極北水道10 センバス号 付録:リファニア船
カントシャク島から帰って来た翌日に祐司とパーヴォットはサンデクト神殿の用意しくれた馬車でエォルンの桟橋に向かった。
「神官様に送っていただき申し訳なく思います」
パーヴォットは馬車の中で向かいの席に座ったガデフェ・ブロプロムド神官に言った。
ブロプロムド神官はカントシャク島で祐司とパーヴォットに種々の世話をしてくれた若い神官である。
「いや、わたしが馬車に乗っているのは実はセンバス号に同乗してきた聖職者を迎えに行くという役割があるからです。
そうでなければお二人だけで馬車での楽しい時間を過ごせたかと思いますと、こちらが申し訳ないと思っております」
ブロプロムド神官が几帳面な口調で言った。
パーヴォットは「そんなことはありません」とやや下を向いて恥ずかしそうに返した。
エォルンには桟橋は一つしかないが、そこに大型船が接岸していた。
桟橋の上には荷馬車が止まっておりそこから木箱や樽を船員が船内に運び込んでいた。
祐司とパーヴォットに同行してくれたガデフェ・ブロプロムド神官が、桟橋で荷の積み込みを見守っている男に「ジャギール・ユウジ殿と連れのパーヴォットさんがまいりました」声をかけた。
「あの天下の武芸者ジャギール・ユウジ殿が乗船してくれるとは光栄です。わたしはこの船の副船長と航海士を兼ねておりますマバモ・ヴァルラモです」
四十年配の想像する船員にしては温和な顔つきの男が右手を出しながら言った。
祐司とパーヴォットも右手を出して握手した。握手はリファニアでは性別に関係なくほぼ対等な関係の者同士で行うボディーランゲージである。
「掌帆長のベドベ・エウゲニです。ようこそセンバス号へ」
副船長で航海士と名乗ったヴァルラモの隣にいた、これは如何にも古参の船員といった潮風に焼けて精悍そうな顔付きの矢張り四十年配の男が節くれ立った右手を差し出してきた。
祐司とパーヴォットはベドベ・エウゲニとも握手をした。
航海士は幹部であり、当初から幹部になる教育を受けた者が職に就く。近代海軍でいえば士官学校出身の仕官、近代民間船では商船大学出身者といったところでありそれなりに余裕のある家庭の出身者が多い。
これに対して掌帆長は近代海軍に当てはめると上級下士官あるいは特務士官という位置づけになる。
民間船では下級船員の長という役職で叩き上げであって直接船員を掌握しているのは掌帆長である。
祐司は二人の年齢が近いのに雰囲気がかなり異なるのは、そうした背景からだろうと思った。
そして二人が普通の船乗りと異なっていたのは、服装がなんとなく神官服風だったことである。
「お二人は職能神官でございますか」
祐司の疑問をパーヴォットが先んじて訊いた。
「そうです。センバス号の船員は全員が信仰心から操船専門の職能神官になったという者ですと言いたいですが、わたしはどちらかといえば雇われてという感じですね。
わたしと違って掌帆長のエウゲニは信仰深き者です。エウゲニは大層な海難事故を経験して神々の加護を感じたそうです」
航海士のヴァルラモが説明した。ただ掌帆長のエウゲニはこそばがゆい顔をしていた。
ヴァルラモがしゃべり終えると桟橋に止めた荷馬車から船員らしい二人の男が菰に包まれた木箱を船に運び込もうとして、航海士のヴァルラモと掌帆長のエウゲニの目の前にやってきた。
船員は荷を二人の前に置くと、菰を外しさらに木箱の蓋を開けた。
「リンゴだな。食堂へ運び込んで後は炊事長に任せろ。途中でつまみ食いするなよ」
掌帆長のエウゲニはそう言って、船員に再び蓋を閉めさせ菰を木箱に任せた。その間、ヴァルラモは手にしていたボードに挟んでいる樹皮紙に書き込みをしていた。
この言動と動作だけで祐司は二人の仕事内容と立ち位置がわかった気がした。
「ナベゼ・フェルトルド神官と夫人はまだ船内ですか」
ガデフェ・ブロプロムド神官が航海士のヴァルラモに訊いた。
「ええ、もう出てくるとは思うのですが。少々寝坊されたようです。旅籠で一泊されたらと勧めたのですが、この船の方が居心地が良いと言って…」
「赴任費用を残したいのはわかりますがね」
歯切れの悪いヴァルラモにブロプロムド神官は苦笑しながら言う。
祐司は詳しく聞くことはなかったが、どうもリファニアの”宗教組織”の出張費や任地への赴任費は先払いで回収しないようである。
「お待たせして申し訳ありません。聞いておられたと思いますが、これは客船ではありませんのでそう部屋があるワケではありません。
