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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十一章 極北紀行
1023/1161

寂寞街道16 寂寞街道 下 -廃墟の村とエメツ神殿-

 祐司とパーヴォットは流人の村であるネバト村を二刻(午前六時)に出立した。


 これは今日の目的地であるエメツ神殿までが二十五リーグ(約45キロ)と距離があることと道中は無人の荒野であり、不測の事態が起こって道行きがはかどらないことがあっても野宿は避けたかったからだ。


 高緯度のリファニアでも北極圏を越えて北にあるダンダス州では五月の半ばにほぼ白夜になり暗くなって旅が出来なくなることはない。

 しかし人間、そして馬やラバには生物学的な限界があるので、調子にのって明るいからといって道行きを続ければ後で代償を払うことになる。


 その為に明るくとも常に寝る時間には寝て、起きておくべき時間のみに行動するということを自分に課しておかねばならない。


それでも祐司とパーヴォットは健脚であるので行動すべき時間でどうにかなりそうな距離であるが、案外馬とラバにはきつい距離になる。


 ネバト村の周辺は貧弱とはいえ耕作地と放牧されている家畜が見られたが、すぐに他所の草が見られるだけの荒野になった。半ツンドラといえるような地域なのか低い場所には浅い池が見られた。


「ベルンハルド将軍は何故ネバト村が流人の村って教えてくれなかったのでしょう」


 パーヴォットがネバト村から二リーグ(約3.6キロ)程も離れてから言った。


 いつもパーヴォットと一緒にいる祐司はわかることだが、パーヴォットは人外に視力がいいので人と距離感が異なる。

 二リーグほども離れてようやくネバト村が遠くなったから、村のことを話しても大丈夫だという感覚である。


「あの時は短い時間で色々なことを聞いたからな。それに今にして思えばベルンハルド将軍は”寂寞街道”には面白い村があるから一興といっていた。詳しくは聞き損ねたからその一興という村がネバト村のことだったのだろう」 


 祐司は記憶を辿るように言った。


「それにしても行けども行けども荒野ですね。去年フィシュ州の”薄暮回廊”やアヴァンナタ州の草原を歩きましたが、それらよりも一層荒野って感じがします」


 パーヴォットが言うように、祐司とパーヴォットはタラナスト高原とカルカス山脈に挟まれた寒冷な高原地帯である”薄暮回廊”と一望千里の草原が広がるアヴァンナタ州南西部を旅してきた。


「ほぼ地平線まで何もないからな。それに裸地が多いからそのように思えるな。この辺りを”アルモンデ・サルナの荒野”というらしい」


 祐司は”アルモンデ回廊”がある東の方向を見ながら言った。


 ”アルモンデ回廊”はタラナスト高原とその北にあるネルセキト山地の間の平坦部であり、そこからツンドラ地帯が広がるカナック州へ入って行く。


 日本語に直訳すると”アルモンデ・サルナの荒野”は南アルモンデ荒野である。



挿絵(By みてみん)




 祐司は時たま通過する低い丘陵の斜面に誰かが等高線を描いたかのような縞模様があることに気が付いた。


 祐司はその縞模様はソリフラクションだろうと思った。


 ソリフラクションは植物の根によって固定されていない表土が土中の水の凍結と融解の繰り返しによって斜面を下方に向ってゆるやかに流動する現象であり周氷河地形といわれるものの一つである。



挿絵(By みてみん)




祐司とパーヴォットは”マルタン十霊山巡礼”を行った時にケルナ山の斜面でその小規模なものを見た。

(第二十章 マツユキソウの溢れる小径 マルタンの春10 霊峰巡り 四 -②ケルナ山から③オウキク山- 参照)


 マルタンがあるマルタン盆地は沿岸から周百キロも内陸にあってそれなりに標高がある。その周辺の低山と思えるケルナ山でも千メートル近い標高があったはずである。

 しかし現在歩いている”アルモンデ・サルナの荒野”も内陸部とはいえ標高は百メートルもないはずだ。


 それを考えると如何にリファニアの北辺に来たのかが実感できた。


 祐司は自分の考えをパーヴォットに説明した。


「天下の”北国街道”とは思えない道ですね」


 熱心に祐司の説明を聞きいていたパーヴォットが最後に前の方を見やって言った。


 確かに進むべき”北国街道”は踏み跡だけで出来た田舎道という状態だった。一度道から外れてしまえば。元に戻ってくるのに苦労するだろうと祐司は思った。また降雪があれば完全に道が何処にあるかはわからなくなるだろうとも思われた。


