極北水道9 再びエォルンへ -スヴェア一族と裏スヴェア一族-
祐司がマレーリ・ラディスラに会って二日後にカントシャク島にサンデクト神殿の船が来航した。
これは昼食が終わってから祐司とパーヴォットが海岸に燃料になる流木を拾いに行こうとした時にパーヴォットが見つけた。
祐司がパーヴォットが指差す方向を見ると沖合二リーグ(約3.6キロ)ほどをカントシャク島の東側に回り込もうとしている二本マストの船が見えた。
パーヴォットは「サンデクト神殿の紋章を掲げています」というが距離が遠すぎて祐司には視認出来なかった。
「神殿の船に気が付いたら合図を送って欲しいと言ってたな」
祐司はサンデクト神殿のナルレント神官長から聞いたように、周辺の荒地で草を小刀で刈ると避難所の暖炉に入れた。
避難所の煙突から白い煙が上がるが風がやや強いので、煙は横方向へかなりの速度で流されていった。
「こんなので気が付いてくれるだろうか。多分船にはパーヴォットみたいな娘は乗ってないだろうからな」
祐司が心配げに言う。
「意地悪でございます」
パーヴォットが笑いながらまんざらでもない顔付きで言った。
「祭祀宿舎まで行きますか」
「そうだな。でも荷物を持って祭祀宿舎まで行くのは大変だ。ナルレント神官長の話では、ここで待っていれば神人が荷物を運んでくれるということだ。というより待っていろという感じが色濃かった」
「悪い気がします」
「パーヴォットらしいな。でも向こうも何か算段があるかもしれないから待っていよう」
祐司の言葉でパーヴォットは数学の問題を解いたりしてを時間を過ごした。
パーヴォットは学んでいた神学校の数学の師範から、数学は日々研鑽していなければならないということで受講記念に解説付の問題集を貰っていた。
この問題集は二百以上の問題があり、一日一二問を繰り返し解いていくことでカンが鈍らないと言う触れ込みだった。
このパーヴォットの数学問題への取り組みは、パーヴォットの興味関心から続けられていたが、パーヴォットの望む人生の目的に力をくれることになるとはこの時は神々でない祐司とパーヴォットは知らなかった。
祐司とパーヴォットは避難所の前に座って、祐司は半ば手持ち無沙汰、パーヴォットは数学の問題に取り組んで一刻半(三時間)ほど過ぎると、二人の男性神人が避難所にやってきた。
「ジャギール・ユウジ殿とパーヴォットさんでしょうか」
三十代半ばほどの屈強な体格の神人が二人に声を掛けてきた。
そして神人達は避難所の中を点検して「綺麗に使っていただきありがとうございます」と祐司とパーヴォットに礼を言った。
四半刻(三十分)程で避難所を引き上げる用意が出来たので、祐司とパーヴォットはそれぞれのリュックサックを背負い、神人は祐司とパーヴォットが持ち込んだ駄載用の荷物入れを持って祭祀宿舎を目指した。
祐司とパーヴォットは三日前に祭祀宿舎に行くまでに、道の無い荒野の難路ということもあって、ほとんど手ぶら状態でも二リーグ半(約4.5キロ)の距離を一刻(二時間)以上の時間がかかった。
しかし神人達は歩きやすいルートを知っており、一行は荷がありながらも一時間半ほどで祭祀宿舎に到着した。
祭祀宿舎の扉は開けられており、数人の神人達が神官に指揮されてせわしなく動き回っていた。
祐司とパーヴォットはガデフェ・プロプロムドと名乗ったまだ二十半ばほどの神官によって、祭祀宿舎に招き入れられた。
「申し訳ありませんが、今日は宿舎内に留まって下さい。今日は夏至の祭礼の準備と物資の運び込み以外に、太古から続く祭礼を行います。
これはイス人豪族の系譜をつぐ一族の者と、サンデクト神殿の神官長代理だけが立ち会える秘儀ですので他の方は見ることさえ出来ません」
ガデフェ・プロプロムド神官はそう説明した。
祐司は祭祀宿舎の前に二頭のアカシカがつながれていたことを思い出して、おそらく生贄を捧げる儀式なのだろうと思った。
現在のリファニアの”宗教”においては生贄を捧げるような儀式は行われておらず、太古の迷信的な儀式だとされている。
ただリファニアの”宗教組織”は融和の為なら融通無碍な所があるので、元々はイス人の聖地であったカントシャク島のヒキナイカ神殿跡で、人身御供でも無い限りはイス人が太古から伝えてきた生贄を捧げる儀式を禁止するようなことはないだろう。
ただ公には生贄を伴う儀式を”宗教組織”は否定している為に秘儀になっているのだろうと祐司は思った。
結局、祐司とパーヴォットはこの日一日を祭祀宿舎内で過ごすことになった。
翌日、祐司とパーヴォットは四刻半(午後十一時)にカントシャク島を出立したサンデクト神殿所属の船でエォルンへ戻ることになった。
サンデクト神殿の船にの乗り込む時に、祐司とパーヴォットに鋭い眼差しを向けてる数人のイス人系の男女がおり祐司は秘儀を行った者達だろうと思ったが、これについては質問するのも憚られた。