お二人の部屋はここで降ります同乗者の使っていた部屋になります。その方が部屋から出てくるまで少々お待ちをお願いします」
あらてめてヴァルラモがすまなそうな顔で祐司とパーヴォットに言った。
「どうぞお気遣いなく。わたし達は便乗者で一般の信者です」
祐司は早々に船室に閉じ込められるよりは、しばらく桟橋で話をしていた方がいいという気持ちになっていた。
「カルザ・マトヴェイ船長は?」
今まで蚊帳の外に置かれていたような感じのブロプロムド神官が訊いた。
「今は半舷上陸で、マトヴェイ船長も陸に上がっています。ただ 刻に出港ですが、ここから一気に”キクレックの瀬”を突破するので点検を密にしますから間もなく帰ってくるでしょう」
エウゲニが淡々とした口調で言った。
「ところで我がセンバス号の印象はどうですか」
航海士のヴァルラモがあらたまった感じで祐司とパーヴォットにたずねた。
「がっしりした感じの大きな船だということと、何か普通の船に比べて帆柱が低い気がします」
パーヴォットが率直な感想を口にすると、ヴァルラモがとくとくとした口調で説明を始めた。
「そうです。この大きさの船だと帆柱は甲板から十尋(約18メートル)から高い船だと十二尋(約20メートル)はありますが、この船の帆柱は八尋(約14メートル)もありません。
”キクレックの瀬”を乗り切るために重心を低くしているのです。
ただこの船は二本の帆柱以外のもう一本短い帆柱があって、同じ大きさの船と比べて全体の帆の面積は遜色がありません。
ああそれから船首にも前の方に突き出ている帆柱がありますので都合の四本の帆柱がある新しい形の船です。我々はヘルコ型と言っています」
祐司とパーヴォットが今までに乗船した船の中で最大のものは、マルトニアへの往復で乗船した王立水軍所属の輸送艦フェアズ号である。
桟橋に係留されている船はフェアズ号よりさらに大型で船体の長さは二十間(約36メートル)をかなり越えていた。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 春の女神セルピナ2 マルトニアへの航海 ニ -輸送船フェアズ号- 参照)
祐司はセンバス号はバークと呼ばれる形式の帆船だと感じた。
*話末注あり
「どこで建造された船ですか」
「一昨年、ヘルコ船舶商会が建造したんです。建造されたのはヘルコ州のカラシャです。それもあってヘルコ型と言うのです。
その最初のヘルコ型をヘルコ船舶商会はワウナキト神殿に寄進してくれたのです。
去年の初航行ではなかなか良い働きをしてくれました。ヘルコ型の試験運用みたいなものでしたからこれからヘルコ型が増えると思いますよ。
センバス号が使い勝手がいい船ということで去年はカラシャで二隻、王都でも一隻の建造が始まりました。今年も何隻かの注文をヘルコ船舶商会は受けていると聞いています。
こんな大型船を寄進とは太っ腹というか信心深いことですが、おかげでヘルコ船舶商会はこれからどんどん船の受注があるでしょう」
祐司の質問の答えた航海士のヴァルラモの言葉で祐司は全ての事に納得を得た。
バークは十八世紀に成立した形式の帆船で、帆船のタイプとしてはかなり進歩した形式である。
バークは三本以上の帆柱を持っており、全ての帆柱に横帆を展開して、最後尾の帆柱には縦帆も展開する形式で大型の外洋船に向く。
バークの利点は同等の大きさの他形式の帆船と比べて船員が少なくてすむことである。
すなわち運転費用が安価になり船員の少なくなったスペースにより多くの荷を積載できるので商業船としては有利である。
またバークを軍船にすれば航行のための水夫を減らして、戦闘員である海兵をより多く乗せることが出来るので戦闘力が向上する。
それが中世段階のリファニアに突如出現したとなる十九世紀のアメリカ合衆国から来たサラエリザベスの知識が生かされたに相違ない。
バークであるセンバス号はヘルコ船舶商会の建造であるというが、ヘルコ船舶商会はサラエリザベスの曾孫ギスムンドルと娘のアルシャネルが仕切っている。
「これが最後の荷か?」
エウゲニの問いかけに荷を運ぼうとしていた船員は「そうです。後は荷馬車を返しにいって終わりです」と答えた。
エウゲニの指示に二人の船員は「了解しました」と声を揃えて言うと、リンゴが入った木箱を船内に運び込んだ。
「行きは楽ですよ。帰りは少し手間取るかもしれませんが運次第です」
