寂寞街道3 郷士崩れ 下
祐司は刀の束に手をかけて抜くぞというような動作をして見せた。もちろん祐司の動作はフェイクであるが、二人の男は後ろも見ずに街道の方へそれこそ全速力で駆け下りていった。
「やけになって馬車を奪われたり、壊されてはことです。追いましょう」
祐司はそう御者に言うと自分も男達を追って走り出した。祐司が高台を駆け下りて街道に出ると意外な光景があった。
逃げ出した二人の男は七人の男に取り囲まれ、後ろ手に縛り上げられて地面に横たわっていた。
地面に横たわっている二人の男を取り巻いている男達は雰囲気と服装から堅気とは思えなかった。
「ジャギール・ユウジ様、お手数をかけたようで詫びと礼をいいます。申し訳ありませんでした。そしてありがとうございます」
祐司に声をかけて頭を下げたのは見るからに渡世人の親分という雰囲気の五十年配の男だった。
「ジョッデ・アイクナド親分、ジャギール・ユウジ様のことを言いつかりましたのに申し訳ありません」
御者が渡世人の親分という男に腰を低くして言った。
「ネルキド、どういう仕儀だ。場合によってはただではすまないぞ」
ジョッデ・アイクナド親分と呼ばれた男が御者をきつい口調で叱責した。
御者が渡世人かどうかは地域によって異なる。少なくとも王都では荒っぽいが堅気の仕事で、マルタンでは信用があり丁寧な物腰が出来る者の職業だった。
「詳細はわかりませんが、御者はそこの二人の男がわたしに近づかないように精一杯のことをしておりました。
様子からそこの二人の男がわたしを害そうとするならば命を賭けてでも守ろうという気持ちが伝わりました。
もし御者が何らかの処断をうけるのであればわたしは申し訳なさ過ぎます。処断するのではなく、お褒めいただく事かと思います」
祐司はあわてて取りなすように言った。
「あいわかりました。そのように取り扱います」
アイクナド親分は度量をあることを示すように祐司の言を受け入れた。
「わたしはジョッデ・アイクナド、本業は馬借と辻馬車の親方ですがムリリトで渡世人の元締めをしております。
王都の渡世人の大元締めベドベ・サティンカからは貴方様の安全を担保するようにと指示されております。それがとんだ不始末です」
バーリフェルト男爵の依頼で王都の渡世人の元締めベドベ・サティンカが祐司の警護をそれとなく行って欲しいと各地の渡世人に依頼したことで、祐司の知らない護衛が時々ついている。
(第八章 花咲き、花散る王都タチ オラヴィ王八年の政変18 バーリフェルト男爵家の法則が発動する 参照)
イティレック大峡谷ではイティレック州イトリトの渡世人レルバ・ドグラスがつけてくれたバンガ・ナレクトという男の率いる一団のおかげで、非道な流民殺しをしていたノウシアイネン男爵家の世子ムガザ・モレルト・ルヴァルドルの一団と剣戟を交えずにすんだ。
(第十三章 喉赤き燕の鳴く季節 イティレック大峡谷を越えて15 人狩り貴公子 中 参照)
ナデルフェト州では乱波でもある渡世人カマル・サックハニとその妻で巫術師でもあるグシャテ・ピツシアックが祐司を逆恨みするモンデラーネ公軍の巫術師ナーヌ・ラウレの一味からの襲撃を凌いでくれた。
(第十四章 ミツガシワの雫を払い行く旅路 道標は北の高き北極星14 祐司の猿芝居 参照)
「そのことも貴方が悔やむことではありません。わたしが知らないところでいい御者をつけていただいたようで感謝いたします。ところで縛り上げられている男達はどういった者なのでしょうか」
祐司が訊くとアイクナドはさもありなんという話をした。
「この二人は賭場でイカサマをいたしました。それがバレて逃げ出したのを探しておりました。
賭場は市庁舎の暗黙のお許しを得ておりますが、そこでの不始末をした者はわたしどもが捕まえて突き出さねばなりません。
そこで我々で探しておりましたが、そこの御者をしておりますネルキドからセミリア神殿辺りで見かけたと使いが来ましたのでここまで出向いてきました」
渡世人は地域の顔役であり灰色の存在である。
現代の人口に対しての公務員数は生産力の低い中世世界リファニアでは驚くほど少ない。
それでは地域住民の細かな要求や揉め事に対応できないが、これを補っているのが渡世人である。
*話末注あり