カントシャク島を出るとサンデクト神殿の船はかなり本土沿岸に接近して、時に南に向かう潮流に乗り、さらに二人の巫術師が”送風術”を繰り出して力業でエォルンに向かった。
この為に祐司とパーヴォットがカントシャク島に来た時は途中の宿泊を含めて一日半を要した航海が復路は半日ほどで終わった。
ただエォルンのすぐ北に位置するサンデクト神殿の波止場に到着したのは、十刻(午後十時)という遅い時間であったので、祐司とパーヴォットはエォルンの旅籠に戻ることなくすぐに神殿の巡礼宿舎に案内されて就寝することになった。
祐司とパーヴォットが朝食を済ませて巡礼宿舎でくつろいでいると、祐司はナルレント神官長から呼び出された。
ナルレント神官長からの使いの神人は「ジャギール・ユウジ殿お一人で」と言ったので、祐司はパーヴォットに聞かせたくない話があるのだろうと感じた。
祐司が神人に導かれて神官長室に行くと、挨拶もそこそこにナルレント神官長が口を開いた。
「無事に母マレーリ・ラディスラに会えましたか」
「おかげさまで。それからマレーリ・ラディスラから…」
「ワウナキト神殿行きの件でしょう。ワウナキト神殿のガデフェ・ペレルヴォルド神官長からの手紙を貴方がカントシャク島に出立したのと入れ違いに受け取りました」
そう祐司を制してそう言ったナルレント神官長は、机の引き出しから取り出した羊皮紙を祐司に渡した。
「それが貴方とパーヴォットさんのワウナキト神殿への招聘状です。オラヴィ王陛下公認の一願巡礼として参拝の為にワウナキト神殿へ向かう補給線への乗船を認めるとあります。一願巡礼でもワウナキト神殿まで訪れた者は少ないと思いますよ」
「一つ聞いてもいいですか」
祐司はナルレント神官長から招聘状を受け取りながら訊いた。
「何でしょう」
ナルレント神官長は少し警戒しているような口調になった。
「好奇心から聞きます。ですから少しでも支障があれば言えないと言って下さい」
「はい、了解しました」
ナルレント神官長は一拍おいて口を開いた。
「スヴェアさんの子はマレーリ・ラディスラだけですか」
「生きていることならそうです。祖父フォーラッティ・イェルケルと祖母マミューカネリ・スヴェアは百数十年夫婦として一緒に暮らしてきましたが、子は我が母マレーリ・ラディスラと故人である我が母マレーリ・ラディスラの弟であるアルトゥリだけです。長い間にどうしたことか二人しか子が出来なかったようです。
アルトゥリはキレナイトへ行く途中に海難事故に巻き込まれて若くして…。といっても五十代で亡くなりました。
祖父フォーラッティ・イェルケルと祖母ミューカネリ・スヴェアから頼まれてキレナイトの探査に行く途中だったと聞いています。
わたし達は長寿で病気はしにくく流行病も軽くすみます。しかし不死身ではありませんので、事故に遭えば普通に怪我をして、さらに命を失います。
アルトゥリには男児が一人おりまして我が母マレーリ・ラディスラが引き取り我が子として育てました」
「その方は?」
「その子がわたしです」
「貴方はマレーリ・ラディスラの育ての息子さんですが、他にマレーリ・ラディスラが産んだご兄弟は」
祐司はナルレント神官長の発する巫術のエネルギーによる光の変化を見逃さないようにナルレント神官長を見据えて訊いた。
「少なくとも四人おります」
「少なくとも?」
祐司は少なくとも四人というナルレント神官長の言い方に奇襲されたような気持ちになった。
「おそらくマレーリ・ラディスラは八人以上の子をなしています。わたしが知っているのはそのうちの四人だけです。
わたしはわたしを含めた五人の系統を”表の一族”と呼んでいます。そしてわたしが知らない兄弟姉妹達は”裏の一族”と呼んでいます。
わかっていることは全ての子の父親は異なります。もうすでに全員が死にましたがね。少なくとも”表の一族”で母マレーリ・ラディスラと子をなした男は全て百年以上前に亡くなっています。
我が母マレーリ・ラディスラが尻軽で父親の異なる子をなしたのではないことは、聡明なジャギール・ユウジ殿であればご理解いただけますね」
「子孫により多くの血筋を伝えるために近親相姦の弊害を避けたのですか」
祐司は確かめるように訊いた。
祐司は今までの知識で最初に異世界からリファニアに来た者は、常人の十分の一程度の速度でしか老化しないことを知っている。
ただリファニアの人間と子をなした場合は子の老化速度は五分の一から三分の一程度になる。具体的に祐司が知っているのは、サラエリザベスの娘であるアルシャネルとその夫でサラエリザベスの曾孫に当たるギスムンドルである。
アルシャネルはオラヴィ王九年の時点で実年齢百二十二歳であるが見た目は五十代前半である。
ただこれは年相応の落ち着きからきた面と本人が老けた様子を演出しているからである。アルシャネルは活発な性格であるので、時に本性を隠しきれなくなって祐司には四十代になったばかりという感じにも見えたが、それが本来のアルシャネルの姿だった。
