黒い嵐2 シスネロスの戦い 二
ドストレーム市参事の、籠城すれば市内は食糧不足で餓死者が出るという発言にランブル市参事は激しい口調で反論した。
「シスネロスの備蓄食糧があるだろう。独立不羈を守るためには、口ばかりではなく備えもしているのがシスネロスの真骨頂だ。
一年は立て籠もられるように準備があると、シスネロス市民なら子供の時から教えられていることだ」
「かつてのドノバ内戦時と事情が違うのだ。籠城をすれば少なくとも負けないことはわかっている。
ただ、戦には勝ったが戦争には負けたということになりかねん。ランブル市参事殿、少しは市庁舎からの備蓄食糧の報告を読んではくれんかな」
ハタレン市長が困り顔で言う。
「報告書だと。何時、見せた」
ランブル市参事は、少しきつい口調でハタレン市長に言い返す。
「昨日、届けました」
ハタレン市長の言葉に、ランブル市参事は乱暴に答えた。
「あの書類のことか。あんな、多くの書類を一日で読めるか!」
売り言葉に買い言葉で、ランブル市参事も怒鳴るように言い返した。
「わたしは、同等の書類を決裁しております」
ハタレン市長は、少し穏やかに言った。
「市庁舎の細かな書類までは、わたしは慣れていない。手短かに説明する者を寄越すべきではないのか」
ランブル市参事も血の気は多いが、相手が落ち着いた口調でいったので自分では穏やかなつもりで返した。
「ちょっとお待ちを」
ハタレン市長は、そう言うと小会議室のドアを開けた。表にいる秘書官に何事がを話すと書類を手に持って自分の席にもどってきた。
「書類を説明する人間と書類は一緒でした。ところが、あなたの秘書やら、補佐という人達が、あなたが陣取って市民総会代表部として使っている市庁舎の一角に通してくれません。
あまつさえ、あなたの身内だという人が、書類を取り上げてしまいました。機密書類といったら、オレはランブル市参事の命令で動いているとかいうので、受け取りのサインをもらってきましたよ」
ハタレン市長は、そう言うと書類をランブル市参事に渡した。
書類は受取証だった。名前は、あまり親しくない妻の従兄弟の名が、書かれてあった。妻がその従兄弟が市庁舎で働きたがっているから、紹介して欲しいと言った。ランブル市参事は妻の頼みで市庁舎の臨時職員にする推薦状を、書いたことを思い出した。
「そうそう、わたしもよく耳に致します。市民総会の代表だと名乗って勝手に市庁舎の中をうろついては、市職員にことあるごとに、いずれ市庁舎の役職は、全てランブル市参事が任命しなおすと言っておるそうです。
その時に市庁舎にいたかったら、未来の上司に逆らうなとか、口答えするとランブル市参事に報告すると恫喝するとか。それも何人もいるそうです」
ハシット市参事が、噂を語るように言った。
「もう、その話は止めろ。市民総会からの派遣市民行政官は市政の運営に慣れていない者が多い。これも、日頃から市政を市民に対して開かれたものにしてこなかった市参事会の責任だ」
ランブル市参事は自分でも強引だと思える主張をした。
「あなたもそのメンバーでしょう」
ハシット市参事が軽く切り返した。
「なんだと」
ランブル市参事は怒鳴った。
「お互いにやめましょう。ここで子供じみた喧嘩は困ります」
ハタレン市長が困り顔で言った。すかさず、ハシット市参事が謝った。
「言い過ぎでした。謝ります」
ランブル市参事は、自分が会議で浮いているように感じた。ハタレン市長がそのランブル市参事に言う。
「ランブル市参事、いや、市民総会代表、市庁舎で職員が通常のように業務ができますようご指示願います。このままでは防衛戦に対しての準備にまで支障が出ます」
「善処しよう」
苦虫を噛みつぶしたように言った。
「どのように」
ハタレン市長が追い打ちをかけるようにランブル市参事に言った。
