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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十章 マツユキソウの溢れる小径
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流れ行く千切れ雲38 サシャン神殿とシャクソン神官長

 祐司とパーヴォットはセンマとオドネル夫婦の金採集作業の手伝いをした夜、かなりのご馳走を振る舞って貰った。 

 特に金が取れるフナ川のカワマスは金を食べているとセンマがいってその燻製を勧められたがこれはかなり美味だった。


 そしてセンマが「去年の北西戦役の時は何処にいた」という質問をしたので、祐司は仕方なくイルマ峠城塞攻防戦に参加したことを正直に話した。


 センマは驚いて「イルマ峠城塞で”弓手のダッサレー”という無双の強者が討ち取られたそうだが見たか」というので仕方なしに祐司は自分が討ち取ったこととその時に様子を話した。

(第十六章 北西軍の蹉跌と僥倖 下 イルマ峠の紅アザミ31 城壁の戦い 八 -ダッサレー- 下 参照)


「わたしも北西誓約者同盟に属するワザマの者です。他の州のお人でありながら北西誓約者同盟の軍勢に加勢いただきありがとうございます。そのお人にとんだ仕事を頼んでしまいました」


 センマは祐司の話を聞き終わって圧倒されたようだった。


 センマはこの天下の武芸者ジャギール・ユウジから直接話を聞いたことを羨ましがられると同時に何故他の武勇話も聞かなかったかのかと呆れられることになる。 



 翌日、祐司とパーヴォットはセンマとオドネル夫婦はわざわざ”北国街道”まで出張ってくれ丁重な見送りを受けた。

 そして祐司とパーヴォットは今いる”ヤンベルトの森”を抜けて昨日辿り着けるならと目指していたテルマイック村に向けて歩を進めた。


 昨日の雨模様と比べて暖かい日差しに恵まれてはいあたが、街道はまだ所々が泥濘んでいる状態だった。


「あの程度の雨でこの状態では、天下の”北国街道”の名が廃れます」


 パーヴォットは大きな水溜まりの前で止まると半ば怒ったように言った。


「この交通量では致し方ないだろう。それにオレアンド村とセブテ集落の間は二十リーグ(約36キロ)もあって、その間に住んでいるのはセンマさんとオドネルさんぐらいだぞ。誰が街道の補修をするんだい」


 祐司はそう言いながら昨日”北国街道”で出会ったのは、オレアンド村に向かっている二組の巡礼だけだったことをあらためて思い出した。


街道の補修は街道が通過する領主の責任とされる。街道が整備されないと人や物資の流通による経済活動の足を引っ張り領内に悪影響を与えるので責任感や見栄よりも実利の為に領主は街道整備を行う。


 王都のあるホルメニアやドノバ州では街道が四通八達しつうはったつしており経済活動が活発なので専門の道普請業者がいるため街道整備は金の問題となる。

 祐司とパーヴォットと縁が出来たヘロタイニア人系の恵まれない子供とそのOB達による道普請組織ランブル組はこの例である。


 その他の地域では年貢の代替として近隣住民にこの作業が課されるのが一般的である。


 街道近くの住民にとって街道は生活道でもあるので、その補修をすることは自分達の利益にもなるため致し方のない作業として行う。

 ただし日帰りで作業が出来ない無人地帯に近いような場所の街道補修に動員されることは敬遠される。


 そういった地域の街道の補修はおざなりになり、街道は荒れて益々交通量は減少してそれに伴い地域が衰弱して街道はさらに荒れるという悪循環になる。


 こうした街道の状況は祐司とパーヴォットが歩くフィシュ州北部の”北国街道”に当てはまる。


 祐司とパーヴォットは出立してから二刻(四時間)ほどで北国街道”に面したセブテ集落に到着した。

 セブテ集落は十数戸の家があり、周辺には自家用と思える狭小な農地しかなく、また人々の服装は見るからに狩猟を生業にしていることがわかるものだった。


 祐司とパーヴォットは集落にある共同食堂を兼ねた居酒屋で昼食を摂った。その居酒屋の古びた様子と宿泊可能といってもあまり居心地がよいとは思えない様子からセンマ夫婦の家に泊めてもらったことは幸運だったと思えた。