「ベルンハルド将軍はダンダス州は道が悪いといっていたからな。雨でも降れば難儀するだろう」


「この先に廃墟のようなものがあります」


 パーヴォットが道の先を指差した。


 パーヴォットが廃墟を指摘した場所はたおやかな感じで登りる丘の頂上だった。地面のおできほどの丘だがこれが障害物になって、パーヴォットならもっと遠距離から見つけられた廃墟を祐司も視認出来た。


「あれがネバト村で聞いたカラカソ村の跡だろう。カラカソ村の廃墟はネバト村から十二リーグ(約22キロ弱)離れているということだったから、あそこまで行けばエメツ神殿まで後十三リーグ(約23キロ)だ。朝早く出たので腹がすいた。あそこで昼食にしよう」


 祐司は一リーグ半(約2.7キロ)程先の廃墟を見ながら言った。



挿絵(By みてみん)




 祐司とパーヴォットは道が緩やかな降りになっていたこともあって四半刻ほどで街道を挟むように家の残骸がある廃墟に到着した。


 祐司とパーヴォットは火を熾して水を沸かしハーブティーを飲み、硬いライ麦パンをトーストしたものとチーズだけの簡素な食事を食べた。


「ここの村はどうして廃墟になったのかネバト村で聞きました?」


 パーヴォットが食事の終わり際に訊いた。


「実は聞き損ねたんだ。エメツ神殿で聞いてみよう」


 祐司は座っていた家屋の土台から腰を上げてから答えた。


 

 昼食後の道行きもひたすら荒野を進むだけだった。しかし北上するにつれて草地が多くなり土壌の色合いも豊かな感じになった。


「どうして草原が多くなったのでしょう」


「海に近づいたからかもしれない。それとも北のネルセキト山地の影響で微妙に気候が変わるのかもしれないな。

 この辺りは植物が生育するには厳しい環境だ。僅かな違いが生育出来るか出来きないかを分けるのだろう」


 パーヴォットの質問に祐司は考えつくことを言った。


 八刻半(午後七時)にとうとうエメツ神殿が見えてきた。”北国街道”は南東からエメツ神殿に接近するような形になっていた。

エメツ神殿は丘の上にあり遠目には城塞のような感じがする。リファニア北部は北緯七十度を越える高緯度地域である。


 その為に五月も半ばとなるとほぼ白夜という状態になる。


 しかし南中時の太陽は四十度程度で日本列島中央部の二月頃の高さまでしか登ってこない。一日の過半は太陽は空の低い位置にあって長い影を地上に作り出す。


 エメツ神殿のある丘の東側斜面は太陽が当たらずにほの暗い感じになっているが、エメツ神殿は横合いから太陽の光を受けてまるで丘の上で輝くような荘厳な雰囲気を漂わせる姿をしていた。


 祐司はそのようなエメツ神殿を見て、神殿の尊厳を高めるために神殿の形状を決めたのではないかと思った。


 エメツ神殿は一見城塞の様に見えるが、南側が開口した馬蹄形の建築物であるので南側から見ないと城塞のような閉じられた建物に見えてしまう。



挿絵(By みてみん)




 祐司とパーヴォットは低い石壁で示された神域の北側の入り口からエメツ神殿敷地に入った。実は”北国街道”はエメツ神殿の神域を突き抜けており、神域の南側からエォルンに向かうことになる。


 祐司とパーヴォットはまずエメツ神殿の本殿がある丘の北東にある社務所に出向いて巡礼宿舎での宿泊を申し込み、厩舎に馬とラバを収容して荷を部屋に入れてから手ぶらで本殿参拝に向かった。


 エメツ神殿の祭神はカカ神である。 

 