「わたしへの書類は、全て秘書官経由にする。市庁舎の人間はいつでも秘書官に会えるように指示しておく」
市参事には秘書官が市庁舎からつく。市参事は、この秘書官を使って市の担当と連絡を取ったり資料を取り寄せていた。
ただ、ランブル市参事は市庁舎の人間を敵視する傾向があり、秘書官は予定を確認するだけに使っていた。
「今から善処していただきありがとうございます。ただ、書類は軍事行動に入った今、極秘書類です。敵軍に流れると拙い資料です。貴方の手元にないとなると拙いです。至急、貴方の手で確保していただけますか」
いくら、ランブル市参事でも、シスネロス市の備蓄食糧に関する資料が軍事機密であるのは理解できる。
そして、シスネロスの敗北を最も恐れているのは、現在、シスネロスの最高権力となったランブル市参事自身でもあった。
「それも善処する。受け取った男はわかっているからすぐに取り戻す」
ランブル市参事は、市民総会発足と、義勇軍編成などで臨時市庁舎職員の増員を行っていたが、ランブル組の幹部に推薦、すなわち採用を任せていた。そのため自身も、ごく一部の職員についてしか把握していなかった。
「すぐにお願いします」
ハタレン市長が、そう言うとランブル市参事は手元の羊皮紙に何やら書き込んだ。
「しばらく待ってくれ」
ランブル市参事はそう言うとドアを開けて自分の秘書官を呼び、先程の羊皮紙を渡した。
「今、秘書官に手配した。オレの書き付けも持たした。書類を受け取った男は、しばらく登庁させない」
「またしても善処ありがとうございます。ただ善処されても、備蓄食糧は増えません」
ハタレン市長はにこやかに言った。それに対して、ランブル市参事はつっけんどんに言う。
「その資料を見せろ」
「今、取りに行かせます」
ハタレン市長は、席を立って廊下にいる自分の秘書官に、手筈をつけようとした。それを、ランブル市参事は制した。
「そのようなことで時間を浪費することはない。手短に説明をすればいい」
ハタレン市長はちょっとほっとした。書類には、市の備蓄食糧と大商人の倉庫にあり、緊急時は市が強制的に買い上げる食糧量について書かれてあった。
しかし、中小の商人や、市民個人も二三ヶ月ほどの食糧は備蓄している筈だが、そのことは記載されていなかった。下手に書類を精査されるとランブル市参事に、そのことを指摘される恐れがあったからだ。
ハタレン市長は、手元に持ち込んだ資料を見ながら説明を始めた。
「籠城に入って現在の市民が消費する食糧と同量の物が一日でなくなるとすると、五十六日分の食糧しかありません。
通常なら日々、近隣の農家から生鮮食料品や、豆、芋などが入ってきますし、後一月半もすれば最初の小麦や大麦が入荷して来ますから気にするほどの備蓄量で在りません。
ただし、それらの日々運び込まれる食料が途絶すると、備蓄された食料を配給制にして、一人あたりの食糧消費を抑えても九十日程度で、シスネロスの食糧は尽きます」
「モンデラーネ公が自軍の補給に困窮したり、一時的に包囲しただけで満足すればいいが、モンデラーネ公が本気で兵糧攻めをすると拙いということですね」
ずっと、黙っていたダネル市参事が言った。ダネル市参事は市庁舎の資料には丹念に目を通すとともに、わからない部分は市の担当者に質問を繰り返していた。
備蓄食糧の件については、半年以上は籠城できるだろうというのが一般的なシスネロス市民の認識だった。シスネロス市民の知っている籠城とは、旧ドノバ候が行ったシスネロス包囲戦のことであった。
この包囲は半年以上続いた。包囲が解けた時も備蓄食糧は充分にあり旧ドノバ候追撃時も何の問題もなかったと伝わっていた。その基準からすれば、現在の食糧事情は確かに心許ない。
「そういうことです。一刻も躊躇はできません。籠城か、野戦かをお決め下さい。そのどちらでも対応いたします」
ハタレン市長は、ダネル市参事が余計なことを言い出す前に、ランブル市参事に決断を迫った。