船員の一人が祐司とパーヴォットの前を通る時に右の眉を少し上げて見せながら言った。
祐司は船員の言った内容よりもその丁寧などことなく品が感じられる口調から、矢張りセンバス号はワウナキト神殿所属の職能神官ないし神人で構成された船であると意識させられた。
「船長が帰って来ました」
掌帆長のエウゲニが指差す方向には、十人ばかりの船員を引き連れた大きな口髭に禿頭という目立った容姿の初老の男がいた。
「マーヌ・マトヴェイ船長、お客さんがお着きです」
「おう、そうか。こいつら朝っぱらから二日酔いの迎え酒度だといって宴会を始めかねなかったので連れ帰ってきたぞ」
ヴァルラモが声をかけると、マトヴェイ船長と思える男が桟橋に響き渡る様な大声で返した。
マトヴェイ船長もかなりの赤ら顔で声の調子から自分もかなり酒が入っていると祐司には思えた。
祐司がふと視線を感じて振り返ると、甲板に神官服を着た若い男がマトヴェイ船長と船員を睨んでいた。
若い男は祐司を一瞥すると船内に入っていった。
「ワウナキト神殿に赴任するヴォーナ・ルチバルド修道神官です。若くて真面目な修道神官からするとマトヴェイ船長は目に余るのかも知れません。
しかしマーヌ・マトヴェイ船長がワウナキト神殿に乞われて、センバス号の船長に就いているということを考えてみるべきでしょう」
掌帆長のエウゲニが声を潜めて祐司に説明した。
航海士のヴァルラモが祐司とパーヴォットをマトヴェイ船長に紹介すると、マトヴェイ船長は上機嫌な声を出した。
「船長のマーヌ・マトヴェイです。お部屋は狭いですが個室で二部屋用意しています。食事は幹部食堂で我々と一緒に食べていただきます」
マトヴェイ船長は五十年配ほどで潮風に長くさらされたという感じのやや褐色がかった肌で、陽気そうな感じとは裏腹に目に鋭さがあり祐司は信頼できる船長だと直感した。
ただ普通の船長と異なるのはやはり服装がなんとなく神官風であることで、日本人の感覚からすれば袈裟風の服を着たという感じである。
「それが船長、まだナベゼ・フェルトルド神官が船室から出てこられませんので…。ジャギール・ユウジ殿とパーヴォットさんにお部屋に入っていただけません」
ヴァルラモが言いにくそうにマトヴェイ船長に告げた。
「よしオレが急かしてくる。サンデクト神殿からの迎えも来ているんだ。もうとっくに下船しているはずだろう」
マトヴェイ船長は何か意趣があるような口調だった。
その時船内から神官服姿の温厚そうな感じの中年の男性と、一般人の服装をしたこれも男性に輪を掛けて温厚な感じの中年の女性が両手に荷物を掲げて出てきた。
「ナベゼ・フェルトルド神官、サンデクト神殿からの迎えが待ってますよ」
マトヴェイ船長はが声を掛けると、ナベゼ・フェルトルド神官と呼ばれた男は両手に持っていた荷を降ろしてから「申し訳ありません」と言って奥方らしい女性と一緒に頭を下げた。
「サンデクト神殿から迎えに来ましたブロプロムドです。どうぞこちらへ」
ブロプロムド神官が桟橋に降りてきたフェルトルド神官から半ば強引に荷物の一つを受け取ると馬車の方へ向かった。
「それでは、ジャギール・ユウジ殿、パーヴォットさん、よい航海を」
桟橋の端に留めてあった馬車にフェルトルド神官とその奥方をせき立てるように乗せたブロプロムド神官は大声で祐司とパーヴォットに声を掛けると馬車に乗って去って行った。
「荷馬車を返しに行く前にこの人達の荷を三号と四号船室に運んでくれ」
馬車が見えなくなるとマトヴェイ船長が近くにいた二人の船員に指示した。
注:リファニアの帆船
リファニアの帆船は長い間一本だけの帆橋ないし補助的な檣を有する一本半という形の帆橋の形式でした。また帆は船体に対して横方向に展開する横帆です。
この単純な帆の形式は江戸時代に活躍した菱垣廻船や樽廻船のような和船と同じ形式ですが、リファニアの帆船は竜骨に対して直角に肋材を組んだ構造で分厚い板を組み上げて船体をなした和船とは構造が異なります。
帆橋一本に帆が一枚でも帆は或る程度左右に振ることが出来るので、真正面からの風でなければ船を前進させる事が出来ます。
そして帆の操作が単純であるので、船員の数を抑えることが出来ますが、一本の檣に一つの横帆という形式が続いたのは巫術師による”送風術”と”変風術”の存在が大きいといえます。
大きな横帆の場合は順風では効率的に風を受けて快走できますが、リファニア船の場合は人工的に順風状態を作り出せます。