 カカ神はリファニアの”宗教”の主神ノーマの化身とされるが元はイス人の大地の神である。かつてはダンダス州地域のイス人は敵対していても年に一度の祭礼の時期は一同に聖地に介していた。


 その聖地がエメツ神殿本殿が建っている丘である。エメツ神殿本殿が馬蹄形なのは丘の頂上部を囲み聖地が空と繋がっていることを担保する為である。

 さらにエメツ神殿本殿には神像がなく馬蹄形の中庭になった場所から空を礼拝するという往時のイス人の礼拝方式を今に伝えている。


 祐司とパーヴォットは参拝をすませると巡礼宿舎に戻った。


 エメツ神殿の巡礼宿舎はかなり充実した施設で、今までこれに匹敵したのはマルタン北方のセウルスボヘル山神殿の巡礼宿舎だけだった。

 セウスボヘル山神殿は高位身分の者が訪れるので、大部屋の他に旅籠並みの個室もあった。

(第十八章 移ろいゆく神々が座す聖都 地平線下の太陽2  霊峰セウルスボヘル山 二 -隠里- 参照)



挿絵(By みてみん)




 祐司とパーヴォットがエメツ神殿を訪れた日は数組の巡礼者だけであったので、個室が空いていた。 

 六月になるとエメツ神殿の大祭といことでエォルン方面からやってくる参拝者で賑わうということだがリファニア北部では五月が農繁期ということから参拝者が少ない。


 聖職者と共用になるが風呂も用意されており、祐司とパーヴォットはツタデルハシワ以来の風呂を楽しんだ。



挿絵(By みてみん)




 部屋に戻って食堂に行こうすると中年の男性神官がやってきた。


 神官は「名高い武芸者であるジャギール・ユウジ殿がお見えとのことで、神官長が是非夕食を一緒にと申しております」と告げた。

著名な神殿の神官長の頼みを断るという選択肢もないので、祐司とパーヴォットは神官に案内されて聖職者食堂に行くことなった。


 結局祐司は神官長をはじめ五人の聖職者相手に前日のネバト村と同じように一刻(二時間)ばかり武勇伝を話すことになった。


 そろそろお開きという時間になった時にパーヴォットが祐司の顔を見た。

 

 祐司は「一つお聞きしたいことがあるのですが」と断り神官長に受諾して貰ってから聞きたいことを口にした。


「実は今日エメツ神殿にくる時に丁度神殿とネバト村の中間辺りで廃墟になったカラカソ村を見ました。カラカソ村はどういった事情で廃墟になったのでしょう」


 祐司の質問に聖職者達は互いに顔を見回した。そして神官長がおもむろに口を開いた。


「カラカソ村は百年ほど前は百人以上の人間が主に放牧をして暮らしていました。ところが草地が減少して他に移住する者が出て、次第に住む者の人数が減りましたが、それでも五十人を超える村でした。


 このツタデルハシワ方面からこの神殿に至る途中にありますので、巡礼や交易の季節にはそれなりの宿泊者もあって重宝されていたということです。

 また村を通過する者が落とす金で、村を維持する最低限の暮らし以上の事が出来ていたと伝わっています。


 ところが今から七十年程前に二人の者を残して突然他の村人全てが消えたのです。

 

 ツタデルハシワから来た巡礼から村に人が居ないという一報が入りました。エォルンの代官所に使いを出すとともに、当神殿はカラカソ村の旦那神殿でありますのですぐに人を出して調べました。


 報告のようにまったく人っ子一人いません。


 村人全員がいなくなるとなると常識的には逃散ですが、家財道具、農機具、荷馬車、そして何より放牧している家畜がそっくりそのまま置き去りになっていました。食器や衣服もそのままだったと記録にはあります。