挿絵(By みてみん)




 セブテ集落から二リーグ(約3.6キロ)ほど進むと”ヤンベルトの森”からようやく出た。


 ただ”ヤンベルトの森”はかなり落葉広葉樹が入り混じっており、新緑の季節と相まって軽い感じがしたが、”ヤンベルトの森”の北は南と同じでツツジ科の植物が疎らに生えた寂寥とした荒野だった。


「何故、場所によって森と荒野になるのでしょうか」


「荒野は湿地が散在している。そうでなくとも土中の水分が多く冬季は地面が凍り付くのではないかな。

 だから樹木が根を張って生長していくことが難しい土地になているのではないかと思うぞ」


「呪われた土地というワケではないのですね」


 パーヴォットがほっとしたように言った。  


 パーヴォットは中世世界の価値観で育ってきた少女なので、神威や魑魅魍魎の存在を当たり前のようにして受け入れている。

 ただパーヴォットは現代日本人の祐司とずっと一緒にいるので、説明がつくことは自然の摂理として受け入れる


「リファニアは神々に祝福された土地だろう。そんなリファニアに呪われた土地なんてあるワケがない」


 祐司の言葉にパーヴォットは「そうですね。神々の祝福を信じないとはとんだ不敬ででした」とパーヴォットは真面目な顔で答えた。



 荒野は三リーグ(約5.4キロ)ほど続いたが”北国街道”の周囲は草原と森林が錯綜したような地域になっていった。


 そして放牧地が現れた。


「人の気配が戻ってきましたね」


 パーヴォットが嬉しそうに言った。


「テルマイック村も近いのだろう」


 祐司の言葉通りに一リーグ(約1.8キロ)程進むとテルマイック村に到着した。


 テルマイック村はかなり大きな村で緩やかな盆地状になった場所に百軒を越えるほどの農家が散在していた。

 祐司は「少し早いが今日はここで宿泊しよう」と言うと、向かいから歩いてきた村人と思える男に宿泊できる居酒屋の場所を訊いた。

 

 テルマイック村の居酒屋は可も無く不可も無くといったリファニアの農村地帯ではごく普通の居酒屋だった。

 まだ日は高いがすでに数名の村人がビールを飲みながら雑談にふけっていた。起耕から播種といった農繁期がそろそろ終わりの時期なので、村人達は早い目に仕事を終えたという風情だった。


「今日は早い時間にお越しですな。セブテ集落からですか」


 祐司が宿泊したいことを伝えると亭主が訊いた。


 祐司が「いいえ、”ヤンベルトの森”で砂金取りをしている方に泊めて貰い、そこから来ました」と答えると亭主は少し驚いたような声で返した。


「え、砂金取りの老夫婦は人嫌いの変人って話ですよ。直接付き合いがあるワケではありませんがね」


 祐司は砂金取りのセンマが南にあるワザマやその手前のオレアンド村に買い物に行くといったのに、より近い筈の北のテルマイック村に買い物に行くとは言わなかったことを思い出した。


 オレアンド村からはノルデラ男爵家領だが”ヤンベルトの森”を境にして、日常の交流圏が異なっていると思った。


 

 翌日、テルマイック村を出立した祐司とパーヴォットは三リーグ(約5.4キロ)ほど北にあるサシャン神殿を目指した。

 サシャン神殿はフィシュ州の一宮ともいうべき神殿で、来歴も古くリファニア史上初めての女王である第十六代リファニア女王バルファストネリアが九百年前に建立した。


 当時は”北国街道”沿いにリファニア王家の勢力が北に延びていた時期である。繁多にいうとリファニア王家の勢力が安定した場所に”北国街道”が造られた。

そして南部地域の移住者が”北国街道”沿いに住み着き出すとその地域はリファニア王家の勢力圏北端であったので北端を意味するノルデラと呼ばれるようになった。


 その地を統治する役職名がノルデラ辺境男爵である。


 地方を統治する貴族は統治人口に応じて公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵・準男爵の爵位を与えられた。