また平時の治安要員も少ないので、現在の消防団のような感覚で地域住民による自警団も組織されるが、犯罪者の捜索や捕縛といったことは渡世人がその組織力を生かして行政組織から委託されていることも多い。
その見返りとして芝居の興行権や、本来は違法である故買商や賭博行為の開催が認められる。
領主や自治都市の行政官は治安の悪化、人心の荒廃を招き、把握できない金銭のやり取りが行われる賭博は禁止したい。
しかし幾ら禁止してもその全てを取り締まることは出来ないので、渡世人による賭博を認める代わりに、その他の賭博を闇賭博として渡世人に抑制してもらおうという考えである。
(第十五章 北西軍の蹉跌と僥倖 上 薄暮回廊9 博徒ケルテンの凶行 注:リファニアの賭博事情 参照)
また賭博における刃傷沙汰以外の揉め事は、賭場を運営する渡世人が仕切りをしてもお目こぼしという慣行がある地域が多い。
賭場でイカサマをしたような手合いは、殺すこと以外の仕置きをされてもイカサマをした者が当局に訴えても受け付けてくれない。
*話末注あり
恐らくイカサマをして逃げたという郷士崩れの二人の男は一旦当局に突き出されて相応の処罰を受けた後で、アイクナドに身ぐるみ剥がれるか金がなければタコ部屋のような場所で年季奉公を強いられるだろう。
「アイクナド親分、こいつらは馬車で逃げようとしておりました」
御者のネルキドがご注進をする。
「賭場破りは二日前です。街道は我々の手の者が見張っております。何処かに隠れ潜みながらこの辺りまで来たがどうにもならないので姿が見られずに移動できる馬車を乗っ取ろうとしたようですな。
ところがこれは飛んで火に入る夏の虫だ。ムリリトの御者は渡世人の一党だと知らなかったのでしょう」
アイクナドが祐司に説明してから、如何にもアイクナドの右腕という感じの精悍な男に「ヘルド」と言って目配せをした。
「お前ら身分と名は?」
ヘルドを呼ばれた男が鋭い口調で倒れている二人の郷士崩れに問うた。二人の郷士崩れは口を閉じたまま恨みがましそうにしているばかりだった。
「お嬢さんの見ている所で手荒なことも出来ない。信者証明を確かめて、兎も角、賭け金の回収だ」
ヘルドという男がそういうと他のアイクナドの手下達が郷士崩れ達の体をまさぐった。
すぐに信者証明と財布が見つかり、ヘルドに渡された。ヘルドは信者証明を一読して、財布の中身を確かめた。
「二人ともレッツトユル子爵家家臣とあるが、その身なりじゃ何か不始末をしてヒマを貰った口だな。
持ち金も鐚銭程度だが、賭博場に入る時にイカサマは金貨二十枚と聞かされたな。耳が聞こえなくとも賭博場にも大きな字で書いてある。まさか郷士様が字が読めないわけではなかろう。
伝手を頼ってでも金貨二十枚が揃わなければ、その分はこちらが用意した仕事をこなして金貨ニ十枚分にして貰おうか。少しでも軽減できるように剣は貰っておこう」
ヘルドという男の言を聞いて、渡世人が暗黙の了解で開催する賭博場は自治都市ムリリトの領域内では治外法権なのだろうと祐司は思った。
「兄貴、これを。お笑いですぜ」
男達の腰から剣を奪った手下が一つの剣を鞘のままヘルドに渡した。それをヘルドは抜く。
「木剣だ」
パーヴォットが呆れたように大きな声を出した。
ヘルドが抜いた剣は剣の形はしているが明らかに木製である。これは日本なら竹光ということになる。
尚武の気質の強いリファニアでは庶民階級であっても余程困窮しなければ剣はなかなか手放さない。
ましてやリファニアの武士階級というべき郷士が剣を手放して体面のために木刀にするというのは物笑いの種である。
祐司は郷士崩れ達の剣に重みがないという違和感があったのはそういうことかと納得した。
ヘルドは木剣を鞘に戻すと手下に渡して、もう一人の男の剣を抜いた。その剣も木剣だった。
流石に恥ずかしいのか二人の郷士崩れは顔を地面に押し当てている。
「郷士の魂を手放したので、恥ずかしげも無くイカサマなんてことに走ったと見えますな」
アイクナドは祐司とパーヴォットに言ったが、かなり大きな声であったことから本当に聞かせたいのは郷士崩れ達だと祐司はわかった。
「どうも余計なモノを見せてしまいました。どうか御参拝をお続け下さい」