「何故、備蓄食糧がそんなに少ないのだ」
ランブル市参事は、それには答えずにハタレン市長に聞いた。ランブル市参事の本心は勝てないにしろ、負ける可能性の少ない籠城だったからだ。
「貴方も市参事なら憶えていませんか?というか貴方が言い出した政策の為でもあります」
ドストレーム市参事が、ランブル市参事を見やりながら言った。
「なんでオレのせいなんだ」
ランブル市参事は大声で聞き返した。
「ご承知のように、この三年は不作が続いています。それでも、周辺地域よりはかなりましです。ドノバ州では貧窮は別にして不作による直接の餓死者は出ていません。ただ、穀物相場は高騰しました」
ハタレン市長が丁寧に説明した。
これには、ランブル市参事も覚えがある。昨年の夏の同時期に穀物が不足して穀物価格が高騰した。これに、対して零細商人や職人を支持を得るためにランブル市参事は備蓄食糧の一時放出を主張したのだ。
最も、治安維持、人心安定の為に、ほとんどの市参事がやむを得ないと考えていたために、すぐさま実行に移された。ランブル市参事が言い出さなくとも、かなりの確率で実行された政策であった。
ランブル市参事はそれを自分の手柄にして演説で多用することはあったが実際の放出量については総量を聞いただけだった。また、放出分は秋の収穫で補填する筈であった。
「だから、え。そんなに出したのか?」
「三ヶ月分の備蓄食糧を放出しました。それまでの、最低価格で。それを最初に要求したのはランブル殿です。何なら市参事会の議事録をお見せしましょうか」
「放出分は補填したのではなかったのか」
「多少はできましたが、十分ではありませんでした。春の最初の市参事会で、この件については報告しました」
春には、それまで眠っていた経済活動が動き出す。市の予算承認から各種の物資の動向、それに対しての対応を決めるために市参事会も多忙である。
その中で、前年の備蓄食糧放出に対する補填量など、その時は些細な問題であった。その場の問題点をついて直感的に政治を行うランブル市参事にとっては過ぎ去った問題であり、自分以外の誰かが取り扱う地味な問題でもあった。
また、この問題は振って湧いたモンデラーネ公軍との衝突で浮き出てきた問題であり、それまでは、誰も問題視していなかった。
備蓄食糧の補填が十分出来ていないことは、備蓄食糧の放出を含めて、ランブル市参事一人の責任ではない。
「もとから、備蓄食糧は六ヶ月ほどでした。それを戦時に餓死ギリギリになって食い延ばせば、一年と言っていたのです。
守備する兵員には優先的に食糧を供給しますが、他の市民には我慢をお願いすることになります」
市民軍のブロムク司令が発言した。
「野戦で勝てる算段はあるか」
ランブル市参事は反射的に聞いた。
「正直、完全に敵勢を打ち破るのは難しいと思います」
ブロムク司令は、正直に自分の考えを言った。
「ディンケ司令は?」
ランブル市参事は今度は、静かに会議の様子を見ていた傭兵隊のディンケ司令に発言を求めた。
「同意見です。ただ、下手をすると、こちらの半分の敵にも勝てるかどうか」
「シスネロス市民兵が敵より多いのに負けるというのか。それでも、シスネロス市民の金をもらって安穏と暮らしている傭兵隊の長が言うことか」
ディンケ司令の言葉に、ランブル市参事は怒ったように言った。
「ランブル市参事、意見を聞いた相手が自分の思うことを言わなかったからと威嚇するのは見苦しい。あなたは総大将なのだから取り乱した言動は慎んでいただきたい」
ハタレン市長がランブル市参事を諫めた。
「もう一度聞く。野戦で勝てるのか。ブロムク司令、ディンケ司令」
ランブル市参事は今度は落ち着いた口調で聞いた。
「負けないように全霊全身で努力いたします」
ブロムク司令が立って答えた。
「なんとかいたします」