 わたしがこの神殿に赴任した時には、まだ当時の事を見聞きした老神官がおりましたが、彼の者の話も同様でした。


 定期的にカラカソ村にはこの神殿から聖職者が訪れておりましたが、カラカソ村を訪れていた複数の聖職者からは逃散の気配など無かったという証言記録が残っています。

 元々豊かな地ではありませんので、税の徴収も村全体で家畜数頭分だったので重税に耐えかねてとも思えません。


 村外に住んでいる縁者や知人については御領主のダンダラス伯爵家が調べを行いましたが、誰一人として村人が居なくなった日以降に村人に出会った者はいませんでした。

 領外、ダンダス州外の知人縁者に関しては当神殿が各地の神殿に聞き込みを依頼しましたが結果は同じでした。


 最初に異変を知らせた巡礼が村を訪れたのは四月二十日の昼頃、四月十八日朝に村に宿泊して出立した者は何の異変も感じなかったそうです。


 村人は四月十八日の朝から翌日の昼という短い時間の間にいなくなったということです」


「何故居なくなったのか理由はわかっていないのですか」


 パーヴォットが薄気味悪そうに訊いた。


「わかっていません。幾つか説がありますが帯に短し襷に長しで万人を納得させられません」

*話末注あり


 神官長の言葉にパーヴォットが疑問を問い掛けた。


「神官長は先程二人の村人は残ったといいませんでしたか。その二人に訊けばわかったのでは?」


「一人は三歳(満二歳)の男児です。この子はエメツ神殿からの捜索隊が村の近くの茂みで見つけました。もう一人は女の赤ん坊で男児の近くに寝かせていました。

 当然、この二人から何があったかなど聞くことは出来ませんでした。二人とも縁者に引き取られましたが二十年ほど前に亡くなっています。


 この二人以外の六歳の男児から七十五歳の女性まで四十九人がどうかったかはわかっていないのです」

 神官長は明らかに話題を切り上げたそうな様子だった。



注:カラカソ村の失踪事件の諸説

 カラカソ村の失踪事件の説を記述する前に神官長の話を補足しておく必要があります。実は失踪が起こった時間帯は神官長が話した四月十八日の夕刻から夜にかけての狭い範囲であると推測されています。


 それは各戸の調理道具が仕舞われて、鍋釜が洗った状態であり竈にも何も入っていなかったことと、居酒屋の中にはまるで先程まで人が居たかのようにビールの入った杯や食べかけの料理を残した皿が幾つもありました。


 カラカソ村は家畜の乾燥させた糞まで燃料にするほど、樹木が乏しい地であるのと村人の人数が少ないので燃料節約の意味合いもあって、朝食は暖炉の火を利用して各家で用意していました。夕食は持ち寄った食材を使って居酒屋で食べていました。


 さらに最初に異変を伝えた巡礼が暖炉には残り火があったと伝えていること、家畜が夜間に収容する柵に中にいたことから失踪が起こったのは四月十八日の夕食の時間帯のことと思われます。



1、野盗襲撃説

 これは時間発生当時あちらこちらで囁かれていた説です。当時ダンダス州から南のバセナス州東部地域で野盗が出没して、行商人や放牧中の農民が襲撃される事件が起こっていました。


 そうした野盗が連合してカラカソ村を襲撃して村人を連れ去ったという説です。ただこの説は現在ではほとんで顧みられていません。


 まず村人がいなくなっただけで家財や家畜がまったく手がつけられていません。また村人の人数が少なかったとはいえ武装した自治村であるカラカソ村の者が抵抗したあとが見つかっていないからです。


2、ヘロタイニア人襲撃説

 ヘロタイニア人ならば村人を拉致して奴隷するために連れ去ることはありますが、リファニア南東部に居住するヘロタイニア人が誰にも見つかれずにわざわざリファニア北西部まで来てまた多くの村人を連れて居住地に帰還するとは思えません。

 船を使ったとしても沿岸部の村を襲撃するのではなく、内陸部の村を襲撃するのは不自然です。


 この説も野盗襲撃説と同様に現在では顧みられません。


3、飢狼襲撃説

 狼の集団に村が襲撃されて村民が命を落としたとする説です。この説も無理があります。よしんば狼の集団が村を襲ったとしても家畜が襲われていません。

 狼に襲われたのなら食い荒らされた死体が残るはずですが、血痕があったという記録もありません。


4、崖崩れ説

 かなり仮想的な前提に成り立つ説です。リファニアの宗教は明らかに反社会的と思えるような儀式でないかぎりは民間の習俗に関与することはありません。


 ところがカラカソ村には宗教組織を憚るような習俗があり、四月十八日の夜にこれを行うための二リーグ半(約4.5キロ)離れた崖の上まで村人全員で行ったところ突然崖が崩れた下にあった沼に全員が飲み込まれて死んだという説です。