アイクナドの言葉に祐司は「ありがとうございます」と言ったが、自分でももう少し似合った返答の仕方があったのではという違和感を持った。
注:リファニアの公務員
生産力の低いリファニアでは一万人程度の都市でこういった市の行政や手続きに関する仕事をしている者は五十人もいません。
実例として宗教都市マルタンは人口五万ですが、そのうち一万五千は各神殿の関係者であるので市参事会の元にあるのは世俗人口の三万五千です。
おそらくマルタンでは市参事会の配下にある役人は総数で百人を幾らも越えることはないでしょう。
人口比にすると350人に一人です。すなわち人口百人に0.3人弱になります。
ただマルタンでは治安はセウルスボヘル伯爵家のマルタン奉行所がまかなっていますので、それらを公務員と見なすと全体の数は二百人ほどになります。
日本で人口三万五千の市は山梨市があります。山梨市の市職員はおよそ三百六十人ですから、人口百人につき一人ということになります。
日本の場合は県職員、国家公務員なども数多く存在して県税国税でまかなわれているのでこれを考慮すると人口百人に対して三人ほどになります。
これは他の先進国に比べると半分ほどの人数ですから、人数からみれば他の先進国と比べて公共サービスの質は半分で我慢する必要があります。
またこれ以上削減すると福祉、教育、医療、防災や治安維持或いは国土防衛といった基幹的公共サービスの質的低下をも甘受する必要があります。
公務員は半分にするべきだとか、公務員の給与を引き下げよという意見を見ることがありますが、現在の行政サービスの半分で公務員は質が低下してもいいというトレードオフの関係になります。
また一般公務員、教育公務員、警官、消防局員、自衛隊員を削減しても現在の行政サービスや治安を維持したければ自分の仕事をしながら住民による自警団、消防団、清掃団、図書館や博物館の運営団体、行政手続き代行団体、学校に所属して実費程度で勤務したり、郷土防衛隊の訓練に年に何日も参加する義務が生じるでしょうが現在と比べてかなり窮屈な社会になるでしょう。
反対にいえばこのような状態がリファニアの常態です。
注:王都ないし王領の賭博事情
リファニア王国において王家が統治する王都、リファニアの畿内であるホルメニア、その他の王領では賭博は御法度です。
個人同士の賭け程度はお目こぼしされますが、賭け金を支払う支払わないという訴えは受け付けてくれませんから渡世人に仲介して貰うしかありません。
王都における最大のギャンブルは夏至祭におけるボートレースで胴元は王家です。ひょっとしたらリファニア世界唯一の公営ギャンブルかもしれません。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 春の女神セルピナ28 春分祭そして北へ 下 注:夏至祭の競艇 参照)
その他の賭博がないかといえばリファニア王国の長い歴史から王家は賭博を完全に禁止することの難しさと、闇賭博が蔓延する弊害を知っています。
祐司はギャンブルに興味がないので行ったことはありませんが冥加金を徴収する公認賭博場といったものが認可されています。
公認賭博場は民間の経営で入場料を支払い中で飲食をするという建前です。入場料を支払っても半刻(一時間)ないし一刻(二時間)おきに追加料金を支払うというシステムです。
この公認賭博場では胴元がいません。主に行われるのはサイコロ賭博とカード賭博ですが賭けた者同士で金銭のやり取りが行われます。
この為入場料を支払っても高額な賭け金を出すほど闇賭博で寺銭を徴収されるより有利になります。
ただサイコロ賭博で誰も賭けていない数字が出れば賭博場の総取りになりますが、時にサービスで次回に持ち越しという場合もあります。
賭ける場合に使用するのは現金ではなく入場した時に現金で購入したチップです。チップは退場する時に等価で現金にしてくれますが、途中でチップを追加購入できませんので、追加購入したければ一旦賭博場を出て新たに入場料を支払う必要があります。
このシステムのおかげで今日はこの金額で遊ぶという算段がつき、頭に血が上っても冷静になれる時間を持つことが出来ます。
公認賭博場はただ場所を提供しているだけで、客が個人で金銭のやり取りをしているというのが建前です。