ディンケ司令も同じように立ってから答えた。そして、ディンケ司令は堂々とした言い方で言葉を続ける。
「傭兵隊は、すでに野戦、籠城いずれにでも対応できますよう準備をさせております。傭兵隊は、勝てる戦いはもちろん、勝負半ばの戦い、あるいは不利な戦いでも勝てるように算段します。しかし、負けるとわかっている戦には一言意見を言わしていただきます」
「意見は」
ランブル市参事はその言葉にすぐさま問いかけを発した。
「ありません」
ディンケ司令も、即座に答えた。すわなわち、負けない以上の可能性はあるという意見表明だった。
ランブル市参事はそれでも念を押すように聞いた。
「負けないようにか?」
「はい」
ブロムク司令は、やはり確信を持った声で答えた。
「自信は?」
ランブル市参事は、ディンケ司令にも、もう一度、聞いた。
「おおいにあります。先程も言いましたように、勝てる、あるいは負けない可能性があれば、そのように持っていきます」
ディンケ司令の言葉には揺らぎがなかった。
「モンデラーネは多くの巫術師を引き連れているというが大丈夫か」
ランブル市参事は立ったままのブロムク司令にたずねた。
「巫術師の質はともかく数では負けておりません。”屋根”に専念させれば巫術師がいないのと同じ戦いになります」
ブロムク司令は、いささかも動ぜずに答えた。
リファニアの戦いでは巫術が大きな役割を果たす。攻撃では、敵兵を無力化する”雷”が代表的な術である。その”雷”を跳ね返すのが”屋根”である。
巫術師は原則として、複数の巫術を重ねて使えないので、少々、相手より巫術師の数や室に劣っていても、比較的広範囲にかけられる”屋根”に専念すれば敵の”雷”を無力化できるのだ。
「可能性として、考えておかねばならないのがシスネロスではなく渡河点として重要なタイタニアや、南部直轄地の物資集積に重要なトムスといった他の都市が攻撃されることです」
アズエイ市参事が、直轄地代表としてシスネロス以外の地域への攻撃の可能性を指摘した。ハタレン市長が困り顔でアズエイ市参事の言葉に続けた。
「それらの都市も、簡単には陥落はしないでしょうが、モンデラーネ公軍の全力で攻撃を受ければ数日程度で陥落するかもしれません。それで、モンデラーネ公は勝利を宣言するでしょう」
「どうすればいい」
ランブル市参事が、ブロムク司令にたずねた。
「シスネロスから増援をすれば、シスネロスの守備力が低下します。あれもこれもは、完全には守りきれません。
策としては籠城するにしても、他の都市の攻略を困難にする程度にはモンデラーネ公軍に打撃を与えておくことでしょうか。
あるいは他の地域の展開したモンデラーネ公軍に後詰と出撃して野戦を挑むかです。ただ、この場合は我々が戦場を決めるのではなくモンデラーネ公が戦場を決めることになります」
ブロムク司令は出席者全員に、ゆっくりした口調で言った。
「よし、いいだろう。野戦でも籠城でもモンデラーネ公軍を打ち破ればいっしょだ」
ランブル市参事は少し考え込んでから言った。
「野戦をしても最低、負けなければいい。いや、壊滅しない程度の負けでもいい。戦ったあと、我が方は半壊してでもシスネロスにもどり、敵は包囲が厳しいほどの損害を被り撤退を余儀なくさせればいいのだ」
ランブル市参事は一端の将軍か軍師になったように言った。ブロムク司令とディンケ司令は気取られない程度にあきれ顔でお互いを見合わせた。
負けない程度にと言っても、野戦はかなりの数の戦死者が出るだろう。しかし、その懸念は一度もランブル市参事の口から出ることはなかった。
所詮はランブル市参事は、芝居や物語の戦いを思い描いているだけだとブロムク司令達、武人は見抜いていた。
ただ、ランブル市参事の言った戦い方は、彼の敵が思い描いていた戦い方でもあった。そして、その敵は自軍の勝利のために、許容できる損害を計算できる武人であった。