 ノルデラ男爵が男爵という爵位なのは当時移住者の人口が少なく、それより人数の多い先住民イス人はリファニア王国の構成員とは認識されていなかったからだ。


 六百年ほど前から現在のノルデラ男爵家はフィシュ州北部に定住して世襲となっている。

 その時はまだサシャン神殿近くの”北国街道”沿いにあるダルメ城が本拠地であったが、現在はバセナス州との境に近いオデキトクという街に本拠が移動している。


 ノルデラ男爵家領は二千リグルス(約7000平方キロ-岡山県程度)ほどもあるが人口の過半はバセナス州沿と北部沿岸部に集中している。

 これは農耕地帯がその地域に集中しているからである。それが当初のノルデラ男爵家の本拠が農耕不適地域が多い領内中央部にあったのは先住民イス人の勢力が強く彼等の居住地に移住者がはいれなかったからだ。


 それが時を経て先住民と移住者の混合が進み、民族による棲み分けが意味がなくなったために住みやすい地域に人々が集まった。このために現在でもノルデラ男爵家領はかなり人口の分布に偏りがある。

 

 

 祐司とパーヴォットが参拝したサシャン神殿は古刹の雰囲気が漂う神殿だった。なにしろ創建当時の建物がほぼ残っているというので往時の雰囲気さが想像できる。


 神殿の造りにも時代が反映しており、サシャン神殿が建立された女王バルファストネリアの時代は直線を多用して無駄な装飾を排した荘厳な造りの神殿が流行していた。

 その時代を象徴する神殿がサシャン神殿であり、当時辺境であったノルデラ(フィシュ州の古名)に大いなる決意を持って建立されたことを持って同様の建築様式の神殿をサシャン様式という。


「こんなに大きな神殿だとは思っていませんでした」


 サシャン神殿を参拝したパーヴォットが驚いたという口調で言った。


 サシャン神殿は神殿の建物配置では一棟形式という造りで本殿と拝殿、そして聖職者が宗教行事を行う講堂が同一である。


 農村部にある神殿や敷地の狭い都市部の神殿の多くは単一の空間に多様性を持たせた一棟形式が多いが、サシャン神殿は東西二十間(約36メートル)、南北四十間(約72メートル)という大きさで四階建てほどの高さがあり内部は単一の空間である。


 この大きさは世界最大規模の木造建築物である東本願寺御影堂の高さ38メートル、正面76メートル、側面58メートルよりやや小さな規模になる。

 ただ江戸時代に文化の中心地であった京都に比べて遙かに建築環境が困難である当時のリファニア王国北端の地にこれだけの神殿を建立出来たこと自体が驚きである。



挿絵(By みてみん)




 流石にこの空間の上にある屋根を支えるために数十本の柱が内部にあるが出来るだけ大きな空間に見せるように柱の配置が考えられているようだった。


 サシャン神殿は大きさもさることながら一階部分に相当する場所こそ石造りであるが、それ以外は柱も含めて全て木造である。

 それでいて八百年前の姿をそのまま残している。これは数十年おきにかなり大きな保修を繰り返してきたからである。


 日本も法隆寺などの千年の時を経た木造建築物が残り万葉の息吹を伝えているが、多くの仏塔や近世の城郭建築物は火災にあっている。

 兵乱を除くとその火災の原因は落雷が多い。ところがリファニアには巫術のエネルギーの作用で雷が存在しないので失火を防げば高層の木造建築物も残りやすい。 


 サシャン神殿の大きな空間の奥には向かって右に主神ノーマ、向かって左には創造神である女神ダーヌの神像がある。

 サシャン神殿はこの二神を祭神とするリファニア南部ではおよ例がない神殿である。ただリファニア北部では時に見られる形式である。


 これはリファニア北部に多い先住民イス人の地母神であった女神ダーヌを創造神として格上げ、悪くとらえればリファニアの神話体系に組み込んだ上で棚上げしてイス人との宗教的な融合を強引に進めたと言える。


 

サシャン神殿の内部はその大きな空間にもかかわらず巡礼者は祐司とパーヴォットを含めて十人程度しかいなかった。

 