 確かにそのような崖が存在しますが、カラカソ村の村民失踪事件から半月をかけて領主であるダンダス伯爵家の家臣らが付近七リーグ(約13キロ)四方範囲を捜索しています。

その捜索記録が残っていますが直近に起きたと思える崖崩れの記述はなく、また崖下の浅い沼も一応探査したが何も見つけられなかったとの記載もあります。


5、悪霊説

 村人が悪霊に取り憑かれて荒野に誘い出されて死亡したという説です。現代日本なら一顧だにされない説ですが、中世世界リファニアではかなり有力な説です。

 この説を支持する者は幼児と赤ん坊が残されてことを証拠としています。悪霊は人の悪心を利用して人を操るとされていますが、まだ物心がつかない幼き者は悪心もありません。


6、領主による惨殺説

 当時の領主は現在の領主ダンダス伯爵バニュートリー・バドゥ・コリチヤウの大伯父(大伯父の父)にあたるバナンガ・ベラン・マッカピテウです。

マッカピテウは奇行で知られた人物で大の狩猟好きでした。この狩猟好きが嵩じてカラカソ村民を対象にした人間狩りを行ったという説です。


 根拠は当時マッカピテウがダンダス州北部で百人規模の人間を率いて巻き狩りをしていたという頼りない状況証拠だけです。


 もしマッカピテウが人間狩りを行いたいと思ったのなら、野盗説で記述したように当時ダンダス州東部に野盗が出没していたのですから、これを狙えば合法的で統治面からも好ましい人間狩りが出来ます。


 更にマッカピテウの奇行は冬季に城の中庭で幕舎を設えて過ごしたとか、奇術に凝って毎夜家臣に披露したといった類のことで、家臣は迷惑したかもしれませんが領民に害が及ぶようなことをした記録はありません。ダンダス伯爵家を快く思わない者による想像たくましい説としか言えません。


7、一村民による殺害説

 これも想像たくましい説です。一人ないし極少数の他の村民に恨みを抱いた村民が全員を殺害して死体を荒野に埋めて隠してから逐電ないし自害したという説です。これは悪霊説と併用して語られます。

 一人ないし極少数の者が異変に気が付かれること無く、五十名近い者を短時間で殺害することは難度の高い行為となります。


 また前述したように村内に争った形跡もありません。 


8、エメツ神殿による殺害説

 根拠のない説です。この説の出所はエメツ神殿の農作業を担当する職能神官が「事件後三百頭の家畜が増えたので仕事も増えた」とツタデルハシワの酒場で愚痴を言ったという噂です。


 これからエメツ神殿はカラカソ村の家畜欲しさに村民を殺害したというのです。


 ただエメツ神殿では自家用に精選された血統の家畜を千数百頭ほど飼育しています。それなのに雑多な家畜を得るために大切な信者五十名を殺害するなど常識的にはあり得ないことです。


 カラカソ村には三百数十頭の各種家畜がいましたが、旦那神殿であるエメツ神殿はこれらの家畜を神殿内の放牧地に収容しました。


 これは村人が見つかった場合に無事に返還する為です。今でもエメツ神殿では失踪した村人ないしその子孫という証拠がある人間が名乗り出てくれば当時と同数の家畜を引き渡するつもりで収容した家畜の種類と頭数の記録が残っています。


エメツ神殿に悪意をいだく者が流した根拠のない説です。


 ただエメツ神殿の神官長が祐司とパーヴォットに「幾つか説がありますが」といってカラカソ村の話を打ち切ったのはこの説があるためです。


 誠実な神官長は個々の説を話すとすれば、公平性を保つためにエメツ神殿犯行説も話さないワケにはいかないと思っていましたが出来ればこのような説があるとは言いたくなかったのです。


