒れてる状態ですから、時にオマルの中身を船内でぶちまけてしまうことがあります。
そうなると身分のある方でも自分で後始末をしてもらうことになります。そうならないようにオマルを甲板に運ぶときはしっかりフタをした上で、手間を惜しまずに番所にあるロープでフタを縛り付けて下さい。
そして甲板に出たらオマルにロープを通す穴があるので、今度はそのロープをオマルに結んで海の中に放り投げてよく洗って下さい。
くれぐれもロープを浅く結んだだけにしてオマルを流してしまわないようにお願いします。わからなかったり自信が無い時は遠慮せずに近くにいる船員に訊いて下さい」
祐司はヴァルラモからそう説明されて、輸送艦フェアズ号の便所にもオマルが置いてあったことを思い出した。
ただマルトニアへの航路ではそう荒れることはなかったので、オマルを使用することはなかった。
「便所は大丈夫だと思います。洗面とかは出来るのですか」
「朝に厨房に行くと手桶一杯のお湯を貰えます。手桶は部屋にあります。それで洗面や口をゆすげます。慣れると体を拭いた上に頭まで洗えますよ。使い終わったら便所か甲板で海に流して下さい」
ヴァルラモの説明に祐司は部屋の隅に確かに壁にロープで縛り付けた桶が置いてあることを見て取ったが、精々三クォート(約3.6リットル)ほどの湯しか入らないのではないかと思えた。
祐司とパーヴォットはマルトニアへの航海の時はリファニア水軍所属の大型輸送艦を利用して、航海は片道で二日、そして何よりバーリフェルト男爵家の跡継ぎブアッバ・エレ・ネルグレットのお供という感じであったので、湯は頼めば幾らでも使わせてくれたことを思うと矢張り今度は水の節約を伴う本格的な航海になるのだと思わされた。
「少し早いのですが、昼食の時間になっていますので、荷を置かれたら食堂へ案内します」
祐司とパーヴォットはヴァルラモに促されて、荷を運んでくれた船員に取りあえず床に荷を置いて貰うと船室から見て前方に廊下を進み突き当たりの引き戸になっている出入り口から食堂とされる部屋に入った。
食堂は十畳ほどの大きさで、二列に長机とそれに沿ってベンチがあったがどちらも床に固定されていた。
「ここが幹部と便乗者の食堂です。食事の時間以外にも談話などで使ってもらっても構いません」
ヴァルラモはそう言ってから食堂でハーブティーを飲んでいた四人の者に祐司とパーヴォットを紹介した。
「エォルンから乗船されます武芸者で知られる一願巡礼のジャギール・ユウジ殿と同行のパーヴォットさんです」
ヴァルラモの言葉にまず神官服姿の中年の男女が立ち上がり、祐司とパーヴォットに近づいてきた。
「わたしはパンニ・イェルケゼン、それと妻のクレド・ミラベリ-ナです。わたし達はワウナキト神殿に赴任します。
ムリリトから乗船して先程まではサンデクト神殿に赴任するナベゼ・フェルトルド夫妻と一緒に過ごしていましたので、まだ到着まで数日かかるのに寂しくなったと思っていましたが、ジャギール・ユウジ殿が同行とは嬉しい限りです」
パンニ・イェルケゼンと名乗った神官と妻のクレド・ミラベリ-ナ神官は想像で頭に浮かぶ夫婦神官を彷彿させており、祐司はかえって希少な存在なのではと思えた。
「わたしはギューバン・ハルトムート、王家直参の郷士でワウナキト神殿参拝の許可を得ることができました。誠に千人に一人も叶わぬ事故、妻のヤドゼ・リカヴァも同行をしております。
ジャギール・ユウジ殿の武勇はしばしば聞いております。ここで貴方と同行できるとは、さらに大きな喜びです」
次に祐司とパーヴォットに近づいてきて自己紹介をしたのは、これも典型的な王都風郷士の服を着た初老の男だった。
祐司とパーヴォットは相手にあわせてそれぞれがあらため名乗った。
ワウナキト神殿に赴任するというパンニ・イェルケゼン夫妻は兎も角も、ギューバン・ハルトムート夫妻が純粋にワウナキト神殿への参拝目的だけでセンバス号に乗っているとは祐司には思えなかった。
恐らく王家の意向を受けてワウナキト神殿検分の目的もあるのだろうと祐司は考えた。
地方の情報収集に熱心な王家は王家の関係者が地方へ巡礼する等の場合は必ず爾後に報告書を出させているという話を、王都にいた時にバーリフェルト男爵家家臣のアッカナンやパーヴォットの家庭教師であったヘルヴィから聞いたことがあった。
もちろん王家と近い”宗教組織”もそのことは百も承知で”あうんの呼吸”で受け入れているのだろとも祐司は思った。