(第十三章 喉赤き燕の鳴く季節 ヴァンナータ島周遊記18 カヴァス岬の異邦人 六 加齢について参照)
その子がリファニア人と子をなした場合は、その子の老化速度は常人の二分の一程度になってしまうのでこのあたりで一族の血筋を引く者と子を成さないと長寿一族とはいえなくなってしまう。
これはサラエリザベスの一族である彼女の曾孫になるギスムンドルがよい例である。ギスムンドルは齢七十五歳で、見た目は現代日本で基準からすると、六十代になったばかりという感じである。
リファニア基準ではかなり若い状態であり、ギスムンドルは百歳前後までは普通に活動できるだろうが、四十七歳年上の姉さん女房のアルシャネルは夫の死を見取る可能性が高い。
サラエリザベスの一族とスヴェアの一族が長命になる理由は異なる。
サラエリザベスの一族が長命なのはリファニアにとって異世界から来たサラエリザベスの一族の作用である。
スヴェアの一族が長命になるのは祖であるイェルケルとスヴェアが並外れた巫術のエネルギーを蓄えられる人間の中の変異種であることが原因である。
そして長寿の傾向が明らかに現れるのは巫術師としての資質を幾分でも持っている者に限る。
「そうです。心ならずだったかもしれません。母マレーリ・ラディスラは愛した男は最初の夫ナデ・コレドルだけだったと何度か言っていました。
ナデ・コレドルは優れた巫術師だったと聞いています。わたしの姉のケルゼ・マルニナが生まれてすぐに病死してしまいました」
ナルレント神官長は少し遠くを見るような目つきで言った。
「もう少し詳しく教えたいただくことは可能でしょうか」
ナルレント神官長はさらに祐司が思いもかけていなかったことをしゃべり出した。
「わたし達一族の秘密は二百年以上世間に知られることなく守られてきました。しかし永遠に秘密があばかれない保証はありません。
ですから母マレーリ・ラディスラは一族を二系統に分けたのです。どちらか一方の系統の秘密が公になっても一方は秘密を保持していけます。
どちらの母マレーリ・ラディスラの系統の子はわたしを含めて別の系統が存在することは知っておりますが、具体的に何処の誰だかは知りませんし、詮索しないことが決まりです」
「するとマレーリ・ラディスラの玄孫となるベルンハルド将軍は、別の系統があるとは知らないということですか」
祐司は”小さき花園”で世を忍ぶように生きているスヴェアの姿しか知らないので、彼女の血筋がリファニア世界で広がっていることに驚きがあった。
「薄々は知っています。時々母マレーリ・ラディスラが双方の系統の赤ん坊の入れ換えを斡旋します。大人数で血を入れ替えていかなくてはなりませんからね」
「母親が赤ん坊を入れ替えろと言われて納得するのですか」
ナルレント神官長は祐司が感覚からは理解しがたいことを言った。
「それはあなたの感覚ですよね。わたし達の世界では、個人で生きていくのは難しい。だから家族、そして血を同じくする一族で助け合って生きています。
一族の血を引く赤ん坊なら自分の子も同然だし、一族の者が育ってくれるのなら安心して我が子を託せます」
ナルレント神官長にそう説明されて、祐司は日本でも昭和初期くらいまでは一族で互いに子供を養子に出したりということが割と頻繁に行われていたことを思い浮かべた。
「そのような秘密をわたしに話していいのですか」
祐司の問いかけにナルレント神官長は微笑みながら答えた。
「母マレーリ・ラディスラはわたしの知っていることなら、ジャギール・ユウジ殿に話していい。むしろ自分が話す手間が省けるから話しておけと言われております。
ジャギール・ユウジ殿に話しても、彼はリファニアでそれをしゃべることはないと少々意味深長なことも言っておりました」
ドアをノックする音がした、ナルレント神官長は「どうぞ入りなさい」と声をかけた。部屋に入って来た若い神官がナルレント神官長に耳打ちをしてすぐに出て行った。
「ワウナキト神殿に向かう船が入港しました。センバス号というワウナキト神殿所属の船です。
冬の間は王都から南の地域の神殿を人や物資の輸送で航行したり、手入れをしていますが夏季は本来の目的であるワウナキト神殿への輸送に使われています。
出港は明日の七刻(午後四時)です。五刻(午後十二時)にはエォルンで乗船できるようにご用意をお願いします」
ナルレント神官長がにこやかに祐司に言った。
「七刻に出発なのに五刻に乗船ですか?」
「貴方方をセンバス号まで送りますが、エォルンで下船する人がいるのです。その方の出迎えも行いますので少々早いですがよろしく」
祐司が乗船時間についてたずねると、ナルレント神官長はさらににこやかな顔をしながらも決まったことだという意志を滲ませたような声で返した。