9、毒キノコ中毒説

 これは有力な説です。リファニアの毒キノコの中には興奮状態に陥らせるモノが確かにあります。カラカソ村の村民は夕食を共同で食べていました。

 その食材に毒キノコが混入していた為に次々と村民は狂騒状態になって荒野にさまよい出て正気に戻っても帰る方向がわからずに野垂れ死にして死体は野生動物に食べられたという説です。


カラカソ村周辺はダンダス伯爵家が捜索しましたがローラーをかけるような捜索ではなく、村人が行きそうな場所を重点的に調べたことがわかっています。

 この為に捜索範囲外に出てしまっていたり、粗い捜索の目に引っかからなかったこともあり得ます。


 難点はどの説にも当てはまりますが、一度に全員が人事不省に近い症状になるのかという事と事件が起きたのは五月でキノコの季節ではありません。

 また前年に採取した乾燥キノコというもあり得ますが、リファニアでは取れたてのキノコ料理を好みますので採集したものを全て乾燥させたのは不自然です。


 近代的な捜査が行われていれば村人が食べ残した料理がどのようなものであったかか記録されたでしょうが、残念ですがその記録はありません。


10、踊り病 (ダンシングマニア)説

 この説は祐司がリファニアにいた時から三百年後に提唱されました。根本は毒キノコ説に類似していますが毒キノコ説よりは多少上手く説明出来ます。


 この説は村人が狂騒状態になったとしますが、さらにその原因から二つに分かれます。


 まず狂騒の原因を麦角菌にきします。麦角菌は本文でも出てきました。麦角菌は循環器系や神経系に対して様々な毒性を持っており、脳の血流が不足して精神異常、痙攣、意識不明、そして錯乱状態になることもありリファニアではこの傾向が強いようです。

(第三章 光の壁、風駈けるキリオキス山脈 キリオキスを越えて8 ヌーヅル・ハカンの”情けは人の為ならず” 四 参照)


 麦角菌は米を除くイネ科の植物に見いだされます。カラカソ村の村民は主食としているライ麦やエン麦についた麦角菌で中毒症状を起こしたと考えられます。


 これは毒キノコ説より状況が上手く説明できます。当時のカラカソ村村民の食べ残しについて記述がないと書きましたが、毒キノコは一般的に知られていましたからキノコ料理があれば調べられた可能性はかなり高いと思われます。

 しかし麦角菌は普通の穀物に見いだされるのと、当時は麦角菌に関する知識が広まっていなかたことから見逃されることは可能性としては高くなります。


 次に狂騒状態になったのは中世ヨーロッパで起こった”踊りのペスト (ダンシングマニア)”というモノと同様のストレス性の集団ヒステリーに原因を求めるモノです。


 カラカソ村は五十人という少数の者が濃厚な人間関係の中で生活していました。そして決して恵まれた土地では無く日々休み無く働かねばならず極度のストレスに常に苛まれるような環境でした。


 四月になって気温が上昇してくると体調や気分に変化がおこることは現代日本でもよく見られる現象です。

 夕食時に誰かが踊り狂うような無意識の行動を始め、それが次々伝染していった結果、村人は”アルモンデ・サルナの荒野”に踊りながら消えたという説です。


 実はこれを裏付ける証拠が祐司とパーヴォットが”カラカソ村の失踪事件”を聞いてから十年後に見つかります。


 これはカラカソ村があった付近に迷い込んで牧人が見つけました。牧人はカラカソ村から四リーグ程離れた場所で朽ちて靴底だけになった靴やボロボロの衣服の残骸を幾つも見つけました。


 それはカラカソ村跡から”アルモンデ・サルナの荒野”に向かって一直線に半リーグの範囲にありました。

 中世世界リファニアでは衣服や靴は貴重品ですから荒野に捨てるというのは不自然です。


 牧人は気味が悪いので靴や服の残骸には手をつけずにその場を去りました。


 牧人はこのことを律儀に治安状態の検分の為に村に来た役人に話しました。この役人も職務に忠実で事件性があるかも知れないと、この靴や衣服の残骸について検分して記録が残りました。


 狂騒状態になっている村人達が自ら服を脱ぎ靴を捨てたか、あるいは自然と脱げたかは判然としませんが村人が自らの行為で荒野に消えたことの証拠にはなります。

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