「船の幹部以外にこの人達と一緒に食事をしていただきます。もう一人同乗者がおりますが、先程ちらりと見たヴォーナ・ルチバルド修道神官です。
ただヴォーナ・ルチバルド修道神官はほとんど部屋に籠もりっきりで、他の人が居なくなってから食べに来たり、厨房で食事を受け取ると自室に持ち帰って食べますのでなかなか会えません」
ヴァルラモは後半を半ば投げ遣りな感じで言った。
「わたしも何度か注意してるのですがね。修道神官といえども修道を行う時以外は信者に寄り添わなければなりません。
聖職者とは自身の信仰を深め極めることも大事ですかが、それを信者に還元してはじめて聖職者としての務めを果たせます」
イェルケゼン神官はそう言って嘆息した。
「ヴォーナ・ルチバルド修道神官はまだ若いので一途になりすぎるのでしょう。所属していたアワスシャル神殿からワウナキト神殿に赴任するようにと言われたそうです。
ワウナキト神殿は辺境の地ではありますが、修道神殿はありません。少ないながらも人の営みのある地です。
きっとアワスシャル神殿の神官長には何かお考えのあってのことと思います。
そしてわたし達もワウナキト神殿に赴任いたしますので、ヴォーナ・ルチバルド修道神官と関わりが出来ました。
お互いに気が付かないことを教え合うという当たり前のことが出来るような関係にならなければと思います」
イェルケゼン神官の妻のミラベリ-ナ神官が字面にすれば良いことを言ったが、祐司とパーヴォットには何か表面的な言葉のように感じられた。
そして祐司には巫術のエネルギーによる光の辺からイェルケゼン神官の言葉は嘘に近いが祐司を騙そうというよりは何か隠し事がああり、妻のミラベリ-ナ神官の言葉はより隠し事をしてういるという度合いが強いように感じた。
ただ二人の感情には祐司に悪意を抱いている気配はまったくなかったので、祐司は聞き流すことにした。
イェルケゼン神官が言ったアワスシャル神殿は、祐司とパーヴォットが王都に居た時に行った”十三参り”の時に訪れた神殿である。
(第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ 北風と灰色雲43 十二所参り 三十七 リファニアのストーンヘンジ 参照)
「食事の用意が出来ました。何人分でしょうか」
エプロンをつけた若い船員が部屋に入って来て告げた。航海士のヴァルラモは船員を手で制して待たせると、祐司とパーヴォットに説明を続けた。
「朝食は 刻から刻半の間、昼食は 刻から刻半の間、夕食は刻から刻の間になています。神殿所属船ですので出た分は食べるということでお願いします。
あまり食べたくなければ最初から伝えて量を減らして下さい。昼食時はビール一杯、夕食時はビールが二杯まで頼めます」
ヴァルラモは説明が終わると全員に「ではお食事を摂る方は手をお上げ下さい」と言った。
祐司とパーヴォットも含めて全員が手を挙げた。
「順次配膳します」
若い船員はそう言って食道を出て行った。
運ばれてきた料理はカレイのムニエル、羊肉と根菜のシチュー、ハーブで味付けした茹野菜、ライ麦パンといったちょっとしたもので、定食屋でも十分商売になりそうな味だった。
これを六人はパーヴォット以外はビールを飲みつつ、半刻ほど歓談をしながら食べた。
この談笑の中でイェルケゼン神官夫妻は祐司とパーヴォットも参拝したことがある王都近郊のワヴォヘチ神殿から志願してワウナキト神殿に赴任することがわかった。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 王都の陽光13 寒参り 五 -ジェレルド村~ワヴォヘチ神殿へ- 参照)
聖職者も人間なので、王都周辺やせめてリファニアの畿内であるホルメニアか自分の故郷の近隣で奉職したいと思う者が多い。
王都周辺やホルメニアは神殿が多いが、王都やホルメニアからの神学校へ進学して聖職者になる者は聖職者の三割以上になる。
この為に心ならず遠隔地の神殿に赴任しなければならない者が出てくるが、辺境の地といえる神殿で数年を過ごせばそれ以上は地方神殿に回されないと言われている。
その為にイェルケゼン神官夫妻は自ら究極の辺境の神殿といえるワウナキト神殿を志願したとあけすけに祐司とパーヴォットに語った。
また王家直参というギューバン・ハルトムートは、”五人扶持”の法務官だと自分のことを紹介した。
リファニアで”五人扶持”とは月の俸給が銀貨五十枚ということで、中堅の上といった立場になる。現代日本に当てはめると本省の課長や課長代理に相当する。