リファニアは身分社会なので人により分相応な賭博場があります。
およそ三区分で上は貴族や上位郷士、豪商が出入りする賭博場でこうした場所は賭博場というよりサロンのような雰囲気があり、賭博をしないで出入りする者もいます。ほぼ会員制で会員の紹介がないと出入りすることは出来ません。
この種の賭博場は入場料ではなく会費という形で利用することになりますが、一年で金貨二十枚ほどかかります。
現代日本の感覚では数百万円になりますから、一年単位で高級ゴルフ場の会員権を買っているような感覚です。
中は中層以下の郷士、店を構える商人、職人の親方、富農といった上層の平民が出入りをする賭博場です。
この種の賭博場も賭博に熱を上げるというより、仲間内で楽しんだり付き合いで出入りする者が主体です。
中の賭博場も最初は賭博場に身分身上を明らかにするか、常連に連れて行ってもらわなければなりません。
この種の賭博場の入場料は銅貨十枚、時間毎の追加料金は銅貨二枚ほどが相場です。また最低でも相場と比べると二三倍の値のビール一杯は注文する必要があります。
下はその他の者の賭博場です。この種の賭博場は出入り自由です。ただ下の賭博場の中にも差異があります。
自分に適した賭博場があるので、あまり自分の実相とかけ離れた賭博場に行くことはありません。
この種の賭博場は入場料と追加料金は銅貨一枚から三枚が相場です。ここも相場の倍ほどの値のビールや火酒を注文します。
上の賭博場を除いて賭博で勝った客は出入り口にある箱に幾分かの金を入れて帰ります。この金は従業員へのチップとなります。
王都の人間は粋を好むので「金を使って遊びに来たので儲けるつもりはない」等と言って元金以外は全て箱に入れて帰る者もかなりいます。
王領でも地方都市とその周辺農村部からの客層しかない地域は賭博場をそう細分できませんので、賭博場の建物内に名のある者だけが遊ぶ者を集めて賭博させる部屋を分離させています。
この賭博場の運営は公認娼舘と同じで認可制で、代々受け継がれるか府内警備隊の審査が行われた上で権利を売買します。
しかし中や下の賭博場では時にトラブル、あるいはイカサマといった事が起こる可能性があるので渡世人が運営代行を頼まれているのが普通です。
さて賭博場は男性専門で女性が出入りするのは男性客が娼婦を連れ込んだような場合です。
この場合は女性も賭け事に参加しますが、男性客が賭け金を出して儲けは女性が取るということになります。
では女性は賭博をしないのかというとそうではありません。
町内会や農村単位で王都やホルメニアでは府内警備隊、その他の王領では代官所に年に一回から二回は臨時賭博場の開設を要望できます。
これは住民の楽しみで行うもので、一人が出せる賭け金は多くても銅貨二十枚程度とかなり低額に抑えられます。
この臨時賭博場は共同体の資金調達という名目で開かれ、寺銭が全賭け金の十パーセントから二十パーセントほどかかります。
大概は居酒屋や季節がよければ野外で行われ、満年齢十五歳以上であれば老若男女誰でも参加出来ます。
最後に王領以外の賭博事情を解説します。
王領以外で半ば公認、半ば黙認で賭博場を運営するのは渡世人です。渡世人は防犯や下手人の捕縛に協力することで、領主から博打場を設けることを黙認されます。
これで領主は費用をかけずに治安維持が出来ると同時に、違法な賭博は渡世人が自分の既得権を守るために排除してくれます。
この渡世人による博打場は大概一見さんはお断りで参加資格があるのは共同体の一員か、余所者の場合は地域の有力者の紹介でなければ参加できません。
そして共同体の一員で大まかな収入が把握されている客の収支は詳しく個々に把握されており収入に不相応なほど負けがこんでくると、「今月はこのへんでおやめになったほうがいいです」と参加が断られます。
これは客が熱くなって生活に困るほど負けて家庭争議などと共同体で問題視されるしその客はもう賭博から足を洗ってしまうかもしれないことを避けるためです。
渡世人も慈善事業で賭博をしているわけでもないので、客のことを親身に心配しているワケではありません。
賭博は寺銭で必ず胴元が儲かることから末永く参加してくれるほうがより搾り取れるからです。