「人が少ないですね」


 パーヴォットが少し批難めいた口調で言った。


「まだ時間が早いからな。巡礼のほとんどは北から来るそうだ。お昼頃はかなり人が来るそうだ。昨日の宿屋の亭主が南から来る人は一日に多くて数名だといっていた」


 祐司はテルマイック村の宿屋の亭主が言っていたことをほぼそのままパーヴォットに伝えた。


「ワザマ辺りから来ないのですか」


 パーヴォットはまだ人手の少なさに納得がいかないようだった。


「ワザマの住人からすれば整備された”マルタン街道”ですぐ東に行けば由緒ある神殿が幾つもあるからな。

 わざわざ私達のように”北国街道”の中でも最も整備されていない部分を通ってサシャン神殿に来るのは足が控えてしまうのだろうな」


「でも多少の困難を押して参拝する方が御利益があります。人が少ないと何か私の御利益も少なくなるように思えます」


 祐司としては至極まっとうに答えたつもりだが、いつもは感じることのない何かパーヴォットの考えに何か違和感があった。


 祐司はやんわりとパーヴォットに意見をしようと思った。


「シャクソン神官長の話をしよう」


「是非、聞きたいです」


 祐司は何度か仏教説話をパーヴォットに話したが、その話をパーヴォットが楽しみにしていることを知っていた。


「今まで幾つかシャクソン神官長の話をしてきたが、シャクソン神官長とて最初から素直に神々の教えを受け入れる清らかな心があったわけではないんだ。


 実はシャクソン神官長は小さな国の王太子だった。


 母親の王妃はシャクソン神官長を出産して間もなく亡くなってしまったが、シャクソン神官長は元気に育って美丈夫で聡明な青年になった。

 そして美しく心根の優しいヤショーダラという女性を妃に迎えて、跡継ぎであるラーフラとい可愛い子供も授かった。


 将来は王になることが約束されて幸せに包まれた何一つ欠けたことのないような生活をシャクソン神官長は送っていた。


 ある日、シャクソン神官長は馬車に乗って城外にある遊園地に出掛けようとした。


 城の東門から出かけると、道で腰が曲がり足元はおぼつかない男に出会った。その様子に訝しんだシャクソン神官長は御者に『あれは何者か?』」と尋ねた。


 御者が『あれは老人でございます。すべての人間はいずれ老いて、あのようになります』と答えるとシャクソン神官長は『今日は気が進まない』といって城に戻って考え込んでしまった。


 次の日に今度は南門から出かけると道端に倒れている男がいた。シャクソン神官長は御者に『あれは何者か?』と尋ねると、御者は『あれは病人でございます。すべての人間はいずれ病にかかって、あのようになります』と答えた。


 再びシャクソン神官長は再び『今日は気が進まない』といって城に戻って考え込んでしまった。


 さらに翌日今度は西門から出かけると葬列に出会った。『あれは何をしている』とシャクソン神官長が御者に尋ねると、御者は『あれは死人を弔っています。すべての人間はいずれ死んで、あのように弔らわれます』と答えた。


 三度みたび、シャクソン神官長は再び『今日は気が進まない』といって城に戻って考え込んでしまった。


 どんな幸せな人間も結局最後は老いて、病にかかり苦しんで最後は死んでいくのかと思うとシャクソン神官長は人間は何のために生まれるのか、贅沢三昧、楽しいことばかりを追いかける人生ではなく、本当の意味で幸せになるにはどうすればいいのかと悩んだんだ。


 シャクソン神官長は最後に北門から出かけたんだ。すると大変質素な身なりだが凛とした穏やかな表情をしている男と出会ったんだ。


 シャクソン神官長は御者に『あれは何者か?』と尋ねると、御者は『あれは神々の真理を追い求める宗教者でございます』と答えた。


 シャクソン神官長は『人間は皆、老い、病にかかり、死んでいくと分かっていても、あのように落ち着いて真っすぐに生きていくことのできる、確かな心を育むことこそが大事なのだ。さすればこの世の真理の一端がわかるに相違ない』と思い至った。


 シャクソン神官長はそう決意して王子の位を捨てて修行の道に身を投じたんだ。


 それから六年、激しい苦行に打ち込んだがどうしても真理を得ることは出来なかった。


 あまりの修行の過酷さにとうとうシャクソン神官長は衰弱して倒れ込んでしまった。そこへ近くの村娘スジャータが通りかかった。

 スジャータは運んでいた乳粥をシャクソン神官長に食べさせてくれた。これでシャクソン神官長は命を長らえて、幾ら厳しい修行をしても真理に至らないと気が付いた。


 悩んだシャクソン神官長はふと子供の頃に木の下で瞑想したことを思い出した。『あの時は心身が安らいで物事がはっきり見通せた。瞑想こそ真理を悟ることへの道だ』と思い定めた。