身分社会のリファニアではこのような一見プライバシーに関することも、はっきりさせておく方が相手も間尺を取りやすい。
「今は停泊中ですから普通の献立ですが、荒れた海の航海となると行軍中の兵食といった感じですよ」
食事の終わり時にイェルケゼン神官が祐司とパーヴォットに言った。
従軍経験があっておかしくない王家直参のハルトムートが言うのなら兎も角も、聖職者が”行軍中の兵食”などという表現をするのが尚武の気質に溢れ、戦乱の絶えないリファニアらしいなと祐司は思った。
「航海中荒れたのですか?」
パーヴォットがイェルケゼン神官に訊いた。
「ええ、ムリリトからここまで二日半ほどかかりましたが、初日はかなり荒れましたね。ライ麦パンに炙った干し魚、チーズ、ザワークラウト、ピクルスだけでした」
「船酔いしませんでしたか?」
「王都からムリリトまでの航路で慣れました」
パーヴォットの問いかけにイェルケゼン神官は苦笑いしながら答えた。
注:センバス号について
センバス号は現実世界では十八世紀中頃にヨーロッパで形式が定まったバーク型帆船です。
帆船が輝く最後の一世紀に登場した洗練された形式の帆船で大きさの割りに操作員をあまり必要としません。
リファニアに操船に優れたブリガンティンないしそれに似たブリックが登場していますので、後は三本檣以上で全て横帆を持ったシップ型が登場すれば大型帆船の形式としては全て揃います。
センバス号は船首に突き出た帆柱を除きて船長が二十四間(約43メートル)、幅6間(約11メートル)です。
排水量は約600トンほどで有名な咸臨丸とほぼ同じ大きさになります。ちなみに咸臨丸もバークです。
センバス号は図で見るように露天の上甲板以下四段の甲板から成り立っています。貨客船ですので大きな船倉を持っていますが、重心が上昇しないように、下甲板から詰め込んで行きます。
荷はデリックで積み込めるようになっており、上甲板から中甲板にはフタが出来る開口部があります。
計算上では上甲板に荷を積み込まなくとも、950エリ(約300トン)ほどの荷が積めます。
すなわちセンバス号は江戸時代の感覚では二千石船ということになります。
さてセンバス号は北辺のワウナキト神殿所属で同神殿へ物資の補給を行うために建造されました。
船舶の単価はどこの世界でも高額です。今回はバーク型の実績が欲しいというセンバス号を建造したヘルコ船舶商会の思惑もあって、かなり値引きした価格で金貨二千三百枚という建造費です。
これは物価換算で現代日本の価格にすれば五億円を超えます。
金貨千五百枚の役禄を得た上に五万石程度の大名と同規模の経済力があるバーリフェルト男爵家の収入は約金貨七千枚ですから、かなりリファニアでは高額な買い物となります。
(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き 虹の里、領主領バーリフェルト8 祐司、虎の尾となる 下 参照)
参考に日本における600トン程度の貨客船の船価を調べたところ三億円程度でした。
*参考:海事代理人木村事務所のHP
ただリファニアで船を建造するには、全て人力頼りです。材料の木材切り出し、運搬、加工、船体組み立て、各種艤装に多くの人手と時間がかかります。
リファニアは人件費が安いと言っても現代日本と比べて同じモノをつくるのに十倍ではきかないマンパワーが必要です。
そしてセンバス号はバーク型の初号船のため、手探りで作業しなければいけませんから単価は上がります。
おそらくこの価格でもヘルコ船舶商会は儲けを度外視してセンバス号を建造したと思われます。
この建造費は神殿の聖職者が消費する物資まで運ぶ必要があるワウナキト神殿が出せるワケがありません。
センバス号の建造は”宗教組織”が費用を賄っていますが、詳らかではありませんがかなり王家からの寄進があったとされます。
これは表向きは敬神という面がありますが、辺境の神殿の存在は王家にとって利に叶う存在です。
北極海とリファニア西岸の”西の海”を結ぶ”キクレックの瀬”にも分院があるワウナキト神殿があることで、敵対勢力がリファニア北端を通過してリファニア人が”マレ・オスム(我等の海)”と呼ぶ”西の海”に密かに侵入できません。
リファニア王立水軍が基地を設けて同じような警戒態勢を常時取るよりたまに寄進してワウナキト神殿にその代替をして貰う方が経済的です。