この為にリファニア世界では複雑な帆の構成にして、操船技術を向上させようという動機が薄かったのです。
また”送風術”を使用する場合は、巫術師が効率的に帆に風を送れるのは自分の目の前の帆だけになりますので、複数の檣に数の帆を使用する時は必要な巫術師の数が増えてしまいます。
ところが船が次第に大型化してくると、これ以上は一枚の帆をそれに応じて大型化するのが困難になってきました。
これは一枚の横帆を展開する場合にあまり高く掲げられないことも要因です。
”送風術”と”変風術”は作用範囲は横に伸びた楕円形になります。この為にあまり帆を高く掲げると、帆の下部は”送風術”と”変風術”による風、帆の上部は自然風となって極めて効率が悪くなります。
この理由からリファニア世界の帆船の檣は現実世界の帆船の檣と比べると、かなり低くなっています。
この為より巫術師の”送風術”と”変風術”による風を効率的に利用するために複数の檣に多くの帆を使用する形式が考案されます。
ただ複数の檣を設けて複数の帆を操る形式が出てきたのは三百年ほど前からです。それまで複数の檣を持った船舶を造る技術はありながら、延々と単檣に一枚帆という形式を保ってきたのは歴史的な船舶の造船にありがちな保守性の為です。
少々手間なことや不便があってもある形式の檣と帆を持った船の操作に慣れていれば、別の形式の船の操作をしようということは特に今までの形式に致命的な欠陥があったり、新しい形式が明らかに優れていなければ乗り換えることが躊躇われるからです。
こうした例はアラビア海で用いられているダウに見られます。
ダウは一本の檣に三角の縦帆を持った船ですが、アラビア海の季節風を利用して二千年にわたり使用され続けています。
さてリファニアにおける複数の檣と帆を有した帆船の代表的なものが二本の檣と、船体に平行な縦帆を使う形式です。
この形は現実世界ではスクーナーとかケッチと呼ばれますが、リファニア世界では単に二重縦帆型と言います。
この形式は風の方向が変化しやすい地中海方面で多用されており、リファニアでは内陸水運や沿岸専門の船舶に見られます。
この二重縦帆型の利点は風の向きへの対応がし易いことと、前後の帆を左右にずらすことで巫術師が前後の帆へ”送風術”による風を送ることが限定的ながら出来る事です。
現代のリファニアにおける外洋帆船は二本の檣を用いて、前横帆後縦帆型と呼ばれる形式か縦帆付二重横帆型という形式です。
前横帆後縦帆型は現実世界ではブリガンティンと呼ばれる形式で、リファニアにこの種の帆船が登場したのは十九世紀のアメリカ合衆国から来たサラエリザベスの知識によります。
この形式は元々取り回しがよく比較的少ない人数でも操船出来るので、沿岸航路の船舶を中心にあっという間にリファニア中に普及しました。
さらにブリガンティンがリファニアの船舶として適しているのは、後が縦帆であるので船尾の巫術師が縦帆とその前方にある横帆に”送風術”で風を送ることが可能なことです。
祐司がこれから乗船するバーク型は三本の檣があり前の二本は横帆、後の一本は縦帆になります。
この形式はブリガンティンよりさらに大型の船舶に向いた形式になるとともに、より操作する人数を節約出来る利点があります。
本文で出てくるセンバス号を含めてリファニア船全てにいえることですが、リファニア帆船の断面図はV字型ないしU字型になります。
史実のヨーロッパでは中世後期から船体は下部が出っ張ったタンブルホームという形になってきました。
これは重心があがらないことと船体容積を大きくする効果があり、また帆を操作するロープ類を固定する場所を提供する利点がありました。
欠点は海水に触れている部分が増加して速度が上がりにくく、また操船もししにくくなります。
リファニア船がタンブルホームでないのは、速度を重視してさらに操船を容易にして小回りを求めたからです。
リファニア船には程度の差があっても巫術師が乗り組んでいます。彼等の”送風術”や”変風術”を駆使すれば余程の荒天で無い限りは帆船としては最大限の速力を維持できます。
速度が速まれば一定期間の航海の回数が増えますから、のろのろと少しばかり多い荷を運ぶより効率的です。
操船性能が向上すれば荒天での危険性も減少します。荒波の北大西洋を主な舞台としているリファニア船は船自体の性能向上を常に目指していますので、タンブルホーム型の船は建造されないでしょう。