 シャクソン神官長は川で身を清めると大きな木の下に座り瞑想を始めたんだ。


 すると心の中に故郷の兵士が現れ『わが国は戦争に負け大変です。すぐにお帰り下さい』と言う。

 妻のヤショーダラ妃や子のラウーラも現れ『あなた、早く帰ってきて』『父上、お帰り下さい』と涙ながらに言うんだ。


 シャクソン神官長は心が乱れそうになるのをじっとこらえ瞑想を続けたんだ。


 すると兵士も妻子も悪霊に姿を変えた。みんな神々の教えである真理を得させまいとする悪霊の誘惑だったんだ。


 今度は力尽くで無数の悪霊はシャクソン神官長に襲いかかった。


 来る日も来る日もシャクソン神官長と悪霊の戦いはつづいた。悪霊は不安、恐怖、渇愛かつあいという形でシャクソン神官長を襲ったんだ。


 やがて七日目の夜明け、悪霊はついに降伏しシャクソン神官長の心の中から霧が晴れるように消え去った。


 シャクソン神官長の心は静かだった。渇愛の激しい流れは澄んだ大海となった。そこには世の中のあらゆるものの姿が映し出された。


 それは生まれ変わり死に変わる人の一生。長い長い星の一生。生きとし生けるものが織り成すやむことなき動きだったという。


 シャクソン神官長はこの真理をこの世に分かり易く説いたんだ」


「渇愛って?」


 祐司が話し終えるとパーヴォットが耳慣れない言葉について質問した。


 ほとんどの日本人は渇愛という単語を聞いたことがなくとも漢字で表現されていればどういった意味かが理解出来る。


 リファニアには漢字はないが、リファニアの”言葉”の特徴として単語を組み合わせて新しい概念をつくることが出来るので。「渇した」+「愛」を更に名詞化する「ニェ」という語をつければ渇愛という言葉が発音だけで表現できてしまう。


「パーヴォット、わたしはパーヴォットといて楽しいし幸せだ」


「わたしもです」


 祐司とパーヴォットはお互いの目を見て言った。


「だが永年に一緒にはいられない。どちらかが先に死ぬだろう。死に行く者は愛する者と別れを悲しみ、死なれる者は愛する者を失うことを悲しむ。それは愛情が深ければ深いほど大きな苦しみになる。

 

 だがシャクソン神官長は苦しむから人を愛するなとは言っていない。相手を思いやる心は尊いモノだ。

 ただ愛する者との別れがあり、それも真理だと覚悟することが大切だと説かれているようにわたしは思う。


 その覚悟があれば必ず訪れる死によって別れる時も相手が死ぬまで今まで一緒にいてくれたことに感謝が出来て悲しみが和らぐと思うな」


 祐司はしゃべっていてふと悲しくなった。


 祐司がリファニアに留まれば老化速度は通常の十分の一以下の速度であるので祐司がパーヴォットの死を見取ることになるからだ。


「パーヴォットは自分の御利益のことばかり考えて恥ずかしいです。御利益を求めて参拝をするワケではありませんでした」


 パーヴォットは祐司の気持ちを知らず恥ずかしそうに言った。



挿絵(By みてみん)

 祐司がパーヴォットに話した仏教説話は「四門出遊」という有名な話になります。城から出た釈尊は人間には「老」「病」「死」という避けられない苦しみがあることを知ります。


 ところが我々は「老」「病」「死」に直面するまで「年老いた自分を想像できない慢心」「病にかかることなどないという慢心」「自分が死ぬことを考えない慢心」の中に生きています。


 釈尊はその慢心から抜け出て菩提(悟り)を求める衆生となったのです。


「スジャータめいらくグループ」の代表的な製品であるコーヒーフレッシュの製品名がスジャータであるのは釈尊に乳粥を食べさせたスジャータにちなんでいます。

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